「中右コレクション 幕末浮世絵展」 三鷹市美術ギャラリー

三鷹市美術ギャラリー三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5階)
「中右コレクション 幕末浮世絵展 - 北斎・広重・国貞・国芳らの世界 - 」
4/26-6/8



これほど愉しい浮世絵展もそう滅多にありません。国際浮世絵学会の常任理事を務めるという中右瑛氏のコレクションを概観します。三鷹市美術ギャラリーで開催中の「幕末浮世絵展」へ行ってきました。

北斎、英泉、豊国、国貞、国芳、広重、芳年らをはじめとする、約150点余りの浮世絵が所狭しと並びます。タイトルに『幕末』とあるように、その多くは主に江戸時代晩期の作品ですが、いわゆる奇想系が多いのも特徴の一つとして挙げられるかもしれません。妖怪、幽霊はもちろん、風刺絵や戯画、それに文字絵などのマジック絵なども登場しています。なかなか刺激的なラインナップです。



この手の画題を描かせればお手の物と言ったところでしょうか。歌川国芳の「相馬の古内有楽滝夜叉姫と大骸骨」は迫力満点の作品です。滝夜叉姫の操る大髑髏が、まるでカーテンを開けてぬっと首を突き出すかのように登場してきます。そして今回、私の一推しが、この国芳に学んだ芳年による「文治元年平家の一門亡海中落入の図」です。これは壇ノ浦の戦いを題材とした彼の処女作ですが、まさか15歳の少年の手によるとは思えないほどの高い完成度を誇っています。大きくうねる波間には源平の将兵が入り乱れ、海の底には血に染まった武者の屍や、甲羅に悶えの表情を見る平家ガニが象徴的に群れていました。無惨絵の芳年を予兆させる血みどろの世界が早くもここに出現しています。最後の『天才』浮世絵師芳年のデビューを飾るに相応しい作品です。



一般的な社会の題材から、見るも滑稽な画へと仕立ててしまうのも幕末の浮世絵の面白いところです。ナマズの登場する「新吉原大なまず由来」は安政地震に由来しますが、江戸町人たちが地震の張本人のナマズへ仕返する様子が実にコミカルに描かれています。三味線をもってナマズを突く女性の様子や、「ぶちころしてくれるぞ」などというセリフも真に迫っていました。思わずナマズが気の毒になってしまうほどです。



幕末ならではの『異人』が登場してくる点もまた見逃せないところです。ちらし表紙を飾るのはかのペリーの副官を描いた「副官アハタムス像」(無款)ですが、赤い髪の毛やひげなどをはじめとするその誇張された顔面の表現は、いわゆる西洋人に殆ど初めて接した当時の日本人の驚きを見るような気もします。また黒船が巨大な怪物と化した「黒船の図」(無款)も、その得体の知れない巨大船の正体をある意味で暴く格好の一枚です。ちなみに、黒船などの開国に関連した「横浜絵」というジャンルの作品もいくつか展示されています。これは文字通り、横浜開港に関する浮世絵のことですが、黒船へ物資を運ぶ様子や、街を闊歩する外国人の姿などが描かれていました。ちなみにその中でも、外国人を半ば揶揄するような表現が消えることは決してありません。芳年の「イギリス人」に登場する異人の身長は一体何メートルでしょうか。建物の2、3階ほどの高さにはゆうに届きそうです。

その他、美人画、役者絵はもちろん、何と屏風も含めた肉筆画までが展示されています。中でも初公開の広重の「両国の月」の叙情性には心打つものがありました。

土曜日の夜間(終日20時まで開館。)に行きましたが、館内には私を含め二人しかいませんでした。濃密かつ充実した浮世絵群を余裕の環境で見られるのもまた嬉しいところです。

6月8日までの開催です。今更ながらも最大級におすすめします。
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対決展@大人のウォーカー(東京)最新号

こう言ってしまうと言葉は悪いかもしれませんが、ウォーカー系の雑誌にしては意外と充実していました。大人のウォーカー(東京)の最新号は、今夏の東博で開催予定の「対決 巨匠たちの日本美術」の特集です。

