都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
「越後妻有 大地の芸術祭の里」へ行ってきました。

ジェームス・タレル「光の館」
http://hikarinoyakata.com
はてなブログ「日毎に敵と懶惰に戦う」の@zaikabouさんから、越後妻有の「光の館」へのお誘いをいただいたのは、今から2ヶ月ほど前、7月初旬のことでした。
それは、「光の館を、定員上限の12名で貸し切ったので、皆さんで泊まりませんか。」という、大変に有り難いお誘いでした。「光の館」とは、光のアーティスト、ジェームス・タレルの設計した、世界で唯一、宿泊の可能な作品です。とても人気が高く、春から秋にかけては、土日はおろか、平日でもなかなか予約が取れません。その館を貸し切りにする、@zaikabouさんならではのアイデアです。そもそも私自身、越後妻有に一度も行ったことがありませんでした。
よって「光の館」に宿泊することを目標に、1泊2日の日程で、越後妻有の「大地の芸術祭の里」を巡ることにしました。
私がアート関連の先輩や友人の5名と、東京駅で待ち合わせたのは、初日の朝の8時頃でした。上越新幹線の「MAXとき」に乗車し、越後妻有の玄関口である越後湯沢へ向かいました。@zaikabouさんのグループとは、夕方前に「光の館」で集合することにしました。
「大地の芸術祭の里」のエリアは広大です、展示施設は、鉄道のアクセスが不便な山岳地帯にも点在しています。よって越後湯沢駅でレンタカーを借り、越後妻有を目指しました。

国道17号から国道353号に折れ、西へ向かうと、すぐに山道に入ります。幾つかのトンネルを抜けると十日町市です。同エリアは日本有数の米どころです。たわわに稲穂を実らせた水田が目に飛び込んできました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」は、十日町を中心に東西南北、中里、津南、松之山、松代、そして川西の6つのエリアから成っています。「光の館」は最北部の川西地区に位置しますが、まずはエリア最西部の松之山、松代地区から見ることにしました。最初の目的地は「森の学校 キョロロ」でした。

越後湯沢から山を越え、信濃川を渡り、再び山岳部の松之山へと車を進めると、約1時間で「森の学校 キョロロ」に到着しました。キョロロは越後妻有一体の自然科学をテーマにした科学館で、2003年の越後妻有トリエンナーレの開催に伴って建設されました。キョロロの名は、同地へ田植えの時期に渡ってくる、カワセミのアカショウビンの鳴き声に由来するそうです。

建物は全て鋼で出来ていて、左手の塔を除くと、ほぼ平屋です。ともかく横へ長く、全長で160メートルほどあります。青空のもと、緑と対比的なサビ色が殊更に印象的でした。ちなみに冬季は雪に埋もれてしまうそうです。

キョロロの館内では地域の暮らしや生き物を紹介する展示が行われています。「森の水族館」では、たくさんの水槽の中に、サンショウウオのほか、十日町地域に生息する魚や水生昆虫が飼育されています。

古民家の再現展示も見どころの一つです。なお冬季は炉端に火が入り、里山の料理を味わうことも出来るそうです。年季の入った建具や釜なども置かれていました。

松之山の豪雪を体感的に知ることが出来るのが、「実寸大積雪ポール」でした。過去35年間の年間最大積雪深をポールで表現。1メートル越えは当たり前です。中には2メートルを超え、3、4メートル、さらには5メートル50センチに達した年もあります。キョロロの建物自体も耐候性の鋼板で造られているそうです。

窓からは鬱蒼とした緑に覆われた森が見えましたが、冬になれば白一色。全く異なった景色が開けているに違いありません。
キョロロの最大の目玉は「クワカブルーム」かもしれません。部屋の中にはクワガタ、カブトムシが放し飼いにされています。

その数が半端ありません。右も左もクワガタにカブトムシ。何頭いるのでしょうか。足元にも要注意です。うっかりすると踏んでしまいそうになります。いずれも地域の人々が繁殖させたクワガタだそうです。居合わせた子どもたちも大はしゃぎでしたが、私もこれほどたくさんのクワガタを一度に見たのは、生まれて初めてでした。

キョロロの塔は展望台になっていて、登ることが出来ます。ただしアクセスは階段のみで、全部で160段あります。さらに青い光を用いた逢坂卓郎の「大地・水・宇宙」の展示のために、ほぼ真っ暗闇でした。足元は悪く、登るのには思いの外に難儀しました。

展望台からの景色はご覧の通りです。絶景かなと言ったところでしょうか。さすがに見晴らしも良好です。遥か彼方にまで里山が続いていました。

遠藤利克「足元の水」
遠藤利克の「足元の水」も興味深い作品でした。大きな鉄板が地面に広がっていますが、その下には大量の水が溜められているそうです。建物の鉄板とも響きあっているように見えました。
マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」
http://www.tsumari-artfield.com/dreamhouse/

キョロロを出た後は、松之山温泉を抜け、「夢の家」へと向かいました。「夢の家」とは、旧ユーゴスラビアのマリーナ・アブラモヴィッチが、築100年超の民家を改修して作った作品で、「家」の名が示すように、実際に宿泊もすることが出来ます。

内部の観覧は事前予約制ですが、この日は飛び込みだったため、外観のみ見てきました。一口で言えばともかく古い家です。もし「夢の家」と知らなければ、単なるあばら屋かと思って、通り過ぎてしまうかもしれません。なお「夢の家」は、2011年の長野県北部地震により被害を受け、一時閉鎖したものの、翌年に修復を経て再開されました。何せこれだけの古い家屋です。維持管理だけでも相当な労力が必要なことが想像されます。

コンセプトによれば、まさしく夢を見るための家です。銅の風呂で身を清め、夢見るためのスーツを着て、黒曜石の枕のベットで寝るとあります。そして見た夢を翌朝に記して記録するそうです。徹底しています。
温泉街からも外れた山の上の古民家での夢の一夜。ここで一体、どのような夢を見るのか想像しながら見学しました。

「夢の家」からは、再び車に乗り、松之山の北にある松代の「農舞台」へ向かいました。
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」へと続きます。
*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」
越後松之山「森の学校」キョロロ(十日町市立里山科学館) 「越後妻有 大地の芸術祭の里」(@echigo_tsumari)
休館:火曜日。年末年始(12月26日~31日)。
*但し祝日の場合は翌日休館。
時間:9:00~17:00
*入館は閉館の30分前まで。
料金:大人500円、小・中学生300円。
住所:新潟県十日町市松之山松口1712-2
交通:北越急行ほくほく線まつだい駅より車で20分。JR線越後湯沢駅より車で約60分。

ジェームス・タレル「光の館」
http://hikarinoyakata.com
はてなブログ「日毎に敵と懶惰に戦う」の@zaikabouさんから、越後妻有の「光の館」へのお誘いをいただいたのは、今から2ヶ月ほど前、7月初旬のことでした。
それは、「光の館を、定員上限の12名で貸し切ったので、皆さんで泊まりませんか。」という、大変に有り難いお誘いでした。「光の館」とは、光のアーティスト、ジェームス・タレルの設計した、世界で唯一、宿泊の可能な作品です。とても人気が高く、春から秋にかけては、土日はおろか、平日でもなかなか予約が取れません。その館を貸し切りにする、@zaikabouさんならではのアイデアです。そもそも私自身、越後妻有に一度も行ったことがありませんでした。
よって「光の館」に宿泊することを目標に、1泊2日の日程で、越後妻有の「大地の芸術祭の里」を巡ることにしました。
私がアート関連の先輩や友人の5名と、東京駅で待ち合わせたのは、初日の朝の8時頃でした。上越新幹線の「MAXとき」に乗車し、越後妻有の玄関口である越後湯沢へ向かいました。@zaikabouさんのグループとは、夕方前に「光の館」で集合することにしました。
「大地の芸術祭の里」のエリアは広大です、展示施設は、鉄道のアクセスが不便な山岳地帯にも点在しています。よって越後湯沢駅でレンタカーを借り、越後妻有を目指しました。

国道17号から国道353号に折れ、西へ向かうと、すぐに山道に入ります。幾つかのトンネルを抜けると十日町市です。同エリアは日本有数の米どころです。たわわに稲穂を実らせた水田が目に飛び込んできました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」は、十日町を中心に東西南北、中里、津南、松之山、松代、そして川西の6つのエリアから成っています。「光の館」は最北部の川西地区に位置しますが、まずはエリア最西部の松之山、松代地区から見ることにしました。最初の目的地は「森の学校 キョロロ」でした。

越後湯沢から山を越え、信濃川を渡り、再び山岳部の松之山へと車を進めると、約1時間で「森の学校 キョロロ」に到着しました。キョロロは越後妻有一体の自然科学をテーマにした科学館で、2003年の越後妻有トリエンナーレの開催に伴って建設されました。キョロロの名は、同地へ田植えの時期に渡ってくる、カワセミのアカショウビンの鳴き声に由来するそうです。

建物は全て鋼で出来ていて、左手の塔を除くと、ほぼ平屋です。ともかく横へ長く、全長で160メートルほどあります。青空のもと、緑と対比的なサビ色が殊更に印象的でした。ちなみに冬季は雪に埋もれてしまうそうです。

キョロロの館内では地域の暮らしや生き物を紹介する展示が行われています。「森の水族館」では、たくさんの水槽の中に、サンショウウオのほか、十日町地域に生息する魚や水生昆虫が飼育されています。

古民家の再現展示も見どころの一つです。なお冬季は炉端に火が入り、里山の料理を味わうことも出来るそうです。年季の入った建具や釜なども置かれていました。

松之山の豪雪を体感的に知ることが出来るのが、「実寸大積雪ポール」でした。過去35年間の年間最大積雪深をポールで表現。1メートル越えは当たり前です。中には2メートルを超え、3、4メートル、さらには5メートル50センチに達した年もあります。キョロロの建物自体も耐候性の鋼板で造られているそうです。

窓からは鬱蒼とした緑に覆われた森が見えましたが、冬になれば白一色。全く異なった景色が開けているに違いありません。
キョロロの最大の目玉は「クワカブルーム」かもしれません。部屋の中にはクワガタ、カブトムシが放し飼いにされています。

その数が半端ありません。右も左もクワガタにカブトムシ。何頭いるのでしょうか。足元にも要注意です。うっかりすると踏んでしまいそうになります。いずれも地域の人々が繁殖させたクワガタだそうです。居合わせた子どもたちも大はしゃぎでしたが、私もこれほどたくさんのクワガタを一度に見たのは、生まれて初めてでした。

キョロロの塔は展望台になっていて、登ることが出来ます。ただしアクセスは階段のみで、全部で160段あります。さらに青い光を用いた逢坂卓郎の「大地・水・宇宙」の展示のために、ほぼ真っ暗闇でした。足元は悪く、登るのには思いの外に難儀しました。

展望台からの景色はご覧の通りです。絶景かなと言ったところでしょうか。さすがに見晴らしも良好です。遥か彼方にまで里山が続いていました。

遠藤利克「足元の水」
遠藤利克の「足元の水」も興味深い作品でした。大きな鉄板が地面に広がっていますが、その下には大量の水が溜められているそうです。建物の鉄板とも響きあっているように見えました。
マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」
http://www.tsumari-artfield.com/dreamhouse/

キョロロを出た後は、松之山温泉を抜け、「夢の家」へと向かいました。「夢の家」とは、旧ユーゴスラビアのマリーナ・アブラモヴィッチが、築100年超の民家を改修して作った作品で、「家」の名が示すように、実際に宿泊もすることが出来ます。

内部の観覧は事前予約制ですが、この日は飛び込みだったため、外観のみ見てきました。一口で言えばともかく古い家です。もし「夢の家」と知らなければ、単なるあばら屋かと思って、通り過ぎてしまうかもしれません。なお「夢の家」は、2011年の長野県北部地震により被害を受け、一時閉鎖したものの、翌年に修復を経て再開されました。何せこれだけの古い家屋です。維持管理だけでも相当な労力が必要なことが想像されます。

コンセプトによれば、まさしく夢を見るための家です。銅の風呂で身を清め、夢見るためのスーツを着て、黒曜石の枕のベットで寝るとあります。そして見た夢を翌朝に記して記録するそうです。徹底しています。
温泉街からも外れた山の上の古民家での夢の一夜。ここで一体、どのような夢を見るのか想像しながら見学しました。

「夢の家」からは、再び車に乗り、松之山の北にある松代の「農舞台」へ向かいました。
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」へと続きます。
*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」
越後松之山「森の学校」キョロロ(十日町市立里山科学館) 「越後妻有 大地の芸術祭の里」(@echigo_tsumari)
休館:火曜日。年末年始(12月26日~31日)。
*但し祝日の場合は翌日休館。
時間:9:00~17:00
*入館は閉館の30分前まで。
料金:大人500円、小・中学生300円。
住所:新潟県十日町市松之山松口1712-2
交通:北越急行ほくほく線まつだい駅より車で20分。JR線越後湯沢駅より車で約60分。
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豊田市美術館へ行ってきました
1995年に開館した、豊田市美術館を設計したのは、建築家の谷口吉生です。

豊田市美術館
http://www.museum.toyota.aichi.jp
谷口の美術館建築として有名なのは、東京国立博物館の法隆寺宝物館や、京都国立博物館の平成知新館などです。私は特に法隆寺宝物館が好きで、同館を見て以来、いつか同じ谷口の建てた豊田市美術館を見たいと思っていました。
ちょうど奈良美智展が開催中です。しかも同展は巡回がありません。これはチャンスとばかりに、豊田市美術館へ行くことにしました。

最寄り駅は豊田市の中心に位置する名鉄豊田市駅、ないし愛知環状鉄道新豊田駅でした。駅から南へ歩き、飯田街道を超え、急な坂をあがると入口が見えてきます。途中、殆ど歩いている人を見かけなかったので、もしや空いているのかと思いましたが、多くの方はマイカーで来られているようでした。

駅側の入口は建物の裏手に当たります。まずは正面入口方向へまわることにしました。すると想像以上に広大な庭が開けていました。
美術館の庭をデザインしたのは、アメリカ人のピーター・ウォーカーです。谷口とは丸亀駅前広場にて協働し、ニューヨークの911メモリアルを手がけるなど、世界各地でランドスケープデザイナーとして活動しています。

庭は2段式で、「円と四角、幾何学と不定形の対立する要素」(解説より)によって構成されています。2段式とは2層構造です。正面入口前が1段目、そして美術館の2階に面したスペースが2段目に当たります。(写真の位置は1段目)実のところ初めは2段構成とは分かりませんでした。

その1段目で特徴的なのが芝生と砂利の市松模様です。その脇を長い石畳が伸びています。さらにソル・ルウィットやリチャード・セラの彫刻が配置されていました。建物同様、一見、シンプルな造りに思えるかもしれませんが、見る方向、立ち位置によって、景色はかなり変化します。

1段目の庭を歩いたあとは、一度、館内に戻りました。人気の奈良さんの個展だけあり、特にファミリーで賑わっていました。

1階にはエントランスホール、ギャラリー、ミュージアムショップのほか、3つの展示室とギャラリーがあります。2階には2つの展示室と、漆芸家の高橋節郎の作品を展示する高橋節郎館があり、3階には3つの展示室が続くという構成でした。

館内は清潔感のある白でほぼ統一されています。外光を取り込んだ吹き抜けには開放感がありました。大小に様々な展示室が連続している上、明暗にも変化があるからか、進むたびに常に異なる景色が開けてきます。また展示室通路から豊田の街並みも見渡せました。これほど感覚を随所で刺激する谷口建築を体験したのは初めてでした。

2階入口外に広がるのが彫刻テラスでした。ここで展開するのが、ダニエル・ビュランの「色の浮遊/3つの破裂した小屋」です。美術館の建築的特徴を強調すべく構想されたそうですが、鏡、ないし黄色や青色を配したオブジェは、確かに建物や空間を際立たせていました。

