昨日、会社を終えて、慈恵医大病院の脇を出て道路を渡った時に、なんか、都会には不釣合いな一行が通りました。
義士祭・・・なんてー書いてあるぜ。「あ、そうか、今日(14日)は、赤穂浪士、吉良邸討ち入りの日でしたなあ!。
結構、御一行、足が速いので御座る
後で聞いてみると、何でも、松坂町から、歩いて高輪の泉岳寺まで行くそうだ。当時と違うところは、討ち入り後、吉良殿の御首級を槍の穂先にブル下げて三田の泉岳寺に着いて、其処の井戸で首を洗ったとあります。最初の予定では両国の「回向院で立ち寄る予定だったが、そこの和尚が腰を抜かして入れてくれなかったとか。
泉岳寺というと、普段は人っ子一人いないのに、12月の14日になると、滅茶苦茶人が集まります。お線香の煙の、その物凄さ!。ありゃー、喘息になっちゃいますよね。
しかし、大石内蔵助といえば、山鹿流の陣太鼓じゃないの?。時たま「ドーン」と打つのが、山鹿流とは思えないね
しかし、この大石内蔵助殿、顔色が悪いなあ!、肝臓が悪いって顔してるぞ。
スタコラと御一行、芝、増上寺までやってきました。其処で立ち止まると「えい、えい、おー!」だってさ。その昔、義士達はそうしたんですかね?。その後、山門の中に入って行きました。一体何しに入ったんだろう?。
吉良邸討ち入り」といえば、曲りなりにも、「天下の『御正道』を蔑ろにした罪で、切腹を受ける身でありますれば、増上寺に入るという事は、改めて、御正道に歯向かう事になります。
昔も境内に入ったんですかね?。って、針には全く関係ない話しなので、打ち切りまする。
赤穂浪士と言えば、浪士に加勢する人が多くあります。神崎与五郎と美作(みまさか)のみずくり箕作十吉(みずくりじゅうきち)とか、俵星玄蕃とかね。
針はロックが付けば、バロックであろうが、ロックンロールであろうが好きですが、故)三波春夫の俵星玄蕃は、何度聞いてもいいので、ご紹介ね。まあ、ゆっくり聞いてみてくれ。
針の同級生の秦 君と一度飲んだことがありますが、彼は、カラオケで途中の台詞を、全て、間違えずに歌い切ったので、吃驚した事を思い出しましたぞ。