「東京 大人のウォーカー 2008年 07月号」

巻頭は登場予定の作品一覧です。見開きの拡大図版がまた展示への期待を高めるというものですが、その紹介とともに展覧会監修者の河野元昭による展示の見所、つまりは対決のポイントがインタビュー形式で掲載されています。そしてそれに続くのは、著名人らによる各作品の『先行誌上対決』です。辻惟雄をはじめ、公式ブログパーツでもお馴染みの現代アーティスト山口晃らが、それぞれ一つの対決に対しての勝敗を早くも決めていました。(ちなみに引き分けというのもありだそうです。)また山口晃の描く各絵師たちの絵も、ミニサイズながらも全て出ています。その他は、立ち読みで終えてしまうほどの分量ながら、山下裕二と赤瀬川原平の対談などです。一応、この展示で出尽そうな要所は揃っているのかもしれません。

さて、今回のウォーカーは対決展を含め計4部立てです。対決に続くのは、法隆寺金堂展を含めた奈良博の紹介、または今春に熊本城内にオープンした永青文庫の記事でした。580円という価格を考えれば、それなりに重宝する内容とも言えるのではないでしょうか。ちなみに余談ですが奈良博の法隆寺金堂展は私も見に行くつもりです。

注目の展覧会ということで、対決展関連の記事はこれからも様々な雑誌で出るような気がします。まずは書店にてご覧下さい。
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「池松江美(a.k.a.辛酸なめ子) - セレブ犯罪トリップ」 無人島プロダクション

無人島プロダクション杉並区高円寺南3-58-15 平間ビル3F)
「池松江美(a.k.a.辛酸なめ子) - セレブ犯罪トリップ」
4/11-5/31



同画廊では約3年ぶりとなるという池松江美の個展です。タイトルの如く「セレブの犯罪」をテーマにした写真、もしくはオブジェなどが展示されています。

メインは全40枚を超える写真連作、「犯罪未遂シリーズ」です。これはあくまでも気持ちだけセレブに扮した池松が、例えば窃盗や器物損壊と定義されるような行為をしようとする様子が写されたものですが、どれもが単に対象へ手がにゅっと伸びているだけの、言わば未遂と通り越した、犯意すらないシュールで面白可笑しい場面ばかりが登場しています。ともかくその手先に注目です。ショーウインドウ越しのカバンやアクセサリー、それに街ゆく人々のカバンはまだ犯罪をにおわせる部分があるにしろ、歩く少年の背後から手をやる様子などは、どこか手当たり次第に施しを求めて彷徨っているかのような悲哀感すら漂わせています。とりわけベンチで座る男性の背後から、殆どオモチャのようなプラスチック製の小ナイフをそっと近づけている様子には笑ってしまいました。ここには、仮に手を伸ばした先にあるものを全て奪ったとしても到底セレブにはなれない、一般大衆の雑然とした日常のみが皮肉めいて提示されています。また、殆ど偶然に撮られたというそのシチュエーションが、そのような日常性をさらに高めてもいました。

冒頭、オブジェと書いた作品はある意味で非常に合理的な道具です。ここでは触れませんが、まさか欧米のセレブがそのようなものを愛用していたとは知りませんでした。こちらは会場でお確かめ下さい。

今月末、31日までの開催です。
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「Future Feature vol.4 - 第三者 - 小林香織/平川なつみ」 山本現代

山本現代港区白金3-1-15 3階)
「YAMAMOTO GENDAI Future Feature vol.4 - 第三者 - 小林香織/平川なつみ」
5/10-6/7

ともに本格的な個展は初めてという「新人画家」二名を紹介します。小林香織と平川なつみの二人展へ行ってきました。



新人とは言え、驚くほど見応えのある作品が展示されているのも山本現代ならではのことかもしれません。特に今年、大学を卒業したばかりだという小林香織の連作には目を奪われるものがありました。シュルレアリスムを思わせるような男女の断片的な物語が、一枚一枚、心にどことない不安感を呼び覚ましながらズシリと心に重く響いてきます。白にグレーが混じり、全体にややセピア色がかったような刹那的な色彩感はもちろん、丁寧に塗り込まれたマチエールもなかなか魅力的です。このカップルを装いながら、赤の他人であるかのようによそよそしい男女の関係は如何なるものなのでしょうか。二人は終始、無限の地平線の広がるテラスや階段から、まるで病室のベットなどの空間をすれ違いながら行き来しています。その合間に吹く寒々しいすきま風は、もしかすると彼ら彼女らが「私」と「あなた」の関係にもない傍観者、つまりは「第三者」自身であるからなのかもしれません。



