「陰影礼讃」 国立新美術館

国立新美術館港区六本木7-22-2
「陰影礼讃―国立美術館コレクションによる」
9/8-10/18



「国立美術館が収集する西洋近世美術から内外の現代美術における『影』の諸相」(ちらしより引用。)を概観します。国立新美術館で開催中の「陰影礼讃」へ行ってきました。

何かの影とは美術に限らず常日頃、身の回りで目にしますが、今回は国立美術館5館の所蔵品から影の役割や表現などを問い直そうという試みがなされています。構成は以下の通りでした。

1「影あるいは陰」:絵画や版画から影の諸相を確認する。
2「具象描写の影と陰」:具象表現における影。
3「カメラがとらえた影と陰」:写真における影の様々な在り方。
4「影と陰を再考する現代」:現代美術における影の独特なアプローチ。


岸田劉生「古屋君の肖像」1916年 油彩、カンヴァス 東京国立近代美術館

前半はクールべやゴヤにカロ、または劉生から須田国太郎に大観らという全くとりとめのないラインナップでしたが、こうした既視感のある絵画なども影に意識すると多少は興味深い面はあるかもしれません。


北脇昇「独活」1937年 油彩、カンヴァス 東京国立近代美術館

北脇昇の「独活」(1937)における影はまるで人の踊る姿のようでもあり、サーモンピンクに染まる少女が描かれる須田国太郎の「少女」の背景の黒も、彼が常に影に注意を払っている画家だということがよく分かります。


速水御舟「秋茄子と黒茶碗」1921年 絹本彩色、額 京都国立近代美術館

しかしながら一方で具象画における影の表現は半ば付き物です。細密極まりない描写に事物の質感が追求された御舟の静物画や、和装の女性の恐ろしいまでの情念が燃え盛る赤に包まれる甲斐庄楠音の「幻覚」などの鮮烈な表現を前にすると、影云々の問題は頭から消え去ってしまいました。それに影で括ることにいささか疑問を覚える作品も少なくありません。

大味な前半部に対し、現代美術などが登場する後半の方が展示のコンセプトが伝わってきます。とりわけ白眉はデュシャンと高松次郎の影のコラボレーションでした。


マルセル・デュシャン「自転車の車輪」1913年 シュヴァルツ版 京都国立近代美術館

天井にも吊るされたデュシャンのレディメイドの影絵と、人の様々な影が巨大スクリーンに映る高松次郎の「影」とが対比された空間は、一つのインスタレーションとしても見ごたえがありました。


高松次郎「影」1977年 アクリリック、カンヴァス 国立国際美術館

また高松に関してはこの大作の他にもデッサンなどが十数点出ています。これまで断片的にしか知らなかっただけに、一揃え見られて満足出来ました。


ヤーコプ・ファン・ロイスダール「樫の森の道」17世紀 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館

全体としてはあまり馴染めませんでしたが、京近美や国立国際など、東京に居ながらにして関西の国立美術館の所蔵品の一端を伺えるのは悪くないかもしれません。ただ逆に親しみある西美常設の西洋絵画が、味気ない新美のホワイトキューブにただ放り込まれているのを見るのはあまり気分が良くありませんでした。適切な表現ではないかもしれませんが、とても暴力的に映ります。

10月18日まで開催されています。
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「古賀春江の全貌」 神奈川県立近代美術館葉山館

神奈川県立近代美術館葉山館神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
「新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌」
9/18-11/23



大正から昭和にかけて僅か38年余りの人生を駆け抜けた画家、古賀春江の業績を振り返ります。神奈川県立近代美術館葉山館で開催中の「新しい神話がはじまる。古賀春江の全貌」へ行ってきました。


古賀春江(本名、亀雄)

タイトルに「全貌」とあるのもあながち誇大表現ではありません。会場には初期から晩年までの水彩から油彩、またスケッチなど計120点ほどの作品が一同に展示されています。おそらく古賀春江についての作品や資料がこれほど集まることはもうないかもしれません。極めて充実していました。

構成は以下の通りです。

第一章 センチメンタルな情調 1912-1920
第二章 喜ばしき船出 1921-1925
第三章 空想は羽搏き 1926-1928
第四章 新しい神話 1929-1933

時代別に4つに区分し、画業の特徴を明らかにしていました。

1 画業初期~水彩画とセザンヌ~

ともかく古賀というと、チラシ表紙にもあるようなシュールレアリスムの印象がありますが、実は「カメレオンの変貌」とも呼ばれたようにその画風を目まぐるしいほどに変化させています。


「竹林」1920年 水彩、紙 福岡県立美術館

水彩画家としてスタートした古賀は当初、巴水画を連想させる情緒溢れる「柳川風景」などを描いていますが、一転して「婦人像」や「竹林」など、セザンヌの色面を思わせる作品も次々と手がけていきます。そのカメレオンぶりはこの初期の頃から伺い知れるのではないでしょうか。何の画風をもって古賀春江なのかという問いは早くも突き放されてしまいました。

2 二科展入選後~前衛とキュビズム~

1917年に二科展に入選した古賀は以降、主にキュビズムの影響を受けた画風を展開していきます。


「埋葬」1922年 油彩、キャンバス 知恩院(京都国立近代美術館寄託)

ここでショッキングなのは「埋葬」です。これは生まれてくるはずの我が子の死に着想をうけた一枚ですが、その子を中央に囲み、暗がりの抽象色面に集う群衆表現は未来派を思わせるものがあります。なおこの作品については下絵もあわせて展示されています。そうした本画との対比も見所の一つでした。

しかしながらこの時期の画風を単純にキュビスムと捉えると全体を見誤ります。あたかもハンマースホイの室内を和の空間で仕上げたような「室内」や、日本画的な平面性を思わせる「手をあぶる女」など、一筋縄ではいかない古賀の多様な作風は目まぐるしく展開していました。

3 詩人・古賀春江~クレーの幻想世界

今回の展覧会で一番重要なのは古賀が深く傾倒していた文学の領域、つまりは詩作であるとしても過言ではありません。

実際に古賀は絵の解題詩を含めていくつかの詩を残しましたが、それが特に活発だったのがクレーの影響を受けていた頃でした。


「美しき博覧会」1926年 水彩、紙 石橋美術館

1926年の「赤い風景」でクレーの画風を初めて取り入れた古賀は、自らのわき上がる様々なイメージをクレーに重ね合わせて展開していきます。得意とする水彩にてメルヘンの世界を描いた「美しき博覧会」はまさにクレーを思わせる一枚ではないでしょうか。


