都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「町田久美 Snow Day」 西村画廊
西村画廊(中央区日本橋2-10-8 日本橋日光ビル3階)
「町田久美 Snow Day」
7/1-8/2
幸いにも会期が丸々一ヶ月ほどあるので、毎週の画廊巡りの際にも何度か拝見しています。話題の展覧会、西村画廊での町田久美の個展へ行ってきました。
表題にも掲げられた「雪の日」(2008)が、やはりメインの一点なのでしょうか。やや分厚くも見えるジャケットかコートを着た性別不詳の人間が一人、テールランプのように赤い目を光らせ、あたかも頭皮の一部を剥ぐかの如く、その表面を胸ポケットへ仕舞う様が描かれています。ポケットのゆがみ、衣服のシワ、それに例えば親指の付け根で盛り上がった手の表現などが、線描と最低限の彩色というストイックな世界の中でも対象の肉感を確実に伝え、あたかも背筋の寒くなるような不気味な世界を作り上げていました。また町田本人が飼っていた犬の記憶を元にしたという犬小屋の「2」(2008)など、アイロニカルな近作とはまた異なった新しい世界も展開されています。とは言え、後頭部をにゅっと開いて目を示す「レンズ」(2007)を含めた、基調となるかのシュールな町田の世界は何ら失われることがありません。中でも強烈な印象を与えるのは、編み状の髪の毛を顔とともに真っ逆さまに垂らした「編み込み」でした。後頭部全体が、あたかも雑巾を絞るかのようにうねり出しています。もはや首から下がもげて落ちてしまいそうです。思わず仰け反ってしまいました。
詳細はこちらのブログを参照いただきたいのですが、幸いにも会場にて町田本人と少し話す機会を得ることが出来ました。その際、印象に残った点を二つほど挙げておきます。
・元々前もって頭の中にあるイメージをそのまま絵画に表すのではない。イメージが4次元としたら、絵はあくまでも2次元である。置き換えるのは難しい。
・いわゆる巷で言われるような、絵における『痛み』を意識したことは殆どない。
後者の『痛み』についての話は、率直なところ意外な気もしました。私が彼女の絵を見て、そのモチーフから痛みを感じるのは、ひょっとすると絵より離れた部分にある、単なる錯視的な空想の産物に過ぎないのかもしれません。確かに「ことほぎ」に見る、たまらないほどの温かさは『痛み』とは全く無縁の場所にあります。二人の深い絆がひしひしと伝わってくる作品です。
言うまでもありませんが現在、群馬の高崎市タワー美術館でも町田の個展が開催されています。(8月24日まで。)そちらもそろそろ見に行きたいです。
「アート・トップ 2008年7月号/芸術新聞社」
西村画廊の個展は2日までの開催です。
「町田久美 Snow Day」
7/1-8/2
幸いにも会期が丸々一ヶ月ほどあるので、毎週の画廊巡りの際にも何度か拝見しています。話題の展覧会、西村画廊での町田久美の個展へ行ってきました。
表題にも掲げられた「雪の日」(2008)が、やはりメインの一点なのでしょうか。やや分厚くも見えるジャケットかコートを着た性別不詳の人間が一人、テールランプのように赤い目を光らせ、あたかも頭皮の一部を剥ぐかの如く、その表面を胸ポケットへ仕舞う様が描かれています。ポケットのゆがみ、衣服のシワ、それに例えば親指の付け根で盛り上がった手の表現などが、線描と最低限の彩色というストイックな世界の中でも対象の肉感を確実に伝え、あたかも背筋の寒くなるような不気味な世界を作り上げていました。また町田本人が飼っていた犬の記憶を元にしたという犬小屋の「2」(2008)など、アイロニカルな近作とはまた異なった新しい世界も展開されています。とは言え、後頭部をにゅっと開いて目を示す「レンズ」(2007)を含めた、基調となるかのシュールな町田の世界は何ら失われることがありません。中でも強烈な印象を与えるのは、編み状の髪の毛を顔とともに真っ逆さまに垂らした「編み込み」でした。後頭部全体が、あたかも雑巾を絞るかのようにうねり出しています。もはや首から下がもげて落ちてしまいそうです。思わず仰け反ってしまいました。
詳細はこちらのブログを参照いただきたいのですが、幸いにも会場にて町田本人と少し話す機会を得ることが出来ました。その際、印象に残った点を二つほど挙げておきます。
・元々前もって頭の中にあるイメージをそのまま絵画に表すのではない。イメージが4次元としたら、絵はあくまでも2次元である。置き換えるのは難しい。
・いわゆる巷で言われるような、絵における『痛み』を意識したことは殆どない。
後者の『痛み』についての話は、率直なところ意外な気もしました。私が彼女の絵を見て、そのモチーフから痛みを感じるのは、ひょっとすると絵より離れた部分にある、単なる錯視的な空想の産物に過ぎないのかもしれません。確かに「ことほぎ」に見る、たまらないほどの温かさは『痛み』とは全く無縁の場所にあります。二人の深い絆がひしひしと伝わってくる作品です。
言うまでもありませんが現在、群馬の高崎市タワー美術館でも町田の個展が開催されています。(8月24日まで。)そちらもそろそろ見に行きたいです。
「アート・トップ 2008年7月号/芸術新聞社」
西村画廊の個展は2日までの開催です。
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「大塚聡 - 時をみる」 ヒロミヨシイ
ヒロミヨシイ(江東区清澄1-3-2 6階)
「大塚聡 - 時をみる」
7/12-8/2
アタッシュケースに光の軌跡といえば、今年のアートフェアのヒロミヨシイのブースを思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか。光を用いたミニマルなアートを手がける大塚聡の個展へ行ってきました。
ともかくじっと見入りたいのは、アタッシュケースの中でひっそりと軌跡を描く極細の光線です。ぽっかりと口を開けたアタッシュケースは底なし沼のように暗く、そこから一筋の光線がぽつぽつと泡の沸くかの如く緩やかに伸びてきています。またその光線は、あたかも小さな宝石を散りばめたネックレスのようです。今にも引きちぎれてしまいそうなほどか弱く、仄かに点滅しながら、光の辿る足跡を残して進んでいます。そして展示室正面奥、壁掛けのオブジェに見る光も忘れられません。三点の光の粒が、ちょうど八の字を描くようにして点々と連なっています。逃れられない、また閉ざされた闇の空間における、光のか弱い呼吸のようでした。
左手小部屋にある木製の引き出しも必見です。意外な場所でも光は確かに息づいています。
次の土曜、2日までの開催です。
review:Seeing Time Satoshi Osuka|時をみる 大塚聡《7/12》:ex-chamber museum
(画廊HPの情報があまりにも少ないので、展示風景も掲載されたお馴染みのブログへリンクしておきます。)
「大塚聡 - 時をみる」
7/12-8/2
アタッシュケースに光の軌跡といえば、今年のアートフェアのヒロミヨシイのブースを思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか。光を用いたミニマルなアートを手がける大塚聡の個展へ行ってきました。
ともかくじっと見入りたいのは、アタッシュケースの中でひっそりと軌跡を描く極細の光線です。ぽっかりと口を開けたアタッシュケースは底なし沼のように暗く、そこから一筋の光線がぽつぽつと泡の沸くかの如く緩やかに伸びてきています。またその光線は、あたかも小さな宝石を散りばめたネックレスのようです。今にも引きちぎれてしまいそうなほどか弱く、仄かに点滅しながら、光の辿る足跡を残して進んでいます。そして展示室正面奥、壁掛けのオブジェに見る光も忘れられません。三点の光の粒が、ちょうど八の字を描くようにして点々と連なっています。逃れられない、また閉ざされた闇の空間における、光のか弱い呼吸のようでした。
左手小部屋にある木製の引き出しも必見です。意外な場所でも光は確かに息づいています。
次の土曜、2日までの開催です。
review:Seeing Time Satoshi Osuka|時をみる 大塚聡《7/12》:ex-chamber museum
(画廊HPの情報があまりにも少ないので、展示風景も掲載されたお馴染みのブログへリンクしておきます。)
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「阪本トクロウ/ビューティフル・ドリフター」 アートフロントグラフィックス
アートフロントグラフィックス(渋谷区猿楽町29-18 ヒルサイドテラスA-8)
「阪本トクロウ/ビューティフル・ドリフター」
7/1-8/3
新作と一部、新たに筆が加えられているという旧作が交えています。阪本トクロウの個展へ行ってきました。
DMにも掲載されたシリーズ「エンドレスホリディ」が、また今までに無い方向を示しています。たっぷりとした余白の中で朧げにうつるのは、どこか寂しそうにポツンと立つ一点の遊具でした。この事物の妙な寂寞感、もしくはストイックな雰囲気は明らかに阪本の得意とすることですが、例えば高速道路の照明を影絵のように切り取った「呼吸」シリーズにおける、どこかシュールな感触はあまり感じられません。さらによりゆとりを、ようはそれこそVOCAでの「山水」でも見られたようなのびやかさと広がりが前面に出てきたということなのでしょうか。画面の殆どを余白に、そして下部の5%の部分に風景を切り詰めて描いた「scene」に見る、ハッと思わせるような大胆さも殆ど感じられませんでした。あくまでも虚空に佇んでいるだけなのです。
