「光琳追慕の系譜ー光琳の江戸下りから抱一まで」 千葉市美術館

千葉市美術館
講演会:「光琳追慕の系譜ー光琳の江戸下りから抱一まで」
講師:玉蟲敏子(武蔵野美術大学)
2014年4月12日

千葉市美術館で開催中の中村芳中展の講演会、「光琳追慕の系譜ー光琳の江戸下りから抱一まで」を聞いてきました。



講師は日本美術がご専門で抱一の研究でもお馴染みの玉蟲敏子先生です。著書には東京美術の「もっと知りたい酒井抱一」の他、吉川弘文館の「生きつづける光琳」など。また最近では2012年の「俵屋宗達 金銀のかざりの系譜」で第63回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。

「俵屋宗達:金銀の〈かざり〉の系譜/玉蟲敏子/東京大学出版会

さて講演は1時間半。スライドを引用しての密度の濃いお話、到底全てを網羅出来ませんが、当日配布されたレジュメと私のメモに沿って、概要を追ってみたいと思います。

1 光琳の江戸下りから抱一の登場まで

 ◯尾形光琳(1658-1716)の江戸下り ー 宝永年間を中心に数度の往来。光琳の画風の変遷期でもある。

  狩野派、雪舟の学習。豪商深川冬木家と交流し、江戸での顧客拡大に成功した。(江戸で苦悩したという説もあるが、ここは積極的に評価すべき。)

 「四季草花図巻」(宝永2年、津軽家伝来)
 ・宗達に迫った記念碑的作品。本展出展作。江戸制作説と京都制作説があるが、京都で描かれたのではないか。江戸でこれほどの宗達受容があったとは考えにくい。
 ・四季と言いつつも、冒頭に牡丹が描かれている。百花の王「牡丹」をはじめに記すのは中国・明の絵画でも見られる展開。(津軽家の紋が牡丹であるから牡丹を描いたという説もある。)

 「禊図」(畠山記念館)
 ・江戸で描いた作品。抱一が「禊図」に写す。其一画もあり。

 「躑躅図」(畠山記念館、黒田家伝)
 ・江戸の作品。線の組み立ては雪舟の撥墨に倣った可能性。

 「波涛図屏風」(メトロポリタン美術館)
 ・外隈の技法。波頭が兎に見えるという指摘。中国宋元画由来か?漢文化圏的テイスト。
 ・バリエーションとしての抱一の「波図屏風」(静嘉堂文庫美術館)がある。
 ・日本からの英語版光琳画集にも収録。海外で有名に。(今で言うクールジャパン)
 ・落合芳幾の「春色今様三十六会席」(明治初期)中に似た作品が挿入。舞台は抱一も通った料亭八百善。料亭で絵を見せることはよく行われていた。抱一も見たのか?


尾形光琳「四季草花図」(部分) 個人蔵

 ◯尾形乾山(1663~1743)の東下とその受容層 ー 光琳に続いて江戸へ。江戸で没した可能性。

 「朝岡興禎編『古画備考 巻44 英流』所載の関係図」
 ・乾山と抱一の交流を示す資料。俳諧を通じる。一蝶の弟子とも関係。乾山は本所の材木商の長屋に住んでいた。
  
 「立葵図」(畠山記念館)
 ・抱一が「百合立葵図押絵貼屏風」に写す。
 ・そもそも抱一の初期は光琳よりも乾山風の作品が多い。

 「燕市撰・建部巣兆編『徳万歳』」(寛政12年)
 ・燕市とは俳諧の千住連の一人。建部巣兆は極めて深く抱一と親交のあった人物。
 ・その彼の著した「徳万歳」の挿絵を芳中が担当している。蕪村の「万歳図」との類似。元々は蕪村的な画風から入ったのか。
 ・「抱一 ー 巣兆 ー 芳中」の繋がり。俳諧ネットワーク。(但し抱一と芳中とが直接会っていたかは不明。)

 ◯立林何げいの出自と活動 ー 乾山の弟子。金沢出身。
  
 「抱一編『光琳百図』後編所載尾形光琳筆『宗達写扇面図巻』」
 ・光琳周辺作と何げい作の類似関係。何げいは余白の美。洒脱的。抱一風とも言える。光琳と抱一を繋ぐ存在?
 ・金泥のたらしこみ。

2 芳中と抱一の共通性と差異

 ◯光琳への関心を示す時期 ー 抱一の方がやや早い

 「何げい筆『玉蜀黍朝顔図」(出光美術館)
 ・宗達派の草花図的系統。何げいは金沢に多く伝わった伊年印の作品を引用した。それを抱一も学んだ?
 
 「酒井抱一『燕子花図屏風』」(出光美術館)
 ・抱一40代の作品。後の抱一画のエッセンスが詰まっている。
 ・瀟洒、余白の利用。ひょっとすると何げいにも似たような作品があったのかも。

 「中村芳中『光琳画譜』」(享和2年)
 ・光琳に倣って描いた芳中の作品。言わば光琳風の芳中画譜。
 ・風俗的な人物画。光琳は布袋や大黒天などで人物を描くが、普通の人物を描くことはない。一方で芳中は市井の人物を描く。蕪村、一蝶風か。特に子どもたちの生き生きとした描写は目を見張る。
  
 「たらしこみ」という言葉  
 ・基本的には水墨の技法。金泥、銀泥。(但し芳中に銀泥はない。)
 ・1930年代頃に宗達画について「たらしこみ」という言葉が使われるようになった。それは芳中の研究が始まった時期と重なる。

 *たらしこみの始源
  「本阿弥光悦書・俵屋宗達画『蓮下絵和歌巻』」ー宗達の傑作(現在はコロタイプのみ。関東大震災で失われた。)
  芳中画を思わせるようなユーモアな描写。蓮の花びらがめくれる瞬間。
  生命が内側からうごめく瞬間、それとたらしこみのもぞもぞとした描写。=形が生まれてくる原初。それが「たらしこみ」の描写と繋がるのではないか。


中村芳中「光琳画譜」より

 ◯抱一の光琳へのアプローチ
 
 ・そもそも抱一は狩野派から入った線の画家。
 ・元禄・寛永期に光琳、乾山画に出会い、同時期に芳中とも接近する。
 ・宗達画の「蓮池水禽図」を賞賛。
 ・いわゆる「尾形流」を江戸の中間層、例えば下級武士、裕福な商家らの第三勢力に提供。(第一は幕府や有力大名などの支配層、第二は浮世絵受容の町人庶民層。)
 ・大名の子という立場も利用して、様々な人々を積極的に動員。光琳百図を出版し、百年忌で光琳を顕彰するなど、戦略的に「尾形流」を広めた。今で言うメディア戦略。


酒井抱一「燕子花図屏風」 出光美術館

3 芳中は琳派か

 ◯芳中の光琳派への登場過程と評価 ー 抱一は「尾形流」に芳中を入れなかった
 
 「片野四郎『尾形派』」(稿本、東京国立博物館)
 ・1906年に東京国立博物館で行われた「光琳派」展に芳中画が出ている。
 ・展覧会の内部資料。芳中画の作品を解説しているも、後に出版された画集には掲載されなかった。

 ・光琳風から「逸脱」した魅力。当初はコレクターが評価。
 ・1960年代以降に具体的に研究。

 ◯芳中画の根底にあるもの

 「旧塩原家本金銀泥絵色紙『百合図』」(サンリツ服部美術館)
 ・ゆるキャラの宝庫ともいえる作品。芳中の「百合図扇面」に似ている。

 「隆達節小歌巻断簡」(京都民藝館)
 ・刷絵。竹の節を空かして描く表現。水墨ではあり得ない。(水墨では節に濃い墨を塗る)それをあえて描かないのが宗達風。

 ◯芳中画の特徴

 ・ゆったりとした太い線。
 ・おそらく町に浸透していたであろう「俵屋風」(必ずしも宗達として認知されず、例え光琳と思われていても。)の自然な摂取ー料紙装飾の技術
 ・たらしこみの始源に対する同質性。


中村芳中「白梅図」 千葉市美術館

4 まとめ

 ◯「文化的先進都市=京都」←→「新興都市=江戸」

 ・京都において
  宗達の金銀泥絵は光琳と組んだ料紙下絵からスタート。水墨画を吸収し、宮廷絵師とはまた違った俵屋風を確立する。以降、上方の生活文化の底流になり、光琳及びその周辺の文人や裕福な町人層の遊びになる。ただし上方では流派化せず、成熟しなかった。

 ・江戸において
  光琳、乾山の江戸下りに始まり、土着化(何げいを含む)。そして抱一の手によって「尾形流」として編纂されていく。江戸にとっての「尾形流」とは元来異なる文化(上方由来)のもの。よって流派化は必然的。江戸という異なる文化に接触、また摂取する過程で、明確な輪郭を持つ必要に迫られたのではないか。

 ◯「古都=京都」←→「首都・帝都=東京」

 ・東京では抱一の「尾形流」が「琳派」として古典化されていく。 
 ・宗達への関心は明治来~大正にまず東京、そしてやや遅れて京都でまた高まり、二次大戦終了後に進展。芳中の評価は宗達の後追い的な側面がある。
 ・大正から関西でも芳中への関心が高まった。昭和に入ると東京でも高まったが主流にはなり得なかった。
 ・一方で現代。近年のゆるキャラブーム。ほのぼの、おおらかな作風への愛着。殺伐とした世相を反映してのかわいいものへの志向。そこに芳中画がムーブメントになる可能性もある。

以上です。光琳、乾山の江戸下りに始まり、芳中と抱一との関係、さらに芳中画の特徴とは何か。また芳中や抱一が参照していた可能性のある作品(蕪村や何げいなど)、たらしこみの特質、さらには絵師同士を繋いだ俳諧ネットワークの存在(芳中が江戸にやって来たのも俳人を頼ったと言われている。)の指摘なども重要かもしれません。

また抱一が江戸の中間層を狙って戦略的に尾形流を波及させたという部分も興味深いもの。最後は京都(上方)と江戸(東京)の二都市を参照しながら、「尾形流」から「琳派」の流れを見ていく。現代の芳中画受容の話に進んだところでレクチャーは幕となりました。


中村芳中「光琳画譜」より

さて芳中展、本講演会の他、会期中に市民講座も行われます。

特別市民美術講座:「かわいい琳派 中村芳中」
【講師】福井麻純(細見美術館主任学芸員)
4月20日(日)14:00より(13:30開場予定)

市民美術講座:「『光琳画譜』と中村芳中」
【講師】伊藤紫織(同館学芸員)
5月3日(土・祝)14:00より(13:30開場)

*会場はいずれも11階講堂。無料。先着150名。講演会及び特別市民美術講座は当日12時より11階にて整理券を配布。

「もっと知りたい酒井抱一/玉蟲敏子/東京美術」

またこの日はもちろん芳中展もあわせて観覧してきました。またそちらの感想は別途まとめるつもりです。

「光琳を慕う 中村芳中」 千葉市美術館
会期:4月8日(火)~5月11日(日)
休館:4/21、5/7。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1000(800)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *リピーター割引:本展チケット(有料)半券の提示で、会期中2回目以降の観覧料が半額。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
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「酒井抱一筆 夏秋草図屏風の魅力」 東京国立博物館

東京国立博物館の「秋の特別公開」に展示されていた酒井抱一の「夏秋草図屏風」。関東では千葉市美術館の抱一展以来の出品となりました。



公開中の9月28日、平成館大講堂にて、絵画・彫刻室研究員の本田光子さんの講演会、「酒井抱一筆 夏秋草図屏風の魅力」が行われました。

所要は約1時間。「夏秋草図屏風」のスライドをあげながら、屏風のモチーフ、制作背景、また作品を特徴づける銀のイメージなどについて語って下さいました。

それでは以下、私が特に印象に残った部分についてまとめてみます。


酒井抱一「夏秋草図屏風」展示室風景

まず屏風のモチーフ、夏草と秋草からです。ススキ、ヒルガオ、ユリ、ガンピなど、様々な草花が描かれていますが、秋草では山上憶良による万葉集の参照がポイントです。

「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴朝がほの花」

夏秋草図屏風には、萩の花以外、全て描かれています。

また屏風における雨と風、言うまでもなく、夏の驟雨と秋の野分の表現も重要です。


酒井抱一「夏秋草図屏風」(写真、右隻部分)

雨に打たれて背を曲げる夏草、その右上には庭たずみが流れています。これは大雨の後の水たまりを表したもの。そしてこうした水流の表現は小袖や蒔絵の模様にもよく登場するそうです。抱一の屏風では「四季花鳥図屏風」にも水の青い帯が描かれています。


酒井抱一「夏秋草図屏風」(写真、左隻部分)

野分の秋草では風に吹き上げられた葉の描写など、構図として下から上を志向するのに対し、夏では手前の雨に打たれた草と奥の庭たずみ、つまり手間と奥との関係が組み込まれている。つまり草を捉える視点が異なるのではないかということでした。

作品の制作背景へ進みます。よく知られるように「夏秋草図屏風」は尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描かれました。風神と秋草、雷神と夏草との関係。さらに風神雷神の金に夏秋草図の銀、天上の神と地上の自然などの対比がなされています。

長らくこの屏風は裏絵として存在していましたが、昭和49年に作品保護のため分離されました。

落款と左右の配置も注目です。一般的には屏風の右下、左下にあることの多い落款が、本作に関しては中央に寄り添うように記されています。


東京国立博物館「創立百周年記念特別展 琳派」図録 昭和47年10月

このことからかつては左右逆に紹介されたこともあったそうです。昭和47年に東博で行われた琳派展においても図録には逆に記載されました。

屏風の左右の配置の問題に終止符を打ったのは、近年発見され、出光美術館に収蔵されている草稿です。そこには右に夏、左に秋の場面が描かれています。よって抱一が構想段階から左右の配置を明確にしていたことが明らかとなりました。(ちなみに草稿と本画はほぼ同じですが、草稿の方が夏草の庭たずみの幅がやや太いようです。)

