
▲川口・木沢の棚田。遠くにうっすらと越後三山
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先ほど自宅に帰ってきました~。
道路は大混乱、JRもUターンラッシュのはずなのに、いつものように時間をずらしたら、3席貸切の上越新幹線。本当に営業が大丈夫なのか心配になってしまう…。
今日は、川口の震央ハイキングへ。
川口は先の新潟県中越大震災の際、最初の地震の震源地であり、震度7を記録した地である。GPSで震央を探して、武道窪という集落の棚田に震央の碑を打ち込んだ。
その辺りの散策路が整備されていて、それが亡父の出身地・木沢を通るので、いつか行こうと思っていた。
しかし、結論から言うと、震央にはたどり着けず…。もうちょっと分岐点などに小さな看板があればいいのにな。田んぼはあるけれど人里離れた地だから、そういうのが欲しいところである。
その分、木沢集落は見て回った。震災後、それぞれの屋号を書いた立派な木の板が各戸に付けられている。母の記憶を頼りに、亡父の家があったところに立つ。そこは、正面に越後三山を望み、魚野川が光るとてもいい眺めの地だった。
父が中学校を卒業後、就職のためにこの家を出てから、長兄が町場に両親ごと下りてしまったので、その家はだいぶ前から無くなっている。だけど、父はここが好きだったようで両親の意見も聞かずに山を降りた長兄とは、かなりやりあったらしい。
そんなことも時が流れてしまえば、些細なこと。
木沢はまだ一部2メートル近い積雪を残しながら、春を迎えていた。
山を下って、川口温泉へ。
ここ6日ほどの連日の歩きの疲れを流す。本日も4万歩越え。ほとんど一緒に歩いてきた母の歩数系でカウントすると、6日間で20万歩近く歩いてきたようだ。

木沢の棚田 posted by (C)樹美

木沢の集落 posted by (C)樹美

残雪2メートル posted by (C)樹美

木沢のカタクリ posted by (C)樹美

オオバキスミレ posted by (C)樹美
震災後のこの地の風景は悲惨でした。
山肌をたどる道はかなり崩れ、通れ
はしますが、とても怖い道とかして
いました。今回紹介の風景。どの辺で
撮影したかは当方もよくわかりますよ。
川口から入りましたね(笑)。
懐かしい風景です。オオバキスミレ。
そうそう、越後の雪解けの後しばらく
しますと、この花はよく目立ちます。
えっと、武道窪から入って、木沢~中山へと抜けました。小さいころに行ったことがあるのですが、なんだか木がうっそうとした道を行った記憶で、今回の開けた道のイメージはありませんでした。震災でだいぶ直したのでしょうが、30年以上前とは同じわけありませんね(笑)
オオバキスミレ、太平洋側の人から見ると、黄色いスミレ自体が珍しいようです。この辺りでは当たり前に勢力を張っていますが。