都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「怖い絵展」 上野の森美術館
「怖い絵展」
10/7~12/17
上野の森美術館で開催中の「怖い絵展」を見てきました。
ドイツ文学者の中野京子氏が、2007年に発表した「怖い絵」は、大変な人気を集め、「泣く女編」や「死と乙女編」などとシリーズ化し、ベストセラーを記録しました。
その「怖い絵」が、10年越しに展覧会として実現しました。出展は、版画と絵画を合わせて80点です。国内の美術館だけでなく、プチ・バレ美術館、マンチェスター美術館、ナント美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリーなどの海外からも作品がやって来ています。しかも、著作中の作品に留まらず、展覧会に向けて、新たに選ばれた作品も加わりました。
単に視覚的な面ではなく、一見するところ怖くなく、むしろ背景を知ることで、初めて「怖さ」が浮かび上がるのも、「怖い絵展」の大きな特徴と言えるかもしれません。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」 1891年 オールダム美術館
一例が、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」です。薄い水色の衣を纏った妖艶な女性が、高らかに杯を差し出しては、やや高揚した面持ちで玉座に座っています。その背後には鏡があり、よく見ると右側に、何やら逡巡するような様子をした男の姿が映っていました。そして足元には、何故か豚がうずくまっています。確かに絵自体は怖くありません。一体、どのようなドラマが描かれているのでしょうか。
この女性こそキルケーで、近づく男たちを歓待すると見せかけ、魔術で動物に変えてしまう魔女でした。そして鏡に映っているのがオデュッセウスで、豚は彼の部下でした。つまりオデュッセウスの部下は、キルケーに誘惑されて、魔術により豚に変えられたわけでした。この後、キルケーとオデュッセウスは恋に陥るそうですが、物語の内容を知れば、確かに恐怖感を覚えなくはありません。
チャールズ・シムズ「そして妖精たちは服を持って逃げた」 1918-19年頃 リーズ美術館
チャールズ・シムズの「そして妖精たちは服を持って逃げた」も同様です。戸外の草むらの上で、母と娘らしき母子が、日向ぼっこをしています。一見するところ、光に満ちていて、何ら変哲のない日常の光景にも映りますが、母の右手の先に注目です。そこには妖精が現れ、衣服を盗もうとしています。日常どころか、異界が闖入しています。古くから妖精の伝承が語られたイギリスでは、19世紀前半頃から、妖精を題材にした絵画が多く描かれました。
ちなみに妖精画を多く手掛けたシムズは、順風な画家生活を送っていたものの、第一次世界大戦で長男を失い、自身も戦地で悲惨な状況を目の当たりにして、次第に精神を病み、53歳で入水自殺をしてしまいました。そうした画家の背景についても言及がありました。
ギュスターヴ=アドルフ=モッサ「飽食のセイレーン」 1905年 ニース美術館
「怖さ」を通り越し、むしろ奇異とも受け取れるほどに、インパクトが強かったのが、フランス象徴主義の画家、ギュスターヴ=アドルフ=モッサでした。「飽食のセイレーン」はどうでしょうか。前景で鳥の姿をしたのがセイレーンですが、もはや感情を失ったような表情や、濃い化粧に、人工的な髪形などは、どこか現代人のようで、極めて異様な存在感を示しています。翼は貴婦人の着る豪華なマントのようでもあり、脚やかぎ爪も模様も、まるでネイルを連想させるように装飾的でした。しかし、爪や口元、さらに羽には血がついていて、彼女が確かにセイレーンであり、溺死者を喰らったことを表現しています。モデルでも存在したのでしょうか。その大きな瞳に釘付けになりました。
モッサのもう1枚、「彼女」は、もはや猟奇的と言えるかもしれません。主人公は裸の女性で、豊満な乳房をさらしながら、両手を前にして座っています。先のセイレーンと同様に表情はないもののの、虚ろな瞳で、前を見据えていました。頭にはドクロがあり、2羽のカラスがいました。驚くべきは彼女の足元で、無数の男の死体が、山のように積まれています。思わず、会田誠の「ジューサーミキサー」を連想しました。男を食らう女、つまりマンイーターを表しているそうですが、しばらく脳裏から離れませんでした。
より分かりやすい形で「怖さ」を感じるのは、リアリティー、つまり現実の光景を描いた作品かもしれません。
ポール・セザンヌ「殺人」 1867年頃 リバプール国立美術館
例えばセザンヌの「殺人」です。まさしく殺人の一場面を描いた作品で、真っ暗闇の中、男女2人が、長い髪の女性を押さえつけ、ナイフで刺し殺そうとしています。極めて暗鬱な画面で、のちの印象主義を経た、透明感のあるセザンヌの画風とはまるで似つきません。実際、セザンヌは、最初の10年間、こうした暴力的な作品を多く描いていたものの、後年になって自ら廃棄してしまいました。あまり見慣れない、珍しい作品ではないでしょうか。
ウォルター・リチャード・シッカート「切り裂きジャックの寝室」 1906-07年 マンチェスター美術館
ウォルター・リチャード・シッカートの「切り裂きジャックの寝室」も、異様な恐怖感を放っていました。有名なロンドンの猟奇連続殺人鬼を題材にした作品で、ジャックが一時、住んでいたとされる一室を描いています。実のところ作中には人物がおらず、ただ戸口から窓が見えるに過ぎませんが、人影のようなシルエットなど、どことなくジャックの存在の気配が感じられるのではないでしょうか。ちなみに、切り裂きジャック事件にのめり込んでいたシッカートは、この部屋を実際に借りて、制作したそうです。しかも彼は、ジャックの仕業と知られている以外の殺人事件に、関与したのではないかという指摘さえあります。とすれば、画家自体も殺人犯の可能性があるわけです。真相は如何なるものなのでしょうか。
