都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「森山光輝展」 ぎゃらりぃ朋
ぎゃらりぃ朋(中央区銀座1-5-1 第3太陽ビル2階)
「森山光輝展」
6/22-30(会期終了)
会期最終日に見てきたので、もうおすすめすることが出来ないのが残念ですが、印象深い内容だったので記録に残しておきたいと思います。ぎゃらりぃ朋で開催されていた森山光輝の個展です。一見、木彫のようなオブジェ風絵画作品の中に、半ば秘められた技巧が冴えていました。
展示作品の全てが、いわゆる日本画であると気付くまでに相当の時間がかかりました。というのも、どの作品も板の紋様にはっきりとした凹凸感があり、それらがさながら彫刻を施したような味わいを醸し出しているからです。例えば上の画像に挙げた「T塔の断片」においても、その鮮やかな赤い絵具の向こうに、メタリックな質感さえ思わせる凹凸が浮き上がり、また沈みこんでいます。これらがどれも板を丁寧にノミで削って出来た紋様に見えたわけです。
実際にはこれらは日本画、つまりあくまでも板に顔料を彩色した作品に過ぎませんでした。ようは板に顔料を盛り上げて塗り、その絶妙な立体感を生み出していたということだったのです。雨の降る光景を描いた大作さえ、その水紋、または雨の筋、さらには地面に落ちる空き缶の立体感までが顔料によって表現されていました。確かに目を凝らして見ると、日本画独特の瑞々しく、また透明感のある感触を見ることが出来ます。
日常の光景を切り取ったような、素朴なモチーフの妙味にも惹かれました。もう少し他の作品も見てみたいです。(6/30)
「森山光輝展」
6/22-30(会期終了)
会期最終日に見てきたので、もうおすすめすることが出来ないのが残念ですが、印象深い内容だったので記録に残しておきたいと思います。ぎゃらりぃ朋で開催されていた森山光輝の個展です。一見、木彫のようなオブジェ風絵画作品の中に、半ば秘められた技巧が冴えていました。
展示作品の全てが、いわゆる日本画であると気付くまでに相当の時間がかかりました。というのも、どの作品も板の紋様にはっきりとした凹凸感があり、それらがさながら彫刻を施したような味わいを醸し出しているからです。例えば上の画像に挙げた「T塔の断片」においても、その鮮やかな赤い絵具の向こうに、メタリックな質感さえ思わせる凹凸が浮き上がり、また沈みこんでいます。これらがどれも板を丁寧にノミで削って出来た紋様に見えたわけです。
実際にはこれらは日本画、つまりあくまでも板に顔料を彩色した作品に過ぎませんでした。ようは板に顔料を盛り上げて塗り、その絶妙な立体感を生み出していたということだったのです。雨の降る光景を描いた大作さえ、その水紋、または雨の筋、さらには地面に落ちる空き缶の立体感までが顔料によって表現されていました。確かに目を凝らして見ると、日本画独特の瑞々しく、また透明感のある感触を見ることが出来ます。
日常の光景を切り取ったような、素朴なモチーフの妙味にも惹かれました。もう少し他の作品も見てみたいです。(6/30)
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「茶道具 付属品とともにたのしむ」 泉屋博古館分館
泉屋博古館分館(港区六本木1-5-1 )
「茶道具 付属品とともにたのしむ」
4/28-7/1
お茶に素養のない私ですが、抱一の書状が出ているというので行ってきました。泉屋博古館分館で開催されている「茶道具」展です。いわゆる「お道具」だけではなく、それに付属する箱や添状などにもスポットを当てた展覧会でした。
まずはどうしても箱より茶碗に見入ってしまうわけですが、この「小井戸茶碗 銘六地蔵」(16世紀・李朝時代)はなかなか魅力的です。小ぶりのシンプルな造形ながらも、やや沈んだ深みのある枇杷色が美しく、素朴に散らされた釉薬もまた印象に残りました。ちなみにこの器では仕覆(しふく。茶碗や茶入れなどの道具類を入れる袋。)にも注目したいところです。オランダ東インド会社のVOCマークをあしらったローマ字のロゴが織り込まれています。
「黄天目茶碗 銘燕」(14世紀・元時代)も、その仄かに照り出す美しい色に惹かれる作品です。透明感のある青が、まるで池の底を覗くように広がり、艶やかな黄色の釉薬と見事なグラデーションを描いています。またこの他では仁清の「龍田川水指」(17世紀・江戸時代)も印象的です。口縁には色付いた紅葉が散り、側面には波紋様が柳とともに流麗に描かれています。
さて、目当ての抱一の「書状」ですが、それは原羊遊斎の「椿蒔絵棗」(19世紀・江戸時代)に付属する一種の注文書でした。つまり抱一は、この棗の意匠を、江戸後期を代表する蒔絵師であった原羊遊斎に指示していたというわけです。文面はまず、「御たのみの棗 このおもむきにて よろしく候は 羊遊斎へ可申付候 御返事否待候 かしく」と述べた後、「四月三日」の日時を挟んで、「待つ蚊の聲の高さや ほとときす いまたよふかし」と詠むものになっていました。(転記ミスがあるかもしれません。)そしてその隣に、椿を配した器の即興的なデッサンが描かれています。ちなみに抱一は、寛政末期(1800年)の頃に原羊遊斎と交流を深め、その後数多くの下絵を提供しながら、いわゆる工房形式によって様々な文物を制作していきました。下絵集は散逸しているものも多いようですが、抱一デザイン、羊遊斎制作の蒔絵作品はいくつも残っているそうです。
お茶に詳しい方であればさらに楽しめると思います。ディープな茶の世界を少しだけ覗き込んだような気がしました。明日、明後日までの開催です。(6/23)
「茶道具 付属品とともにたのしむ」
4/28-7/1
お茶に素養のない私ですが、抱一の書状が出ているというので行ってきました。泉屋博古館分館で開催されている「茶道具」展です。いわゆる「お道具」だけではなく、それに付属する箱や添状などにもスポットを当てた展覧会でした。
まずはどうしても箱より茶碗に見入ってしまうわけですが、この「小井戸茶碗 銘六地蔵」(16世紀・李朝時代)はなかなか魅力的です。小ぶりのシンプルな造形ながらも、やや沈んだ深みのある枇杷色が美しく、素朴に散らされた釉薬もまた印象に残りました。ちなみにこの器では仕覆(しふく。茶碗や茶入れなどの道具類を入れる袋。)にも注目したいところです。オランダ東インド会社のVOCマークをあしらったローマ字のロゴが織り込まれています。
「黄天目茶碗 銘燕」(14世紀・元時代)も、その仄かに照り出す美しい色に惹かれる作品です。透明感のある青が、まるで池の底を覗くように広がり、艶やかな黄色の釉薬と見事なグラデーションを描いています。またこの他では仁清の「龍田川水指」(17世紀・江戸時代)も印象的です。口縁には色付いた紅葉が散り、側面には波紋様が柳とともに流麗に描かれています。
さて、目当ての抱一の「書状」ですが、それは原羊遊斎の「椿蒔絵棗」(19世紀・江戸時代)に付属する一種の注文書でした。つまり抱一は、この棗の意匠を、江戸後期を代表する蒔絵師であった原羊遊斎に指示していたというわけです。文面はまず、「御たのみの棗 このおもむきにて よろしく候は 羊遊斎へ可申付候 御返事否待候 かしく」と述べた後、「四月三日」の日時を挟んで、「待つ蚊の聲の高さや ほとときす いまたよふかし」と詠むものになっていました。(転記ミスがあるかもしれません。)そしてその隣に、椿を配した器の即興的なデッサンが描かれています。ちなみに抱一は、寛政末期(1800年)の頃に原羊遊斎と交流を深め、その後数多くの下絵を提供しながら、いわゆる工房形式によって様々な文物を制作していきました。下絵集は散逸しているものも多いようですが、抱一デザイン、羊遊斎制作の蒔絵作品はいくつも残っているそうです。
お茶に詳しい方であればさらに楽しめると思います。ディープな茶の世界を少しだけ覗き込んだような気がしました。明日、明後日までの開催です。(6/23)
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「藤森建築と路上観察」 東京オペラシティアートギャラリー
東京オペラシティアートギャラリー(新宿区西新宿3-20-2)
「藤森建築と路上観察 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展」
4/14-7/1
藤森照信の建築を日本で初めて本格的に紹介しています。東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「藤森建築と路上観察」展へ行ってきました。
基本的に体験型の展覧会です。展示室一面にはゴザが敷かれ、靴を脱いでパネルや模型を楽しむ仕掛けがとられています。またライフワークでもある路上観察の映像作品は、巨大な竹かごの「シアター」の中で見ることが出来ました。竹とわらの匂いにも包まれ、例のトマソンをじっくりと楽しむのはなかなか痛快です。展示内容自体の『密度』はそれほど濃いものではありませんが、時間を経つのも忘れてしばらく滞在してしまうような内容でした。
展示の導入が、やや意表を突く印象で優れています。というのも、藤森建築で使われる素材がかなりマニアックに紹介されているのです。ほうきや泥を塗った壁のサンプル、またはチェーンソーで削り取った剥き出しの木材、それに芝生を埋め込んだ芝屋根や、手もみで味わいのある凹凸感の生み出された銅板など、ともかく多種多様な物質が所狭しと並んでいました。さながら、どこかのホームセンターの素材売り場でも見るような感覚と言っても良いかもしれません。これまでにも図面や模型などが丁寧に紹介されている建築展は何度か拝見しましたが、今回ほどその素材に焦点を当てた展覧会もないと思います。体験型とは言えども、単なるイメージ先行の建築展ではなかったようです。(欲を言えば、それらに触ることが出来ればなお良かったとも思います。)
