「様々なる祖型 杉本博司 新収蔵作品展」 国立国際美術館

国立国際美術館大阪市北区中之島4-2-55
「様々なる祖型 杉本博司 新収蔵作品展」(コレクション1 常設展示)
4/7-6/24



広大な展示室が、さながら「地下神殿」のような空間へと変化していました。全12点の近作にて構成された、関西初の杉本博司の個展です。常設展示コーナーにて開催されています。

 

会場は「コレクション1」(常設展)の一展示室を使用するのみですが、そのスペースは、縦、横ともに驚くほど巨大でした。通常は、この空間をいくつかに区切って用いるそうですが、今回は全ての間仕切りが取り払われ、一つの連続した場が生み出されています。そして中央に並び立つのが、まさに「神殿」を支える柱のような5枚の壁です。その両面に、「観念の形」(数学的形体)と「建築」シリーズが背中合わせになって飾られています。暗がりより浮かび上がる作品群は、神々しいまでに静謐でした。



入口方向から見ると全てが「建築」に、そして反対側より眺めるなら「観念の形」が並ぶ仕掛けになっています。これで10作品です。そして残りの2作品のうちの1つは、展示室最奥部の壁に直に飾られた「建築」より「光の教会」(1997/2001)でした。十字架を彩る光が、空間を祝福するようにもれています。まるで見る者を、光に満ちた外の世界へと導いてくれるかのようです。



最後の1点、つまり「ウィリアム・シェイクスピア」(1999)だけは全く異なった場所に展示されていました。それは、入口より正面を向いた壁面の上部です。本来、この部分には採光窓があったそうですが、今回は展示のために閉じられています。その代わりに、蝋人形のシェイクスピアが何やら厳めしい面持ちで立っているわけなのです。

展示構成は杉本自身のプランに基づいています。全12点と言うことで、例えば森美術館の回顧展のような「密度」こそ望めませんが、杉本作品のインスタレーション的妙味は十分に楽しめると思います。

6月24日までの開催です。(5/13)
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「鳥居清長 - 江戸のヴィーナス誕生 - 」 千葉市美術館

千葉市美術館千葉市中央区中央3-10-8
「鳥居清長 - 江戸のヴィーナス誕生 - 」
4/28-6/10

江戸・天明期(1781-89)を代表する浮世絵師、鳥居清長(1752-1815)の大回顧展です。国内外より選ばれた約270点(展示替えあり。)の品々が集います。かつてない規模の清長展です。壮観でした。



まず副題の「江戸のヴィーナス」が気になりますが、これは清長がいわゆる「清長美人」、つまりその特徴的な八頭身美人を描いたことに由来しているのだそうです。彼はその美人を、二枚、あるいは三枚続きのワイドな画面に、さながらポスターでも飾るかのようにして所狭しと並べました。それが当時、極めて斬新であり、また大いに受けていたというわけなのです。

清長が「清長美人」を作り出した時期は意外にも限られています。八頭身を描いたのは、鈴木春信の様式に倣った画業初期の安永期(1772-1780)を経た天明期(1781-89)に入ってからのことですが、その後、喜多川歌麿らの登場によって早くも飽きられてしまい、寛政期(1789-1800)の後期には歌舞伎の絵看板や番付絵の制作へと移ってしまいます。とすると、画業のピークは10年、長く数えても15年程度ということでしょうか。ちなみに寛政期は、かの天才浮世絵師、写楽の出現した時代でもあります。ここに、目まぐるしい浮世絵表現の変遷を見ることも出来そうです。



八頭身美人の妙味を味わえる作品としては、「美南見十二候 七月 夜の送り」を挙げないわけには参りません。墨によって表現された闇夜を背景に、清長美人が左右へと広がるかのようにして並んでいます。ここで興味深いのは、登場している人物の関係です。左から二番目にいる男性は、先導する女性に連れらながらも、やや名残惜しそうに右の女性を見つめています。そしてもちろん、その視線は互いに交じり合っていました。ここは「清長美人」に見入りながら、錯綜する男女の関係を詮索してみるのも面白いかもしれません。



清長は、お得意の八頭身美人を、実際の江戸の光景とリンクして描くことにも長けていました。ちらし表紙にも掲載された「大川端の夕涼」では、足を開けたり団扇を持つ八頭身美人が、まさに隅田川沿いの大川端(現在の中央区佃)で気持ち良さそうに夕涼みする光景が描かれています。また「亀井戸の藤見」でも、花の美しく垂れる藤棚の元、例の美人がこれ見よがしと広がっていました。(場合によっては九頭身美人というのもあったそうです。)また、総じて時代が進むほど、江戸の「名所絵」と「八頭身美人画」の組み合わせは凝ったものになっていきます。江戸っ子を惹き付けるための努力だったのかもしれません。

私自身、浮世絵には苦手意識があり、どうも気の利いた感想を書くことが出来ないのですが、(申し訳ありません。)ともかく「六大浮世絵師」(歌麿・広重・北斎・写楽・春信・清長)の一人を余すことなく紹介する展覧会です。清長の作品は早い段階から海外へ流失し、その研究も殆ど進んでいなかったそうですが、今回の回顧展では、メトロポリタン、ボストン、シカゴなどの美術館からも多数「里帰り」しています。まさに史上最強の清長展と言えそうです。

6月10日までの開催です。もちろんおすすめします。(5/20)
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「タイ王国・現代美術展 Show Me Thai みてみ☆タイ」 東京都現代美術館

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「タイ王国・現代美術展 Show Me Thai みてみ☆タイ」
4/18-5/20(会期終了)



この展覧会がどのような評判を得ていたのかは不明ですが、私としては意外なほど楽しめたので拙ブログに記録しておきます。既に一週間ほど前に会期を終えている、「タイ王国・現代美術展 Show Me Thai みてみ☆タイ」です。入場は無料でした。

いきなりポップな現代アートのオンパレードかと思いきや、導入はタイの近代美術史を軽く概観するという硬派なものでした。東京美術学校にて西洋美術を学び、タイの印象派の先駆けともなった、チト・ブアブットの「雨の新宿」(1942)などはなかなか情緒的です。また、時代は進みますが、タイ近代美術に革命をもたらした画家であるというサワット・タンティスックの「金閣寺」(1999)などにも魅力を感じました。水彩の伸びやかなタッチにて、雨中の金閣を幻想の世界へと誘っています。

展示の大部分は、70年代以降のタイ・現代美術を紹介するコーナーです。ここではタイ人アーティストに混じり、日本人の作品も展示されています。バンコク滞在中に制作した森村泰昌のポートレート、それに同じく同地にて個展開催中に街角を撮りおろした荒木経惟の「トムヤム君の冒険」は見応え十分でした。三輪車タクシーの行き交う道の向こうには、売り物(?)の金剛仏が輝いています。混沌とするアジアの街を、あえて歪んだ構図でピシャリとおさめた見事な作品です。また、奈良美智の犬小屋のオブジェなども展示されていました。

