今日、中川元大臣が急逝しましたが、あたら、若い命を、残念です。彼にしてもあたら資質のあったものを。
地元にかなりの人力を尽くしたのかと思いますが、彼の居る場所が悪かった。個人的に見ると、いい人間だが政治の世界に入ると、狂ってしまうんだろうね。
彼は政治の世界にいる人間ではなかったのかもしれませんね。そうすれば、針と同じようにいいお酒を酌み交わす事も出来たでしょうに。
とにかくあのイタリアのサミットがいけなかった。農水省の松岡氏が国賊ならば、中川氏は国辱でしたね。
政治の過渡期にはこういう運命の転び方をする人が出てくるんですね。針はよく隠棲の気持ちを持って冗談で「仙人修行を」といいますが、この生き方が一番欲得に左右されず、利権に惑わされずに、中庸の気持ちで物事を判断出来ると思うからです。
陶潜の詩だったかと思いますが、「盧を結んで、人境に在り。しかも車馬の喧無し。君に問う何ぞ能(よく)く爾(しかると)。心遠なれば地、自(おのずから)偏なり」です。
この後に詩は続きますが、今はちょっとそれは省きまして・・・。
結盧とはそまつな家を構えるという意味です。
意味は「心が俗界から離れているので、自然と気持ちも片田舎にいるような気持ちになります。」という意味です。
彼に少しでもこの気持ちがあれば、こんな最後を迎えなくてすんだかも知れませんものを。