「蝸牛のいる田舎」1928年 油彩、キャンバス 郡山市立美術館

それに緑色の色面で分割された野山に可愛らしい動物や家が並ぶ「蝸牛のいる田舎」も同じような作品だと言えるかもしれません。全体的に古賀はクレーよりも具象的なモチーフを描き入れながら、このような幻想の世界を次々と作り上げました。

4 シュールレアリスム 海と詩と古賀

結果的に晩年、彼はブルトンの影響のもと、シュールレアリスムの表現へと変化していきます。そしてここでも注目すべきはやはり解題詩、つまりは作品にあわせて記された詩でした。


「窓外の化粧」1930年 油彩、キャンバス 神奈川県立近代美術館

晴天の爽快なる情感、蔭のない光。
過去の雲霧を切り破つて、
埃を払った精神は活動する。

世界精神の糸目を縫う新しい神話がはじまる。


何やら謎めいたこの有名な作品も、あわせて紹介された解題詩から入ると不思議とすんなりとイメージが開けてくるのではないでしょうか。

そしてもう一つ、これらの作品を見る上で重要なポイントがあります。古賀は雑誌図版などのモチーフをそのままコラージュするかのように絵画に取り入れましたが、その元になる資料もあわせて展示されていることです。また例えばこの「窓外の化粧」も下絵からどのように完成作へと変わったかなども明らかになっています。意外な素材と組み合わせに目は釘付けでした。

病気のために38歳で亡くなった古賀は次の展開もまた見定めていたのでしょうか。同時期の作品の中には、簡単にシュルレアリスムと括れない作風も含まれていました。言わば永遠に未完な画風こそがむしろ古賀の魅力であるのかもしれません。

古賀は東近美の常設でよく見かけますが、それでも知らない作品が多数出ているのには驚かされます。色々と事情があるのかとは思いますが、これだけの規模でありながら竹橋へ巡回しないのが不思議でなりません。

なお会期中、一部油彩画の他、全ての水彩、デッサンに関しては入れ替わります。

前期:9月18日~10月17日、後期:10月19日~11月23日

最近まで彼を女性だと思っていたほど何も知らなかった私にとっては十分すぎるほどの展覧会でした。これを原点に、古賀の「新しい神話」を追っかけていくつもりです。



「窓外の化粧」の抜けるようなブルーが葉山の海と重なりました。詩と絵画を通すと古賀の一生を追体験しているような気分にさせられます。

11月23日までの開催です。自信を持っておすすめします。
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金沢百枝ギャラリートーク「イタリア古寺巡礼」 森岡書店

森岡書店中央区日本橋茅場町2-17-13 第2井上ビル305号)
「イタリア古寺巡礼 ギャラリートーク」
日時:9月26日(日) 15:00~
講師:金沢百枝氏(美術史家・東海大学准教授)



森岡書店で開催された金沢先生の「イタリア古寺巡礼 ギャラリートーク」を拝聴してきました。

トーク概要(森岡書店サイトより転載)
『イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア』(新潮社)の刊行を機に、著者の金沢百枝さん(美術史家・東海大学准教授)をお迎えして、北イタリアの中世美術の魅力についてお話いただきます。ミラノ、パルマ、ドロミテ、ラヴェンナ、ヴェネツィアその他、今年3月に取材・撮影した中世聖堂の写真を見ながら、「ヨーロッパ美術」の原点である壁画・彫刻等のユニークな表情を楽しんでいただけたらと思います。

ロマネスク美術を研究されている金沢先生が著書「イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア」(新潮社とんぼの本)を出版されました。それを記念して開催された講演会です。研究のために訪ねられた北イタリアの中世美術を、何と200枚超のスライドで紹介されるという盛りだくさんのトークでした。

イタリアは中世が面白い~ブランコ乗りの壁画から~

冒頭に挙げられた一枚の壁面の写真を見るだけでも中世美術の面白さが伝わってきます。


「サン・プロコロ聖堂壁画」(ブランコ乗りの壁画)

これは650年頃に建造されたサン・プロコロ聖堂内部の通称「ブランコ乗り」と呼ばれる壁画ですが、上からぶらさがって座る人物の様子はまさに痛快です。聖パウロがダマスカスの壁をかごに乗って逃れた姿だとも言われているそうですが、他に類例もなく結局何の意味であるのか良くわかっていません。

衣の線で体を表現するというのはギリシャ・ローマ的だそうですが、そもそも描写が洗練されているわけでなく、むしろ自由な表現にこそ良さがあります。しかし目を凝らすと人物の手はブランコの棒を握ることが出来ていません。空中浮遊ならぬ何とも滑稽なブランコ乗りでした。

中世はごった煮の時代~ゲルマンとビザンティン~

中世とは大雑把に古代とルネサンスの間の時代ですが、厳密に明確な区分がなされているわけではありません。また当時のイタリアもゲルマンの大量流入もあって乱立状態にあり、必ずしも古代ローマの延長上として存在しているわけではありませんでした。


(スライドから)

ゲルマン:ランゴバルド王国 フランク王国 イタリア王国
ビザンティン:東ローマ帝国(初期キリスト教)

ゲルマンの要素~ランゴバルド美術の祭壇レリーフ~


サンタ・マリア・イン・ヴァッレ修道院聖堂祈祷堂付属博物館 祭壇「栄光のキリスト」

中世美術特有の自由な表現の一例として挙げられたのがこの祭壇彫刻です。中央にキリストが立ち、そこをセラフィムが囲んでいますが、それにしても「物凄く変な顔」※ではないでしょうか。つまらなそうな表情といい、余りにも「気合いの入った」※(金沢先生談)手の表現には、金沢先生の解説を含めて思わず笑ってしまいました。

はちゃめちゃ(?)な「冥府降下」と「ヘロデの宴」~サン・ゼノ・マッジョーレ聖堂~

ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナは、北方との中継地として、ドイツの高い鋳造技術を取り入れた作品が存在します。


サン・ゼノ・マッジョーレ聖堂 扉装飾パネル 「冥府降下」

それがこの「冥府降下」と下の「ヘロデの宴」です。「冥府降下」では飛び出す悪魔がキリストの存在を凌駕する表現に、また「ヘロデの宴」ではアクロバットに反り返ったサロメに度肝を抜かれます。