一番惹かれたのは、日本政府からの奨学金も受け、山口博一にも師事した経験のあるヤナウィツト・クンチェートーンの抽象だったかもしれません。版画でありながらメタリックな質感を見せる「豊潤な大地 豊かな水」(2006)と、銅製の黒いオブジェ「啓蒙への移行」の美しさには目を見張るものを感じました。アルプの曲線も思わせるオブジェの美感は優れています。



MOT常設でもお馴染みの「呼吸の家」が、タイ人アーティスト(モンティエン・ブンマー)の作品だったとは知りませんでした。黒い屋根のような部分に入ると、何やら香ばしいハーブの匂いが漂ってきます。おそらくまた常設でも展示されるかと思いますので、これに未体験の方は是非楽しんでみて下さい。

テント小屋に座布団を並べて何やら異常にノリの良い音楽を聞かせる、ナウィン・ラワンチャイクンの「ようこそ!ナウィン・パーティー」(2007)の『ゆるさ』は嫌いではありません。隣にはのんびりくつろげるような休憩スペースまで設けられていました。



最後はブリキやかんの可動式オブジェ、「恐竜」(ポーンタウィーサック・リムサクン)がお待ちかねです。これは2004年、今はなき国際交流基金フォーラム(赤坂)での「Have We Met?」で見て、その可愛らしさに一目惚れした作品ですが、何と12台ある恐竜くんのうち11台が壊れて動きません。ガサガサゴソゴソ、群れるやかんが足をバタバタさせながら、まさしく生き物のように動き回るのが魅力なだけに至極残念でした。

今年は「日タイ修交120周年」に当たります。この展覧会もその一環として企画されたもののようです。(5/20)

*関連リンク
展覧会公式ブログ
2007年 日タイ修好120周年(外務省)
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「生誕100年 靉光展」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「生誕100年 靉光展」
3/30-5/27(会期終了)



生誕100周年を迎えた靉光(本名、石村日郎。1907-1946)の回顧展です。会期最終日の駆け込みで見てきました。



靉光への苦手意識をぬぐい去るのはなかなか難しいようです。常設展示でも接する機会の多い「眼のある風景」(1938)には、いつもどこか背筋の寒くなるような恐怖感と居心地の悪さを覚え、また非常に孤独な面持ちを見る自画像も、その優れた画力には感心しながら、魅力を感じるまでには至っていませんでした。そして結論から言ってしまうと、それらの印象はこの回顧展に接しても殆ど変わらなかったと思います。私には、靉光の閉ざされた「心象風景」をこじ開けるほどの感性がないのかもしれません。見る者に媚びない、モチーフや絵具が沈殿していくような内向きの表現に、奇妙な疎外感すら覚えてしまうのです。



 

とは言え、これまで知らなかった靉光の画に触れられたのは収穫だったと思います。パレットから取り出した絵具をそのままキャンバスへと貼付けたような「海」(1943)や、靉光に独特な色とも言える『燃えたぎる朱色』の登場しない「窓辺の花」(1944)には、素直な美意識を見ることが出来ました。また、これらのような晩年の作品でなくとも、淑やかな女性が描かれた「女」(1934)や、アザミに力強い生命力を感じる「鬼あざみ」(1933)はなかなか魅入るものがあります。



タイトルからは似ても似つかないこの地獄絵図のような光景と、まるで炎のような朱がうねり沈み込む「花園」(1940)はどうなのでしょうか。唯一、画面より浮き出て舞う蝶が写実的に描かれていますが、彼は出口も見当たらないこの深淵な世界に怖れおののきながら彷徨っている靉光自身なのかもしれません。絵がもがいているという表現は適切でしょうか。見ているうちに、その「もがき」の中へ私も引き込まれてしまいそうです。

結局なところ、私は靉光を「感ずる」ことが出来なかったのだと思います。いつかは何か開けてくることに期待しながら、会場を後にする他ありませんでした。(5/27)
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「狩野派誕生」 大倉集古館

大倉集古館(港区虎ノ門2-10-3 ホテルオークラ東京本館正門前)
「狩野派誕生 - 栃木県立博物館コレクション - 」
4/1-5/27

狩野派発祥の地が関東にあったとは知りませんでした。初代正信、元信らの初期狩野派を中心に、江戸狩野の探幽までを概観します。出品は約40点ほどでした。



一般的に、狩野派の出自は北伊豆・加茂郡の豪族だとされていますが、最近では、それより分かれた上総・伊北庄(現在の千葉県いすみ市)であるという説も唱えられているそうです。そしてその上総狩野家と栃木足利の長尾家が、正信の名品「観瀑図」を通して繋がり(*1)、結果、栃木県立博物館による初期狩野派作品の蒐集の要因にもなりました。だから、ここで一見、まるで縁のないような「栃木」と「狩野派」が結びついているわけなのです。

早々に上洛した正信と関東の関係については、実際のところ殆ど分かっていませんが、自らの弟子を関東へ遣わしたことは明らかになっています。それが、狩野玉楽、官南、石樵昌安らという、あまり聞き慣れない絵師たちによる「小田原狩野派」のグループです。この展覧会では彼らの作品についても紹介されていました。



元信流花鳥図の系譜を組む、狩野派の「花鳥図屏風」(室町時代)は興味深い作品です。襖を屏風に仕立て、何やら花鳥画における「理想風景」を追求したような光景が細やかなタッチにて表現されています。画面上部の柳に群れるのは燕でしょうか。総じてタッチの硬いこの作品において、殆ど唯一、風の流れも感じる自然らしさを思わせていました。



狩野興以の「月下猿猴図」(江戸時代)も印象に残りました。禅画の「猿猴捉月」(*2)の画題に由来しているものですが、月へ向ってその長い手を伸ばす猿に同情すら感じるほど可愛らしい作品です。猿の顔自体もまるで満月のようです。ふさふさとした毛並みから、ぽっかりとその円い顔を見せています。



一風変わっているのは伝狩野山楽の「野馬図屏風」(江戸時代)でしょう。金箔の映える大きな屏風に、やや劇画的で、奇妙に荒々しい馬たちがたくさん群れています。前足を強く蹴り、また首をのばしたりして吼えるような表情を見せるのも、やはり彼らが野馬であるからなのでしょうか。金だけでなく、鮮やかな緑も眩しい作品でした。



探幽は別格です。中でも「瀟湘八景図巻」(1646)は見事の一言につきます。殆ど抽象の美すら感じさせる山水の世界が、実に冴えた筆にて鮮やかに描かれていました。散らされた墨が山の頂となり、滲んだそれが森や雲にも姿を変えていく様子はまさに圧巻です。墨が変幻自在に動き回り、この小さな画面に幻想的な景色を生み出しています。これは一推しです。

