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激務が続きます

2011-09-23 15:49:00 | 雑事つれづれ
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▲田原祭りのデジブックです。先日の画像とかぶっているのもありますが、クリックすると37枚の画像を見られます。(~10/23までの期間限定公開)

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 前の連休末からそうだったのだけれど、仕事が半端なく忙しい。連日の深夜残業が続いている。まだこの先も約1カ月半はそんな生活の予定。いやむしろもっと悪化する!?

 以前はもっとハードな働き方をしていたんだけれど、年齢を積み重ねると回復力に差が出てくるわけで、毎週末なんか酷い顔である。
 当然そんな働き方を強いざるを得いない状況にも最初は理解を、そして疲れが溜まるにしたがってその理解が怒りに変わってくるわけだが、昨日の帰り道なんてずっと眉間にしわを寄せていたような気がする。オーラとやらが見えるのなら、間違いなくどす黒いドドメ色のオーラが私を渦巻いているに違いない。
 そんな働き方だから、あの台風もオフィスでしこしこお仕事をしているうちに過ぎ去ってしまい、帰宅時の電車も時刻表どおりに運行していて何も困らなかったんだよね。なんというか、流行に乗り遅れた気分(大変な目に合われた方、ごめんなさい)。
 というか、気象庁などの台風予想屋天気図などを眺めているだけで、「帰るなら21時過ぎだな」って対策がおのずとはじき出されると思うのだが…。



 昨夜はアルコールも1.5倍増しで家呑み。爆眠した。
 おかげで10時過ぎまでぐっすり眠れた。今の私には眠りの質というよりも「ぐっすり眠った」という結果を得たということがいいことのような気がする。毎日寝不足でイマイチエンジンのかかりの悪さを感じるよりは数倍マシだ。
 まぁ、眼科医(定期検診)に行くきっかけは失ったけれど…。


 ということで、日進市の件はすっかり怒る時期を逸してしまった。
 お隣の豊田市では7月にその業者の花火を上げていたんだけれど、日進市職員もおバカなクレーマーも知らなかったのだろうか…。
 今年はあちこちの花火大会で、東北を応援しよう、東北の煙火業者に手を差し伸べようという意向が働いて、福島や宮城の玉を見る機会が多かった。そういったところにも何らかの文句を言った人がいたかもしれないが、真に受けた日進市の職員の質は彼らに間違いなく劣る。

 自分のことしか考えられない狭量な人が増えたのも嘆かわしい限りである。

 で、ふと思ったのが、戦後広島や長崎の人はこういった風評被害に遭ったのだろうかといこと。当然当時は今ほど情報の伝達の質も速度もよくないし、そもそもヒトやモノの移動も限定的であった。
 だけど、著名人が被爆3世であると告白したり、おばあちゃんが彼岸に旅立つ前にようやく被爆者であったと身内に告白したり、被爆者と知られたくなかったから被爆者手帳を受け取る手続きをしてない人も少なからずいるようで、彼らの心情の奥にはやはり厳然たる「差別」があったことが推察される。
 今の私の世代にはおそらく広島や長崎の人と結婚するといってもさしたる問題はなさそうだが、やけに出自を気にする名家ぶっている(しょせんは初代は成り上がり)人々は興信所などで3代前まで調べるらしい。

 となると、新潟で生まれ育った私は複雑な思いである。
 新潟は原爆投下候補地の一つであった。現に模擬弾は新潟に投下された記録が残る。もし原爆が新潟に投下されていたのなら、そしてその時に幼児だった母が被爆していたのなら、今の私は差別される側だったのだろうか…。


 人の運命なんて紙一重だと思っている。
 だから異なる境遇の他人を毛嫌いするのではなく、そういう人にもできる限り心を寄せていきたいと思うのである。


▲萱町の奉納スターマイン@田原祭り