ビュレンの色に変化した空間を抜けると、一転して物静かな空間が現れました。高橋節郎館です。漆芸家の高橋は、昭和59年に豊田で開かれた展覧会を切っ掛けに、同市へ多くの作品を寄贈しました。それを公開するための施設として建てられました。なお同館内は常設に相当するため、作品と展示室の撮影も可能でした。

館内は2層構造で、3つの展示室が続いています。漆芸品のみかと思いきや、高橋の描いた墨彩画や漆版画も展示されていました。

グランドピアノやハープなどの楽器も目を引きます。これも高橋が装飾をなした作品だそうです。艶やかでした。

休憩スペースのガラス越しには金子潤のオブジェも見えます。ともかく目に入る光景がいちいち美しい。私の拙い写真では伝わりませんが、ため息がもれるほどでした。
彫刻テラス、及び高橋館の前に開けるのが、庭の2段部分でした。うちかなりのスペースを占めるのが人工池でした。

1段目の市松模様の庭と同様、池は不定形で、直線と曲線が連続する構造になっています。水面には建物が緩やかに映り込み、垂直線を強調したファサードを引き立てていました。この池越しの光景が外観上、最も美しく見えるかもしれません。

池を抜けると木立の中を和風の建物が現れました。茶室の「童子苑」です。木造の数寄屋造りで、谷口が設計しました。その名はかつて一帯が童子山と呼ばれていたことに由来するそうです。

「童子苑」の前の庭にまた趣があります。植栽で遮られているため、美術館の姿は伺えません。独立した和風の庭園で、美術館側とは一変した景色が広がっていました。

苑内では立札席茶会として、テーブルと椅子でお茶をいただくことも出来ます。呈茶料金は一服350円で、お茶に和菓子が付いていました。美術館の建物からは少し離れているからか、茶室は空いていて、静かな環境でお茶を味わえました。

もともと美術館の敷地は豊田を治めていた挙母藩の居城があったそうです。小高い丘は一体を支配するのに都合が良かったのでしょうか。現在も当時の石垣が残り、隅櫓も復元されています。また別の城にあった書院の「又日亭(ゆうじつてい)」も移築されました。

建物が良いと噂には聞いていましたが、率直なところ、これほど素晴らしいとは思いませんでした。暑い夏の1日でしたが、建物内外を何度か行き来しては楽しみました。
「豊田市美術館」(@toyotashibi)
休館:月曜日。
*但し祝日にあたる場合は開館。ほか臨時休館日あり。
時間:10:00~17:30
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般300(250)円、高校・大学生200(150)円、中学生以下無料。
*常設展示観覧料。高橋節郎館も観覧可。企画展は別途必要。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:愛知県豊田市小坂本町8-5-1
交通:名鉄線豊田市駅、愛知環状鉄道新豊田駅より徒歩15分。

豊田市美術館
http://www.museum.toyota.aichi.jp
谷口の美術館建築として有名なのは、東京国立博物館の法隆寺宝物館や、京都国立博物館の平成知新館などです。私は特に法隆寺宝物館が好きで、同館を見て以来、いつか同じ谷口の建てた豊田市美術館を見たいと思っていました。
ちょうど奈良美智展が開催中です。しかも同展は巡回がありません。これはチャンスとばかりに、豊田市美術館へ行くことにしました。

最寄り駅は豊田市の中心に位置する名鉄豊田市駅、ないし愛知環状鉄道新豊田駅でした。駅から南へ歩き、飯田街道を超え、急な坂をあがると入口が見えてきます。途中、殆ど歩いている人を見かけなかったので、もしや空いているのかと思いましたが、多くの方はマイカーで来られているようでした。

駅側の入口は建物の裏手に当たります。まずは正面入口方向へまわることにしました。すると想像以上に広大な庭が開けていました。
美術館の庭をデザインしたのは、アメリカ人のピーター・ウォーカーです。谷口とは丸亀駅前広場にて協働し、ニューヨークの911メモリアルを手がけるなど、世界各地でランドスケープデザイナーとして活動しています。

庭は2段式で、「円と四角、幾何学と不定形の対立する要素」(解説より)によって構成されています。2段式とは2層構造です。正面入口前が1段目、そして美術館の2階に面したスペースが2段目に当たります。(写真の位置は1段目)実のところ初めは2段構成とは分かりませんでした。

その1段目で特徴的なのが芝生と砂利の市松模様です。その脇を長い石畳が伸びています。さらにソル・ルウィットやリチャード・セラの彫刻が配置されていました。建物同様、一見、シンプルな造りに思えるかもしれませんが、見る方向、立ち位置によって、景色はかなり変化します。

1段目の庭を歩いたあとは、一度、館内に戻りました。人気の奈良さんの個展だけあり、特にファミリーで賑わっていました。

1階にはエントランスホール、ギャラリー、ミュージアムショップのほか、3つの展示室とギャラリーがあります。2階には2つの展示室と、漆芸家の高橋節郎の作品を展示する高橋節郎館があり、3階には3つの展示室が続くという構成でした。

館内は清潔感のある白でほぼ統一されています。外光を取り込んだ吹き抜けには開放感がありました。大小に様々な展示室が連続している上、明暗にも変化があるからか、進むたびに常に異なる景色が開けてきます。また展示室通路から豊田の街並みも見渡せました。これほど感覚を随所で刺激する谷口建築を体験したのは初めてでした。

2階入口外に広がるのが彫刻テラスでした。ここで展開するのが、ダニエル・ビュランの「色の浮遊/3つの破裂した小屋」です。美術館の建築的特徴を強調すべく構想されたそうですが、鏡、ないし黄色や青色を配したオブジェは、確かに建物や空間を際立たせていました。

ビュレンの色に変化した空間を抜けると、一転して物静かな空間が現れました。高橋節郎館です。漆芸家の高橋は、昭和59年に豊田で開かれた展覧会を切っ掛けに、同市へ多くの作品を寄贈しました。それを公開するための施設として建てられました。なお同館内は常設に相当するため、作品と展示室の撮影も可能でした。

館内は2層構造で、3つの展示室が続いています。漆芸品のみかと思いきや、高橋の描いた墨彩画や漆版画も展示されていました。

グランドピアノやハープなどの楽器も目を引きます。これも高橋が装飾をなした作品だそうです。艶やかでした。

休憩スペースのガラス越しには金子潤のオブジェも見えます。ともかく目に入る光景がいちいち美しい。私の拙い写真では伝わりませんが、ため息がもれるほどでした。
彫刻テラス、及び高橋館の前に開けるのが、庭の2段部分でした。うちかなりのスペースを占めるのが人工池でした。

1段目の市松模様の庭と同様、池は不定形で、直線と曲線が連続する構造になっています。水面には建物が緩やかに映り込み、垂直線を強調したファサードを引き立てていました。この池越しの光景が外観上、最も美しく見えるかもしれません。

池を抜けると木立の中を和風の建物が現れました。茶室の「童子苑」です。木造の数寄屋造りで、谷口が設計しました。その名はかつて一帯が童子山と呼ばれていたことに由来するそうです。

「童子苑」の前の庭にまた趣があります。植栽で遮られているため、美術館の姿は伺えません。独立した和風の庭園で、美術館側とは一変した景色が広がっていました。

苑内では立札席茶会として、テーブルと椅子でお茶をいただくことも出来ます。呈茶料金は一服350円で、お茶に和菓子が付いていました。美術館の建物からは少し離れているからか、茶室は空いていて、静かな環境でお茶を味わえました。

もともと美術館の敷地は豊田を治めていた挙母藩の居城があったそうです。小高い丘は一体を支配するのに都合が良かったのでしょうか。現在も当時の石垣が残り、隅櫓も復元されています。また別の城にあった書院の「又日亭(ゆうじつてい)」も移築されました。

建物が良いと噂には聞いていましたが、率直なところ、これほど素晴らしいとは思いませんでした。暑い夏の1日でしたが、建物内外を何度か行き来しては楽しみました。
「豊田市美術館」(@toyotashibi)
休館:月曜日。
*但し祝日にあたる場合は開館。ほか臨時休館日あり。
時間:10:00~17:30
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般300(250)円、高校・大学生200(150)円、中学生以下無料。
*常設展示観覧料。高橋節郎館も観覧可。企画展は別途必要。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:愛知県豊田市小坂本町8-5-1
交通:名鉄線豊田市駅、愛知環状鉄道新豊田駅より徒歩15分。
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三重県立美術館へ行ってきました
1982年に開館した三重県立美術館は、津市中心部、津駅よりほど近い丘の上に位置します。

津駅西口から歩いて約10分ほどです。ロータリーからは一本道でした。信号を越え、なだらかな坂を上がると、左手に美術館が見えてきます。

建物の構えが想像以上に立派でした。ちょうど道路側から進んで、スロープ、階段の上に美術館が建っています。多くの公共建築で知られる富家建築事務所の設計でした。1998年には当時の建設省によって公共建築百選にも選ばれました。

エントランスが階段上右手奥です。屋外に観覧券売場のブースがあり、扉を抜けると、吹き抜け状のエントランスホールが現れます。テオ・ヤンセン展開催中のため、ヤンセンの大型の作品が設置されていました。

1階の企画展示室は全部で4室です。また同じフロアに、彫刻家の柳原義達の作品を公開する記念館があります。記念館は2003年に美術館のリニューアルにあわせて増築されました。

階段を1つ上がった2階が常設展示室です。ちょうど「2017年度常設展示第2期」と題したコレクション展が行われていました。
はじめの名品選からして粒揃いです。特にムリーリョの「アレクサンドリアの聖カタリナ」、モネの「橋からみたアルジャントゥイユの泊地」、そしてミロの「女と鳥」などに魅せられました。また近代洋画でも、安井曾太郎、古賀春江、佐伯祐三の作品が充実していました。
企画展と連動したテーマ展示をしているのも面白いところです。題して「美術家にして〇〇」。ヤンセンが物理学を学びながら、のちにアーティストに転向したことに関し、コレクションから美術以外でも活躍した芸術家の作品をピックアップして展示しています。
須田国太郎の「信楽」に目が留まりました。陶芸で知られる信楽の里をパノラマ的な構図で捉えています。色彩は赤みを帯びた褐色が主体で、一部に得意とするサーモンピンクも混じっていました。ともかく静寂でかつ長閑な景色です。かつて東京国立近代美術館で見た画家の回顧展のことを思い出しました。
コレクション展のラストは京都の近代美術でした。関西美術院に関する洋画家に加え、京都画壇の日本画家の作品を展示しています。
浅井忠、堂本印象、竹内栖鳳、木島櫻谷の作品が並ぶ中、私が印象に残ったのが宇田荻邨でした。明治36年に三重の松阪で生まれ、のちに京都へ移り、菊池契月に師事し、京都市立絵画専門学校で教授を務めるなどして活動しました。古典的な作風で知られていたそうです。
作品は全部で5点。特に「祇園新橋」や「巨椋の池」などの京都界隈の風景画が目立ちます。人々の行き交う祇園を叙情的に表す一方、巨椋は池の水鳥や蓮などをどこか図像的に表現していました。実のところ初めて見知った画家でしたが、思いがけないほどに惹かれました。

コレクション展を観覧し終えたあとは、一度エントランスへ戻り、柳原義達記念館へと向かいました。共通のチケットで入場することが出来ます。

展示室は2つあり、大きなスペースは天井部から自然光を取り込むつくりとなっています。彫刻群の配置にはゆとりがあり、一点一点、じっくりと向き合うことも可能です。戦後の具象彫刻で知られる柳原の作品の中でも動物、とりわけ鳩などの鳥の彫刻に魅力があるのではないでしょうか。デッサン、資料も交えて、柳原の制作を紹介していました。

館内にはミュージアムショップとレストランも併設されています。今回は時間の関係で利用しませんでしたが、特にレストランが充実しているようでした。一面はガラス張りで外を望むことも出来る上、開放感のあるテラス席も用意されています。

屋外彫刻もいくつか設置されています。青空によく映えていました。

企画展の「テオ・ヤンセン展」もあわせて鑑賞してきました。次のエントリにまとめるつもりです。
*関連エントリ
「テオ・ヤンセン展」 三重県立美術館
「三重県立美術館」(@mie_kenbi)
休館:月曜日。
*但し祝日にあたる場合は開館し、翌日休館。年末年始(12月29日~1月3日)。
時間:9:30~17:00
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般300(240)円、大学生200(160)円、高校生以下無料。
*常設展示観覧料。企画展は別途必要。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:三重県津市大谷町11
交通:JR線、近鉄線津駅西口から徒歩10分。津駅西口1番のりばより三重交通バス「西団地巡回」、「ハイタウン行き(東団地経由)」、「夢が丘団地行き(総合文化センター前経由)」、「総合文化センター行き」のいずれかに乗車し、「美術館前」下車。無料駐車場あり。

津駅西口から歩いて約10分ほどです。ロータリーからは一本道でした。信号を越え、なだらかな坂を上がると、左手に美術館が見えてきます。

建物の構えが想像以上に立派でした。ちょうど道路側から進んで、スロープ、階段の上に美術館が建っています。多くの公共建築で知られる富家建築事務所の設計でした。1998年には当時の建設省によって公共建築百選にも選ばれました。

エントランスが階段上右手奥です。屋外に観覧券売場のブースがあり、扉を抜けると、吹き抜け状のエントランスホールが現れます。テオ・ヤンセン展開催中のため、ヤンセンの大型の作品が設置されていました。

1階の企画展示室は全部で4室です。また同じフロアに、彫刻家の柳原義達の作品を公開する記念館があります。記念館は2003年に美術館のリニューアルにあわせて増築されました。

階段を1つ上がった2階が常設展示室です。ちょうど「2017年度常設展示第2期」と題したコレクション展が行われていました。
はじめの名品選からして粒揃いです。特にムリーリョの「アレクサンドリアの聖カタリナ」、モネの「橋からみたアルジャントゥイユの泊地」、そしてミロの「女と鳥」などに魅せられました。また近代洋画でも、安井曾太郎、古賀春江、佐伯祐三の作品が充実していました。
#テオ・ヤンセン 展で初めて三重県立美術館にいらしたお客様には特に、二階の常設展示室にも足を運んでいただきたいです。スペイン・バロックの代表的画家ムリリョや、同じくスペインのダリ、フランスのモネやボナールはじめ充実の展示ですので。https://t.co/CzVUCBktYC
— 三重県立美術館 (@mie_kenbi) 2017年8月17日
企画展と連動したテーマ展示をしているのも面白いところです。題して「美術家にして〇〇」。ヤンセンが物理学を学びながら、のちにアーティストに転向したことに関し、コレクションから美術以外でも活躍した芸術家の作品をピックアップして展示しています。
須田国太郎の「信楽」に目が留まりました。陶芸で知られる信楽の里をパノラマ的な構図で捉えています。色彩は赤みを帯びた褐色が主体で、一部に得意とするサーモンピンクも混じっていました。ともかく静寂でかつ長閑な景色です。かつて東京国立近代美術館で見た画家の回顧展のことを思い出しました。
コレクション展のラストは京都の近代美術でした。関西美術院に関する洋画家に加え、京都画壇の日本画家の作品を展示しています。
浅井忠、堂本印象、竹内栖鳳、木島櫻谷の作品が並ぶ中、私が印象に残ったのが宇田荻邨でした。明治36年に三重の松阪で生まれ、のちに京都へ移り、菊池契月に師事し、京都市立絵画専門学校で教授を務めるなどして活動しました。古典的な作風で知られていたそうです。
作品は全部で5点。特に「祇園新橋」や「巨椋の池」などの京都界隈の風景画が目立ちます。人々の行き交う祇園を叙情的に表す一方、巨椋は池の水鳥や蓮などをどこか図像的に表現していました。実のところ初めて見知った画家でしたが、思いがけないほどに惹かれました。