500円の小冊子が良く出来ていました。普段、あまり紹介されない初期狩野派を楽しめる、またとない展覧会なのかと思います。

明日、27日までの開催です。(5/20)

*1 上総狩野家叡昌の娘、理哲尼が長尾家に嫁ぎ、長尾家の菩提寺に「観瀑図」が所蔵されている。
*2 猿が湖面に映る月を取ろうとして溺れ死んだ話に、自らの力に余る大望を抱くことの浅はかさを説く。(ともに展覧会冊子より。)
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「特別展 神仏習合」 奈良国立博物館

奈良国立博物館奈良市登大路50
「特別展 神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美」
4/7-5/27



この展覧会を十分に味わうためには、一体どれほどの時間が必要なのでしょう。仏像、経典、曼荼羅などの約200点の品々で、日本人の信仰に独特な「神仏習合」の流れを追いかけます。質量共に圧倒的です。

展示は「神と仏との出会い」、つまり日本が古来信仰してきた万の神と、大陸から伝来した仏教の出会う6世紀の頃よりはじまります。そしてその後、500~600年、多様な形態をとりながら「熟成」する「神仏習合」の在り方を眺めていくことになるのです。最後に到達するのは南北朝時代でした。

ここでその詳細な流れについては触れません。(と言うより、私の理解度不足により触れられないのが実情です。)よっていつもの如く、印象的な作品をいくつか挙げていきたいと思います。



まずは恐ろしいほどインパクトのあるチラシ表面も飾った、「女神座像(広島・御調八幡宮)」(平安時代)です。チラシを見る限りではさぞ大きなものではないかと想像してしまいますが、実際には高さ約50センチほどの小さな木像でした。そのつくりは一木造です。右足を折り曲げ、まさに泰然とした面持ちで前を見据えています。口元の紅がまだ微かに残っていました。八幡神という一つの「神仏習合」の形をとった、極めて早い時期の神像彫刻だそうです。



三段に積まれた「須弥山石」(飛鳥時代)は東博の所蔵です。斉明天皇の時代、本来「神」を介していた儀式が、この「須弥山石」(仏教の世界観による世界の中心。)を用いることで仏教のそれへと繋がっていきました。その独特な造形には、まるで何かを封印するような「重石」のようなイメージも喚起させますが、何と側面から水が出るという噴水の仕掛けももっていたのだそうです。その水の出る光景は、この品の出土した飛鳥の資料館でも見ることが出来ます。(もちろんレプリカです。)



「辟邪絵」(平安~鎌倉時代)は鮮烈です。密教との関係も深い鬼神が、牛頭天王(祇園社の祭神。もしくは疫神。)を食らうという光景が凄惨なままに表現されています。手足をちぎり、それを口元へ持っていく様子には恐怖感すら覚えました。また、くっきりと残る彩色もその臨場感を強く伝えてくれます。ちなみにこの作品は5種あり、元々一つの絵巻でもあったそうです。博物館のサイトにて他の部分が紹介されています。



中の経巻の状態も良い「大般若経厨子」(平安時代)には驚きました。経典をお守りするのは、観音開きの扉に描かれた守護神たちです。まだ金も映えているその逞しい神々が、この重々しい扉を封していたのでしょうか。ちなみにこの厨子の中には、全部で300の経巻がおさめられていたのだそうです。(現存するのは166巻。)またこれと対になるもう一基の厨子は、クリーブランド美術館に収められています。計600巻です。



今でも奈良のシンボルである鹿は、古来より様々な像になって表現されています。中でも「春日神鹿御正体」(鎌倉~南北朝時代)や、「黒塗春日神鹿舎利厨子(部分)」(南北朝時代)はその精巧な造形も魅力的です。鹿の背中にのっているのは舎利ですが、これは春日明神の本地、つまりその本来の仏が釈迦であることを示しています。展覧会では、このような「本地垂迹」に関連する品々が多数紹介されています。

全200点のうち約120点程度が国宝、もしくは重文でした。まさに貴重な品々のオンパレードです。

次の日曜日、27日までの開催です。観覧時間には余裕を持ってお出かけ下さい。(5/13)
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酒井抱一 「四季花鳥図巻 上」(一部) 東京国立博物館

東京国立博物館
平常展示(特別2室『書画の展開』) 5/8-6/3
「酒井抱一 - 四季花鳥図巻 上 - 」(一部)

東博・平常展で公開中の酒井抱一「四季花鳥図巻」(1818)です。全長7メートルにも及ぶ上巻のうち、ちょうど今の時候に合わせた春、夏の部分、約1.5~2メートルほどが展示されています。



大名家の次男として生まれたという出自もあるのか、抱一の作品には何かと「高貴である。」とするイメージがあるようにも感じますが、もしそれが正しければ、まさにこの「四季花鳥図巻」こそが、抱一一流の優雅な趣きをたたえた会心作と言えるでしょう。抱一、58歳の頃、上質な絵具を用いて貴人の慶事のために描かれたというこの作品は、例えば葉脈における金線の一つをとってもまさしく流麗です。たらし込みによって描かれた黒い蝶の羽は透き通るように瑞々しく、控えめに照る紫陽花はガラスを敷きつめたモザイク画のような質感を見せていました。そして花や草木の全ては、あたかも水に泳ぐかのように空間をゆるやかに駆けています。窮屈でありません。

「四季花鳥図巻」には計60種もの植物や鳥が登場しますが、中でも虫が特徴的です。今回公開中の部分には、先述した蝶の他、巣にとまる蜂を見るだけにとどまりますが、抱一は光琳や宗達では描かれなかった虫たちを、四条派や清の花鳥画などより取り入れ、このような彩りのある琳派の「四季花鳥図」を作り上げました。

この作品が展示されるのは、下巻の一部が出た2005年9月以来のことです。なるべくなら通巻で見たいとも思いますが、他の部分の公開予定は今のところありません。その情報を待ちながら、また足繁く東博へ通うことになりそうです。

特集陳列の「屏風」(~6/3)と合わせて楽しまれることもおすすめします。応挙の「波涛図屏風」も見事でした。

6月3日までの公開です。

*関連リンク
東京国立博物館・名品ギャラリー・カラーフィルム検索「四季花鳥図巻」(作品の詳細な写真が掲載されています。)

*関連エントリ
来年のカレンダーはこれで決まり! 抱一の「四季花鳥図巻」
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「上方絵画の底ぢから」 奈良県立美術館