もう一方、ポップな色遣いにてアニメーション風の絵画を描く平川なつみも印象に残りました。同画廊の言う「今考えられる最も興味深い力を持った新人画家」も、あながち誇張された表現ではなさそうです。

6月7日まで開催されています。おすすめします。
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「西山美なコ - いろいき - 」 児玉画廊 東京

児玉画廊 東京港区白金3-1-15 1階)
「西山美なコ - いろいき - 」
5/10-6/14



仄かなピンク色を帯びた、繊細かつ装飾的なオブジェが、展示室全体を美しく彩っています。西山美なコ(1965~)の個展へ行ってきました。

表題の「いろいき」とは、『色の境目』や『いろの域』、もしくは『いろの粋』や『息』を表す(京都芸術センターHPより引用。)作家の造語です。部屋の角には花や王冠、またはアールデコ風の屋内彫刻をイメージさせるペーパークラフトのオブジェが寄り添い、そのすぐ傍の壁へ吹き付けられたピンク色と共鳴しながら、半ば影絵のような像を双方に見せることに成功しています。緩やかな曲線を描く面が立体的に錯綜し、背後の白い壁面に反射した色彩が、当てられたライトの光もあってか、様々な形をとってぼんやりと浮かび上がってきました。色とオブジェ、そして壁との合間の『揺らぎ』における心地良さがまた魅力の一つです。

まるでレース生地を切り抜いたような、小品のペーパークラフトにも見応えがあります。あたかも何らかの結晶を顕微鏡で拡大して見ているかのようです。実に細やかでした。

6月14日まで開催されています。
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「数寄の玉手箱 - 三井家の茶箱と茶籠」 三井記念美術館

三井記念美術館(中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
「数寄の玉手箱 - 三井家の茶箱と茶籠」
4/16-6/29



お茶に関する知識がないので詳しくは分かりませんが、ここに見る茶人たちの一種のコレクター心には素直に惚れ込んでしまいます。三井記念美術館で開催中の「数寄の玉手箱 - 三井家の茶箱と茶籠」へ行ってきました。

茶道具関連の展示では定評のある三井記念美術館ですが、館蔵の茶箱・茶籠(*)の全てを一堂に展示するのは今回が初めてです。会場では歴代の三井の誇る茶人たちが愛用した品々約30点と、応挙をはじめとする関連の絵画、もしくは16世紀より19世紀までの茶道具などが紹介されていました。茶という究極の趣味世界と、希代の絵師らによる屏風絵などが、半ばコラボする形にて構成されている展覧会とも言えそうです。



まずメインの茶箱、茶籠で一番惹かれたのは、三井高福所持の「桜木地茶箱 銘桜川」でした。赤楽や黒棗などの入る箱の外観は、桜の木目をそのままに表したシンプルなものですが、その内側に描かれた蒔絵には目を見張るものがあります。それもそのはず、下絵はかの応挙です。緩やかに流れる川面には桜の花びらが舞い降りて揺らめいています。一見、地味な箱の中より開かれるこの風雅な世界こそ茶箱観賞の醍醐味かもしれません。愛する道具を箱より取り出しながら、その美しい蒔絵にも目を細める茶人たちの様子が目に浮ぶかのようでした。

江戸絵画好きとしては、数点出ていた応挙も見逃せないところです。若い稚松を即興的に描いた「若松図屏風」と、金砂子の舞う中を淡墨の竹が幻想的な空間を作る「竹図屏風」、それに荒々しい濃墨が燃え上がるような山水の光景を生む「破墨山水図」、または山上から雄大な海を写実、鳥瞰的に見た「海眺山水図」などはなかなか見応えがありました。それにしても毎度のことながら、三井記念美術館の応挙コレクションには至極感心させられるものがあります。是非、「応挙展」を企画していただきたいです。

 

展示の最後に登場する、作者不定ながらも華麗な大作襖絵、「檜・槇・秋草図襖」も見逃せない作品です。これは全十面にも及ぶ襖に、文字通り、檜林に群れる秋草の様子が描かれたものですが、作者にかの光琳を想定する説もあるという問題作です。確かにやや閉塞感を漂わせながら木が林立するという大胆な構成と、幾分デフォルメを思わせる丸みを帯びた枝葉の表現(特に6面の方に。)には光琳を思わせる部分があります。如何でしょうか。(上の図版は「檜・槇・秋草図襖」の部分。ちらし表紙より。)