コレクション展を観覧し終えたあとは、一度エントランスへ戻り、柳原義達記念館へと向かいました。共通のチケットで入場することが出来ます。

展示室は2つあり、大きなスペースは天井部から自然光を取り込むつくりとなっています。彫刻群の配置にはゆとりがあり、一点一点、じっくりと向き合うことも可能です。戦後の具象彫刻で知られる柳原の作品の中でも動物、とりわけ鳩などの鳥の彫刻に魅力があるのではないでしょうか。デッサン、資料も交えて、柳原の制作を紹介していました。

館内にはミュージアムショップとレストランも併設されています。今回は時間の関係で利用しませんでしたが、特にレストランが充実しているようでした。一面はガラス張りで外を望むことも出来る上、開放感のあるテラス席も用意されています。

屋外彫刻もいくつか設置されています。青空によく映えていました。

企画展の「テオ・ヤンセン展」もあわせて鑑賞してきました。次のエントリにまとめるつもりです。
*関連エントリ
「テオ・ヤンセン展」 三重県立美術館
「三重県立美術館」(@mie_kenbi)
休館:月曜日。
*但し祝日にあたる場合は開館し、翌日休館。年末年始(12月29日~1月3日)。
時間:9:30~17:00
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般300(240)円、大学生200(160)円、高校生以下無料。
*常設展示観覧料。企画展は別途必要。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:三重県津市大谷町11
交通:JR線、近鉄線津駅西口から徒歩10分。津駅西口1番のりばより三重交通バス「西団地巡回」、「ハイタウン行き(東団地経由)」、「夢が丘団地行き(総合文化センター前経由)」、「総合文化センター行き」のいずれかに乗車し、「美術館前」下車。無料駐車場あり。
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「夜の不思議の水族園 2017」 葛西臨海水族園
葛西臨海水族園
「Night of Wonderー夜の不思議の水族園 2017」
8/11〜8/16

毎年夏の恒例、葛西臨海水族園の夜間延長開園も、今年で5年目を迎えました。
題して「Night of Wonderー夜の不思議の水族園」。お盆休みの期間中、8月11日から8月16日の間に限り、20時まで延長開園しています。

ちょうど私が水族園に着いたのは18時でした。まだ日没前です。屋外のペンギンたちも比較的活発に動いていました。

延長開園中には様々なイベントが行われます。まず一番に挙げられるのが「夜のスペシャルガイド」でした。飼育員によるレクチャーです。特に生き物の夜の生態などについて語って下さいます。

私はマグロ水槽のガイドを拝聴しましたが、ほかにも海鳥やペンギンのレクチャーも人気を集めていました。主に18時以降、レクチャーは時間差で行われるので、はしごするのも面白いかもしれません。

昼間と最も異なるのは消灯されることです。一部のコーナーはほぼ真っ暗で、足元も覚束ないほどでした。暗がりの中、水槽の魚だけが、色鮮やかに浮かび上がっています。

さらに時間が進むと水槽自体の照明も落とされます。こうなると魚の姿を確認するのも困難かもしれません。皆さん、水槽に張り付いては魚に見入っていました。

大人向けのプログラムが用意されているのも嬉しいところです。屋外のテントデッキでは18時半以降、連日、「ミュージックフェスタ」として、ミュージシャンによる生演奏が披露されます。
さらにレストランや売店では、「シーライフナイト」として、限定メニューやビールの販売も行われていました。私も飲むのに夢中なために撮り損ねてしまいましたが、緩やかな海風に吹かれつつ、ハワイのビールなどをいただきながら、ちょっとしたリゾート気分を味わいました。

さらに通常は夜に閉鎖している「水辺の自然」も特別にオープン。今年は5周年を記念し、会期も例年の4日間から6日間へと拡大しました。

18時頃は館内も賑わっていましたが、19時半を過ぎると、人がかなり減ります。特に閉園間際はほぼ貸切状態でした。

葛西臨海水族園の夜間延長開園、「Night of Wonderー夜の不思議の水族園」は、8月16日まで開催されています。*最終入園は19時まで。
「Night of Wonderー夜の不思議の水族園 2017」 葛西臨海水族園(@KasaiSuizokuen)
会期:8月11日(金・祝)〜8月16日(水)*夜間開園期間
休館:会期中無休
時間:17:00~20:00 *開園時間を3時間延長。開園時間は9時半。最終入園は19時まで。
料金:一般700(560)円、65歳以上350(280)円、中学生250(200)円。小学生以下、及び都内在住の中学生は無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:江戸川区臨海町6-2-3
交通:JR線葛西臨海公園駅より徒歩5分。
「Night of Wonderー夜の不思議の水族園 2017」
8/11〜8/16

毎年夏の恒例、葛西臨海水族園の夜間延長開園も、今年で5年目を迎えました。
題して「Night of Wonderー夜の不思議の水族園」。お盆休みの期間中、8月11日から8月16日の間に限り、20時まで延長開園しています。

ちょうど私が水族園に着いたのは18時でした。まだ日没前です。屋外のペンギンたちも比較的活発に動いていました。

延長開園中には様々なイベントが行われます。まず一番に挙げられるのが「夜のスペシャルガイド」でした。飼育員によるレクチャーです。特に生き物の夜の生態などについて語って下さいます。

私はマグロ水槽のガイドを拝聴しましたが、ほかにも海鳥やペンギンのレクチャーも人気を集めていました。主に18時以降、レクチャーは時間差で行われるので、はしごするのも面白いかもしれません。

昼間と最も異なるのは消灯されることです。一部のコーナーはほぼ真っ暗で、足元も覚束ないほどでした。暗がりの中、水槽の魚だけが、色鮮やかに浮かび上がっています。

さらに時間が進むと水槽自体の照明も落とされます。こうなると魚の姿を確認するのも困難かもしれません。皆さん、水槽に張り付いては魚に見入っていました。

大人向けのプログラムが用意されているのも嬉しいところです。屋外のテントデッキでは18時半以降、連日、「ミュージックフェスタ」として、ミュージシャンによる生演奏が披露されます。
【Night of Wonderイチオシ情報】館内が暗くなる前に入園するのもオススメです。消灯前の水槽を観察しておけば昼と夜の違いがよりはっきり見えてくるでしょう。「世界の海」エリアは19:00消灯です。#NOW2017 pic.twitter.com/hBQV1nOhAm
— 葛西臨海水族園[公式] (@KasaiSuizokuen) 2017年8月14日
さらにレストランや売店では、「シーライフナイト」として、限定メニューやビールの販売も行われていました。私も飲むのに夢中なために撮り損ねてしまいましたが、緩やかな海風に吹かれつつ、ハワイのビールなどをいただきながら、ちょっとしたリゾート気分を味わいました。

さらに通常は夜に閉鎖している「水辺の自然」も特別にオープン。今年は5周年を記念し、会期も例年の4日間から6日間へと拡大しました。

18時頃は館内も賑わっていましたが、19時半を過ぎると、人がかなり減ります。特に閉園間際はほぼ貸切状態でした。

葛西臨海水族園の夜間延長開園、「Night of Wonderー夜の不思議の水族園」は、8月16日まで開催されています。*最終入園は19時まで。
「Night of Wonderー夜の不思議の水族園 2017」 葛西臨海水族園(@KasaiSuizokuen)
会期:8月11日(金・祝)〜8月16日(水)*夜間開園期間
休館:会期中無休
時間:17:00~20:00 *開園時間を3時間延長。開園時間は9時半。最終入園は19時まで。
料金:一般700(560)円、65歳以上350(280)円、中学生250(200)円。小学生以下、及び都内在住の中学生は無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:江戸川区臨海町6-2-3
交通:JR線葛西臨海公園駅より徒歩5分。
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川端龍子ゆかりの「龍子公園」を見学してきました
日本画家、川端龍子の旧宅とアトリエを保存した龍子公園は、大田区立龍子記念館のすぐ隣にあります。
アトリエは1938年、龍子率いる青龍社の創立10周年に建てられました。一方で旧宅は戦時中に爆撃に遭い、焼失したため、戦後の1948〜1954年になって新たに造られました。ともに龍子自らが設計しました。

現在は記念館と同様に大田区が管理し、公園として一般に公開しています。

入口の門を抜け、竹の垣根のアプローチの左手に見えるのが、「爆弾散華の池」でした。龍子邸は、終戦間際の1945年8月13日、アメリカ軍の爆撃を受け、隣接するアトリエこそ難を逃れたものの、自宅部分は全壊します。使用人も亡くなるという大きな被害を受けました。
この体験をもとに龍子は「爆弾散華」を制作しました。爆風で吹き飛ぶ夏野菜をモチーフにした作品で、終戦直後の10月の第17回青龍展に出展しました。今では大田区立龍子記念館に収蔵されています。
爆撃時には大きな穴があき、のちに水が湧き出てきたそうです。そこで龍子は穴を池として整備することを思いつき、「爆弾散華の池」と呼ぶようになりました。緑に覆われているため、水面こそ見えませんが、今も雨水や水道にて維持されています。

池を過ぎるとまず現れるのが旧宅と門でした。門の先がアトリエです。客人用として使われました。普段、家人は縄のれんのある小さな口を通っていたそうです。

門を潜ると左右に背の高い竹垣が現れました。一本一本がかなり太く、とても量感のある竹で、先の旧宅や門の縁にも使われています。竹は龍子のお気に入りの素材の一つでした。また石畳は龍の鱗のように組み合わされています。これも龍子のこだわりでした。

2階建てのアトリエはカメラに収めきれないほどに大きな建物でした。軒や庇の部分は網代天井で仕上げています。アトリエの広さは60畳もあります。さらに高さも4メートルと、天井高も十分でした。

まさに「会場芸術」、大作を描くに相応しいアトリエと言って差し支えありません。ここで龍子は1966年に亡くなるまで、数多くの作品を描きました。
面白いのはアトリエの南にも大きな窓があることです。あえて強い光を取り込もうと考えたのかもしれません。今では龍子の使った画材などが展示されています。

旧宅もアトリエと同様の2階建てです。京間の畳の組み方が卍型でした。この卍も龍子の好んだ模様だったそうです。

窓のレリーフが個性的です。春蘭を象っているそうですが、私には窓に張り付くトカゲのようにも見えました。客人との話のとっかかりになったことではないでしょうか。

熱心な仏教徒でもあった龍子は、旧宅の奥座敷に持仏堂を設けました。当時は襖に、宗達に連なる伊年印の「桜芥子図」がはめ込まれていました。現在は龍子記念館に所蔵されていますが、その高精細の複製を作るプロジェクトが進行しています。*複製は11月3日からの「龍子の生きざまを見よ!」 展で公開予定。
仏間には照明がありません。龍子はお堂に十一面観音と、脇侍の不動明王と毘沙門天などを安置しました。毎日、朝夕の礼拝を欠かすことはなかったそうです。うち「毘沙門天立像」は遺族の意思により東京国立博物館へ寄贈されました。重要文化財にも指定されています。
旧宅の前には庭が広がります。龍子は時折、ライトアップしては、夜の景色を楽しみました。今でこそ、庭というよりも森の様相を呈していますが、当時からかなり鬱蒼としていたそうです。

龍子は庭を「写生材料の植え込み」と呼んでいました。梅や桜、紅葉なども植わっています。四季折々で変化する光景を目にしつつ、写生に勤しんだのかもしれません。

ほか水盤なども美しいのではないでしょうか。園内の随所から、龍子のこだわりと美意識が感じられました。
最後に見学についての情報です。龍子公園は記念館の付属の施設です。常時、開放されていません。

よって龍子記念館の職員の方によるガイドツアー方式での見学となります。見学時間は記念館の開館日の各10時、11時、14時の3回です。記念館内が集合場所です。時間になり次第、職員の方が案内して下さいます。

龍子は朝の礼拝ののち、朝9時から夜9時までアトリエで絵画を制作していたそうです。建物も庭も、ほぼ生前から手付かずに残っていると言っても良いかもしれません。

龍子記念館とあわせて見学することをおすすめします。
*川端龍子関連エントリ
「絵画への意志 新規収蔵品からの展望」 大田区立龍子記念館
「川端龍子ー超ド級の日本画」 山種美術館
川端龍子「草炎」 東京国立近代美術館
「龍子公園」
観覧時間:10:00、11:00、14:00の1日3回の案内。自由見学不可。
休園:月曜日。但し祝日の場合は翌日。年末年始(12月29日~1月3日)。展示替えの臨時休館。
料金:大人200円、小・中学生100円。65歳以上は無料。
住所:大田区中央4-2-1
交通:都営浅草線西馬込駅南口から徒歩15分。JR大森駅西口から東急バス4番荏原町駅入口行に乗車、臼田坂下下車。バス停より徒歩2分。
アトリエは1938年、龍子率いる青龍社の創立10周年に建てられました。一方で旧宅は戦時中に爆撃に遭い、焼失したため、戦後の1948〜1954年になって新たに造られました。ともに龍子自らが設計しました。

現在は記念館と同様に大田区が管理し、公園として一般に公開しています。

入口の門を抜け、竹の垣根のアプローチの左手に見えるのが、「爆弾散華の池」でした。龍子邸は、終戦間際の1945年8月13日、アメリカ軍の爆撃を受け、隣接するアトリエこそ難を逃れたものの、自宅部分は全壊します。使用人も亡くなるという大きな被害を受けました。
この体験をもとに龍子は「爆弾散華」を制作しました。爆風で吹き飛ぶ夏野菜をモチーフにした作品で、終戦直後の10月の第17回青龍展に出展しました。今では大田区立龍子記念館に収蔵されています。
爆撃時には大きな穴があき、のちに水が湧き出てきたそうです。そこで龍子は穴を池として整備することを思いつき、「爆弾散華の池」と呼ぶようになりました。緑に覆われているため、水面こそ見えませんが、今も雨水や水道にて維持されています。

池を過ぎるとまず現れるのが旧宅と門でした。門の先がアトリエです。客人用として使われました。普段、家人は縄のれんのある小さな口を通っていたそうです。

門を潜ると左右に背の高い竹垣が現れました。一本一本がかなり太く、とても量感のある竹で、先の旧宅や門の縁にも使われています。竹は龍子のお気に入りの素材の一つでした。また石畳は龍の鱗のように組み合わされています。これも龍子のこだわりでした。

2階建てのアトリエはカメラに収めきれないほどに大きな建物でした。軒や庇の部分は網代天井で仕上げています。アトリエの広さは60畳もあります。さらに高さも4メートルと、天井高も十分でした。

まさに「会場芸術」、大作を描くに相応しいアトリエと言って差し支えありません。ここで龍子は1966年に亡くなるまで、数多くの作品を描きました。
面白いのはアトリエの南にも大きな窓があることです。あえて強い光を取り込もうと考えたのかもしれません。今では龍子の使った画材などが展示されています。

旧宅もアトリエと同様の2階建てです。京間の畳の組み方が卍型でした。この卍も龍子の好んだ模様だったそうです。

窓のレリーフが個性的です。春蘭を象っているそうですが、私には窓に張り付くトカゲのようにも見えました。客人との話のとっかかりになったことではないでしょうか。

熱心な仏教徒でもあった龍子は、旧宅の奥座敷に持仏堂を設けました。当時は襖に、宗達に連なる伊年印の「桜芥子図」がはめ込まれていました。現在は龍子記念館に所蔵されていますが、その高精細の複製を作るプロジェクトが進行しています。*複製は11月3日からの「龍子の生きざまを見よ!」 展で公開予定。
仏間には照明がありません。龍子はお堂に十一面観音と、脇侍の不動明王と毘沙門天などを安置しました。毎日、朝夕の礼拝を欠かすことはなかったそうです。うち「毘沙門天立像」は遺族の意思により東京国立博物館へ寄贈されました。重要文化財にも指定されています。
旧宅の前には庭が広がります。龍子は時折、ライトアップしては、夜の景色を楽しみました。今でこそ、庭というよりも森の様相を呈していますが、当時からかなり鬱蒼としていたそうです。

