都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ジャン・コクトー展」 三越日本橋本店ギャラリー 7/31
三越日本橋本店新館7階ギャラリー(中央区日本橋室町)
「ジャン・コクトー展」
7/20~7/31(会期終了)
私的なコレクションとしては、世界で最も多くコクトーの作品を所有しているというサヴァリン・ワンダーマン・コレクションによって構成された、コクトーの回顧展を見てきました。私にとってコクトーとは、かなり前に読んだ「恐るべき子供たち」(あまり印象に残らなかったのですが…。)程度しか頭に浮びませんが、今回の企画を見ることで、美術や映画に芝居など、各方面に成果を残したコクトーの多彩な才能に触れることが出来ました。とても充実した展覧会でした。
コクトーは実に様々な芸術の潮流へ足を踏み入れています。展示の殆どはコクトー自身による油彩や水彩、それにパステル画などですが、その他にも親交のあった芸術家との写真や、手がけた舞台のポスターなど、枠にはまらない活動が見て取れる内容となっていました。ピカソの影響を受けたというキュピズム風の作品や、象徴派を思わせるような幻想的な作品、そして自画像を含む独特の人物画は、どれも彼の豊かな才能を見せつけます。その中で最も印象に残ったのは、タペストリーの大作である「ユディトとホロフェルネス」(1951年)です。キュピズム風の構成と、コクトーのユニークな人物描写が、大きな画面に所狭しと描かれ、壮大な物語を作り上げています。目の裏に焼き付くような生々しさも心に残ります。魅力的です。
最後まで一つ気になったのは、初期の自画像に見られたコクトー自身の不安気な眼差しでした。彼が後に手がけた人物画では、自信に満ち溢れた大きな瞳と、強い意思を感じさせるキリリと引き締まった口元が印象的ですが、もしかしたらそれはコクトーの芸術家としての自信の表れによるものなのかもしれません。繊細な感性を持った青年が、大きく花開いた時の輝かしさを見るようにも思いました。
「ジャン・コクトー展」
7/20~7/31(会期終了)
私的なコレクションとしては、世界で最も多くコクトーの作品を所有しているというサヴァリン・ワンダーマン・コレクションによって構成された、コクトーの回顧展を見てきました。私にとってコクトーとは、かなり前に読んだ「恐るべき子供たち」(あまり印象に残らなかったのですが…。)程度しか頭に浮びませんが、今回の企画を見ることで、美術や映画に芝居など、各方面に成果を残したコクトーの多彩な才能に触れることが出来ました。とても充実した展覧会でした。
コクトーは実に様々な芸術の潮流へ足を踏み入れています。展示の殆どはコクトー自身による油彩や水彩、それにパステル画などですが、その他にも親交のあった芸術家との写真や、手がけた舞台のポスターなど、枠にはまらない活動が見て取れる内容となっていました。ピカソの影響を受けたというキュピズム風の作品や、象徴派を思わせるような幻想的な作品、そして自画像を含む独特の人物画は、どれも彼の豊かな才能を見せつけます。その中で最も印象に残ったのは、タペストリーの大作である「ユディトとホロフェルネス」(1951年)です。キュピズム風の構成と、コクトーのユニークな人物描写が、大きな画面に所狭しと描かれ、壮大な物語を作り上げています。目の裏に焼き付くような生々しさも心に残ります。魅力的です。
最後まで一つ気になったのは、初期の自画像に見られたコクトー自身の不安気な眼差しでした。彼が後に手がけた人物画では、自信に満ち溢れた大きな瞳と、強い意思を感じさせるキリリと引き締まった口元が印象的ですが、もしかしたらそれはコクトーの芸術家としての自信の表れによるものなのかもしれません。繊細な感性を持った青年が、大きく花開いた時の輝かしさを見るようにも思いました。
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「森山大道写真展 ブエノスアイレス」 epSITE 7/30
EPSON Imaging Gallery epSITE(新宿区西新宿)
「森山大道写真展 ブエノスアイレス」
6/22~7/31
森山大道が「長年恋い憧れる心の内なる街」と想う、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。2004年から2005年にかけて二度行われたという撮影は、ブエノスアイレスの姿をまるで幻影のように捉えています。西新宿「新宿三井ビル」内にある「epSITE」で開催中の、「森山大道写真展 ブエノスアイレス」を見てきました。
世界中がインターネットで瞬時に繋がり合う時代とも言えますが、ブエノスアイレスは東京から飛行機で約30時間かかる、まさに「地と海の果ての街」です。(もちろん、ブエノスアイレスから見れば東京が地と海の果てになります。)googleマップの衛星写真でブエノスアイレスを見るだけでも、そこには何か異世界の、全くこちら側とは別次元の空間が広がっているように錯覚してしまいますが、森山のファインダーにかかると、それがさらに夢の中の微睡みの世界のように見えてきます。熱気を帯びた繁華街も、どこか活動的な明るい表情で行き交う人々の姿も、そしてラプラタの水辺に写る陽の明かりも、全ては今最近の現実ではなく、遠い昔の一瞬間としてだけあったような気分にさせられます。また、「キュートな娘たち」や「セクシーな魅力」(共にパンフレットから。)も、確かに写真からは、被写体の女性から沸き立つ汗の匂いすら漂ってきそうな気配ですが、それがモノクロの中で輝きだすと、色のない世界での光と影の鮮烈な対比が、不思議と「夢」や「想い」の中だけにあるような、空想上の美しさに見えてくるように思うのです。
あちこちに落書きされた古い建物や、整備されていないデコボコした石畳の続く道は、ブエノスアイレスの歴史の重みも感じさせますが、どこか退廃の匂いを漂わしながら、危なさへ足を踏み入れてしまった街のようにも映ります。「整然」と「雑多」の狭間にあって、もう一歩踏み込んでしまえば、まさに「混沌」ともなりそうなブエノスアイレスの魅力。森山の作品は、そんな街の一面を良く伝えているのではないでしょうか。
モノクロの作品が多数を占めていますが、カラーの作品や、カメラ片手にブエノスアイレスを彷徨い歩く森山自身の姿を映したビデオも展示されています。何を思うのかとっさに猫や少女にカメラを向けて、一瞬だけ構えてすぐに次の被写体へと向かう彼の行動は、以前オペラシティーでの「森山新宿荒木展」で展示されていた、彼が新宿を撮る時の映像とも似ていますが、ブエノスアイレスの方がより「撮りたい」という想いが伝わって来るようにも思いました。
森山がブエノスアイレスをおさめた写真は、写真集「DAIDO MORIYAMA:BUENOS AIRES」(講談社)としても発売されています。以前、私も書店で見て気になっていたのですが、この展覧会を見てさらに欲しくなりました。展覧会は明日31日までの開催です。
「森山大道写真展 ブエノスアイレス」
6/22~7/31
森山大道が「長年恋い憧れる心の内なる街」と想う、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。2004年から2005年にかけて二度行われたという撮影は、ブエノスアイレスの姿をまるで幻影のように捉えています。西新宿「新宿三井ビル」内にある「epSITE」で開催中の、「森山大道写真展 ブエノスアイレス」を見てきました。
世界中がインターネットで瞬時に繋がり合う時代とも言えますが、ブエノスアイレスは東京から飛行機で約30時間かかる、まさに「地と海の果ての街」です。(もちろん、ブエノスアイレスから見れば東京が地と海の果てになります。)googleマップの衛星写真でブエノスアイレスを見るだけでも、そこには何か異世界の、全くこちら側とは別次元の空間が広がっているように錯覚してしまいますが、森山のファインダーにかかると、それがさらに夢の中の微睡みの世界のように見えてきます。熱気を帯びた繁華街も、どこか活動的な明るい表情で行き交う人々の姿も、そしてラプラタの水辺に写る陽の明かりも、全ては今最近の現実ではなく、遠い昔の一瞬間としてだけあったような気分にさせられます。また、「キュートな娘たち」や「セクシーな魅力」(共にパンフレットから。)も、確かに写真からは、被写体の女性から沸き立つ汗の匂いすら漂ってきそうな気配ですが、それがモノクロの中で輝きだすと、色のない世界での光と影の鮮烈な対比が、不思議と「夢」や「想い」の中だけにあるような、空想上の美しさに見えてくるように思うのです。