茶の形式からの解放もうたってつくられたという茶室、「高過庵」(2004)は、どこか可愛らしくも感じる建物でした。6メートルの高さに浮くような小さな茶室が、僅か2本のクリの木だけで支えられています。また屋根にニラを植え付けた「ニラハウス」(1997)や、今度は壁にタンポポを植えた「タンポポハウス」(1995)なども印象に残りました。また、誤解を生んでしまうかもしれませんが、藤森建築にどこか『工作』の雰囲気を感じます。あえて取り組むアナクロニズムの面白さとも言えるかもしれません。
その意味も含め、いささか過激なのが「東京計画2107」です。温暖化による海面上昇によって水没し、さらには砂漠化した近未来の東京が、今度はサンゴや土だけを原料にして自然再生型の都市を作り上げています。大きく後退した海には、かつての文明の残骸としての東京タワーが無残にも折れ曲がっていました。こうした未来観に対する賛否はともかくも、ここには藤森建築を支える一種の思想のようなものをショッキングな形で見て取れると思います。
展示の最後には、お馴染みの路上建築が豊富な資料にて紹介されていました。ここは素直に笑って楽しみたいところです。
7月1日までの開催です。(6/3)
「藤森建築と路上観察 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展」
4/14-7/1
藤森照信の建築を日本で初めて本格的に紹介しています。東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「藤森建築と路上観察」展へ行ってきました。
基本的に体験型の展覧会です。展示室一面にはゴザが敷かれ、靴を脱いでパネルや模型を楽しむ仕掛けがとられています。またライフワークでもある路上観察の映像作品は、巨大な竹かごの「シアター」の中で見ることが出来ました。竹とわらの匂いにも包まれ、例のトマソンをじっくりと楽しむのはなかなか痛快です。展示内容自体の『密度』はそれほど濃いものではありませんが、時間を経つのも忘れてしばらく滞在してしまうような内容でした。
展示の導入が、やや意表を突く印象で優れています。というのも、藤森建築で使われる素材がかなりマニアックに紹介されているのです。ほうきや泥を塗った壁のサンプル、またはチェーンソーで削り取った剥き出しの木材、それに芝生を埋め込んだ芝屋根や、手もみで味わいのある凹凸感の生み出された銅板など、ともかく多種多様な物質が所狭しと並んでいました。さながら、どこかのホームセンターの素材売り場でも見るような感覚と言っても良いかもしれません。これまでにも図面や模型などが丁寧に紹介されている建築展は何度か拝見しましたが、今回ほどその素材に焦点を当てた展覧会もないと思います。体験型とは言えども、単なるイメージ先行の建築展ではなかったようです。(欲を言えば、それらに触ることが出来ればなお良かったとも思います。)
茶の形式からの解放もうたってつくられたという茶室、「高過庵」(2004)は、どこか可愛らしくも感じる建物でした。6メートルの高さに浮くような小さな茶室が、僅か2本のクリの木だけで支えられています。また屋根にニラを植え付けた「ニラハウス」(1997)や、今度は壁にタンポポを植えた「タンポポハウス」(1995)なども印象に残りました。また、誤解を生んでしまうかもしれませんが、藤森建築にどこか『工作』の雰囲気を感じます。あえて取り組むアナクロニズムの面白さとも言えるかもしれません。
その意味も含め、いささか過激なのが「東京計画2107」です。温暖化による海面上昇によって水没し、さらには砂漠化した近未来の東京が、今度はサンゴや土だけを原料にして自然再生型の都市を作り上げています。大きく後退した海には、かつての文明の残骸としての東京タワーが無残にも折れ曲がっていました。こうした未来観に対する賛否はともかくも、ここには藤森建築を支える一種の思想のようなものをショッキングな形で見て取れると思います。
展示の最後には、お馴染みの路上建築が豊富な資料にて紹介されていました。ここは素直に笑って楽しみたいところです。
7月1日までの開催です。(6/3)
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「風俗画と肉筆浮世絵 - 館蔵肉筆画の精華 - 」(後期展示) たばこと塩の博物館
たばこと塩の博物館(渋谷区神南1-16-8)
「風俗画と肉筆浮世絵 - 館蔵肉筆画の精華 - 」(後期展示)
5/24-7/1
渋谷の繁華街のど真ん中にある博物館です。何度も前を通った記憶がありますが、中へ入ったのは初めてでした。館蔵の風俗画、または肉筆浮世絵が約40点ほど展示されています。入館料は100円です。
端的な博物館名が示すように、コレクションの中核は、たばこと塩に関連する浮世絵でした。ようは、展示品の多くに煙草を嗜む人物が描かれ、または塩を作る人々が登場しているわけなのです。長い煙管を加え、のんびりとしたさまで楽し気にくつろぐ宮川一笑の「色子」などを見ると、何かとその害の叫ばれる現代とは異なり、たばこがある種の文化を築いてきた歴史を思うような気もします。さすがに塩焼きの光景は今でもなかなか見られませんが、総じて肩の張らない、それこそ往時の庶民の息遣いをリアルに感じられるような作品ばかりでした。名の知れた絵師は皆無に近いものがありますが、その分、先入観なしで江戸時代の生活へと想いを馳せることが出来ると思います。
たばこ、塩以外の作品もいくつか出ていましたが、その中で特に印象深かったのは「蝦夷人風俗絵巻」(作者不明)でした。作品の言葉を借りると「蝦夷人」が、鉄砲を片手に、鹿や熊を勇ましく狩っています。また「蝦夷」関連では、この他にも雪好の「蝦夷人風俗図」などが出ていました。これらはやはり、作者が当地へ渡って描いた作品なのでしょうか。「蝦夷」を題材とした作品を見るのは初めてだったもので、とても新鮮な感覚で楽しめました。
久隅守景の「塩焼きの図」も魅力的です。淡彩着色とありましたが、さながら墨絵のような味わいで伸びやかに塩焼きの光景を描いています。たっぷりととられた余白にも美を感じる作品でした。人々が、まるで小人の人形ように可愛らしく表現されています。
会期は迫っていますが、渋谷の喧噪から逃れるにも最適な展覧会だと思います。館内は空いていました。
7月1日までの開催です。(6/23)
「風俗画と肉筆浮世絵 - 館蔵肉筆画の精華 - 」(後期展示)
5/24-7/1
渋谷の繁華街のど真ん中にある博物館です。何度も前を通った記憶がありますが、中へ入ったのは初めてでした。館蔵の風俗画、または肉筆浮世絵が約40点ほど展示されています。入館料は100円です。
端的な博物館名が示すように、コレクションの中核は、たばこと塩に関連する浮世絵でした。ようは、展示品の多くに煙草を嗜む人物が描かれ、または塩を作る人々が登場しているわけなのです。長い煙管を加え、のんびりとしたさまで楽し気にくつろぐ宮川一笑の「色子」などを見ると、何かとその害の叫ばれる現代とは異なり、たばこがある種の文化を築いてきた歴史を思うような気もします。さすがに塩焼きの光景は今でもなかなか見られませんが、総じて肩の張らない、それこそ往時の庶民の息遣いをリアルに感じられるような作品ばかりでした。名の知れた絵師は皆無に近いものがありますが、その分、先入観なしで江戸時代の生活へと想いを馳せることが出来ると思います。
たばこ、塩以外の作品もいくつか出ていましたが、その中で特に印象深かったのは「蝦夷人風俗絵巻」(作者不明)でした。作品の言葉を借りると「蝦夷人」が、鉄砲を片手に、鹿や熊を勇ましく狩っています。また「蝦夷」関連では、この他にも雪好の「蝦夷人風俗図」などが出ていました。これらはやはり、作者が当地へ渡って描いた作品なのでしょうか。「蝦夷」を題材とした作品を見るのは初めてだったもので、とても新鮮な感覚で楽しめました。
久隅守景の「塩焼きの図」も魅力的です。淡彩着色とありましたが、さながら墨絵のような味わいで伸びやかに塩焼きの光景を描いています。たっぷりととられた余白にも美を感じる作品でした。人々が、まるで小人の人形ように可愛らしく表現されています。
会期は迫っていますが、渋谷の喧噪から逃れるにも最適な展覧会だと思います。館内は空いていました。
7月1日までの開催です。(6/23)
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「ヴィクトリア アンド アルバート美術館 浮世絵名品展(後期展示)」 太田記念美術館
太田記念美術館(渋谷区神宮前1-10-10)
「ヴィクトリア アンド アルバート美術館 所蔵初公開浮世絵名品展(後期展示)」
6/1-26(会期終了)
会期末の駆け込みで見てきました。「ヴィクトリア アンド アルバート美術館(V&A美術館) 所蔵初公開浮世絵名品展」です。V&A美術館(イギリス・ロンドン)の約2万5000点にも及ぶ浮世絵コレクションから選ばれた170点の作品が、前後期に分けて紹介されていました。