龍子は庭を「写生材料の植え込み」と呼んでいました。梅や桜、紅葉なども植わっています。四季折々で変化する光景を目にしつつ、写生に勤しんだのかもしれません。

ほか水盤なども美しいのではないでしょうか。園内の随所から、龍子のこだわりと美意識が感じられました。
最後に見学についての情報です。龍子公園は記念館の付属の施設です。常時、開放されていません。

よって龍子記念館の職員の方によるガイドツアー方式での見学となります。見学時間は記念館の開館日の各10時、11時、14時の3回です。記念館内が集合場所です。時間になり次第、職員の方が案内して下さいます。

龍子は朝の礼拝ののち、朝9時から夜9時までアトリエで絵画を制作していたそうです。建物も庭も、ほぼ生前から手付かずに残っていると言っても良いかもしれません。

龍子記念館とあわせて見学することをおすすめします。
*川端龍子関連エントリ
「絵画への意志 新規収蔵品からの展望」 大田区立龍子記念館
「川端龍子ー超ド級の日本画」 山種美術館
川端龍子「草炎」 東京国立近代美術館
「龍子公園」
観覧時間:10:00、11:00、14:00の1日3回の案内。自由見学不可。
休園:月曜日。但し祝日の場合は翌日。年末年始(12月29日~1月3日)。展示替えの臨時休館。
料金:大人200円、小・中学生100円。65歳以上は無料。
住所:大田区中央4-2-1
交通:都営浅草線西馬込駅南口から徒歩15分。JR大森駅西口から東急バス4番荏原町駅入口行に乗車、臼田坂下下車。バス停より徒歩2分。
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日本最古の学校、「史跡足利学校」を訪ねる
史跡足利学校を見学してきました。

江戸時代に「坂東の大学」と称された足利学校は、創建年代に諸説あるものの、少なくとも室町時代に再興されたことから、日本最古の学校と言われています。
敷地面積は約5000坪です。明治時代に廃校となり、多くの建物は撤去されましたが、大正時代に国の史跡に指定。そして戦後、保存整備事業がスタートしました。平成2年になって建物と庭園の復元が完了し、江戸時代の姿が甦るに至りました。

場所は足利市の中心部です。両毛線の足利駅から歩いておおよそ10分弱でした。「入徳」と記された門が見えてきます。学校の入口でした。

受付を済ませ、孔子像を過ぎると、もう一つの門が待ち構えていました。その名も「学校門」です。寛文8年の創建で、日本で唯一「学校」の扁額が掛けられています。足利学校のシンボル的な存在でもあります。

学校門の正面に位置するのが孔子廟でした。「大成殿」と呼ばれています。学校門と同様の寛文8年の造営でした。中国の明の聖廟を模していて、中には孔子が祀られています。坐した像は珍しいそうです。

敷地内で最も目立つのが、方丈と庫裏、そして書院でした。いずれも平成2年の復元です。講義や学習、そして台所、さらに書斎や接客のためのスペースとして用いられました。まさに校舎です。足利学校の中核的な施設と言って良いかもしれません。

方丈の高さは約13メートルです。茅葺きの大きな屋根が特徴的でした。広い座敷があり、ちょうど中では漢字試験が行われていました。さらに内部には仏殿の間や尊牌の間があります。歴代徳川将軍の位牌が安置されていました。

室町時代に足利学校を再興したのが、関東管領の上杉憲実でした。儒学の四経の書籍を寄進した上、学則を整備します。さらに鎌倉から禅僧を招き、庠主(しょうしゅ)と呼ばれる学長を定めました。以降、代々の庠主は禅僧が務めました。

儒学、特に易について学んだ僧が多く、16世紀半ば頃には3000名の学徒を数えるに至ったそうです。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、足利学校をして、「最も大にして最も有名なる坂東の大学」と海外に紹介しました。

室町期最後の庠主が家康の信任を得ていたことから、幕府より朱印地を寄進されます。それに伴い庠主も1年間の吉凶を占って幕府へ提出しました。第13代庠主の時代、寛文8年には、幕府や大名の寄付を受けて大修築を敢行し、現在も残る孔子廟や学校門などを整備しました。ただしのちの宝暦4年の落雷により方丈や書院などが焼失してしまいました。

江戸時代も半ばになり朱子学が隆盛すると、易学中心の足利学校の活動自体は衰微していきます。一方で古い歴史を有することから、古典籍を所蔵する図書館として注目されたそうです。多くの文人らも訪ねました。

庭園は方丈を挟んで南北に2つ。北庭園と南庭園に分かれています。方丈から裏門に面するのが南庭園です。築山泉水式の庭園です。老松に巨石が置かれています。

北庭園は規模が小さいものの、南庭園より格が高いそうです。同じく築山泉水式で、池の中には中之島があり、弁天を祀る小さな祠があります。書院から眺める景色が殊更に美しく見えました。

「字降松」も興味深いのではないでしょうか。読みで「かなふりまつ」です。第7代庠主の時代、この松に読めない字や意味のわからない言葉を紙に書くと、翌日にはふりがなや注釈がついていたというエピソードに由来します。

さらに学生寮こと衆寮や農具置き場の木小屋なども立ち並びます。学びの場は自給自足の生活の場でもありました。裏手の菜園では野菜などの食材も栽培されていました。
足利市立美術館からも歩いて数分でした。隣には足利一門の氏寺である鑁阿寺もあります。あわせて見学するのも良いかもしれません。
「史跡足利学校」(@Ashikaga_Gakko)
参観時間:9:00~16:30(4月~9月)、9:00~16:30(10月~3月)
休日:第3月曜日(祝日、振替休日の時は翌日)。年末(12月29日~12月31日)。
参観料:一般420(340)円、高校生210(170)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:栃木県足利市昌平町2338
交通:JR線足利駅より徒歩10分。東武伊勢崎線足利市駅より徒歩15分。北関東自動車道足利インターチェンジより車で15分。観光無料駐車場あり。

江戸時代に「坂東の大学」と称された足利学校は、創建年代に諸説あるものの、少なくとも室町時代に再興されたことから、日本最古の学校と言われています。
敷地面積は約5000坪です。明治時代に廃校となり、多くの建物は撤去されましたが、大正時代に国の史跡に指定。そして戦後、保存整備事業がスタートしました。平成2年になって建物と庭園の復元が完了し、江戸時代の姿が甦るに至りました。

場所は足利市の中心部です。両毛線の足利駅から歩いておおよそ10分弱でした。「入徳」と記された門が見えてきます。学校の入口でした。

受付を済ませ、孔子像を過ぎると、もう一つの門が待ち構えていました。その名も「学校門」です。寛文8年の創建で、日本で唯一「学校」の扁額が掛けられています。足利学校のシンボル的な存在でもあります。

学校門の正面に位置するのが孔子廟でした。「大成殿」と呼ばれています。学校門と同様の寛文8年の造営でした。中国の明の聖廟を模していて、中には孔子が祀られています。坐した像は珍しいそうです。

敷地内で最も目立つのが、方丈と庫裏、そして書院でした。いずれも平成2年の復元です。講義や学習、そして台所、さらに書斎や接客のためのスペースとして用いられました。まさに校舎です。足利学校の中核的な施設と言って良いかもしれません。

方丈の高さは約13メートルです。茅葺きの大きな屋根が特徴的でした。広い座敷があり、ちょうど中では漢字試験が行われていました。さらに内部には仏殿の間や尊牌の間があります。歴代徳川将軍の位牌が安置されていました。

室町時代に足利学校を再興したのが、関東管領の上杉憲実でした。儒学の四経の書籍を寄進した上、学則を整備します。さらに鎌倉から禅僧を招き、庠主(しょうしゅ)と呼ばれる学長を定めました。以降、代々の庠主は禅僧が務めました。

儒学、特に易について学んだ僧が多く、16世紀半ば頃には3000名の学徒を数えるに至ったそうです。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、足利学校をして、「最も大にして最も有名なる坂東の大学」と海外に紹介しました。

室町期最後の庠主が家康の信任を得ていたことから、幕府より朱印地を寄進されます。それに伴い庠主も1年間の吉凶を占って幕府へ提出しました。第13代庠主の時代、寛文8年には、幕府や大名の寄付を受けて大修築を敢行し、現在も残る孔子廟や学校門などを整備しました。ただしのちの宝暦4年の落雷により方丈や書院などが焼失してしまいました。

江戸時代も半ばになり朱子学が隆盛すると、易学中心の足利学校の活動自体は衰微していきます。一方で古い歴史を有することから、古典籍を所蔵する図書館として注目されたそうです。多くの文人らも訪ねました。

庭園は方丈を挟んで南北に2つ。北庭園と南庭園に分かれています。方丈から裏門に面するのが南庭園です。築山泉水式の庭園です。老松に巨石が置かれています。

北庭園は規模が小さいものの、南庭園より格が高いそうです。同じく築山泉水式で、池の中には中之島があり、弁天を祀る小さな祠があります。書院から眺める景色が殊更に美しく見えました。

「字降松」も興味深いのではないでしょうか。読みで「かなふりまつ」です。第7代庠主の時代、この松に読めない字や意味のわからない言葉を紙に書くと、翌日にはふりがなや注釈がついていたというエピソードに由来します。

さらに学生寮こと衆寮や農具置き場の木小屋なども立ち並びます。学びの場は自給自足の生活の場でもありました。裏手の菜園では野菜などの食材も栽培されていました。
史跡足利学校の魅力②中国から伝わった「学校」の形が忠実に残っていることに加えて、江戸時代前期・寛文8年(1668)に創建された儒学の祖である孔子とその高弟を祀る「孔子廟(大成殿)」、その中にある子坐像も室町時代の天文4年(1535)につくられ、ともに日本国内最古です。 pic.twitter.com/KOGUen0AsQ
— 史跡足利学校 (@Ashikaga_Gakko) 2017年5月4日
足利市立美術館からも歩いて数分でした。隣には足利一門の氏寺である鑁阿寺もあります。あわせて見学するのも良いかもしれません。
「史跡足利学校」(@Ashikaga_Gakko)
参観時間:9:00~16:30(4月~9月)、9:00~16:30(10月~3月)
休日:第3月曜日(祝日、振替休日の時は翌日)。年末(12月29日~12月31日)。
参観料:一般420(340)円、高校生210(170)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:栃木県足利市昌平町2338
交通:JR線足利駅より徒歩10分。東武伊勢崎線足利市駅より徒歩15分。北関東自動車道足利インターチェンジより車で15分。観光無料駐車場あり。
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「谷津バラ園」のバラが満開でした
かつては東洋一とも称された習志野の谷津バラ園が見頃を迎えています。

谷津バラ園の最寄駅は京成本線の谷津駅です。駅南口から商店街を抜け、京葉道路の高架を潜ると辿り着きます。駅からせいぜい歩いて5分ほどです。アクセスに難はありません。

敷地面積は12600平方メートル。ご覧の通り、かなり広大です。右も左もバラが咲いています。5月21日の時点でほぼ満開の状況でした。

バラ園の開業は昭和32年に遡ります。当時は京成電鉄が運営していた谷津遊園の一施設でした。昭和40年に現在の場所に移転。最盛期には1200種類ものバラが栽培されます。しかし昭和57年に谷津遊園が閉園するとバラ園も閉鎖されてしまいました。

遊園地は解体。跡地には団地が建設されます。一方でバラ園に関しては存続を求める声も多かったそうです。よって習志野市が敷地を買収し、都市公園としての谷津バラ園が整備されました。昭和63年のことでした。

現在、栽培されているバラは全800種。7500株にも及びます。また基本的に庭園は西洋式ですが、一部に和を志向した日本庭園があるのも特徴です。

皇室や王室に因むバラをはじめ、「香りの庭」と題し、香りの強いバラを集めたコーナーなどもあります。色も品種も様々です。お気に入りのバラを見つけるにはさほど時間はかかりません。

バラのアーチも人気スポットです。つるバラを誘引し、長さ50メートルものトンネルを築き上げています。

この日は快晴。気温も30度近くに達し、かなり強い日差しが照りつけていました。それゆえかバラもより華やかに映っていたかもしれません。

パーゴラのアーチにはベンチも設置され、眼下のバラ園を一望することも出来ます。千葉県内でも有数のバラの名所です。この日は多くの方で賑わっていました。

一般の入園料が370円とリーズナブルなのも嬉しいところです。園内をぐるりと一周、色に香りに楽しめるバラを見やりながら散歩しました。

バラ苗や園芸用品の販売ブースもありました。また週末を中心に園内のガイドツアーなども開催されています。そちらに参加するのも面白いかもしれません。
[谷津バラ園ガイドツアー]
開催日:5月18日(木)、21日(日)、26日(金)、28日(日)、6月2日(金)、8日(木)、11日(日)、16日(金)
時間:14:00~15:00

バラについては当面、見頃が続くと思います。公式サイト内に開花状況の案内もありました。お出かけの際にはあわせて参照下さい。
「谷津バラ園」
敷地面積:12600平方メートル
入園時間:9:00~18:00(5月1日~6月30日)、9:00~17:00(7月1日~9月30日)、9:00~16:30(10月1日~翌年4月30日)
休園日:月曜日(月曜日が祝祭日の場合は、その翌日休園)。12月28日~1月4日(年末年始)。但し5月、6月、10月~11月15日は休園なし。
入園料(5月1日〜11月15日):高校生以上370円、65歳以上180円、小・中学生100円。それ以外の期間は高校生以上180円、65歳以上90円、小・中学生50円。
問合せ:谷津バラ園管理事務所。047-453-3772
住所:千葉県習志野市谷津3-1-14
交通:京成線谷津駅下車徒歩5分。

谷津バラ園の最寄駅は京成本線の谷津駅です。駅南口から商店街を抜け、京葉道路の高架を潜ると辿り着きます。駅からせいぜい歩いて5分ほどです。アクセスに難はありません。

敷地面積は12600平方メートル。ご覧の通り、かなり広大です。右も左もバラが咲いています。5月21日の時点でほぼ満開の状況でした。

バラ園の開業は昭和32年に遡ります。当時は京成電鉄が運営していた谷津遊園の一施設でした。昭和40年に現在の場所に移転。最盛期には1200種類ものバラが栽培されます。しかし昭和57年に谷津遊園が閉園するとバラ園も閉鎖されてしまいました。

遊園地は解体。跡地には団地が建設されます。一方でバラ園に関しては存続を求める声も多かったそうです。よって習志野市が敷地を買収し、都市公園としての谷津バラ園が整備されました。昭和63年のことでした。

現在、栽培されているバラは全800種。7500株にも及びます。また基本的に庭園は西洋式ですが、一部に和を志向した日本庭園があるのも特徴です。

皇室や王室に因むバラをはじめ、「香りの庭」と題し、香りの強いバラを集めたコーナーなどもあります。色も品種も様々です。お気に入りのバラを見つけるにはさほど時間はかかりません。

バラのアーチも人気スポットです。つるバラを誘引し、長さ50メートルものトンネルを築き上げています。

この日は快晴。気温も30度近くに達し、かなり強い日差しが照りつけていました。それゆえかバラもより華やかに映っていたかもしれません。

パーゴラのアーチにはベンチも設置され、眼下のバラ園を一望することも出来ます。千葉県内でも有数のバラの名所です。この日は多くの方で賑わっていました。

一般の入園料が370円とリーズナブルなのも嬉しいところです。園内をぐるりと一周、色に香りに楽しめるバラを見やりながら散歩しました。

バラ苗や園芸用品の販売ブースもありました。また週末を中心に園内のガイドツアーなども開催されています。そちらに参加するのも面白いかもしれません。
[谷津バラ園ガイドツアー]
開催日:5月18日(木)、21日(日)、26日(金)、28日(日)、6月2日(金)、8日(木)、11日(日)、16日(金)
時間:14:00~15:00