アートフロントグラフィックスへははじめて行きました。代官山は未だ私にとって右も左も分からないエリアですが、小山登美夫ギャラリーのビューイングスペースでもあるTKG Daikanyamaにも隣接し、また中目黒のミヅマにも近いということで、これからはなるべく足を運んでみたいと思います。
8月3日までの開催です。
「阪本トクロウ/ビューティフル・ドリフター」
7/1-8/3
新作と一部、新たに筆が加えられているという旧作が交えています。阪本トクロウの個展へ行ってきました。
DMにも掲載されたシリーズ「エンドレスホリディ」が、また今までに無い方向を示しています。たっぷりとした余白の中で朧げにうつるのは、どこか寂しそうにポツンと立つ一点の遊具でした。この事物の妙な寂寞感、もしくはストイックな雰囲気は明らかに阪本の得意とすることですが、例えば高速道路の照明を影絵のように切り取った「呼吸」シリーズにおける、どこかシュールな感触はあまり感じられません。さらによりゆとりを、ようはそれこそVOCAでの「山水」でも見られたようなのびやかさと広がりが前面に出てきたということなのでしょうか。画面の殆どを余白に、そして下部の5%の部分に風景を切り詰めて描いた「scene」に見る、ハッと思わせるような大胆さも殆ど感じられませんでした。あくまでも虚空に佇んでいるだけなのです。
アートフロントグラフィックスへははじめて行きました。代官山は未だ私にとって右も左も分からないエリアですが、小山登美夫ギャラリーのビューイングスペースでもあるTKG Daikanyamaにも隣接し、また中目黒のミヅマにも近いということで、これからはなるべく足を運んでみたいと思います。
8月3日までの開催です。
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「特集陳列 六波羅蜜寺の仏像」 東京国立博物館
東京国立博物館・本館11室(台東区上野公園13-9)
「特集陳列 六波羅蜜寺の仏像」(平常展)
7/10-9/21
限りなく特別展の域に近いハイレベルな特集陳列です。平常展の一室(本館11室)に、六波羅蜜寺の仏様が集合なさっています。特集陳列「六波羅蜜寺の仏像」を見てきました。
展示作品一覧:持国天立像、薬師如来坐像、地蔵菩薩立像をはじめ、運慶の肖像や快慶の弟子長快作の弘法大師坐像など、計13体を展示。
鎌倉時代の仏像を見ると、いつもその真に迫る表現に驚かされるものがありますが、今回の展示でも極限のリアリズムを楽しめる仏像がいくつか紹介されていました。それが入口正面、一番手前の位置にある「僧形坐像(伝平清盛像)」と、ちょうど展示室内にて向かい合う形に安置されている「伝運慶坐像」と「伝湛慶坐像」の三体です。伝清盛像では、うつむき加減の顔の奥より光る目に威厳が漲り、また伝運慶像では、飄々とした顔のややコミカルな様子が印象に残りました。そしてこの三体の中でも特に魅力を感じるのは、運慶の子湛慶を表した伝湛慶像です。どこか憂いをたたえた表情と引き締まった口元が、適切な表現ではないかもしれませんが、あたかもデスマスクを見ているかのような独特の緊張感を思わせています。まさに鬼気迫る表情です。
四天王からは二体、「持国天」と「増長天」が展示されていました。剣を大きく後ろへ振り上げ、全身に大きな風を受けながら、今にも飛びかかるような躍動感に満ちた「増長天」と、また逆に剣を前へ突き出しながらも、体はどっしりと構えて前を堂々と見据える「持国天」のそれぞれに甲乙つけ難い趣が感じられます。また持国天は右斜め下から見上げると、剣に突き刺されてしまうかのような迫力がありました。また最後に挙げたいもう一点は、左手の髪の毛が印象深い「地蔵菩薩像」です。その装飾と光背が実に細やかに表されています。こちらも必見です。
またこの11室に続く12室ではかの大日如来がお出迎えです。例の話題で一躍、時の人ならぬ仏様となったこの如来像は、東博一の人気者なのでしょう。大変な人だかりが出来ていました。
コストパフォーマンス的にも最良の展示です。さすがにかの有名な「空也上人像」はパネルのみの紹介に終っていましたが、それでもこの充実した内容を追加料金なし(平常展入場料のみ。)で見られることはまず他で考えられません。
9月21日までの開催です。
「特集陳列 六波羅蜜寺の仏像」(平常展)
7/10-9/21
限りなく特別展の域に近いハイレベルな特集陳列です。平常展の一室(本館11室)に、六波羅蜜寺の仏様が集合なさっています。特集陳列「六波羅蜜寺の仏像」を見てきました。
展示作品一覧:持国天立像、薬師如来坐像、地蔵菩薩立像をはじめ、運慶の肖像や快慶の弟子長快作の弘法大師坐像など、計13体を展示。
鎌倉時代の仏像を見ると、いつもその真に迫る表現に驚かされるものがありますが、今回の展示でも極限のリアリズムを楽しめる仏像がいくつか紹介されていました。それが入口正面、一番手前の位置にある「僧形坐像(伝平清盛像)」と、ちょうど展示室内にて向かい合う形に安置されている「伝運慶坐像」と「伝湛慶坐像」の三体です。伝清盛像では、うつむき加減の顔の奥より光る目に威厳が漲り、また伝運慶像では、飄々とした顔のややコミカルな様子が印象に残りました。そしてこの三体の中でも特に魅力を感じるのは、運慶の子湛慶を表した伝湛慶像です。どこか憂いをたたえた表情と引き締まった口元が、適切な表現ではないかもしれませんが、あたかもデスマスクを見ているかのような独特の緊張感を思わせています。まさに鬼気迫る表情です。
四天王からは二体、「持国天」と「増長天」が展示されていました。剣を大きく後ろへ振り上げ、全身に大きな風を受けながら、今にも飛びかかるような躍動感に満ちた「増長天」と、また逆に剣を前へ突き出しながらも、体はどっしりと構えて前を堂々と見据える「持国天」のそれぞれに甲乙つけ難い趣が感じられます。また持国天は右斜め下から見上げると、剣に突き刺されてしまうかのような迫力がありました。また最後に挙げたいもう一点は、左手の髪の毛が印象深い「地蔵菩薩像」です。その装飾と光背が実に細やかに表されています。こちらも必見です。
またこの11室に続く12室ではかの大日如来がお出迎えです。例の話題で一躍、時の人ならぬ仏様となったこの如来像は、東博一の人気者なのでしょう。大変な人だかりが出来ていました。
コストパフォーマンス的にも最良の展示です。さすがにかの有名な「空也上人像」はパネルのみの紹介に終っていましたが、それでもこの充実した内容を追加料金なし(平常展入場料のみ。)で見られることはまず他で考えられません。
9月21日までの開催です。
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「桑久保徹 展」 小山登美夫ギャラリー
小山登美夫ギャラリー(江東区清澄1-3-2 6階)
「桑久保徹 - World Citizens with the White Boxes - 」
7/19-8/19
男女のポップな彫像の群れが、水平線の広がる画中の海辺で相対しています。2004年のGEISAIにて小山登美夫にスカウトされたという気鋭のアーティスト、桑久保徹の新作個展へ行ってきました。
まず目に飛び込んで来るのは、おおよそ実景によるものとは思えない、何やら夢の中の世界のような広々とした空間です。一見、殆ど乱雑であるとさえ思う厚塗りのタッチにて、一種の舞台装置のようなそれらの場を描いています。ただしその舞台はまさに多様です。時に上記のような海沿いの砂浜であり、またはDMにも登場するアトリエのようでもありました。そしてそこに細々とした小道具、ようは前者であればスーツ姿の男性の彫像であり、また後者なら画布や絵具、それに家具などが散乱しているわけです。また上空には不穏な分厚い雲が横たわっています。ワイシャツにネクタイを締めた男性陣と、あたかも鬼火をのような松明を持つ着飾った女性陣の並ぶ二枚の作品が特に印象に残りました。一体、何を向き合って争おうとしているのでしょうか。
今個展の出品作以外にも、計3点の油彩画が代官山の「TKG Daikanyama」にも展示されています。そちらはまるで西洋絵画の伝統を忠実に伝えているかのような静物画です。あたかもゴッホの画風を思わせる濃厚な作品が紹介されていました。
8月19日までの開催です。
「桑久保徹 - World Citizens with the White Boxes - 」
7/19-8/19
男女のポップな彫像の群れが、水平線の広がる画中の海辺で相対しています。2004年のGEISAIにて小山登美夫にスカウトされたという気鋭のアーティスト、桑久保徹の新作個展へ行ってきました。