今年度からフリーにて入場可能となった「ぐるっとパス」で観賞してきました。今年は三井の展示も追いかけたいと思います。

6月29日までの開催です。

*持ち運びができる小型の箱や籠などに、喫茶用の茶道具一式を組み込んだもの(美術館HPより)
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「マティスとボナール」 川村記念美術館

川村記念美術館千葉県佐倉市坂戸631
「マティスとボナール - 地中海の光の中へ - 」
3/15-5/25



願わくば単独で取り上げて欲しいところではありましたが、ボナールファンにとって見逃すわけにはいきません。川村記念美術館での「マティスとボナール」展へ行ってきました。



二人の巨匠の「絵画に対するヴィジョン」(チラシより。)を探っていく展覧会です。しなしながら、ともに晩年のアトリエを南仏に定め、訪問や文通などの交遊も密であったというエピソードには事欠かないものの、展示においてその関係を掘り下げる部分は意外なほどありませんでした。むしろ、同時代に生き、フォーブとアンティミストという異なる表現を指向した二人を『並行的』に俯瞰しています。ちなみにマティスとの関係性といえば、つい最近まで汐留で開催されていた「ルオーとマティス」を思い起こさせますが、数こそ足りなかったものの、おそらくはそちらの方が両者の関係により突っ込んでいた部分があったのではないでしょうか。少なくとも絵画において相互の影響を見るのは困難でした。

 

とは言え、油彩、水彩素描など、国内外の美術館より集められた全120点の作品は相当に見応えがあります。赤い絨毯に紅白のテーブルクロスも鮮やかな「肘掛椅子の裸婦」(1920)や、晩年の極まった平面的な造形に抽象の萌芽を感じる「赤い室内、青いテーブルの上の静物」(1947)などのマティス諸作品はもちろん、二面仕立てのキャンバスが屏風のような空間を生み出し、また構図にも浮世絵的な遠近感を見る「山羊と遊ぶ子供たち」(1899)や、あたかも宝石の輝きを絵具の色に含めたように美しい「浴槽の裸婦」(1924)など、ボナールの良作も存分に楽しむことが出来ました。またマティスがフラッシュのように眩い『赤』に華やかさがあるとしたら、ボーナルには対象に沈み込んで七色に光る『白』にこそ魅力があります。最晩年の「花咲くアーモンドの木」(1946-47)はその最たる作品です。輝かしい青い空を背景に立つアーモンドの木には、繭のような白い花々が空と溶け合うかのようにして咲き乱れていました。色に朗らかな温かみを感じるのがまたボナール良さかもしれません。



展示のハイライトはボナールの大作、「陽のあたるテラス」(1939-46)でしょう。テラス越しに海を望む、横長のワイドな構図からして目立っていますが、スーラかシニャックを思わせるような点描に近いタッチ、もしくはオレンジやピンク色でまとめ上げられた色彩感にも強く引きこまれるものがあります。かの白を含めたうっすらと青い海や空に空間の無限の広がりを、また対比的に鮮やかな暖色系のテラスには陽の光を感じました。サブタイトルの「地中海の光の中へ」と誘われる作品とはまさにこれのことです。テラス越しに読書をする人の境遇が何とも羨ましく感じられました。

なお、増築して規模の拡大した常設展示も当然ながら充実しています。(出品リスト)首都圏にてアメリカ抽象美術を楽しめるこれ以上の施設が他にあるでしょうか。新・ロスコルームはニューマンとの対比がやや恣意的過ぎてまだ馴染めませんが、次回の全館コレクション展(6/3-8/31)には大いに期待したいところです。

同館での展示は明日25日までです。今月末より神奈川県立近代美術館葉山へと巡回(5/31-7/27)します。
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「南川史門 - ピンクとブラック、戦争と平和 - 」 MISAKO & ROSEN

MISAKO & ROSEN豊島区北大塚3-27-6
「南川史門 - ピンクとブラック、戦争と平和 - 」
4/14-5/25



希薄で物質感のない絵画で伝えられているのは、例えばTVを通して伝えられる戦争のようなリアリティーのない『現実』です。南川史門(1972~)の新作個展へ行ってきました。