また草稿の裏貼紙から屏風の注文主、制作年も判明しました。

「一橋一位殿御認上 二枚折屏風一双下絵 銀地 光琳筆表 雷神/風神 裏 夏草雨/秋草風 抱一 文政四年辛巳十一月九日出来/差上」

注文主は一橋治済。時の将軍11代家斉の実父です。文政3年、古稀を迎えた治済は、この年に従一位の宣下を受けます。

一方で酒井家においても慶事がありました。文政4年に抱一の甥にあたる忠実が昇進。また文政5年には忠実の子、忠学と、将軍家斉の子、喜代姫が婚約します。一橋徳川家と酒井家の関係はより密になりました。


酒井抱一「夏秋草図屏風」*2010年の東博平常展において撮影

「夏秋草図屏風」が描かれたのは文政4年。おそらくはこれらの慶事に際して描かれたとされています。

さてここで本田さんから興味深い指摘がありました。お祝い事の作品にしては、夏秋草図屏風が、随分と物悲しい印象を与えられはしないでしょうか。

実は草稿に年紀の記された文政4年には大干ばつがあり、大変な被害をもたらしたそうです。その時の抱一の記憶なり経験が作品に反映されたのではないかとのことでした。

ちなみに屏風が制作された場所は抱一の住まい兼工房である「雨華庵」です。場所は下谷、現在の台東区根岸5丁目。「雨華庵」の様子は弟子の田中抱二が見取り図に残していますが、庭には秋の草花がたくさん植えられていました。抱一はその植物を参照しつつ、「夏秋草図」に向かったのかもしれません。

ラストは屏風の印象を決定付ける銀のイメージです。

静かさ、クール、波の色、物悲しさ。抱一は銀屏風の名手です。銀地をそのまま波の色として用いた「波図屏風」はよく知られています。

また他の絵師では光悦の「四季草花下絵和歌巻」や蕪村の「山水図屏風」なども名作です。ことに蕪村は寒村の冷えた大気を銀で表現しました。

ある学者は「夏秋草図屏風」を「反骨のデカダンス」と評しました。また銀は物思う色という意味もあるそうです。敬慕する光琳への思い。そうした意味もこめられているのかもしれません。

*追記訂正*
「反骨のデカダンス」は「反骨のエレガンス」の誤りでした。なお出典は千澤(木へんに貞)治編の「日本の美術 186号 酒井抱一」(至文堂、1981年)だそうです。私の聞き間違いにより誤って書いてしまいました。本田先生、大変失礼致しました。ここにお詫びして訂正致します。


講演会「夏秋草図屏風の魅力」会場(立ち見が出るほどの盛況でした)

登壇の本田さんはこの日、講演会デビューだったそうです。時に笑いを誘ってのあっという間の一時間。貴重なお話をありがとうございました。

「もっと知りたい酒井抱一/玉蟲敏子/東京美術」

講演前と後に改めて「夏秋草図屏風」を見に行きました。必ずしも毎年出るとは限りません。次に見られるのはいつのことか。後ろ髪を惹かれながら会場をあとにしました。

講演会「酒井抱一筆 夏秋草図屏風の魅力」
日時:9月28日(土)15:00~16:00
会場:平成館大講堂
講師:本田光子(絵画・彫刻室研究員)
定員:380名(先着順)
夏の雨、秋の風、銀地屏風の草花たち。季節の一枚にこめられた、さまざまなイメージをご紹介します。
聴講料:無料(当日の入館料が必要。)
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「和様の書のなりたちと展開」 6次元

荻窪の6次元で行われた「和様の書のなりたちの展開」に参加してきました。


「和様の書」@東京国立博物館(7月13日~9月8日)

現在、東博で開催中の「和様の書」展。私も今月初旬に一度出向き、なるほど確かに読めはしないものの、文字のリズム感や料紙の美しさに魅了。意外なほど楽しめました。しかしながらやはり前提知識なりがあると、より深く鑑賞出来たのではないかと感じたのも事実。もう少し突っ込んでみたいとも思いました。

そうした時に6次元で「和様の書」に関するトークショーのお知らせが。講師は東京国立博物館研究員の田良島哲さんです。早速、聞きに行ってきました。

さて田良島さん。まず書に接するには必ずしも読めなくても良い、と断られた上で、日本における書、かなの成立史などについてお話を。計1時間半ほどのレクチャーをして下さいました。

というわけでその内容から特に印象深かったポイントを順にまとめてみます。

まず文字の伝来。仏教(信仰)と律令(政治)の関係です。百済の聖明王より仏像とともに伝えられたという経典。その複雑な内容を学ぶには文字を写さなければならない。つまり写経こそが日本人にとって文字を書く、そして学ぶということの原点になります。



奈良時代に入ると「官学写経所」が誕生。写経は国による言わば「公共事業」として盛んに行われます。そこでは各々、経師(書く人)、校生(チェックする人)、装丁、舎人(事務職員)と細かに役割分担が規定。ちなみに写すのを間違える罰則もあったとか。写経は厳格です。

またこの時代の写経の文字の特徴として、ともかくきちっと、またたくさん書くことが第一に要求されます。誰が書いたが問題とされず、文字自体の個性も尊重されなかったそうです。

しかしながら平安時代になると状況も変わります。遣唐使の廃止による国風化の流れもあり、文芸の中心が漢文から和文へと変化。ただしこの変化は必ずしも急速ではなく、漢文も依然として主流ではあったそうですが、ともかく唐様から和様へという大きな潮流が生まれます。



そこで仮名の成立です。大まかに分けると万葉仮名、草仮名、平仮名、片仮名、そしてひらがなの順に確立します。ただし厳密にどのように変化したかはあまりよく分かっていません。また万葉仮名については現在もまだ解読出来ないもの少なくないそうです。



その仮名の名品として名高いのが国宝の「秋萩帖」です。平安時代の作品ですが紙背、裏面には唐の漢文(前漢時代の思想書の注釈)が記されています。つまり一度、おそらくは8世紀くらいに制作された書を裏返し、10世紀になって改めて仮名を書いているとも考えられるのです。(諸説あり。)ようは再利用です。

また元々あった漢語が平安時代になって読めなくなって来た。それを解読する形で仮名にしていく。万葉仮名の誕生にはそうした背景もあったそうです。



11世紀に入ると書き手が文字の美しさを追求。筆跡そのものを誇示しようとする動きが表れます。つまり誰が書いたのか、という問題が重要になってくるわけです。そしてここで今にも名前の伝わる書き手が登場します。それが能書と呼ばれる人達です。


小野道風「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」 平安時代・延長5年(927) 東京国立博物館

唐様では空海、橘逸勢、そして嵯峨天皇の三筆。一方の和様では小野道風、藤原佐理、藤原行成の三蹟が名声を博します。そして「和様の書」展に登場するのは後者の三蹟であるのは言うまでもありません。



三蹟はいわゆる役人でありましたが、階級としては道風、佐理、行成の順に高かったとのこと。また佐理は大雑把な性格でも知られ、寝坊して出勤は遅れてしまったというエピソードも。残されている書も詫び状がかなり多いそうです。


藤原行成「白氏詩巻」 平安時代・寛仁2年(1018) 東京国立博物館

最も位の高い行成は道長の信頼も高かったという人物、超エリートです。また真面目な性格であったとも伝わっています。そして書の代表作は「白氏詩巻」。田良島さんが本展でまず一番に挙げたいと仰った作品でもあります。

ちなみにこれら三蹟のように、文字がうまいと評判のあった人物は、本業、つまり役人としての立場とは別に余技として書を記していたとか。(ちなみに奈良時代の写経では雇われ人が記したもの殆ど。)そしてさらに時代が進むと文字を書くことそのものを生業とする書家が誕生します。その一つが行成を祖とする流派で、宮廷や帰属で最も権威のある書法であった世尊寺流です。



平安時代は信仰の在り方も多様化。奈良時代のような国家主導的な仏教事業は衰退します。一方で様々な信仰を伝えるための手段としての書の事業は増加。願文、鐘銘、そして経の題字など数多くの仕事が能書に求められたそうです。


「平家納経(部分) 平安時代・長寛2年(1164) 厳島神社

また装飾的な料紙が登場したのもこの時期。そこから書が一つの工芸品としても珍重されます。その例が「法華経(久能寺経)」や「平家納経」です。そして墨と紙を越えた道具、ひいては田良島さん曰く『アート』とも言えるような書が生み出されていきました。


藤原定信「本願寺本三十六人家集」 平安時代 西本願寺

田良島さんのレクチャーは以上です。その後は料紙のデザインと書家との関係、また美術品としていつ書が蒐集されるようになったのか、などといった質疑応答があり、散会となりました。

「和様の書のなりたちと展開」まとめーTogetter

8/16(金)「和様の書のはなし」
テーマ:「和様の書の成り立ちと展開」
ゲスト:田良島哲(東京国立博物館)
現在、東京国立博物館で開催中の特別展「和様の書」の名品を通じて、繊細で優雅な日本の文字文化を紹介します。
会場:6次元
時間:19:00開場 19:30開演
入場料:1500円(お茶付き)


6次元「和様の書のはなし」8/16 19:30~

東京国立博物館の「和様の書」展も残すところ三週間あまり。展示替え(リスト)も多数です。そういえば私が見た時はまだ前期でした。このレクチャーをふまえ、また改めて行きたいと思います。田良島さん、貴重なお話をありがとうございました。

「和様の書」 東京国立博物館@TNM_PR
会期:7月13日(土)~9月8日(日)
休館:月曜日。但し7月15日(月・祝)、8月12日(月)は開館。7月16日(火)は休館。
時間:9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで) *毎週金曜日は20時、土・日・祝・休日は18時まで開館。
料金:一般1500円(1200円)、大学生1200円(1000円)、高校生900円(600円)、中学生以下無料
 * ( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。
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「貴婦人と一角獣ナイト」 6次元

6次元で行われた「貴婦人と一角獣ナイト」に参加してきました。


「貴婦人と一角獣」@国立新美術館(プレビュー記事)

国立新美で開催中の「貴婦人と一角獣展」。中世美術の至宝とまで呼ばれるフランスのタピスリーが来日中。既に展示をご覧になった方も多いかもしれません。

会場で作品を見れば一目瞭然。その魅力は十分に伝わりますが、「我が唯一の望み」しかり、どこか謎解き的な要素があるのもポイント。そこを中世美術専門で美術史家の金沢百枝先生が解き明かしていく。題して「貴婦人と一角獣ナイト」。そうしたイベントが荻窪6次元で行われました。


トーク前の金沢先生。貴婦人ヘアスタイルでのご登場でした!

さて金沢先生のトークは多くのスライドを使っての分かりやすいもの。タピスリー「貴婦人と一角獣」の注文主の問題からスタート。これが旧説と新説の2つあり、最近では紋章学の研究により新説が広く支持されているとか。かつてはルイ・ヴィスト家のジャン4世が注文したとされていましたが、現在では同家のアントワーヌ2世であることが確認されているのだそうです。



さらにトークはタピスリーのテーマについて。5感の触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚という並び。これはいわゆる精神性との距離。初めの触覚が最も動物的だとされています。



では最後の「我が唯一の望み」は何なのか。ここで金沢先生は幕屋の涙模様に注目。涙は愛のモチーフ。男性の流す涙には女性に対しての愛の意味があったとか。涙の川から女性に救われることで愛を成就する。そうしたモチーフの絵画も残されています。

「涙と眼の文化史ー中世ヨーロッパの標章と恋愛思想/徳井淑子/東信堂」

また「愛の嘆きには大量の涙がながされなくてはならない。」という言葉も。これについては金沢先生が一冊の本をご紹介。それが徳井淑子さんの「涙と眼の文化史ー中世ヨーロッパの標章と恋愛思想」。会場でも本が回されました。



一角獣とライオンが貴婦人を幕屋へ誘っている「我が唯一の望み」。また多くの動物が首輪をつけていることにも着目。動物をつなぐ鍵、錠前も愛のモチーフだとか。私はあなたに囚われたい。そうした意味もあるのだそうです。



ちなみに幕屋上部に飛ぶ鳥にも一羽が繋がれています。これも狩る狩られるを意味し、愛とも関係するのではないかという指摘でした。



またタピスリーの中の動物や植物についても細かに分析。同じ植物でも色を変えて別の植物として表現したり、同じ動物を向きを変えて何度も描いています。これについてはおそらく型を利用しているそうです。

そしてこれらの植物や動物は同定がほぼ終わっているものの、単に分類学的に植物なりを精査するだけでなく、何故この植物がこの作品に描かれているのか。そうした思考が美術史には重要との指摘がありました。


タピスリー「貴婦人と一角獣『我が唯一の望み』」1500年頃 羊毛、絹
フランス国立クリュニー中世美術館
RMN-Grand Palais / Franck Raux / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom


質疑応答をあわせて2時間ほどの充実のトーク。とてもここで追いかけられません。幸いにも当日のツイッターの流れを6次元の道前さんがまとめて下さいました。是非ともご覧ください。

貴婦人と一角獣ナイト - Togetter

6/27(木)「貴婦人と一角獣ナイト」
時間:19:00開場 19:30開始
参加費:1500円(国立新美術館「貴婦人と一角獣展」観覧チケット+特製コースター付き)
会場:6次元
*美術史家 金沢百枝先生による「貴婦人と一角獣」の愉しい見方(スライド講座)。「貴婦人と一角獣」にちなんだアイテム(アクセサリー、グッズ、髪型)を持参してトークを聴くだけでなく積極的に「参加」しましょう。

展覧会もいよいよ佳境。あと半月ほどです。私もこの日のトークを参考に、再度見納めに行きたいと思います。


「貴婦人と一角獣展」会場風景

「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展」 国立新美術館
会期:4月24日(水)~7月15日(月・祝)
休館:火曜日。但し4月30日は開館。
時間:10:00~18:00 *金曜日は20時まで開館。
料金:一般1500(1300)円、 大学生1200(1000)円、高校生800(600)円。中学生以下無料。
 *( )内は団体料金。4月27日(土)、28日(日)、29日(月・祝)は高校生無料観覧日。(要学生証)
住所:港区六本木7-22-2
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅出口6より直結。都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩4分。東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分。