まず目に飛び込んで来るのは、おおよそ実景によるものとは思えない、何やら夢の中の世界のような広々とした空間です。一見、殆ど乱雑であるとさえ思う厚塗りのタッチにて、一種の舞台装置のようなそれらの場を描いています。ただしその舞台はまさに多様です。時に上記のような海沿いの砂浜であり、またはDMにも登場するアトリエのようでもありました。そしてそこに細々とした小道具、ようは前者であればスーツ姿の男性の彫像であり、また後者なら画布や絵具、それに家具などが散乱しているわけです。また上空には不穏な分厚い雲が横たわっています。ワイシャツにネクタイを締めた男性陣と、あたかも鬼火をのような松明を持つ着飾った女性陣の並ぶ二枚の作品が特に印象に残りました。一体、何を向き合って争おうとしているのでしょうか。
今個展の出品作以外にも、計3点の油彩画が代官山の「TKG Daikanyama」にも展示されています。そちらはまるで西洋絵画の伝統を忠実に伝えているかのような静物画です。あたかもゴッホの画風を思わせる濃厚な作品が紹介されていました。
8月19日までの開催です。
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「アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス」 損保ジャパン東郷青児美術館
損保ジャパン東郷青児美術館(新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)
「生きる喜び 素朴絵画の世界 アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス」
7/5-8/31
一応、二人展の形式をとっていますが、ボーシャン単独の企画展としても見応えは十分です。損保ジャパンの夏休み企画、「アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス」展へ行ってきました。
ともかく出品リスト(受付に申し出れば戴けます。)を見れば明らかです。全体の出品数は計69点ありますが、そのうちの47点、約7割弱をボーシャンが占めています。少なくとも最近、都内近辺にて、これほどまとまった数のボーシャンの展示というものがあったのでしょうか。彼の魅力を知るまたとない企画です。楽しめないはずがありません。
ボーシャンと言えば条件反射的にあの特異な花卉画をイメージする私にとって、まずは神話や歴史に主題をとった作品の存在自体が極めて新鮮でした。実際、展示のはじめに紹介されているのは、ギリシャ神話や聖書に主題をとった作品です。ここでは、建物を象る横への直線がどこか幾何学的な構図を生む「バビロンの空中庭園」なども印象的でしたが、とりわけ「田舎の寓意、またはゼウスの誕生」の表現には見入るものがありました。中央のゆりかごには赤ん坊のゼウスが揺られ、その周囲をまるでピカソの描いたような肉感的な女性が囲んでいます。また枝振りの見事な中央の木、特に枝葉の描写は、いかにもボーシャンらしいこだわりの点描的な表現です。景色を遮るかのように広がっていました。
元々、父の家業をついで園芸(苗床業)の仕事をしていたボーシャンですが、彼の自然への関心の原点はそのような生き方にも由来するのかもしれません。チラシ表紙を飾る「ラヴァルダンの城の前、丸いフルーツ皿に乗った果物と花々」は、まさに花と果物の見本市のような作品です。遠景の古城を望む森とは全く噛み合ない花や果物が、それこそこの空間をデコレーションするかのようにして並んでいます。色別に並べられた前景の花々、そして果物が端正に並ぶ様を見ると、ボーシャンの一途なそれらへの愛情を伺い知れるというものではないでしょうか。同じ城を背景にしたもう一点、まるで草花の肖像画ともとれる「ラヴァルダン城前のスイカズラ」を見ても明らかなように、彼の作品には全体の調和と言うよりも、個々の草花などへの興味が明らかに優先しています。ボーシャンが愛したロワールの自然、そしてそこに咲く花びらや一枚一枚の葉などの細部への眼差しが、彼一流の独特な表現にて画中で命が与えられているのかもしれません。その点では、同じ素朴派といえ、どこか毒々しさや不気味さを感じさせるルソーとは対照的です。ボーシャンにの絵はまさしく純朴です。自然と光への愛情と賛美に満ちあふれています。
残念ながら苦手なモーゼスの面白さを発見するには至りませんでしたが、これまでやや惹かれるにとどまっていたボーシャンが愛おしく思えてしまうような展覧会でした。これでお気に入り作家の仲間入りです。
8月末、31日までの開催です。これはおすすめします。
「生きる喜び 素朴絵画の世界 アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス」
7/5-8/31
一応、二人展の形式をとっていますが、ボーシャン単独の企画展としても見応えは十分です。損保ジャパンの夏休み企画、「アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス」展へ行ってきました。
ともかく出品リスト(受付に申し出れば戴けます。)を見れば明らかです。全体の出品数は計69点ありますが、そのうちの47点、約7割弱をボーシャンが占めています。少なくとも最近、都内近辺にて、これほどまとまった数のボーシャンの展示というものがあったのでしょうか。彼の魅力を知るまたとない企画です。楽しめないはずがありません。
ボーシャンと言えば条件反射的にあの特異な花卉画をイメージする私にとって、まずは神話や歴史に主題をとった作品の存在自体が極めて新鮮でした。実際、展示のはじめに紹介されているのは、ギリシャ神話や聖書に主題をとった作品です。ここでは、建物を象る横への直線がどこか幾何学的な構図を生む「バビロンの空中庭園」なども印象的でしたが、とりわけ「田舎の寓意、またはゼウスの誕生」の表現には見入るものがありました。中央のゆりかごには赤ん坊のゼウスが揺られ、その周囲をまるでピカソの描いたような肉感的な女性が囲んでいます。また枝振りの見事な中央の木、特に枝葉の描写は、いかにもボーシャンらしいこだわりの点描的な表現です。景色を遮るかのように広がっていました。
元々、父の家業をついで園芸(苗床業)の仕事をしていたボーシャンですが、彼の自然への関心の原点はそのような生き方にも由来するのかもしれません。チラシ表紙を飾る「ラヴァルダンの城の前、丸いフルーツ皿に乗った果物と花々」は、まさに花と果物の見本市のような作品です。遠景の古城を望む森とは全く噛み合ない花や果物が、それこそこの空間をデコレーションするかのようにして並んでいます。色別に並べられた前景の花々、そして果物が端正に並ぶ様を見ると、ボーシャンの一途なそれらへの愛情を伺い知れるというものではないでしょうか。同じ城を背景にしたもう一点、まるで草花の肖像画ともとれる「ラヴァルダン城前のスイカズラ」を見ても明らかなように、彼の作品には全体の調和と言うよりも、個々の草花などへの興味が明らかに優先しています。ボーシャンが愛したロワールの自然、そしてそこに咲く花びらや一枚一枚の葉などの細部への眼差しが、彼一流の独特な表現にて画中で命が与えられているのかもしれません。その点では、同じ素朴派といえ、どこか毒々しさや不気味さを感じさせるルソーとは対照的です。ボーシャンにの絵はまさしく純朴です。自然と光への愛情と賛美に満ちあふれています。
残念ながら苦手なモーゼスの面白さを発見するには至りませんでしたが、これまでやや惹かれるにとどまっていたボーシャンが愛おしく思えてしまうような展覧会でした。これでお気に入り作家の仲間入りです。
8月末、31日までの開催です。これはおすすめします。
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ネットラジオでバイロイト 2008
毎年恒例の真夏の音楽イベントです。いよいよ本日深夜(日本時間)よりバイロイト音楽祭が開幕します。もちろん今年も各ネットラジオ局での生放送が準備されているので、リアルタイム、もしくは録音等で楽しむことが可能です。以下、オペラキャスト様の情報より放送スケジュールを抜き出しました。
7/25 23:00~
「パルジファル」(新制作) ガニエレ・ガッティ指揮
7/26 23:00~
「トリスタンとイゾルデ」 ピーター・シュナイダー指揮
7/27 23:00~
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 セバスチャン・ヴィーグル指揮
7/29 1:00~
「ニーベルングの指環 - ラインの黄金」 クリスチャン・ティーレマン指揮
7/29 23:00~
「ワルキューレ」
7/31 23:00~
「ジークフリート」
8/2 13:00~
「神々の黄昏」
(全て日本時間。放送開始時間はBartokRadioに準じます。)
細かく追っているわけではないので何とも申せませんが、今年、特に注目したいのは、新制作のパルジファルを振るガニエレ・ガッティです。既にその指揮については定評のあるところですが、その気鋭の彼が初めてバイロイトのピットに立つことはおろか、かの難曲のパルジファルを振るというのは殆ど快挙と言っても良いことではないでしょうか。昨年、同じイタリア人の俊英、ルイージがキャンセルしてしまった前例もありますが、立て続けのこの人選はなかなか魅力的です。楽しみになってきました。
バイロイト音楽祭・公式HP