ブラウン管越しに伝えられる戦争のニュースを見ると、時に全く自分のいる場所とは別世界で行われているような、言わばバーチャル空間の出来事ではないかと錯覚してしまうことがありますが、南川の絵画に登場する戦争のモチーフこそまさにそれです。薄いグレーやピンクを基調とした断片的なストロークにて描かれている戦車や戦闘機は、それ自体が幻であるかのような、あたかも影絵のような定まらない像だけをおぼろげに伝えていました。水玉模様のネクタイをしめ、スーツ姿の畏まった様で前を向く男性は、安全なオフィスビルの一角で戦争の惨劇を伝えるニュースキャスターなのでしょう。真剣さを装いながらも、どこか他人事の風を吹かしている様が、伝えられるようで伝えられない現実との繋がり得ない絶望的な距離感を示しています。空疎な余白に対象を掴みきれない虚しさを見るかのようでした。

あさっての日曜、25日までの開催です。
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アンサンブルモデルン 「ライヒ:18人の音楽家のための音楽」他 コンポージアム2008

コンポージアム2008 スティーヴ・ライヒの音楽

ダニエル・ヴァリエーションズ(2006)
18人の音楽家のための音楽(1974-76)

演奏 アンサンブル・モデルン/シナジー・ヴォーカルズ
指揮 ブラッド・ラブマン
ゲスト・パフォーマー スティーヴ・ライヒ
音響監督 ノーベルト・オマー

2008/5/21 19:00 東京オペラシティコンサートホール



ステージ上に作曲家本人を迎えています。コンポージアム2008より初日、「スティーヴ・ライヒの音楽」を聴いてきました。

好きなライヒを生で聴けるということだけでも気分が高まりますが、まさか実演がこれほどハイテンションなものであるとは思いもよりません。ともかく白眉は代表作としても名高いメインの「18人の音楽家のための音楽」です。この曲をCDで聴くと、ミニマル音楽への一般的なイメージと同様、全体を機械的に貫くリズムの永劫的な反復にどことない心地良さを覚えるわけですが、実演では各セッションの出す音の一つがまるで魂の欠片としてうごめき、そして始終駆け巡っているかのような非一定的な音の『運動』のスリリングな面白さを味わうことが出来ました。ミニマルの本質は、個々の音に内在する自立的な運動にあるのかもしれません。微妙に変動するピアノのリズムに体を委ね、情熱的に、また時には内省的に鳴らされるマリンバやシロフォンなどの打楽器の音へ耳を傾けることは、それこそ高まる心臓の鼓動と沸き立つ血液の循環を全身の感覚で確かめているかのような、極めて肉体的な一種の法悦体験です。叩かれるピアノと打楽器が神経を呼び覚まし、シャカシャカと響くマラカスはあたかも頭の中をシャッフルさせるかのようにその動きを強めていきます。また、強弱の繰り返される声楽とクラリネットは生命の呼吸です。約1時間にも及ぶ横への運動、つまり反復が聴き手の意識を麻痺させ、さらに各音の上下運動が逆にそれを覚醒させていきました。麻痺した感覚の中での覚醒は危険です。半ばトランス状態へと引き込みます。

実演ということで、ステージ上での演奏行為も視覚的に楽しむことが出来ました。舞台後方にはピアノを含めた数台の打楽器を、また前にはクラリネットと弦、そして声楽をともに左右から向き合うようにして並べていましたが、打楽器の奏者がバチを持ち替えて次々と別の楽器を鳴らしていく様子が、ちょうど反復の中で自由に行き交う音の運動を視覚化しているようで興味深く感じられます。ちなみにライヒは第4ピアノで演奏に参加していました。トレードマークの野球帽が小刻みに震えると、メロディーの分解された音のリズムが刻まれていくわけです。

「18人の音楽家のための音楽/ライヒ」

「ダニエル・ヴァリエーションズ/ライヒ」

終演後の客席の反応は熱狂的でした。そもそもいわゆる客層からして一般的なクラシックコンサートとは異なっていましたが、聴衆の殆どがスタンディングオベーションをしてライヒに拍手と歓声を送っていたのがとても印象に残ります。ライヒの音楽が一般的な「現代音楽」の枠に収まらないものであることは間違いありません。