フレデリック=アンリ・ショパン「ポンペイ最後の日」 1834-1850年 プチ・パレ美術館
災害もまた恐怖を喚起させます。紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火を主題にしたのが、フレデリック=アンリ・ショパンの「ポンペイ最後の日」でした。灼熱の炎が空を焦がし、その下で、有毒ガスを避けながら、逃げ惑う老若男女の姿が見えます。神殿は既に大破し、大変な混乱状態だからか、馬車に乗ろうとする人物を殴る男もいました。ロマン主義の時代以降、古代の歴史や神話から災害の情景を求めた画家は、こうしたボンベイの滅亡を多く描きました。かの悲劇がドラマティックに表現されていました。
ラストがハイライトです。チラシ表紙にも掲げられた、縦2.5m、横3mの大作、ポール・ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」が、ロンドン・ナショナル・ギャラリーからやって来ました。
ポール・ドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」 1833年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
中央で目隠しをされ、純白のドレスを着ては、左手で台を探っているのが、ジェーン・グレイです。いうまでもなく、ヘンリー7世の曾孫で、イングランドの女王の地位につくも、僅か9日間で、対立するメアリ派に囚われ、半年後にロンドン塔で処刑されてしまいます。時に1554年、ジェーン・グレイはまだ16歳でした。
彼女に手を差し伸べるのが司祭で、後ろでは、侍女が悲しみのあまり錯乱し、1人は壁に手をつけて嘆き、もう1人は既に気を失っています。一方、グレイの様子を冷めた目で見やるのが、左手で巨大な斧を握る処刑人でした。まるで表情は伺えず、ほぼ静止しています。さらにグレイの足元には、黒い布と、藁が敷かれていました。このすぐ後、グレイは台に頭を載せられ、処刑されてしまうのでしょう。その血は、白いドレスはおろか、藁や黒い布にも吹き飛ぶに違いありません。実際の処刑は、絵画のように屋内ではなく、戸外で行われたそうですが、緻密な描写にもよるのか、実に臨場感があり、確かに「美しく戦慄的」(解説より)な作品でした。よろめきながら、台を探すグレイの姿を目にすると、恐ろしさと同時に、どことない悲しみも感じるかもしれません。
なおこの作品は、ドラローシュによる発表時、大変な反響を呼ぶも、ロシア人の富豪が購入したため、一度は記憶から遠ざけられてしまいます。その後、1870年に、イギリス人に売却され、1902年にナショナル・ギャラリーへと収蔵、テートで保管されました。しかし、1928年のテムズの洪水により、作品が失われたと考えられてきました。
今から約45年前の1973年、転機が訪れます。当時、行方不明の作品を捜索していた学芸員が、保管庫に放置された作品の中から、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」を発見しました。驚くことにほぼ無傷だったそうです。以来、ナショナル・ギャラリーに返還され、迫真の描写から、来場者の人気を集めてきました。日本では初めての公開でもあります。
最後に行列の情報です。会期も中盤に差し掛かり、かなりの混雑となっています。
私が出かけたのは、会期早々、2日目の日曜日の午後でした。15時半頃に美術館の前に到着すると、入口から上野公園へ伸びる列が出来ていました。入館までの待ち時間の案内は70分でした。
そのまま列に加わると、おおよそ50分ほどで入口まで辿り着き、中に入ることが出来ました。しかし館内も大変な人出で、いずれの作品の前も、黒山の人だかりでした。特に版画の前の列は遅々として進まず、一部では圧迫感を覚えるほどでした。もはやゆっくり見ることは困難です。キャパシティーを超えていたのは否めませんでした。
東京展の開館時間について、好評につき、10月14日より土曜日9:00~20:00、日曜日9:00~18:00に開館時間を延長いたします。(入場は閉館の30分前まで) #怖い絵 https://t.co/Za4TssxqHp
— 「怖い絵」展 (@kowaie_ten) 2017年10月11日
主催者側も一定の対応を始めました。当初、夜間開館の設定がありませんでしたが、10月14日より、土曜のみ、20時までの夜間延長開館が始まりました。また土曜、日曜の開館時間が、1時間早まり(9時開館)、日曜の閉館時間も1時間延長(18時閉館)されました。
「怖い絵/中野京子/角川文庫」
それでも混んでいます。現に、10月30日(月)は、平日にも関わらず、11時の段階で、120分にも及ぶ待ち時間が発生しました。先行した兵庫県立美術館でも話題となった展覧会だけに、今後、より一層、混雑に拍車がかかると思われます。また行列は、ほぼ屋外に続きます。これからは寒さ対策も必要になるかもしれません。ともかく時間と体力に余裕を持ってお出かけ下さい。
今回はグッズも充実していました。中野氏の解説のついた「読めるポストカード」など、定番の商品にも一工夫ありました。混雑必至ではありますが、ショップもお見逃しなきようにおすすめします。
会期中は無休です。12月17日まで開催されています。
追記:11月16日(木)より、毎日20時までの夜間延長開館が決まりました。朝も9時から開館し、同日以降、開館時間は9:00〜20:00となります。
【開館時間延長のお知らせ】「怖い絵」展は好評につき、11月14日(火)、15日(水)9:00〜18:00、16日(木)より毎日9:00〜20:00(入場は閉館の30分前まで)にさらに延長開館します。 #怖い絵
— 「怖い絵」展 (@kowaie_ten) 2017年11月10日