注)展覧会風景については報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「デルヴォー展スライドレクチャー」 府中市美術館

いよいよ府中市美術館へと巡回してきたポール・デルヴォー展。



早速、私も出向いてきましたが、デルヴォー好きの私にとってはまさに夢見心地の世界で終始うっとりと。

もちろんそれだけではなく珍しい初期作やモチーフ毎の展開比較など、見応えのある内容となっていました。

さて感想はまた後日に挙げるとして、このエントリでは取り急ぎスライドレクチャーの様子を。

講師は本展ご担当の学芸員、音ゆみこ氏。正味20分ほどでしたが、展覧会の準拠しつつ、デルヴォーの芸術について触れていく密度の濃い内容でした。



はじめは展覧会の概要から。日本人にも人気のデルヴォー、作品を見る機会は決して少なくない画家ですが、国内での本格的な回顧展としては約10年ぶりだとか。そして章立てについての紹介があり、いくつかの作品をスライドに写しながら、デルヴォーについての解説が行われました。



さてまず面白いのが、比較的紹介されることのない画業初期の作品も展示されていること。ベルギーの典型的なブルジョワ一家に生まれたデルヴォーは画家を志しながらも両親の反対にあい、一度は建築家を目指します。

しかしながらそこでは数学の点数が足りずに挫折。ところが偶然知り合った王室の画家がデルヴォーの水彩画を激賞。ひょんなことから画家の道が切り開かれることになりました。



当初のデルヴォーはまさしく印象派風。目に見える通りの景色を有り体に描きます。

ところが30代になると一変、いわゆる『模索の時代』に突入し、表現主義からセザンヌにピカソと、多様な画家の表現を試行錯誤に取り込んでいきます。



この「若き娘のトルソ」(1925年)などピカソ風。



それに風景画「ボワフォールの風景」(1925年)などはセザンヌにも学んでいます。

またベルギーのペルネークという画家にも強い影響を受け、いわゆる印象派的な表現から脱出することに成功しました。



ちなみにこの時代のデルヴォーは私生活でも挫折。後に将来の伴侶となるタムに出会うも、再び両親の反対のために結婚は叶いません。彼に特徴的な裸婦のモチーフはこの時代から描かれますが、これはタムと母のイメージが複雑に入り交じっているという説もあるとのことでした。

さてそのようなデルヴォーが自身の確固たる道を開いたのがシュルレアリスムとの出会いです。

1934年、37歳の時にデルヴォーはブリュッセルでシュルレアリスムの展覧会を見て、その新奇でかつ強いイメージに衝撃を受けます。(但しシュルレアリスムに影響を受けたとはいえ、背景にある理論や思想には興味を示さなかったそうです。)



その一例が「レースの行列」(1936年)。本展では習作が出ていますが、女性からランプが門に向かってあたかも行進するような光景は、どこか現実にはありえないような夢の世界だと言えるのではないでしょうか。



そして時代は飛びますが、この「行列」(1963年)も同様。数多く登場する女性たちは皆、似通った様子で、表情がよく分かりません。そしてこの女性こそデルヴォーが追い求め、結局は再会して結婚したタム(駆け落ちだったとか!)とのことでしたが、まさに彼女こそデルヴォーの制作の大きな力の源泉になっていたのかもしれません。



さてデルヴォーといえばもう一つは汽車のモチーフ。ギリシャ神話の物語に主題をとった「エペソスの集い」(1973年)にも描かれています。



そしてこの古代神話、特にオデュッセイアの叙事詩と、汽車、とりわけ路面電車こそ、デルヴォーが子どもの頃から好きであったものなのです。

何とデルヴォーが子ども時代に暮らした家の窓から路面電車が見えていたとのこと。

こうした物語的な要素、そして子どもの時から見ていた現実の事物(例えば汽車や建築。)、さらには最愛の女性タムといった多様なイメージを組み合わせ、全体を幻想で包み込んだ世界こそ、デルヴォーが確立した絵画表現であるというわけでした。



ラストにはデルヴォーが89歳の時に描いた「カリュプソー」(1986年)も登場。ちなみにこの作品はベルギーから出たのが今回が初めてです。

デルヴォーの夢の世界、スライドレクチャーでも堪能することが出来ました。

さてスライドレクチャーは会期中、以下の日程で行われます。

「デルヴォー展 20分スライドレクチャー」
日程:9月16日(日)、9月22日(土)、9月30日(日)、10月6日(土)、10月14日(日)、10月20日(土)、10月28日(日)、11月3日(土)、11月11日(日)
時間:午後2時と3時の2回(内容は同一。)
会場:講座室
費用:無料


なお一度、会場内へ入ってしまった後も、受付の方に申し出れば途中で退出してレクチャーを聞くことが出来ます。

さらに展覧会講座も予定されています。

[デルヴォー展 展覧会講座]

「デルヴォー前夜 ベルギー象徴主義絵画」
日時:10月21日(日)
講師:井出洋一郎(府中市美術館館長)

「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」
日時:11月4日(日曜日)
講師:音ゆみ子(府中市美術館学芸員)


ともにいずれも午後2時から講座室にて、予約不要で無料です。館長と音学芸員の二本立て。象徴派からデルヴォーへの流れをチェック出来るまたとない機会になるのではないでしょうか。私も是非伺いたいと思います。

それではデルヴォー展についてはまた別エントリでまとめたいと思います。

「ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅」 府中市美術館
会期:9月12日(水)~11月11日(日)
休館:月曜日(但し9月17日、10月8日を除く。)、9月18日(火)、10月9日(火)。
時間:11:00~17:00
料金:一般900(720)円、高校生・大学生450(360)円、小学生・中学生200(160)円。
 *( )内は20人以上の団体料金。
住所:府中市浅間町1-3
交通:京王線東府中駅から徒歩15分。京王線府中駅からちゅうバス(多磨町行き)「府中市美術館」下車。
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「ドビュッシーナイト」 6次元

ひょんなことから進行役のお話が舞い込んできた荻窪6次元での「ドビュッシーナイト」。



9/8(土)ドビュッシーナイト「音楽と美術のあいだで」 6次元
新畑泰秀(ブリヂストン美術館学芸課長)×ミヤケマイ(美術家)
〈進行〉 鈴木雅也(美術/音楽ブログ「はろるど」管理人)
時間:18:30開場 19時スタート
入場料:1500円(ドビュッシーカクテル付き)


受付も開始から僅か数十分でソールドアウトということで、思わぬ反響に戦々恐々しておりましたが、昨日無事に終えることが出来ました。

まずはご参加下さった方、どうもありがとうございました。

さて当日、私の至らぬ進行で会の内容が錯綜してしまったのも事実。新畑さん、ミヤケさん、またお聞き下さった方々、本当に申し訳ありませんでした。

というわけで当初予定のスケジュールを踏まえて、簡単に内容のおさらいを。

まずはブリヂストン美術館の新畑さんに「ドビュッシー展」の内容を企画立ち上げ時のエピソードも交えながらお話していただきました。



それがおおよそ40~50分程度、基本的にはレクチャー形式でしたが、途中にアドリブでミヤケマイさんの鋭い突っ込みも。

5分休憩した後はいくつかのトピックを設けて、ドビュッシーの音楽、そしてそれを取り巻く美術をはじめとした「空間」との関係を探る形式をとりました。

予定していたトピックは以下の通りです。

◯ドビュッシーの生い立ち、家庭環境、音楽への道。
◯ローマ賞コンクール(印象主義者と称された「春」の二バージョンを比較。)
・ボヘミアンとしてのドビュッシー(カフェでの交流他、彼を取り巻く人的コネクション。ルロール、ショーソン。)
・パリ万博、独立芸術書房(ドビュッシーに霊感を与えた文化。神秘主義的傾向について。)
・「選ばれし乙女」(ドニの挿絵。ドビュッシーとドニ。)
◯ドビュッシーの恋愛(ヴァニエ夫人、ギャビー、リリーらの女性遍歴。)
◯「海」(北斎の版画、エマの存在と自殺未遂のスキャンダル。)
△ドビュッシーの音楽のイメージの源。(日本、ギリシャ、アール・ヌーヴォー。金の魚。)
△ドビュッシーの絵画と音楽との親和性(モネ、クロスの黄金の島。カンディンスキー。)
・「ドビュッシーの日本での受容」

結局、ほぼ事前の予定通りに進行出来たのは◯、駆け足で消化不足になってしまったのが△、そして・に関しては、私のマズい進行と時間の関係もあり、お話いただくことは出来ませんでした。申し訳ありません。

ただここで注意したのは、展覧会の内容に完全に準拠するのではなく、あくまでも人間としてのドビュッシーを踏まえながら、芸術の源泉を辿ろうということ。



新畑さんも仰られてましたが、ドビュッシーの音楽は、地域や時代を横断しての様々なジャンルの芸術なりを消化した上で生まれた、極めて革命的なものであるということです。

「膜迷路/ミヤケマイ/羽鳥書店」

その辺については同じ作り手でおられるミヤケさんの制作に対する意識のお話も興味深いものがありました。新畑さんの豊富な知識に基づくお話はもちろん、随所でのミヤケさんのトーク、例えば「海」の楽譜表紙の北斎画のトリミングや日仏の恋愛観、それにドビュッシーの顔相などについては、思わず頷かれた方も多いのではないでしょうか。

「Debussy Collection/Sony Classics」

またドビュッシーの曲を作品の図版を掲載しながら流しましたが、如何だったでしょうか。特に「春」の声楽バージョンは私も初めて聞いただけに、一般的に知られる交響組曲との違いに驚かされました。

展覧会をご担当された新畑さんと現代美術家のミヤケマイさんという、全く異なった立場から語るドビュッシー。またこれまでとは違った新鮮味のあるトークではなかったかと思います。

なお肝心のドビュッシー展は今もブリヂストン美術館で10月14日まで開催中。



私もこの日のトークを踏まえて改めて見に行ってくるつもりです。

それでは最後になりますが、2時間半を超える長丁場、ドビュッシーナイトに参加して下さった全てのみなさま、本当にどうもありがとうございました。

*当日の写真は#ドビュッシーナイトでたくさんつぶやいてくださった@taktwiさんにご提供いただきました。ありがとうございます!



「ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで」 ブリヂストン美術館
会期:7月14日(土)~10月14日(日)
時間:10:00~18:00(毎週金曜日は20:00まで)*入館は閉館の30分前まで
休館:月曜日(ただし7/16 、9/17、10/8は開館)
料金:一般1500円、シニア(65歳以上)1300円、大学・高校生1000円、中学生以下無料。
 *団体(15名以上)は各200円引き。
住所:中央区京橋1-10-1
交通 :JR線東京駅八重洲中央口徒歩5分。東京メトロ銀座線京橋駅6番出口徒歩5分。東京メトロ銀座線・東西線、都営浅草線日本橋駅B1出口徒歩5分。

注)ドビュッシー展会場写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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金沢百枝ギャラリートーク「イタリア古寺巡礼」 森岡書店

森岡書店中央区日本橋茅場町2-17-13 第2井上ビル305号)
「イタリア古寺巡礼 ギャラリートーク」
日時:9月26日(日) 15:00~
講師:金沢百枝氏(美術史家・東海大学准教授)



森岡書店で開催された金沢先生の「イタリア古寺巡礼 ギャラリートーク」を拝聴してきました。

トーク概要(森岡書店サイトより転載)
『イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア』(新潮社)の刊行を機に、著者の金沢百枝さん(美術史家・東海大学准教授)をお迎えして、北イタリアの中世美術の魅力についてお話いただきます。ミラノ、パルマ、ドロミテ、ラヴェンナ、ヴェネツィアその他、今年3月に取材・撮影した中世聖堂の写真を見ながら、「ヨーロッパ美術」の原点である壁画・彫刻等のユニークな表情を楽しんでいただけたらと思います。

ロマネスク美術を研究されている金沢先生が著書「イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア」(新潮社とんぼの本)を出版されました。それを記念して開催された講演会です。研究のために訪ねられた北イタリアの中世美術を、何と200枚超のスライドで紹介されるという盛りだくさんのトークでした。

イタリアは中世が面白い~ブランコ乗りの壁画から~

冒頭に挙げられた一枚の壁面の写真を見るだけでも中世美術の面白さが伝わってきます。


「サン・プロコロ聖堂壁画」(ブランコ乗りの壁画)

これは650年頃に建造されたサン・プロコロ聖堂内部の通称「ブランコ乗り」と呼ばれる壁画ですが、上からぶらさがって座る人物の様子はまさに痛快です。聖パウロがダマスカスの壁をかごに乗って逃れた姿だとも言われているそうですが、他に類例もなく結局何の意味であるのか良くわかっていません。

衣の線で体を表現するというのはギリシャ・ローマ的だそうですが、そもそも描写が洗練されているわけでなく、むしろ自由な表現にこそ良さがあります。しかし目を凝らすと人物の手はブランコの棒を握ることが出来ていません。空中浮遊ならぬ何とも滑稽なブランコ乗りでした。

中世はごった煮の時代~ゲルマンとビザンティン~

中世とは大雑把に古代とルネサンスの間の時代ですが、厳密に明確な区分がなされているわけではありません。また当時のイタリアもゲルマンの大量流入もあって乱立状態にあり、必ずしも古代ローマの延長上として存在しているわけではありませんでした。


(スライドから)

ゲルマン:ランゴバルド王国 フランク王国 イタリア王国
ビザンティン:東ローマ帝国(初期キリスト教)

ゲルマンの要素~ランゴバルド美術の祭壇レリーフ~


サンタ・マリア・イン・ヴァッレ修道院聖堂祈祷堂付属博物館 祭壇「栄光のキリスト」

中世美術特有の自由な表現の一例として挙げられたのがこの祭壇彫刻です。中央にキリストが立ち、そこをセラフィムが囲んでいますが、それにしても「物凄く変な顔」※ではないでしょうか。つまらなそうな表情といい、余りにも「気合いの入った」※(金沢先生談)手の表現には、金沢先生の解説を含めて思わず笑ってしまいました。