サン・ゼノ・マッジョーレ聖堂 扉装飾パネル 「ヘロデの宴とサロメの踊り」

ここに19世紀美術ではお馴染みの妖艶なサロメ像は全く見られません。手で足を掴むほど強く反る様子は、むしろ踊るという体操のようでした。ちなみにこの一生懸命さ、また何かを伝えようとする素朴でかつ直接的な表現こそ、中世美術の最大の面白さであるのだそうです。

壮麗なモザイク画~ビザンティン様式~

きらびやかなモザイク画も中世美術の見所の一つです。


サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂 「最後の審判」

ヴェネツィア本島から離れたトルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の後陣の「聖母子像」、そして向かいの壁に描かれた「最後の審判」は中世モザイク画でも必見の作品だそうです。


サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂 「聖母子」

なおこの「聖母子像」は立ち位置によって見え方が変わります。また「審判」の細かな表現、例えば魚の口から手足が出ているグロテスクな部分もどこかコミカルでした。

ロマネスク~新しい表現~


カタルーニャ祭壇 板絵

古代ローマの建物をキリスト教に置き換えたロマネスクはヨーロッパ各地に点在し、その起源もよくわかっていません。イタリアでは有名なピサの斜塔もロマネスク様式の建物だそうですが、この祭壇画も同様です。ここに見られるようなシンプルながらも力強い造形は、例えば後のピカソにも影響を与えました。


パルマ大聖堂 柱頭

ルネサンスの傑作、コレッジョのフレスコで有名なパルマ大聖堂も実はロマネスクの様式に則った建物です。内部はルネサンスのフレスコで埋め尽くされているので一見、中世とはわからないそうですが柱などの細部に注目してください。そこには中世ならではの摩訶不思議な彫刻がいくつも登場していました。


パルマ大聖堂 柱頭

この角を持った男はアレクサンドロス大王という説もあるのだそうです。


パルマ大聖堂 アンテーラミ「十字架降下」

内陣にある「十字架降下」の造形からもその悲しみがひしひしと伝わってきます。中世美術ならでの迫真性は見事なまでに示されていました。

(スライドから)

トークはここで触れた以外の作品についても解説があり、予定をオーバーしての全2時間の大熱演となりました。私の拙いまとめではうまく伝えられないのが残念ですが、金沢先生のユーモア溢れるトークで笑いありの2時間だったことを付け加えておきます。もちろん会場も大盛況でした。



講演にも多数使われたスライド図版は当然ながら今回出版された「イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア」にも多数掲載されています。北イタリアの主に聖堂に焦点をあて、美しい写真とともに紹介された中世美術を見ていると、あたかも自分が彼の地を旅している気分になってきました。美術好きにはもちろん、旅行好きにもおすすめしたい一冊です。

「イタリア古寺巡礼―ミラノ→ヴェネツィア/金沢百枝,小澤実/新潮社」

金沢先生はツイッターアカウント@momokanazawaもお持ちです。可愛らしいアイコンがあがってくるたびに嬉しくなってしまいます。もちろん要フォローです。



定評のある新潮社とんぼの本シリーズです。大概の書店の美術か歴史コーナーの目立つ場所に置かれていました。まずは書店にて是非ご覧下さい。
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「東恩納裕一・山脇紘資・奥天昌樹・前田朋子4人展」 ツァイト・フォト・サロン

ツァイト・フォト・サロン中央区京橋1-10-5 松本ビル4階)
「My Favorite 4 Artists 東恩納裕一・山脇紘資・奥天昌樹・前田朋子4人展」
9/24-11/6



ツァイト・フォト・サロンで開催中の「My Favorite 4 Artists 東恩納裕一・山脇紘資・奥天昌樹・前田朋子4人展」へ行ってきました。

出品4作家のプロフィールについては画廊WEBサイトをご覧ください。

東恩納裕一・山脇紘資・奥天昌樹・前田朋子4人展@ツァイト・フォト・サロン

写真展ではお馴染みのツァイト・フォト・サロンですが、今回の展示作品は写真ではありません。出品作家は全ていわゆる「絵画作家」(同画廊WEBサイトより引用)ということで、殆ど平面の絵画作品が紹介されていました。

DM表紙を飾る東恩納裕一の鮮やかな色彩も印象的でしたが、今回私が興味深かったのは自身の好きな動物を描くという山脇紘資でした。写真的な視点という言葉は適切ではないかもしれませんが、モチーフとなる動物の顔が何やら写真で引き延ばされたかのようにして描かれています。作家は今年1月、ここツァイトで個展があったそうですが、そちらを見逃したのが残念に思うほどにインパクトがありました。

山脇紘資 作品展 『俺の国』in ツァイト・フォト・サロン

11月6日まで開催されています。
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「水谷一 - 消失 - 」 GALLERY MoMo 両国

GALLERY MoMo 両国墨田区亀沢1-7-15
「水谷一 - 消失 - 」
9/4-9/25(会期終了)



ギャラリーモモ両国の現スペースは本展をもって一応の見納めです。同ギャラリーで開催されていた水谷一個展、「消失」へ行ってきました。

水谷一のプロフィールについては画廊WEBサイトをご参照下さい。

水谷一展「消失」@ギャラリーモモ

2003年に多摩美術大学大学院を終了後、最近では所沢ビエンナーレのプレ展などに出展がありました。



ドローイングのイメージがあったせいか、入口付近のスペースの展開に意表を突かれた方も多いかもしれません。塵一つないお馴染みの長方形に展示室に並んでいたのは、真っ白いシリコン製のボールでした。その数は6個、上部の蛍光灯の間隔に合わせて�一に並んでいます。何か瞑想的な気配を感じたのは私だけでしょうか。ボールは空間全体と調和して静かに呼吸しているかのようでした。



奥の暗がりの展示室に進むと、床に置かれた木炭のドローイングが姿を現します。ざわざわと連なる線描が仄かな陰影をまとって広がる様子からは、森の中で噴き出す泉の光景を連想しました。

ギャラリーモモの間口の部分、つまりは清澄通りに面した長方形のスペースは今展限りで閉鎖されます。建物の一部解体、改装のためということでしたが、見慣れた景色だけにどこか寂しく思えたのも事実でした。