一番の収穫は、やはり江戸琳派の団扇絵を見られたことにあると思います。もちろん目当ては、団扇の中をたくさんの蚊がうようよと飛び交っている、酒井抱一の「蚊」(1809-28)でした。夏に最も嫌われる虫、蚊を、夏に欠かせないアイテムとも言える団扇の図柄にしてしまったことからしてかなり奇抜ですが、下部に大きな余白をとり、血を吸ったのか、若干の朱も交えて描かれた蚊の描写自体はなかなか優れています。このように蚊を情緒的に見るのは、絵師と言うよりも俳人ならではの視点かもしれません。静かに耳を傾けると、今にもぶーんという蚊の羽音が聞こえてきそうです。例えば蚊遣り火も趣き深く描いてしまう(「賤が屋の夕顔図」。畠山の琳派展に出ていました。)抱一らしい作品です。ちなみにこの蚊は約20匹程度いるのだそうです。取り囲まれたらひとたまりもありません。
その他の団扇図では、鈴木其一の「団扇売り」(1832)も面白い作品です。こちらは、其一の持ち味を生かしたようなデザインの妙を感じました。色とりどりの団扇とそれをぶら下げて歩く男たちが、何やら図形的にも配されています。また、渡辺華山の「ほおずき」も可愛らしい作品です。ほおずきがまるで小さな人形のように見えます。ひょこひょこ動き出しそうです。
一般的な浮世絵では、まわり灯籠を覗き込む女性の描かれた歌麿の「美人五節の遊」、または、遊女が忙しなく書をたしなむ様をエキゾチックに表現した菊川英山の「風流琴碁書画 画 岡本屋内重岡」、さらには眩い光を帯状にのばして、まるで劇画のような朝焼を見せた歌川国貞の「二見浦曙の図」、そして口にペンをくわえた女性が何とも耽美的な暁斎の「写生する美人」などが印象に残りました。
隠れ家的な雰囲気も持つ太田記念美術館は嫌いではありませんが、出来ればもっと大きな『箱』で見たかったと思います。少し混雑してくると身動きすらとれなくなるのは御免です。(6/23)
「ヴィクトリア アンド アルバート美術館 所蔵初公開浮世絵名品展(後期展示)」
6/1-26(会期終了)
会期末の駆け込みで見てきました。「ヴィクトリア アンド アルバート美術館(V&A美術館) 所蔵初公開浮世絵名品展」です。V&A美術館(イギリス・ロンドン)の約2万5000点にも及ぶ浮世絵コレクションから選ばれた170点の作品が、前後期に分けて紹介されていました。
一番の収穫は、やはり江戸琳派の団扇絵を見られたことにあると思います。もちろん目当ては、団扇の中をたくさんの蚊がうようよと飛び交っている、酒井抱一の「蚊」(1809-28)でした。夏に最も嫌われる虫、蚊を、夏に欠かせないアイテムとも言える団扇の図柄にしてしまったことからしてかなり奇抜ですが、下部に大きな余白をとり、血を吸ったのか、若干の朱も交えて描かれた蚊の描写自体はなかなか優れています。このように蚊を情緒的に見るのは、絵師と言うよりも俳人ならではの視点かもしれません。静かに耳を傾けると、今にもぶーんという蚊の羽音が聞こえてきそうです。例えば蚊遣り火も趣き深く描いてしまう(「賤が屋の夕顔図」。畠山の琳派展に出ていました。)抱一らしい作品です。ちなみにこの蚊は約20匹程度いるのだそうです。取り囲まれたらひとたまりもありません。
その他の団扇図では、鈴木其一の「団扇売り」(1832)も面白い作品です。こちらは、其一の持ち味を生かしたようなデザインの妙を感じました。色とりどりの団扇とそれをぶら下げて歩く男たちが、何やら図形的にも配されています。また、渡辺華山の「ほおずき」も可愛らしい作品です。ほおずきがまるで小さな人形のように見えます。ひょこひょこ動き出しそうです。
一般的な浮世絵では、まわり灯籠を覗き込む女性の描かれた歌麿の「美人五節の遊」、または、遊女が忙しなく書をたしなむ様をエキゾチックに表現した菊川英山の「風流琴碁書画 画 岡本屋内重岡」、さらには眩い光を帯状にのばして、まるで劇画のような朝焼を見せた歌川国貞の「二見浦曙の図」、そして口にペンをくわえた女性が何とも耽美的な暁斎の「写生する美人」などが印象に残りました。
隠れ家的な雰囲気も持つ太田記念美術館は嫌いではありませんが、出来ればもっと大きな『箱』で見たかったと思います。少し混雑してくると身動きすらとれなくなるのは御免です。(6/23)
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「肉筆浮世絵のすべて(後期展示)」 出光美術館
出光美術館(千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「肉筆浮世絵のすべて(後期展示)- その誕生から歌麿・北斎・広重まで」
5/30-7/1
約70点に及ぶ浮世絵の全てが肉筆画です。約2世紀にわたる浮世絵の通史を、出光の誇る肉筆浮世絵コレクションにて概観することが出来ます。
展示は、浮世絵を各流派毎に分け、その上で時系列に紹介するものでした。簡単な構成は以下の通りです。
*出品作品リスト
寛文美人(寛永期 1624~44):江戸浮世絵の原初。屏風絵から掛物絵、または人物群像から一人立ち美人像へ。
菱川派(元禄期 1688~1704):菱川師宣一派。古山師重ら。
鳥居派(元禄期 1688~1704):役者絵の基礎。鳥居清倍、清秀。
懐月堂派(宝永期 1704~1711):肉筆専門。始祖懐月堂安度。度秀ら。
奥村派(宝暦期 1751~64):奥村政信。菱川師宣と鈴木春信を結びつける。
川又派(享保期 1716~36/寛延期1748~51):始祖川又常正は狩野派に学ぶ。
西川派(宝永期 1704~1711):上方で活躍。西川祐信、祇園井特。
宮川派(享保期 1716~36):菱川派の後継者。宮川長春、一笑。版画をしない。
北尾派(天明期 1781~89):北尾重政。弟子らが大成。
勝川春章(明和~寛政期 1764~89):天明の黄金期を築く。鳥居清長に並ぶ人物。
喜多川歌麿・鳥文斎英之(寛政期 1789~1801):ライバル同士。歌麿の大首絵。
葛飾北斎(寛政~文化期 1789~1818)
歌川派(幕末期):歌川豊春、孫弟子の広重ら。
浮世絵に疎い私にとって、全然見知らぬ名前もいくつも挙がっていたわけですが、その中でも特に印象に残ったのは、西川派の祐信や奈良でも見たまさしくギョッとする井特、それに遠近法に特徴的な勝川春章の「遊里風俗図」、もしくはお馴染み北斎の「鍾馗騎獅図」や「樵夫図」などでした。このサイボーグ戦士のような鍾馗(道教の神だそうです。)が獅子に乗る「鍾馗騎獅図」は、いかにも北斎ならではの「カッコ良い。」と言える作品です。見入ります。
抱一ファンとしては見逃せない作品も一点出ていました。それが歌川派の類にて紹介されていた酒井抱一の「遊女と禿図」(1787)です。どちらかと言うと習作の域を出ず、特に隣に展示されていた豊国の「海浜美人図」などと比べると完成度に歴然としたものがありますが、これは抱一が光琳へ傾倒する遥か以前、27歳の時に描かれた作品なのだそうです。(現存する抱一の8点の浮世絵の中の一つです。)ちなみに抱一はこの時期、豊春に学んでいくつかの浮世絵を描いていたとされていますが、残念ながら豊春との実際的な接点は確実なものではありません。(若かりし抱一の出入りしていた吉原の文人サークル、および江戸の酒井家の大名屋敷に豊春が出入りしていたのではないかとも考えられています。)ちなみに作品にある五言絶句の漢詩は、天明期を代表する狂歌師である大田南畝のものです。こちらは抱一とも交遊関係を持ち、狂歌絵本の挿絵を描いていた山東京伝らを巻き込みながら制作活動を続けていました。そこに抱一も交じっていたというのが真相のようです。
結局、殆ど抱一目当てになってしまったかもしれませんが、私の浮世絵への苦手意識も若干和らぐような、とても親切丁寧に構成された展覧会でした。ぐるっとパスで入場出来るのが申し訳なく思えるほど、充実した品々ばかりが揃っています。
7月1日までの開催です。(6/16)
「肉筆浮世絵のすべて(後期展示)- その誕生から歌麿・北斎・広重まで」
5/30-7/1
約70点に及ぶ浮世絵の全てが肉筆画です。約2世紀にわたる浮世絵の通史を、出光の誇る肉筆浮世絵コレクションにて概観することが出来ます。
展示は、浮世絵を各流派毎に分け、その上で時系列に紹介するものでした。簡単な構成は以下の通りです。
*出品作品リスト
寛文美人(寛永期 1624~44):江戸浮世絵の原初。屏風絵から掛物絵、または人物群像から一人立ち美人像へ。
菱川派(元禄期 1688~1704):菱川師宣一派。古山師重ら。
鳥居派(元禄期 1688~1704):役者絵の基礎。鳥居清倍、清秀。
懐月堂派(宝永期 1704~1711):肉筆専門。始祖懐月堂安度。度秀ら。
奥村派(宝暦期 1751~64):奥村政信。菱川師宣と鈴木春信を結びつける。
川又派(享保期 1716~36/寛延期1748~51):始祖川又常正は狩野派に学ぶ。
西川派(宝永期 1704~1711):上方で活躍。西川祐信、祇園井特。
宮川派(享保期 1716~36):菱川派の後継者。宮川長春、一笑。版画をしない。
北尾派(天明期 1781~89):北尾重政。弟子らが大成。
勝川春章(明和~寛政期 1764~89):天明の黄金期を築く。鳥居清長に並ぶ人物。
喜多川歌麿・鳥文斎英之(寛政期 1789~1801):ライバル同士。歌麿の大首絵。
葛飾北斎(寛政~文化期 1789~1818)
歌川派(幕末期):歌川豊春、孫弟子の広重ら。
浮世絵に疎い私にとって、全然見知らぬ名前もいくつも挙がっていたわけですが、その中でも特に印象に残ったのは、西川派の祐信や奈良でも見たまさしくギョッとする井特、それに遠近法に特徴的な勝川春章の「遊里風俗図」、もしくはお馴染み北斎の「鍾馗騎獅図」や「樵夫図」などでした。このサイボーグ戦士のような鍾馗(道教の神だそうです。)が獅子に乗る「鍾馗騎獅図」は、いかにも北斎ならではの「カッコ良い。」と言える作品です。見入ります。