はちゃめちゃ(?)な「冥府降下」と「ヘロデの宴」~サン・ゼノ・マッジョーレ聖堂~

ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナは、北方との中継地として、ドイツの高い鋳造技術を取り入れた作品が存在します。


サン・ゼノ・マッジョーレ聖堂 扉装飾パネル 「冥府降下」

それがこの「冥府降下」と下の「ヘロデの宴」です。「冥府降下」では飛び出す悪魔がキリストの存在を凌駕する表現に、また「ヘロデの宴」ではアクロバットに反り返ったサロメに度肝を抜かれます。


サン・ゼノ・マッジョーレ聖堂 扉装飾パネル 「ヘロデの宴とサロメの踊り」

ここに19世紀美術ではお馴染みの妖艶なサロメ像は全く見られません。手で足を掴むほど強く反る様子は、むしろ踊るという体操のようでした。ちなみにこの一生懸命さ、また何かを伝えようとする素朴でかつ直接的な表現こそ、中世美術の最大の面白さであるのだそうです。

壮麗なモザイク画~ビザンティン様式~

きらびやかなモザイク画も中世美術の見所の一つです。


サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂 「最後の審判」

ヴェネツィア本島から離れたトルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の後陣の「聖母子像」、そして向かいの壁に描かれた「最後の審判」は中世モザイク画でも必見の作品だそうです。


サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂 「聖母子」

なおこの「聖母子像」は立ち位置によって見え方が変わります。また「審判」の細かな表現、例えば魚の口から手足が出ているグロテスクな部分もどこかコミカルでした。

ロマネスク~新しい表現~


カタルーニャ祭壇 板絵

古代ローマの建物をキリスト教に置き換えたロマネスクはヨーロッパ各地に点在し、その起源もよくわかっていません。イタリアでは有名なピサの斜塔もロマネスク様式の建物だそうですが、この祭壇画も同様です。ここに見られるようなシンプルながらも力強い造形は、例えば後のピカソにも影響を与えました。


パルマ大聖堂 柱頭

ルネサンスの傑作、コレッジョのフレスコで有名なパルマ大聖堂も実はロマネスクの様式に則った建物です。内部はルネサンスのフレスコで埋め尽くされているので一見、中世とはわからないそうですが柱などの細部に注目してください。そこには中世ならではの摩訶不思議な彫刻がいくつも登場していました。


パルマ大聖堂 柱頭

この角を持った男はアレクサンドロス大王という説もあるのだそうです。


パルマ大聖堂 アンテーラミ「十字架降下」

内陣にある「十字架降下」の造形からもその悲しみがひしひしと伝わってきます。中世美術ならでの迫真性は見事なまでに示されていました。

(スライドから)

トークはここで触れた以外の作品についても解説があり、予定をオーバーしての全2時間の大熱演となりました。私の拙いまとめではうまく伝えられないのが残念ですが、金沢先生のユーモア溢れるトークで笑いありの2時間だったことを付け加えておきます。もちろん会場も大盛況でした。



講演にも多数使われたスライド図版は当然ながら今回出版された「イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア」にも多数掲載されています。北イタリアの主に聖堂に焦点をあて、美しい写真とともに紹介された中世美術を見ていると、あたかも自分が彼の地を旅している気分になってきました。美術好きにはもちろん、旅行好きにもおすすめしたい一冊です。

「イタリア古寺巡礼―ミラノ→ヴェネツィア/金沢百枝,小澤実/新潮社」

金沢先生はツイッターアカウント@momokanazawaもお持ちです。可愛らしいアイコンがあがってくるたびに嬉しくなってしまいます。もちろん要フォローです。



定評のある新潮社とんぼの本シリーズです。大概の書店の美術か歴史コーナーの目立つ場所に置かれていました。まずは書店にて是非ご覧下さい。
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講演会:「知られざる山種コレクション」 山種美術館

山種美術館(渋谷区広尾3-12-36
講演会「知られざる山種コレクション」
日時:7月24日 17:15~
講師:山下裕二氏(明治学院大学教授、山種美術館顧問)

山種美術館で開催中の「江戸絵画への視線」展に関連した山下先生の講演会、「知られざる山種コレクション」を聞いてきました。



大筋で内容は展示作品を一点一点スライドで解説していくものでしたが、早速以下に写真を交え、その様子を簡単にまとめてみます。(なお座席の関係で写真が山下先生のブロマイド状態になってしまいました。山下先生、申し訳ありません。)

~山種美術館と知られざる江戸絵画コレクション~

・茅場町から仮住まいの三番町、そしてこの広尾へと移転してきた山種美術館。
・近現代の日本美術コレクションに定評がある。
・開館一号展はすぐに速水御舟展と決まった。美術館の目玉はやはり速水御舟。
・しかしながら近現代日本美術以外にも知られざるコレクションがある。
・それが今回展観の江戸絵画コレクション=非常に高いクオリティ
・今回、茅場町時代以来、約20年ぶりとなる江戸絵画の展覧会である。(平成元年の「江戸の絵画展」以来。)
・出品にあたっては作品を改めて調査した。(また前回の浮世絵に関しても改めて内容を精査している。特に写楽の作品は重要。)

~琳派の諸作品について~

【宗達は野蛮なデザイナー】


「四季草花下絵和歌短冊帖」俵屋宗達絵 本阿弥光悦書(17世紀)

 ・短冊帖の上に金銀泥をあしらった作品。
 ・銀は黒く焼けてしまう傾向があるが、この作品に関してはむしろ良い感じの焼け方をしている。
 ・保存状態は超一級。
 ・光の当たり方によって輝きが変化していく様に注目して欲しい。
 ・短冊と言う細長いフォーマットを逆手にトリミングの妙味で魅せる作品。
 ・小さな画面にも関わらず大きな世界を作っている
 ・空間にモチーフを収めるのではなく、あたかもそれを鉈でぶった切るかのように世界をつくる。
 
【宗達=鉈、光琳=包丁、抱一=かみそり、其一=メス】


「新古今集鹿下絵和歌巻断簡」俵屋宗達絵 本阿弥光悦書(17世紀)

 ・元々は20m近くある作品。その巻頭部分を山種美術館が所有している。
 ・後半はシアトル美術館が所蔵。以前、サントリーの展覧会で展示された。
 ・表具も重要。細かな刺繍の入った着物を転用したのではないか。
 ・上下空間をぶったぎる宗達の腕力を余すことなく楽しめる名品。
 ・宗達=鉈、光琳=包丁、抱一=かみそり、其一=メス、とは言えないだろうか。

【槙楓図で追う琳派の系譜】


「槙楓図」伝俵屋宗達(17世紀)

 ・保存に関してはあまりよくない。補彩もある。
 ・宗達オリジナルかどうか意見が分かれる。ただし同時代の宗達に近い者の作品であることは間違いない。
 ・直立する幹をうねる幹の対比などに独特の魅力がある。オリジナルであるかどうかは問題ではない。
 ・琳派の系譜にとって重要な作品。光琳に同じ作品がある。おそらく光琳はこの作品を見て描いた。(=槙楓図屏風)

【照明の効果~巧みな奥行き感】


「秋草鶉図」酒井抱一(19世紀)

 ・美術館創設者、山崎種二が所有する以前は、横浜の原三渓が所有していた。抱一の名品。
 ・原が当時、インドの詩人タゴールにこの屏風を見せ、「金地に黒い柿の種の形をしたものを武蔵野の月だ。」と説明しても理解されなかったという。  
 ・図版ではフラットな空間構成にも見えるが、実物には奥行きがある。
 ・土佐派風の秋草と銀の変色した黒い月のコントラスト。
 ・今回の展示では照明も工夫している。LEDで下からの光を強調することで美しい色味を出すことに成功した。
 ・そもそも江戸時代には上からの照明はなく、ロウソクなどの下からの明かりが殆どだった。

【山崎種二の原点は抱一】

「菊小禽図」/「飛雪白鷺図」酒井抱一(1823-28年頃)

 ・いわゆる抱一の十二ヶ月花鳥図と呼ばれるシリーズのうちの2点。全点揃いものでは三の丸尚蔵館の他、プライスコレクションなどが有名。
 ・菊は9月、飛雪は11月を表している。


「十月(柿・目白)」酒井抱一(三の丸尚蔵館蔵。本展非出品。)

 ・山崎種二のコレクション原体験は抱一。主人に赤い柿の描かれた抱一の絵を見せてもらったことに感銘し、絵画のコレクションをはじめた。
 ・その柿の絵を思わせるのがこの「十月」。おそらくこの作品に近いものを見たのではないか。

【抱一と若冲】


「白梅図」酒井抱一(19世紀)

 ・梅の枝が複雑に絡み合う作品。
 ・若冲の梅の絵を抱一は見ていたのではないか。バーク・コレクションの「月下白梅図」との類似性。

【光甫から酒井鶯浦】

「白藤・紅白蓮・夕もみぢ図」酒井鶯浦(19世紀)

 ・20年前は本阿弥光甫の作品とされていた作品。今回の調査で抱一一門の鶯浦の作品だと判明した。
 ・落款が押したものではなく書いてある。つまりは光甫の描いた作を誰かが写したということだ。

~岩佐又兵衛の「官女観菊図」について~



・辻惟雄氏の「奇想の系譜」における原点となる作品。人気こそ若冲に落ちるが、むしろ真価はこれから認知されるだろう。
・特定の場面を描いたわけではない。(伊勢か源氏の特定のシーンではない。)
・ともかくもの凄いのは髪の毛に対する異常な執着。非常に細かに描かれている。
・母を信長に殺された又兵衛は、マザコン的な女性像への追求をやめることがなかった。
・この作品にもまだ見ぬ母の幻影が示されている。
・頬と唇の部分に仄かな朱が入っていることにも注目してほしい。また画面のあちこちに金泥も入っている。
・本作は「金谷屏風」を切り取ったもの。左から二番目のシーンがこの作品。他は散逸しているものもある。



~文人画、またその他の作品について~

「指頭山水図」池大雅(1745年)

 ・指に墨を付けて描く技法を用いた作品。パフォーマンス的に描いたのではないか。
 ・池大雅は天才少年。三歳の時の書などが残っている。

「久能山真景図」椿椿山(1837年)

 ・渡辺華山の弟子の椿椿山の描いた久能山の実景。真景図は比較的ランクが低いとされてきた文人画の中でも高く評価されていた。
 ・中央に小さな人物が描き込まれていることにも注意して欲しい。


「唐子遊び図」伝長沢芦雪(18世紀)

 ・言わば問題作。一度「伝」がとられたこともあったが、今回見ることで改めて「伝」を付けた。
 ・芦雪の師、応挙の作を踏襲して描いたとされる作品。芦雪にしてはアクが強くないが絵自体は良い。
 ・展示することで研究者の議論を呼べばと思っている。

~まとめ・「江戸絵画への視線」とは~


「名樹散椿」速水御舟(1929年)

 ・御舟が琳派を意識して描いた作品。今回の展示ではそれをあえて最後に持ってきていた。
 ・近代絵画から琳派を意識して見て欲しい。
 ・つまり「視線」とは、現代に生きる我々と、御舟らといった近代の画家がどのように江戸絵画を見たのかという、二重の意味で名付けられたものだ。

時間の関係から前半の琳派を過ぎるとやや駆け足での解説となりましたが、いつもの山下先生らしい熱の入ったトークで楽しむことが出来ました。



ところで冒頭、山下先生も触れておられていましたが、江戸絵画の次は開館一周年を記念した「日本画と洋画のはざまで」という展覧会が予定されています。東近美所蔵の安井曾太郎の「芙蓉」などと、山種美術館の日本画の名品を相互に比較し、その間を追っていくという意欲的な内容になるそうです。こちらもまた楽しみです。

なお「江戸絵画への視線」展の私の感想については昨日のエントリにまとめてあります。

「江戸絵画への視線」 山種美術館(拙ブログ)

「江戸絵画への視線」展は9月5日まで開催されています。
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「東北画は可能か?其の一」トークイベント アートスペース羅針盤

アートスペース羅針盤中央区京橋3-5-3 京栄ビル2階)
トークイベント「東北画はとは可能か?其の一」
日時:2010/4/10
出演:三瀬夏之介、鴻崎正武、赤坂憲雄



アートスペース羅針盤で開催されていた「東北画は可能か?其の一」のトークイベント、「東北画とは何か?」を聞いてきました。

出演:三瀬夏之介(東北芸術工科大学美術科准教授)、鴻崎正武(同大専任講師)、赤坂憲雄(同大東北文化研究センター所長)

開始時間に遅れてしまったので不完全ではありますが、以下、トークの様子を、私のメモを頼りに再現してみます。

三瀬 日本画や美術の既存のフォーマットやルールを打ち破りたい。都市から離れた周縁の東北という地のローカル性を特権化するのではなく、そこに住んだという、ようは地に足の着いたような経験から何か立ち上げてみたいと思い企画した。コマーシャルギャラリー的なものの反対にある、言わばもう一つの輪になるようなイベントにしてみたい。これは単なるプロジェクトではなく、一種の「旅」でもある。基地を作り、そこにビバークしているようなイメージだ。だからこそ部屋の壁を外したりして、通常の展示に風穴をあけるような工夫をしている。なお学生に対しては「東北を探しなさい。」という課題を与えた。そこで見たものや感じたものを各自12号サイズの作品に表現している。

鴻崎 東北出身者も多い学生が「東北って何だろう。」と考え、結果的に一つの答えを出さずに、途中で放棄したケースもあった。一方で、東北のドロドロとした怨念のようなものを前面に押し出した作品もある。ちなみに私は福島出身だが、実は東北をあまり好きではなかった。