久しぶりに音楽祭のHPを見て驚きました。かの古めかしかったサイトは一新され、Podcastやビデオガイド等までが用意された見やすいページが完成しています。(英語ページは準備中のようです。)とりわけ手軽に楽しめるのはビデオガイドです。劇場内部の様子を、例えばティーレマンや合唱のリハーサルに至るまで、比較的解析度の高い動画で細かく覗き込むことが出来ます。そう言えば、先日、音楽祭がこのHP上にて初めてネット生中継を開始するという報道もありました。(バイロイト音楽祭、初のネット中継へ…視聴料は8200円:yomiuri on line)金額の妥当性と、放送されるのがプレミエのパルジファルではなく、昨年、大変な不評に終ったカタリーナのマイスタージンガーというのが少々残念ですが、ご興味のある方はHPにあたってみても良いかもしれません。
私は今年もオンデマンドの便利なBartokRadioで楽しむつもりです。
Bayreuth Live 2008
*関連リンク
オペラキャスト(ネットラジオ全般。試聴、録音方法などについて。)
バイロイト音楽祭・スケジュール(オペラキャスト内。各放送局へのリンクあり。)
7/25 23:00~
「パルジファル」(新制作) ガニエレ・ガッティ指揮
7/26 23:00~
「トリスタンとイゾルデ」 ピーター・シュナイダー指揮
7/27 23:00~
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 セバスチャン・ヴィーグル指揮
7/29 1:00~
「ニーベルングの指環 - ラインの黄金」 クリスチャン・ティーレマン指揮
7/29 23:00~
「ワルキューレ」
7/31 23:00~
「ジークフリート」
8/2 13:00~
「神々の黄昏」
(全て日本時間。放送開始時間はBartokRadioに準じます。)
細かく追っているわけではないので何とも申せませんが、今年、特に注目したいのは、新制作のパルジファルを振るガニエレ・ガッティです。既にその指揮については定評のあるところですが、その気鋭の彼が初めてバイロイトのピットに立つことはおろか、かの難曲のパルジファルを振るというのは殆ど快挙と言っても良いことではないでしょうか。昨年、同じイタリア人の俊英、ルイージがキャンセルしてしまった前例もありますが、立て続けのこの人選はなかなか魅力的です。楽しみになってきました。
バイロイト音楽祭・公式HP
久しぶりに音楽祭のHPを見て驚きました。かの古めかしかったサイトは一新され、Podcastやビデオガイド等までが用意された見やすいページが完成しています。(英語ページは準備中のようです。)とりわけ手軽に楽しめるのはビデオガイドです。劇場内部の様子を、例えばティーレマンや合唱のリハーサルに至るまで、比較的解析度の高い動画で細かく覗き込むことが出来ます。そう言えば、先日、音楽祭がこのHP上にて初めてネット生中継を開始するという報道もありました。(バイロイト音楽祭、初のネット中継へ…視聴料は8200円:yomiuri on line)金額の妥当性と、放送されるのがプレミエのパルジファルではなく、昨年、大変な不評に終ったカタリーナのマイスタージンガーというのが少々残念ですが、ご興味のある方はHPにあたってみても良いかもしれません。
私は今年もオンデマンドの便利なBartokRadioで楽しむつもりです。
Bayreuth Live 2008
*関連リンク
オペラキャスト(ネットラジオ全般。試聴、録音方法などについて。)
バイロイト音楽祭・スケジュール(オペラキャスト内。各放送局へのリンクあり。)
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「村瀬恭子 - Emerald」 タカ・イシイギャラリー
タカ・イシイギャラリー(江東区清澄1-3-2 5階)
「村瀬恭子 - Emerald」
6/28-7/26
しばらく見ていると、いつの間にか絵の中の世界へ取り込まれている自分に気が付きました。ドイツのデュッセルドルフを拠点に活動を続ける(画廊HPより引用。)という、村瀬恭子の新作個展です。大作の絵画、約10点ほどが紹介されています。
これらを連作のペインティングと捉えて良いのでしょうか。同ギャラリーのやや広めの空間を用いて展開されているのは、とある少女が森の中を彷徨い続けて歩いている冒険物語です。瑞々しく、また透明感にも長けた油絵具が深い木立を象り、そこへ髪を振り乱し、またスカートを靡かせて進む少女が一人で動き回り続けています。彼女の探検に終わりはありません。洞窟へ入り込み、繁みを踏みつけて歩き、ある時には木をすり抜けてもいました。忙しなく旅を続けるその行き先には一体何が待ち受けているのでしょうか。見果てぬ誰かを探しているようにも見えました。
幻想的なモチーフはもとより、基調となるグレーとの対比も鮮やかな赤やエメラルドグリーンの質感、もしくはその色面が緩やかに、そして動的にせめぎあう様子も魅力的に思えます。また一見、大味にも見えるマチエールも、細部のグラデーションなどがかなり細やかに表現されていました。ゴウゴウと吹き荒れる風の渦を感じる絵画です。
ひょっとするとこの少女は村瀬の分身なのかもしれません。このひっそりとした清澄の空間を間借りした旅は今日も続けられているようです。
今週末、土曜日までの開催です。
「村瀬恭子 - Emerald」
6/28-7/26
しばらく見ていると、いつの間にか絵の中の世界へ取り込まれている自分に気が付きました。ドイツのデュッセルドルフを拠点に活動を続ける(画廊HPより引用。)という、村瀬恭子の新作個展です。大作の絵画、約10点ほどが紹介されています。
これらを連作のペインティングと捉えて良いのでしょうか。同ギャラリーのやや広めの空間を用いて展開されているのは、とある少女が森の中を彷徨い続けて歩いている冒険物語です。瑞々しく、また透明感にも長けた油絵具が深い木立を象り、そこへ髪を振り乱し、またスカートを靡かせて進む少女が一人で動き回り続けています。彼女の探検に終わりはありません。洞窟へ入り込み、繁みを踏みつけて歩き、ある時には木をすり抜けてもいました。忙しなく旅を続けるその行き先には一体何が待ち受けているのでしょうか。見果てぬ誰かを探しているようにも見えました。
幻想的なモチーフはもとより、基調となるグレーとの対比も鮮やかな赤やエメラルドグリーンの質感、もしくはその色面が緩やかに、そして動的にせめぎあう様子も魅力的に思えます。また一見、大味にも見えるマチエールも、細部のグラデーションなどがかなり細やかに表現されていました。ゴウゴウと吹き荒れる風の渦を感じる絵画です。
ひょっとするとこの少女は村瀬の分身なのかもしれません。このひっそりとした清澄の空間を間借りした旅は今日も続けられているようです。
今週末、土曜日までの開催です。
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「原良介 - ゆらめき地平面」 Yuka Sasahara Gallery
Yuka Sasahara Gallery(新宿区西五軒町3-7 ミナト第3ビル4F)
「原良介 - ゆらめき地平面」
7/5-8/9
ワンダーウォール大賞受賞歴(2001年)も持つ、原良介の近作個展です。緑鮮やかな森の中を駆ける人物が幻影となって描かれています。
まず目立つのは、上のDMにも掲載された「landscape」です。淡い緑に包まれ、春を思わせるピンクの花々も混じる森の光景が、どこか平面的な図像のような表現をもって示されています。その様子は一見、平穏そのものにも思えますが、画面を埋め尽くす細かなタッチより浮かび上がる、例えば燃える炎とも宙を駆ける龍ともとれるような描写が、この森のおどろおどろしさを朧げに伝えているようにも感じられました。そう捉えると時折、緑の下より垣間見える黒い闇が何とも不気味です。安定していません。
最近の作風は、森や木立を気持ち良さそうに駆ける人の描かれた作品にあるのでしょうか。髪を振り乱して走る女性のシルエットは断片的に消えて行き、その走った痕跡とその行方の時間軸が一枚のキャンバスにまとまって示されています。率直なところ、ファイルで紹介されていた過去作の方が魅力的に思えましたが、このような『時間の揺らぎ』が今度どう進展するのかにも興味がわきました。
いつの間にかYuka Sasahara Galleryが、かつて山本現代のあったスペースへと移動していました。8月9日までの開催です。
「原良介 - ゆらめき地平面」
7/5-8/9
ワンダーウォール大賞受賞歴(2001年)も持つ、原良介の近作個展です。緑鮮やかな森の中を駆ける人物が幻影となって描かれています。
まず目立つのは、上のDMにも掲載された「landscape」です。淡い緑に包まれ、春を思わせるピンクの花々も混じる森の光景が、どこか平面的な図像のような表現をもって示されています。その様子は一見、平穏そのものにも思えますが、画面を埋め尽くす細かなタッチより浮かび上がる、例えば燃える炎とも宙を駆ける龍ともとれるような描写が、この森のおどろおどろしさを朧げに伝えているようにも感じられました。そう捉えると時折、緑の下より垣間見える黒い闇が何とも不気味です。安定していません。