あちこちに落書きされた古い建物や、整備されていないデコボコした石畳の続く道は、ブエノスアイレスの歴史の重みも感じさせますが、どこか退廃の匂いを漂わしながら、危なさへ足を踏み入れてしまった街のようにも映ります。「整然」と「雑多」の狭間にあって、もう一歩踏み込んでしまえば、まさに「混沌」ともなりそうなブエノスアイレスの魅力。森山の作品は、そんな街の一面を良く伝えているのではないでしょうか。
モノクロの作品が多数を占めていますが、カラーの作品や、カメラ片手にブエノスアイレスを彷徨い歩く森山自身の姿を映したビデオも展示されています。何を思うのかとっさに猫や少女にカメラを向けて、一瞬だけ構えてすぐに次の被写体へと向かう彼の行動は、以前オペラシティーでの「森山新宿荒木展」で展示されていた、彼が新宿を撮る時の映像とも似ていますが、ブエノスアイレスの方がより「撮りたい」という想いが伝わって来るようにも思いました。
森山がブエノスアイレスをおさめた写真は、写真集「DAIDO MORIYAMA:BUENOS AIRES」(講談社)としても発売されています。以前、私も書店で見て気になっていたのですが、この展覧会を見てさらに欲しくなりました。展覧会は明日31日までの開催です。
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「日本橋三井タワー」と「三井記念美術館」
「COREDO日本橋」に引き続いて、日本橋の新たなランドマークとなる「日本橋三井タワー」が明日29日に竣工します。重要文化財の三井本館を保存しながら建設された、このエリアでは最も高い超高層ビル内(約195メートル)には、オフィスの他、日本初となるマンダリンオリエンタルホテルと、美術ファン注目の「三井記念美術館」が入ることになっています。ちなみに、ホテルと美術館は、この秋の10月にオープン予定です。
三井記念美術館は、国宝6点、重要文化財20点を含む日本有数の古美術コレクションを誇る「三井文庫別館」が、移転して新たにオープンするものです。早速公式HPには、10月8日の開館日から開催予定の、「美の伝統 三井家伝世の名宝」という展覧会がアナウンスされています。10月8日から11月13日までの前期展示と、11月17日から12月25日までの後期展示に分かれたこの企画は、三井家が代々揃えてきた美術品を一挙に公開するという、実に贅沢な内容です。私としては、前期展示の円山応挙「雪松図屏風」を是非見てみたいと思うのですが、その他にも多数の名品が並ぶことになりそうです。茶室を再現したという展示室などもあるとのことで、質量共に今年の日本美術の目玉的な展覧会となるかもしれません。
それにしても最近の日本橋界隈は、三越の新館、COREDOやこの三井タワーなど、目まぐるしい勢いで再開発が進んでいます。東急百貨店の撤退によって、街全体の衰退が危惧された日本橋は、銀座や丸の内の賑わいに対抗すべく、様々な計画を着々と進めているようです。最後には、悪夢のような景観である日本橋そのものに、青空を取り戻せれば良いと思います。
三井記念美術館は、国宝6点、重要文化財20点を含む日本有数の古美術コレクションを誇る「三井文庫別館」が、移転して新たにオープンするものです。早速公式HPには、10月8日の開館日から開催予定の、「美の伝統 三井家伝世の名宝」という展覧会がアナウンスされています。10月8日から11月13日までの前期展示と、11月17日から12月25日までの後期展示に分かれたこの企画は、三井家が代々揃えてきた美術品を一挙に公開するという、実に贅沢な内容です。私としては、前期展示の円山応挙「雪松図屏風」を是非見てみたいと思うのですが、その他にも多数の名品が並ぶことになりそうです。茶室を再現したという展示室などもあるとのことで、質量共に今年の日本美術の目玉的な展覧会となるかもしれません。
それにしても最近の日本橋界隈は、三越の新館、COREDOやこの三井タワーなど、目まぐるしい勢いで再開発が進んでいます。東急百貨店の撤退によって、街全体の衰退が危惧された日本橋は、銀座や丸の内の賑わいに対抗すべく、様々な計画を着々と進めているようです。最後には、悪夢のような景観である日本橋そのものに、青空を取り戻せれば良いと思います。
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「ドレスデン国立美術館展」 国立西洋美術館 7/23
国立西洋美術館(台東区上野公園)
「ドレスデン国立美術館展 -世界の鏡- 」
6/28~9/19
1560年、ザクセン選帝侯アウグストが創設した「美術収集室」を源とするドレスデン国立美術館。今、同美術館の収蔵品を公開した展覧会が、上野の国立西洋美術館で開かれています。フェルメールからドイツ・ロマン主義までの絵画、それにトルコ式の武具や装飾品、または東洋趣味のマイセンの磁器など、とても見所の多い展覧会でした。
前半の展示は、全般的に博物館の趣きです。まず16世紀の始めに「美術収集室」へ集められたのは、絵画や宝飾品などのいわゆる美術品ではなく、地球儀や天球儀、それに製図用品などでした。鉱石を溶かすために使ったという「集光鏡」(1740年頃)から、製図のためのコンパスまで、大小様々の実用品が並んでいます。そして次には、17世紀にオスマン・トルコの影響を受けて集められたという、武具や馬具などの展示です。実用性を前面に押し出しながらも、鎧などの所々には宝石が装飾されていて、意外な繊細さには驚かされます。また、斬るよりも叩いてダメージを与えるような勇壮な長剣や、鞘に納められた鋭い短刀なども興味深い品でした。
前半のハイライトは、18世紀にアウグスト強王が、東洋の磁器を模して制作させたというマイセン磁器の展示です。マイセンは、そのモデルとなった日本や中国の品々と並べられていますが、一見、殆ど同じようになるべく模倣されて作られていることが分かります。しかし、よく見ると細部や全体の様子が異なっていて、それぞれに別の味わいがありました。特に1700年頃に作られた有田焼の「染付牡丹唐草文象耳鳥籠付き蒔絵瓶」と、マイセンの「色絵花卉文象耳籠付き瓶」(1727年)は実に好対照で、有田の方では唐草文様の細やかな美しい装飾が目につくのに対し、マイセンでは紫からピンク色の配色が奇抜にも鮮やかに映えています。どうやら全く異なった美学が各々にはあるようです。
後半の展示は、「アルテ・マイスター絵画館」から出品された絵画が中心です。注目のフェルメール(窓辺で手紙を読む若い女)は、以前記事にしたので今回は触れませんが、それ以外にも見るべき作品が多く展示されています。ガニュメデスを赤ん坊にして描いたレンブラントの「ガニュメデスの誘拐」(1635年)や、段々と落ちる滝の様子をダイナミックに描き出したロイスダールの「城山の前の滝」(1665~70年頃)、または細かい情景描写と深い闇が印象的なダウの「祈る隠修士」(1635年頃)などはとても見応えがあります。また、エーメの「サレルノ湾の月夜」(1827年)は、風景画でありながらどこか寂しさや情緒を感じさせます。同じくエーメの「霧中の行列」(1828年)と合わせて素晴らしい作品だと思いました。
一番最後に展示されていたのは、イタリアのヴェドゥータ様式(前半で展示されていたカナレットなどのヴェネツィア絵画)と、オランダの写実的な様式を融合したというダールの「満月のドレスデン」(1839年)です。薄い雲に翳った満月の明かりが、エルベ川へ鮮やかに反射しながらドレスデンの街を煌煌と照らしています。ベロットを思わせる堅牢な構図感と、丁寧に描かれた街の遠景、そして川に浮かぶ小舟に焚かれたかがり火。全てが調和するように配置されていますが、月から伸びる光の神々しい描写は、まるで天からドレスデンを祝福する明かりのようにも見えます。輝かしき栄光のドレスデンは、ここに理想的で完璧な姿として描かれたようです。
会場は、夏休みに入ったこともあるのか、私が出向いた23日(土曜日)は結構な混雑でした。9月19日までの開催です。
「ドレスデン国立美術館展 -世界の鏡- 」
6/28~9/19