三瀬 「東北とはこうである。」というようなバイアスをかけられても、学生は「自分はこういう作品を描くぞ。」というような主張をして欲しい。私の京都での画学生時代もそのようなことがあった。日本画家の上村淳之に師事したが、いつも大げんかばかり。「膠の濃度は味で知れ。」云々など指導や、時折の酷評に私は突き放された感覚を受け、逆にそこから自分の表現を追求していくようにもなった。東北画を半ば強要されることは、例えば戦争画を描くことを強制された画家のようなものかもしれない。また東北芸工大には、幸いなことにも通常の美大ではありがちな日本画と洋画の垣根が低い。そういう環境、そして東北の山形という場所の中で、美術やアートと呼ばれるものは何かということに取り組んで欲しい。ちなみにこの展示は次に東北へ持って行くことになっている。

鴻崎 絵画を例えば屏風のように見せる小屋のような空間には賛否両論もあるかもしれない。また展示の自作についてだが、これは福島の双葉町のだるま祭りに取材している。奇怪なイメージを取り込んで街の人に気に入ってもらえるのかという意識はあったが、幸いなことに現地で飾ってもらっている作品だ。ただこれがいわゆる東北画なのかということは分からない。面白いものとつまらないものの境は常に微妙で、その合間にあるのがアートなのではないかと思うことがある。東北画というお題自体にもそういう部分がないだろうか。

三瀬 今回の企画は見切り発車。思いついたのが去年の夏で、そこから半年ちょっとで開催を迎えただけに準備不足は否めない。ただあえてそれでも早めにやっておかないと、どこかで先にやられてしまうような気がする。もちろん3年くらいかけてしっかり準備すれば良かったという反省はある。

鴻崎 芸工大の面白さというのは、普通は殆どが都会にある「アート」をあえて山形でやっているというところがある。わざわざ美術をするために山形に来る学生も少なくない。

三瀬 東京も一地域であるのは事実。山形も制作をして発表、批評、また売買が成り立つような地域になって思う部分もある。

鴻崎 そもそも作家というのは都会や田舎の区分で割り切れるものではない。この「東北画とは何か?」という展示で、色々なところに種を植え付けたいと思っている。

三瀬 東北画を今回のように東京で見せることにも意義がある。あえて本来の地を離れて浮き上がってくるものは多い。もちろん今回の展示がテーマありきでないかという批判もあるだろう。しかしここにある作品は、作家が確かに東北を描いたものばかりなのだ。もし見ている人が「ここに東北はない。」と感じるようであれば、それは逆にその人が東北に対して何らかの先入観を抱いているからではないだろうか。

赤坂 私は18年前に芸工大に赴任した時から、「果たして東北学は可能か。」ということをずっと研究していた。当時の東北の綴られ方は大きく分けて二つある。一つは東北がいわゆるみちのく、辺境の地にある所以にロマンティックな目線で眺められる「辺境へのロマン主義」と呼ばれるもの、そしてもう一つは辺境として逆に差別されてきた負のイメージの堆積でもある「辺境からのルサンチマン」だ。しかし実際に丹念に追っていくと、今の東北の人達には差別もみちのくの意識もそうあるわけではない。むしろみちのくや東北を解放した方が良いではないかと思うようになった。いわゆるみちのく的なもの、つまりそれこそ道の奥に不思議な世界が広がるような感覚は、むしろ東北だけに限らず、京都や奈良、それに沖縄にだってあるのではないだろうか。

三瀬 世界へ繋がる旅のようなものの一つとして、今回のような展示、また場所を考えている。もがいても何か山形からやっていこうという意識。フォーマットを与えると人にはノイズが出る。そうした中でどのように表現、また先にも触れたが、売買に至るまでの生活をしていくのか。作家は色々な方面から様々な影響を受ける。その中でも半ば孤独に作品をつくり、一つのストーリーを紡いでいくことが重要だ。この小屋からそうした物語、また旅をはじめてみたい。

以上です。この後は質疑応答でも活発なやりとりがなされました。

会場はトークのため、足の踏み場もないほどの混雑でしたが、佐藤美術館での三瀬の個展を彷彿させるような一種のカオスな展示がとても印象に残りました。その合間を歩いていると、うっそうとした森の中を彷徨っているような錯覚にも襲われます。作品は行く手を阻み、そして感性を揺さぶってきました。

なお会期は既に終了しましたが、展示の写真は同画廊HPに掲載があります。

「roots/東北画は可能か?」@アートスペース羅針盤

「東北画は可能か?」、「その弐」の展開に期待します。
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「昭和の春信・小村雪岱を応援する(山下裕二)」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
講演会:「昭和の春信・小村雪岱を応援する」
日時:2010/1/31 15:00~
出演:山下裕二(明治学院大学教授)

埼玉県立近代美術館で行われた山下裕二氏による講演会、「昭和の春信・小村雪岱を応援する」を聞いてきました。

山下裕二氏講演「昭和の春信・小村雪岱を応援する」@弐代目・青い日記帳

既にご一緒したTakさんのブログにも充実したレポートが掲載されていますが、ここでは配布されたレジュメと私のメモ書きから、講演の様子を簡単にまとめてみたいと思います。

【雪岱ブーム到来?】~粋でモダンな雪岱~



〔チラシで読み解く雪岱のモダンさ〕
 ・埼玉県立近代美術館のチラシ:英語で「Settai」のロゴ=「せったい」とまだ読める人は少ないから。かつての「若冲」と同じである。(雪岱が若冲になれるように『応援』するのもこの講演の主旨の一つ。)
  →サブタイトルは「粋でモダンで繊細で」=雪岱の本質を示す的確な言葉。古き良き江戸・東京のカッコいい感覚を受け止める表現。
 ・資生堂アートハウス(掛川。雪岱展を開催した。)のチラシ:洗練された漢字のロゴ。埼玉展同様、洒落た印象を与える。
  ↓
  現代人にも共感を得ることが出来るモダンな魅力。

〔雪岱と同時代の絵師~挿絵画家への熱い眼差し〕
 ・最近の雪岱に同時代の作家の展覧会
  「清方展@サントリー美術館」:清方と雪岱は、ともにこの時代の文化人の磁場のような大きな存在である泉鏡花に関係する。鏡花全集刊行の際、その装丁をともに譲り合ったというエピソードもあった。
  「鰭崎英朋@弥生美術館」:同じく泉鏡花本の装丁などを手がけた。
  「夢二@日本橋三越」、「杉浦非水@宇都宮美術館」など。
  ↓
  現在、かつての美術史の文脈から軽視されてきた「挿絵」というジャンルに注目が集まっている可能性も。

【雪岱との出会い】~これまでに出会った雪岱作品からそのエッセンスを読み解く~

〔全ての原点は一冊の図録から〕
 ・リッカー美術館で開催(昭和62年)された「小村雪岱」展の図録=これで初めて雪岱の魅力を知る。
  展覧会は残念ながら見ていないが、美術史学科の助手だった29歳の時、古書店で入手した。
  それ以前、例えば大学の講義などで雪岱の名前を聞いたことはなかった。
  表紙は「おせん」(昭和16年頃)だった。

〔雪岱と春信〕
 「春雨」(昭和10年頃)をすぐさま見て思い出したのが春信
  →春信「雪中相合傘」に似ている。=雪岱はきっと春信を消化したのだと感じた。

〔雪岱と国貞〕
 「赤とんぼ」(昭和12年頃)=国貞風の『エグ味』
  眉の感覚が狭く、多少受け口気味の人物表現。またもみあげ、鬢(びん)に独特のフェティシズムを見出すことが出来る。

〔斜線の効果〕
 「灯影」(昭和15年)の描写。エグ味の中和された温和な表現。
  顔は国貞だが、中間色を用いた色味は春信風。そして注目すべきは斜線の効用。単純化された斜線が美しい。=「縁先美人」でも障子の斜線が印象に深かった。



〔傑作「青柳」〕
 青畳の上に三味線と筒。意味ありげなシチュエーション。稽古の前なのか後なのか。=一つのストーリーを切り取った『断面』を巧みに見せる手法。
 畳と柱の曲線と柳の曲線のバランス。また瓦も単純な色面の中に細かなニュアンスがある。=福田平八郎の「雨」にも似ている。
 →福田平八郎はひょっとして雪岱を見たのではないだろうか。

〔複製と原画〕
 私と雪岱は図録の初体験同様、殆どが作品の複製によっている。しかしそもそも、雪岱はその複製制作を生業としていた。原画に恭しく敬意の払われる場所ではない、20世紀の「複製技術時代の芸術」の象徴的事例ではないだろうか。

【その後の雪岱体験】~雪岱関連書籍など~

・「小村雪岱」星川清司著 平凡社 1996年(絶版):清方と泉鏡花全集についても言及。雪岱と鏡花との出会いなどの記述があった。
・埼玉県立近代美術館「小村雪岱・須田剋太展」図録 1998年:謎めいた取り合わせの二人展の展覧会図録。
・平凡社ライブラリー「日本橋檜物町」 2006年:雪岱の追悼画集。古書で購入した。
・小村雪岱夫妻肖像写真:資生堂アートハウスで初見。展示図録に掲載されていた。しゃがむ雪岱と素朴な印象を与える妻が立つ構図。ちなみに妻は雪岱の死後、数年で亡くなっている。
 →雪岱は1940年に亡くなった。戦前のそうした時期に生涯を終えたということもまた、雪岱を言わば忘れられた作家にさせてしまった理由の一つかもしれない。一方の清方は戦後も生き続けて名を馳せた。

【そしてこの展覧会】~出品作解説~ 



・「川庄」(昭和10年頃)
 布を斜めにあわせた美しい表具。(=斜めに走る格子と同様に斜線の効用が見られる。)
 「心中天網島」の愛想づかし(男女の別れ)の場面。 雪岱風の女性と『シュッ』と立つ男性の取り合わせ。=洗練された印象。



・「見立寒山拾得」(制作年不詳)
 春信の「見立寒山拾得図」(墨流し)を消化した一枚。=春信は見立画の名人。
 春信が見立を絵画モチーフで詳細に説明するのに対し、雪岱はそこまで説明しない。=春信のセンスを『濾過』

・「美人立姿」(昭和9年頃)
 S字型の春信風人物表現と国貞風の顔。
 右下のカヤツリグサと桔梗のセンス=由来は琳派、しかも宗達の金銀泥下絵ではないか。
 雪岱は東京美術学校卒業後、国華社に入社し、木版制作に従事した。そこで宗達の下絵を学んだ可能性がある。

・「菊」(初期作)
 十二単の女性。全く雪岱らしくない。まさにやまと絵風。
 雪岱は美術学校時代、古典的な作風で知られる松岡映丘に師事した経歴がある。そこでやまと絵の素養を養ったに違いない。
 絵巻物では構造物を斜線で示すことが多い。雪岱の俯瞰する視点も、松岡映丘のやまと絵を通した絵巻物の吹き抜け屋台の構図から摂取したのではないだろうか。
 
・「青柳」・「落葉」・「雪の朝」
 おそらくは四季山水図を意識した4連作シリーズ。うち3作が現在揃っている。=「引き蘢もり四季山水図」
 何れも人がいない。そこに雪岱の洗練された心象風景が広がる。
 「夏の景」だけが不足。それを想像するのも楽しいが、そのヒントに泉鏡花の最初の挿絵集「日本橋」をもってくることが出来ないだろうか。構図、モチーフに似た要素が多い。

・「春昼」(明治42年)
 東京美術学校の卒業制作作品。意外な厚塗りで、雪岱らしいキレの良い線描は見られない。
 雪岱の画風はあくまでも時間を経過した試行錯誤の末に確立したことがわかる。

【雪岱の現代性】~古今のさかいをまぎらかす~

 雪岱はやまと絵を摂取しただけでなく、例えば仏教美術に対する思い入れも深かった。(阿修羅への記述なども確認出来る。)
 圴質でかつニュアンスのある線は仏画を見たからではないだろうか。(一方での清方の線には抑揚がある。)
 ↓
 かつての日本の美術の蓄積(春信、仏画、やまと絵、琳派など。)を受け止め、それを当時の現代的なファッションの感覚を取り入れてアレンジしていったのが雪岱。
 =「和漢のさかいをまぎらかす」とは室町の茶の湯の世界で語られた言葉だが、雪岱はまさに日本美術の「古今のさかいをまぎらかし」たに違いない。

タイトルに「応援する」とあるように、雪岱の生涯なり業績を追い過ぎることなく、随所に山下さんらしい鋭いジョークも交えた楽しい講演でした。立ち見席も出る盛況でしたが、90分、あっという間に終わってしまったような気がします。

講演の前後に雪岱展を拝見しました。感想は別途記事にします。

展覧会は2月14日までの開催です。
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「没後400年 特別展 長谷川等伯」 記者発表会

来春早々、上野の地に史上空前(東博副館長談)の長谷川等伯展がやってきます。先日、東京国立博物館で行われた「特別展 長谷川等伯」の記者発表会に参加してきました。



国立博物館クラスでの桃山・江戸期の絵師の回顧展というと、かつての若冲、永徳など、近年は京博のみで行われてきましたが、今回の長谷川等伯に関しては、有り難いことにも東博と京博の二会場で開催されます。まずは展示のスケジュールをあげてみました。

「特別展 長谷川等伯」
東京展(東京国立博物館・上野)  :2010年2月23日(火)~3月22日(月・休)
京都展(京都国立博物館・東山七条):2010年4月10日(土)~5月9日(日)


東京展が先行します。それにしても会期がそれぞれ25日と27日間しかありません。非常にタイトなスケジュールです。



続いて本展の見どころです。

・没後400年を記念した、かつてない規模での長谷川等伯の回顧展。
・国宝3点、重文30点を含む、計80点にも及ぶ等伯の名品を一堂に展観。
・「信春」と名乗った七尾時代の画業初期から、上洛後、画壇に地位を占める晩年まで、その生涯を絵画とともに辿る。
・仏画、障壁画、水墨画などのあらゆるジャンルの等伯画を結集。
・国宝3点、「松林図屏風」(東博)、「楓図壁貼付」、「松に秋草図屏風」(智積院)については全期間展示。(その他の作品については一部、展示替えあり。)
・縦10m、横6mに及ぶ大絵画「仏涅槃図」(本法寺)を公開。
・国宝「松林図」と関係が伺われるもう一つの松林図、「月夜松林図」を東京で初めて展示。
・本展開催における研究で等伯の真筆であることが確認された「花鳥図屏風」を公開。(後ろに写真あり。)