最近の作風は、森や木立を気持ち良さそうに駆ける人の描かれた作品にあるのでしょうか。髪を振り乱して走る女性のシルエットは断片的に消えて行き、その走った痕跡とその行方の時間軸が一枚のキャンバスにまとまって示されています。率直なところ、ファイルで紹介されていた過去作の方が魅力的に思えましたが、このような『時間の揺らぎ』が今度どう進展するのかにも興味がわきました。
いつの間にかYuka Sasahara Galleryが、かつて山本現代のあったスペースへと移動していました。8月9日までの開催です。
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「高嶺格 - The SUPERCAPACITOR/スーパーキャパシタ」 ARATANIURANO
ARATANIURANO(中央区新富2-2-5 新富二丁目ビル3階)
「高嶺格 - The SUPERCAPACITOR/スーパーキャパシタ」
7/12-9/6
私にとって高嶺とは謎めいた作家の一人ですが、そう言った意味においては今個展でも期待を裏切られることはありませんでした。近未来に汎用化も目されるエネルギー蓄積・供給デバイス、電気二重層キャパシタ(スーパーキャパシタ)より様々なイメージを膨らませます。新作の個展です。
スーパーキャパシタについては画廊HPの記載(pdf)を参照していただきたいところですが、おそらくはその知識を前提に持たなくとも、この完結した高嶺の世界を味わうのには何ら問題がないと思います。展示されているのは、一見、そのキャパシタとは何ら関係がないと見える作品、ようは木材や絨毯や、あげくの果てにはマヨネーズなどまで用いられた平面、立体の各オブジェです。それらは一応、上のDM画像にもあるようなマスコット化されたキャパシタによって統一的に展開されていますが、見れば見るほどより一層、実際とのキャパシタとの乖離が痛いほど伝わって、逆説的にある種のアーティスティックな世界を構築していることが分かります。無害な蓄電装置でありながら、その価格が高いためになかなか普及しないというキャパシタを「ブランド化」(画廊HPより引用。)することで、高嶺はその価値をまた別の場所に置き換えてしまっているのもしれません。彼のメッセージは「家も野菜も電力も買わず、全て自分でつくれたたら。」(展示作品より。)という部分にありそうです。
会場ではプラダケータイならぬ、キャパシタケータイを擬似的に手に入れることが出来ました。また小さな印章のようなオブジェには、顔を近づけてのご観覧をおすすめします。その甘い香りの正体は果たして何でしょうか。
9月6日までの開催です。
「高嶺格 - The SUPERCAPACITOR/スーパーキャパシタ」
7/12-9/6
私にとって高嶺とは謎めいた作家の一人ですが、そう言った意味においては今個展でも期待を裏切られることはありませんでした。近未来に汎用化も目されるエネルギー蓄積・供給デバイス、電気二重層キャパシタ(スーパーキャパシタ)より様々なイメージを膨らませます。新作の個展です。
スーパーキャパシタについては画廊HPの記載(pdf)を参照していただきたいところですが、おそらくはその知識を前提に持たなくとも、この完結した高嶺の世界を味わうのには何ら問題がないと思います。展示されているのは、一見、そのキャパシタとは何ら関係がないと見える作品、ようは木材や絨毯や、あげくの果てにはマヨネーズなどまで用いられた平面、立体の各オブジェです。それらは一応、上のDM画像にもあるようなマスコット化されたキャパシタによって統一的に展開されていますが、見れば見るほどより一層、実際とのキャパシタとの乖離が痛いほど伝わって、逆説的にある種のアーティスティックな世界を構築していることが分かります。無害な蓄電装置でありながら、その価格が高いためになかなか普及しないというキャパシタを「ブランド化」(画廊HPより引用。)することで、高嶺はその価値をまた別の場所に置き換えてしまっているのもしれません。彼のメッセージは「家も野菜も電力も買わず、全て自分でつくれたたら。」(展示作品より。)という部分にありそうです。
会場ではプラダケータイならぬ、キャパシタケータイを擬似的に手に入れることが出来ました。また小さな印章のようなオブジェには、顔を近づけてのご観覧をおすすめします。その甘い香りの正体は果たして何でしょうか。
9月6日までの開催です。
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「日本画満開」 山種美術館
山種美術館(千代田区三番町2 三番町KSビル1階)
「日本画満開 - 牡丹・菖蒲・紫陽花・芥子 - 」
6/14-7/27
山種美術館では紫陽花もまだ見頃です。館蔵の日本画より、時候の花々を展観します。「日本画満開」へ行ってきました。
平八郎の「芥子花」(1940)からしてノックアウトです。まるでツクシのようににょろりと伸びる茎の先には紅色やピンク色の花が咲き、それと対比的な蕾みがリズミカルに突き出して連なっています。また彼と言えば、その作風の変遷、もしくは差異も興味深いところですが、大作の「牡丹」(1948)の艶やかさにも強く魅せられました。花々が溢れんばかりに咲き誇りながらも、どこか儚さを思わせるのは、その抑制された色調の効果によるのかもしれません。夜、誰もいない場所にて人知れず咲く牡丹のようでもあります。
右に本画、左に下絵を並べた、古径の「菖蒲」(1952)は見応えがありました。涼し気な菖蒲が優雅な花瓶にさされた美しい作品ですが、下絵の方を見ると本画よりももう少し花瓶の位置が上にあったことが分かります。こうした下絵と本画を見比べられるのも、また館蔵品の豊富な山種ならではのことかもしれません。
図版がありませんが、今回のベストに挙げたいのは土牛の「罌粟」(1936)です。お馴染みのたらし込みによってケシの花が象られていますが、その土色を帯びたワインレッドの濃厚さと言ったら他の作品に例がありません。やや白んだ淡い葉の描写との対比も鮮やかでした。
山種と言えば御舟です。彼の花の画の最高峰と言っても良い「黒牡丹」(1934)にも強く惹かれましたが、その滲みの牡丹とは対照的な「牡丹」(1934)も印象に残りました。この牡丹の花に見る立体的な息遣いは、やはり西洋画への関心もあった御舟ならでの表現とも言えるのではないでしょうか。
異彩を放つのはやはり龍子の「牡丹」(1961)です。跳ね上がる花びらと葉が、牡丹の一瞬の艶やかさをダイナミックに表現します。花の画に良く有りがちな静けさなどを吹き飛ばす見事な作品です。
今月27日までの開催です。
「日本画満開 - 牡丹・菖蒲・紫陽花・芥子 - 」
6/14-7/27
山種美術館では紫陽花もまだ見頃です。館蔵の日本画より、時候の花々を展観します。「日本画満開」へ行ってきました。
平八郎の「芥子花」(1940)からしてノックアウトです。まるでツクシのようににょろりと伸びる茎の先には紅色やピンク色の花が咲き、それと対比的な蕾みがリズミカルに突き出して連なっています。また彼と言えば、その作風の変遷、もしくは差異も興味深いところですが、大作の「牡丹」(1948)の艶やかさにも強く魅せられました。花々が溢れんばかりに咲き誇りながらも、どこか儚さを思わせるのは、その抑制された色調の効果によるのかもしれません。夜、誰もいない場所にて人知れず咲く牡丹のようでもあります。
右に本画、左に下絵を並べた、古径の「菖蒲」(1952)は見応えがありました。涼し気な菖蒲が優雅な花瓶にさされた美しい作品ですが、下絵の方を見ると本画よりももう少し花瓶の位置が上にあったことが分かります。こうした下絵と本画を見比べられるのも、また館蔵品の豊富な山種ならではのことかもしれません。
図版がありませんが、今回のベストに挙げたいのは土牛の「罌粟」(1936)です。お馴染みのたらし込みによってケシの花が象られていますが、その土色を帯びたワインレッドの濃厚さと言ったら他の作品に例がありません。やや白んだ淡い葉の描写との対比も鮮やかでした。
山種と言えば御舟です。彼の花の画の最高峰と言っても良い「黒牡丹」(1934)にも強く惹かれましたが、その滲みの牡丹とは対照的な「牡丹」(1934)も印象に残りました。この牡丹の花に見る立体的な息遣いは、やはり西洋画への関心もあった御舟ならでの表現とも言えるのではないでしょうか。
異彩を放つのはやはり龍子の「牡丹」(1961)です。跳ね上がる花びらと葉が、牡丹の一瞬の艶やかさをダイナミックに表現します。花の画に良く有りがちな静けさなどを吹き飛ばす見事な作品です。
今月27日までの開催です。
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「竹内栖鳳と京都画壇」 講談社野間記念館
講談社野間記念館(文京区関口2-11-30)
「竹内栖鳳と京都画壇」
5/24-7/21
竹内栖鳳から上村松園、松篁、徳岡神泉、それに堂本印象までの京都画壇を概観します。講談社野間記念館で開催中の「竹内栖鳳と京都画壇」へ行ってきました。