なお改装後、展示スペースは現在の場所から南側部分に拡張されるそうです。消失から言わば生成、再生への展開にもまた期待したいと思いました。

展示は本日で終了しました。(以降、改装のためしばらく休廊。)
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「石川結介 - Primal Calling」 ラディウム-レントゲンヴェルケ

ラディウム-レントゲンヴェルケ中央区日本橋馬喰町2-5-17
「石川結介 - Primal Calling」
9/10-10/16

新スペースのこけら落とし展から早くも約2年経ちました。レントゲンヴェルケで開催中の石川結介個展、「Primal Calling」へ行ってきました。

作家プロフィールについては同画廊のWEBサイトをご参照下さい。

石川結介@レントゲンヴェルケ



ともかくそのオープニングを飾ったウォールぺイントが印象的でしたが、今回はさらにスケールアップしています。言わば宝石の如く輝くペインティングは壁全体に広がり、さらにはミラーボールのように光を放つオブジェが宙に浮かんで空間全体を華々しく演出していました。あたかも万華鏡の中に入ったような錯覚を受けたのは私だけでしょうか。色と光に酔ってしまうほどの眩さでした。



オープニング展同様、この壁画も展示終了後に消えてしまいます。期間中一ヶ月限りの煌めきです。

10月16日まで開催されています。
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「諸国畸人伝」 板橋区立美術館

板橋区立美術館板橋区赤塚5-34-27
「江戸文化シリーズ No.26 諸国畸人伝」
9/4-10/11



板橋区立美術館で開催中の「江戸文化シリーズ No.26 諸国畸人伝」へ行ってきました。


狩野一信「五百羅漢図 第71幅 龍供」増上寺

奇異でかつ個性的な江戸の絵師たちが板橋に集結中です。日本各地の「陸奥、常陸、信濃、江戸、駿河、京、大坂、土佐」(公式WEBサイトより引用)から堂々登場したのは、以下の10名の絵師たちでした。

菅井梅関
林十江
佐竹蓬平
加藤信清
狩野一信
白隠
曾我蕭白
祗園井特
中村芳中
絵金

ともかくどれも見入る作品ばかりでしたが、その中でも絶対に外せない、言わば度肝を抜かれるほどに衝撃的な絵師がありました。その名は絵金です。元々は狩野派に属し、土佐藩の家老の御用を務めた経歴を持ちながらも謎の贋作事件にまきこまれ、野に下って時に血みどろの芝居屏風絵などを描き続けました。


絵金「伊達競阿国戯場 累」赤岡町本町二区

今回の展示ではその絵金の屏風絵が4点ほど展示されていますが、ともかくはその鮮烈な表現には目を奪われます。決して精緻とは言えない、むしろ大雑把な線で激しい動きを絵画上に封じ込めるように捉えた描写からは、荒々しいまでの迫力が感じられました。殺戮のシーンに用いられたケバケバしい赤い彩色は、それこそ本物の血を塗りたくったかのようです。前景を誇張的に引き出して人物の動きを演出するというダイナミックな劇画的構図も、見事なまでの臨場感を醸し出していました。



なお絵金が活動した高知の赤岡町に、屏風絵などを収蔵する美術館兼収蔵庫、絵金蔵という施設があるそうです。そこではこれまで保存されてきた屏風絵が公開されている他、絵金に関する資料なども紹介されています。一度、是非訪ねてみたいと思いました。


「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」 2011年3月15日~5月29日 江戸東京博物館

もちろん絵金の他にもメインの蕭白の「群童遊戯図屏風」や、来年に増上寺で驚異の全幅展示がある一信の「五百羅漢図」などの見どころも満載です。もちろんこうした烈しい表現をとる絵師だけでなく、不気味系美人画の井特や、和みの琳派の芳中らを楽しめるのもまた嬉しいところでした。


祇園井特「美人図(部分」摘水軒記念文化振興財団(~9/27)

東京ではあまり紹介される機会の少ない絵師たちばかりです。初見のものが目白押しでした。なお会期途中で一部、展示替えがあります。

出品リスト(pdf)@板橋区立美術館


中村芳中「白梅図」千葉市美術館

10月11日までの開催です。もちろんおすすめします。
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「ポップ・アート展1960's-2000's」 横須賀美術館

横須賀美術館神奈川県横須賀市鴨居4-1
「ポップ・アート展1960's-2000's」
9/11-10/17



横須賀美術館で開催中の「ポップ・アート展1960's-2000's」へ行ってきました。

ポップアートと言えばまずウォーホルやリキテンスタインらを思い浮かべますが、実は今回の展示ではそれ以降、つまりは2000年代以降に活躍中の『今』の作家がかなり紹介されています。てっきり60年代のポップアートのみの展示と思っていた私にとって、ミニマルらを含んだ現代アメリカ美術が登場するのは嬉しいサプライズでした。

出品作家一例

ロイ・リキテンスタイン 11点
アンディ・ウォーホル 5点
エドワード・ルッシェ 4点
グレッグ・ボギン 5点
ヴィック・ムニーズ 5点
マリーナ・カポス 6点
デイヴィッド・ラシャペル 7点

他、全90点


ロイ・リキテンスタイン「泣く少女」1963年

ポップアートで殆ど唯一好きなリキテンスタインが10点超揃うと少し興奮してしまいます。モネをリスペクトした「積わら」や、可愛い牛が白抜きで描かれた「雄牛」など、変わらぬドットと色の魅力を味わうことができました。


ヴィック・ムニーズ「オランピア」2000年

ムニーズと言えば渋谷のワンダーサイトの個展を思い出します。例のオランピアをモデルにしたこの作品、一体何を素材にして描いているかお分かりいただけるでしょうか。実はチョコレートで描き、それを写真でおさめたものです。素材を巧み操る彼の作品はその他にも、雑誌の切り抜きで静物を象った「りんご、桃、洋梨、葡萄、セザンヌ」やダイヤモンドでモンローを表した「マリリン・モンロー」などが展示されていました。

こうした奇抜な作品の一方、スプリンクラーの形をまるで切り絵のようにキャンバスに散らしたフレイザーの「無題」の素朴な味わいも捨て難いものがあります。どちらかと言うと私自身は、こうしたミニマルの美意識の方に共感を覚えました。

飛び出す巨大立体オブジェのステラに一部手彩を含む見慣れない平面作品が展示されています。スー・ウィリアムズの何やら謎めいた「スーパーフラットの試み」など、なかなか盛りだくさんなラインナップでした。