「怖い絵展」(@kowaie_ten) 上野の森美術館
会期:10月7日 (土) ~ 12月17日 (日)
休館:会期中無休。
時間:10:00~17:00
*11月16日(木)より毎日9:00〜20:00
*入場は閉館30分前まで。
料金:一般・大学・高校生1200円、中学生以下無料。
住所:台東区上野公園1-2
交通:JR線上野駅公園口より徒歩3分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅徒歩5分。京成線京成上野駅徒歩5分。
「運慶の後継者たちー康円と善派を中心に」 東京国立博物館
「運慶の後継者たちー康円と善派を中心に」
8/29~12/3
東京国立博物館で開催中の「運慶の後継者たちー康円と善派を中心に」を見てきました。
「特別展 運慶」にあわせ、運慶の後継者の仏師を紹介する展示が、本館の総合文化展(常設展)の14室で行われています。
まず目立つのは、「文殊菩薩騎獅像および侍者立像」でした。興福寺に伝来し、運慶の4男である康勝の息子、康円が造った仏像です。つまり運慶の次の次の世代に当たります。現在は東博の所蔵で、通常は5体揃って公開されますが、個々に分けて展示されています。文殊と従者はおろか、文殊の光背も、獅子も、それぞれ別に置かれていました。
一部の作品の撮影も出来ました。
重要文化財「文殊菩薩騎獅像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像)」 康円作 鎌倉時代・文永10(1273)年
右手で剣を持ち、威厳に満ちた様子で前を見据えるのが、「文殊菩薩坐像」でした。4人の従者を従えて海を渡る、「渡海文殊」を構成した仏像で、銘文から制作年も判明(1273年)し、興福寺勧学院の本尊として安置されてきました。一部の肌に金色が残っていますが、これは金箔ではく、金泥を使用しているそうです。目尻から眉にかけての険しい表情が、特に印象に残りました。
重要文化財「獅子像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像)」 康円作 鎌倉時代・文永10(1273)年
まるで吼えたてるように口を開いているのが、「文殊菩薩坐像」の乗る「獅子像」でした。一見、目を見開き、さも威嚇するような姿にも思えますが、よく見ると、どこかコミカルで、親しみやすい表情をしています。この「獅子像」にも、朱色の色彩が残っていました。太い脚の指の反面、足首がやや細く感じられたのも、一つの特徴かもしれません。
左:重要文化財「大聖老人立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち)」 康円作 鎌倉時代・文永10(1273)年
右:重要文化財「于闐王立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち)」 康円作 鎌倉時代・文永10年(1273)年
4人の従者はいずれも表情が豊かです。特に獅子の手綱を引く「于闐王立像」は、実に勇ましく、両足を踏ん張り、左手を強く前に突き出す姿には動きも感じられました。
左:重要文化財「善財童子立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち)」 康円作 鎌倉時代・文永10(1273)年
右:重要文化財「仏陀波利三蔵立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち)」 康円作 鎌倉時代・文永10(1273)年
一方で、静的でかつ、厳格な表情をしているのが、「仏陀波利三蔵立像」でした。ともかく痩せていて、胸の骨ばった造形も特徴的ですが、眉間に皺を寄せ、口を引き、何やら強い念が込められているようにも見えます。ちなみに「于闐王立像」は西域のホータン国の王を指し、「仏陀波利三蔵立像」は、旅するインド人の僧として表現されるそうです。また従者に関しては、康円の指導の元、願主自らが彫ったとする意見もあります。「文殊菩薩坐像」と見比べるのも面白いかもしれません。
重要文化財「東方天眷属立像(四天王眷属のうち)」 康円作 鎌倉時代・文永4(1267)年
重要文化財「南方天眷属立像(四天王眷属のうち)」 康円作 鎌倉時代・文永4(1267)年
同じく康円の「東方天眷属立像」と「南方天眷属立像」にも注目です。四天王の従者で、かなりの小像ながらも、表情は豊かで、どこか人間味が感じられます。面白いのが「南方天」の足元です。というのも、ブーツの片方が破れ、足の指が飛び出しています。類例がないとのことでしたが、康円は何故にこのような表現をとったのでしょうか。
善円の「地蔵菩薩立像」も見どころの一つでした。横に切れた、涼しげな目元が特徴的です。衣文は流麗で、力強い康円の仏像に対し、どこか洗練された様式も見ることが出来ます。康円より少し上の世代の善円は、興福寺に所属し、慶派をやや離れながらも、奈良を中心に活動していました。息子も仏師であったことから、彼らを「善派」と呼ぶそうです。
「地蔵菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀
作者不明ながらも、同じく「地蔵菩薩立像」も、善円系統の作品とのことでした。その片鱗が伺えるかもしれません。
「文殊菩薩立像」 鎌倉時代・13世紀
東博の醍醐味は常設にあります。もちろん運慶展のチケットでも観覧出来ます。こちらもお見逃しなきようご注意ください。
12月3日まで開催されています。
「運慶の後継者たちー康円と善派を中心に」 東京国立博物館・本館(@TNM_PR)
会期:8月29日(火)~12月3日(日)
時間:9:30~17:00。
*毎週金・土曜、および11月2日(木)は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。但し10月9日(月・祝)は開館。