一曲目の「ダニエル・ヴァリエーションズ」のリハーサル、及び本人のインタビューがyoutubeにありました。以下に転載しておきます。



こちらはお馴染み「18人の音楽家のための音楽」です。(3分6秒付近から。)



*関連リンク
スティーヴ・ライヒを探る~ライヒ、新作を語る(CDジャーナル)
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「モディリアーニ展」 国立新美術館

国立新美術館港区六本木7-22-2
「モディリアーニ展」
3/26-6/9



モディリアーニの意外な側面を辿っているものの、過去最大規模と銘打つ割には随分と見所の少ない展覧会です。国立新美術館で開催モディリアーニ中の「モディリアーニ展」へ行ってきました。



いわゆる名画展を期待して行くと、今回の展示ほど裏切られるものもないかもしれません。もちろん充実した作品が数点あるのも事実ですが、多くはいささか地味な印象も受ける油彩、または素描の小品でした。(半分は素描展のようなものです。)そしてそのような目立たない作品群は、この展示の構成を横に貫く一本の軸、つまりは『プリミティヴィズム』(原始美術)の名の元に集められています。残念ながら実際の展示を見ても、モディリアーニにプリミティヴィズムがどれほど影響しているのか今ひとつ分かりませんでしたが、少なくともその知られざる観点を提示していたのは間違いないのでしょう。トーテムの原点を垣間見たような気がしたのは事実でした。



オセアニア美術やアフリカ彫刻なども追ったモディリアーニは、それに倣う、単純で直線的な造形をとる作品をいくつか生み出しています。その一例がこの「カリアティッド」(1913)です。細く、またシャープな曲線をとるそのフォルムには、後のスタイルを思わせる部分もありますが、確かにプリミティヴィズムの文脈に沿わなければ、まさかこれがモディリアーニの作であるとは分かりません。マティスを思わせるような肉感的な美感と、土偶や埴輪すら連想させる姿、さらには赤々と燃えるような朱色の色遣いにも目を奪われました。



スタイルを確立した後のモディリアーニの魅力を知るには、今回の展示は少々点数が足りません。とは言え、マリーローランサンにモデルを取ったという「女の肖像」(1917)には強く惹かれるものがありました。健康的で美しい白い肌に、才知を感じる大きな瞳、そして秘められた強い意思を見るキリリと引き締まった口元、それに情熱を感じる赤い髪の毛など、どれもが対象の本質をくみ出した見事な作品です。そしていつもながらに感心するのがマチエールの妙味です。そもそも彼の魅力は形よりも色、ようは画肌にあるのではないかと思いますが、強く塗り込まれながらも、決して透明感を失わない色の放つ静かな光りには吸い込まれました。

それにしてもコンセプトは明確であるにしろ、この程度の内容の展示を、かの広大なスペースを持つ新美術館で開催する必要があったのでしょうか。同館で先日まで開催されていたアーティストファイル同様、どうも企画が箱の大きさに追付けないように思えてなりません。

6月9日まで開催されています。
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「川内倫子 - Semear - 」 FOIL GALLERY

FOIL GALLERY千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビル201)
「川内倫子 - Semear - 」
4/24-5/25



熱気に包まれるブラジルの自然と喧噪を、細微へ立ち入った写真にてクリアに表します。東京では4年ぶりとなるという川内倫子の個展です。

ブラジルの森林地帯を滔々と流れる大河の空撮から、川面のワニや土の上を歩くアリ、または何気ない日常の食卓の風景から美しい花々、そしてかの地で生活する人々のポートレートと、まさにありとあらゆるブラジルの全てが切り取られていますが、印象深いのはそれらに統一して見られる川内の感性、ようは冒頭でも触れた繊細な、半ば全てのものの粒子を伺うような細やかな美意識です。賑わう街も自然もが、僅かの間にだけ見せる静寂の時に包まれ、あるはずの湿気や温度までが透明感に満ちたピュアな空間へと切り取られています。ステレオタイプのブラジルが、そのような物語や衣を取り払った、剥き出しの形にて表現されているのです。

夜の競技場で熱狂する観衆を写した一枚が印象に残りました。群衆の向こうには夜空が広がり、明かりにつられて集う虫たちが、あたかもその場を祝福するかのようにして飛び交っています。自然と人に見るこの一体感こそがブラジルなのでしょうか。

「種を蒔く-Semear/川内倫子/フォイル」

今月25日までの開催です。
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「桑島秀樹 - Vertical/Horizontal - 」 ラディウム