1560年、ザクセン選帝侯アウグストが創設した「美術収集室」を源とするドレスデン国立美術館。今、同美術館の収蔵品を公開した展覧会が、上野の国立西洋美術館で開かれています。フェルメールからドイツ・ロマン主義までの絵画、それにトルコ式の武具や装飾品、または東洋趣味のマイセンの磁器など、とても見所の多い展覧会でした。
前半の展示は、全般的に博物館の趣きです。まず16世紀の始めに「美術収集室」へ集められたのは、絵画や宝飾品などのいわゆる美術品ではなく、地球儀や天球儀、それに製図用品などでした。鉱石を溶かすために使ったという「集光鏡」(1740年頃)から、製図のためのコンパスまで、大小様々の実用品が並んでいます。そして次には、17世紀にオスマン・トルコの影響を受けて集められたという、武具や馬具などの展示です。実用性を前面に押し出しながらも、鎧などの所々には宝石が装飾されていて、意外な繊細さには驚かされます。また、斬るよりも叩いてダメージを与えるような勇壮な長剣や、鞘に納められた鋭い短刀なども興味深い品でした。
前半のハイライトは、18世紀にアウグスト強王が、東洋の磁器を模して制作させたというマイセン磁器の展示です。マイセンは、そのモデルとなった日本や中国の品々と並べられていますが、一見、殆ど同じようになるべく模倣されて作られていることが分かります。しかし、よく見ると細部や全体の様子が異なっていて、それぞれに別の味わいがありました。特に1700年頃に作られた有田焼の「染付牡丹唐草文象耳鳥籠付き蒔絵瓶」と、マイセンの「色絵花卉文象耳籠付き瓶」(1727年)は実に好対照で、有田の方では唐草文様の細やかな美しい装飾が目につくのに対し、マイセンでは紫からピンク色の配色が奇抜にも鮮やかに映えています。どうやら全く異なった美学が各々にはあるようです。
後半の展示は、「アルテ・マイスター絵画館」から出品された絵画が中心です。注目のフェルメール(窓辺で手紙を読む若い女)は、以前記事にしたので今回は触れませんが、それ以外にも見るべき作品が多く展示されています。ガニュメデスを赤ん坊にして描いたレンブラントの「ガニュメデスの誘拐」(1635年)や、段々と落ちる滝の様子をダイナミックに描き出したロイスダールの「城山の前の滝」(1665~70年頃)、または細かい情景描写と深い闇が印象的なダウの「祈る隠修士」(1635年頃)などはとても見応えがあります。また、エーメの「サレルノ湾の月夜」(1827年)は、風景画でありながらどこか寂しさや情緒を感じさせます。同じくエーメの「霧中の行列」(1828年)と合わせて素晴らしい作品だと思いました。
一番最後に展示されていたのは、イタリアのヴェドゥータ様式(前半で展示されていたカナレットなどのヴェネツィア絵画)と、オランダの写実的な様式を融合したというダールの「満月のドレスデン」(1839年)です。薄い雲に翳った満月の明かりが、エルベ川へ鮮やかに反射しながらドレスデンの街を煌煌と照らしています。ベロットを思わせる堅牢な構図感と、丁寧に描かれた街の遠景、そして川に浮かぶ小舟に焚かれたかがり火。全てが調和するように配置されていますが、月から伸びる光の神々しい描写は、まるで天からドレスデンを祝福する明かりのようにも見えます。輝かしき栄光のドレスデンは、ここに理想的で完璧な姿として描かれたようです。
会場は、夏休みに入ったこともあるのか、私が出向いた23日(土曜日)は結構な混雑でした。9月19日までの開催です。
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バイロイト音楽祭2005 大植さんの「トリスタンとイゾルデ」
大植英次さん力演、バイロイト音楽祭で盛んな拍手(asahi.com)
25日に開幕したドイツのバイロイト音楽祭で、初日に名作「トリスタンとイゾルデ」を指揮した大阪フィル音楽監督の大植英次さん(47)は、感性ゆたかな響きを紡いで聴衆の盛んな拍手を浴びた。
昨日開幕したバイロイト音楽祭。初日大植さんが振られた「トリスタンとイゾルデ」は、一部演出へのブーイングがあった以外は、概ね好意的に迎えられたそうです。まだ詳細が分からないので何とも言えませんが、出足は良好だったようです。
ところで、昨日の公演ですが、私もNRK(ノルウェー国営放送)のインターネットラジオで一幕まで聴きました。序曲からやや表情が硬く、響きも全体的に平板な印象も受けましたが、どうやら二幕、三幕と尻上がりに調子を上げたようです。(そちらはこれから録音で聴いてみたいと思います。)私が一番感銘を受けたのは、イゾルデのNina Stemmeでしょうか。突き抜けるような強靭な歌声は、音楽をぐっと引き締めていて、最初から抜群の存在感を示していました。
今日はライブでは密かに(?)人気があるという、ピーター・シュナーダーの「ローエングリン」です。上演は日本時間で午後11時からとのことで、同じくNRK(思っていたよりも音質は良好でした。)で聴いてみたいと思います。
25日に開幕したドイツのバイロイト音楽祭で、初日に名作「トリスタンとイゾルデ」を指揮した大阪フィル音楽監督の大植英次さん(47)は、感性ゆたかな響きを紡いで聴衆の盛んな拍手を浴びた。
昨日開幕したバイロイト音楽祭。初日大植さんが振られた「トリスタンとイゾルデ」は、一部演出へのブーイングがあった以外は、概ね好意的に迎えられたそうです。まだ詳細が分からないので何とも言えませんが、出足は良好だったようです。
ところで、昨日の公演ですが、私もNRK(ノルウェー国営放送)のインターネットラジオで一幕まで聴きました。序曲からやや表情が硬く、響きも全体的に平板な印象も受けましたが、どうやら二幕、三幕と尻上がりに調子を上げたようです。(そちらはこれから録音で聴いてみたいと思います。)私が一番感銘を受けたのは、イゾルデのNina Stemmeでしょうか。突き抜けるような強靭な歌声は、音楽をぐっと引き締めていて、最初から抜群の存在感を示していました。
今日はライブでは密かに(?)人気があるという、ピーター・シュナーダーの「ローエングリン」です。上演は日本時間で午後11時からとのことで、同じくNRK(思っていたよりも音質は良好でした。)で聴いてみたいと思います。
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バイロイト音楽祭2005
明日からいよいよバイロイト音楽祭が始まります。今年の音楽祭の最大の注目は、指揮者では日本人初の登場となる(東洋人初でもあります。)大植英次さんの「トリスタンとイゾルデ」でしょうか。大植さんのバイロイト登場は、以前に報道でも「歴史的な快挙」として大きく取り上げられましたが、いよいよ本番とのことで期待が高まります。
さて、インターネットラジオの詳細な情報を載せたブログ「オペラキャスト」(いつも有難く重宝させていただいております。)によれば、音楽祭の模様は、ヨーロッパの各インターネットラジオ局で生放送されるとのことです。「トリスタンとイゾルデ」は明日25日の公演で、現地時間15:55、つまり日本時間で22:55からの放送となります。当然ながら時差の関係で開始時間が遅く、寝不足になることは確実ですが、年末のNHK-FMの放送を待たないで聴くことができるのは貴重な機会です。自信はあまりませんが、最後まで聴いてみようかと思います。(ちなみに「オペラキャスト」様のブログには、ラジオの録音の方法などについての丁寧な情報もあります。)
さて、インターネットラジオの詳細な情報を載せたブログ「オペラキャスト」(いつも有難く重宝させていただいております。)によれば、音楽祭の模様は、ヨーロッパの各インターネットラジオ局で生放送されるとのことです。「トリスタンとイゾルデ」は明日25日の公演で、現地時間15:55、つまり日本時間で22:55からの放送となります。当然ながら時差の関係で開始時間が遅く、寝不足になることは確実ですが、年末のNHK-FMの放送を待たないで聴くことができるのは貴重な機会です。自信はあまりませんが、最後まで聴いてみようかと思います。(ちなみに「オペラキャスト」様のブログには、ラジオの録音の方法などについての丁寧な情報もあります。)
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今年の「最多入場者数展覧会」は、横浜美術館の「ルーヴル美術館展」?