抱一ファンとしては見逃せない作品も一点出ていました。それが歌川派の類にて紹介されていた酒井抱一の「遊女と禿図」(1787)です。どちらかと言うと習作の域を出ず、特に隣に展示されていた豊国の「海浜美人図」などと比べると完成度に歴然としたものがありますが、これは抱一が光琳へ傾倒する遥か以前、27歳の時に描かれた作品なのだそうです。(現存する抱一の8点の浮世絵の中の一つです。)ちなみに抱一はこの時期、豊春に学んでいくつかの浮世絵を描いていたとされていますが、残念ながら豊春との実際的な接点は確実なものではありません。(若かりし抱一の出入りしていた吉原の文人サークル、および江戸の酒井家の大名屋敷に豊春が出入りしていたのではないかとも考えられています。)ちなみに作品にある五言絶句の漢詩は、天明期を代表する狂歌師である大田南畝のものです。こちらは抱一とも交遊関係を持ち、狂歌絵本の挿絵を描いていた山東京伝らを巻き込みながら制作活動を続けていました。そこに抱一も交じっていたというのが真相のようです。
結局、殆ど抱一目当てになってしまったかもしれませんが、私の浮世絵への苦手意識も若干和らぐような、とても親切丁寧に構成された展覧会でした。ぐるっとパスで入場出来るのが申し訳なく思えるほど、充実した品々ばかりが揃っています。
7月1日までの開催です。(6/16)
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「Oコレクションによる空想美術館 - 第1室『桑原加藤の部屋』」 トーキョーワンダーサイト本郷
トーキョーワンダーサイト本郷(文京区本郷2-4-16)
「Oコレクションによる空想美術館 - 第1室:桑原加藤の部屋 - つぎつぎと・なりゆく・いきおいに任せて」
5/5-7/1
本郷のワンダーサイトではじまった連続企画展です。これから約半年間にわたり、有名な現代アートコレクターであるという岡田聡氏のコレクションを紹介します。その第一弾(つまり第1室。)は、今年のMOTアニュアルの記憶も新しい加藤泉と、「奇妙なアイデアで溢れているこの世界の一部を描いていきたい」とも語る(TABより引用。)画家、桑原正彦でした。
やはり気になるのは、どこで見てもその奇妙な存在感に目を奪われる、加藤泉の木彫の人形「無題」です。展示では、椅子に座った一体と、もう一つ、壁際に佇む小型のものが紹介されていました。おかっぱ頭の赤い髪と不気味に光る緑色の目も強く印象に残りますが、手を膝の上にのせるようにしてちょこんと椅子に腰掛ける様が何とも可愛気です。まるで異星人でも見るかのような出で立ちではありますが、この不可解なほど人懐っこい表情をしているのもまた魅力の一つだと思います。
一方の小型の人形の体は布で出来ていました。(木彫部分は頭部だけです。)それが何やらおびえるようにして壁にもたれかかっています。率直なところ、桑原の絵画には感じるものがなかったのですが、まずはこの加藤の人形に出会えただけでも満足出来ました。
この展覧会にあわせ、ワンダーウォールの入選者より選ばれたアーティストを紹介する「TWS-Emerging」(Emerging Artist Support Program 2007)も開催されています。(長井朋子「バラも馬に歌にミドリも庭」/佐貫巧「BLUE×BLUE」)特に長井朋子の、さながらメルヘン調の空想世界を思わせるような絵画に惹かれました。
もちろん無料です。定点観測したいと思います。
7月1日までの開催です。(6/16)
*関連エントリ
「MOTアニュアル2007 等身大の約束」 東京都現代美術館
「Oコレクションによる空想美術館 - 第1室:桑原加藤の部屋 - つぎつぎと・なりゆく・いきおいに任せて」
5/5-7/1
本郷のワンダーサイトではじまった連続企画展です。これから約半年間にわたり、有名な現代アートコレクターであるという岡田聡氏のコレクションを紹介します。その第一弾(つまり第1室。)は、今年のMOTアニュアルの記憶も新しい加藤泉と、「奇妙なアイデアで溢れているこの世界の一部を描いていきたい」とも語る(TABより引用。)画家、桑原正彦でした。
やはり気になるのは、どこで見てもその奇妙な存在感に目を奪われる、加藤泉の木彫の人形「無題」です。展示では、椅子に座った一体と、もう一つ、壁際に佇む小型のものが紹介されていました。おかっぱ頭の赤い髪と不気味に光る緑色の目も強く印象に残りますが、手を膝の上にのせるようにしてちょこんと椅子に腰掛ける様が何とも可愛気です。まるで異星人でも見るかのような出で立ちではありますが、この不可解なほど人懐っこい表情をしているのもまた魅力の一つだと思います。
一方の小型の人形の体は布で出来ていました。(木彫部分は頭部だけです。)それが何やらおびえるようにして壁にもたれかかっています。率直なところ、桑原の絵画には感じるものがなかったのですが、まずはこの加藤の人形に出会えただけでも満足出来ました。
この展覧会にあわせ、ワンダーウォールの入選者より選ばれたアーティストを紹介する「TWS-Emerging」(Emerging Artist Support Program 2007)も開催されています。(長井朋子「バラも馬に歌にミドリも庭」/佐貫巧「BLUE×BLUE」)特に長井朋子の、さながらメルヘン調の空想世界を思わせるような絵画に惹かれました。
もちろん無料です。定点観測したいと思います。
7月1日までの開催です。(6/16)
*関連エントリ
「MOTアニュアル2007 等身大の約束」 東京都現代美術館
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「TOKYO MILKY WAY」 - キャンドルの明かりで見る夜のギャラリー巡り - (6/22)
夏至の夜、キャンドルを片手にアートを楽しむというのは如何でしょうか。「100万人のキャンドルナイト」の参加イベントの一つである、「夜の銀座ギャラリーめぐり」です。東京の京橋、及び銀座1丁目から3丁目までの計16軒の画廊が参加します。
*開催概要*
「夜の銀座ギャラリーめぐり」(無料)
日時:6/22(金曜日) 19:00~21:00
場所:京橋、及び銀座1丁目から3丁目。
(京橋・銀座1丁目~銀座3丁目では、K's Galleryを中心に16軒のギャラリーが参加して、キャンドルの明かりの中でみる夜のギャラリーめぐりが開催されます。作品観賞用キャンドルは各ギャラリーにて備え付けてあります。)
キャンドルを片手に作品を見るというのも興味深いですが、普段は閉まっている平日夜間に画廊を楽しめる滅多にない機会です。核となるK's Galleryをはじめ、かねこ・あーとや羅針盤など、お馴染みの画廊も揃っていました。以下に参加画廊を転載します。
*参加画廊*
かねこ・あーとギャラリー 「江口週展」
T.BOX 「ラファエル・ナバス展」
アートスペース羅針盤 「レゾナンス<足立正平、神山玄、神保千絵、松本慎吾>」
Oギャラリー 「古山浩一展・赤塚美子展」
K's Gallery 「柴田眞美展」
柴田悦子画廊 「安住小百合展」
銀座ワン 「藤井光永展」
ギャラリー銀座1丁目 「やすらぎ展」
純画廊 「村田茂樹展」
ギャラリー現 「坂中亮太展」
ギャラリーツープラス 「馬籠伸郎展」
ギャラリー福山 「常設展」
ギャラリーSTAGE1「よん 展<石川遊亀、鈴木雅博、津川めぐみ、浜松敏雄>」
ギャラリーG2 「波多野安希陶展・角康二漆展」
ミレージャギャラリー 「誰も知らない不思議な世界展」
ギャラリー舫 「小川陽展」
地図を参照して見ても分かりますが、京橋~銀座といってもその範囲は決して広くありません。手軽にアフター5(もしくは7)を楽しめる最適なイベントになりそうです。また、画廊巡りに慣れない方のための「Guide Tour」も予定されています。出発は夜19時。場所はK's Gallery(中央区銀座1-5-1 第三太陽ビル6階)だそうです。
*関連リンク
100万人のキャンドルナイト
TOKYO MILKY WAY
芸力
ex-chamber museum(展示内容についての一部レビューあり。)
*開催概要*
「夜の銀座ギャラリーめぐり」(無料)
日時:6/22(金曜日) 19:00~21:00
場所:京橋、及び銀座1丁目から3丁目。
(京橋・銀座1丁目~銀座3丁目では、K's Galleryを中心に16軒のギャラリーが参加して、キャンドルの明かりの中でみる夜のギャラリーめぐりが開催されます。作品観賞用キャンドルは各ギャラリーにて備え付けてあります。)
キャンドルを片手に作品を見るというのも興味深いですが、普段は閉まっている平日夜間に画廊を楽しめる滅多にない機会です。核となるK's Galleryをはじめ、かねこ・あーとや羅針盤など、お馴染みの画廊も揃っていました。以下に参加画廊を転載します。
*参加画廊*
かねこ・あーとギャラリー 「江口週展」
T.BOX 「ラファエル・ナバス展」
アートスペース羅針盤 「レゾナンス<足立正平、神山玄、神保千絵、松本慎吾>」
Oギャラリー 「古山浩一展・赤塚美子展」
K's Gallery 「柴田眞美展」
柴田悦子画廊 「安住小百合展」
銀座ワン 「藤井光永展」
ギャラリー銀座1丁目 「やすらぎ展」
純画廊 「村田茂樹展」
ギャラリー現 「坂中亮太展」