奈良県立美術館(奈良市登大路町10-6
「江戸時代 上方絵画の底ぢから」
4/14-5/27



地味な印象は拭えませんが、普段あまり見慣れない絵師に接することが出来たのは事実です。関西一円の美術館より集められた、約70点の江戸(上方)絵画が一堂に会しています。(*1)奈良県立美術館の「上方絵画の底ぢから」展です。

上方とは言うまでもなく、天皇の住む都であった京都、さらには大阪、畿内一円を指す言葉ですが、この展覧会に接すると、その上方にてどれほど多くの絵師たちが活躍していたのかが良く分かります。登場していた絵師、及び流派は以下の通りです。

土佐派、鶴沢派、京狩野、勝山家、円山派、四条派、森派、岸派、原派
岡田為恭(復古大和絵)、西川祐信、月岡雪鼎、井特(浮世絵師)

著名な土佐派に円山派、それに猿と言えば森狙仙の森派などはまだ知る機会も多いのですが、勝山家や鶴沢派など、その他の流派に関する知識は恥ずかしながら殆どありません。展示では、作品を各流派毎に並べて紹介していましたが、もう一歩、それぞれの関係などを分かりやすく提示していただければとも思いました。オーソドックスな構成ながらも、私のような初心者には意外と敷居の高い展覧会だったかもしれません。



とは言え、親しみのある絵師の作品もいくつか展示されています。特に曾我蕭白の「美人図」は見事です。いわゆる美人画というよりも、蕭白一流の妖怪が化けて出たような不気味な女性が描かれていますが、元々「狂女図」と呼ばれていたと聞くと、さもありなんという気もしました。水色の着物に描き込まれた精緻な山水の模様をはじめ、足元よりのぞく真っ赤な布地が何とも印象的です。図版では色が潰れてしまいますが、実際の作品では、まさに血で染めたような鮮やかな赤がドギツく塗られていました。水墨のタッチによる背景の草木もおどろおどろしい雰囲気です。



森狙仙の「藤下遊猿図」もお馴染みのモチーフです。狙仙の描く猿を見ると、如何に彼らが、それこそ木々を次から次へと渡り歩くようにすばしこいのかが良く分かります。こんな細い枝に捕まって、下へ落ちてしまわないのかと案ずるのは野暮なことなのでしょう。タイトルの「遊猿」という表現にも新鮮にうつりました。あまり聞きません。



井特(せいとく)にはたまげました。彼は祇園に住み、遊女や芸妓を描き続けていた浮世絵師だそうですが、ともかくその美人画は、当時の美人の通念からも大きく逸脱していたと思うほど特徴的です。長い四角の顔は男勝りで、眉も極めて太く、鼻筋から口元にかけては何やら老人を描いたような表現がとられています。こんなにインパクトのある美人画には初めて出会いました。あえてこの展覧会をおすすめするのであれば、井特の奇異な美人画を6点も見られることにあると思います。

館内の動線が良くありません。最後の展示室をお見逃しないようにご注意下さい。

今月27日までの開催です。(5/13)

*1 京都府立総合資料館、敦賀市立博物館、大和文華館、及び奈良県立美術館の館蔵品、寄託品。

*関連リンク
江戸期の上方絵画、多彩さ浮き彫り - 奈良県立美術館で展覧会(日経ネット関西版)
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「アートで候。会田誠 山口晃 展」(プレビュー) 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
「アートで候。会田誠 山口晃 展」(先行プレビュー)」
5/20-6/19

「先行プレビュー」に参加してきました。先日より、上野の森美術館ではじまった「アートで候。会田誠 山口晃 展」です。



お二方とも日本の現代アート界を牽引しているアーティストです。その作品の趣きは大分違っていますが、特に日本橋三越でも個展を開催し、大和絵風味の「奇想的鳥瞰図」で楽しませる山口晃については、現代アートファン以外でも大いに知られるところではないでしょうか。都内各駅で見かける「江戸しぐさ」のポスターも彼の作品です。この展覧会では、そんな山口の画業を、珍しい初期の頃の作品から回顧的に見ることも出来ます。



会田誠については、以前に森美術館で見た「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」が強く印象に残っています。ただ、このようなプレビューに参加しながら申し上げるのも恐縮ですが、ズバリ私は、これまで彼の作品を至極苦手としていました。そして結論から言ってしまうと、この展覧会は会田を苦手とする方にも十分におすすめ出来るものです。ようは、これを見ると彼にハマります。

この展覧会に接する前、作風の異なる二人がどうも繋がりませんでしたが、1997年にミヅマアートギャラリーで開催された「こたつ派」という二人展がその接点なのだそうです。ただ二人とも個人的に親密な間柄というわけではなく、むしろアートの上において静かにぶつかり合うような関係だと聞きました。そして実際、この企画を見る限りにおいても、相互の作品に関連する部分は殆どなく、むしろ何か見えない壁でもあるかのようにそれぞれが強く自己主張しています。もちろん、そこより生まれる程よい緊張感を楽しむことも出来るのです。



ミヅマアートギャラリー(本展企画協力)の三潴氏のお話を伺うことが出来ました。氏によると今回の展覧会のキーワードは、海外では理解されにくい、つまり彼らのバイアスにかからない「日本」なのだそうです。それはつまり、例えば村上隆や奈良美智のような、海外でも強く支持される「日本」ではなく、それこそ「こたつ」に代表されるような、日本人でしか分かり得ないような固有の文化をアートで示したものでもあります。言い換えれば、そんな「我々の日本」を直裁的に見せ、また抉っているのが、この展覧会でもあるようです。



展示の構成について触れたいと思います。一階展示室の導入では、まず二人の初期作品が紹介されていますが、その後は早くも両者の力比べがはじまります。会田では、日本で約6年ぶりの出品となる「ジューサーミキサー」(2001)の隣に、縦4メートル強の巨大な「滝の絵」(2007)が展示されていました。それにしても日本画風(アクリル画です。)でありながらその妙味を解体するような「無題(通称、電柱。)」(1990)や、シュルレアリスムも蹴散らす「あぜ道」における抜群の絵の巧さに接すると、いかに自分が会田作品を見ていなかったのかが痛いほど良く分かります。ちなみに私がこの展覧会で会田にハマったきっかけの作品は「ヴィトン」(2007)です。これを見て、見事に全てが吹っ切れました。



山口では、「長いものに巻かれた」(図録より)という「百貨店圖 日本橋三越」(2004)や、結局その答えは明かされない「何かを造ル圖」(2000)などのお馴染みの作品はもちろんのこと、ついこの前のミヅマの個展に出ていたインスタレーションの「ラグランジュポイント」(2006)から妖艶な「四天王立像」(2006)、さらにはその際に仕上げ作業を行っていた「四季休息圖」(2007)などが出ています。ここはラグランジュポイントの武将たちに睨まれつつも、比較的素直に絵の魅力に接することが出来るコーナーです。





二階で展開されている「山愚痴屋澱エンナーレ 2007」は痛快です。多様なジャンルより出品された「12名のアーティスト」が、現代アートに見る『有効性』や『価値』を『ラディカル』に『批判』しています。ここは澱エンナーレの専用パンフレットを手に、『芸術のあるべき場所』を考えたいものです。(『』の意味については会場にて!)