料金:一般620(520)円、大学生410(310)円、高校生以下無料。
*( )は20名以上の団体料金。
*運慶展の当日チケットでも観覧可。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。
「運慶」 東京国立博物館
「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」
9/26~11/26
東京国立博物館で開催中の「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」へ行ってきました。
平安から鎌倉時代にかけて活動した仏師、運慶。数多くの仏像を造ったと考えられているものの、現在、確認されている作品は、僅か31体に過ぎません。
うち22体が東京国立博物館へとやって来ました。もちろん過去最大スケールです。史上最大の運慶展とするのにも偽りはありませんでした。
国宝「大日如来坐像」 運慶作 平安時代・安元2年(1176) 奈良・円成寺
冒頭、恭しくも鎮座するのが、運慶デビュー作ともされる「大日如来坐像」でした。まだ20代の運慶が、父の康慶の指導の元、約1年弱かけて造った作品で、瑞々しくも、弾力のある身体や、端正な肉体表現などに、運慶の才能を伺えるのではないでしょうか。手で示す印にも、とても自然で、過度な力みがありません。台座の部材裏側には、運慶の署名と、花押が記されているそうです。奈良の円成寺に安置されています。
この運慶の父、康慶ら、運慶に先行する仏師の作品も網羅しています。そもそも康慶は、奈良仏師の康助の弟子とされ、興福寺の周辺を拠点に活動していました。奈良仏師の仏像の特徴としては、「深浅のはっきりした彫り口」(解説より)にあり、当時の京都で支持されていた大仏師、定朝の造形とは異なっていました。いわゆる進取の気風があったようです。
その康慶の作として有名なのが、興福寺に伝わる「四天王立像」です。康慶は、兵火で失われた興福寺南円堂の再興に携わり、「四天王立像」のほか、「法相六祖坐像」などを造り上げました。いずれも高さ2メートルにも及ぶ、堂々とした立像で、実に量感のある作品でした。運慶が関与したのかは明らかではありませんが、大きな影響を与えたと考えられています。
国宝「毘沙門天立像」 運慶作 鎌倉時代・文治2年(1186) 静岡・願成就院
運慶が独創性を最初に発揮したとされるのが、静岡の願成就院に伝わる5体の仏像でした。鎌倉幕府の初代執権、北条時政の発願による作品で、うち1体の「毘沙門天立像」が、会場にやって来ています。左に大きく腰をひねっているからか、今にも歩き出さんとするような動きが特徴的でした。顔立ちは実在の武将のようで、右手は肩の辺りにまで上がり、まっすぐに伸びた戟を構えていました。こうした作風は、鎌倉幕府の御家人に喜ばれ、運慶らの慶派の仏師は、東国でも活躍するようになりました。
国宝「八大童子立像のうち制多伽童子」 運慶作 鎌倉時代・健久8年(1197)頃 和歌山・金剛峯寺
和歌山の金剛峯寺に伝わる「八大童子立像」も、運慶屈指の仏像として知られています。うち6体が運慶作、残りの2体が、のちに補われた作品と考えられています。それこそ童子は、魂を吹き込まれたかのように生き生きとしていて、表情はおろか、手足の動きも極めて自然で、まるで淀みがありません。また、繊細で華麗な彩色が残っているのに驚きました。いわゆる露出ではなく、ガラスケース内の展示でしたが、ここは最前列に構え、まだ残る色彩美に見惚れました。
#運慶展 圧巻!との声が特に多いのが、興福寺の北円堂内を仮説をもとに再現した展示エリア。運慶晩年の傑作である無著・世親菩薩立像を中心に、興福寺南円堂に安置される四天王立像が四方を囲みます。この四天王立像ですが、近年、本来は北円堂に安置されていたとする説が注目を集めているのです。 pic.twitter.com/Rd1G3UMYBT
— 龍燈鬼@運慶展【公式】 (@unkei2017) 2017年9月29日
展覧会のハイライトと言うべきなのが、運慶の「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」、及び「四天王立像」の同時展示でした。いずれも興福寺の仏像で、現在、前者の2体は北円堂に、後者は南円堂に安置されています。しかし、かつて「四天王立像」は北円堂にあったとする考えから、その空間を再現すべく、「無著菩薩立像」、「世親菩薩立像」と並べて展示されました。空間中央の左右に「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」があり、両像を守るかのように「四天王立像」が取り囲んでいます。「四天王立像」の作者は断定されていませんが、近年は運慶作とする見方が強いそうです。果たして真相はどうなのでしょうか。
国宝「無著菩薩立像」 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺
「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」を見て感じたのは、強い迫真性でした。無著、世親とも、5世紀の北インドに実在した学僧で、法相教学を体系化したことで知られています。また兄弟の関係にあることから、無著は老年、そして世親は壮年として造られています。
国宝「世親菩薩立像」 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺
「無著菩薩立像」が静としたら、「世親菩薩立像」は動と呼べるかもしれません。口を引き締め、やや険しい表情で斜め前を見据える無著の姿は、泰然としていて、いささか緊張感をたたえながらも、まさに何にも動じないような平静な精神が滲み出しているように見えます。一方の「世親菩薩立像」は、言葉が相応しくないかもしれませんが、より人懐っこく、人間味があり、今にも誰かに語りかけるかのような表情をしていました。