マリーナ・カポス「059,ロニー,2002」2002年

ポップアート以降、今のアメリカ美術も一部見ることが出来る展覧会です。思いの外に楽しめました。



なお本展は2006年に損保ジャパン東郷青児美術館で開催された同名の展覧会の事実上の巡回展です。(同じミスミ・アートコレクション。上の画像は当時のチラシです。) 但し一部作品が入れ替わっていました。



10月17日まで開催されています。 *横須賀展終了後、高知県立美術館(2010年12月19日~2011年3月27日)と巡回。
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「中里和人展 風景ノ境界 1983-2010」 市川市芳澤ガーデンギャラリー

市川市芳澤ガーデンギャラリー千葉県市川市真間5-1-18
「中里和人展 風景ノ境界 1983-2010」
8/28-10/11



何気ない日本の景色を独自の美意識で写し取ります。市川市芳澤ガーデンギャラリーで開催中の「中里和人展 風景ノ境界 1983-2010」へ行ってきました。

写真家、中里和人氏のプロフィールについては、同氏のWEBサイトをご参照下さい。

中里和人(なかざとかつひと)Profile

「ULTRA―中里和人写真集/中里和人/日本カメラ社」

さて芳澤ガーデンギャラリーの展示室はほぼ一室のみと、さほど広いわけではありませんが、今回は内部をパーティションで区切り、旧作から新作までの全9シーリズ、計100点ほどの写真作品をずらりと並べています。またその他、映像や小屋のインスタレーションの展示など、一つの回顧展として見ても十分として差し支えありません。実際に私自身も思いの外に長居して作品を楽しむことが出来ました。

出展のシリーズは以下の通りです。

湾岸原野(1983~1989)モノクロ
表層聖像(1992~1998)モノクロ
R(2000~2006)カラー
路地(1993~2004)カラー
小屋の肖像(1997~2000)カラー
4つの町(2000~2007)カラー *原色の町、白い町、褐色の町、黒い町の4シリーズ。
キリコの街(1995~2001)カラー
東京(2000~2006)カラー
ULTRA(2000~2008)カラー


「小屋の肖像」(2000)

東京湾岸の埋め立て地の他、ゴミも浮かぶ江戸川河口など、決して美しいとは言えない景色を果敢に捉えた「湾岸原野」や「表層聖像」のモノクロシリーズも不思議な魅力が感じられますが、私が断然に惹かれたのはカラー作品、近作の「ULTRA」と「路地」、そして「東京」などでした。


「ULTRA」(2008)

とりわけ一際大きな画面で見せる「URTRA」の闇の美しさと言ったら他にたとえようがありません。例えば青森の海岸線などの明かりの少ない地域が闇に沈む様子を見ていると、全てを消してゆく闇のどこか破壊的な力を感じてなりませんでした。作家自身はこれを「夜景」ではなく「闇景」と呼んでいますが、藍や黒に染まった海は、あたかも見る者を引きずりこむかのような表情をもって荒れ狂っています。その深淵さは恐ろしいまでのものでした。

「路地―Wandering Back Alleys/中里和人/清流出版」

向島や八広など下町を写した「東京」シリーズも、その古い町並みの景色を取り出したコンセプトにもよるのか、どこか懐かしい感覚を呼び起こすかもしれません。また沖縄や尾道などに取材した「路地」も、決して人が写し出されているわけではありませんが、何か郷愁を誘うような人情味溢れる街の景色が切り出されていました。無人の街から今にも人の呼び声が聞こえてくるような気さえします。

メイン展示室の奥、和室にある映像作品「Boso Time Tunnel」(2010)もお見逃しなきようご注意ください。なお作家本人がここ市川市の在住とのことで、近隣の風景を取り出した住民参加型のワークショップの成果なども披露されていました。



芳澤ガーデンギャラリーは、同市玄関口のJR市川駅の北側、約1.2キロほど離れた閑静な住宅地内に位置します。最寄にバス停はありません。駅からは約20分弱と歩けないわけではありませんが、駅近隣の駐輪場で貸し出している市のレンタサイクルを利用するのも手ではないでしょうか。(台数制限あり。無料。)

「街かど回遊レンタサイクル」について@市川市



ガーデンギャラリー付近は同市でも指折りの歴史・文教ゾーンです。周辺に史跡や記念館などもあるので、そちらを一緒に廻ってみるのも良いかもしれません。ガイド板などは界隈の随所に設置されていました。

市川・真間地区ホームページ@街かどミュージアムWEB



10月11日まで開催されています。

*写真は芳澤ガーデンギャラリー。ちょっとしたお庭も整備されています。
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「稲垣仲静・稔次郎兄弟展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館練馬区貫井1-36-16
「稲垣仲静・稔次郎兄弟展」 
9/14-10/24



大正と昭和に生きた、京都生まれの芸術家兄弟の業績を回顧します。練馬区立美術館で開催中の「稲垣仲静+稔次郎 兄弟展」のプレスプレビューに参加してきました。


稲垣仲静「自画像」(1921)

兄仲静(1897~1922)は日本画、そして弟稔次郎(1902~1963)は染色作家として名を馳せたというこの兄弟ですが、ともかく私が強烈な印象を受けたのは時にグロテスクなまでの画風を展開した仲静です。会場には素描の小品を含めると約100点近くにも及ぶ仲静の作品が展示されていました。

1 デロリの仲静

大正期の京都画壇というとデロリという言葉でくくられるような妖しげな絵画を見かけることがありますが、仲静でそれを挙げるなら「太夫」(1921)の一点でも十分かもしれません。


稲垣仲静「太夫」(1921) 京都国立近代美術館

金の混じる闇に浮かび上がるのは、グレーの肌を露としたまるで妖怪かなにかのように微笑む人物の姿です。仲静は細密な表現を得意ともしましたが、ここではどこか乱雑なまでの力強いタッチでその頭部などを象っています。以前、同時代の岡本神草の「挙の舞妓」を見て仰け反ったことがありましたが、この作品はさらに衝撃的でした。