この山口の「澱エンナーレ」に対する会田側の見せ場は、一階ギャラリーでの「風景の光学的記録におけるイコン化の確率に関する研究」(1995)や「ポスター(全18連作)」(1994)なのかもしれません。前者では会田のコメントこそがほぼぼ作品の核心です。ポスターに見る、とても拙ブログでは取りあげられそうもない凄まじい表現と合わせて、会田の社会に対する、斜めに構えたようで実はストレートな取り組みを見ることが出来ます。

 

両者の大作二点が張り合う、最後の展示室7も忘れられません。中でも、横10メートルにも及ぶ会田の「ひせき 万札地肥瘠相見図」(2007)は強烈です。大きな一万円札を多数プリントしたキャンパスに、奇怪な生物のようなモチーフが空間を駆けています。ちなみに絵に記された印にも注目です。「雪舟三十代画狂人法橋狩野天心~」と、もうこれでもかと言うほど並べて立てています。一方、山口の大作、「渡海文珠」はまだ制作段階です。実際、このプレビューを拝見した際も、手に筆を持った氏が制作を続けておられました。ちなみにこの作品より、手前の「携行折畳式喫茶室」(2002)へ向って、二本のピアノ線がのびています。これは一体、何を意図しているのでしょうか。(この茶室と、そのすぐそばにあった会田の「愛ちゃん盆栽」が奇妙にマッチしていていました。ここは両者のコラボレーションが、ほとんど偶然的に完成していたのかもしれません。)



見所はまだ他にもありますが、後は会場で是非お楽しみ下さい。また、本展覧会の半券を持っていると、東京都美術館の「ロシア美術展」の入場料が半額になります。これはなかなか嬉しい企画です。

6月19日までの開催です。(5/20)

*関連エントリ
「山口晃『ラグランジュポイント』」 ミヅマアートギャラリー

写真提供:上野の森美術館
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「福田平八郎展」 京都国立近代美術館

京都国立近代美術館京都市左京区岡崎円勝寺町
「福田平八郎展」
4/24-6/3



竹橋の近代美術館で「雨」(1953、下二つ目の画像。)を見て以来、いつかは回顧展に接したいと思う画家の一人でした。主に大正より昭和期に活躍した日本画家、福田平八郎(1892-1974)の全貌を詳らかにします。初期より晩年の作、約80点にて構成された展覧会です。



福田の画業を通して見たのは今回が初めてですが、花鳥画の伝統を思わせる初期の作品から、桃山障壁画に影響を受けたとされる(パンフレットより。)「閑院待春」、それに抽象の妙味も混じる「漣」や「雨」、さらには晩年の色鮮やかな「鸚哥(いんこ)」など、想像以上に作風の変遷が著しいと感じました。率直に申し上げると、初期の写実的なものはともかく、まるでゴーギャンを見るような激しい色遣いの晩年にはついていけません。と言うことで、惹かれるものを感じたのは、主に1950年代前から61年の「花の習作」あたりまででした。もちろんそこにかの「雨」も含まれているわけなのです。



一見しただけでは、タイトルを何故「瓦」としなかったのだろうと思ってしまいますが、その表面を目で丹念に追うと、確かに雨粒の痕跡が驚くほど繊細なタッチにて表現されています。そしてもちろん雨の染みだけではなく、瓦のひび割れから汚れ具合までもが、ほぼモノトーンを思わせる色調にて細やかに描かれているのです。また瓦の積み重なる様子も、半ばパターン化された黒の面の連なりだけで示されています。瓦をこのようにトリミングしてしまう発想の大胆さと、それを裏付ける筆の確かさにはもはや驚嘆するほかありません。



比較的初期の「漣」(1932)も、当時、全く理解されなかったというのにも納得するほど斬新極まりない作品でした。支持体は銀地で、そこへまるで木版の彫り跡のような青い線がゆらゆらと靡いています。間隔は奥(上)へ向うほどせめぎ合い、手前では余白を用いながら切れ切れになって描かれていました。その抽象的な感覚は、これを波とだけ捉えるのが勿体ないほど多様なイメージを想起させますが、あえて言うのであれば、陽の光を受けてキラキラと反射する水面の移ろいが表現されているのだと思います。



図版や画像では福田平太郎の繊細さは全く伝わりませんが、その最たるものがこの「新雪」(1948)の豊かな味わいです。しっとりと潤う牡丹雪が、石や地面を優しく包み込んでいます。降り積もる雪の肌触りはもちろんのこと、控えめな白銀に覆われたその場の静けさすら伝わってきました。



魚のモチーフが頻出していましたが、中でもこの「鮎」(1950)は強く印象に残ります。写実的なようでもあり、またまるで紙細工の魚でもあるような鮎が、上下逆になりながらリズミカルに配されていました。それに、うっすらと水色を帯びた葉の描写にも惹かれます。洒落ています。



上の作品の13年後に描かれた「鮎」(1963)はどうでしょうか。もはや日本画の写実性を越えた、いわば色彩分割にも力強さを感じる作品ですが、やはり私の感性に合うのは、もう一歩手前の写実を残した50年の「鮎」のようです。晩年の平八郎の関心の所在は色にあったのかもしれません。「漣」や「雨」で見せたような、半ば計算高い「形」の世界が、もっと開放された「色」の世界へと突き進んでいきます。



「花の習作」(1961)も良品でした。水面の部分の描写には、63年の「鮎」に見るような大胆なタッチも見られますが、全体のトーンはまだ写実にとどまっています。一面に散るのは桜の花びらでしょうか。縦方向へのびる菖蒲も画面に良いアクセントを与えていました。

日本画好きには是非おすすめしたい展覧会です。6月3日まで開催されています。(5/12)
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「丸紅コレクション 絵画と衣装 『美の名品展』」 京都文化博物館

京都文化博物館京都市中京区三条高倉
「丸紅コレクション 絵画と衣装 『美の名品展』 - ボッティチェリ『美しきシモネッタ』・淀君の辻が花小袖 - 」
4/13-5/27



副題を含めると非常に長々しいタイトルがついていますが、ようは普段は非公開だという丸紅のコレクションを紹介する展覧会です。展示作品は主に染物などの衣装と、日本や西洋の絵画に分かれています。だから、「ボッティチェリ」と「淀君」が並列に取り上げられているわけなのです。