国宝「四天王立像のうち多聞天」 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺(南円堂安置)
一方で「四天王立像」は、野性味があり、動きは激しく、またダイナミックでした。「多聞天像」は、雄叫びを挙げるかのように天を見据え、「増長天像」は、腰に手を当てながら、まさしく威嚇するように戟を立てています。なんたる躍動感なのでしょうか。剣を斜めに構えた「持国天像」の前に立った時、その迫力に恐れ慄き、思わず後ずさりしてしまうほどでした。
実にドラマテックな展示です。やや強めの照明のため、時折、照明自体が目に入るのが気になりましたが、お寺では叶わない、まさに博物館ならではの展示だと感心しました。
さて後半は運慶風の展開です。運慶には6人の息子がいて、いずれも仏師として活動しました。そのうち、単独で仏像を造ったのが、湛慶と康弁、そして康勝でした。うち湛慶は、運慶の後継者として、複数の作品を残しています。ただし湛慶は、運慶と異なり、東国との関わりがなく、快慶とも仕事をした経験からか、より快慶の作風に近づいていったそうです。
その湛慶作として推測される、「神鹿」と「子犬」に惹かれました。文字どおり、鹿と子犬の木像です。両作とも極めて写実的で、春日明神の使いとして知られる鹿も、ほぼ自然な様態を表現しています。それこそ奈良公園にいる鹿を、そのまま写し取ったかのようでした。
愛くるしい子犬も同様です。飼い主に甘えているのか、耳を伏せ、前足を揃え、つぶらな瞳で上を見上げています。これほどありのままに子犬を象った作品は珍しいそうです。ともに京都の高山寺を再興した、明恵上人に因む作品だと言われています。
重要文化財「聖観音菩薩立像」 運慶・湛慶作 鎌倉時代・正治3年(1201)頃 愛知・瀧山寺
運慶と湛慶の共作である、愛知・瀧山寺の「聖観音菩薩立像」も目を引くのではないでしょうか。頼朝の供養のため、従兄弟の僧、寛伝が造ったとされ、同寺の縁起には、像内に頼朝の髪と歯を納めたと記されています。もちろん開けて見ることは出来ませんが、X線写真による調査により、頭部に納入品があることが判明しました。その写真がパネルで紹介されていました。なお色はのちの補彩だそうです。
重要文化財「十二神将立像のうち戌神」 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館
ラストは、京都・浄瑠璃寺に伝来する「十二神将立像」、全12体の揃い踏みでした。現在、うち7体は静嘉堂文庫美術館、そして5体が東京国立博物館に収蔵されていますが、何と42年ぶりに、12体の全てが展示されました。暦や方位と関係する12人の神像で、いずれも高さは60センチほどあり、同じ規格の角材から彫り出されています。制作当時、おそらく運慶が亡くなっていたことから、慶派周辺の仏師の作品だと考えられているそうです。いずれも身振り手振りにも動きがあり、どれ一つとして同じ表情がありません。また装飾や彩色がかなり残っているのも、印象に残りました。
最後に混雑の情報です。感想が遅くなりましたが、会期早々、土曜日の夜間開館を利用し、観覧してきました。
博物館に着いたのは19時頃でした。特に入場待ちの列もなく、館内へ入場し、一部の展示室こそ、やや混雑していたものの、どの仏像も並ぶことなく、がぶりつきで鑑賞することが出来ました。特に20時を過ぎると人が引き、ラストの30分はかなり空いていました。
既に会期は1ヶ月を経過しました。日に日に混雑が増し、現在は平日でも待機列が発生しています。おおむね朝一番に行列が出来、その後、午前中を中心に列が続きます。そして、午後から夕方にかけて段階的に解消していきます。総じて午前中に混雑が集中する傾向があるようです。
【10月27日(金)】10:50現在 ご入場の待ち時間は約70分です。チケット売り場の待ち時間はありません。本日の最終入館は20:30、閉館時間は21:00です。
— 運慶展〈混雑情報〉 (@unkei2017komi) 2017年10月27日
これまでに一番待ち時間が長かったのは、10月8日(日)の10時過ぎの段階で、80分待ちでした。また平日でも、10月27日(火)の11時前に、約70分待ちの列が起こりました。ただし今も、最も余裕のある時間帯は夜間(金曜・土曜は21時まで)と変わりません。現に夜間開館時に行列は起きていません。
今後、会期末に向け、混雑に拍車がかかることも予想されます。運慶展の混雑専用ツイッターアカウント(@unkei2017komi)がリアルタイムで混雑情報を発信しています。そちらも参考になりそうです。
【運慶】いよいよ、特別展「運慶」が開幕しました。ゆかりの深い興福寺をはじめ各地から名品が集められた史上最大の運慶展に、ぜひお越しください。会期は11月26日(日)まで。 #運慶 #UNKEI https://t.co/zlYz00HDf4 pic.twitter.com/JeQiGm0HVW
— トーハク広報室 (@TNM_PR) 2017年9月26日
このスケールの運慶展は当面望めそうもありません。11月26日まで開催されています。おすすめします。
「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」(@unkei2017) 東京国立博物館・平成館(@TNM_PR)
会期:9月26日(火) ~11月26日(日)
時間:9:30~17:00。
*毎週金・土曜、および11月2日(木)は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。但し10月9日(月・祝)は開館。
料金:一般1600(1300)円、大学生1200(900)円、高校生900(600)円。中学生以下無料