発表会では展示の内容について東博、京博の学芸員の方から説明がありました。以下、そのポイントを三つに絞り、出品作とあわせてご紹介したいと思います。

【その1・仏画】
能登の畠山家家臣の奥村家の子として生まれた等伯は、「信春」と名乗り、縁のあった日蓮宗寺院に関する仏画を制作した。上洛後も日蓮宗僧侶、日通との親交を続け、熱心な法華信徒として活動する。本展では「信春」時代の作品(15点)など、あまり知られない等伯の仏画を紹介する。



・長谷川等伯 重要文化財「三十番神図」(1566年・大法寺)
法華経の守護神である三十番神が精緻に描かれている。信春時代の仏画としてもとりわけ色彩鮮やかな作品。各神像の背景には手長猿も見ることが出来、後の水墨画との関連も指摘出来る。



・長谷川等伯 重要文化財「日堯上人像」(1572年・本法寺)
本法寺の第8世、日堯上人が説法を行う姿が描かれている。ちなみに本法寺とは等伯の生家の菩提寺の本寺。等伯はこの寺の伝手にて上洛することが出来た。



・長谷川等伯 重要文化財「仏涅槃図」(1599年・本法寺)
等伯が61歳の時に描いた縦10mにも及ぶ巨大な仏画である。京都三大涅槃図の一。完成時は宮中で披露された。絵の中には等伯一族の名も記され、その厚い信仰心を伺うことが出来る。本展のハイライトでもある。



・長谷川等伯 重要文化財「日通上人像」(1608年・本法寺)
本法寺ぼ日通上人の死に際し、等伯が70歳の時に描いた肖像画。日通は等伯と、住職、信徒という関係でなく、一友人としての深い交流があった。またこの交流から、等伯にまつわるエピソードなどを記した「等伯画説」が誕生している。そこには等伯の会話や絵画観などが書き残されており、日本最古の画論書でもある。

【その2・水墨画】
国宝「松林図屏風」をはじめとした水墨画群を紹介する。



・長谷川等伯 重要文化財「枯木猿猴図」(龍泉庵)*東京展:前期2/23-3/7、京都展:後期4/27-5/9
元は屏風絵。4面あったとされる1部より抜き出している。等伯は水墨の技法を、中国の画家、牧谿の作に倣っていたが、中でもとりわけ優れているのが本作である。母子猿や父猿の長閑な様子、そしてそこから感じられる家族愛、さらには柔らかく温和な雰囲気などは、牧谿を通り越した等伯独自のものであると言って良い。



・長谷川等伯 国宝「松林図屏風」(東京国立博物館)
しっとりした大気の中に佇む松林の姿が描かれている。かつて日本で最も好きな日本画は何かと聞くアンケートがあったが、その中でも一位にランクインしたことがあるくらい有名な作品。遠くに雪山を望み、その前で展開される冷やかな空気と柔らかな光の動きが、まさに日本人の知る心の原風景に近い光景を生み出した。とは言え、全景の緩やかな気配とは一転し、近づて見ると紙がふやけるほどの荒々しいタッチにて墨線がひかれていることが分かる。ここに自然の深遠さを会得しつつ、波乱に満ちた等伯の生涯を重ね合わせることが出来るのではないだろうか。



・長谷川派「月夜松林図」(個人蔵)
国宝「松林図」は長らく他に関連する作品を見出すことができなかったが、現在では本作がそれに先行するものとして知られている。つまりは等伯の「松林図」を考える上で極めて重要な作品。久々に展覧会に出品される。(東京では初公開。)

【その3・金碧障壁画】
新発見の「花鳥図屏風」をはじめとして、国宝「楓図壁貼付」など、桃山文化を代表する金碧障壁画を総覧する。





・長谷川等伯 国宝「楓図壁貼付」/国宝「松に秋草図屏風」(1593年頃・智積院)
いわゆる桃山期の大画様式は狩野永徳が大成したものだが、それを参考にしながらも、等伯独自の画風を確立させた障壁画として名高い作品。秀吉の長男、鶴松の菩提を弔うために建立された祥雲寺(現智積院)に描かれた。力強い巨木こそ永徳を彷彿させるが、細かな葉や花などの描写は、装飾性と艶やかさを兼ね備えた等伯ならではのスタイルと言って良い。

・長谷川等伯 「花鳥図屏風」(個人蔵)*作品写真は下に掲載*
等伯は40代の頃、まだ信春を名乗っていた時期の作品である。今回の展観にあわせて彼の作だと断定された。等伯の金碧障壁画は「楓図」以前、殆ど描かれたことがなかったのではないかという考えもあったが、本作の発見によってそれは覆された。松の天秤型に開く樹木表現、もしくは細かな葉の描写などに、楓図と関連づけられる部分が見られる。



その他にも川村記念美術館の重要文化財「烏鷺図屏風」なども出品されるそうです。壮観なラインナップではないでしょうか。



続いて本展でも紹介される新出の「花鳥図屏風」の公開が行われました。なお撮影が可能だったので、ここに私の撮った写真をいくつか掲載してみます。




大きく迫り下がる金の雲霞の他、楓図同様、左右に広がる枝振りと装飾的な花々、そしてその背景に見られる応挙風の荒々しい滝などが印象に残りました。

なおかつての等伯展というと、石川県立美術館や京都市美術館などで30~40点規模のものはあったそうですが、質量ともにこれほどの内容が揃ったことはなかったそうです。「空前」という言葉もあながち誇張ではないことをお分かりいただけるのではないでしょうか。

少し先の話ではありますが、いまから来春の上野の日本美術は長谷川等伯で決まりとなりそうです。心待ちにしたいと思います。

*展覧会基本情報(東京展)*
名称:「特別展 長谷川等伯」
会場:東京国立博物館(台東区上野公園13-9)
会期:2010年2月23日(火)~3月22日(月・休)
休館:月曜日。但し最終日の月曜(休日)は開館。
時間:午前9:30~午後5:00。金曜は午後8時まで。
料金:一般1400円、大高生900円、中小生500円。(前売はそれぞれ200円引)なおペア券2000円を12月23日まで発売

*作品の写真、また図版の掲載は許可を得ています。
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「出たトコ次第のフリー・トーク 青柳館長とHASHI(橋村奉臣)」 国立西洋美術館

国立西洋美術館台東区上野公園7-7
「出たトコ次第のフリー・トーク 青柳館長とHASHI(橋村奉臣)」
10/10 16:00~17:30
出演:青柳正規(国立西洋美術館長)・HASHI(写真家)・後藤繁雄(司会・編集者・京都造形大教授)

「ローマ 未来の原風景 by HASHI」展に関連して開催されたトークショー、「出たトコ次第のフリー・トーク 青柳館長とHASHI(橋村奉臣)」を聞いてきました。

タイトルに「出たトコ次第」とあるようにテーマはありませんでしたが、基本的に司会の後藤氏が、青柳館長とHASHIに色々と質問を投げかける形でトークが進みました。



後藤繁雄(司会) まずともかくHASHI展の会場が暗い。その意図とは。

HASHI(写真家) 千年先の未来より今を見ているという展示コンセプト。1000年前のことは分からないだらけだと思うが、その分からないことが面白いという面も大きい。全てを見せるのはつまらないから。(笑)暗くして異次元に入ったようなイメージを作ってみた。キャプションなどは見えにくいかもしれないが、作品メインで勝負しているつもり。

後藤 ローマ帝国は長い歴史を持つ、今回の展示はアウグストゥス前後に絞られているが、歴史の中の時間、運命というものを考えると感慨深いものがある。青柳館長は遺跡の発掘作業にも携わっており、地下の暗い所からものを掘り起こしている。そうした方があの暗がりの展示を見るとどうした印象を受けるのだろうか。

青柳正規(国立西洋美術館館長) 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という概念がある。これは完全な真っ暗闇の中に小川や庵などのセットを拵え、視覚障害者のサポートの元に歩き回るというものだが、これに参加すると、普段我々がいかに視覚のみで世界を認識しているかということがよく分かる。闇の中に入ると視覚の他、触覚や嗅覚までを総動員しなくてはならない。HASHIさんの展示空間もそういうものに近い。こちらの視覚を揺さぶるような、この絵から何を感じているのかという問いを突きつけられているような気がした。

後藤 写真は光の芸術でもあると同時に闇の芸術でもある。

HASHI 自分が日本を離れる時、まず視覚芸術を志した。ただまず言葉の障害にぶつかる。コミュニケーションツールとしての言語がわからない時にどう対応するのか。異文化に接する時に自らの感覚を研ぎすます必要性を感じた。

後藤 光は闇の中に希望を与える。それは違う街で闇雲に生活しながら、ある時、何か開けてくるような希望に近くないだろうか。あの展示室の光と闇の関係もそういう面があるのか。

HASHI 自分は常にあと何年生きられるのかという問いを持っている。何を自分の生きている証にするのか。何か残すものを作りたい。その点に闇から光を見たいという意識はあるかもしれない。

青柳 4年前にはじめてHASHIさんに出会った。まずは作品の写真の素晴らしさを見て驚き、それが結果、今回の展覧会の開催にも繋がることになった。「詩は絵画のように。」や「建築は凍れる音楽のように。」と言った言葉があるが、HASHIさんは写真の領域を超えようとしている。例えばリンゴの腐る過程をおさめた作品のように、写真の中に時間が入っている。あとシャンペンを開けた時に吹き出る泡を捉えた一枚。あれを見ているとイオニア哲学の矢のエピソードを思い出す。それは飛んでいる矢は各瞬間に分割することによって実は静止しているという内容だが、HASHIさんの写真はまさにそれ。そして今、西美に出ているシリーズも将来から今を辿るという時空を超えた関係を一枚の写真で表現している。どうやってそうした表現がカメラで出来るのか不思議に思うくらいだ。

HASHI 普通のものの捉え方をしたくないという気持ち。今までにない、出来なかったことをしたい。違うことを考える。そしてそこから色々なイメージを生み出してみる。死のイメージ、ローマはこの後どうなるのだろうなどと考えると、今回のシリーズのような作品が出てきた。

後藤 千年の未来を想像するということは無常観的な部分がある。HASHIの死生観とも何か関連しているのか。

HASHI 少し前に流行った「千の風になって」の詩に共感したことがある。また人との繋がりを大切にするのが自分のポリシーだが、その反面、人とは必ず別れなくてはならないという定めもある。展示室に瞑想ノートというのを設置した。モネが良かったなど書いてあったこともあるがそれで良い。(笑)写真を見ながら別のことを思う、考える切っ掛けになってくれればそれは嬉しい。

後藤 ローマ帝国は古代の遺産。一方でHASHIは千年先から見るローマを表現した。自分たちが発掘されるという感覚なのか。

青柳 ローマの文化の特徴の一つに徹底的に頑丈なものをつくるということがある。例えばコロッセオや水道もそうだ。そしてこの壊れないものへの憧れというのは、それぞれのローマ皇帝が自分の名を残したいとして政策に励んできたことにも関係する。ローマで最大の罪は名前が歴史が抹消されること。ようは明るい展示室(=ローマ帝国の遺産展)にはそうした意思の力が働いて残されたもの、一方での暗い展示室(=HASHI展)には時間とともに朽ち果てるものをなどを示している。そこにヨーロッパ的な永続性と日本的な無情観との関係もあるように見えるが如何だろうか。

後藤 ローマでの撮影現場はどのようにして探したのか。

HASHI 本当に偶然だったが、お互いのスケジュールがあってイタリアで館長にお会いした。そしてその時、色々な土地で感じる「気」のようなものを得ることが出来た。地下から湧き出るもの、イマジネーションのようなものかもしれない。それはかつて戦場の遺骨発掘に同行し、あたかも地下から骸骨に覗かれているような感覚を受けたビルマの時と同じだ。ローマでも何かに見られているような気がした。

青柳 ローマは撮る場所が多過ぎる。HASHIに色々アドバイスした。

HASHI 意外とつまらない場所もあったりして。(笑)

後藤 青柳館長はローマでの発掘作業に携わる際、例えばローマに対してHASHIのようなイメージを感じることがあるか。また発掘に際してのキャッチアップのイメージはどうなのか。

青柳 ロンドンとパリそしてローマのイメージの違いを大雑把に挙げてみたい。ロンドンがジェントルマンが鷹揚に生活するのに対し、パリは40歳くらいの貴婦人が街を闊歩している。そしてローマはというと、年金生活者がのんびり日向ぼっこをしているようなイメージだ。(笑)HASHIは自分の感覚で欲しい場所をキャッチアップしているが、我々は逆にそうしたものを抑えて、過去の研究や蓄積などに目を向けて、言わば当たり前のものをキャッチするのが仕事。狙っているところは当然ながら違ってくる。

HASHI ただ青柳さんは学者であり発掘者。しかもそのノリは半端じゃない。本当のパーソナリティーはそちらにあるのじゃないの?(笑)

青柳 自分らの世代にはどこかで何か大きなことをやってやろうという意識はある。(笑)世界へ向けて。

HASHI 僕は日本で居場所がないから半分仕方なくアメリカへ行った。

青柳 最近、何故かイギリス人の友人が増えてきた。その反面イタリア人には疲れてきたが…。(笑)そしてイギリス人の利点として母語、つまり英語でどこへでも勝負出来るというものがある。一方でHASHIさんみたいな母語が英語でない人種は凄く苦労。私は人材というものは才能があるのにそれに見合った地位に就いていない人を指すものだと考えている。そうした意味での英語圏の人達は人材が殆どもういない。既に世界のマーケットに飛び出している。逆に日本人、そして特にHASHIさんのようにいきなり飛び出した人は大変な苦労をしなくてはいけない。