バラについては当面、見頃が続くと思います。公式サイト内に開花状況の案内もありました。お出かけの際にはあわせて参照下さい。
「谷津バラ園」
敷地面積:12600平方メートル
入園時間:9:00~18:00(5月1日~6月30日)、9:00~17:00(7月1日~9月30日)、9:00~16:30(10月1日~翌年4月30日)
休園日:月曜日(月曜日が祝祭日の場合は、その翌日休園)。12月28日~1月4日(年末年始)。但し5月、6月、10月~11月15日は休園なし。
入園料(5月1日〜11月15日):高校生以上370円、65歳以上180円、小・中学生100円。それ以外の期間は高校生以上180円、65歳以上90円、小・中学生50円。
問合せ:谷津バラ園管理事務所。047-453-3772
住所:千葉県習志野市谷津3-1-14
交通:京成線谷津駅下車徒歩5分。
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「国宝救世観音菩薩立像 特別公開」 法隆寺夢殿
法隆寺夢殿
「国宝救世観音菩薩立像 特別公開」
4/11~5/18
「救世観音菩薩立像」の春の特別公開が法隆寺の夢殿で行われています。

八角の円堂でも知られる夢殿が位置するのは東院伽藍です。739年、僧の行信が聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建てました。夢殿も同時期の建築です。鎌倉時代の修理により、当初の様式は一部変えられましたが、既に8世紀の頃から夢殿と呼ばれてきました。

「救世観音菩薩立像」は夢殿の本尊です。造仏の推定年代は飛鳥時代です。ただ良く知られるように、非常に長きに渡り、秘仏とされていたため、人の目に触れることがありませんでした。江戸時代に至っては僧侶さえ拝むことがなかったとも伝えられています。
転機は明治時代です。美術史家のアーネスト・フェノロサは研究のために法隆寺を訪問。「救世観音菩薩立像」を納めた厨子の開帳を迫ります。しかし寺は拒絶。一説では僧侶は「救世観音菩薩立像」は聖徳太子の等身であるのため、封印を解けば、罰が下ると信じていたそうです。しかしフェノロサの意見が通ります。厨子は解かれました。仏像は木綿の白い布でぐるぐる巻きにされていました。
以来、いつしか法隆寺では期間を限定して夢殿を開帳。現在では春の秋の各1ヶ月間のみ「救世観音菩薩立像」を公開しています。

夢殿だけの拝観も可能です。ただこの日は西院伽藍、大宝蔵院、そして夢殿の全てを巡ることにしました。

西院伽藍の中門は長期修理中です。伽藍内を取り囲む回廊の先には大講堂があり、回廊内の左に五重塔、そして右に金堂が建っています。中門、五重塔、金堂は飛鳥時代、回廊は奈良時代、大講堂は平安時代の建築です。いわゆる現存する世界最古の木造建築物として知られています。

回廊のエンタシス様式の柱が目を引きます。柱の中央より下部がやや太くなっていました。かつては古代ギリシャの神殿にも用いられた技法です。国内でも珍しい。法隆寺内でもこの回廊のみにしか使われていません。

金堂の内部に安置されるのがいわゆる本尊こと「釈迦三尊像」です。銘によれば鞍作止利の作。飛鳥時代の仏像です。飛鳥仏らしい面長の顔をしています。また日本最古の「四天王像」のも静かな佇まいを見せていました。

金堂から五重塔の内部を見学した後は、回廊から東へ抜け、東室、綱封蔵、食堂のある方向へ歩きました。いずれも奈良時代の建築物です。東室はかつての僧房でした。綱封蔵は文字通りの蔵です。寺宝などが保管されていました。食堂はもともと寺務所だったそうです。それが平安時代に食堂として使われるようになりました。

大宝蔵院がまさしくお宝尽しです。「玉虫厨子」や「夢違観音像」などはじめ、「百済観音」などの寺宝が展示されています。とりわけすらりと立つ「百済観音」の姿が美しい。8頭身で極めて華奢です。右腕をほぼ直角に曲げて立っています。もはや幽玄です。飛鳥時代の作とされていますが、伝来は不明。いつどこから法隆寺に納められたも分かっていません。

西院伽藍、大宝蔵院からさらに東院伽藍へ。目的地は「救世観音菩薩立像」の安置されている夢殿です。

大宝蔵院より数分。夢殿に到着しました。実は私も法隆寺は何度か訪ねたことがあり、夢殿の建物は見学したことはありますが、中を拝むのは初めてでした。

「救世観音菩薩立像」
「救世観音菩薩立像」はお堂の正面を向いて安置されています。事前に「中が暗いのでよく見えない。」と聞いていましたが、たまたま晴れていたからか、思ったよりも明るく感じました。飛鳥仏にも関わらず、金色の輝きを失ってはいません。表情は随分、穏やかでした。「救世観音菩薩立像」というと、土門拳の写真など、やや不気味なイメージもあるやもしれませんが、そうした様相は殆ど感じられません。素朴です。にこりと笑みとたたえています。風に吹かれて気持ち良さそうでした。

団体客などの多客時は混雑することもあるそうですが、この日は特段の行列なども一切ありませんでした。ほかの方を気にすることなく、じっくりと拝めました。

最後は夢殿の裏手の中宮寺へ回り、「半跏思惟像」も拝観してきました。同像は現地だけでなく、東京国立博物館の特別展などでも拝む機会がありましたが、不思議と凝った照明などの設営がない中宮寺での姿が最も美しく見えます。あるべき場所でのあるべき姿を目に焼き付けては斑鳩を後にしました。

夢殿のご開帳は毎年春と秋の2回です。以下のスケジュールで公開されます。
春の公開:4月11日~5月18日
秋の公開:10月22日~11月22日
「救世観音菩薩立像」の春の特別公開は5月18日まで開催されています。
「国宝救世観音菩薩立像 特別公開」 法隆寺夢殿
会期:4月11日(火)~5月18日(木)
休館:会期中無休。
時間:8:00~17:00
拝観料:一般1500円、小学生750円。
*団体料金(30名以上):一般1200円、大学・高校生1050円、中学生900円、小学生600円。
*西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍共通。
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
交通:JR法隆寺駅より奈良交通バス「法隆寺門前」行きに乗り約10分。法隆寺門前下車すぐ。
「国宝救世観音菩薩立像 特別公開」
4/11~5/18
「救世観音菩薩立像」の春の特別公開が法隆寺の夢殿で行われています。

八角の円堂でも知られる夢殿が位置するのは東院伽藍です。739年、僧の行信が聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建てました。夢殿も同時期の建築です。鎌倉時代の修理により、当初の様式は一部変えられましたが、既に8世紀の頃から夢殿と呼ばれてきました。

「救世観音菩薩立像」は夢殿の本尊です。造仏の推定年代は飛鳥時代です。ただ良く知られるように、非常に長きに渡り、秘仏とされていたため、人の目に触れることがありませんでした。江戸時代に至っては僧侶さえ拝むことがなかったとも伝えられています。
転機は明治時代です。美術史家のアーネスト・フェノロサは研究のために法隆寺を訪問。「救世観音菩薩立像」を納めた厨子の開帳を迫ります。しかし寺は拒絶。一説では僧侶は「救世観音菩薩立像」は聖徳太子の等身であるのため、封印を解けば、罰が下ると信じていたそうです。しかしフェノロサの意見が通ります。厨子は解かれました。仏像は木綿の白い布でぐるぐる巻きにされていました。
以来、いつしか法隆寺では期間を限定して夢殿を開帳。現在では春の秋の各1ヶ月間のみ「救世観音菩薩立像」を公開しています。

夢殿だけの拝観も可能です。ただこの日は西院伽藍、大宝蔵院、そして夢殿の全てを巡ることにしました。

西院伽藍の中門は長期修理中です。伽藍内を取り囲む回廊の先には大講堂があり、回廊内の左に五重塔、そして右に金堂が建っています。中門、五重塔、金堂は飛鳥時代、回廊は奈良時代、大講堂は平安時代の建築です。いわゆる現存する世界最古の木造建築物として知られています。

回廊のエンタシス様式の柱が目を引きます。柱の中央より下部がやや太くなっていました。かつては古代ギリシャの神殿にも用いられた技法です。国内でも珍しい。法隆寺内でもこの回廊のみにしか使われていません。

金堂の内部に安置されるのがいわゆる本尊こと「釈迦三尊像」です。銘によれば鞍作止利の作。飛鳥時代の仏像です。飛鳥仏らしい面長の顔をしています。また日本最古の「四天王像」のも静かな佇まいを見せていました。

金堂から五重塔の内部を見学した後は、回廊から東へ抜け、東室、綱封蔵、食堂のある方向へ歩きました。いずれも奈良時代の建築物です。東室はかつての僧房でした。綱封蔵は文字通りの蔵です。寺宝などが保管されていました。食堂はもともと寺務所だったそうです。それが平安時代に食堂として使われるようになりました。

大宝蔵院がまさしくお宝尽しです。「玉虫厨子」や「夢違観音像」などはじめ、「百済観音」などの寺宝が展示されています。とりわけすらりと立つ「百済観音」の姿が美しい。8頭身で極めて華奢です。右腕をほぼ直角に曲げて立っています。もはや幽玄です。飛鳥時代の作とされていますが、伝来は不明。いつどこから法隆寺に納められたも分かっていません。

西院伽藍、大宝蔵院からさらに東院伽藍へ。目的地は「救世観音菩薩立像」の安置されている夢殿です。

大宝蔵院より数分。夢殿に到着しました。実は私も法隆寺は何度か訪ねたことがあり、夢殿の建物は見学したことはありますが、中を拝むのは初めてでした。

「救世観音菩薩立像」
「救世観音菩薩立像」はお堂の正面を向いて安置されています。事前に「中が暗いのでよく見えない。」と聞いていましたが、たまたま晴れていたからか、思ったよりも明るく感じました。飛鳥仏にも関わらず、金色の輝きを失ってはいません。表情は随分、穏やかでした。「救世観音菩薩立像」というと、土門拳の写真など、やや不気味なイメージもあるやもしれませんが、そうした様相は殆ど感じられません。素朴です。にこりと笑みとたたえています。風に吹かれて気持ち良さそうでした。

団体客などの多客時は混雑することもあるそうですが、この日は特段の行列なども一切ありませんでした。ほかの方を気にすることなく、じっくりと拝めました。

最後は夢殿の裏手の中宮寺へ回り、「半跏思惟像」も拝観してきました。同像は現地だけでなく、東京国立博物館の特別展などでも拝む機会がありましたが、不思議と凝った照明などの設営がない中宮寺での姿が最も美しく見えます。あるべき場所でのあるべき姿を目に焼き付けては斑鳩を後にしました。

夢殿のご開帳は毎年春と秋の2回です。以下のスケジュールで公開されます。
春の公開:4月11日~5月18日
秋の公開:10月22日~11月22日
「救世観音菩薩立像」の春の特別公開は5月18日まで開催されています。
「国宝救世観音菩薩立像 特別公開」 法隆寺夢殿
会期:4月11日(火)~5月18日(木)
休館:会期中無休。
時間:8:00~17:00
拝観料:一般1500円、小学生750円。
*団体料金(30名以上):一般1200円、大学・高校生1050円、中学生900円、小学生600円。
*西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍共通。
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
交通:JR法隆寺駅より奈良交通バス「法隆寺門前」行きに乗り約10分。法隆寺門前下車すぐ。
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「迎賓館赤坂離宮」一般公開
「迎賓館赤坂離宮」の一般公開に参加してきました。

かつては東宮御所として建てられ、今では国の賓客施設として利用されている「迎賓館赤坂離宮」。「外国からの賓客の接遇に支障のない範囲」(公式サイトより)において、一般にも公開中です。
本館と主庭の観覧は原則、事前の申し込みが必要でしたが、今年の1月5日から3月30日の間は不要でした。私も当日の飛び込みで観覧してきました。

元赤坂の迎賓館の最寄駅は四ツ谷です。赤坂口から南へ向かうとすぐに門が見えてきます。正門でした。

前庭のみであればそのまま入場可能です。ただし本館の観覧は出来ません。本館を見学するには西門から入る必要があります。迎賓館を左手に道に沿って進みます。その先が西門でした。

予約、整理券不要とはいえ、国の迎賓施設です。セキュリティーチェックが行われます。まずは手荷物、および金属探知機の検査です。ペットボトルの飲み物は係員の前で一口飲まなくてはいけません。セキュリティーのための待機列は約20分ほどでした。本館の観覧料は大人1000円です。券売機で支払った後、中へと入りました。

館内は一方通行です。まず西側の入場口から正面の中央階段へ進みます。その後、2階へ上がり、「花鳥の間」、「大ホール」、「彩鸞の間」、「羽衣の間」と順に観覧するルートです。なお「朝日の間」は改修工事中のため、見学は叶いませんでした。
今回の一番の目的は花鳥の間を見ることでした。というのも、渡辺省亭の下絵による涛川惣助の七宝が飾られているからです。
「花鳥の間」は、国、ないし公賓主催の公式晩餐会などが催される大食堂です。最大席数は130席。かつては先進国首脳会議なども行われました。

「花鳥の間」(パンフレットより)
花鳥とあるように、室内の意匠は花と鳥です。36枚の天井画のほか、フランスのゴブラン織風の綴織などが飾られています。シャンデリアはフランス製です。おおよそ1トン以上。迎賓館で最も重量があります。
七宝は壁面の中段の装飾でした。全部で30枚です。全て楕円形でした。前もって東京国立博物館で見た渡辺省亭の下絵を忠実に再現しています。もちろん規制線があるため、目と鼻の先で見るのは不可能でしたが、フランスのルネサンス様式の建築装飾の空間でもよく映えていました。
迎賓館で最大の部屋は「羽衣の間」です。その名は天井の大絵画が謡曲の羽衣を題材していることに由来します。正面の中二階にはオーケストラボックスがありました。元々、舞踏会場として設計されたそうです。現在はレセプションや会議場などに使用されています。

「羽衣の間」(パンフレットより)
建築様式はフランス18世紀末の古典主義です。音楽に関した部屋であるからでしょうか。壁面の金の装飾には様々な楽器が表されていましたが、その中に日本の伝統的な三味線なども含まれていました。迎賓館自体はフランスの様式を模していますが、随所に和のテイストが介在しているのも興味深いところでした。

小一時間ほど館内を見学した後は、本館裏手に広がる主庭へと向かいました。目立つのは噴水です。2段重ねです。かなり大規模でした。もちろん西洋風です。グリフォンやライオンのほか、亀の像も設置されていました。

噴水が西洋風とはいえ、主庭は全面砂利敷きです。また随所に松も植えられています。その点では和洋折衷と言えるかもしれません。なお主庭の先には和風別館が控えていますが、そちらは完全に事前予約制でした。この日は手配していなかったため、見学しませんでした。

最後に廻ったのが前庭です。ともかく広い。全面が石畳です。賓客を招いた際には赤いカーペットが敷かれます。栄誉礼などは報道でもよく目にするのではないでしょうか。

外観はネオバロック様式の洋風建築です。左右対称です。建物は両側へ弧を描くように広がっています。外壁は花崗岩です。まさしく重厚でした。

正面玄関はバルコニー付きです。屋根は緑でした。装飾は主に2種類です。まずはドーム型です。星が表されています。さらに鳳凰が力強く羽を広げていました。

もう1つが武士の甲冑です。計2体。意匠は異なります。まるで番人のように立っています。日本の伝統、ないし力強さを表現しているのでしょうか。

門扉の装飾は繊細です。皇室を示す菊の紋章と、政府機関に使われる桐の紋章が象られていました。
正門が退出ルートです。周辺には観光バスも多く停まっていました。確かに団体客も目立ちます。すっかり東京の観光スポットとして定着したようです。