展示冒頭、栖鳳の二点、「兎」と「犬」の小品からして、彼の稀な画力を伺い知れることが出来るというものです。艶やかな迷いのない線が動物を象り、そこへたらし込みも巧みな絵具が仄かに配されています。また絵具の透明感という点においては「古城」も絶品です。これは千代田城、つまりは現在の皇居の石垣を描いた作品ですが、豊かな枝振りを見せる大きな松はもちろんのこと、濠に溜まった水における繊細なタッチの美しさはもはや言葉になりません。栖鳳はこの風景を好み、例えば以前、泉屋博古館で見た「禁城松翠」のような似た構図の作品も手がけていますが、そちらがうっすらと黄金色を帯びた秋の夕景としたら、こちらは鮮やかな光の差し込む今の時候、まさに夏の真昼を描いたものではないでしょうか。見事でした。
今回の展示のハイライトを挙げるとしたら、計9種、つまりは伊藤小坡、上村松園、松篁、そして山口華楊、福田平八郎、堂本印象、徳岡神泉、榊原紫峰、西村五雲による「十二ヶ月図」の響宴にあります。一年の情景を、十二枚の色紙に描くというこの一連の作品は、ある程度の型が定まっているだけ、各々の絵師の特徴が現れやすいとも言えるのではないでしょうか。もちろん一番惹かれるのは、お馴染みの松園の「十二ヶ月図」です。「一月、手まり」における、金地へ毬を包み込んだ白い布が透き通る様子はもちろん、「二月、観梅」のひょいと梅を見やる女性の所作、または「七月、盆踊」での扇子を大きく振り上げた躍動感など、静物、もしくは女性のどちらを描いても対象を的確に捉える松園の魅力が存分に楽しむことが出来ました。また松園では「塩汲ノ図」も印象に残ります。これと色違いの作品を大丸の水野美術館コレクション展で見ましたが、やはりこの虚ろな女性の表情はどこか鬼気迫っています。特異です。
同記念館へは初めて行きました。江戸川橋からの思わぬ坂道に難儀しましたが、庭の芝生も眩しい清潔感のある空間にて気分良く日本画に浸ることが出来ます。また特典のスタンプカードもなかなか太っ腹です。そう頻繁に展示替えをしているわけでもなさそうですが、二度通えばその次が無料というのは、あまり他では聞いたことがありません。
タイトルに栖鳳とある割には彼の作品がやや少ないようにも思えましたが、上記、各絵師による「十二ヶ月」など、見所の多い展覧会であるのは事実です。三連休の最終日、21日の月曜日まで開催されています。
「竹内栖鳳と京都画壇」
5/24-7/21
竹内栖鳳から上村松園、松篁、徳岡神泉、それに堂本印象までの京都画壇を概観します。講談社野間記念館で開催中の「竹内栖鳳と京都画壇」へ行ってきました。
展示冒頭、栖鳳の二点、「兎」と「犬」の小品からして、彼の稀な画力を伺い知れることが出来るというものです。艶やかな迷いのない線が動物を象り、そこへたらし込みも巧みな絵具が仄かに配されています。また絵具の透明感という点においては「古城」も絶品です。これは千代田城、つまりは現在の皇居の石垣を描いた作品ですが、豊かな枝振りを見せる大きな松はもちろんのこと、濠に溜まった水における繊細なタッチの美しさはもはや言葉になりません。栖鳳はこの風景を好み、例えば以前、泉屋博古館で見た「禁城松翠」のような似た構図の作品も手がけていますが、そちらがうっすらと黄金色を帯びた秋の夕景としたら、こちらは鮮やかな光の差し込む今の時候、まさに夏の真昼を描いたものではないでしょうか。見事でした。
今回の展示のハイライトを挙げるとしたら、計9種、つまりは伊藤小坡、上村松園、松篁、そして山口華楊、福田平八郎、堂本印象、徳岡神泉、榊原紫峰、西村五雲による「十二ヶ月図」の響宴にあります。一年の情景を、十二枚の色紙に描くというこの一連の作品は、ある程度の型が定まっているだけ、各々の絵師の特徴が現れやすいとも言えるのではないでしょうか。もちろん一番惹かれるのは、お馴染みの松園の「十二ヶ月図」です。「一月、手まり」における、金地へ毬を包み込んだ白い布が透き通る様子はもちろん、「二月、観梅」のひょいと梅を見やる女性の所作、または「七月、盆踊」での扇子を大きく振り上げた躍動感など、静物、もしくは女性のどちらを描いても対象を的確に捉える松園の魅力が存分に楽しむことが出来ました。また松園では「塩汲ノ図」も印象に残ります。これと色違いの作品を大丸の水野美術館コレクション展で見ましたが、やはりこの虚ろな女性の表情はどこか鬼気迫っています。特異です。
同記念館へは初めて行きました。江戸川橋からの思わぬ坂道に難儀しましたが、庭の芝生も眩しい清潔感のある空間にて気分良く日本画に浸ることが出来ます。また特典のスタンプカードもなかなか太っ腹です。そう頻繁に展示替えをしているわけでもなさそうですが、二度通えばその次が無料というのは、あまり他では聞いたことがありません。
タイトルに栖鳳とある割には彼の作品がやや少ないようにも思えましたが、上記、各絵師による「十二ヶ月」など、見所の多い展覧会であるのは事実です。三連休の最終日、21日の月曜日まで開催されています。
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「The show must go on!」 magical, ARTROOM + 新・ナディッフ
magical, ARTROOM(渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 3F)
「NEW BEGINNING - The show must go on!」
7/7-8/3
六本木よりここ恵比寿へと移転した、マジカル・アート・ルームのオープニングを飾るグループ展です。所属アーティスト計11名の作品が、リノベーションされた真っ新な空間をポップに彩っていました。
新しいマジカルは、つい先日、原宿より同じく移転オープンしたナディッフの3階にあります。コンプレックス時代よりは1.5倍、もしくは2倍近くになった広々としたスペースにて、マジカルらしい尖った、それでいてどこか緩さの心地良い作品がいくつも紹介されていました。展示作家を以下に転載します。私としてはやはり、光を感じる大庭大介のペインティングが一推しです。
赤羽史亮、秋山幸、今村洋平、岩永忠すけ、大庭大介、大田黒衣美、栗山斉、ヒョンギョン、星野武彦、正木美也子、ヤマタカアイ
新たな展示スペースで特筆したいのは、大きな窓越しに広がるバルコニーの存在です。この展示でもバルコニーを用いた平面作品が艶やかに紹介されていましたが、都内にてこれほど広い屋外空間を持ったギャラリーはなかなかないのではないでしょうか。率直なところマジカルのテイストはあまり好きではありませんが、これからはこのバルコニーと、広くなった屋内の双方を連携させるような展示にも期待が出来そうです。
一階のナディッフも見てきました。こちらは原宿にあった時と同等か、ややスケールダウンした感も否めませんでしたが、画廊やアーティスティックなバーなど、ともかくこの4階建てのビルの全てがアートスペースということで、恵比寿にギャラリー巡りの重要な一拠点が誕生したということは間違いなさそうです。
「NADiff A/P/A/R/T」
4F MAGIC ROOM?
3F magical, ARTROOM
2F G/P gallery、Art Jam Contemporary
1F NADiff
B1 NADiff gallery
NADiff A/P/A/R/Tへは恵比寿駅より徒歩5分とかかりませんが、裏路地の少し込み入った場所にあります。地図があった方が確実です。またB1Fのナディッフギャラリーが今、大変なカオス状態になっています。あえて一見の価値もないと言いたいところですが、ともかく会田誠門下のグループがまさにやりたい放題のインスタレーションを繰り広げていました。ハマると洗濯も大変です。足元にお気をつけてご観覧下さい。(こちらは7月27日まで。)
magical, ARTROOMの展示は、8月3日まで開催されています。
「NEW BEGINNING - The show must go on!」
7/7-8/3
六本木よりここ恵比寿へと移転した、マジカル・アート・ルームのオープニングを飾るグループ展です。所属アーティスト計11名の作品が、リノベーションされた真っ新な空間をポップに彩っていました。
新しいマジカルは、つい先日、原宿より同じく移転オープンしたナディッフの3階にあります。コンプレックス時代よりは1.5倍、もしくは2倍近くになった広々としたスペースにて、マジカルらしい尖った、それでいてどこか緩さの心地良い作品がいくつも紹介されていました。展示作家を以下に転載します。私としてはやはり、光を感じる大庭大介のペインティングが一推しです。
赤羽史亮、秋山幸、今村洋平、岩永忠すけ、大庭大介、大田黒衣美、栗山斉、ヒョンギョン、星野武彦、正木美也子、ヤマタカアイ
新たな展示スペースで特筆したいのは、大きな窓越しに広がるバルコニーの存在です。この展示でもバルコニーを用いた平面作品が艶やかに紹介されていましたが、都内にてこれほど広い屋外空間を持ったギャラリーはなかなかないのではないでしょうか。率直なところマジカルのテイストはあまり好きではありませんが、これからはこのバルコニーと、広くなった屋内の双方を連携させるような展示にも期待が出来そうです。
一階のナディッフも見てきました。こちらは原宿にあった時と同等か、ややスケールダウンした感も否めませんでしたが、画廊やアーティスティックなバーなど、ともかくこの4階建てのビルの全てがアートスペースということで、恵比寿にギャラリー巡りの重要な一拠点が誕生したということは間違いなさそうです。
「NADiff A/P/A/R/T」
4F MAGIC ROOM?