つい先日終了した横浜美術館の「ルーヴル美術館展」ですが、(7月30日からは京都市美術館で開催されます。)総入場者数は約62万人を越えたそうです。幸いにして私が出向いた時はあまり混雑していなくて、予想以上にゆっくりと鑑賞することができたのですが、日によっては「何時間待ち」ということもあったそうです。もちろん、展覧会の内容そのものは素晴らしく、私もアングルやドラクロワ等の名作を思いっきり堪能してきましたが、これだけの人数となると、もしかしたら「ルーヴル」という「ブランド力」によるものもあったかもしれません。
ちなみに62万人とは、それぞれの年で最も入場者を集めた展覧会、例えば、2004年の「草間彌生展」(森美術館・52万人)や、2003年の「大英博物館の至宝展」(東京都美術館・50万人)、それに2002年の「プラド美術館展」(国立西洋美術館・52万人)なども上回る数字です。久々の「大入り」と言っても良く、今年最も集客した展覧会となる可能性もありそうです。
ところで、私が今年見た美術展の中で、最も混雑している印象を受けた「ゴッホ展」(東京国立近代美術館)は、約52万人の入場者数だったそうです。これは、日本で開催された「ゴッホ展」の中では最も入場者が多かったと言う、ある意味で「歴史的」な展覧会だったのですが、会期は異なるにしろ、ルーヴル美術館展には一歩及ばなかったようです。
今までに国内で開催されたもの中で、最も入場者が多かった展覧会は一体何でしょうか。1974年に東京国立博物館で開催された「モナ・リザ展」が150万人(!)を集めたという記録は見つかりましたが、実際の所はどうでしょうか。
ちなみに62万人とは、それぞれの年で最も入場者を集めた展覧会、例えば、2004年の「草間彌生展」(森美術館・52万人)や、2003年の「大英博物館の至宝展」(東京都美術館・50万人)、それに2002年の「プラド美術館展」(国立西洋美術館・52万人)なども上回る数字です。久々の「大入り」と言っても良く、今年最も集客した展覧会となる可能性もありそうです。
ところで、私が今年見た美術展の中で、最も混雑している印象を受けた「ゴッホ展」(東京国立近代美術館)は、約52万人の入場者数だったそうです。これは、日本で開催された「ゴッホ展」の中では最も入場者が多かったと言う、ある意味で「歴史的」な展覧会だったのですが、会期は異なるにしろ、ルーヴル美術館展には一歩及ばなかったようです。
今までに国内で開催されたもの中で、最も入場者が多かった展覧会は一体何でしょうか。1974年に東京国立博物館で開催された「モナ・リザ展」が150万人(!)を集めたという記録は見つかりましたが、実際の所はどうでしょうか。
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「写真はものの見方をどのように変えてきたか 第2部 -創造- 」 東京都写真美術館 7/17
東京都写真美術館(目黒区三田)
「写真はものの見方をどのように変えてきたか 第2部 -創造- 」
5/28~7/18(会期終了)
東京都写真美術館が「開館10周年記念特別企画」として開催している「写真はものの見方をどのように変えてきたか」シリーズ。先日、その第二部である「創造」を見てきました。第一部の「誕生」では、写真の黎明期を、博物館的な展示を交えながら概観していましたが、「創造」では、19世紀末から20世紀初頭にかけて、写真がいよいよ「芸術」としての地位を確立する経過を辿ります。写真表現の可能性の原点を探る展覧会でした。
興味深かったのは、写真をまるで絵画のように見せようとする「ピクトリアリズム」(絵画主義)です。まるで、印象派の画風を思わせるような写真は、今見るとかなり奇妙に感じられます。わざとピントを外して朧げな雰囲気を醸し出した作品や、人物や事物を出来るだけ絵画風に配置した作品などは、まさに絵画そのものとも言えるでしょう。セピア色が美しいロビンソンの「夜明けと日没」(1885年)では、赤ん坊を抱いた女性と、半ば背中を向けるように座る老人の対比の構図がとても作為的で、暖炉を後景とした全体の構図も含めて、これほど「写真離れした写真」はありません。写真を芸術の地位へ引き揚げようとする時、既に芸術の地位にあった絵画へ近付こうとするのは、至極真っ当なことかもしれませんが、それはあくまでも「絵画への模倣」として終わってしまったようにも思いました。
「ピクトリアリズム」の後は一転してストレートな写真が目立ってきます。客船の中の雑踏を大胆な構図で捉えたスティーグリッツの「三等船室」(1907年)や、戦前の沖縄の市場を有り体に構えないで写し出した木村伊兵衛の「那覇の市場」(1935年)などは、写真でしかあり得ない表現を美しく見せてくれます。物を見るだけでは気がつかない光と影の交錯や、瞬間を切り取った時の構図としての面白さなど、その後に登場したいわゆるシュルレアリスムの作品よりも楽しく見ることができました。(もちろん、「芸術となった写真」の面白さを否定する訳ではありませんが…。)
次回、7月23日から開催される「再生」では、「12人の写真家たちと戦争」をキーワードにして、写真家の生き様を巡りながら、その表現の方向性を探るそうです。こちらも楽しみです。(第一部の感想はこちらです。)
「写真はものの見方をどのように変えてきたか 第2部 -創造- 」
5/28~7/18(会期終了)
東京都写真美術館が「開館10周年記念特別企画」として開催している「写真はものの見方をどのように変えてきたか」シリーズ。先日、その第二部である「創造」を見てきました。第一部の「誕生」では、写真の黎明期を、博物館的な展示を交えながら概観していましたが、「創造」では、19世紀末から20世紀初頭にかけて、写真がいよいよ「芸術」としての地位を確立する経過を辿ります。写真表現の可能性の原点を探る展覧会でした。
興味深かったのは、写真をまるで絵画のように見せようとする「ピクトリアリズム」(絵画主義)です。まるで、印象派の画風を思わせるような写真は、今見るとかなり奇妙に感じられます。わざとピントを外して朧げな雰囲気を醸し出した作品や、人物や事物を出来るだけ絵画風に配置した作品などは、まさに絵画そのものとも言えるでしょう。セピア色が美しいロビンソンの「夜明けと日没」(1885年)では、赤ん坊を抱いた女性と、半ば背中を向けるように座る老人の対比の構図がとても作為的で、暖炉を後景とした全体の構図も含めて、これほど「写真離れした写真」はありません。写真を芸術の地位へ引き揚げようとする時、既に芸術の地位にあった絵画へ近付こうとするのは、至極真っ当なことかもしれませんが、それはあくまでも「絵画への模倣」として終わってしまったようにも思いました。
「ピクトリアリズム」の後は一転してストレートな写真が目立ってきます。客船の中の雑踏を大胆な構図で捉えたスティーグリッツの「三等船室」(1907年)や、戦前の沖縄の市場を有り体に構えないで写し出した木村伊兵衛の「那覇の市場」(1935年)などは、写真でしかあり得ない表現を美しく見せてくれます。物を見るだけでは気がつかない光と影の交錯や、瞬間を切り取った時の構図としての面白さなど、その後に登場したいわゆるシュルレアリスムの作品よりも楽しく見ることができました。(もちろん、「芸術となった写真」の面白さを否定する訳ではありませんが…。)
次回、7月23日から開催される「再生」では、「12人の写真家たちと戦争」をキーワードにして、写真家の生き様を巡りながら、その表現の方向性を探るそうです。こちらも楽しみです。(第一部の感想はこちらです。)
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ヨハネス・フェルメール 「窓辺で手紙を読む若い女」 ドレスデン国立美術館展から
国立西洋美術館
ドレスデン国立美術館展(6/28~9/19)
「ヨハネス・フェルメール -窓辺で手紙を読む若い女- 」(1659年頃)
輝かしい光を呼び込むように、大きく開かれた窓越しに佇むのは、姿勢を正しながらもうつむき加減に手紙へ視線を落とす一人の女性です。前景のカーテンやタペストリー、または果物や背もたれだけが見える椅子と、作品の空間は決して簡素ではありませんが、この女性にまつわる物語を排除するような、極めて静謐な雰囲気が漂っています。今、国立西洋美術館で開催中の「ドレスデン国立美術館展」で最も注目されている、フェルメール初期の風俗画として名高い「窓辺で手紙を読む若い女」です。