ギャラリーツープラス 「馬籠伸郎展」
ギャラリー福山 「常設展」
ギャラリーSTAGE1「よん 展<石川遊亀、鈴木雅博、津川めぐみ、浜松敏雄>」
ギャラリーG2 「波多野安希陶展・角康二漆展」
ミレージャギャラリー 「誰も知らない不思議な世界展」
ギャラリー舫 「小川陽展」
地図を参照して見ても分かりますが、京橋~銀座といってもその範囲は決して広くありません。手軽にアフター5(もしくは7)を楽しめる最適なイベントになりそうです。また、画廊巡りに慣れない方のための「Guide Tour」も予定されています。出発は夜19時。場所はK's Gallery(中央区銀座1-5-1 第三太陽ビル6階)だそうです。
*関連リンク
100万人のキャンドルナイト
TOKYO MILKY WAY
芸力
ex-chamber museum(展示内容についての一部レビューあり。)
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「MOTコレクション(2007年度第1期)+岡本太郎『明日の神話』」 東京都現代美術館
東京都現代美術館(江東区三好4-1-1)
「常設展示・MOTコレクション(2007年度第1期)/岡本太郎『明日の神話』」
4/27-7/1
現在開催中のMOTコレクション(常設展)が充実しています。以前、汐留でも展示されて話題を呼んだ岡本太郎の「明日の神話」とのコラボレーションです。
長らく作品を購入してこなかったMOTですが、ここに来てようやく一定の予算が確保されたようです。今回、2006年度の新収蔵作品が初めて公開されています。また寄託、寄贈作品も全てMOT初公開です。以下、そのリストを挙げておきます。
*2007年度第1期常設展示*
新収蔵品
スゥ・ドーホー 「リフレクション」(2004/2007)
藤本由起夫 「EAR WITH CHAIR(MOT)」(1990/2007)
加藤美佳 「Seed」(2006)
奈良美智 「サヨン」(2006)
会田誠 「たまゆら(戦争画RETURNS)」(1999)
大竹伸朗 「ゴミ男」(1987)
マシュー・バーニー 「拘束のドローイング9:ミラーポジション」(2005)
寄贈作品
佐藤多持 「水芭蕉」(1955)
佐藤多持 「水芭蕉曼陀羅 み」(1966)
佐藤多持 「水芭蕉曼陀羅 め」(1966)
佐藤多持 「水芭蕉曼陀羅 黄15」(1969)
山本直影 「IKAROS 20013」(2001)
高木正勝 「Bloomy Girsl」(2005)
高木正勝 「el viento」(2006)
寄託作品
白髪一雄 「地平星鉄臀膊(Chisuisei Tetpihaku)」(1961)
加藤美佳 「カナリア」(1999)
奈良美智 「White Night」(2006)
会田誠 「美しい旗(戦争画RETURNS)」(1995)
会田誠 「スペース・ウンコ」(1998)
会田誠 「スペース・ナイフ」(1998)
大竹伸朗 「スクラップブック」(1983-2006)
入口の吹き抜けで軽やかに佇むのはスゥ・ドーホーの「リフレクション」(2004/2007)です。天井窓からの光を受けて仄かに映える水色は美しく、何やら水中に潜って門を見上げているような印象も与えてくれました。ちなみにこの作品と「明日の神話」は撮影が可能です。
汐留では鑑賞のための行列まで出来ていた「明日の神話」も、ここではゆとりのある空間にて存分に楽しむことが出来ます。縦5メートル50センチ、横30メートルにも及ぶ空前絶後の巨大作品が、まるで狙ったかのように展示空間へスッポリとおさまっていました。率直なところ、私はこの作品の「凄さ」がまだよく分かりませんが、その他、岡本のオブジェ(陶)数点とロスコ、吉原治良の共演などは見応え十分です。この岡本太郎コーナーだけでも、木場まで足を運ぶ価値があるかもしれません。
「特別公開:岡本太郎「明日の神話」」(弐代目・青い日記帳):「明日の神話」について詳細なレポートです。
もちろん、MOTではお馴染みのジャッドやステラ、または宮島のカウンターなども展示されています。また、会田誠が4点も紹介されているのもポイントではないでしょうか。屏風画の体裁をとる「戦争画RETURNS」は迫力満点です。
MOTコレクション(2007年度第1期)は来月1日までの開催です。(6/16)
*同時開催中の展覧会
「マルレーネ・デュマス - ブロークン・ホワイト - 」 東京都現代美術館
鬼頭健吾 「Starburst galaxy」 東京都現代美術館
*「明日の神話」関連エントリ
「太陽の塔」と「明日の神話」
岡本太郎の「明日の神話」と「汐留アート塾」 inシオサイト
「常設展示・MOTコレクション(2007年度第1期)/岡本太郎『明日の神話』」
4/27-7/1
現在開催中のMOTコレクション(常設展)が充実しています。以前、汐留でも展示されて話題を呼んだ岡本太郎の「明日の神話」とのコラボレーションです。
長らく作品を購入してこなかったMOTですが、ここに来てようやく一定の予算が確保されたようです。今回、2006年度の新収蔵作品が初めて公開されています。また寄託、寄贈作品も全てMOT初公開です。以下、そのリストを挙げておきます。
*2007年度第1期常設展示*
新収蔵品
スゥ・ドーホー 「リフレクション」(2004/2007)
藤本由起夫 「EAR WITH CHAIR(MOT)」(1990/2007)
加藤美佳 「Seed」(2006)
奈良美智 「サヨン」(2006)
会田誠 「たまゆら(戦争画RETURNS)」(1999)
大竹伸朗 「ゴミ男」(1987)
マシュー・バーニー 「拘束のドローイング9:ミラーポジション」(2005)
寄贈作品
佐藤多持 「水芭蕉」(1955)
佐藤多持 「水芭蕉曼陀羅 み」(1966)
佐藤多持 「水芭蕉曼陀羅 め」(1966)
佐藤多持 「水芭蕉曼陀羅 黄15」(1969)
山本直影 「IKAROS 20013」(2001)
高木正勝 「Bloomy Girsl」(2005)
高木正勝 「el viento」(2006)
寄託作品
白髪一雄 「地平星鉄臀膊(Chisuisei Tetpihaku)」(1961)
加藤美佳 「カナリア」(1999)
奈良美智 「White Night」(2006)
会田誠 「美しい旗(戦争画RETURNS)」(1995)
会田誠 「スペース・ウンコ」(1998)
会田誠 「スペース・ナイフ」(1998)
大竹伸朗 「スクラップブック」(1983-2006)
入口の吹き抜けで軽やかに佇むのはスゥ・ドーホーの「リフレクション」(2004/2007)です。天井窓からの光を受けて仄かに映える水色は美しく、何やら水中に潜って門を見上げているような印象も与えてくれました。ちなみにこの作品と「明日の神話」は撮影が可能です。
汐留では鑑賞のための行列まで出来ていた「明日の神話」も、ここではゆとりのある空間にて存分に楽しむことが出来ます。縦5メートル50センチ、横30メートルにも及ぶ空前絶後の巨大作品が、まるで狙ったかのように展示空間へスッポリとおさまっていました。率直なところ、私はこの作品の「凄さ」がまだよく分かりませんが、その他、岡本のオブジェ(陶)数点とロスコ、吉原治良の共演などは見応え十分です。この岡本太郎コーナーだけでも、木場まで足を運ぶ価値があるかもしれません。
「特別公開:岡本太郎「明日の神話」」(弐代目・青い日記帳):「明日の神話」について詳細なレポートです。
もちろん、MOTではお馴染みのジャッドやステラ、または宮島のカウンターなども展示されています。また、会田誠が4点も紹介されているのもポイントではないでしょうか。屏風画の体裁をとる「戦争画RETURNS」は迫力満点です。
MOTコレクション(2007年度第1期)は来月1日までの開催です。(6/16)
*同時開催中の展覧会
「マルレーネ・デュマス - ブロークン・ホワイト - 」 東京都現代美術館
鬼頭健吾 「Starburst galaxy」 東京都現代美術館
*「明日の神話」関連エントリ
「太陽の塔」と「明日の神話」
岡本太郎の「明日の神話」と「汐留アート塾」 inシオサイト
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鬼頭健吾 「Starburst galaxy」 東京都現代美術館(メディアコート)
東京都現代美術館
メディアコート(2階カフェテリア奥)
「鬼頭健吾 - Starburst galaxy - 」
MOTで始まった新しい試みです。高さ15メートル、幅28メートルにも及ぶメディアコートの壁に、お馴染みのフラフープを用いた鬼頭健吾のインスタレーションが展開されています。その名は「Starburst galaxy」(2007)です。
メディアコートとは、2階カフェテリアよりテラスを進んだ奥のオープンスペースのことです。三方を壁に囲まれたやや窮屈な空間ではありますが、パンチ穴の開いたメタリックな巨大壁に、かのカラフルな無数のフラフープ・チューブが踊るように吊るされています。そのチューブの群れは、まるで大きな滝の水紋のようです。何やら互いに交差しながら、ざわめくかのようにしてリズミカルな曲線を描いていました。また、床に垂れたチューブも必見です。中で忙しなく行き交う液体の流れを見て取ることが出来ます。この一本一本が、例えばエネルギーを運ぶ血管のような役割を持っているのかもしれません。その有機的な生命感もまた魅力の一つです。