3F magical, ARTROOM
2F G/P gallery、Art Jam Contemporary
1F NADiff
B1 NADiff gallery
NADiff A/P/A/R/Tへは恵比寿駅より徒歩5分とかかりませんが、裏路地の少し込み入った場所にあります。地図があった方が確実です。またB1Fのナディッフギャラリーが今、大変なカオス状態になっています。あえて一見の価値もないと言いたいところですが、ともかく会田誠門下のグループがまさにやりたい放題のインスタレーションを繰り広げていました。ハマると洗濯も大変です。足元にお気をつけてご観覧下さい。(こちらは7月27日まで。)
magical, ARTROOMの展示は、8月3日まで開催されています。
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「コロー展レクチャー(高橋明也氏)」 国立西洋美術館
国立西洋美術館
「コロー展レクチャー」
7/16 18:00~
講師 高橋明也(展覧会監修者、三菱一号館美術館長、国立西洋美術館客員研究員)
先日、監修の高橋氏より、開催中のコロー展に関する約40、50分ほどのレクチャーを拝聴する機会を得ました。開始時間に少し遅刻してしまったので完全にとはいきませんが、その様子を以下にまとめておきたいと思います。
[19世紀を生きたコロー(1796-1875)]
画業の開始は意外と遅い。
父母は高級服飾店を経営するブルジョワ階級。
パリに在住する都会派的人間(←何かと同列に語られるミレーとは対比的。)
・「パリ、サン=ミッシェル古橋」(1823)
明るい光と造形的なフォルム。
コローはイタリアへ三度渡ったが、彼の地で風景描写のABCを学んだ。
・「パレットを持つ自画像」(1840)
・「ローマ郊外の水道橋」(1826-28)
単純化された色面。シャープで現代的な描写。
↓
一般的な「霧と靄のコロー」とは対極のイメージ。明朗でかつ堅牢な画風。
[コローの問題]
写実的で造形的な「モダンのコロー」と、いわゆる日本での知名度の高い「霧と靄の幻想のコロー」。
↓
実際、コロー自身は写実的な作品をスケッチと捉えて市場へ出さなかったが、死後、それらが市中へ出回ることによりコローの評価が一気に高まった。
=ゴーギャンやピカソらが「霧と靄」ではなく「モダン」のコローを高く評価。(一方、日本では専ら「霧と靄」のみがコローのイメージとして語られている。)
[ヴィル=ダヴレー変奏曲]
第一回イタリア旅行の後、コローはパリ郊外、ヴィル・ダヴレーの別荘に滞在する。
・「ヴィル=ダヴレーのあずまや」(1847)
コローの愛したヴィル=ダブレー。コロー自身だけではなく、母や姉なども作中に描かれている。=母のために描いた、コローの家族愛を見る作品。
・「ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸」(1835-1840)
コローの風景描写でも特に評価の高い一枚。光と影が美しく交錯する。
・「大農園」(1960-1865)
晩年の「想い出」シリーズの作品。
ヴィル=ダヴレーの記憶を元に、他の土地(フランスやイタリアなど。)の描写も混じりって、独特な架空のコロー式理想風景を作り上げる=「霧と靄のコロー」
↓
あずまやで母や姉らと楽しんだかの地のイメージが、コローの中の重要な思い出となり、それが晩年へ向けて拡大、また再生されながら繰り返されていった。=『ヴィル=ダヴレー変奏曲』
[コローの二面性]
一瞬の時間を切り取ったコロー:ふと見やる人物の表情、何気ない風景の一コマ。
一枚の絵に様々な時間軸の混ざるコロー:ヴィル・ダヴレー変奏曲シリーズなど。
↓
この二面が画業の全編を通してほぼ平行的に示されている。
・「風景、朝のボーヴェ近郊」(1860-70)
ドイツロマン派を思わせるタッチ。フリードリヒのよう。
・「海辺の村、あるいは村の入口」(1950~70)
村は実在するが、本来ならそこから海は見えない。無いはずの海と実際の村との組み合わせ。=コロー独自の風景創作。実景とイメージが多様に交錯していく。
・「ドゥエの鐘楼」(1871)
戦争中のパリを描きながらも、その影響を微塵も感じさせない明朗な作品。
晩年の作だが、「想い出」でも「霧」でもない、堅牢で写実的な「モダン」なコローが示されている。
・「モルトフォンテーヌの想い出」(1864)
想い出シリーズの最高傑作。センチメンタルな幻想の風景。
・「ヴィル=ダヴレーの想い出、森にて」(1872)
バランス良く配された前景、中景、後景と、「想い出」の演出的効果にも長けた一枚。木々の描写はもはや抽象をも思わせている。
[コローの人物画]
モダンなコロー同様、当時のマーケットには出なかったコローの人物画。
ごく親しい友人らがモデル。
女性像=コローのコスプレ
・「本を読むシャルトル会修道士」(1850-60)
一見、宗教画のようでもあるが、おそらくコローはこの作品に宗教的な意味を込めていない。
丁寧に表された白の効果。画題よりも画肌や構図など、絵自体へのコローの探求の痕跡を確認することが出来る。=近代絵画的指向
・「エデ」(1870-71)
文学的主題による作品。但しここでも「修道士」同様、そう文学主題への関心があったようには思えない。
・「真珠の女」(1858-1868)
「コローのモナリザ」と言われるだけあってクラシカルな構図。
左の袖の下の色面はロスコのマチエールを思わせるほど斬新。
単なる肖像画ではなく、実在のモデルのポートレート=実存的な絵画。
・「青い服の婦人」(1874)
モデル自身が少し疲れたような様子を、画中へ瞬間的に閉じ込めた傑作。モデルの肘の下のクッションや本。青の表現への関心の高さ。
以上です。
簡潔ながらも、高橋氏のこの展覧会へかける意気込みが伝わるような充実したレクチャーでした。ともかく氏の一番のメッセージは、日本ではとかく評判の高い「霧と靄」のコローだけでなく、人物画群を含めた上記の「モダン」なコローを是非とも見て欲しいということです。ヨーロッパでは既に評価も確立したそれが、何故か日本ではあまり知られるところにありませんが、実際、展示の最初のセクションを見るだけでもコローの高い写実性、もしくは現代性などを十分に伺うことが出来ます。また展示は時系列に沿っているわけではありません。ようは「ドゥエの鐘楼」の例を挙げるまでもなく、コローは必ずしも画業の最終段階として「霧と靄」に到達したというわけではないのです。それはあくまでも他と平行した彼の一スタイルである、と言うことも出来るでしょう。
貴重なお話を聞くことで、実際の展示でもこれまで見えて来なかった面が開ける部分もありました。展覧会の感想もまた別エントリにて触れたいです。
「コロー展レクチャー」
7/16 18:00~
講師 高橋明也(展覧会監修者、三菱一号館美術館長、国立西洋美術館客員研究員)
先日、監修の高橋氏より、開催中のコロー展に関する約40、50分ほどのレクチャーを拝聴する機会を得ました。開始時間に少し遅刻してしまったので完全にとはいきませんが、その様子を以下にまとめておきたいと思います。
[19世紀を生きたコロー(1796-1875)]
画業の開始は意外と遅い。
父母は高級服飾店を経営するブルジョワ階級。
パリに在住する都会派的人間(←何かと同列に語られるミレーとは対比的。)
・「パリ、サン=ミッシェル古橋」(1823)
明るい光と造形的なフォルム。
コローはイタリアへ三度渡ったが、彼の地で風景描写のABCを学んだ。
・「パレットを持つ自画像」(1840)
・「ローマ郊外の水道橋」(1826-28)
単純化された色面。シャープで現代的な描写。
↓
一般的な「霧と靄のコロー」とは対極のイメージ。明朗でかつ堅牢な画風。
[コローの問題]
写実的で造形的な「モダンのコロー」と、いわゆる日本での知名度の高い「霧と靄の幻想のコロー」。
↓
実際、コロー自身は写実的な作品をスケッチと捉えて市場へ出さなかったが、死後、それらが市中へ出回ることによりコローの評価が一気に高まった。
=ゴーギャンやピカソらが「霧と靄」ではなく「モダン」のコローを高く評価。(一方、日本では専ら「霧と靄」のみがコローのイメージとして語られている。)
[ヴィル=ダヴレー変奏曲]
第一回イタリア旅行の後、コローはパリ郊外、ヴィル・ダヴレーの別荘に滞在する。
・「ヴィル=ダヴレーのあずまや」(1847)
コローの愛したヴィル=ダブレー。コロー自身だけではなく、母や姉なども作中に描かれている。=母のために描いた、コローの家族愛を見る作品。
・「ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸」(1835-1840)
コローの風景描写でも特に評価の高い一枚。光と影が美しく交錯する。
