徐州琅邪軍陽都県(現在の山東省臨沂市沂南県(きなんけん))が本貫地だが、出生地は不明。本貫とは氏族が生まれた地域の事です。例)望月の姓の発祥の後は長野県北佐久郡望月町だとあります。身長は8尺(後漢の頃の1尺は23cmで8尺は184cm、魏・西晋の頃の1尺は24.1cmで8尺は192.8cmになる)。その祖先は前漢間元帝の時の司隷校尉の諸葛豊。父の諸葛珪は泰山郡の丞(郡の副長官)を務めた人物であるが、諸葛亮が幼い時に死去している。年の離れた兄には呉に仕えた諸葛瑾(異母兄説がある)、弟には同じく蜀漢に仕えた諸葛均、他に妹がいる。
まだ幼い頃、徐州から弟の諸葛均と共に叔父の諸葛玄に連れられ南方へ移住する。三国志の中では隆中に庵を構えていたとあります。
針外しは中国の故事が好きで三国時代の史跡等、行ってみたいのですが、飛行機乗ると耳が気圧に負けて激痛が走るので、おいそれと行けませんので、WEB上でパクリの連発です。
色々検索していましたら興味深いサイトが見つかって、嬉しい限りです。孔明亡き後、その後子孫様達は何処に御住みになっていたんでしょうかね?。
http://www.e-asianmarket.com/asia/framezhuge.html
此の中で、中国浙江省にある諸葛八卦村は、三国志の英雄、諸葛孔明の子孫が住む村として有名です。人口約4,000人のうち、約8割が諸葛姓だと言われています。・・・とあります
以下引用です。
諸葛孔明が五丈原で司馬懿と長期に渡って対陣し、54歳で陣中に没したのが西暦234年。諸葛八卦村の地に、諸葛一族が住み始めたのは、西暦1340年前後と言われています。という事は、1100年もの間、なりを潜めて隠れ住んでいた事になるわけですね。以前確かNHKかなんかでも取り上げていました。
諸葛八卦村は浙江省蘭渓市の中心部から、西に17km離れた所に所在しています。諸葛八卦村に行く場合、蘭渓のバスターミナルからミニバスで行く方法が一番分かりやすく、また、時間的にも速いのではないかと思います。
諸葛八卦村へは、杭州からなら日帰りで行くことができます。杭州からの日帰り旅行の行き方を紹介します。とありますので一度このサイトをご覧になって下さいませ。
この街並みは後世、今の中国共産党が道路整備を理由に直したのかも知れないね。諸葛一族がこの地を選んだのには外敵から守るために「行き止まり」等迷路を駆使していアッと思うのですが、今の政府はお構いなしに作り直してしまったのだろう。
確か前にNHKでやった時は、道に嵌って出れなくなっていたと思います。
旅に出る時はその場所の位置関係 歴史の裏付けがあると、なお一層感慨深い物になります。人間兎角、自分の頭で考えて色々推測する訳ですが、そのちっぽけな頭で考えても多寡が知れています。自分の頭が如何に小さいかが良く分かる。それがまた「たまらない」「たまらなく嬉しい」のですね。
「ここは関羽が陣没した地」とか「顔良、文醜が打たれた場所」と思いを馳せるだけでも旅の価値が何十倍にも膨れ上がるわけですな。