この作品で最も素晴らしく感じたのは、各素材の質を徹底して塗り分けたフェルメールの卓越した表現力です。毛布のような厚手のテーブルクロスと、紙のようにゴワゴワとしたカーテン、それに女性の上半身をまとう衣服は、どれも厚塗りで仕上げられていて、極めて高い質感を見せています。特にテーブルクロスは、窓から差し込む光を吸収しては解き放つように息づいていて、まるで点描画を思わせるような繊細なタッチで、光の粒子が端正に描き込まれています。大きな器からテーブルへ転げ落ちるように置かれた果物の質感と同様に、光をこれほど率直に絵具で表現できることは、技法的には確立されていたとしても、殆ど奇跡を思わせる世界です。カーテンに当たる光は、やや明かりが強過ぎるようにも思えましたが、シワの自然な連なりや、下部の糸に見られる細かい部分の表現にも目を奪われます。
一方で、開け放された窓にかかる柔らかなカーテンや、滑らかな生地感を思わせる黒い女性のスカートは、薄く塗られた絵具の効果もあってか、実に穏やかに配置されていました。また、光のグラデーションが巧みに表現された壁面の大きな空間も、決して主張し過ぎることがありません。まるで、カーテンやテーブルクロスなどの質感とのバランスに配慮しているかのようです。窓枠の外の部分で見せる、白い光の輝かしくも落ち着いた気配と合わせて、この作品の静謐さを最も美しく表現した部分だと思いました。
構図については専門的なことが全く分からないので何とも言えませんが、キューピットの絵を消して描かれたいうカーテンの存在は、その結果大きくとられた壁面と合わせて、視点を手紙を読む女性に集中させる上に、視点を右から左、つまりカーテンから窓へ向かわせる効果があるように思います。また、上部のカーテンレールと、下部に伸びる暗い影は、半ば上下対称的な配置になっていて、その内側の部分をクローズアップするような効力を持っているようにも感じました。物語性こそ希薄な作品ですが、当然ながら視線の核にあるのは女性です。(そしてその女性の表情は、窓ガラスに映った影で朧げに分かります。ハッキリと見せないところが、また謎めいた要素を生み出して、物語を付け加えさせないのかも知れません。)
カーテン越しに覗き込むような構図の上に、部屋で女性が手紙を読んでいるというプライベートな空間は、仰ぎ見るよりも、手に取るようにして近づいて見た方が、よりその魅力を感じられると思います。その点では、西洋美術館の展示位置は少々高すぎて、妙に勿体ぶった気配があったかもしれません。作中には、手紙と女性との関係など、物語の背景の明快な解答がなく、全てが暗示的に与えられています。そこがまた、「一度見たら満足。」ということを許さずに、見終わっても後ろ髪をひくような気持ちにさせるのかもしれません。「一目惚れ」とはいきませんでしたが、内に秘めた魔力的な魅力を感じる作品でした。
ドレスデン国立美術館展(6/28~9/19)
「ヨハネス・フェルメール -窓辺で手紙を読む若い女- 」(1659年頃)
輝かしい光を呼び込むように、大きく開かれた窓越しに佇むのは、姿勢を正しながらもうつむき加減に手紙へ視線を落とす一人の女性です。前景のカーテンやタペストリー、または果物や背もたれだけが見える椅子と、作品の空間は決して簡素ではありませんが、この女性にまつわる物語を排除するような、極めて静謐な雰囲気が漂っています。今、国立西洋美術館で開催中の「ドレスデン国立美術館展」で最も注目されている、フェルメール初期の風俗画として名高い「窓辺で手紙を読む若い女」です。
この作品で最も素晴らしく感じたのは、各素材の質を徹底して塗り分けたフェルメールの卓越した表現力です。毛布のような厚手のテーブルクロスと、紙のようにゴワゴワとしたカーテン、それに女性の上半身をまとう衣服は、どれも厚塗りで仕上げられていて、極めて高い質感を見せています。特にテーブルクロスは、窓から差し込む光を吸収しては解き放つように息づいていて、まるで点描画を思わせるような繊細なタッチで、光の粒子が端正に描き込まれています。大きな器からテーブルへ転げ落ちるように置かれた果物の質感と同様に、光をこれほど率直に絵具で表現できることは、技法的には確立されていたとしても、殆ど奇跡を思わせる世界です。カーテンに当たる光は、やや明かりが強過ぎるようにも思えましたが、シワの自然な連なりや、下部の糸に見られる細かい部分の表現にも目を奪われます。
一方で、開け放された窓にかかる柔らかなカーテンや、滑らかな生地感を思わせる黒い女性のスカートは、薄く塗られた絵具の効果もあってか、実に穏やかに配置されていました。また、光のグラデーションが巧みに表現された壁面の大きな空間も、決して主張し過ぎることがありません。まるで、カーテンやテーブルクロスなどの質感とのバランスに配慮しているかのようです。窓枠の外の部分で見せる、白い光の輝かしくも落ち着いた気配と合わせて、この作品の静謐さを最も美しく表現した部分だと思いました。
構図については専門的なことが全く分からないので何とも言えませんが、キューピットの絵を消して描かれたいうカーテンの存在は、その結果大きくとられた壁面と合わせて、視点を手紙を読む女性に集中させる上に、視点を右から左、つまりカーテンから窓へ向かわせる効果があるように思います。また、上部のカーテンレールと、下部に伸びる暗い影は、半ば上下対称的な配置になっていて、その内側の部分をクローズアップするような効力を持っているようにも感じました。物語性こそ希薄な作品ですが、当然ながら視線の核にあるのは女性です。(そしてその女性の表情は、窓ガラスに映った影で朧げに分かります。ハッキリと見せないところが、また謎めいた要素を生み出して、物語を付け加えさせないのかも知れません。)
カーテン越しに覗き込むような構図の上に、部屋で女性が手紙を読んでいるというプライベートな空間は、仰ぎ見るよりも、手に取るようにして近づいて見た方が、よりその魅力を感じられると思います。その点では、西洋美術館の展示位置は少々高すぎて、妙に勿体ぶった気配があったかもしれません。作中には、手紙と女性との関係など、物語の背景の明快な解答がなく、全てが暗示的に与えられています。そこがまた、「一度見たら満足。」ということを許さずに、見終わっても後ろ髪をひくような気持ちにさせるのかもしれません。「一目惚れ」とはいきませんでしたが、内に秘めた魔力的な魅力を感じる作品でした。
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IEMAコンサート 7/15
インターナショナル・アンサンブル・モデルン・アカデミー・コンサート
ライヒ ディファレント・トレインズ
バルトーク 「2台ピアノと打楽器のためのソナタ」より第1楽章
リゲティ エチュード第7番「Galamb Borong」
ユン・インサン ガザ~ヴァイオリンとピアノのための
リゲティ エチュード第4番「ファンファーレ」
原田敬子 クラリネット、ヴァイオリンとチェロのためのAbyss
三善晃 ノクチュルヌ
ラッへルマン プレッション
ゲージ ファイブ
シェーンベルク 4つの歌(op.2)
伊藤聖子 「ケ・セラ・ムジカ!」
指揮 フランク・オルー
演奏 アンサンブル・モデルン
インターナショナル・アンサンブル・モデルン・アカデミー(IEMA)受講生
2005/7/15 19:00 東京文化会館小ホール
日本で初めての開催となったインターナショナル・アンサンブル・モデルン・アカデミー。30名を越える若手音楽家がこの企画に参加し、一週間ばかり、アンサンブル・モデルンのメンバーによる集中レッスンを受けたそうですが、先日、その成果発表の場となったファイナル・コンサートを聴いてきました。
登場した方々の大半はアカデミーの受講生で、どちらかと言えばアンサンブル・モデルンのメンバーは、そのサポートに徹していたように思います。私は単純に、大好きなライヒを、ホールで格安で聴くことができると思って出向いたのですが、受講生の方々の熱心な音楽への情熱と、アンサンブル・モデルンのメンバーの高い音楽性が合わさった、なかなか素晴らしいコンサートだったと思います。