*( )は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。
「単色のリズム 韓国の抽象」 東京オペラシティアートギャラリー
「単色のリズム 韓国の抽象」
10/14~12/24
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「単色のリズム 韓国の抽象」を見てきました。
1970年代の韓国に生まれた「単色画」は、「ミニマル的な美しさ」(解説より)を特徴とし、同国のみならず、日本でも紹介されてきました。近年では、ヴェネチアでも大規模な展覧会が開催されたそうです。
単色とは、一色だけで混じりけがないことを意味します。一体、どのような絵画が展示されているのでしょうか。
朴栖甫「描法 No.27-77」 1977年 福岡アジア美術館
例えば朴栖甫(パク・ソボ)の「描法 No.27-77」です。写真では分かりにくいかもしれませんが、一面のキャンバスの上に、細い線がひたすら上下に反復しています。実際は、一度、白い油絵具でキャンバスを塗り込めたのち、乾く前に鉛筆の線を走らせているそうです。つまり、絵具を鉛筆で削ぎ落としています。
朴栖甫「描法 No.871230」(部分) 1987年 広島市現代美術館
1931年に生まれた朴は、大戦後に美術教育を受けたのち、アンフォルメルの影響を受けつつ、韓国の前衛芸術家として活動しました。80年代以降はキャンバスに韓紙や絵具を重ね、指で凹凸をつけたシリーズを制作します。その一つが「描法 No.871230」で、確かに画面上で指跡のような筆触が、絵具を上下左右、時に斜めになぞっていました。単色画の中心的人物としても位置付けられているそうです。
右:権寧禹「無題」 1982年 個人蔵、シアトル
小さな丸い突起物が連なっているのが、権寧禹(クォン・ヨンウ)の「無題」でした。素材は韓紙で、何も描くことなく、小さな穴のみを無数に象っています。さらに同じく別の「無題」では、韓紙に縦の切り込みを入れ、上部を引き裂いていました。ここでも描く行為は一切行っていません。
権寧禹「無題」 1980年
キャリア初期より実験的な作品で知られた権は、元々は抽象度の高い水墨画で知られていたものの、のちに紙に直接対峙する手法で制作を始めました。日本にも発表の場を広げて活動していました。
丁昌燮「楮(Tak) No.87015」 1987年 広島市現代美術館
一面に、薄い黄色、ないし黄土色とも取れる色面が広がります。丁昌燮(チョン・チャンソプ)は、「楮 No.87015」において、韓紙を水につけて溶かし、それをキャンバスの上に定着させて、作品に仕上げました。いわば、偶然性も、作品の一要素なのかもしれません。丁は、自作のノートに、「描かずとも描かれ、作らずとも作られるもの」と記しています。
丁昌燮「楮(Tak) No.87015」(部分) 1987年 広島市現代美術館
目を凝らすと、確かに紙が繊維状に分解し、キャンバス上に接着していることが分かります。一部は盛り上がり、また別の部分は薄く伸ばされ、さらに溶けてなくなっていました。丁は元々、抽象画を手がけていましたが、70年代に入って、こうした韓紙をキャンバスに貼り付ける作品を作るようになりました。
徐承元「同時性 99-828」 1999年 三重県立美術館
まるで画面から淡い光が滲み出しているように見えるのが、徐承元(ソ・スンウォン)の「同時性 99-828」でした。形態は不明瞭で、あくまでも色のみが、何らの輪郭線を伴わず、画面の中で広がっています。当初、理知的な抽象画を描いていた徐は、90年代後半に、こうした色面の重なり合う、「祝典的」(解説より)な絵画を生み出しました。
韓国内のみならず、海外で活動した画家も少なからず存在します。その1人が鄭相和(チョン・サンファ)です。韓国で大学を卒業後、1967年にパリに渡り、2年後には神戸に在住、さらに再びパリへ向かいます。結果的に、90年に韓国へ戻るまで、長きに渡って海外で生活しました。
左:鄭相和「無題 91-3-9」 1991年 東京オペラシティアートギャラリー
右:鄭相和「無題 91-1-12」 1990年 東京オペラシティアートギャラリー
白と黒が対比的なのが、「無題 90-1-12」と「無題 91-3-9」でした。いずれもキャンバスとアクリル絵具の作品で、一見するところ、特に凝った手法には思えません。
右:鄭相和「無題 91-1-12」(拡大) 1990年 東京オペラシティアートギャラリー
近づくと景色が変わりました。というのも、すべてが小さな絵具の升目で埋め尽くされているからです。しかもこれは単に塗り上げただけでなく、複雑で反復的なプロセスによって生み出されているそうです。どことない重厚感も、そうした手法に由来するのかもしれません。
郭仁植「Work 86-KK」 1986年 東京オペラシティアートギャラリー
1937年に来日し、亡くなる1988年まで日本で生活した郭仁植(カク・インシク)も、韓国外で活動した画家でした。たくさんの墨の点が広がるのが、「Work 86-KK」で、上部から下部にかけてまだらとなり、まるで河原の石ころを表しているようにも見えなくはありません。一つ描いては乾かし、また別の点を描いては、乾かしているそうです。それを何度も繰り返しています。先の鄭の作品しかり、反復性も単色画の特徴と言えそうです。
崔恩景(チェ・ウンギョン)も日本で活動を続ける画家です。ソウルで美術教育を受けたのち、東京芸大に留学、その後も日本を拠点にしています。VOCA展にも出展しました。
崔恩景「Beyond the Colours #14」 1992年 東京オペラシティアートギャラリー
90年代より着手した 「Beyond the Colours」シリーズは、色彩が混じり合い、時に空や水などを思わせる空間が広がっています。たらし込みや滲みなどの手法を用いて表現していました。