展覧会自体の目玉は、やはりボッティチェリの「美しきシモネッタ」(1480-85)になるのでしょう。全体的に白んだ色調のもと、朱色の衣装を身に着けた女性が一人、窓を背に横向きになって佇んでいます。金髪はまるで太い糸を束ねたように重々しく、レースの質感は透明感に溢れていました。ただしそのマチエールはやや平板です。顔こそ、強調されたあごの輪郭線によって立体感が出ていますが、首から胸元へ広がる白は不自然なほどベッタリと塗られ、明るい色遣いの割にはどこか生気に欠けた、寒々しい人物が表現されているのが気になりました。ちなみにこの「美しきシモネッタ」は、国内唯一のボッティチェリの作品だそうです。



西洋の油彩画もたくさん出ていましたが、私の好きなヴラマンクが3点も出ていたのは嬉しいところでした。いかにも彼らしい、ゆがんだ空間に木々のひしめき合う「冬景色」はもちろんのこと、パンや花瓶を力強いタッチで表現した「静物」も魅力的です。風景画以外のヴラマンクはあまり見たことがありません。とても新鮮でした。



丸紅コレクションで見るべきものは何かと問われれば、それは断然、小袖などの染物なのだと思います。コレクションにやや「軸」が見られない絵画(総花的ですらあります。)とは異なり、衣装はどれも華々しくまた凝ったものばかりで、時には驚きを与えるような奇抜なデザインを楽しむことも出来ました。中でも淀君があつらえたとされる「淀君の辻が花小袖」は見事です。近年に復元された作品ですが、流水紋様のような抽象的なパターンが空間を駆け、鮮やかな赤が力強く目に飛び込んできます。

「淀君の小袖の復元過程」(丸紅HP)

目立ってはいませんでしたが、土佐光禎による「春秋海渓流風景図 友禅染双幅」も忘れることが出来ません。一見、趣き深い掛軸画が二点並んでいるように見えますが、なんとその本画部分を含めた全てが友禅の技法によっているのです。咲き誇る桜や水の色も実に美しく染め上げられています。

「若冲群鶏図屏風」も充実していました。友禅染師の上野清江(うえのせいこう)が、かの「群鶏図」をモチーフにして作り上げたものです。若冲ブームの訪れたという大正期の作品とのことでした。

 

旧日本銀行京都支店の博物館別館(重文)の建物も見応えがありました。全200点のボリュームのある展覧会です。5月27日まで開催されています。(5/12)

*関連リンク
丸紅コレクション・アートギャラリー
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「藤原道長展」 京都国立博物館

京都国立博物館京都市東山区茶屋町527
「藤原道長展 金峯山埋経一千年記念」
4/24-5/27

京都国立博物館で開催中の「藤原道長展」へ行ってきました。展示は、道長の系譜を簡単に追いながら、今からちょうど一千年前に行われた「金峯山参詣」に焦点を当てたものになっています。日記、仏画、彫刻など、計120点の品々にて構成された展覧会です。



さて早速、その「金峯山参詣」とは何ぞやということですが、これは当時の貴族が極めて重視していた宗教行事の一つで、京より遥か南、吉野よりもさらに奥へ入った金峯山(*1)へお参りするというものだったのだそうです。ちなみに金峯山は現在でも修験道の聖地で、いわゆる「女人禁制」の戒律を残す日本唯一の山としても知られています。道長はその参詣を1007年、42歳の時に実行しました。(貴族でも一生に一度のイベントだったそうです。)この展覧会ではそんな参詣の流れを、金峯山より出土した品々などで紹介します。

 

江戸・元禄年間に当地より出土した「金剛経筒」が重要です。これは道長自筆の経典をおさめた金属製の筒で、表面には約500字の願文が彫られています。さすがに腐食している部分もあり、中の紺紙金地の経は半分程度しか読めなくなっていますが、残された金の輝きは、往時の道長の権勢も伝えているのではないでしょうか。ところでこの経典は、道長が弥勒(*2)の現れる56億7千万年後へ残すために記したものです。現在の我々が途方もなく広い宇宙を思う感覚で、道長は仏の世界を認識していたのかもしれません。



参詣の様子は「御堂関白記」にも記されています。ところで道長と言うと、あまりにも有名になり過ぎた「この世をば~」の和歌に象徴される、華美を好んだ、どこか奔放で剛胆なイメージさえ持っていますが、この日記を見る限りでは必ずしもそうだとは言えないようです。筆跡こそ確かにダイナミックなものでしたが、参詣のための宿についても事細かに口をはさんでいます。もしかしたらそこに性格も出ている、としてしまうのは危険でしょうか。



道長が発願した唯一の仏像「不動明王坐像」は圧倒的(高さ約2.6メートル)です。弁髪は左肩へ蛇のうねるように流れ、剣を持っていたであろう右手は力強く握られています。ちなみにこの仏像は、道長が法性寺(ほっしょうじ。藤原家の氏寺)へ安置するために作らせたものです。最盛期の法性寺は、境内が東福寺より稲荷山まで及ぶという壮大なものでしたが、今では見る影もなく衰退しています。まさに盛者必衰です。



その他、「石山寺縁起絵巻」などにも見入りました。色鮮やかな衣に身を纏った道長一行の者たちが、石山寺へと向う部分が描かれています。行列を見ながら笑っている見物人などは見事です。生き生きと表現されていました。

ちらしはかなり地味ですが、さすがに内容は充実しています。今月27日までの開催です。(5/12)

*1 現在の奈良県天川村、山上ケ岳。標高1719メートル。(地図
*2 仏教の仏菩薩の一人。釈迦の入滅した56億7千万年後の未来に姿を現すとされている。

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「ペルジーノ展」 損保ジャパン東郷青児美術館

損保ジャパン東郷青児美術館新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)
「ペルジーノ展 - ラファエロが師と仰いだ神のごとき人」
4/21-7/1

イタリア・ルネサンスの画家、ペルジーノ(本名:ピエトロ・ヴァンヌッチ 1450-1523)を紹介する日本初の回顧展です。祭壇画の断片や油彩など、計40点の作品が展示されています。



恥ずかしながら今回、私はペルジーノという名を初めて知りましたが、彼は主にウンブリア地方ペルージャで活躍したいわゆる「ウンブリア派」を代表する画家で、当初フィレンツェのヴェロッキオ工房に出入しながら、レオナルドやボッティチェリらと交流した経歴の持ち主でもあるそうです。また彼は工房の運営にも長けており、かのラファエロらも弟子に招きながら、様式化された絵を再生産することにも積極的に取り込んでいました。(ただしそれは結果的に、晩年、市場から飽きられてしまう要因にも繋がります。)今回の展示でもペルジーノのいわゆる真筆はあまり多くなく、工房作と見られる作品との落差も大きいように見受けられましたが、その清々しく甘美な作風はなかなか魅力的でした。