一番始めに演奏された曲が、私が最も聴きたかったライヒの「ディファレント・トレインズ」でした。チェロのグリマーと、音響効果を担当したオマーがアンサンブル・モデルンのメンバー、そしてヴァイオリンとヴィオラは受講生による演奏です。小ホールいっぱいに響き渡ったミニマルの音の紡ぎは、波に体をゆだねながらプカプカと海面を彷徨うような気持ちにさせられます。実際にステージに接すると、当然ながらCDとは異なった印象を受けるのですが、弦楽四重奏とテープの組み合わせによる、単純なようで繊細かつ多彩な音響の面白みは、やはりホールの大きな空間で体全体で受け止めた方が心地良く感じられました。
チェロのソナタ風の作品であるラッへルマンの「プレッション」は、いわゆる「ゲンダイオンガク」の真骨頂のような作品です。グリマーは、楽器のあちこちを叩いたり撫でたりと、大凡演奏とはほど遠いような行為をチェロに行いますが、実際に目の前でその姿を見ると、やはりかなり滑稽に感じられます。音楽の「フルクサス」と言っても良いのでしょうか。
受講生の伊藤聖子さんがこの日のために作曲したという「ケ・セラ・ムジカ!」は、弦楽四重奏と2台のピアノが登場する作品です。印象的なフレーズがいくつか繰り返されながら、チェロやピアノなどの音の連鎖が続きます。妙な仕掛けもなく、素朴な感触が好印象でした。また、ホールの前後左右に五名の奏者を配したゲージの「ファイブ」や、厳しい緊張感を持続させながらも、随所に自然への信仰を思わせるような音の連なりが美しいユン・インサンの「ガザ」などが印象に残りました。
会場の入りは客席の半分程度で、来られていた方もこの企画と関係のある方が多いように見受けられましたが、私のような全くの素人でも楽しめるコンサートだったと思います。今年初めて開催された企画とのことですが、今後の継続にも期待したいです。
ライヒ ディファレント・トレインズ
バルトーク 「2台ピアノと打楽器のためのソナタ」より第1楽章
リゲティ エチュード第7番「Galamb Borong」
ユン・インサン ガザ~ヴァイオリンとピアノのための
リゲティ エチュード第4番「ファンファーレ」
原田敬子 クラリネット、ヴァイオリンとチェロのためのAbyss
三善晃 ノクチュルヌ
ラッへルマン プレッション
ゲージ ファイブ
シェーンベルク 4つの歌(op.2)
伊藤聖子 「ケ・セラ・ムジカ!」
指揮 フランク・オルー
演奏 アンサンブル・モデルン
インターナショナル・アンサンブル・モデルン・アカデミー(IEMA)受講生
2005/7/15 19:00 東京文化会館小ホール
日本で初めての開催となったインターナショナル・アンサンブル・モデルン・アカデミー。30名を越える若手音楽家がこの企画に参加し、一週間ばかり、アンサンブル・モデルンのメンバーによる集中レッスンを受けたそうですが、先日、その成果発表の場となったファイナル・コンサートを聴いてきました。
登場した方々の大半はアカデミーの受講生で、どちらかと言えばアンサンブル・モデルンのメンバーは、そのサポートに徹していたように思います。私は単純に、大好きなライヒを、ホールで格安で聴くことができると思って出向いたのですが、受講生の方々の熱心な音楽への情熱と、アンサンブル・モデルンのメンバーの高い音楽性が合わさった、なかなか素晴らしいコンサートだったと思います。
一番始めに演奏された曲が、私が最も聴きたかったライヒの「ディファレント・トレインズ」でした。チェロのグリマーと、音響効果を担当したオマーがアンサンブル・モデルンのメンバー、そしてヴァイオリンとヴィオラは受講生による演奏です。小ホールいっぱいに響き渡ったミニマルの音の紡ぎは、波に体をゆだねながらプカプカと海面を彷徨うような気持ちにさせられます。実際にステージに接すると、当然ながらCDとは異なった印象を受けるのですが、弦楽四重奏とテープの組み合わせによる、単純なようで繊細かつ多彩な音響の面白みは、やはりホールの大きな空間で体全体で受け止めた方が心地良く感じられました。
チェロのソナタ風の作品であるラッへルマンの「プレッション」は、いわゆる「ゲンダイオンガク」の真骨頂のような作品です。グリマーは、楽器のあちこちを叩いたり撫でたりと、大凡演奏とはほど遠いような行為をチェロに行いますが、実際に目の前でその姿を見ると、やはりかなり滑稽に感じられます。音楽の「フルクサス」と言っても良いのでしょうか。
受講生の伊藤聖子さんがこの日のために作曲したという「ケ・セラ・ムジカ!」は、弦楽四重奏と2台のピアノが登場する作品です。印象的なフレーズがいくつか繰り返されながら、チェロやピアノなどの音の連鎖が続きます。妙な仕掛けもなく、素朴な感触が好印象でした。また、ホールの前後左右に五名の奏者を配したゲージの「ファイブ」や、厳しい緊張感を持続させながらも、随所に自然への信仰を思わせるような音の連なりが美しいユン・インサンの「ガザ」などが印象に残りました。
会場の入りは客席の半分程度で、来られていた方もこの企画と関係のある方が多いように見受けられましたが、私のような全くの素人でも楽しめるコンサートだったと思います。今年初めて開催された企画とのことですが、今後の継続にも期待したいです。
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「21/21 DESIGN SIGHT」と「サントリー美術館」 東京ミッドタウン
東京では初めて都庁を上回る高さとなる超高層ビル一棟を中心とした、六本木の大規模再開発こと「東京ミッドタウン」ですが、既に移転が決定しているサントリー美術館に加えて、東京で初めてというデザインの交流拠点、「21/21 DESIGN SIGHT」(トゥエンティワン・トゥエンティワン デザインサイト)の建設が決定されたそうです。同じく六本木に建設中の、2006年度には開館が予定されている国立新美術館と合わせて、にわかにあの界隈のアートシーンが騒がしくなってきました。
「21/21 DESIGN SIGHT」は、デザインに関する展覧会やワークショップを予定した施設で、東京のデザインの拠点となるべく建設されるそうです。完成予定は2007年春。企画運営は「三宅一生デザイン文化財団」が、設計は「安藤忠雄建築研究所」と「日建設計」が行うそうです。まだ詳細なアナウンスがないので、活動の具体的な内容は伝わってきませんが、「デザインに関する展覧会。」とは何とも興味が惹かれます。完成したら是非足を運んでみたいものです。
一方のサントリー美術館は、1961年に丸の内にオープンし、1975年には赤坂見附へ移転した日本の古美術品に定評のある美術館です。現在は「東京ミッドタウン」への移転準備のために休館中ですが、2007年にスタートする新たな美術館は、以前の2倍のスペースが予定されているそうで、こちらも大変に力の入った運営が期待されます。
森美術館の展覧会を鑑賞した後は、国立新美術館の企画展や、東京ミッドタウンの二つの芸術の拠点へ足を運ぶ…。二年後の六本木にはこんな楽しみ方が可能となるのでしょうか。待ち遠しいものです。
「21/21 DESIGN SIGHT」は、デザインに関する展覧会やワークショップを予定した施設で、東京のデザインの拠点となるべく建設されるそうです。完成予定は2007年春。企画運営は「三宅一生デザイン文化財団」が、設計は「安藤忠雄建築研究所」と「日建設計」が行うそうです。まだ詳細なアナウンスがないので、活動の具体的な内容は伝わってきませんが、「デザインに関する展覧会。」とは何とも興味が惹かれます。完成したら是非足を運んでみたいものです。
一方のサントリー美術館は、1961年に丸の内にオープンし、1975年には赤坂見附へ移転した日本の古美術品に定評のある美術館です。現在は「東京ミッドタウン」への移転準備のために休館中ですが、2007年にスタートする新たな美術館は、以前の2倍のスペースが予定されているそうで、こちらも大変に力の入った運営が期待されます。
森美術館の展覧会を鑑賞した後は、国立新美術館の企画展や、東京ミッドタウンの二つの芸術の拠点へ足を運ぶ…。二年後の六本木にはこんな楽しみ方が可能となるのでしょうか。待ち遠しいものです。
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「小林古径展 後期」 東京国立近代美術館 7/10
東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
「近代日本画の名匠 小林古径展」
6/7~7/18
先日、展示品の大多数が入れ替わった「小林古径展」へ改めて行ってきました。前期の展示では、花鳥画と人物画に特に魅力を感じましたが、今回は風景画の味わいにも惹かれるものがありました。