かつて迎賓館の公開は夏季の期間限定でしたが、現在は一年を通して見学することが可能です。(公開不可日を除く)
但し4月以降は再び事前の申し込み制となります。観覧の注意点、ないし公開スケジュールについては内閣府のWEBサイトをご参照ください。
前庭、主庭、および本館外観のみ撮影が可能です。本館内は一切の撮影が出来ません。ご注意ください。(本館内の写真はパンフレットより拝借しました。)
「赤坂離宮迎賓館」(本館、および主庭)一般公開(@cao_Geihinkan)
会期:一般公開日
入口:迎賓館赤坂離宮西門
時間:10:00~17:00(16時受付終了)
料金:大人1000(800)円、中高生500(400)円、小学生以下無料。
*( )内は20名から50名までの団体料金。
住所:港区元赤坂2-1-1
交通:JR線四ッ谷駅赤坂口より徒歩約7分。東京メトロ丸ノ内線四ッ谷駅1番出口より徒歩約7分。東京メトロ南北線四ッ谷駅2番出口より徒歩約7分。

かつては東宮御所として建てられ、今では国の賓客施設として利用されている「迎賓館赤坂離宮」。「外国からの賓客の接遇に支障のない範囲」(公式サイトより)において、一般にも公開中です。
本館と主庭の観覧は原則、事前の申し込みが必要でしたが、今年の1月5日から3月30日の間は不要でした。私も当日の飛び込みで観覧してきました。

元赤坂の迎賓館の最寄駅は四ツ谷です。赤坂口から南へ向かうとすぐに門が見えてきます。正門でした。

前庭のみであればそのまま入場可能です。ただし本館の観覧は出来ません。本館を見学するには西門から入る必要があります。迎賓館を左手に道に沿って進みます。その先が西門でした。

予約、整理券不要とはいえ、国の迎賓施設です。セキュリティーチェックが行われます。まずは手荷物、および金属探知機の検査です。ペットボトルの飲み物は係員の前で一口飲まなくてはいけません。セキュリティーのための待機列は約20分ほどでした。本館の観覧料は大人1000円です。券売機で支払った後、中へと入りました。

館内は一方通行です。まず西側の入場口から正面の中央階段へ進みます。その後、2階へ上がり、「花鳥の間」、「大ホール」、「彩鸞の間」、「羽衣の間」と順に観覧するルートです。なお「朝日の間」は改修工事中のため、見学は叶いませんでした。
今回の一番の目的は花鳥の間を見ることでした。というのも、渡辺省亭の下絵による涛川惣助の七宝が飾られているからです。
「花鳥の間」は、国、ないし公賓主催の公式晩餐会などが催される大食堂です。最大席数は130席。かつては先進国首脳会議なども行われました。

「花鳥の間」(パンフレットより)
花鳥とあるように、室内の意匠は花と鳥です。36枚の天井画のほか、フランスのゴブラン織風の綴織などが飾られています。シャンデリアはフランス製です。おおよそ1トン以上。迎賓館で最も重量があります。
七宝は壁面の中段の装飾でした。全部で30枚です。全て楕円形でした。前もって東京国立博物館で見た渡辺省亭の下絵を忠実に再現しています。もちろん規制線があるため、目と鼻の先で見るのは不可能でしたが、フランスのルネサンス様式の建築装飾の空間でもよく映えていました。
迎賓館で最大の部屋は「羽衣の間」です。その名は天井の大絵画が謡曲の羽衣を題材していることに由来します。正面の中二階にはオーケストラボックスがありました。元々、舞踏会場として設計されたそうです。現在はレセプションや会議場などに使用されています。

「羽衣の間」(パンフレットより)
建築様式はフランス18世紀末の古典主義です。音楽に関した部屋であるからでしょうか。壁面の金の装飾には様々な楽器が表されていましたが、その中に日本の伝統的な三味線なども含まれていました。迎賓館自体はフランスの様式を模していますが、随所に和のテイストが介在しているのも興味深いところでした。

小一時間ほど館内を見学した後は、本館裏手に広がる主庭へと向かいました。目立つのは噴水です。2段重ねです。かなり大規模でした。もちろん西洋風です。グリフォンやライオンのほか、亀の像も設置されていました。

噴水が西洋風とはいえ、主庭は全面砂利敷きです。また随所に松も植えられています。その点では和洋折衷と言えるかもしれません。なお主庭の先には和風別館が控えていますが、そちらは完全に事前予約制でした。この日は手配していなかったため、見学しませんでした。

最後に廻ったのが前庭です。ともかく広い。全面が石畳です。賓客を招いた際には赤いカーペットが敷かれます。栄誉礼などは報道でもよく目にするのではないでしょうか。

外観はネオバロック様式の洋風建築です。左右対称です。建物は両側へ弧を描くように広がっています。外壁は花崗岩です。まさしく重厚でした。

正面玄関はバルコニー付きです。屋根は緑でした。装飾は主に2種類です。まずはドーム型です。星が表されています。さらに鳳凰が力強く羽を広げていました。

もう1つが武士の甲冑です。計2体。意匠は異なります。まるで番人のように立っています。日本の伝統、ないし力強さを表現しているのでしょうか。

門扉の装飾は繊細です。皇室を示す菊の紋章と、政府機関に使われる桐の紋章が象られていました。
正門が退出ルートです。周辺には観光バスも多く停まっていました。確かに団体客も目立ちます。すっかり東京の観光スポットとして定着したようです。

かつて迎賓館の公開は夏季の期間限定でしたが、現在は一年を通して見学することが可能です。(公開不可日を除く)
但し4月以降は再び事前の申し込み制となります。観覧の注意点、ないし公開スケジュールについては内閣府のWEBサイトをご参照ください。
【公開情報】2月16日(木)より、新たな参観ルートでの公開を開始!二階大ホールの参観エリアを大幅に拡大、中央階段エリアを一周、朝日の風景、夕方の風景を模した天井絵画をご覧いただけます。迎賓館の新しい魅力をぜひお楽しみください!#迎賓館赤坂離宮 pic.twitter.com/uX5FCtKojM
— 内閣府迎賓館赤坂離宮 (@cao_Geihinkan) 2017年2月20日
前庭、主庭、および本館外観のみ撮影が可能です。本館内は一切の撮影が出来ません。ご注意ください。(本館内の写真はパンフレットより拝借しました。)
「赤坂離宮迎賓館」(本館、および主庭)一般公開(@cao_Geihinkan)
会期:一般公開日
入口:迎賓館赤坂離宮西門
時間:10:00~17:00(16時受付終了)
料金:大人1000(800)円、中高生500(400)円、小学生以下無料。
*( )内は20名から50名までの団体料金。
住所:港区元赤坂2-1-1
交通:JR線四ッ谷駅赤坂口より徒歩約7分。東京メトロ丸ノ内線四ッ谷駅1番出口より徒歩約7分。東京メトロ南北線四ッ谷駅2番出口より徒歩約7分。
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ところざわのゆり園の百合が見事でした
所沢の花の名所、ゆり園。敷地面積は広大です。3万平方メートルを誇ります。早咲きのすかしゆりがほぼ見頃を迎えていました。

場所は西武プリンスドームから道路を挟んでの反対側。西武球場前駅より歩道橋を渡って5分ほどです。園内は狭山丘陵の地形をそのまま活かしています。よってかなりの高低差があります。ウォーキングシューズが重宝しました。

今年は開花が例年より早かったそうです。それゆえか遅咲きのハイブリットも思いの外に咲いていました。ゆりは香りも楽しめます。園内には甘酸っぱい香りが広がっていました。

ゆり園には二つの鑑賞コースがあります。自然散策コースとらくらく鑑賞コースです。

前者は1キロ。ほぼ園内を一周します。森の中に立ち入っては坂を上り、また下ります。アップダウンはきつい。ハイキング感覚です。

らくらくコースは150メートルです。こちらはほぼ高低差はありません。ちょうど一番高いところから園内を見下ろすように進むことが出来ます。身体の不自由な方や高齢の方に配慮したコースだそうです。車椅子でも通行可能です。

園内には休憩スポットやベンチもあり、ゆりを愛でながら、のんびりと腰掛けている方も多く見受けられました。なお一定のルールに則ると、ペットの入園も出来るそうです。

色とりどりのゆり。花びらには透明感があります。私はどちらかといえば白や淡いピンクの花が好きですが、如何でしょうか。

全50種、45万株。ところざわのゆり園、実は初めて行きましたが、想像以上のスケールでした。

西武線の「ゆり散策きっぷ」がお得でした。西武線発駅からの往復乗車券とゆり園の入園券がセットになったきっぷです。池袋を起点にすると1500円。通常は入園券1100円と往復運賃740円を合わせて1840円ほどかかります。ほぼ片道分、340円が安くなりました。

このところの雨天でハイブリッドも開花を増やしているそうです。今週末頃が満開となるのではないでしょうか。
「ところざわのゆり園」
営業期間:2016年6月4日(土)~7月上旬(予定)
営業時間:9:00~17:00 *最終入園は16時半まで。
入園料:大人(中学生以上)1100円、子ども(4才~小学生)350円。
敷地面積:約3万平方メートル。
駐車場:西武プリンスドームB駐車場(700台)とD駐車場(100台)の二ヶ所あり。普通車1200円。
問合せ:04-2922-1370
住所:埼玉県所沢市上山口2227
交通:西武池袋線・西武山口線(レオライナー)西武球場前駅徒歩5分。

場所は西武プリンスドームから道路を挟んでの反対側。西武球場前駅より歩道橋を渡って5分ほどです。園内は狭山丘陵の地形をそのまま活かしています。よってかなりの高低差があります。ウォーキングシューズが重宝しました。

今年は開花が例年より早かったそうです。それゆえか遅咲きのハイブリットも思いの外に咲いていました。ゆりは香りも楽しめます。園内には甘酸っぱい香りが広がっていました。

ゆり園には二つの鑑賞コースがあります。自然散策コースとらくらく鑑賞コースです。

前者は1キロ。ほぼ園内を一周します。森の中に立ち入っては坂を上り、また下ります。アップダウンはきつい。ハイキング感覚です。

らくらくコースは150メートルです。こちらはほぼ高低差はありません。ちょうど一番高いところから園内を見下ろすように進むことが出来ます。身体の不自由な方や高齢の方に配慮したコースだそうです。車椅子でも通行可能です。

園内には休憩スポットやベンチもあり、ゆりを愛でながら、のんびりと腰掛けている方も多く見受けられました。なお一定のルールに則ると、ペットの入園も出来るそうです。

色とりどりのゆり。花びらには透明感があります。私はどちらかといえば白や淡いピンクの花が好きですが、如何でしょうか。

全50種、45万株。ところざわのゆり園、実は初めて行きましたが、想像以上のスケールでした。

西武線の「ゆり散策きっぷ」がお得でした。西武線発駅からの往復乗車券とゆり園の入園券がセットになったきっぷです。池袋を起点にすると1500円。通常は入園券1100円と往復運賃740円を合わせて1840円ほどかかります。ほぼ片道分、340円が安くなりました。

このところの雨天でハイブリッドも開花を増やしているそうです。今週末頃が満開となるのではないでしょうか。
「ところざわのゆり園」
営業期間:2016年6月4日(土)~7月上旬(予定)
営業時間:9:00~17:00 *最終入園は16時半まで。
入園料:大人(中学生以上)1100円、子ども(4才~小学生)350円。
敷地面積:約3万平方メートル。
駐車場:西武プリンスドームB駐車場(700台)とD駐車場(100台)の二ヶ所あり。普通車1200円。
問合せ:04-2922-1370
住所:埼玉県所沢市上山口2227
交通:西武池袋線・西武山口線(レオライナー)西武球場前駅徒歩5分。
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堀切菖蒲園の花菖蒲がほぼ満開でした
かつて広重や春信も浮世絵に表した名所、堀切菖蒲園。ちょうど花菖蒲が見頃を迎えています。

最寄駅は京成線の堀切菖蒲園。駅からは歩いて10分ほどです。古い商店街を抜け、住宅街の細い路地を進んだ先に位置します。
道なりはやや複雑ですが、案内板が設置されている上、フラッグが各所に掲げられていることもあり、特に迷うことはありませんでした。
菖蒲園の広さは約7700平方メートル。サッカー場の芝の部分より少し大きい程度だそうです。

花菖蒲は200種、6000株。同じく葛飾区内の菖蒲の名所、水元公園と比べるとスケールは落ちます。ただし密集しているゆえか、思いの外にボリュームがあるように見えました。

明治時代の堀切にはいくつか菖蒲園があり、その殆どが戦前まで残っていましたが、宅地開発などにより消滅。この堀切園以外は姿を消してしまいました。昭和34年には東京都の公園として開園。昭和50年には葛飾区へ移管されたそうです。

希少な種類の花菖蒲も少なくありません。薄い紫の菖蒲は特に美しいのではないでしょうか。白に青。いずれも清涼感があります。

ちょうどステージにて琴が演奏中でした。葛飾菖蒲まつりです。10日(金)と11日(土)の2日間は21時までのライトアップも実施。12日には周囲でパレードも行われるそうです。町全体でのイベントと化しています。

さすがにお祭り期間だけあり、かなりの人出でした。みなさん、カメラを片手に菖蒲を愛でていました。

おそらく今週末あたりまで楽しめるのではないでしょうか。

菖蒲まつりの期間は20日までです。期間中の土日は水元公園と行き来するバスも発着します。あわせて出かけるのも良いかもしれません。
「堀切菖蒲園」
開設面積:7736.45平方メートル
料金:無料。
開園時間:9:00~17:00
*6月1日(水)から6月25日(土)までは8:00~18:00
駐車場:堀切橋駐車広場。1回500円。
問合せ:堀切菖蒲園管理事務所 03-3697-5237(5月9日から6月25日までの期間のみ)
住所:葛飾区堀切2-19-1
交通:京成線堀切菖蒲園駅徒歩約10分。

最寄駅は京成線の堀切菖蒲園。駅からは歩いて10分ほどです。古い商店街を抜け、住宅街の細い路地を進んだ先に位置します。
道なりはやや複雑ですが、案内板が設置されている上、フラッグが各所に掲げられていることもあり、特に迷うことはありませんでした。
菖蒲園の広さは約7700平方メートル。サッカー場の芝の部分より少し大きい程度だそうです。

花菖蒲は200種、6000株。同じく葛飾区内の菖蒲の名所、水元公園と比べるとスケールは落ちます。ただし密集しているゆえか、思いの外にボリュームがあるように見えました。

明治時代の堀切にはいくつか菖蒲園があり、その殆どが戦前まで残っていましたが、宅地開発などにより消滅。この堀切園以外は姿を消してしまいました。昭和34年には東京都の公園として開園。昭和50年には葛飾区へ移管されたそうです。

希少な種類の花菖蒲も少なくありません。薄い紫の菖蒲は特に美しいのではないでしょうか。白に青。いずれも清涼感があります。

ちょうどステージにて琴が演奏中でした。葛飾菖蒲まつりです。10日(金)と11日(土)の2日間は21時までのライトアップも実施。12日には周囲でパレードも行われるそうです。町全体でのイベントと化しています。