後藤 ローマに全く立場の異なるこの二人、青柳館長とHASHIがたどり着いて巡り会ったという部分に、何か見えない「縁」のようなものを感じる。HASHIにとってローマに対面した時の気持ちはどのようなものだったのか。

HASHI ローマは僕のようなNYにすむ人間にとっては歴史の重みを感じる街。ただとても大らかなムードを感じた。みんな自分のペースで動いて出会いを大切にしている感じ。話さないと仕事にならないのが写真家だが、会話の反応も楽しかった。

青柳 ローマは世界的な歴史の節目に登場する極めて重要な都市。その重みは大変なものがあるが、さらにローマはその歴史の舞台がいくつも残っているのが非常に興味深いところ。私は古戦場を見るのが大好き。かつてワーテルローに行ったことがあるが、そこでも歴史のダイナミックな動きというものを感じたことがあった。ローマも同じ。

後藤 展覧会のタイトルに「原風景」とあるが、そのイメージの由来とは何か。遠くへ行った時に見るデジャヴのようなものなのか。

HASHI ローマの景色に対して「原風景」という言葉が似合うかと思って付けてみた。実際、「原風景」はどこにでもあるのではないだろうか。ただ日本を撮ってないのでそこにあるかどうかは分からないけど。(笑)

青柳 私は「原風景」をあまりイタリアに感じない。実は私は子どもの頃、大陸生まれだったので大連から引き上げてきたことがあったが、その時波止場で一人の女性にソーセージをもらったことがあった。自分の中では今、それが「原風景」になっている。(笑)ノスタルジアという言葉には故郷へ帰る時の心の痛みというような意味もあるが、自分でつくる「原風景」の中には誰もがそうした痛みをかかえているのではないだろうか。

HASHI 僕もそんな「原風景」を求めて写真を撮っているのかもしれない。

後藤 HASHIはローマで生活している「人間」も撮っている。これは千年後には皆消えてしまう。

HASHI ああいう風に撮ったのはもちろん見て欲しいイメージが作品だから。本当を言えばもっと色々撮りたかった。ただ他にも生きたい所もあるので、原風景シリーズはさらに発展させて続けたいと思っている。

後藤 歴史は人間が生きたその蓄積。展覧会のように美術品として並べると至って静かなものだが、実際はもっと激動に満ちたものだ。ドラマがある。

青柳 歴史の動きには必然と偶然があると思う。そしてその偶然には個人の動きが強く影響している。例えば五賢帝の一人、名君アウレリウスが何故か暴君を後継者にしてしまって歴史が大きく変わった。

後藤 歴史の中で翻弄される人間という見方もあるのかもしれない。HASHIもNYで時をつくってきた。

HASHI よくアメリカで苦労したと言われるけど、実際、僕の中ではそんなに苦労したという意識はないかもしれない。ローマへ行ったのも行きたいという根本的な欲求があったから。何もテーマを大きく掲げたから良いものができるわけじゃない。準備しなくてもチャレンジする。

トークはここで終了し、その後は会場との簡単な質疑応答が行われました。

Q 果物の前でシャンパンを開ける作品などイメージはどこからわいてくるのか。また今回のHASHIGRAPHYなど手法も多様だが、その発想は?
A 結構「出たところ勝負」でやっている。(笑)実は今回のトークのタイトルもそれにしようと思ったが、美術館という場所で「勝負」はないかと思ったので、「次第」に変えてみた。(笑)

Q 若い頃に影響を受けた作家などは。
A 元々、ドキュメンタリーに憧れていたのでキャパ。その後はファンションにも影響を受けたので色々変わったが。日本でもやろうと思ったが、海外の「マネ」が多くて参考にならなかった。

途中、青柳館長と息のあったやりとりもあり、とても開催前日にNYから帰ったばかりとは思えない、HASHIの熱気に満ちたトークを楽しむことが出来ました。ただやや司会の方が「出たトコ」云々のタイトルからするとやや重めの、いささか観念的な問いが多かったので、もう少しざっくばらんにHASHIと館長に語ってもらっても良かったような気がします。



なお先日に感想を挙げたばかりですが、現在、国立西洋美術館ではHASHIの個展、「ローマ 未来の原風景 by HASHI」(~12/13)が開催されています。

「ローマ 未来の原風景 by HASHI」 国立西洋美術館(関連エントリ)

そちらもあわせてご覧下さい。
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「ゴーギャン展」 東京国立近代美術館(Vol.2レクチャー)

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「ゴーギャン展」
7/3-9/23



プレビュー当日、内覧に合わせて開催された、東京国立近代美術館学芸員の鈴木勝雄氏のレクチャーを聞いてきました。少し遅くなりましたが、その様子を以下にまとめます。鑑賞の際の参考にしていただければ幸いです。

【ゴーギャン展概略~一点一点が見るべき作品であること~】(近美館長の冒頭挨拶)

・東京国立近代美術館で開催されるゴーギャン展は今回で2回目である。
・87年の回顧展は全150点と、今回の53点の約3倍近くあったが、一つ一つの作品の見応えという点に関しては遜色ないものだと考えている。
・05年にゴッホ展を開催したが、彼とゴーギャンは何かと対比的に受け止められることが多い。そのゴッホ展を終えてからのゴーギャン展というのも何かの縁ではないだろうか。

【「我々~」との出会いについて~畢竟の大作「我々」~】(以下、学芸員鈴木勝雄氏のレクチャー)

・「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を東京で展示出来たことに私自身興奮している。
・以前、ボストン美術館でも作品を見たことがあったが、その際は意外と小さいという印象を受けた。しかしながら今回、梱包より「我々」を取り出した際、その大きさとともに、これが壁画としての意識を持って描かれた作品であること、また紛れもない畢竟の大作であることを直感的に確信した。

【展示の構成と見所】

・展示は画業初期より独自のスタイルを確立して、タヒチより「我々」、さらにはそれ以降最晩年の作品までを追えるような流れとなっている。
・出品作53点を時代別に辿った。そのためテーマ別の展示を行っていない。

『第一章/野性の開放~タヒチ以前のゴーギャンにも存在したゴーギャン的なもの~』

・1882~83年、まだゴーギャンが株式仲買人として生計をたてていた頃の作品から展示は始まる。ゴーギャンは当初、ピサロなど、印象派の影響を強く受けていた。そこから徐々に独自のスタイルを確立していく過程を追う。



・「純潔の喪失」(1890-91):第一章のハイライトを飾る作品。鮮やかな色の帯を順に重ねてブリュターニュの風景を描く。裸体の少女の横たわる様、右手の花、左の狐など、ゴーギャンが一生をかけて追求した性、誘惑、死のテーマを先取りした作品ではなかろうか。
・ゴーギャンというとタヒチのイメージが強いが、決してタヒチへ行ってから「ゴーギャンはゴーギャンになった」わけではない。「純潔」にも見られるように、ゴーギャンはタヒチ以前でも自らの描く方向性を確立していたのではないかとも考えられる。

『第二章/タヒチへ~対比的な作品、モチーフの変奏と反復~』

・1891年の第一次タヒチ訪問。ノアノアの制作などで一時パリへと戻るが、ゴーギャンが現地の文化、風物をどのようにして発見していたのかを問うような内容にまとめた。

 

・「異国のエヴァ」(1890/94年)と「かぐわしき大地」(1892):モチーフの変奏
 前者はタヒチ以前に描かれたタヒチ的なイメージを呼び込む作品。女性の優美なポーズが印象的である。それがタヒチを経由すると同一モチーフにも関わらず、「かぐわしき大地」のように圧倒的で肉感的な女性の姿へと変化した。
 エヴァの原罪というキリスト教的視点を、タヒチの女性の力を借りて移植していく。同じモチーフの変奏的な発展。以前の絵画をタヒチの経験をもとに咀嚼、新たなイメージを作り上げることに成功した。

 

・「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」(1892)と「オヴィリ」(1894-95):モチーフの反復
 逞しい女性像と石膏の彫像。ポーズに共通点。ともに女性の手には犬らしき動物が抱えられている。タヒチの経験を元に、パリで制作された。
・同一のモチーフを反復させ、それに手を加えることで新たなる世界を作り出す。=ゴーギャンの創作。

『第三章/漂泊のさだめ~「我々~」とそれ以降の作品における青、黄、赤の色遣いの対比について。ゴーギャンの青とは何か~』

・1895年から1903年に死を迎えるまでの晩年のゴーギャンを振り返る。二度目のタヒチ訪問。



・代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(1897-98)について。
 展示のスタイルをどうするのか悩んだ。
 先入観を持つことなく作品の前に立ってもらうことも重要だが、モチーフの反復や変奏がどこまで現れていることも知って欲しい。
 そのため、最近の展示のトレンドでもある映像を補助的に用いることにした。そこで登場人物、テーマ、意味ないようを簡単にまとめてある。とは言え、解釈を押し付けるのではなく、あくまでもキーワードを散りばめただけのつもりだ。観客の想像力は大切にしたい。
 右の赤ん坊、中央の果物をとる人物、右奥の話し込む二人の人物から左端のこちらをじっと見つめる老婆など、生から死のイメージが画面に沿って流れるように描かれている。ポリネシアの月の神ヒナの存在などの意味は、展示後方のパネルでも少し解説した。
・最晩年までに至る6点をまとめて展観。「我々~」以降の展開を追う。



 「ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)」(1898)
 横長のフォーマットからして「我々~」との関連性を伺わせる作品。「我々~」は青を基調としているが、この作品は黄色が基調となっている。
 また「我々~」のモチーフの一部分(寄り添って座る二人の人物)を見出せる「テ・パペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)」(1898)の基調となる色は赤である。
 「我々~」の青、「ファア~」の黄、「テ・パペ」の赤とその色の対比にも注意してみてほしい。
 なおゴーギャンはタヒチの女性に黄金色の肌の黄色を求めたが、「我々~」ではその補色関係にある青が使われている点も興味深い。ゴーギャン自身、黄色や赤を用いた作品は多いが、青を使用したものは少ないので、構想段階より「我々~」は青を使おうという意図があったのではないだろうか。セザンヌは青の美術史にも位置づけられる画家だが、ゴーギャンも色の観点からそう捉えるとまたこれまでに見えなかった世界が開けるはずだ。青の生み出す空間の深さを「我々~」で巧みに用いられたことに関心を持った。

【Q&A~作品数、ゴーギャンの宗教性、最近のゴーギャン研究とは~】

Q 87年の回顧展と比べると作品数が少ないのは何故なのか。

A かつての回顧展の時と同様、国内外を問わずに、数多くの美術館に貸出のお願いをした。今回は少ないという印象を受けられるかもしれないが、主要作を集めたという自信を持っている。またそもそもここ20年で海外館の作品の貸出に関する状況が一変した。(作品の保険料がとてつもない額に跳ね上がっている。)

Q ゴーギャンを宗教画家、キリスト教画家として見る視点はあるのか。

A ゴーギャン自身がキリスト教を意識していたのは事実だが、必ずしもキリスト教の観点からだけ彼を語るのは如何なものかと考えている。キリスト教的文化とタヒチの文化の混合、また野性的な人物としてありたいのかいわゆる文明的でありたいのかという問い、そしてそもそも自分は西洋人でしかありえないのではないかという葛藤などが複雑に絡み合って作品に反映されている。「我々~」においてもリンゴをとる人物を必ずしも私はエヴァと捉えていない。

Q ゴーギャンというとタヒチ時代のイメージが強いが、最近の研究ではどのようなゴーギャン像が見出されているのか。

A ゴーギャン研究の動向を詳しく承知しているわけではないが、最近は何かと付きまとうゴーギャンの「神話」を解体する方向にあることだけは間違いない。繰り返しになるが、タヒチの文化と必ずしも同化しえなかったゴーギャン自身の葛藤などを丹念に見ていくのが主流ではないだろうか。ゴーギャンも植民地支配に対して文章で噛み付いたことなどあったが、タヒチはもとより、最晩年間際に移住したマルキーズ諸島もフランスの植民地に過ぎなかった。またもう一点興味深いのは、絵画の中に登場する何やら不確かな描写だ。例えば「我々~」においてもその画面右上は青みを帯びた部分、もしくはヒナ像近くの小さな水浴図など、いくつか謎めいた表現がとられていることがわかる。こうした混沌としたイメージは他の作品にもいくつか登場するが、何か潜在的なものを画面に組み込み、絵画からさらなる想像力を引き出そうとするのもゴーギャンの一つの試みであった。作品は極めて暗示的だ。

以上です。同じモチーフを使っての反復と変奏というキーワードをはじめ、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とそれに類似する作品の色の関係など、興味深い話を聞くことが出来ました。

なお展覧会の概要、会場の構成、展示の模様については、先日アップした以下の記事を参照下さい。

「ゴーギャン展」 東京国立近代美術館(Vol.1プレビュー):展示の風景など。

また感想は別途に書くつもりです。展覧会は9月23日まで開催されています。
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「ネオテニー・ジャパン 鴻池朋子アーティスト・トーク」 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
ネオテニー・ジャパン 鴻池朋子アーティスト・トーク」
6/27 14:00~15:00



先だって開催されたネオテニー・ジャパン展の関連イベント、鴻池朋子のアーティストトークを聞いてきました。少し遅れましたが、以下にその様子を再現したいと思います。トークはスライドを用い、自身も鴻池のファンであるという、上野の森美術館学芸員、岡里氏との対談形式で進みました。

【霧島アートの森会場について~私は旅をする作家~】

岡里(以下、O) 今日は鴻池さんを迎え、本展の内容、また他巡回先の設営、もしくはグッズの話云々を色々とお聞かせしたいと思う。まずは霧島アートの森(2008/7/18~9/15巡回)の会場についてだが、現地へ行かれてどうだったのか。

鴻池(以下、K) 実際に霧島へと足を運んで色々考えた。私は旅をする作家だと考えていて、今回も全て東京から地続き、鉄道や車を乗り継いで行っている。その長いプロセスの中で何か得られたものがまた自分のイメージの源にもなっているかもしれない。