尹亨根「Umber-Blue 337-75 #203」 1975年 福岡アジア美術館 ほか
尹亨根(ユン・ヒョングン)も、日本でよく紹介されてきた画家の1人でした。「Umber-Blue」は73年に初めて発表された作品で、太いストロークが、ほかの面とせめぎあいながら、麻布に染み込んでいます。しばらく見ていると、ロスコの絵画を思い起こしました。精神性云々も、単色画で語られるキーワードの1つです。
李禹煥「線より #80066」 1980年 広島市現代美術館 ほか
やはり目を引くのが、もの派の中心的人物として知られる李禹煥(リ・ウファン)でした。70年代後半の「線より」や80年代後半の「風と共に」などが中心で、作品の点数こそ多くないものの、李の画風の変遷も追うことが出来ました。
「単色のリズム 韓国の抽象」展示風景
出展作家は全19名。作品は85点に及びます。オペラシティアートギャラリーだけでなく、三重県立美術館や福岡アジア美術館、それに広島市現代美術館のコレクションを交え、韓国の戦後3世代に渡る現代抽象表現を俯瞰していました。
「単色のリズム 韓国の抽象」展 戦後の陰に生まれた独自性:朝日新聞デジタル https://t.co/vEKLTQeEBk 東京オペラシティアートギャラリー。なかなか良かったです。(日曜のみ撮影可
— はろるど (@harold_1234) 2017年10月25日
総じて作品の繊細な質感が印象に残りました。引きで眺めつつ、近寄って目を凝らしながら、作品の全体と細部の双方を味わうのが良さそうです。
李禹煥「線より」 1976年 東京オペラシティアートギャラリー
毎週日曜日のみ写真の撮影が可能です。12月24日まで開催されています。
「単色のリズム 韓国の抽象」 東京オペラシティアートギャラリー
会期:10月14日(土)~12月24日(日)
休館:月曜日。
時間:11:00~19:00
*金・土は20時まで開館。
*入場は閉館30分前まで。
料金:一般1200(1000)円、大・高生800(600)円、中学生以下無料。
*( )内は15名以上の団体料金。
住所:新宿区西新宿3-20-2
交通:京王新線初台駅東口直結徒歩5分。
「天下を治めた絵師 狩野元信」 サントリー美術館
「天下を治めた絵師 狩野元信」
9/16~11/5
サントリー美術館で開催中の「天下を治めた絵師 狩野元信」を見てきました。
室町時代から江戸末期まで、「画壇の覇者としての地位を保ち続けた」(公式サイトより)狩野派を、工房として整備し、繁栄の礎を築いたのは、二代目の元信でした。
重要文化財「四季花鳥図」(部分) 狩野元信 室町時代・16世紀 京都・大仙院 *展示期間:9/16~10/2、10/18~11/5(ただし展示替あり)
いきなりのハイライトでした。それがチラシ表紙を飾り、京都・大仙院に由来する「四季花鳥図」です。全4図のうち、右の2図には水辺が広がり、鳥が水面の中に首を差し込む姿などを描いています。一方の左2図は、立派な松が伸びた大地で、岩の上には、羽を休める鳥の姿も見えました。さらに一番左の面では滝が流れ落ち、ごうごうと水しぶきを上げていました。モノクロームの水墨を基調としながらも、時に濃い紅色の花や、鳥の彩色がアクセントと化して、思いの外に華やいで見えました。
こうした障壁画は、元信が多く手掛けたもので、建物の建設と関連したことから、棟梁としての力量も試されました。おそらく評判に評判を呼んだのでしょう。その昇華した作品が「四季花鳥図」なのかもしれません。
さて元信の回顧展ではありますが、何も展示は、全て元信(工房を含む)の作品で占められているわけではありません。狩野派の学んだ中国の絵画が重要です。特に足利将軍家のコレクションは、漢画制作の規範と化し、絵師らは、南宋の馬遠、夏珪、牧谿、 玉澗らの作品に習い、構図や描法を真似て描きました。
それを「筆様」と言い、各画家に沿って「馬遠様」などと呼ばれてきましたが、実際には個人差があり、画風は相当に差があったそうです。それを整理したのが元信でした。
では、どのように整理したのでしょうか。元信は「筆様」ではなく、「真体」、「行体」、「草体」の三種の「画体」を作り、いわばマニュアル化して、規範としました。
まずは「真体」です。緻密な構図と描線を特徴とし、馬遠と夏珪の作を参考にしています。建物の中では、接客の空間に描かれました。元信印の「山水図屏風」などの例が挙げられます。
\この作品は真?行?草?/元信が生み出した3種の画体の中で、「草」は最も崩した描写✍️(写真右)「草山水図襖」 伝 狩野元信 京都・真珠庵https://t.co/j4cKFw4ZpZ pic.twitter.com/PZYFYXtj2u
— サントリー美術館 (@sun_SMA) 2017年10月25日
一方で「草体」は、崩した描写を特徴とするもので、玉澗を先例とし、京都・真珠庵の「草山水図襖」などのように、日常的な空間の中に描かれました。さらに「行体」は、「真体」と「草体」の中間で、牧谿を規範とし、元信印の「瀑布図」など、同じく日常の空間に用いられました。このように「画体」は、建物の様式や構造と連動していました。
この規範となった中国絵画を踏まつつ、各画体毎に、元信、ないし工房作を紹介しているのも、展覧会のポイントと言えるかもしれません。しかも中国絵画が粒ぞろいでした。 特に4面で四季の様子を表現した、呂紀の「四季花鳥図」は、先の元信の同作の画風に通じるかもしれません。
元信は実に器用な画家でした。元来の漢画のみならず、やまと絵の分野にも進出し、「和漢融合」(解説より)と呼ばれる、新たなスタイルを築き上げます。さらに障壁画だけでなく、絵巻や扇絵も手がけました。特に扇絵は、贈答品として重宝され、元信工房で盛んに制作されました。ようは売れ筋であったようです。