展示作品の中で、殆ど別格なほど美しいのがこの「少年の肖像」です。制作はペルジーノのキャリア初期の頃と推定されていますが、その甘いマスクに見る物憂い気味な表情は、若者の思春期から青年期にありがちな独特な厭世観すら漂わせています。また、焦げ茶の衣服や首をキリリとしめるひも、さらには白んだ顔の肌の様子など、その質感はどこをとっても非常に丁寧に表現されていました。そしてペルジーノに特徴的な髪の毛も忘れることは出来ません。筆の線も残るしっかりとしたタッチでありがら、その重みを殆ど意識させない、実に軽やかでフワリとした髪が描かれています。



ペルジーノ最盛期(1490-1500)に描かれた「ピエタのキリスト(石棺の上のキリスト)」(1495)も印象に残る作品です。刺々しい茨の冠を頭に抱き、両手(?付による。)や胸元の裂けた傷跡が、痛々しいキリストの悲しみを示しています。ただしその割には、細身の体つきはしなやかで美しく、またダラリと両手を伸ばした様子はむしろ流麗でもありました。目と口を静かに閉じた、その穏やかな表情にも見入る作品です。



ちらし表紙を飾る「聖母子と二天使、鞭打ち苦行者信心会の会員たち」(1496-98)は、ペルジーノの完全な真筆として知られる名作です。白装束に身を包んだ信心会の祈りの前に鎮座するのは、もちろん聖母マリアと幼きイエスでした。愛を表す赤と、信仰を示す青い衣服を纏ったマリアはどこか幼く、逆に手をかざしてポースを構えるイエスの姿は、奇妙に大人びた表情も見せています。またキャプションにはウンブリア派絵画の特徴として、明るい色彩と親しみやすい人物、そして正確な遠近法などが挙げられていましたが、私はさらにペルジーノの描く人物の、特に顔の部分に半ば類型化された個性を見たいと思います。この作品のマリアにも表現されているやや上目の重たい瞼と下唇の突き出た口、さらには山型の薄い眉毛などは、他の作品にも頻出するペルジーノ流の顔の造形です。ちなみにこの作品の聖母子も、殆ど同じ顔をしているのではないかと思うほど似ています。



遠近法に長けた「カナの婚礼」(1502-1523)も充実しています。アーチ型の柱が所狭しと立ち並び、その元にイエスを核としたお馴染みのモチーフが描かれていました。特に、画面左右にてポーズをとる女性に目を奪われます。あごをひき、腰を迫出すような曲線美を見せる女性たちは、時代は大きく飛びますが、さながらデルヴォーの描く者たちのようです。妖艶ですらあります。

祭壇画や板絵をガラスケースに入れずに展示しているのには驚きました。限りなく作品に顔を近づけて、絵具の質感を確かめることも可能です。

ペルジーノはレオナルドと同時代の画家でもあります。(レオナルド:1452-1519、ペルジーノ:1450-1523)上野のレオナルド展を見ながら、こちらの展覧会を楽しまない手はないでしょう。会場にはかなり余裕があります。7月1日までの開催です。(5/3)
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「若冲展」(プレビュー) 相国寺承天閣美術館(その3・『第2会場、動植綵絵。』)

相国寺承天閣美術館(京都市上京区今出川通烏丸東入
「若冲展 - 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会 - 」(先行プレビュー)」
5/13-6/3

本エントリで区切りにします。「その1」「その2・『第1会場、鹿苑寺障壁画など。』」より続く「若冲展」です。一階の第二会場では、この作品を入れるために設計された展示室の中で、「釈迦三尊像」と「動植綵絵」が一堂に会しています。全33幅、空間をグルリと取り囲む様子はまさに圧巻です。


第二会場全景。(*)

照明はかなり落とされ、暗がりより「動植綵絵」がぽっかりと浮き出てくるような展示になっています。正面には「釈迦三尊像」3幅、そしてその左右に「動植綵絵」が15幅ずつ並んでいました。また、作品の順番については、ご一緒したTakさんの「弐代目・青い日記帳」に図入りで紹介されていますが、一応、こちらでも記録のために掲載したいと思います。


*釈迦三尊像、動植綵絵全33幅展示順

中 「釈迦三尊像」(左より順に、普賢菩薩像、釈迦如来像、文殊菩薩像。)

左 「動植綵絵」(順に、老松白鳳図、牡丹小禽図、梅花小禽図、向日葵雄鶏図、秋塘群雀図、椶櫚雄鶏図、雪中錦鶏図、芙蓉双鶏図、梅花群鶴図、芦雁図、桃花小禽図、大鶏雌雄図、貝甲図、紅葉小禽図、群魚図・鯛)

右 「動植綵絵」(順に、老松孔雀図、芍薬群蝶図、梅花皓月図、南天雄鶏図、蓮池遊魚図、老松白鶏図、雪中鴛鴦図、紫陽花双鶏図、老松鸚鵡図、芦鵞図、薔薇小禽図、群鶏図、池辺郡虫図、菊花流水図、群魚図・蛸)


制作当時、どのように「動植綵絵」が並んでいたのかを記した文献は残っていません。つまり今回の展示順は、美術史家の辻惟雄氏をはじめ、学芸員の村田氏らが検討した結果によっています。基本的に「釈迦三尊像」の両隣が「白鳳」と「孔雀」であるように、以下「牡丹」と「芍薬」、または「紫陽花」と「芙蓉」、さらには「雁」と「鵞」など、それぞれが対になるように並んでいました。また、相国寺にゆかりの深い作品を「釈迦三尊像」の近くに置いています。ちなみに当然ながら、尚蔵館での出品展示順(「芍薬群蝶図」にはじまり「紅葉小禽図」で終わる。)とは大きく異なっていました。あくまでも、「釈迦三尊像」を飾り立てることに重きのおかれた展示形態なのです。



いくつかの作品について、学芸員の村田氏が仏教的な観点からの解説をして下さいました。まず、当時の順番にほぼ間違いない「老松白鳳図」と「老松孔雀図」の次に、何故、一件地味な「牡丹小禽図」と「芍薬群蝶図」が来るかについては、花の王様(華王)である牡丹と、それに次ぐ宰相の地位を与えられた芍薬自体の重要性に鑑みていることです。ちなみに、若冲が相国寺に寄進した最初の一幅もこの「芍薬群蝶図」です。牡丹と芍薬はあくまでもペアの作品のようです。



若冲と言うと、いわゆる「奇想の系譜」の一画家として解釈されることが目立ちますが、この展覧会での彼は、あくまでも一介の「居士」(*1)に過ぎません。そしてそうした「仏門の若冲」を思うと、作品の意味へ新たに「禅」の視座が加わっていきます。例えば「菊花流水図」では、まずその独創的な構図に惹かれますが、生々流転を水流が示し、大きな菊が仏花であると捉えると、また違った趣きをたたえているように見えるのではないでしょうか。そして同じように「池辺郡虫図」も、蜘蛛が蝶を捕らえ、蛙と蛇が対峙し、死んだミミズを蟻が運んでいる様子を思うと、ここには生き物の「死」の問題が扱われているようにも考えられるのです。