ラディウム-レントゲンヴェルケ中央区日本橋馬喰町2-5-17
「桑島秀樹 - Vertical/Horizontal - 」
5/2-31



クリスタルガラスによるきらびやかな鏡面曼陀羅の世界は圧倒的です。ラディウムで開催中の桑島秀樹の新作個展へ行ってきました。

このイメージを作る桑島の制作方法については画廊HPを参照していただきたいのですが、その緻密な過程云々はもとより、結果生まれた、カオスでありながらも秩序だったガラスの花園の凄みは他に比べるものがありません。グラスやデカンタなどの無数のガラスは、錯綜するレイヤーの中にて光と影に還元され、それらの繋がりが全く異なった別個のイメージを次々と呼び覚ましてきます。一例が曼陀羅です。ガラスの眩い輝きは互いに共鳴し合い、あたかも後光のようにして神々しく放たれていました。また細部と全体が均一に調和しているのも、事物の存在感を著しく高めています。林立するガラスの中へ目をやった瞬間、その無限回廊の空間にて永遠に彷徨うことを余儀なくされるかのような、恐るべき深みをたたえた美の神殿が出現するわけです。

今月末までの開催です。これはおすすめします。
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「柿右衛門と鍋島」 出光美術館

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「柿右衛門と鍋島 - 肥前磁器の精華 - 」
4/5-6/1



日本の誇る肥前磁器を極上の品々で辿ります。出光美術館で開催中の「柿右衛門と鍋島」へ行ってきました。

色絵磁器の金字塔ともされる両磁器をまとめて概観しています。初期伊万里から中国や朝鮮の影響も受けて成立した柿右衛門、それに様式化された格調高い紋様に独自の美学を見出す鍋島と、各々の変遷を鑑みながら優品を楽しむことが出来ました。もちろん私の好みは断然鍋島にあるわけですが、こうした同時代の、半ば兄弟の磁器を並行して見る面白さも格別なものがありそうです。

 

個々に惹かれた器を挙げていくとキリがありませんが、出光所蔵以外の優品が展示されているのも見所の一つです。中でも印象深いのは鍋島の「色絵桃文大皿」でした。これは重文指定を受けたMOA美術館のコレクションですが、所狭しとひしめき合うような桃の果実はもちろんのこと、むせるように群れて咲く花々の描写も見事なものがあります。一般的に鍋島には、意匠こそ斬新なれども、構図には余白もとる、言わば簡素な美を見せるイメージがありましたが、この濃密さは柿右衛門のエキゾチックな感触に負けないほどの強烈な存在感を放っています。同じくMOA所蔵の「色絵橘文大皿」とともに、展示のハイライトを飾っていました。

鍋島が半ば日本的な美感を放っているのに対し、(但し、鍋島に影響を与えた中国の器も展示されています。)インターナショナルな美、ようは西洋趣味の著しいものへと発展したのはもちろん柿右衛門です。展示では柿右衛門に惚れ込み、言わばコピーを作らせたザクセンのアウグスト強王のマイセンの作品なども紹介されています。また柿右衛門の伝播はオスマン帝国にも及んでいました。口径約60センチ弱にも及ぶ異例の大皿、「色絵美人図屏風文大皿」は、当地のスルタンが宴に用いたというものと同タイプの作品です。屏風越しに覗き込むかのような遊女の姿が、赤と金の二彩を駆使した伊万里の艶やかな絵によって表されています。一体この器でスルタンは何を盛ったのでしょうか。遊女が今にも宴に飛び出してくるかのような、一種の猥雑さすら感じさせていました。

器好きならずともおすすめ出来る展覧会です。6月1日まで開催されています。
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「今、蘇るローマ開催・日本美術展」 日本橋三越本店ギャラリー

日本橋三越本店新館7階ギャラリー(中央区日本橋室町1-4-1
「今、蘇るローマ開催・日本美術展 - 日本画を世界に 大観・玉堂・栖鳳・古径・青邨の挑戦 - 」
5/13-25



