李白と杜甫は交流があり李白の元にショッチュウ遊びに行っていたのですが李白の仲間には当然酒飲みが集まっていた訳です。でその頃の酒仲間を詠ったのが「飲中八仙歌」です。
真ん中の抱えられているのが李白だね。
賀 知章(ガチショウ) 字は季真、四明狂客と号します。会稽郡永興県の人。証聖元年(695年)に進士に及第して、後に太子賓客・秘書監に至る。詩をよくして李白と交友があり、また草書と隷書に巧みであったという。無類の酒客にして脱俗の趣あり、後に官を辞して故郷に帰り道士となって86歳で没した。酔って馬に乗る姿は揺れる船に乗るかのようで、井戸に落ちてもそのまま眠り続けたという事です。
汝陽王・李璡(ジョウヨウオウ リシン) 譲皇帝李憲の長男。汝陽王に封ぜられる。太僕卿に至り醸王と号した。弓と鞨鼓に優れて叔父の玄宗皇帝は、はなはだしくこれを愛したと伝える。性謹直であったが無類の酒好きで、毎朝出仕の前に三斗の酒をあおり、途上、麹車に出会えば涎を流し、いっそ酒泉王に封ぜられたかったと言ったと歌う。
李 適之(リテキシ) 左丞相の地位にあった。毎日、一万銭を費やし、大鯨が百の川の水を吸い込むがごとき飲みっぷりであって、清酒は飲むが濁酒は飲まない。
崔 宗之(サイソウシ) 崔日用の子。侍御史・斉国公となった。美少年が杯を手に青空に白目をむけば、その輝かしさは美しい木が風に揺られるかのようと歌う。
蘇晋(ソシン) 蘇珦の子。玄宗の詔勅などを起草し、太子左庶子・吏部侍郎となった。仏像の前で肉食はしないが、酔えば座禅などしていられないと歌う。
李白(リハク) 一斗の酒を飲めば百篇の詩が吐き出され、酒場で眠り、天子の召し出しがあっても「自分は酒飲み仙人」だとうそぶくと歌う。なお、日本の川柳に、これを踏まえた「李太白一合づつに詩を作り」「四日めにあき樽を売る李太白」といった句がある。
張旭(チヨウキョク)三杯の酒で草書の達人と伝えられるが、王侯の前でも頭を剥き出しにして筆を揮い、その書は雲煙の湧きおこるかのようと歌う。
焦遂(ショウスイ)在野の人。五斗の酒で意気上がり、気炎を吐いては周囲を驚かせると歌う。
で、この中の6篇目 の 李白を詠った詩
李白一斗詩百篇 李白一斗詩百篇 李白は酒を一斗呑むごとに百篇の詩を作る。
長安市上酒家眠 長安市上酒家に眠る 長安の町中の居酒屋で飲んだくれて眠っている
天子呼来不上船 天子呼び来きたれど船に上がらず 陛下からのお召しがあっても船に上がらない。
自称臣是酒中仙 自ら称す臣は是れ酒中の仙と そして自分のことをこう言うのだ。「酒中の仙人でございます」と。
(蛇足)
因みに、これに合わせて酔拳の中で八人の仙人が出来たのだろうか?。中国では数を誇張する傾向がありますがこれもそうかね?。でも酔八仙の文字は春秋戦国の頃からあるとも言われているしね、どっちが先で後かなんて問うのは愚の骨頂だね。
伝説では各地に伝わる酔拳を、蘇乞兒(日本語当て字:蘇化子(そかし)、別名:蘇燦)と范大杯という2人の武術家が研究し、それに少林拳や、八仙拳、地功拳などの技術を組み合わせることで、酔八仙拳を創始したと言われています。
八仙のメンバーは時代によって違いがあるんですけれども、小説『八仙東遊記』成立後は、以下の八人で固定されました。
- 李鉄拐(りてっかい、リーテッグァイ)または鉄拐李(てっかいり、テッグァイリー)
- 漢鐘離(かんしょうり、ハンツォンリー)または鍾離権(しょうりけん)
- 呂洞賓(りょどうひん、ロイドンピン)
- 藍采和(らんさいか、ランツォイウォー)
- 韓湘子(かんしょうし、ハンシャンツー)
- 何仙姑(かせんこ、ホウシングー)
- 張果老(ちょうかろう、チャングォロウ)
- 曹国舅(そうこっきゅう、ツォウゴッカウ)
酔 八 仙
有名な伝承者には
李元智(1903-1972)秘宗拳(水滸伝の浪士の燕青が祖)で知られる武術家。傳万祥に酔八仙を習ったとされる。
黄漢勛(オウカンクン)七星螳螂拳で知られる武術家。羅光玉の弟子。羅光玉に酔羅漢拳を習ったとされる。酔羅漢拳は蟷螂拳に伝わる地功拳の拳套(型)。
龍飛雲(1955-2007)日本の武術家。単身台湾に渡り北派拳法の修行を重ねる。酔八仙拳を日本に伝承した最初の人物。・・・がいます。
尚、酔拳は太古の昔からあったとされて、春秋戦国の時代の朱豹、水滸伝の花和尚の魯知深、景陽崗で素手で虎退治した武松がいますね。武松には玉環歩 鴛鴦腿なんて技の名前が出てきます。