2 草花や小動物への温かな眼差し

その一方、仲静は身近な草花や動物を数多く写生しています。そうしたいわゆる花鳥画類の小品もまた見所の一つではないでしょうか。


稲垣仲静「十二支之図」(1922) 星野画廊

小さな雛や雀はどれも可愛らしいものですが、それこそ応挙犬級に愛くるしい子犬たちからは仲静の動物に対する優しげな心持ちを感じました。


左下、稲垣仲静「土瓶と湯呑」(1912) 星野画廊

また家庭の身の回りにある日用品を表した「土瓶と湯呑」(1912)なども、的確なデッサン力に感心させられます。その巧みな表面の質感表現からは、劉生や御舟の静物画を連想しました。

3 猫と軍鶏 擬人化された動物たち

単なる花鳥画を超え、動物たちに意思と魂を吹き込んでいったのも仲静画の大きな特徴です。


右、稲垣仲静「猫」(1919) 個人蔵

チラシにも挙げられた「猫」(1919)における取り澄ました表情の奥には、何かじっと人を見つめてその心を見抜くような意思を感じてなりません。


左、稲垣仲静「軍鶏」(1919) 京都国立近代美術館

また擬人化と言えばこれまた代表作の「軍鶏」(1919)も忘れられません。鶏冠をぴんと立て、まるで風に靡くような羽を振りかざして敢然と起立する様には畏怖の念すら覚えてしまいます。たとえ倒れようとも気概を失うまいというような凄みがありました。


左、稲垣仲静「鶏頭」(1919) 京都国立近代美術館

最後に一点、ぐっと心を捉えられた「鶏頭」(1919)を挙げておかないわけにはいきません。あたかも身震いして断末魔の叫びを放つように枯れていく鶏頭は、どこか人の死と重なりあって見えてなりませんでした。もちろん作品とは関係ありませんが、仲静はこの数年後、腸チフスのために25歳の若さで亡くなってしまいます。



さて一方、染色家として活躍した稔次郎の作品も会場の半分を占めていました。



雅やかなデザインによる着物や羽織、また帯などは見るも鮮やかです。また京都出身と言うことで、四条や京都駅、また祇園祭などをモチーフにした作品が多く作られていました。



実は仲静も祇園祭の長刀鉾を描いていますが、逆に稔次郎の手による猫や鶏頭など、相互に同じ主題の作品を見比べていくのも楽しいのではないでしょうか。

京都国立近代美術館からの巡回展です。スペースの広い京近美の展示がどういった内容だったのか不明ですが、ともかくも仲静という特異な画家の作品をまとめて見ることが出来て感激しました。


甲斐庄楠音「裸婦」(1921) 京都国立近代美術館

また一部、例えば甲斐庄楠音などの同時代の画家が紹介されているのも見逃せないポイントです。そうした作品を踏まえることで、仲静の生きた時代の表現の潮流が伝わる内容となっていました。実は私自身、行く前は池大雅を目的にしていたところがありましたが、美術館を出る頃には頭の中がすっかり仲静一色になっていたことを付け加えておきます。



弟稔次郎は早逝した兄を尊敬し、いつか二人展を開きたいと語っていたことがあったそうです。それが今回、大きく時代を超えて初めて実現しました。なお仲静の回顧展の開催は遺作展以来、約90年ぶりだそうです。

10月24日まで開催されています。強くおすすめします。

*関連エントリ(同時開催中)
「初公開!池大雅の水墨山水画」 練馬区立美術館

注)写真の撮影と掲載については主催者の許可を得ています。
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「初公開!池大雅の水墨山水画」 練馬区立美術館

練馬区立美術館練馬区貫井1-36-16
「一点だけの特別観覧 初公開!池大雅の水墨山水画」
9/14-10/24

半世紀ぶりに練馬で発見された池大雅の幻の作品を公開します。練馬区立美術館で開催中の「一点だけの特別観覧 初公開!池大雅の水墨山水画」へ行ってきました。



「一点だけの」とあるように、会場には一点、つまりはこの発見された池大雅の「比叡山真景図」のみが掲げられています。なお発見された経緯などは、以下の朝日新聞の記事などで紹介されていました。是非ご覧ください。

池大雅の掛け軸、来月公開 半世紀ぶり、練馬区立美術館(朝日新聞)



また会場ではそこでもコメントのある佐藤康宏氏の解説がパネルで掲示されています。印章の問題、また画法の専門的な部分など、かなり突っ込んだ内容が記されていました。

左に比叡山を配し、遠景に靄にもかすむ琵琶湖を望む景色は、どこかターナーの雄大な風景画を連想させるのではないでしょうか。またその仄かな陰影を生む繊細な点描の技法も見事でした。



なお本展はメインの稲垣仲静・稔次郎兄弟展と同時開催の展覧会です。入場券は共通でした。

「稲垣仲静・稔次郎兄弟展」「池大雅の水墨山水画展」いよいよ開幕です!@練馬区立美術館ブログ

稲垣兄弟展については改めて下記リンク先のエントリでまとめてあります。ちなみに一言だけ申せば、そちらは私にとってショッキングなほど印象に残る展覧会でした。

「稲垣仲静・稔次郎兄弟展」 練馬区立美術館(拙ブログ)

10月24日まで開催されています。

注)写真の撮影と掲載については主催者の許可を得ています。
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「桑久保徹 海の話し 画家の話し」 TWS渋谷

トーキョーワンダーサイト渋谷渋谷区神南1-19-8
「桑久保徹 海の話し 画家の話し」
8/7-9/26



トーキョーワンダーサイト渋谷で開催中の桑久保徹個展「海の話し 画家の話し」へ行ってきました。

作家プロフィールについては小山登美夫ギャラリーのWEBサイトをご覧下さい。 作品画像も多数掲載されています。

桑久保徹 バイオグラフィー@小山登美夫ギャラリー

国立新美術館での「アーティスト・ファイル」展の記憶が新しい方も多いのではないでしょうか。一見、抽象を思わせるような激しいタッチによる風景画風のペインティングは、あの広いホワイトキューブでもかなり人目を引いていました。


「カーネーション」(2004) 油彩、キャンバス

さて今回の展示で興味深いのは、最新作だけでなく、初期の旧作を交えた回顧展形式で画業を追うことが出来ることです。私自身、彼の絵画をはじめて意識したのは、2008年に開催された小山登美夫ギャラリーでの個展でしたが、ワンダーウォールに入選にした2002年前後の、例えば砂浜に穴の空いた風景画などを見ると、今の作風とはかなり異なっていることが良く分かります。海岸の砂浜の地中から突如、赤い花が手によって掲げられた「カーネーション」(2004)からは、何か物語のワンシーンを見ているような印象を与えられました。