1930年、イタリアはローマにて開催された「日本美術展覧会」を再現します。日本橋三越で開催中の「今、蘇るローマ開催・日本美術展」へ行ってきました。



展示品は当時の展覧会に出された近代日本画(実際の20%強。一部例外あり。)ですが、出品リストを眺めても明らかなように、その9割ほどが大倉集古館の館蔵品で占められています。ようは「大倉集古館蔵、近代日本画展」です。大観の「夜桜」、観山の「不動尊」をはじめとする、同館自慢のコレクションが約40点ほど紹介されていました。ちなみに、集古館での近代日本画の企画展はここしばらく記憶にありません。まさにファン待望の展示とも言えそうです。

そもそもローマ展の団長を務めたのが大観だそうですが、やはり今回の展示でも彼の作品が際立っています。冒頭の水墨画、「山四趣」と「瀟湘八景」の計12点からして見応え満点です。ともに墨の濃淡にて山の稜線から水辺の広がり、それに雲の靡く様から場の湿り気までを表していますが、前者が日本的なこぢんまりとした自然を感じさせるのに対し、後者は遠近感の巧みな、大陸の景色の雄大さを見るような印象を与えています。また大観では、ローマ展に出された作品ではないもの、スケッチ風に花や木を描いた連作から「野菊」も印象に残りました。大きな余白を右上にとりながら、画面左下の野菊が風に吹かれてゆらゆらと揺れています。うっすらと橙色を帯びた花の色もまた魅力的でした。



大観以外で挙げたいおすすめの作品は二点、観山の「維摩黙然」と栖鳳の「蹴合」です。前者の観山は、大乗仏教の理想的人物であるという維摩が泰然として座る様が描かれていますが、桃色やすみれ色をした衣服の装飾はもちろんのこと、脇に仕える女性の瑞々しい白い肌や瞳などの精緻な表現にも目が奪われます。この味わいはもはや近代日本画のロココです。また後者の栖鳳は、御舟と並び、近代日本画家の中でも卓越した技巧を見せる彼ならではの優品です。日本画にて羽毛の様子をこれほど立体的に、しかもそれでいてフワフワとした質感を伝えたものが他にあるでしょうか。大小、様々な太さのタッチを駆使して、黒を基調としながらも仄かに七色に光る軍鶏の毛を驚くほど写実的に仕上げています。これには舌を巻きました。



その他、木菟をモチーフとした作品ではマイベストの古径「木菟図」、また色鮮やかな衣装に何故か女性の儚さをも思う深水の美人画「小雨」などにも惹かれました。お気に入りの一枚を見つけるのにさしたる労力はいりません。

今月25日までの開催です。近代日本画ファンの方には是非ともおすすめします。
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「Oコレクションによる空想美術館 - 第3室『幻想のHOTEL』」 ワンダーサイト本郷

トーキョーワンダーサイト本郷文京区本郷2-4-16
「Oコレクションによる空想美術館 - 第3室『幻想のHOTEL magical』」
5/2-6/1



定点観測中のワンダーサイトの「Oコレクション展」です。今回は展示室(1階)を近未来の架空のホテルに見立て、内田耕造、栗山斉、COBRAの計3名のコラボが展開されています。

 

『宿泊客』を迎えてくれる、妖し気な蛍光管の『生け花』からして興味深いものがありますが、ともかく室内でも圧倒的なのは、その蛍光管を操ってオブジェをつくる栗山斉の「control-release」(2008)です。コードをごちゃごちゃに巻き付け、何ら全体としての形も為していない数十本の蛍光管が、天井からダランと雑多に乱れてぶら下がっています。その姿は、まるで蜘蛛の巣に絡まって動けない数多くの蝶のようです。付いては消える蛍光灯の不安定な明かりが、何やら生気を吸い取られて今に死んでいく生き物の断末魔の苦しみのようにも見えました。

2階と3階の別展示室にて同時開催中の「INDEX#4」(10名のグループ展)では、凍り付いた森林を連想させる針金を用いた作品、岡野陽子の「Player」が印象に残りました。背景の山水画のようなドローイングと合わせ、ポップでありながらも怜悧な銀色の風景が出現しています。

なお「Oコレクション展」は今年、あと3回の開催を予定していますが、第6室(9/27-11/16)にはアラタニウラノの個展も鮮烈だった小西紀行も登場します。そちらも楽しみです。

6月1日までの開催です。

*関連エントリ
「Oコレクションによる空想美術館 - 第2室『デザインと魂』」
「Oコレクションによる空想美術館 - 第1室『桑原加藤の部屋』」
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