さすがにお祭り期間だけあり、かなりの人出でした。みなさん、カメラを片手に菖蒲を愛でていました。

おそらく今週末あたりまで楽しめるのではないでしょうか。

菖蒲まつりの期間は20日までです。期間中の土日は水元公園と行き来するバスも発着します。あわせて出かけるのも良いかもしれません。
「堀切菖蒲園」
開設面積:7736.45平方メートル
料金:無料。
開園時間:9:00~17:00
*6月1日(水)から6月25日(土)までは8:00~18:00
駐車場:堀切橋駐車広場。1回500円。
問合せ:堀切菖蒲園管理事務所 03-3697-5237(5月9日から6月25日までの期間のみ)
住所:葛飾区堀切2-19-1
交通:京成線堀切菖蒲園駅徒歩約10分。
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白樺派ゆかりの我孫子を歩く
千葉県北西部、茨城県との県境に位置する我孫子市。南に手賀沼を望む市内中心部は、かつて白樺派の文人らが集った別荘地でもあります。

今も一部に名残をとどめています。先日、柏の摘水軒を見て来た際、少し散歩してきました。

「我孫子市白樺文学館」
まず目指したのは白樺文学館。文字通り白樺派の文人たちの活動を顕彰する施設です。我孫子駅の南口からやや東向きに手賀沼側へ歩いて15分。住宅地の中に3階建ての白い建物が見えてきました。
入館料は300円。かなり小さなスペースです。はじめの展示室には柳宗悦の妻、兼子が日本民藝館より持ち込んだというグランドピアノが置かれています。兼子はアルトの声楽家。我孫子でも夫を支援すべく音楽活動を続けたそうです。地下には音楽室もありました。そこではCDで兼子の独唱を聞くことも出来ます。朗々たる歌声。しばし耳を傾けました。
文学館自体は元々、個人の運営だったそうです。平成21年度より市に管理が委託。白樺派作家の原稿、書簡のほか、民藝活動に携わった人々の作品資料が展示されています。
ちょうど「民藝運動と我孫子」というテーマ展が行われていました。展示室は小さな部屋が2つ。リーチのエッチングや陶芸に芹沢の型染、ほか棟方志功による色紙などが目に付きます。点数自体は僅かです。とはいえ、全体が何となしに響き合って見えるのは、所縁の我孫子という土地のなすゆえなのでしょうか。
図書室が一番充実していました。白樺派と民藝運動に関する書籍が所狭しと並んでいます。さらに雑誌「白樺」の復刻版や、柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤の全集も揃っています。自由に閲覧が可能です。ゆっくり資料に目を通すのも良いかもしれません。

「志賀直哉書斎」(我孫子市指定文化財)
一通り文学館を見終えて外に出ると、ほぼ目の前に志賀直哉邸跡がありました。鬱蒼とした森の下に木造の小屋が建っています。書斎の復元です。ここで志賀は暗夜行路などを書きました。彼は柳のすすめで我孫子に移住した人物の一人。大正4年から12年の約9年間ほど住んでいたそうです。

「三樹荘跡」(柳宗悦居宅跡)
その柳宗悦の邸宅跡こと三樹荘跡も文学館の近くです。現在は個人のお宅のため非公開。市教育委員会による案内板のみがあります。建物はもちろん当時のものではありません。しかしながら名前の由来となった椎の大木は残っています。

「天神坂」(三樹荘下)
ちなみに柳が我孫子に来たのは大正3年。妻の兼子との新婚生活を送ります。かのリーチも三樹荘内に窯を築くなど、民藝運動の一つの拠点と化していました。

「嘉納治五郎別荘跡」(天神山緑地)
講道館柔道の創設者である嘉納治五郎も我孫子に別荘を構えた人物です。そもそも柳宗悦は嘉納の甥。我孫子に柳夫妻を呼んだのも嘉納です。彼が我孫子にいなければ、柳は我孫子に来なかったかもしれません。その意味では民藝や白樺のネットワークの礎を築いたとも言えます。現在は何も残っていませんが、緑地として整備されていました。

「杉村楚人冠句碑」
記者で随筆家の杉村楚人冠も我孫子に住んでいました。住居跡には句碑も建っています。また句碑の近くには杉村楚人冠の記念館もあります。当時の母屋がそのまま残されているそうですが、既に閉館時間が過ぎていたために観覧はかないませんでした。

「手賀沼一帯」
最後は手賀沼まで降りてみました。湖畔一体は手賀沼公園。生涯学習センターなども位置しています。

「バーナード・リーチの碑」
近くでリーチの碑も見つけました。我孫子はとても静かな街です。約1時間半前後の散策となりましたが、しばし楽しめました。
「常設テーマ 民藝運動と我孫子」 我孫子市白樺文学館
会期:2月24日(水)~10月30日(日)
休館:月曜日。但し月曜日が休日の場合は直後の平日。年末年始(12月29日~1月3日)。
時間:9:30~16:30
料金:一般300(240)円、高校・大学生200(160)円。
*( )内は20人以上の団体料金。
住所:千葉県我孫子市緑2-11-8
交通:JR線我孫子駅南口より徒歩15分。

今も一部に名残をとどめています。先日、柏の摘水軒を見て来た際、少し散歩してきました。

「我孫子市白樺文学館」
まず目指したのは白樺文学館。文字通り白樺派の文人たちの活動を顕彰する施設です。我孫子駅の南口からやや東向きに手賀沼側へ歩いて15分。住宅地の中に3階建ての白い建物が見えてきました。
入館料は300円。かなり小さなスペースです。はじめの展示室には柳宗悦の妻、兼子が日本民藝館より持ち込んだというグランドピアノが置かれています。兼子はアルトの声楽家。我孫子でも夫を支援すべく音楽活動を続けたそうです。地下には音楽室もありました。そこではCDで兼子の独唱を聞くことも出来ます。朗々たる歌声。しばし耳を傾けました。
文学館自体は元々、個人の運営だったそうです。平成21年度より市に管理が委託。白樺派作家の原稿、書簡のほか、民藝活動に携わった人々の作品資料が展示されています。
ちょうど「民藝運動と我孫子」というテーマ展が行われていました。展示室は小さな部屋が2つ。リーチのエッチングや陶芸に芹沢の型染、ほか棟方志功による色紙などが目に付きます。点数自体は僅かです。とはいえ、全体が何となしに響き合って見えるのは、所縁の我孫子という土地のなすゆえなのでしょうか。
図書室が一番充実していました。白樺派と民藝運動に関する書籍が所狭しと並んでいます。さらに雑誌「白樺」の復刻版や、柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤の全集も揃っています。自由に閲覧が可能です。ゆっくり資料に目を通すのも良いかもしれません。

「志賀直哉書斎」(我孫子市指定文化財)
一通り文学館を見終えて外に出ると、ほぼ目の前に志賀直哉邸跡がありました。鬱蒼とした森の下に木造の小屋が建っています。書斎の復元です。ここで志賀は暗夜行路などを書きました。彼は柳のすすめで我孫子に移住した人物の一人。大正4年から12年の約9年間ほど住んでいたそうです。

「三樹荘跡」(柳宗悦居宅跡)
その柳宗悦の邸宅跡こと三樹荘跡も文学館の近くです。現在は個人のお宅のため非公開。市教育委員会による案内板のみがあります。建物はもちろん当時のものではありません。しかしながら名前の由来となった椎の大木は残っています。

「天神坂」(三樹荘下)
ちなみに柳が我孫子に来たのは大正3年。妻の兼子との新婚生活を送ります。かのリーチも三樹荘内に窯を築くなど、民藝運動の一つの拠点と化していました。

「嘉納治五郎別荘跡」(天神山緑地)
講道館柔道の創設者である嘉納治五郎も我孫子に別荘を構えた人物です。そもそも柳宗悦は嘉納の甥。我孫子に柳夫妻を呼んだのも嘉納です。彼が我孫子にいなければ、柳は我孫子に来なかったかもしれません。その意味では民藝や白樺のネットワークの礎を築いたとも言えます。現在は何も残っていませんが、緑地として整備されていました。

「杉村楚人冠句碑」
記者で随筆家の杉村楚人冠も我孫子に住んでいました。住居跡には句碑も建っています。また句碑の近くには杉村楚人冠の記念館もあります。当時の母屋がそのまま残されているそうですが、既に閉館時間が過ぎていたために観覧はかないませんでした。

「手賀沼一帯」
最後は手賀沼まで降りてみました。湖畔一体は手賀沼公園。生涯学習センターなども位置しています。

「バーナード・リーチの碑」
近くでリーチの碑も見つけました。我孫子はとても静かな街です。約1時間半前後の散策となりましたが、しばし楽しめました。
「常設テーマ 民藝運動と我孫子」 我孫子市白樺文学館
会期:2月24日(水)~10月30日(日)
休館:月曜日。但し月曜日が休日の場合は直後の平日。年末年始(12月29日~1月3日)。
時間:9:30~16:30
料金:一般300(240)円、高校・大学生200(160)円。
*( )内は20人以上の団体料金。
住所:千葉県我孫子市緑2-11-8
交通:JR線我孫子駅南口より徒歩15分。
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里見公園のバラが見頃でした
千葉県市川市の西部、江戸川に面した台地の上にある里見公園。市の花であるバラの名所としても知られています。

公園はかつての古戦場です。里見の名はもちろん戦国の大名、里見義堯(さとみよしたか)に由来するもの。この地で2度、北条氏と対戦。いずれも敗れます。後は一帯を北条氏が支配しました。

古城跡などを含むと園内の面積は8ヘクタール。かなり広大です。うちバラ園は園の一番南側に位置します。

市川とバラとの関係は終戦直後に遡ります。発端は白樺派や民藝運動とも関わりのあった精神科医の式場隆三郎です。昭和11年に同地の国府台に式場病院を開院。戦後、院内にバラ園を作ります。患者の行動療法が目的でもあったそうです。

それが大変な評判を呼びます。市内各地でバラの植樹運動が盛んになりました。昭和32年にはローズカーニバルも開催。市中を馬車で巡り、バラの苗木をプレゼントするパレードまで行われたそうです。かなり大規模なものだったことが想像できます。

式場医院のバラ園でもパーティーが開かれます。地元の名士らが集いました。その後、昭和50年に市川市がバラを市民の花に選定します。いわばバラの街を目指して市内各地にバラ園の整備がなされるようになりました。

現在の里見公園のバラ園には全97種、約800株が植えられています。

バラ園は噴水を囲む西洋式の庭園です。中央には銅像も建っています。

里見公園の最寄り駅は京成線の国府台駅です。とはいえ現地はかなりの高台。長い坂道をひたすら歩いても20分以上はかかります。JR線の市川駅北口からのバスが便利です。国府台駅を経由しておおよそ10分超。国立病院で下車すれば歩いて5分ほどで到着します。

普段は比較的静かな公園ですが、この日はさすがに盛況。みなさん思い思いにバラを愛でていました。
「里見公園」バラ園
開設面積:8.4ヘクタール
料金:無料。
駐車場:公園斜面下、江戸川沿いの2箇所。約40台。無料。利用時間は8時~17時。
問合せ:園内管理事務所。047-372-0062
住所:千葉県市川市国府台3-9
交通:JR線市川駅または京成国府台駅から松戸駅行き、ないし松戸営業所行きバスで国立病院下車。徒歩5分。

公園はかつての古戦場です。里見の名はもちろん戦国の大名、里見義堯(さとみよしたか)に由来するもの。この地で2度、北条氏と対戦。いずれも敗れます。後は一帯を北条氏が支配しました。

古城跡などを含むと園内の面積は8ヘクタール。かなり広大です。うちバラ園は園の一番南側に位置します。

市川とバラとの関係は終戦直後に遡ります。発端は白樺派や民藝運動とも関わりのあった精神科医の式場隆三郎です。昭和11年に同地の国府台に式場病院を開院。戦後、院内にバラ園を作ります。患者の行動療法が目的でもあったそうです。

それが大変な評判を呼びます。市内各地でバラの植樹運動が盛んになりました。昭和32年にはローズカーニバルも開催。市中を馬車で巡り、バラの苗木をプレゼントするパレードまで行われたそうです。かなり大規模なものだったことが想像できます。

式場医院のバラ園でもパーティーが開かれます。地元の名士らが集いました。その後、昭和50年に市川市がバラを市民の花に選定します。いわばバラの街を目指して市内各地にバラ園の整備がなされるようになりました。

現在の里見公園のバラ園には全97種、約800株が植えられています。

バラ園は噴水を囲む西洋式の庭園です。中央には銅像も建っています。

里見公園の最寄り駅は京成線の国府台駅です。とはいえ現地はかなりの高台。長い坂道をひたすら歩いても20分以上はかかります。JR線の市川駅北口からのバスが便利です。国府台駅を経由しておおよそ10分超。国立病院で下車すれば歩いて5分ほどで到着します。

普段は比較的静かな公園ですが、この日はさすがに盛況。みなさん思い思いにバラを愛でていました。
「里見公園」バラ園
開設面積:8.4ヘクタール
料金:無料。
駐車場:公園斜面下、江戸川沿いの2箇所。約40台。無料。利用時間は8時~17時。
問合せ:園内管理事務所。047-372-0062
住所:千葉県市川市国府台3-9
交通:JR線市川駅または京成国府台駅から松戸駅行き、ないし松戸営業所行きバスで国立病院下車。徒歩5分。
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新緑のDIC川村記念美術館
千葉の佐倉に位置するDIC川村記念美術館。アメリカ現代美術をはじめとするコレクションのみならず、隣接するDIC総合研究所とあわせた30ヘクタールにも及ぶ庭園も見どころの一つです。

「自然散策路」@DIC川村記念美術館
URL:http://kawamura-museum.dic.co.jp/nature/index.html
先日、「サイ・トゥオンブリーの写真」展の観覧の折に改めて散歩してきました。
GW期間中はつつじ山が特別公開中です。通常は非公開ですが、ツツジの開花にあわせ、5月5日までの土・日・祝日のみ限定で公開されています。

ちょうど美術館の建物から池を挟んで反対側の場所です。DIC総合研究所の敷地内にあります。

実のところ見頃はかなり過ぎています。花を落としているものも多数。係りの方に伺えば先週の土日が満開だったそうです。

とはいえ、部分部分にはまだ鮮やかなお花が見られました。研究所の縁を沿うようにぐるりと半周。なかなか壮観でもあります。
一方で今、最も見頃を迎えている花があります。それが藤です。

立派な房を垂らして咲き誇る藤の花。棚の下にはベンチもあり、ゆっくり座っては愛でることも出来ます。

さらに広場の方へと歩いてみました。中央に立つのはヘンリー・ムーアの「ブロンズの形態」です。

周囲にはソメイヨシノとヤエザクラ。完全に葉桜と化していますが、近寄って見るとヤエザクラの花びらが地面に残っていることが分かりました。

庭園ではGW限定でピザや弁当、カフェなどの店も出店中。コーヒーを片手にピクニック気分も味わえます。

今度は最奥部の睡蓮の池へ。花を楽しめるのはもう少し先でしょうか。ともかく眩いばかりの新緑が目に飛び込んできます。

桜、ツツジに次いで有名なのがアジサイです。こちらの見頃は6月頃。一度、咲いている時に行ったことがありますが、それは大変に見事でした。

自然散策路を合わせて一時間弱の新緑散策。これほど自然を楽しめる美術館は東京郊外広しとはいえども、なかなかありません。

四季の花々の開花状況については同館のツイッターアカウント(@kawamura_dic)がこまめに情報を発信しています。そちらもご参考ください。
庭園へは200円の入園料がかかりますが、美術館を利用する際は無料です。

「サイ・トゥオンブリーの写真」展も興味深く見ることが出来ました。また別エントリーに感想をまとめたいと思います。
「サイ・トゥオンブリーの写真ー変奏のリリシズム」 DIC川村記念美術館(@kawamura_dic)
会期:4月23日(土)-8月28日(日)
休館:月曜日。但し7月18日は開館。7月19日(火)は休館。
時間:9:30~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般1200(1000)円、学生・65歳以上1000(800)円、小・中・高生600(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。
*コレクション展も観覧可。
*5月5日(木)はこどもの日につき高校生以下入館無料。
*5月18日(水)は国際博物館の日につき入館無料。
住所:千葉県佐倉市坂戸631
交通:京成線京成佐倉駅、JR線佐倉駅下車。それぞれ南口より無料送迎バスにて30分と20分。東京駅八重洲北口より高速バス「マイタウン・ダイレクトバス佐倉ICルート」にて約1時間。(一日一往復)