O 具体的に苦労されたことは。

K パネル7枚にも及ぶ「第4章 帰還-シリウスの曳航」(上野は不出品)の展示位置を決めるのが大変だった。また映像、アニメを展示するために、パーティーションで区切って部屋を作ってみた。その中に作品を3点入れている。



O モニターを用いた映像作品の周囲にはオオカミの毛皮があるが、それはどういったイメージに由来しているのか。

K モンゴルでは年間一万頭、狼が害獣として駆除されている。それを買い取ると自然保護団体などに寄付される仕組みがあるが、私はそれを経由して毛皮を買ってイメージを作った。モニターだけでは少し寂しいこともある。

O モニターを床面に置くアイデアは興味深い。

K 元々、床面へ直接映像を投影する案もあったが、霧島の会場は外光が入り込み易く、うまく見せるのが難しい。よってモニターを床に直置きすることにしたが、そうすることで観客の視線を床へと誘う、ようは前屈みになることで作品のイメージへ入り込みやすくなるような効果が生まれて面白い。不思議と頭を下げて見ると作品に集中出来る。その手法は上野の森美術館でも取り入れた。

【霧島でのワークショップ~作家のコンセプトよりも観客の自由な想像力を大切に~】



O 霧島ではワークショップも開催されたようだが。

K そもそもネオテニーは一人のコレクターの作品を見る展示だが、仮に参加者自身がコレクターだったら何が欲しく、また何を購入してどういう風に置きたいかというイメージを作ってもらうことにした。そして次は作家になったらどういうタイトルで、またどのようなコンセプトで作品を作るのかということを考えてもらう。興味深いのは参加者(この場合は高校生だったが。)がそうした役割を得ると、それまで無口だったのに皆、語り出すことだ。作品への愛着も強くなっていく。



O 石を使ったと聞いたがどういう意味があるのか。

K 桜島の石を用い、白い方に作品を見て得たイメージを上の句として書いてもらう。それを下の句を記した黒い方の石と合わせ、出来上がった言葉のイメージに対して皆で自由に語ってもらう。通常、ワークショップというと作家優位で進むことが多いが、決してそうではなく、作品を見て何を思ってもらうかという観客の視点こそ重要ではないだろうか。それは作家のメッセージよりも上にあるべきだ。

【札幌展について~オオカミのイメージ~】

O 二番目の札幌芸術の森美術館(2008/11/22~2009/1/25巡回)についてはどうだったか。比較的開かれたスペースだったと聞いたが。

K 霧島よりは展示がし易かった。作品を設置するとそのまま世界感がすんなりとまとまる印象。スタッフも熟練していた。



O 実際の展示を振り返って見てどうか。

K 出口付近のスペースだったが、三点を同一のスペースに並べるのだけは大変だった。絵画(明)、映像(暗)、そして「第四章」(スポットライト)のそれぞれの照明も試行錯誤した。それにしても南国の霧島から北国の札幌という距離の移動をしたせいか、同じホワイトキューブにも関わらず、見える景色、また感じる空気が全然異なるのも興味深かった。作品はそれ自体の佇まいよりも、展示の仕方で一変するもの。

O 北海道ではその後、旭山動物園へも行かれたそうだが。

K オオカミはやはり見ておかないと思い、行ってみた。実際に見るとオオカミは、変な言い方かもしれないがただの犬のような感じがする。ただ私がそうして作品の前に、由来する動物を見たりするのは、製作前の心持ちというのが常に弱気だから。一通り見ておくことで奇妙な安心感を得ることが出来る。それも面白い。

O 生きているオオカミを見たのはそれが初めてなのか。

K もちろんそれまでにも見たことがある。ただそのイメージは必ずしも作品に直接反映するというわけではない。繰り返しになるが、あくまでも見たという安心感。だけど見ないと描けないというのがいつもの流れ。

【上野の森の展示について~限られた空間でも出来ることをやってみる~】



O 上野の森の展示でまず注意したことは。

K 天井が低い、また全体が見えないという通路のような引きのないスペース。本来は導入の小品を飾るような空間で、そもそも今回出した大きな絵を見るような場所ではない。しかし今回はあえてそれを逆手にとって「洞窟」のイメージで考えてみた。出来ないことばかりを嘆いていても仕方が無い。この空間で出来ることを考え、それを活かすのが重要。オオカミから絵画、そして池(映像)へのめり込むような流れを大切にしたつもりだ。また最後に次の展示室へと繋がる緩やかな傾斜のスロープがあるが、そこに映像を投影することでこれまでの展示にはなかった雰囲気を出せたと思っている。

O 確かに傾斜をうまく使っての映像作品という印象を受けた。

K 上にプロジェクターを設置し、一度45度の角度に置かれた鏡に映して、床の池へと映像が流れる仕組みにしている。また池の周囲には土手を作ってみた。するとそれらしくなる。



O ライティングは自分のアイデアなのか。

K まず言いたいのは美術館の照明は遅れていること。光の加減によって色々変化するのが作品。もちろん光の種類でも全然異なる。当ててはどうかという単純な作業の繰り返しで今の展示までたどり着いた。相当にこだわったつもりだ。

【展示作品について~コンセプトと作品、そして言葉について~】

O オオカミの「惑星はしばらく雪に覆われる」について。どういうインスピレーションに基づくのか。また製作の具体的な経過はどうだったのか。

K ミラーボール、または鏡に何かが反射してキラキラしている様子が奇麗だなという部分から出発する。しかしそれをすぐ作品のイメージに移植しない。(そうすると失敗する。)六本足のオオカミのモチーフも用い、自分の中でOKを出せるまで噛み砕いた上で作品を作り上げた。ガラス面を貼り合わせるのは大変。実は製作当初、鏡を三角に切ることが出来ずにとても困った。それから5日後、もうダメかと思った時、不思議とこつを掴んだのかすっと切れるようになった。素材とのコミュニケーションが初めて取れるようになったのだろう。そうした時に作品との一体感も生まれていく。

O タイトルにある「雪」とはやはり反射する部分のことを指しているのか。

K 作品を作る段階ではなく、展示の情景が見えた段階で初めてタイトルを付けている。いつも製作中は言葉にならないことが多く、実際の風景が浮かばないと言葉のイメージが浮かんでこない。かつては何故、作品を言葉にしなくてはならないかと思うこともあった。今は言葉との一種の遊び方を掴んでいるような気もするのでそうした思いはなくなったが。



O 今回の絵画、「Knifer life」について。初めて描かれた大きな絵画と聞いたが。

K 大学卒業後は絵をやるつもりなど全然なかったが、初めて画廊に作品を出す時に描こうと思った。(鉛筆でパネルの上に全部で10枚の絵を描いた。)何を描こうかというイメージは基本的に最後にある。絵画でもどのようにして素材(画材やアトリエの空間を含め。)と向き合ったのかが重要だ。またこの作品ははじめに右側を描き、左側はその一年後くらいに描いている。元々は別々の作品だったつもりが、ある時繋げてみようとしてこういう形になった。

O 映像作品、「mimio-Odyssey」について。これは二作目のアニメーションだそうだが。

K 学生の時はアニメーションを作るのが辛くて苦手だった。しかしストーリーとして繋がるかどうかは別として、思い思いに浮かぶワンシーンをいくつか描きためていた。その描きためてあったのがこの映像作品。そもそも製作とは一から全部、コンセプトを含めてしっかりやろうとするのは大変。最後まで集中するのはとても難しい。そもそも私の場合は前もって何かはっきりしたコンセプトがあるのではなく。自分の中の分からないものを断片的に繋げて形にしてから作品にすることが多い。そして繰り返しになるが言葉はその後についてくる。

【グッズについて~作品制作では見えないもの~】



O ミュージアムショップでは鴻池さんのグッズを各種販売している。ぬいぐるみ、スタンプなど。

K 元々、デザインに携わっていたこともあって、グッズをやりたいとは思っていたがなかなか機会がなかった。(流通経路を考えなくてはいけない。)だから今回、こうして実現出来てとても嬉しい。スタンプやマグカップのサンプルを業者の方から持ってきていただき、すぐにやりましょうと答えを出した。絵を描くのもハンコを作るのも変わらない。

O ぬいぐるみについてはどうか。

K タカラより話をいただいた。六本足をどうやって胴体に付けるのかなどはとても難しい。何度も試行錯誤して完成形に至った。またみみおも触った時の気持ちよい感触を出すのに苦労した。商品として出すことで、また作品制作とは違った面も垣間みられて面白かった。



以上です。ご参考いただけたでしょうか。理論やコンセプトありきではなく、展示方法、または作品そのもののを含め、製作全体に関わるプロセスに重きを置いた姿勢がとても印象に残りました。

さてご存知の通り、次の土曜日から東京オペラシティアートギャラリーで鴻池朋子の個展が始まります。

鴻池朋子展「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」
期間:2009年7月18日(土)~9月27日(日)
会場:東京オペラシティアートギャラリー(3F ギャラリー1・2)
時間:11:00~19:00(金・土は11:00~20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館:月曜日(祝日の場合は開館)、8月2日[日](全館休館日)
料金:一般1000円(800円)、大学・高校生 800円(600円)、中学・小学生 600円(400円)
*ネオテニーの半券があると団体料金(上記カッコ内)で入場可能です。またぐるっとパス(フリー入場対象)も利用出来ます。


初台の展示では、地球の中心へ行き、帰って行くという「旅」のイメージが一つのポイントになっているそうです。観客の想像力を喚起させるようなストーリー性にも期待が持てるのではないでしょうか。

ネオテニー・ジャパンの会期も残り僅かとなりました。展覧会は15日まで無休で開催されています。

*関連エントリ
「ネオテニー・ジャパン - 高橋コレクション」 上野の森美術館
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「日本の美術館名品展」(Vol.1・レクチャー) 東京都美術館

東京都美術館台東区上野公園8-36
「美連協25周年記念 日本の美術館名品展」
4/25-7/5



国内の公立美術館より選りすぐりの名品、全220点が集います。東京都美術館で開催中の「日本の美術館名品展」へ行ってきました。

有り難いことにもご縁があって、展示を拝見するに先立ち、東京都美術館の主任学芸員、中原淳行氏のお話を聞くことが出来ました。まずはその内容を本エントリでまとめます。鑑賞の参考にしていただければ幸いです。

美術館連絡協議会(美連協)とは]



・1982年に公立美術館を結ぶ組織として、読売新聞、日本テレビなどの呼びかけによって出来た横断的ネットワーク。
・初代理事長は、美術評論家であり、京近美の館長もつとめた河北倫明氏。現在の理事長は世田谷美術館館長の酒井忠康氏である。
・加盟館は北海道から沖縄まで全124館。巡回、共催展の企画、学芸員の業績研究の公開、また海外への派遣研修(一ヶ月から三ヶ月)などの事業を行っている。

[日本の美術館名品展の成り立ち]

・2007年に美連協が創立25周年を迎えたことを記念して企画された。
・こうした名品展の企画は、たとえば雑誌などの誌上特集としてはあったが、実際の展示で行われたことはなかった。=初の試み。
・各館の所蔵品の状況も配慮して、絵画だけでなく、写真や工芸まで幅広く集めている。
 →各美術館推薦の数点を持ち寄る。=『国内美術館総名品展』
・加盟館124館うち100館よりの出品。一部の加盟館学芸員からはこうした名品展に対しての懐疑的な指摘もなされたが、結果的に努力は報われた内容になったと自負している。 



[本展の内容と意義]

・総勢220点。相当のボリューム感。反面として手狭な都美ではタイトな展示状況となった。(展示設営時間も通常の数倍かかっている。)
 →そのため異例とも言える「展示替え」を途中に挟んでいる。
・名品を集めながら、西洋、そして日本の美術史を辿ることが可能。
・名品展と言えども、コンセプトのない、単なる「陳列」にならぬよう最大限配慮している。
・作品の持つ力を結集させる。また個々の作品をある程度の時代などで括って展示することで、その制作背景や時代性を浮かび上がらせる。
・都美の集客力と宣伝効果
 →地方の美術館は人の集まらない状況が続いているが、東京で紹介することで、観客の興味をある程度そちらへ向けることが出来る。
・キャプション、また図録解説とも所蔵館の学芸員が書き下ろしている。
 →あえて統一された規格を用いないことで、各館の生のメッセージがダイレクトに観客へ伝わるようになっている。
・今回は名品展という形だが、またテーマを変えて次回以降にも繋げていきたい。
 →今回集う名品も「氷山の一角」に過ぎない。



[見てほしいポイント]

・ジャンルと時代の多様性
 西洋と日本。油彩と日本画。そのバリエーション。差異など。
・お気に入りの一枚
 全200点超の作品から「お気に入りの一枚」を見つけて欲しい。
・各美術館への関心
 通常、キャプションの最上段は「作品名」を記すが、今回は美術館名を書いている。作品を見て各美術館そのものに興味を持って欲しい。
・門外不出作品の公開
 痛みのある作品など、普段、所蔵館より出る機会の少ないものも展示されている。
・会場の雰囲気
 作品をビンテージコレクションとして捉え、壁面の色、照明など、デザイナーとも協力して、それを見せるに相応しい展示環境を整えた。

以上です。意外にもこれまでになかった『国内所蔵総名品展』にかける強い熱意を感じました。

Vol.2以降のエントリでは、私の思う見所の他、各ジャンル毎の「お気に入り」の作品などを挙げていく予定です。

*関連エントリ
「日本の美術館名品展」(Vol.2・全体の印象)/(Vol.3・マイベスト)

*展覧会基本情報*
名称:美連協25周年記念 日本の美術館名品展
場所:東京都美術館
交通:JR線上野駅公園口より徒歩7分。
会期:2009年4月25日(土)ー7月5日(日)
時間:午前9時~午後5時(入室は午後4時30分まで)
休館:月曜休室(ただし4月25日~5月10日まで無休)
料金:一般1400円、学生1200円、高校生700円、65歳以上800円
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