「自由の女神に似た女」(2009) 油彩、キャンバス

私が一番引かれたのはSPACE A、つまりはギャラリーのメインフロアに並んだポートレート風の作品です。大胆な蛍光色を用いながらも、時に相反するような暗い色彩によって浮かび上がる人間の姿は、訴えかけるような眼差しで前を見つめています。桑久保というと、それこそ下に挙げた「農民の婚宴」(2009)のように中心のない、鳥瞰的な視点で捉えられた広い空間の中へモチーフを無数に詰め込むイメージがあっただけに、これらの肖像画はかなり意外でした。


「農民の婚宴」(2009) 油彩、キャンバス

ちなみにその無数のモチーフに目を凝らすと、それらの一部が古典絵画から取り入れられていることがお分かりいただけるかもしれません。桑久保は自身が提供した広大な空間の中へ、そうした古典のモチーフを文脈から切り離して並列的に配置しています。一見、同じ水平線を臨む海岸線にあるようでも、各々の空間と時間は言わば切り刻まれていました。

9月26日まで開催されています。
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「誇り高きデザイン 鍋島」 サントリー美術館

サントリー美術館港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア3階)
「誇り高きデザイン 鍋島」
8/11-10/11



サントリー美術館で開催中の「誇り高きデザイン 鍋島」へ行ってきました。

毎度の巧みな照明、そして立体展示で定評のある同美術館にすれば、鍋島の魅力を引き出すのもさほど難しいことではないのかもしれません。今回、お馴染みの美しい空間に展示されているのは、個人蔵を含む国内各地の美術館による鍋島の名品、約140点でした。ともかく私は器の中では鍋島が最も好きですが、ファンならずともその魅惑的な瑠璃色と斬新なデザイン性に引かれた方も多いのではないでしょうか。期待通りの鍋島の超名品展と言うべき展覧会でした。

展覧会の構成は以下の通りです。

1 鍋島藩窯の歴史
2 構図の魅力
3 鍋島の色と技
4 尺皿と組皿
5 鍋島の主題 四季と吉祥

はじめに鍋島の歴史について簡単に俯瞰した上で、その制作において頂点を極めた17世紀後半から18世紀前半の作品を紹介する流れになっていました。 (出品リスト

格調高き鍋島の魅力を言葉にするのはむしろ野暮なことかもしれません。ともかく「百聞は一見にしかず」という文言が今回ほど当てはまることもありませんが、ここでは会場でも紹介された4つのポイントから各1点ずつ代表作を挙げてみました。

・技

当時、将軍家への献上品として重宝された鍋島には、最高級品に相応しい技術が随所に用いられています。


「色絵桃文大皿(重要文化財)」 肥前鍋島藩窯 江戸時代 MOA美術館

大きな桃がまるで寄り添うように3つ並ぶ「色絵桃文大皿」では、桃の表面に細かな点描が無数に施されていることが分かるのではないでしょうか。また仄かに陰った黒ずみを描き込むなど、全体としての桃の質感を見事なまでに再現していました。

・色

青磁と染付による瑠璃色の輝きこそ鍋島の魅力の核心であることは間違いありません。


「色絵植木鉢岩牡丹文大皿(重要文化財)」 肥前鍋島藩窯 江戸時代 栗田美術館

ともかくどれも美しい色をたたえているので、逆に個別の作品を挙げるのは難しいところですが、「色絵植木鉢岩牡丹文大皿」では地の白と藍、さらには牡丹の紅という色のコントラストを楽しめます。色鍋島とシンプルな染付などの色合いは甲乙付け難いものがありました。

・構図

それこそ現代でも全く古びない大胆でかつ洗練されたデザイン性も鍋島の見どころの一つです。


「薄瑠璃染付花文皿」 肥前鍋島藩窯 江戸時代 サントリー美術館

ここではお馴染みの放射状の模様が描かれた「薄瑠璃染付花文皿」を挙げれば十分でしょう。染付と白によって描きこまれた花文はまるで大空に咲く花火でした。

・主題

一定の様式に則った鍋島は、様々なモチーフを取り込んでその意匠を発展させました。


「青磁色絵桃宝尽文皿」 肥前鍋島藩窯 江戸時代 (財)今右衛門古陶磁美術館

吉祥主題の作品の一つ、「青磁色絵桃宝尽文皿」からはどこか華やいだ印象を受けないでしょうか。四方皿の上には宝珠などのお目出度い品々がぎっしりつめこめられていました。

はじめにも触れましたが、今回改めて感心したのは抜群の照明効果です。強い光を当てて色をギラギラと浮かび上がらせるのではなく、控えめな照明で瑠璃色の繊細な色味を引き立てています。鍋島の品格は全く損なわれていませんでした。

何年か前にサントリー美術館に初めて出かけた時、いつかこの場所で鍋島を見たいと思ったことがありました。今回、充実した展示でその願いを叶えることが出来ました。もう何も申し上げることはありません。

10月11日まで開催されています。もちろんおすすめします。
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「上村松園展」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「上村松園展」
9/7-10/17



東京国立近代美術館で開催中の「上村松園」展へ行って来ました。

初期の珍しい作品から素描までを含めた計100点規模の、まさに「殊玉の決定版」に相応しい展覧会です。実は私自身も松園が大好きで、松伯美術館へ出向いたり山種美術館で作品を追っかけたりしましたが、今回ほどの質と量による松園展を見たのは初めてでした。

構成は以下の通りです。(出品リスト

1章 画風の模索、対象へのあたたかな眼差し
2章 情熱の表出、方向性の転換へ
3章 円熟と深化
1 古典に学び、古典を超える
2 日々のくらし、母と子の情愛
3 静止した時間、内面への眼差し
附章 写生に見る松園芸術のエッセンス

画業を時間軸で辿るとともに、それぞれのテーマから松園芸術の有り様を明らかにしていました。

ともかく見るべき作品の多い展覧会でしたが、ここは私なりの視点で興味深かったポイントを5つほど挙げてみます。

1 初期作における高い完成度と多様性

松園ほど「非の打ち所のない」という言葉が似合う画家もいませんが、その完成されたスタイルは初期作でも十分に堪能することができます。

松園は1887年に京都府画学校に入学後、画壇の重鎮の鈴木松年の塾に通うなどして絵を学びましたが、冒頭の「四季美人」(1892)からして習作期とは思えないレベルに達しています。これは松園が17歳の時に描いたものですが、既に晩期作でも見られる一点の曇りもない女性美が見事に表現されていました。