「自然散策路」@DIC川村記念美術館
URL:http://kawamura-museum.dic.co.jp/nature/index.html
先日、「サイ・トゥオンブリーの写真」展の観覧の折に改めて散歩してきました。
GW期間中はつつじ山が特別公開中です。通常は非公開ですが、ツツジの開花にあわせ、5月5日までの土・日・祝日のみ限定で公開されています。

ちょうど美術館の建物から池を挟んで反対側の場所です。DIC総合研究所の敷地内にあります。

実のところ見頃はかなり過ぎています。花を落としているものも多数。係りの方に伺えば先週の土日が満開だったそうです。

とはいえ、部分部分にはまだ鮮やかなお花が見られました。研究所の縁を沿うようにぐるりと半周。なかなか壮観でもあります。
一方で今、最も見頃を迎えている花があります。それが藤です。

立派な房を垂らして咲き誇る藤の花。棚の下にはベンチもあり、ゆっくり座っては愛でることも出来ます。

さらに広場の方へと歩いてみました。中央に立つのはヘンリー・ムーアの「ブロンズの形態」です。

周囲にはソメイヨシノとヤエザクラ。完全に葉桜と化していますが、近寄って見るとヤエザクラの花びらが地面に残っていることが分かりました。

庭園ではGW限定でピザや弁当、カフェなどの店も出店中。コーヒーを片手にピクニック気分も味わえます。

今度は最奥部の睡蓮の池へ。花を楽しめるのはもう少し先でしょうか。ともかく眩いばかりの新緑が目に飛び込んできます。

桜、ツツジに次いで有名なのがアジサイです。こちらの見頃は6月頃。一度、咲いている時に行ったことがありますが、それは大変に見事でした。

自然散策路を合わせて一時間弱の新緑散策。これほど自然を楽しめる美術館は東京郊外広しとはいえども、なかなかありません。

四季の花々の開花状況については同館のツイッターアカウント(@kawamura_dic)がこまめに情報を発信しています。そちらもご参考ください。
庭園へは200円の入園料がかかりますが、美術館を利用する際は無料です。

「サイ・トゥオンブリーの写真」展も興味深く見ることが出来ました。また別エントリーに感想をまとめたいと思います。
「サイ・トゥオンブリーの写真ー変奏のリリシズム」 DIC川村記念美術館(@kawamura_dic)
会期:4月23日(土)-8月28日(日)
休館:月曜日。但し7月18日は開館。7月19日(火)は休館。
時間:9:30~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般1200(1000)円、学生・65歳以上1000(800)円、小・中・高生600(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。
*コレクション展も観覧可。
*5月5日(木)はこどもの日につき高校生以下入館無料。
*5月18日(水)は国際博物館の日につき入館無料。
住所:千葉県佐倉市坂戸631
交通:京成線京成佐倉駅、JR線佐倉駅下車。それぞれ南口より無料送迎バスにて30分と20分。東京駅八重洲北口より高速バス「マイタウン・ダイレクトバス佐倉ICルート」にて約1時間。(一日一往復)
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「浄瑠璃寺」 京都府木津川市
真言律宗
「小田原山 浄瑠璃寺」
2015/8/20

「真言律宗 浄瑠璃寺」へ行ってきました。
京都府最南端、奈良県との県境に面した木津川市。そのさらに南西部の山中に位置するのが浄瑠璃寺です。
創建は1047年。平安時代です。(ただし諸説あります。)12世紀には九体阿弥陀堂が造られ、平安末期には京都より三重塔を移設。今に至る寺観がおおむね整備されました。
東に薬師仏、中央に宝池、そして西が九体阿弥陀如来です。池を挟んで西に阿弥陀如来を配する伽藍は、平等院と同様です。過去仏と来世、未来仏。此岸と彼岸の世界を表しています。
さて浄瑠璃寺、所在こそ京都府内ですが、アクセスは奈良市中からの方が遥かに便利です。JR、もしくは近鉄の奈良駅より浄瑠璃寺行きのバスが出ています。
9時より15時頃まで1時間に1本。(12時台はありません。)本数こそ僅かですが、乗ってしまえば意外と早い。何と全便が急行バスです。途中、2~3の停留所にしかとまりません。ともかく山の中と聞いていたのでどれほど遠いのかと思いましたが、実際には30分もかからないうちに到着しました。

バス停から浄瑠璃寺入口方向
浄瑠璃寺のバス停のそばがお寺の入口です。実に静かでした。土産物屋らしき店がありましたが、そもそも開いていませんでした。人気がありません。周囲は鬱蒼とした緑に囲まれた山間の田園地帯です。ちょうど雨が降ったからでしょうか。聞こえるのは雨音とウシガエルの合唱、そして蝉の声だけです。それ以外、ほぼ一切何も聞こえませんでした。

宝池と九体阿弥陀堂(右)
山門をくぐると正面に池が開けてきました。左を向くと小高い丘の上に三重塔がそびえています。一方、右手は平屋の本堂。九体阿弥陀堂です。九体の阿弥陀仏を祀るゆえか横長です。塔とともに国宝の指定を受けています。
こうした九体の阿弥陀仏を祀る阿弥陀堂は、当時、京都を中心に競って建造されましたが、今残っているのがここ浄瑠璃寺だけです。

浄瑠璃寺「九体阿弥陀堂」 藤原時代 国宝
此岸と彼岸。本来は三重塔から廻るべきなのかもしれませんが、気づかなった私は、まず阿弥陀堂の方へと向かいました。受付で拝観料を支払って中に入ります。靴を脱ぎ、お堂の裏側の外廊下を奥へ進みます。ちょうど受付の反対側に入口がありました。
そっと扉を開けてみました。並ぶのは阿弥陀如来像です。全九体で横一列。これほどのスケールで祀られているのを見たことはありせん。堂々たる姿です。中は薄暗いものの、金色の輝きを未だ失っていないようにも見えます。思わず息をのんでしまいました。

浄瑠璃寺「西方九体阿弥陀如来像」 藤原時代 国宝 *パンフレット写真より
堂内では一体一体の仏像の前でじっくりと向き合うことが出来ます。ちょうど前に座って上を見やると、阿弥陀仏の視線にすっぽり収まりました。じっと見据える視線。時に険しくも、どこか優し気でもあります。まさしく荘厳です。(内部の撮影は出来ません。上に掲載した写真はパンフレットの画像です。)
中には九体阿弥陀如来像のほか、不動明王に四天王像、さらに子安地蔵菩薩像などが祀られています。なお四天王像に関しては持国天と増長天の二体のみでした。ほか多聞天は東京国立博物館、広目天は京都国立博物館に寄託されています。

浄瑠璃寺「三重塔」 藤原時代 国宝
本堂を出て池の端を歩き、反対側にある三重塔へ向かいました。祀られているのは薬師如来。ただし秘仏です。開扉日が限定されています。この日に拝むことは叶いませんでした。(ほかにも吉祥天女像や大日如来像などが秘仏として扱われています。)

三重塔より九体阿弥陀堂方向
三重塔は階段上のやや高い場所に建てられています。そこから池越しに彼岸、阿弥陀堂を眺めてみました。一体一体の如来の前にそれぞれ板扉が設置されていることが分かります。パンフレットによれば春分と秋分の彼岸の中日には、太陽がちょうど堂の後方へ沈んでいくそうです。どのように美しい光景なのでしょうか。今でこそ中に入ることが出来ますが、元々は堂の外の東側から来迎仏を拝むのが一般的だったのかもしれません。
さて浄瑠璃寺のある当尾一帯は古くから浄土信仰の霊地として栄えた地域。石仏が多いことから、現在は「当尾の石仏の里」とも名付けられています。
観光に際しては浄瑠璃寺とあわせ、その先に位置する岩船寺とバスで廻るのが一般的のようですが、この日は時間の都合で断念。ただし少しバスまでに時間があったので、しばらく散歩することにしました。石仏は浄瑠璃寺の徒歩圏内にもいくつか点在しています。

「やぶの中三尊」
茂み、まさに薮の中に潜むように立つのが「やぶの中三尊」です。正面に地蔵菩薩、右に十一面観音様、そして左の岩に彫られたのが阿弥陀如来。銘に弘長2年(1262年)と記されていますが、それは当尾地区の石仏で最も古いものでもあるそうです。

浄瑠璃寺周辺地区
ぷらりと石仏を探しての散歩道。元々、当尾は花崗岩が多く露出している地域でもあります。かつては僧や行者が奈良から伊賀の方へと行き交っていました。何時しか誰にともなく岩へ石仏を刻んでいったのかもしれません。

宝池と三重塔(左)
バスに関しては奈良交通の世界遺産1dayPassが便利でした。Passを使うと往復500円で奈良駅と行き来することが出来ます。(通常は片道570円。)

浄瑠璃寺山門
夏の雨の中の浄瑠璃寺彼岸体験。小さな小さなお寺です。先だっての「白鳳展」の観覧にあわせての短い滞在でしたが、しばし満喫しました。
「真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺」
拝観時間:9:30~17:00。
*ただし冬季(12~2月)は前後各1時間短縮。
拝観料:300円。
住所:京都府木津川市加茂町西小札場40
交通:JR線、近鉄奈良駅より奈良交通バス112系統「浄瑠璃寺」行き、終点下車すぐ。(全便急行。所用時間約30分。)
「小田原山 浄瑠璃寺」
2015/8/20

「真言律宗 浄瑠璃寺」へ行ってきました。
京都府最南端、奈良県との県境に面した木津川市。そのさらに南西部の山中に位置するのが浄瑠璃寺です。
創建は1047年。平安時代です。(ただし諸説あります。)12世紀には九体阿弥陀堂が造られ、平安末期には京都より三重塔を移設。今に至る寺観がおおむね整備されました。
東に薬師仏、中央に宝池、そして西が九体阿弥陀如来です。池を挟んで西に阿弥陀如来を配する伽藍は、平等院と同様です。過去仏と来世、未来仏。此岸と彼岸の世界を表しています。
さて浄瑠璃寺、所在こそ京都府内ですが、アクセスは奈良市中からの方が遥かに便利です。JR、もしくは近鉄の奈良駅より浄瑠璃寺行きのバスが出ています。
9時より15時頃まで1時間に1本。(12時台はありません。)本数こそ僅かですが、乗ってしまえば意外と早い。何と全便が急行バスです。途中、2~3の停留所にしかとまりません。ともかく山の中と聞いていたのでどれほど遠いのかと思いましたが、実際には30分もかからないうちに到着しました。

バス停から浄瑠璃寺入口方向
浄瑠璃寺のバス停のそばがお寺の入口です。実に静かでした。土産物屋らしき店がありましたが、そもそも開いていませんでした。人気がありません。周囲は鬱蒼とした緑に囲まれた山間の田園地帯です。ちょうど雨が降ったからでしょうか。聞こえるのは雨音とウシガエルの合唱、そして蝉の声だけです。それ以外、ほぼ一切何も聞こえませんでした。

宝池と九体阿弥陀堂(右)
山門をくぐると正面に池が開けてきました。左を向くと小高い丘の上に三重塔がそびえています。一方、右手は平屋の本堂。九体阿弥陀堂です。九体の阿弥陀仏を祀るゆえか横長です。塔とともに国宝の指定を受けています。
こうした九体の阿弥陀仏を祀る阿弥陀堂は、当時、京都を中心に競って建造されましたが、今残っているのがここ浄瑠璃寺だけです。

浄瑠璃寺「九体阿弥陀堂」 藤原時代 国宝
此岸と彼岸。本来は三重塔から廻るべきなのかもしれませんが、気づかなった私は、まず阿弥陀堂の方へと向かいました。受付で拝観料を支払って中に入ります。靴を脱ぎ、お堂の裏側の外廊下を奥へ進みます。ちょうど受付の反対側に入口がありました。
そっと扉を開けてみました。並ぶのは阿弥陀如来像です。全九体で横一列。これほどのスケールで祀られているのを見たことはありせん。堂々たる姿です。中は薄暗いものの、金色の輝きを未だ失っていないようにも見えます。思わず息をのんでしまいました。

浄瑠璃寺「西方九体阿弥陀如来像」 藤原時代 国宝 *パンフレット写真より
堂内では一体一体の仏像の前でじっくりと向き合うことが出来ます。ちょうど前に座って上を見やると、阿弥陀仏の視線にすっぽり収まりました。じっと見据える視線。時に険しくも、どこか優し気でもあります。まさしく荘厳です。(内部の撮影は出来ません。上に掲載した写真はパンフレットの画像です。)
中には九体阿弥陀如来像のほか、不動明王に四天王像、さらに子安地蔵菩薩像などが祀られています。なお四天王像に関しては持国天と増長天の二体のみでした。ほか多聞天は東京国立博物館、広目天は京都国立博物館に寄託されています。

浄瑠璃寺「三重塔」 藤原時代 国宝
本堂を出て池の端を歩き、反対側にある三重塔へ向かいました。祀られているのは薬師如来。ただし秘仏です。開扉日が限定されています。この日に拝むことは叶いませんでした。(ほかにも吉祥天女像や大日如来像などが秘仏として扱われています。)

三重塔より九体阿弥陀堂方向
三重塔は階段上のやや高い場所に建てられています。そこから池越しに彼岸、阿弥陀堂を眺めてみました。一体一体の如来の前にそれぞれ板扉が設置されていることが分かります。パンフレットによれば春分と秋分の彼岸の中日には、太陽がちょうど堂の後方へ沈んでいくそうです。どのように美しい光景なのでしょうか。今でこそ中に入ることが出来ますが、元々は堂の外の東側から来迎仏を拝むのが一般的だったのかもしれません。
さて浄瑠璃寺のある当尾一帯は古くから浄土信仰の霊地として栄えた地域。石仏が多いことから、現在は「当尾の石仏の里」とも名付けられています。
観光に際しては浄瑠璃寺とあわせ、その先に位置する岩船寺とバスで廻るのが一般的のようですが、この日は時間の都合で断念。ただし少しバスまでに時間があったので、しばらく散歩することにしました。石仏は浄瑠璃寺の徒歩圏内にもいくつか点在しています。

「やぶの中三尊」
茂み、まさに薮の中に潜むように立つのが「やぶの中三尊」です。正面に地蔵菩薩、右に十一面観音様、そして左の岩に彫られたのが阿弥陀如来。銘に弘長2年(1262年)と記されていますが、それは当尾地区の石仏で最も古いものでもあるそうです。

浄瑠璃寺周辺地区
ぷらりと石仏を探しての散歩道。元々、当尾は花崗岩が多く露出している地域でもあります。かつては僧や行者が奈良から伊賀の方へと行き交っていました。何時しか誰にともなく岩へ石仏を刻んでいったのかもしれません。

宝池と三重塔(左)
バスに関しては奈良交通の世界遺産1dayPassが便利でした。Passを使うと往復500円で奈良駅と行き来することが出来ます。(通常は片道570円。)

浄瑠璃寺山門
夏の雨の中の浄瑠璃寺彼岸体験。小さな小さなお寺です。先だっての「白鳳展」の観覧にあわせての短い滞在でしたが、しばし満喫しました。
「真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺」
拝観時間:9:30~17:00。
*ただし冬季(12~2月)は前後各1時間短縮。
拝観料:300円。
住所:京都府木津川市加茂町西小札場40
交通:JR線、近鉄奈良駅より奈良交通バス112系統「浄瑠璃寺」行き、終点下車すぐ。(全便急行。所用時間約30分。)
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