まずは、大胆に縦に長くとられた構図に、海の深い青みと社の赤みとが美しく映える「住吉詣図」(1913年)です。縦長の構図は画面に奥行きをもたらして、手前の海の「青」と奥の住吉の「赤」の対比をより深く印象付けます。また、手前の深みから波打ち際へ向かっての色の変化の様子や、眼を凝らして見ないと分からない程、薄く細い線で端正に描かれた波のうねりの描写も魅力的でした。社の落ち着いた佇まいや、可愛らしく飛ぶ白鳥の姿も、この作品の魅力をさらに増していたと思います。
霞の中から優しく浮び出す厳島神社の鳥居。「伊都岐島」では、その背景に控える山々の姿や、鳥居の後方に佇む社の連なりが、全て微睡んでいるかのように朧げに描かれていました。霧や水面の様子をこれほど柔らかに、そして穏やかに描いた作品はなかなかありません。古径の風景画の中でも「傑作」と言えるのではないでしょうか。
前回も惹かれた花鳥画の中で、今回最も印象に残ったのは「孔雀」(1934年)でした。鮮やかでありながら、決して深すぎることのない爽やかな緑色の羽を大きく広げた孔雀。近くから見ると、一つ一つの羽の様を描いた繊細な筆に魅了されますが、遠目から見つめてもまた、端正で凛と伸ばした幾重にも広がる羽の様子が力強く映えてきます。絶妙に変化する緑色のグラデーションもため息が出る程美しくて、ずっと前に立っていたい気持ちにさせられるような作品でした。
人物画では「髪」(1931年)がとても印象的です。乳房を露にした女性が、姿勢良く髪を梳いてもらっています。筆の迷いを感じない、ハッキリとした線で簡素に描かれた女性は、後ろへ長く垂らす豊かな髪の素晴らしい質感(湿り気を感じます。)と相まって、とても清楚な雰囲気を見せています。心が洗われるような透明感のある作品でした。
前期と後期それぞれ一回ずつ、合わせて二度、この展覧会へ足を運びましたが、今年見た日本画の中では、最も惹かれるものを感じました。古径の魅力を心から味わうことが出来た展覧会でした。
*前期展示の感想はこちら。
「近代日本画の名匠 小林古径展」
6/7~7/18
先日、展示品の大多数が入れ替わった「小林古径展」へ改めて行ってきました。前期の展示では、花鳥画と人物画に特に魅力を感じましたが、今回は風景画の味わいにも惹かれるものがありました。
まずは、大胆に縦に長くとられた構図に、海の深い青みと社の赤みとが美しく映える「住吉詣図」(1913年)です。縦長の構図は画面に奥行きをもたらして、手前の海の「青」と奥の住吉の「赤」の対比をより深く印象付けます。また、手前の深みから波打ち際へ向かっての色の変化の様子や、眼を凝らして見ないと分からない程、薄く細い線で端正に描かれた波のうねりの描写も魅力的でした。社の落ち着いた佇まいや、可愛らしく飛ぶ白鳥の姿も、この作品の魅力をさらに増していたと思います。
霞の中から優しく浮び出す厳島神社の鳥居。「伊都岐島」では、その背景に控える山々の姿や、鳥居の後方に佇む社の連なりが、全て微睡んでいるかのように朧げに描かれていました。霧や水面の様子をこれほど柔らかに、そして穏やかに描いた作品はなかなかありません。古径の風景画の中でも「傑作」と言えるのではないでしょうか。
前回も惹かれた花鳥画の中で、今回最も印象に残ったのは「孔雀」(1934年)でした。鮮やかでありながら、決して深すぎることのない爽やかな緑色の羽を大きく広げた孔雀。近くから見ると、一つ一つの羽の様を描いた繊細な筆に魅了されますが、遠目から見つめてもまた、端正で凛と伸ばした幾重にも広がる羽の様子が力強く映えてきます。絶妙に変化する緑色のグラデーションもため息が出る程美しくて、ずっと前に立っていたい気持ちにさせられるような作品でした。
人物画では「髪」(1931年)がとても印象的です。乳房を露にした女性が、姿勢良く髪を梳いてもらっています。筆の迷いを感じない、ハッキリとした線で簡素に描かれた女性は、後ろへ長く垂らす豊かな髪の素晴らしい質感(湿り気を感じます。)と相まって、とても清楚な雰囲気を見せています。心が洗われるような透明感のある作品でした。
前期と後期それぞれ一回ずつ、合わせて二度、この展覧会へ足を運びましたが、今年見た日本画の中では、最も惹かれるものを感じました。古径の魅力を心から味わうことが出来た展覧会でした。
*前期展示の感想はこちら。
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フェスタ サマーミューザKAWASAKI 2005
来週の23日からミューザ川崎シンフォニーホールで、「サマーミューザKAWASAKI2005」が開催されます。これは、「これまでのコンサートになかった『何か』を創りだす。」をコンセプトに、N響から東フィル、それにフランチャイズの東響など、在京の九つのオーケストラが連日登場する音楽祭です。具体的にテーマを絞った音楽祭(例えば作曲家など。)ではありませんが、在京オーケストラが一つのホールに集うこと自体が珍しいことです。なかなか意欲的な試みかと思います。
チケットの価格設定が、コンサートによってバラツキはあるものの、総じて良心的(3000円程度)なのも嬉しいところです。プログラムはいわゆる「名曲」ばかりですが、これはコアなクラシックファン以外へ間口を広げる意味もあるのでしょうか。また、リハーサルと本番をセットにしたコンサートや、ホールご自慢のオルガンを使ったコンサートなども企画されています。決して小難しくなく、しかも安価にクラシックを楽しめるよう配慮された音楽祭とは、ゴールデンウィークに行われた「熱狂の日」などと同じく、これからのクラシックコンサートの楽しみ方の一つとなるかもしれません。
宣伝不足なのか、ぴあによれば、まだチケットがかなり残っているようです。私もこのホールへは一度も行ったことがありません。これを機会に何とか足を運んでみようかと思っています。
「フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2005」
・期間:2005/7/23~8/8
・場所:ミューザ川崎シンフォニーホール(JR川崎駅西口)
・主な公演:
7/23(土)15:00 東京交響楽団(指揮:秋山和慶)「ジョン・ウィリアムズの世界」
7/23(土)18:00 東京交響楽団(指揮:秋山和慶)「ウィンナ・ワルツ&オペレッタ」
7/24(日)16:00 東京都交響楽団(指揮:若杉弘)「マーラー:交響曲第5番」
7/29(金)16:00 神奈川フィル(指揮:現田茂夫)「バーンスタイン:ウェストサイド・ストーリー他」
7/30(土)18:00 読売日本交響楽団(指揮:ゲルト・アルブレヒト)「ベートーヴェン:交響曲第6番他」
7/31(日)14:00 東京フィル(指揮:チョン・ミョンフン)「ドヴォルザーク:交響曲第8番他」
8/2(火)15:00 NHK交響楽団(指揮:山下一史)「チャイコフスキー:組曲『白鳥の湖』他」
8/5(金)20:00 日本フィルハーモニー(指揮:小林研一郎)「ベートーヴェン:交響曲第9番」
8/6(土)15:00 東京シティ・フィル(指揮:矢崎彦太郎)「ドビュッシー:歌劇「ペリアスとメリザンド」より管弦楽曲抜粋他」
8/6(土)18:00 東京シティ・フィル(指揮:飯守泰次郎)「ワーグナー:『ニーベルングの指環』より管弦楽曲抜粋」
8/7(日)16:00 新日本フィルハーモニー(指揮:井上道義)「ドビュッシー:交響詩『海』他」
8/8(月)15:00 東京交響楽団(指揮:堀俊輔)「ホリヤンの誰でもオーケストラ入門」
8/8(月)19:30 東京交響楽団(指揮:飯森範親)「オルフ:世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』」
チケットの価格設定が、コンサートによってバラツキはあるものの、総じて良心的(3000円程度)なのも嬉しいところです。プログラムはいわゆる「名曲」ばかりですが、これはコアなクラシックファン以外へ間口を広げる意味もあるのでしょうか。また、リハーサルと本番をセットにしたコンサートや、ホールご自慢のオルガンを使ったコンサートなども企画されています。決して小難しくなく、しかも安価にクラシックを楽しめるよう配慮された音楽祭とは、ゴールデンウィークに行われた「熱狂の日」などと同じく、これからのクラシックコンサートの楽しみ方の一つとなるかもしれません。