今回のインスタレーションは、先日よりMOTで始まった「PUBLIC 'SPACE' PROJECT」に準じています。これは同美術館とブルームバーグが共同で行う、「若手アーティストの支援とアートへのアクセシビリティを広げることを目的としたプログラム」(公式HPより。)とのことですが、ようするにやや遊んでいる感もあるMOTのオープンスペースに新たなアートを展開していく企画なのだと思います。その第一弾(ただし次回のアナウンスはありませんが。)に、鬼頭健吾が選ばれたというわけです。
鬼頭の作品としては、過去に例のない大規模なものです。MOTへお出かけの際は、見逃されないようおすすめします。
「PUBLIC 'SPACE' PROJECT」は、来年の1月20日までの開催です。
*関連リンク
「PUBLIC 'SPACE' PROJECT」
Bloomberg(日本語ページ)
メディアコート(2階カフェテリア奥)
「鬼頭健吾 - Starburst galaxy - 」
MOTで始まった新しい試みです。高さ15メートル、幅28メートルにも及ぶメディアコートの壁に、お馴染みのフラフープを用いた鬼頭健吾のインスタレーションが展開されています。その名は「Starburst galaxy」(2007)です。
メディアコートとは、2階カフェテリアよりテラスを進んだ奥のオープンスペースのことです。三方を壁に囲まれたやや窮屈な空間ではありますが、パンチ穴の開いたメタリックな巨大壁に、かのカラフルな無数のフラフープ・チューブが踊るように吊るされています。そのチューブの群れは、まるで大きな滝の水紋のようです。何やら互いに交差しながら、ざわめくかのようにしてリズミカルな曲線を描いていました。また、床に垂れたチューブも必見です。中で忙しなく行き交う液体の流れを見て取ることが出来ます。この一本一本が、例えばエネルギーを運ぶ血管のような役割を持っているのかもしれません。その有機的な生命感もまた魅力の一つです。
今回のインスタレーションは、先日よりMOTで始まった「PUBLIC 'SPACE' PROJECT」に準じています。これは同美術館とブルームバーグが共同で行う、「若手アーティストの支援とアートへのアクセシビリティを広げることを目的としたプログラム」(公式HPより。)とのことですが、ようするにやや遊んでいる感もあるMOTのオープンスペースに新たなアートを展開していく企画なのだと思います。その第一弾(ただし次回のアナウンスはありませんが。)に、鬼頭健吾が選ばれたというわけです。
鬼頭の作品としては、過去に例のない大規模なものです。MOTへお出かけの際は、見逃されないようおすすめします。
「PUBLIC 'SPACE' PROJECT」は、来年の1月20日までの開催です。
*関連リンク
「PUBLIC 'SPACE' PROJECT」
Bloomberg(日本語ページ)
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「笹口数 『white』」 ZENSHI
ZENSHI(江東区清澄1-3-2 6階)
「笹口数 『white』」
6/2-7/14
笹口数というと、数年前に原美術館で見た浮遊するボールの立体作品、「ball work」を思い出します。ZENSHIで開催中の個展です。今回は、透明アクリルの額と白ボードを使った作品が展示されていました。
まず忘れずに申し上げたいのは、笹口の作品は、それが何であるかを知らないで見た方が、言い換えれば頭を真っ白な状態で見た方が絶対に楽しめということです。「white night」では、透明アクリルに小さく彫られたギリシャ文字や数字が、その下の白ボートに影を落とすかのようにして点々と浮かんでいます。また「island」では、それこそどこかの島の地図を示すような模様が、「white night」と同じ技法にて描かれていました。それが一体、どこの島の地図なのか、はたまた道路図なのか地形図なのか、一部、空港のようにも見える形を目で追いかけながら、多様なイメージを膨らませることが出来るというわけなのです。もちろんそれは、まるで宇宙に浮かぶ無数の星を箱庭のように見る「white night」にも共通する面白さでした。さて、上の画像に挙げた線の数々は一体何に見えるでしょう。(ただし笹口は、錯視的な謎掛けをしているわけではないと思います。)
真っ白な世界に見る、シンプルながらも凝ったイメージを楽しむことが出来ます。7月14日までの開催です。(6/16)
「笹口数 『white』」
6/2-7/14
笹口数というと、数年前に原美術館で見た浮遊するボールの立体作品、「ball work」を思い出します。ZENSHIで開催中の個展です。今回は、透明アクリルの額と白ボードを使った作品が展示されていました。
まず忘れずに申し上げたいのは、笹口の作品は、それが何であるかを知らないで見た方が、言い換えれば頭を真っ白な状態で見た方が絶対に楽しめということです。「white night」では、透明アクリルに小さく彫られたギリシャ文字や数字が、その下の白ボートに影を落とすかのようにして点々と浮かんでいます。また「island」では、それこそどこかの島の地図を示すような模様が、「white night」と同じ技法にて描かれていました。それが一体、どこの島の地図なのか、はたまた道路図なのか地形図なのか、一部、空港のようにも見える形を目で追いかけながら、多様なイメージを膨らませることが出来るというわけなのです。もちろんそれは、まるで宇宙に浮かぶ無数の星を箱庭のように見る「white night」にも共通する面白さでした。さて、上の画像に挙げた線の数々は一体何に見えるでしょう。(ただし笹口は、錯視的な謎掛けをしているわけではないと思います。)
真っ白な世界に見る、シンプルながらも凝ったイメージを楽しむことが出来ます。7月14日までの開催です。(6/16)
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「染谷悠子展」 小山登美夫ギャラリー
小山登美夫ギャラリー(江東区清澄1-3-2 6階)
「染谷悠子展」
6/2-23
細やかな鉛筆の線描によって表現された象や鳥、それに草花のモチーフに、淡い水彩がリトインク(版画用のインク)を用いて美しく配されています。新作のペインティング7点にて構成された、染谷悠子の個展です。
圧巻なのは、まるで鳳凰のような巨大な鳥の描かれた「detail」(2007)でした。繊細で揺らぎのある細い線で描かれた鳥が一羽、上から下を見下ろすように大きく羽ばたいています。detail、つまり細部の線描は限りなく曖昧ですが、それが全体になると殆どかろうじて一羽の鳥を象っていました。冴えた線ではなく、あえて描かれたようなその朧げな線が、染谷の作品に独特な幻想的な雰囲気をもたらしているのかもしれません。そこに、まるで水の散らされたような絵具が瑞々しく塗られているのです。
絵巻物のイメージももっているようです。鳥の背景にのびる黄色い筋は、まるで大和絵に独特な雲霞のようにも見えました。そう言えば、鳥の羽の一枚一枚にも、所々に若冲の面影が感じられます。あの尻尾のような羽です。
6月23日までの開催です。(6/16)
*関連エントリ(共催展)
「デニス・ホリングスワース展 『コロッサス』」 小山登美夫ギャラリー
「染谷悠子展」
6/2-23
細やかな鉛筆の線描によって表現された象や鳥、それに草花のモチーフに、淡い水彩がリトインク(版画用のインク)を用いて美しく配されています。新作のペインティング7点にて構成された、染谷悠子の個展です。
圧巻なのは、まるで鳳凰のような巨大な鳥の描かれた「detail」(2007)でした。繊細で揺らぎのある細い線で描かれた鳥が一羽、上から下を見下ろすように大きく羽ばたいています。detail、つまり細部の線描は限りなく曖昧ですが、それが全体になると殆どかろうじて一羽の鳥を象っていました。冴えた線ではなく、あえて描かれたようなその朧げな線が、染谷の作品に独特な幻想的な雰囲気をもたらしているのかもしれません。そこに、まるで水の散らされたような絵具が瑞々しく塗られているのです。
絵巻物のイメージももっているようです。鳥の背景にのびる黄色い筋は、まるで大和絵に独特な雲霞のようにも見えました。そう言えば、鳥の羽の一枚一枚にも、所々に若冲の面影が感じられます。あの尻尾のような羽です。
6月23日までの開催です。(6/16)
*関連エントリ(共催展)
「デニス・ホリングスワース展 『コロッサス』」 小山登美夫ギャラリー
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「デニス・ホリングスワース展 『コロッサス』」 小山登美夫ギャラリー
小山登美夫ギャラリー(江東区清澄1-3-2 7階)
「デニス・ホリングスワース展 『コロッサス』」
6/2-23
スペイン、マドリッド生まれのアーティスト、デニス・ホリングスワース(1956-)の個展です。絵具が打ちまけられたようにのたうち回るその抽象絵画は、何やら混沌としながらも、どこか冷めたエネルギーを放っています。強烈な匂いも漂う油絵具自体の質感、もしくはその激しいマチエールにも見入りました。
黒、緑、青、赤などの原色の目立つ油彩絵具が、キャンバスに何層も積み重なり、所々ではまるでオブジェのように盛り上がって象られています。印象的なのは、ケーキのホイップクリームとも、はたまたアザミの花とも見える、円形で、またトゲトゲしい絵具の隆起です。特に、一面に薄く塗られた赤に、同じ系統の朱や紅のそれが点々と連なった作品が目にとまりました。全体的にあえて美感を取り払ったような、そのケバケバしい配色ばかりが目立ちますが、これだけはその色の統一感に助けられ、仄かな美感すら醸し出しています。不思議です。