展示の最後を飾る「群魚図・蛸」にも興味深い解釈が施されていました。この作品の主役である親子蛸は、京都に伝わる「蛸薬師」の伝説(*2)にヒントを得て、若冲が自身の母への愛、つまり親子愛を表現した作品だというのです。実際、「蛸薬師」の伝説が知られる永福寺の面した通りは「蛸薬師通」と呼ばれているそうですが、この通りは若冲の住んでいた錦小路の僅か一本北に位置し、また永福寺そのものも彼の生家に非常に近かったことが知られています。そんな若冲が「蛸薬師」の伝説を知らぬはずがない、とするのが村田氏の解釈でありました。



「多数の中の異」というのも、若冲を語る際における重要なキーワードです。これは例えば「群鶏図」での一羽だけ正面を向いた鶏や、「紅葉小禽図」の一枚だけ散った紅葉(この部分に向って光が差し込んでいます。)など、他と一つだけ異なった姿をとるモチーフの登場を意味しています。ただ私は、これが若冲を語るに相応しい事象なのかは良く分かりません。話はそれますが、以前に府中市美術館の「動物絵画展」で見た蘆雪の「群雀図」も、一羽だけが群れより離れ、背を向けてとまっています。他の画家の例も見たいところです。



プレビュー時間は正味40分程度でしたが、人の少ない抜群の環境であったとはいえ、全部をじっくり楽しむには時間が足りませんでした。またこの展示に接することで、「釈迦三尊像」と「動植綵絵」は33幅揃ってはじめて「一つ」であると確信しましたが、個々を深く追うと、いくら時間があっても味わい尽くせない深みが確かに存在しています。



あえて難を申せば、もう少しだけ天井の高い展示室で拝見したかったとも思いますが、120年ぶりの響宴に、半ば放心状態になりながらどっぷりと浸ることが出来ました。それにしても、昨年、一通り見たはずの作品が、まさかこれほど新鮮に見えるとは思いもよりません。驚異です。



展覧会は6月3日まで開催されています。もちろん強くおすすめします。

最後になりましたが、このようなプレビューの機会を与えて下さった全ての方に感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。(5/12)

*関連エントリ
「若冲展」(先行プレビュー) 相国寺承天閣美術館(その2・『第1会場、鹿苑寺障壁画など。』)
「若冲展」(先行プレビュー) 相国寺承天閣美術館(その1)
「若冲展」オープン!(相国寺承天閣美術館)

*展覧会基本情報混雑情報
「若冲展 - 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会 - 」
会期:5/13 - 6/3(無休)
場所:相国寺承天閣美術館京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701
開館時間:10:00 - 17:00
入場料:一般1500円、大学生/高校生/65歳以上1200円、中学生/小学生1000円

*1 在家の男子であって、仏教に帰依した者。(大辞泉)
*2 出家の僧が、病んだ母のために身を省みず好物の蛸を買い求めたところ、人々に見とがめられて箱の中を見せるように迫られた。窮した僧が薬師如来を念じたところ、蛸は経巻に姿を変え、母もその功徳で快癒したという。(展覧会図録より。)


写真については、撮影と掲載の許可をいただいています。また「*」マークの写真は、プレビュー主催者が提供したものです。
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「若冲展」(プレビュー) 相国寺承天閣美術館(その2・『第1会場、鹿苑寺障壁画など。』)

相国寺承天閣美術館(京都市上京区今出川通烏丸東入
「若冲展 - 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会 - 」(先行プレビュー)」
5/13-6/3

「その1」より続きます。先行プレビューで拝見した、承天閣美術館での「若冲展」です。二階展示室の第一会場では、鹿苑寺の大書院に描かれた障壁画全50面をはじめ、お馴染みの鶴や龍をモチーフにした水墨画、さらには今回新発見された「厖児戯帚図(ぼうじぎほうず)」など、約40点強の作品が展示されていました。


第一会場展示室の一部。(*)




「鹿苑寺大書院障壁画(葡萄小禽図襖絵/竹図襖絵)」(*)

第一会場へ入ると、この展覧会の見所が話題の「動植綵絵」だけでないことが良く分かるかと思います。ガラスケースの中に堂々と並ぶ「鹿苑寺大書院障壁画」の襖絵はともかく圧巻です。大きな余白の元、若冲ならではの冴えた線による葡萄や松が、空間を力強く自由に泳いでいます。一部、展示室の通路に狭い部分があるので、作品から離れて眺めるように見ることが出来ないのが残念ですが、再現された床の間へおさまる「葡萄小禽図」も臨場感に溢れていました。

「障壁画」以外では、展覧会に先立つ調査において鹿苑寺の蔵より発見された「厖児戯帚図(ぼうじぎほうず)」が重要です。これは、比較的初期の頃の作品と推定されますが、学芸員の村田氏によれば、まさにこれこそが若冲の禅における直感の悟りを意味した「頓」に値するのものではないかということでした。実際、若冲はこの作品の5年後に「動植綵絵」の制作にとりかかり、その画業のピークを迎えています。(この作品に書かれた賛文を含む、禅の観点からの解釈は、展覧会の図録に掲載されています。)



展示作品の中で気に入った「龍図」が、てぬぐいになって販売(1200円)されていました。仏法を守る聖なる獣であるという龍が、筋目描の技法を用いて無駄なく描かれています。劇画的な趣きの顔の表情と、右へ左へとうねる流麗な体の動きが印象的です。ちなみにこの作品は、かの富岡鉄斎が所有していたとのことでした。





その他、こちらの会場では、相国寺にまつまる秘仏なども公開されています。それらはまたキャプションを一読してから鑑賞すると、意味もより深く感じ取ることが出来そうです。

次のエントリでは、第二会場の「動植綵絵+釈迦三尊像全33幅」について触れたいと思います。

*関連エントリ
「若冲展」(先行プレビュー) 相国寺承天閣美術館(その3・『第2会場、動植綵絵。』)
「若冲展」(先行プレビュー) 相国寺承天閣美術館(その1)
「若冲展」オープン!(相国寺承天閣美術館)

*展覧会基本情報混雑情報
「若冲展 - 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会 - 」
会期:5/13 - 6/3(無休)
場所:相国寺承天閣美術館京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701
開館時間:10:00 - 17:00
入場料:一般1500円、大学生/高校生/65歳以上1200円、中学生/小学生1000円


写真については、撮影と掲載の許可をいただいています。また「*」マークの写真は、プレビュー主催者が提供したものです。
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