宣伝不足なのか、ぴあによれば、まだチケットがかなり残っているようです。私もこのホールへは一度も行ったことがありません。これを機会に何とか足を運んでみようかと思っています。
「フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2005」
・期間:2005/7/23~8/8
・場所:ミューザ川崎シンフォニーホール(JR川崎駅西口)
・主な公演:
7/23(土)15:00 東京交響楽団(指揮:秋山和慶)「ジョン・ウィリアムズの世界」
7/23(土)18:00 東京交響楽団(指揮:秋山和慶)「ウィンナ・ワルツ&オペレッタ」
7/24(日)16:00 東京都交響楽団(指揮:若杉弘)「マーラー:交響曲第5番」
7/29(金)16:00 神奈川フィル(指揮:現田茂夫)「バーンスタイン:ウェストサイド・ストーリー他」
7/30(土)18:00 読売日本交響楽団(指揮:ゲルト・アルブレヒト)「ベートーヴェン:交響曲第6番他」
7/31(日)14:00 東京フィル(指揮:チョン・ミョンフン)「ドヴォルザーク:交響曲第8番他」
8/2(火)15:00 NHK交響楽団(指揮:山下一史)「チャイコフスキー:組曲『白鳥の湖』他」
8/5(金)20:00 日本フィルハーモニー(指揮:小林研一郎)「ベートーヴェン:交響曲第9番」
8/6(土)15:00 東京シティ・フィル(指揮:矢崎彦太郎)「ドビュッシー:歌劇「ペリアスとメリザンド」より管弦楽曲抜粋他」
8/6(土)18:00 東京シティ・フィル(指揮:飯守泰次郎)「ワーグナー:『ニーベルングの指環』より管弦楽曲抜粋」
8/7(日)16:00 新日本フィルハーモニー(指揮:井上道義)「ドビュッシー:交響詩『海』他」
8/8(月)15:00 東京交響楽団(指揮:堀俊輔)「ホリヤンの誰でもオーケストラ入門」
8/8(月)19:30 東京交響楽団(指揮:飯森範親)「オルフ:世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』」
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ゲルハルト・リヒター 「抽象絵画(赤)」 東京国立近代美術館から
東京国立近代美術館
常設展示
「ゲルハルト・リヒター -抽象絵画(赤)- 」(1994年)
2メートル×3メートルの大きなカンヴァスに、何度も何度も塗り重なった油彩の重み。一見、赤い帯が横方向に大きく塗られているように見えますが、その内側にはいくつもの絵具の痕跡が伺えます。これは一体、何をイメージさせるのでしょう。
ドイツ現代美術の第一人者として知られるゲルハルト・リヒター(1932~)は、様々なジャンルへの創作を続けながら目まぐるしく作風を変化させることでも有名ですが、私が実際に見た作品は少なく、東京国立近代美術館が所蔵するこの作品が一番印象に残っています。赤のベールを脱ぎ去ったカンヴァスには何があるのかと、一番外側の「赤」の内側を見てみたい気にさせられますが、展示室にはこの作品の過程を示す写真も置かれていて、ある程度理解できるように工夫されていました。
一面の「赤」ということで、つい先日、川村記念美術館で見たロスコの作品を思い起こさせましたが、受け取る印象は全く異なります。リヒターの作品は、妙に生々しく、細い線や面的に塗られた油彩は、人体と関係するもの、例えば脳の神経の広がりや血液の流れなどをイメージさせます。タイトルの通り作品は実に抽象的ですが、計算し尽くされたような綿密な空間はあまり感じず、もっとより自由な、色や形の面白さや、その創作の偶然性なども思い起こさせます。絵具が、自ら意思を持つようにカンヴァスへ息づいている。そのようにも感じました。
私にとってリヒターはまだまだ「未知の世界」の領域です。何か良い機会があればと思っていたら、今年11月から来年の1月にかけて、川村記念美術館で彼の展覧会が開催されるそうです。川村では、2001年にもリヒターの写真作品を中心とした展覧会が行われましたが、今度は絵画中心の企画となるそうです。これは今から楽しみです。
常設展示
「ゲルハルト・リヒター -抽象絵画(赤)- 」(1994年)
2メートル×3メートルの大きなカンヴァスに、何度も何度も塗り重なった油彩の重み。一見、赤い帯が横方向に大きく塗られているように見えますが、その内側にはいくつもの絵具の痕跡が伺えます。これは一体、何をイメージさせるのでしょう。
ドイツ現代美術の第一人者として知られるゲルハルト・リヒター(1932~)は、様々なジャンルへの創作を続けながら目まぐるしく作風を変化させることでも有名ですが、私が実際に見た作品は少なく、東京国立近代美術館が所蔵するこの作品が一番印象に残っています。赤のベールを脱ぎ去ったカンヴァスには何があるのかと、一番外側の「赤」の内側を見てみたい気にさせられますが、展示室にはこの作品の過程を示す写真も置かれていて、ある程度理解できるように工夫されていました。
一面の「赤」ということで、つい先日、川村記念美術館で見たロスコの作品を思い起こさせましたが、受け取る印象は全く異なります。リヒターの作品は、妙に生々しく、細い線や面的に塗られた油彩は、人体と関係するもの、例えば脳の神経の広がりや血液の流れなどをイメージさせます。タイトルの通り作品は実に抽象的ですが、計算し尽くされたような綿密な空間はあまり感じず、もっとより自由な、色や形の面白さや、その創作の偶然性なども思い起こさせます。絵具が、自ら意思を持つようにカンヴァスへ息づいている。そのようにも感じました。
私にとってリヒターはまだまだ「未知の世界」の領域です。何か良い機会があればと思っていたら、今年11月から来年の1月にかけて、川村記念美術館で彼の展覧会が開催されるそうです。川村では、2001年にもリヒターの写真作品を中心とした展覧会が行われましたが、今度は絵画中心の企画となるそうです。これは今から楽しみです。
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ブログのデザインをかえてみました
gooでブログを始めてから既に10ヶ月以上たちますが、テンプレートをかえたのはこれで二回目です。以前は、gooの標準テンプレートをそのまま使っていましたが、今回はCSSの編集ができる「シンプル」の「クリアブルー」をベースにして、ちょこちょこと変更してみました。
私はCSSの知識がないので、手探りで編集するしかないのですが、タイトルに画像(私が撮った拙い写真です…。)を入れ、その他にはフォントや背景の色を変更してみました。基本の「シンプル」のスタイルはそのままで、なるべく見やすさを損なわないようにと心がけたつもりです。しばらくはこのテンプレートでブログを続けてみたいと思います。
gooブログはテンプレートがたくさんあり、その数は200種類以上にも及びます。カジュアルなものからクールな感じのものまで、様々なデザインは選ぶのも大変ですが、今回は少しだけオリジナリティを持って作りました。HTMLの編集が可能な有料の「gooブログアドバンス」も、今なら無料とのことで、お試し的に入ってみましたが、HTMLの知識はまるでなく、こちらは殆ど手を加えていません。勉強すれば色々と出来そうです。
それでは改めまして今後とも「はろるど・わーど」をよろしくお願いします。
私はCSSの知識がないので、手探りで編集するしかないのですが、タイトルに画像(私が撮った拙い写真です…。)を入れ、その他にはフォントや背景の色を変更してみました。基本の「シンプル」のスタイルはそのままで、なるべく見やすさを損なわないようにと心がけたつもりです。しばらくはこのテンプレートでブログを続けてみたいと思います。
gooブログはテンプレートがたくさんあり、その数は200種類以上にも及びます。カジュアルなものからクールな感じのものまで、様々なデザインは選ぶのも大変ですが、今回は少しだけオリジナリティを持って作りました。HTMLの編集が可能な有料の「gooブログアドバンス」も、今なら無料とのことで、お試し的に入ってみましたが、HTMLの知識はまるでなく、こちらは殆ど手を加えていません。勉強すれば色々と出来そうです。
それでは改めまして今後とも「はろるど・わーど」をよろしくお願いします。
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