・「大農園」(1960-1865)
晩年の「想い出」シリーズの作品。
ヴィル=ダヴレーの記憶を元に、他の土地(フランスやイタリアなど。)の描写も混じりって、独特な架空のコロー式理想風景を作り上げる=「霧と靄のコロー」
↓
あずまやで母や姉らと楽しんだかの地のイメージが、コローの中の重要な思い出となり、それが晩年へ向けて拡大、また再生されながら繰り返されていった。=『ヴィル=ダヴレー変奏曲』
[コローの二面性]
一瞬の時間を切り取ったコロー:ふと見やる人物の表情、何気ない風景の一コマ。
一枚の絵に様々な時間軸の混ざるコロー:ヴィル・ダヴレー変奏曲シリーズなど。
↓
この二面が画業の全編を通してほぼ平行的に示されている。
・「風景、朝のボーヴェ近郊」(1860-70)
ドイツロマン派を思わせるタッチ。フリードリヒのよう。
・「海辺の村、あるいは村の入口」(1950~70)
村は実在するが、本来ならそこから海は見えない。無いはずの海と実際の村との組み合わせ。=コロー独自の風景創作。実景とイメージが多様に交錯していく。
・「ドゥエの鐘楼」(1871)
戦争中のパリを描きながらも、その影響を微塵も感じさせない明朗な作品。
晩年の作だが、「想い出」でも「霧」でもない、堅牢で写実的な「モダン」なコローが示されている。
・「モルトフォンテーヌの想い出」(1864)
想い出シリーズの最高傑作。センチメンタルな幻想の風景。
・「ヴィル=ダヴレーの想い出、森にて」(1872)
バランス良く配された前景、中景、後景と、「想い出」の演出的効果にも長けた一枚。木々の描写はもはや抽象をも思わせている。
[コローの人物画]
モダンなコロー同様、当時のマーケットには出なかったコローの人物画。
ごく親しい友人らがモデル。
女性像=コローのコスプレ
・「本を読むシャルトル会修道士」(1850-60)
一見、宗教画のようでもあるが、おそらくコローはこの作品に宗教的な意味を込めていない。
丁寧に表された白の効果。画題よりも画肌や構図など、絵自体へのコローの探求の痕跡を確認することが出来る。=近代絵画的指向
・「エデ」(1870-71)
文学的主題による作品。但しここでも「修道士」同様、そう文学主題への関心があったようには思えない。
・「真珠の女」(1858-1868)
「コローのモナリザ」と言われるだけあってクラシカルな構図。
左の袖の下の色面はロスコのマチエールを思わせるほど斬新。
単なる肖像画ではなく、実在のモデルのポートレート=実存的な絵画。
・「青い服の婦人」(1874)
モデル自身が少し疲れたような様子を、画中へ瞬間的に閉じ込めた傑作。モデルの肘の下のクッションや本。青の表現への関心の高さ。
以上です。
簡潔ながらも、高橋氏のこの展覧会へかける意気込みが伝わるような充実したレクチャーでした。ともかく氏の一番のメッセージは、日本ではとかく評判の高い「霧と靄」のコローだけでなく、人物画群を含めた上記の「モダン」なコローを是非とも見て欲しいということです。ヨーロッパでは既に評価も確立したそれが、何故か日本ではあまり知られるところにありませんが、実際、展示の最初のセクションを見るだけでもコローの高い写実性、もしくは現代性などを十分に伺うことが出来ます。また展示は時系列に沿っているわけではありません。ようは「ドゥエの鐘楼」の例を挙げるまでもなく、コローは必ずしも画業の最終段階として「霧と靄」に到達したというわけではないのです。それはあくまでも他と平行した彼の一スタイルである、と言うことも出来るでしょう。
貴重なお話を聞くことで、実際の展示でもこれまで見えて来なかった面が開ける部分もありました。展覧会の感想もまた別エントリにて触れたいです。
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「所蔵名作展 - 日本画・洋画の名品」 中野美術館
中野美術館(奈良市あやめ池南9丁目946-2)
「所蔵名作展 - 日本画・洋画の名品」
5/30-7/6(会期終了)
既に会期を終えていますが、松伯、文華館と並び、学園前では重要なアートスポット、中野美術館に触れないわけにはいきません。先日の奈良・斑鳩ツアーの際に見てきました。館蔵の日本画、洋画などを展観する収蔵品展です。
スペースとしてはかなり手狭なので、展示の量(全40点ほど。)に期待するのは無理がありますが、私設美術館ならではの静かな環境で良品をいくつも楽しむことが出来ました。中でも特筆すべきは須田国太郎のコレクションです。そもそもこの美術館の創立者である中野皖司氏は、須田の作品の影響を受けて美術品の収集をはじめたという、言わば筋金入りの須田ファンですが、実際に展示で紹介されている約5点はどれもなかなか見応えがありました。私の一推しは「ヴァイオリン」(1933)です。須田カラー、つまりはサーモンピンクに彩られたやや暗がりの画面に、自らの存在を誇示するかのようにして反り返るヴァイオリンが、実に力強く描かれています。そもそもヴァイオリンをここまで迫力ある様で表した画家が他にいるのでしょうか。これ一枚でも、須田の魅力を十分に堪能出来る作品です。
須田と並んで私の偏愛の画家、松本竣介にも優れた作品が一枚出ていました。それがこの「隅田川風景」(1946)です。終戦直後の灰燼に帰した隅田川沿いを煤けた色遣いにて表していますが、川向こうにそそり立つ煙突の逞しさは、どこか未来への眼差しを見るような、言わば都市の復興を描いているようにも感じられます。静けさに満ちた構図ながら、時折このような勢いを見せるのも松本らしいところです。
奈良に因む作品として、熊谷守一の「畝傍山」(1940)も挙げておきたいところです。(上の画像は私がカメラで撮ったものです。中野美術館は作品を含め、館内の撮影が完全に許可されています。)星も瞬く輝かしいブルーの夜空の下には、太いタッチで示された稜線が特徴的な山々が連なっていました。また前景に見る鳥居の姿が印象的です。まさに山の主と言わんばかりの様相にて敢然と立っています。また洋画ではもう一点、遊行さんが記事にも挙げられた村上槐多の「松の群」も心にとまりました。ただならぬ松林の景色は特異です。妖気すら感じます。
かつては須田国太郎の回顧展(二人展など。)も開催したことがあったそうです。是非、また訪ねてみたいと思いました。
「所蔵名作展 - 日本画・洋画の名品」
5/30-7/6(会期終了)
既に会期を終えていますが、松伯、文華館と並び、学園前では重要なアートスポット、中野美術館に触れないわけにはいきません。先日の奈良・斑鳩ツアーの際に見てきました。館蔵の日本画、洋画などを展観する収蔵品展です。
スペースとしてはかなり手狭なので、展示の量(全40点ほど。)に期待するのは無理がありますが、私設美術館ならではの静かな環境で良品をいくつも楽しむことが出来ました。中でも特筆すべきは須田国太郎のコレクションです。そもそもこの美術館の創立者である中野皖司氏は、須田の作品の影響を受けて美術品の収集をはじめたという、言わば筋金入りの須田ファンですが、実際に展示で紹介されている約5点はどれもなかなか見応えがありました。私の一推しは「ヴァイオリン」(1933)です。須田カラー、つまりはサーモンピンクに彩られたやや暗がりの画面に、自らの存在を誇示するかのようにして反り返るヴァイオリンが、実に力強く描かれています。そもそもヴァイオリンをここまで迫力ある様で表した画家が他にいるのでしょうか。これ一枚でも、須田の魅力を十分に堪能出来る作品です。
須田と並んで私の偏愛の画家、松本竣介にも優れた作品が一枚出ていました。それがこの「隅田川風景」(1946)です。終戦直後の灰燼に帰した隅田川沿いを煤けた色遣いにて表していますが、川向こうにそそり立つ煙突の逞しさは、どこか未来への眼差しを見るような、言わば都市の復興を描いているようにも感じられます。静けさに満ちた構図ながら、時折このような勢いを見せるのも松本らしいところです。
奈良に因む作品として、熊谷守一の「畝傍山」(1940)も挙げておきたいところです。(上の画像は私がカメラで撮ったものです。中野美術館は作品を含め、館内の撮影が完全に許可されています。)星も瞬く輝かしいブルーの夜空の下には、太いタッチで示された稜線が特徴的な山々が連なっていました。また前景に見る鳥居の姿が印象的です。まさに山の主と言わんばかりの様相にて敢然と立っています。また洋画ではもう一点、遊行さんが記事にも挙げられた村上槐多の「松の群」も心にとまりました。ただならぬ松林の景色は特異です。妖気すら感じます。
かつては須田国太郎の回顧展(二人展など。)も開催したことがあったそうです。是非、また訪ねてみたいと思いました。
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