「人生の花」1899(明治32)年 名都美術館(前期)

また一方で婚礼に向かう花嫁と母を捉えた「人生の花」(1899)は例えば清方流の抒情性を感じさせる一枚です。さらに大和絵風の「義貞匂当内侍を視る」(1895)など、古典主題にも取り組んだ松園の多様な作風は初期の頃から洗練されていました。

2 「透け表現」の魅力

松園と言えばともかく淀みのない線描に裏打ちされた透け表現の魅力を挙げないわけにはいきません。


「楊貴妃」1922(大正11)年 松伯美術館

「楊貴妃」(1922)における障子越しの人物描写、さらには楊貴妃の纏う薄い水色の着衣に妖しげに透けた腕など、一見フラットな画面のようでもそこには奥行きのある空間と立体感が巧みに示されています。

またさらに「簾のかげ」(1929)と「新蛍」(1929)の簾透け対決も見所の一つではないでしょうか。簾をくぐって前を伺う女性という似た構図ながら、後者では蛍が舞って季節の趣を感じることが出来ます。簾や着衣しかり、透け越しに佇む女性の姿は微かに官能的です。透けを描かせて松園の右に出る者はいないと改めて確信しました。

3 艶やかな着物~気品のある美しい色合い

松園の美人画で毎回感心させられるのは、女性たちが纏う着物の柄の美しさです。

三十六歌仙の一人の伊勢大輔が桜を出すシーンを描いた「伊勢大輔」(1929)の装束における色のハーモニーもまた見事ではないでしょうか。こうした細かな線描による絵柄の模様、そして例えば瑞々しい藤色の色彩感など、着衣表現における松園の筆も必見だと言えそうです。

4 力強い意思を秘めた女性たち

力強くまた美しいとは相反する言葉かもしれませんが、私は松園の美人画から当然ながらの美しさとともに、内面の秘められた強い意思を感じてなりません。


「草紙洗小町」1937(昭和12)年 東京藝術大学(前期)

一例として後期に出品予定の「序の舞」を挙げれば十分かもしれませんが、そうした要素は前期出品作の「天保歌妓」(1935)や「草紙洗小町」(1937)でも見出だすことが出来ました。松園の描く女性における時に近づき難いまでの美しさは、何者も近づけない彼女自身の強い意思が表されているからなのでしょうか。

5 おどろおどろしきまでの情念


「焔」1918(大正7)年 東京国立博物館(前期)

しかしながら一転して、激しい感情表現を露にした作品があるのもよく指摘されるところです。中でも「花がたみ」(1915)と「焔」(1918)には言葉を失いました。六条のような生き霊を繊細な筆と大胆な構図で捉え、何も隠さずに描いた松園の人物への冷徹な眼差しには凄みすら感じます。長く垂れた髪の一本一本にまでどこか触れてはならないような妖気がみなぎっていました。

なお「花がたみ」についてはそのデッサンも多数紹介されています。立ち位置や表情の変化など、松園が試行錯誤を踏まえた上で本画に着手していたことが良く分かりました。

ところで最後に触れておきたいのは図録です。実は今回、会場内にキャプションは殆どなく、無心で作品を楽しめるかわりに展示のストーリー性が伝わりにくい部分がありますが、図録の解説はそれを十分に補完しています。また出品リストの裏に一部作品の解説も掲載されていました。こちらも是非見ておきたいところです。

なお本画については代表作を含め15点前後、さらには計約40点弱ある写生については全てが会期途中に入れ替わります。

前期:9月7日(火)~9月26日(日) 後期:9月28日(火)~10月17日(日) 
 *「雪月花」(宮内庁三の丸尚蔵館)の展示期間は10/5~10/17

先日の日曜の夕方にお邪魔しましたが、思っていたよりも会場に余裕がありました。私も後期にもう一度出向くつもりですが、今ならまだゆったりとした空間で松園を楽しめるのではないでしょうか。



公式WEBサイトの「週刊上村松園」が非常に労作です。読み物としても充実しているので是非一度ご覧ください。

週刊上村松園@上村松園展

またとない回顧展です。お見逃しなきようご注意下さい。10月17日まで開催されています。
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「夢みる家具 森谷延雄の世界」 INAXギャラリー

INAXギャラリー1中央区京橋3-6-18 INAX:GINZA2階)
「夢みる家具 森谷延雄の世界」
9/3-11/20



「大正時代に活躍した家具デザイナー」(公式HPより引用)、森谷延雄(1893-1927)の制作を紹介します。INAXギャラリー1で開催中の「夢みる家具 森谷延雄の世界」へ行ってきました。

僅か33歳で夭折した森谷の現存作品は多くありませんが、今回の回顧展では復元を含む家具15点弱の他、作品集など計40点弱ほどの資料が紹介されています。(出品リスト)それにしてもタイトルに「夢みる家具」とありますが、実物を見るとそれも誇張表現ではないことが良く分かりました。まさにメルヘンの世界です。緩やかな曲線を描き、また時にトレードマークでもあるハート形の意匠が施された可愛らしい家具がいくつも並んでいました。

森谷は留学先のドイツの表現主義の影響も受けているそうですが、とりわけ「ねむり姫の寝室」、「鳥の書斎」、「朱の食堂」と呼ばれる3つの室内空間からは独特な感性を知ることが出来ます。グルム童話から連想して作られた「ねむり姫の寝室」における彼の言葉は、家具そのものの意匠を超えた空間全体に詩的な響きを与えていました。

「夢みる家具 森谷延雄の世界 /INAX出版」

如何せんINAXのスペースなので手狭な印象は拭えませんが、私にとってはこうした詩心を持った家具デザイナーが大正期に活躍していたことを知っただけでも大きな収穫でした。

会場風景が同ギャラリーのWEBサイトで紹介されています。

夢みる家具 森谷延雄の世界展@INAXギャラリー

なお今回の展覧会にも出品のある松戸市のデジタル美術館に彼の略歴と作品画像が掲載されていました。是非ご参照ください。

森谷延雄@松戸市デジタル美術館

11月20日までの開催です。なお東京展終了後、同じくINAXギャラリーの大阪(2010/12/4~2011/2/17)と名古屋(2011/3/4~5/19)へと巡回します。
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