アクションペインティングでもなく、またはモチーフに意味を見出しにくいような『もの派』的な絵画でもなさそうです。率直なところ、惹かれる部分はそれほどありませんが、まるで錯綜する都会の光と闇を見るような、無機質な激しさに少し感じるものもありました。
タイトルの「コロッサス」(Colossus)とは巨人を意味します。横5メートルにも及ぶ表題作は、かの「ゲルニカ」との関連性も含んでいるのだそうです。(そうは全く感じ取れませんでしたが…。)
6月23日までの開催です。(6/16)
*関連エントリ(共催展)
「染谷悠子展」 小山登美夫ギャラリー
「デニス・ホリングスワース展 『コロッサス』」
6/2-23
スペイン、マドリッド生まれのアーティスト、デニス・ホリングスワース(1956-)の個展です。絵具が打ちまけられたようにのたうち回るその抽象絵画は、何やら混沌としながらも、どこか冷めたエネルギーを放っています。強烈な匂いも漂う油絵具自体の質感、もしくはその激しいマチエールにも見入りました。
黒、緑、青、赤などの原色の目立つ油彩絵具が、キャンバスに何層も積み重なり、所々ではまるでオブジェのように盛り上がって象られています。印象的なのは、ケーキのホイップクリームとも、はたまたアザミの花とも見える、円形で、またトゲトゲしい絵具の隆起です。特に、一面に薄く塗られた赤に、同じ系統の朱や紅のそれが点々と連なった作品が目にとまりました。全体的にあえて美感を取り払ったような、そのケバケバしい配色ばかりが目立ちますが、これだけはその色の統一感に助けられ、仄かな美感すら醸し出しています。不思議です。
アクションペインティングでもなく、またはモチーフに意味を見出しにくいような『もの派』的な絵画でもなさそうです。率直なところ、惹かれる部分はそれほどありませんが、まるで錯綜する都会の光と闇を見るような、無機質な激しさに少し感じるものもありました。
タイトルの「コロッサス」(Colossus)とは巨人を意味します。横5メートルにも及ぶ表題作は、かの「ゲルニカ」との関連性も含んでいるのだそうです。(そうは全く感じ取れませんでしたが…。)
6月23日までの開催です。(6/16)
*関連エントリ(共催展)
「染谷悠子展」 小山登美夫ギャラリー
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新国立劇場 「夏の夜の夢」
2007-06-15 / 演劇
新国立劇場 2006/2007シーズン
シェイクスピア「夏の夜の夢」
翻訳 松岡和子
演出 ジョン・ケアード
演奏 オーベロン・バンド/ティターニア・バンド
キャスト
シーシアス/オーベロン 村井国夫
ヒポリタ/ティータニア 麻実れい
イジーアス/フィロストレイト 大島宇三郎
ハーミア 宮菜穂子
ヘレナ 小山萌子
ライサンダー 細見大輔
ディミートリアス 石母田史朗
クウィンス 青山達三
ボトム 吉村直
スナッグ 小嶋尚樹
フルート 水野栄治
スナウト 大滝寛
スターヴリング 酒向芳
パック、またはロビン・グッドフェロー チョウソンハ
豆の花 神田沙也加
蜘蛛の糸 坂上真倫
蛾の精 JuNGLE
カラシの種 松田尚子
2007/6/3 13:00 新国立劇場中劇場
新国立劇場で「夏の夜の夢」を観てきました。松岡訳による日本語上演です。
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのディレクターでもあるという、ジョン・ケアードの演出が一番の見所だったかと思います。ともかくどんちゃん騒ぎの連続です。例の恋人同士が錯綜する夜の場面では、まるで夢遊病者のようなパジャマ姿の4人が彷徨いながら罵り合い、また激しく愛を語らっています。パックはやはりシェイクスピア一流の道化なのでしょうか。キャスト一の運動量もなんのその、舞台を所狭しと駆け巡り、この騒ぎをひた向きに盛り上げています。そして妖精の出で立ちは現代風です。皆、王お抱えの間抜けな劇団員ともいった風情で歌いに踊り、一夜の夢を楽しく飾り立てていました。またピラマスとシスビーの物語も、当然ながら終始コミカルに描かれます。こちらはあまり舞台を動かさずに、まさに学芸会風情の素人のノリでじっくりと劇を楽しませてくれました。劇作では僅かな部分を、これほど長時間にわたって演じるのには驚かされましたが、夜の物語だけを本筋とし過ぎない、つまりは劇の「昼-夜-昼」の三部構成を印象付けるのに適していたと思います。劇中劇は、あくまでも「惚れ薬」による夜の部分なのです。
キャストではパックのチョウソンハが非常に優れていました。彼の熱演がなければ、おそらくこの公演の魅力も半減してしまったのではないでしょうか。大円団を迎え、舞台を昼から現実、つまり新国立劇場へ転換しての口上(「パックが舞台でお礼をいたします。」)は特に印象的です。それまでの飛んで跳ねるパックではなく、まさに一役者として述べたあの行は、この劇の主役がもう彼にあることを示します。切々とした気持ちで述べられるセリフは心に染み入りました。
メインの二人はさすがに貫禄十分です。落ち着きのある公爵とお茶目な妖精王の両面を器用に演じ分けた村井はもちろんのこと、途中、ロバに惹かれて妄想を爆発させる女王を艶やかに演じた麻実もやはり魅力的でした。ただ、これは演出の都合以前に日本語上演の問題かもしれませんが、全体的に先を急ぐ、つまりは些か早口過ぎるような嫌いがあった印象も受けました。もちろんこのドタバタ劇に見る疾走感も重要ですが、例えばシーシアスが詩人について語る場面は、もっと腰を据えた、それこそ一語一句を噛み砕くようなセリフまわしが欲しかったと思います。シェイクスピアならではの含蓄のある美辞麗句はやはり劇の核心です。ここは飛ばせません。
ハーミアの宮、ヘレナの小山、ライサンダーの細見、それにディミートリアスの石母田も好演です。どちらかというと女性陣によるノリに乗ったドタバタぶりに比べ、男性陣はややそれにおされるかのようにして控えめでしたが、薬があろうがなかろうが愚直に愛を信じるライサンダーの誠実な役作りは特に印象に残りました。もちろん、その身長の差までが原作に指定されるハーミアとヘレナも役にハマっています。中でもヘレナの小山は哀れなほど必至でした。これは同情を誘います。
手堅く劇をまとめたピラマスとシスビー組の出演者に比べ、妖精たちはやや分が悪かったようです。歌に踊りももう一歩という印象が拭えませんでした。またバンドによる勢いのある生演奏や、特に夜における詩的な雰囲気を演出していた照明などは優れていたと思います。同劇場御自慢(?)の回転舞台も巧みに用いられていました。ちなみに結婚のシーンの音楽はやはりメンデルスゾーンです。ここはお決まりなのでしょうか。
「シェイクスピア全集(4)夏の夜の夢・間違いの喜劇/松岡和子/筑摩書房」
四大悲劇は別格として、一連の喜劇から見ても「夏の夜の夢」はいわゆる『傑作』ではないと思うのですが、それでも3時間以上の長丁場を楽しく過ごすことが出来ました。是非、また他のシェイクスピア劇も堪能してみたいです。
シェイクスピア「夏の夜の夢」
翻訳 松岡和子
演出 ジョン・ケアード
演奏 オーベロン・バンド/ティターニア・バンド
キャスト
シーシアス/オーベロン 村井国夫
ヒポリタ/ティータニア 麻実れい
イジーアス/フィロストレイト 大島宇三郎
ハーミア 宮菜穂子
ヘレナ 小山萌子
ライサンダー 細見大輔
ディミートリアス 石母田史朗
クウィンス 青山達三
ボトム 吉村直
スナッグ 小嶋尚樹
フルート 水野栄治
スナウト 大滝寛
スターヴリング 酒向芳
パック、またはロビン・グッドフェロー チョウソンハ
豆の花 神田沙也加
蜘蛛の糸 坂上真倫
蛾の精 JuNGLE
カラシの種 松田尚子
2007/6/3 13:00 新国立劇場中劇場
新国立劇場で「夏の夜の夢」を観てきました。松岡訳による日本語上演です。
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのディレクターでもあるという、ジョン・ケアードの演出が一番の見所だったかと思います。ともかくどんちゃん騒ぎの連続です。例の恋人同士が錯綜する夜の場面では、まるで夢遊病者のようなパジャマ姿の4人が彷徨いながら罵り合い、また激しく愛を語らっています。パックはやはりシェイクスピア一流の道化なのでしょうか。キャスト一の運動量もなんのその、舞台を所狭しと駆け巡り、この騒ぎをひた向きに盛り上げています。そして妖精の出で立ちは現代風です。皆、王お抱えの間抜けな劇団員ともいった風情で歌いに踊り、一夜の夢を楽しく飾り立てていました。またピラマスとシスビーの物語も、当然ながら終始コミカルに描かれます。こちらはあまり舞台を動かさずに、まさに学芸会風情の素人のノリでじっくりと劇を楽しませてくれました。劇作では僅かな部分を、これほど長時間にわたって演じるのには驚かされましたが、夜の物語だけを本筋とし過ぎない、つまりは劇の「昼-夜-昼」の三部構成を印象付けるのに適していたと思います。劇中劇は、あくまでも「惚れ薬」による夜の部分なのです。
キャストではパックのチョウソンハが非常に優れていました。彼の熱演がなければ、おそらくこの公演の魅力も半減してしまったのではないでしょうか。大円団を迎え、舞台を昼から現実、つまり新国立劇場へ転換しての口上(「パックが舞台でお礼をいたします。」)は特に印象的です。それまでの飛んで跳ねるパックではなく、まさに一役者として述べたあの行は、この劇の主役がもう彼にあることを示します。切々とした気持ちで述べられるセリフは心に染み入りました。
メインの二人はさすがに貫禄十分です。落ち着きのある公爵とお茶目な妖精王の両面を器用に演じ分けた村井はもちろんのこと、途中、ロバに惹かれて妄想を爆発させる女王を艶やかに演じた麻実もやはり魅力的でした。ただ、これは演出の都合以前に日本語上演の問題かもしれませんが、全体的に先を急ぐ、つまりは些か早口過ぎるような嫌いがあった印象も受けました。もちろんこのドタバタ劇に見る疾走感も重要ですが、例えばシーシアスが詩人について語る場面は、もっと腰を据えた、それこそ一語一句を噛み砕くようなセリフまわしが欲しかったと思います。シェイクスピアならではの含蓄のある美辞麗句はやはり劇の核心です。ここは飛ばせません。
ハーミアの宮、ヘレナの小山、ライサンダーの細見、それにディミートリアスの石母田も好演です。どちらかというと女性陣によるノリに乗ったドタバタぶりに比べ、男性陣はややそれにおされるかのようにして控えめでしたが、薬があろうがなかろうが愚直に愛を信じるライサンダーの誠実な役作りは特に印象に残りました。もちろん、その身長の差までが原作に指定されるハーミアとヘレナも役にハマっています。中でもヘレナの小山は哀れなほど必至でした。これは同情を誘います。
手堅く劇をまとめたピラマスとシスビー組の出演者に比べ、妖精たちはやや分が悪かったようです。歌に踊りももう一歩という印象が拭えませんでした。またバンドによる勢いのある生演奏や、特に夜における詩的な雰囲気を演出していた照明などは優れていたと思います。同劇場御自慢(?)の回転舞台も巧みに用いられていました。ちなみに結婚のシーンの音楽はやはりメンデルスゾーンです。ここはお決まりなのでしょうか。
「シェイクスピア全集(4)夏の夜の夢・間違いの喜劇/松岡和子/筑摩書房」
四大悲劇は別格として、一連の喜劇から見ても「夏の夜の夢」はいわゆる『傑作』ではないと思うのですが、それでも3時間以上の長丁場を楽しく過ごすことが出来ました。是非、また他のシェイクスピア劇も堪能してみたいです。
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「大回顧展モネ」 国立新美術館
国立新美術館(港区六本木7-22-2)
「大回顧展モネ」
4/7-7/2
もう見に行ってから一ヶ月も経ってしまいました。国立新美術館で開催中の「大回顧展モネ」です。国内外より集められた約100点弱のモネの絵画に、約25点の現代アート作品が交わります。当然ながら見応えは十分です。
展示の構成はモネを時系列に紹介するのではなく、「印象」や「構図」などのテーマを設定し、関連すると思われる現代アート作品を並べながら、その全貌に迫るものとなっていました。実際のところ、モネとポロックを並列して見ることに価値を見出すのは難しいのですが、もっと単純な印象を申し上げればこの趣向は決して悪くないと思います。つまり、怒濤のように続くモネの色彩や構図にのまれて圧倒されてしまった私を、一連の現代アートがリフレッシュさせてくれたというわけです。しかも紹介されるそれらは、ポロック、李、ロスコ、ライマン、リヒター、フランシス、それにリキテンスタインと、どれも私の好きな作品ばかりでした。また現代アートは、一応、モネ作品とは別室にて紹介されています。その適度な『境界』も良かったのではないでしょうか。
率直なところ、私はまだそれほどモネに惹かれていませんが、どの作品を見ても非常に感心するのは否定出来ない事実です。一推しの作品は「かささぎ」(1868-69)でしょうか。この眩しいほどに輝く雪景色には言葉を失いました。手前の生け垣を挟んでこちら側へのびる影と奥の広大な雪原の対比、またはうっすらとピンク色を帯びた立木と、ただ白いだけではない雪の描写、さらには階段の上で一羽佇む鳥の様子などが絶品です。一般的にモネの色は私には難し過ぎるのですが、この作品からは素直な美感を見ることが出来たと思います。
「サン=ラザール駅」(1877)も印象的です。大きな屋根が駅構内を守るかのように立ち、そこへ灰色の煙をプカプカと浮かせた汽車が入場してきています。またその右手奥にも、もう一台の汽車が今度は白い蒸気を吹かせていました。駅の周囲に群がる人々の賑わいや、汽車の音までが伝わってくるような作品です。比較的細やかなタッチも冴えていました。
紫のアイリスの群生する様子を捉えた「ジヴェルニーのモネの庭、アイリス」(1900)は、上でも少し触れた『色に難しさ』を感じる作品です。あまり見慣れない紫を多様し、その生い茂る木立の様子を何やら熱気とともに力強く伝えています。ちなみにアイリスをモチーフにした作品では、上野の西洋美術館の所蔵する「黄色いアイリス」(1914-17)が心にとまりました。蒸気のようにたちのぼる緑に、まるで鳥の舞うように咲く黄色の花が輝いています。
ブリヂストンの常設でお馴染みの「黄昏、ヴェネツィア」(1769)も展示されていました。この朱に染まる空には、その美感よりも、何かこの世の終わりを見ているような恐怖感さえ覚えます。結局、一番絵の前で立ち止まっている時間が長かったのはこれだったかもしれません。何度見ても強烈なインパクトのある作品です。
ウォータールーやルーアン、それにお馴染みの積みわらや蓮の連作も紹介されています。日時を変え、殆ど執拗なまでに同じ構図を追求しつづけたモネに、まさに時代を超えたような芸術家精神も感じました。その革新的な表現は決して損なわれることはありません。
入場には20分待ちの掲示が出ていましたが、実際には10分程度で入ることが出来ました。また、館内も比較的スムーズに流れています。特に現代アートのコーナーと、最後の蓮の連作はゆっくり味わえました。
来月2日までの開催です。(5/20)
「大回顧展モネ」
4/7-7/2
もう見に行ってから一ヶ月も経ってしまいました。国立新美術館で開催中の「大回顧展モネ」です。国内外より集められた約100点弱のモネの絵画に、約25点の現代アート作品が交わります。当然ながら見応えは十分です。
展示の構成はモネを時系列に紹介するのではなく、「印象」や「構図」などのテーマを設定し、関連すると思われる現代アート作品を並べながら、その全貌に迫るものとなっていました。実際のところ、モネとポロックを並列して見ることに価値を見出すのは難しいのですが、もっと単純な印象を申し上げればこの趣向は決して悪くないと思います。つまり、怒濤のように続くモネの色彩や構図にのまれて圧倒されてしまった私を、一連の現代アートがリフレッシュさせてくれたというわけです。しかも紹介されるそれらは、ポロック、李、ロスコ、ライマン、リヒター、フランシス、それにリキテンスタインと、どれも私の好きな作品ばかりでした。また現代アートは、一応、モネ作品とは別室にて紹介されています。その適度な『境界』も良かったのではないでしょうか。
率直なところ、私はまだそれほどモネに惹かれていませんが、どの作品を見ても非常に感心するのは否定出来ない事実です。一推しの作品は「かささぎ」(1868-69)でしょうか。この眩しいほどに輝く雪景色には言葉を失いました。手前の生け垣を挟んでこちら側へのびる影と奥の広大な雪原の対比、またはうっすらとピンク色を帯びた立木と、ただ白いだけではない雪の描写、さらには階段の上で一羽佇む鳥の様子などが絶品です。一般的にモネの色は私には難し過ぎるのですが、この作品からは素直な美感を見ることが出来たと思います。
「サン=ラザール駅」(1877)も印象的です。大きな屋根が駅構内を守るかのように立ち、そこへ灰色の煙をプカプカと浮かせた汽車が入場してきています。またその右手奥にも、もう一台の汽車が今度は白い蒸気を吹かせていました。駅の周囲に群がる人々の賑わいや、汽車の音までが伝わってくるような作品です。比較的細やかなタッチも冴えていました。
紫のアイリスの群生する様子を捉えた「ジヴェルニーのモネの庭、アイリス」(1900)は、上でも少し触れた『色に難しさ』を感じる作品です。あまり見慣れない紫を多様し、その生い茂る木立の様子を何やら熱気とともに力強く伝えています。ちなみにアイリスをモチーフにした作品では、上野の西洋美術館の所蔵する「黄色いアイリス」(1914-17)が心にとまりました。蒸気のようにたちのぼる緑に、まるで鳥の舞うように咲く黄色の花が輝いています。
ブリヂストンの常設でお馴染みの「黄昏、ヴェネツィア」(1769)も展示されていました。この朱に染まる空には、その美感よりも、何かこの世の終わりを見ているような恐怖感さえ覚えます。結局、一番絵の前で立ち止まっている時間が長かったのはこれだったかもしれません。何度見ても強烈なインパクトのある作品です。
ウォータールーやルーアン、それにお馴染みの積みわらや蓮の連作も紹介されています。日時を変え、殆ど執拗なまでに同じ構図を追求しつづけたモネに、まさに時代を超えたような芸術家精神も感じました。その革新的な表現は決して損なわれることはありません。
入場には20分待ちの掲示が出ていましたが、実際には10分程度で入ることが出来ました。また、館内も比較的スムーズに流れています。特に現代アートのコーナーと、最後の蓮の連作はゆっくり味わえました。
来月2日までの開催です。(5/20)
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