重要文化財「酒伝童子絵巻」(部分) 画/狩野元信 詞書/近衛尚通・定法寺公助・青蓮院尊鎮 室町時代・大永2年(1522) サントリー美術館
先の「四季花鳥図」のイメージからすると、同じ絵師の作品に思えないかもしれません。それが元信の「酒伝童子絵巻」でした。源頼光による怪物退治の物語で、鬼と化した酒伝童子の首が斬られる様子などを描いています。しかし童子も簡単には敗れません。首を斬られたのにも関わらず、反撃し、何と首ごと頼光の頭に噛み付いています。この後、やがて力を失い、頼光は勝利を収めるわけですが、一連の凄惨でかつ血みどろの情景を、元信は鮮やかな色彩を駆使しては、実に臨場感のある形で表現しています。見事な画力ではないでしょうか。
「月次風俗図扇面流し屛風」 「元信」印 室町時代・16世紀 京都・光圓寺 *展示期間:10/11~11/5
一転して雅やかなのが、「月次風俗図扇面流し屛風」でした。元信工房の制作とされ、1月から6月までの京都の行事や名所を、扇面に描いています。牛車が行き交い、寺院の姿があり、祇園祭の鉾の姿も見えました。なお扇には、使用した痕跡も残されているそうです。このように和漢の画題を使いこなす元信は、大いに評判となり、「本朝画伝」において、 「狩野家は是れ漢にして倭を兼る者なり」(解説より)と称されました。レパートリーの広さは並大抵ではありません。
そのレパートリーの1つが仏画です。うち目立つのが、ボストン美術館からやって来た「白衣観音像」でした。正面を見据える観音像の表情は穏やかで、どことなく人間味を帯びているようにも見えます。白衣の白も鮮やかで、金泥による細かな装身具も華やかでした。
重要文化財「禅宗祖師図」(部分) 狩野元信 室町時代・16世紀 東京国立博物館 *展示期間:9/16~10/23
父正信が、室町幕府や五山をパトロンとしていたのに対し、元信は禁裏や公家、さらに有力な町衆からも仕事を請け負うようになりました。一人の絵師でありながら、プロデューサーとしての才能も発揮しています。まさに天下を治めたならぬ、狩野派の天下取りのキーパーソンであった元信。その幅広い画業と才知を知ることが出来ました。
有名な白鶴美術館の「四季花鳥図屏風」が複製品でした。どこかで本物の作品を見る機会があればと思いました。
既に全ての展示替えを終え、最後の会期に入りました。11月5日まで開催されています。
「天下を治めた絵師 狩野元信」 サントリー美術館(@sun_SMA)
会期:9月16日(土)~11月5日(日)
休館:火曜日。10月31日は開館。
時間:10:00~18:00
*毎週金曜、土曜、および9月17日(日)、10月8日(日)、11月2日(木)は20時まで開館。
*9月30日(土)は「六本木アートナイト2017」のため22時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1300円、大学・高校生1000円、中学生以下無料。
*アクセスクーポン、及び携帯割(携帯/スマホサイトの割引券提示)あり。
場所:港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア3階
交通:都営地下鉄大江戸線六本木駅出口8より直結。東京メトロ日比谷線六本木駅より地下通路にて直結。東京メトロ千代田線乃木坂駅出口3より徒歩3分。
「安藤忠雄展ー挑戦」 国立新美術館
「安藤忠雄展ー挑戦」
9/27〜12/18
国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展ー挑戦」を見てきました。
1941年に大阪で生まれ、独学で建築を学んだ安藤忠雄は、1969年に「都市ゲリラ」として設計活動を始め、以来、約50年、世界的な規模で建築作品を作り続けてきました。
その安藤の足跡を辿る回顧展です。模型、スケッチ、ドローイングのほか、原寸再現の作品を通し、建築家としての業績を振り返りつつ、進行形のプロジェクトを踏まえることで、未来への展開も見据えていました。
冒頭、安藤のアトリエの再現展示を過ぎると、数多く現れるのが、住宅建築の模型でした。そもそも安藤のキャリアは、都市住宅の設計からスタートしています。しかし、最初の10年は、なかなか設計の仕事が得られず、敷地も狭い上に、予算も乏しい状況だったそうです。
安藤の建築テーマは、「徹底して単純な幾何学形態の内に、複雑多様な空間シーンを展開させる」、あるいは「コンクリートの素材を持って、どこにもないような個性的な空間をつくりだす」(ともに解説より)ことにありました。
「住吉の長屋」 大阪府大阪市 1976年
その安藤が、一躍注目を浴びたのが、今もなお有名な「住吉の長屋」でした。大阪の下町の三軒の長屋を、一棟のコンクリートのコートハウスに建て替えたもので、敷地面積は約57平方メートルと狭小でした。光と風を送り込むための中庭が特徴的で、雨の日には、家の中でも傘をささねば移動出来ないとして物議を醸しました。実際、安藤自身も、自らの住宅を「住みにくいかもしれません」と語っています。
「靭公園の住宅」 大阪府大阪市 2010年
自然を引き込むことも、安藤住宅の一つの要素です。大阪の「靭公園の住宅」も同様で、間口5メートル、奥行き27メートルという町家的な敷地の中に、公園の緑を取り込むように設計しました。より緑との一体感を志向するためか、公園との隔壁は緑化壁になっています。壁と公園の緑が一つに重なって見えました。
「4×4の住宅」 兵庫県神戸市 2003年
「4×4の住宅」も個性的です。4×4メートルの建坪の個人住宅で、瀬戸内海に面し、眼前の海景を屋内に引き込むために、最上階の海側の全面をガラスの開口部として設計しました。海面に反射した光も、屋内へと鮮やかに差し込んでいました。
その光を効果的に活かした作品として知られるのが、大阪の茨木の「光の教会」でした。郊外の住宅街に作られた礼拝堂で、装飾性のないコンクリートの正面に、十字型の切り込みを入れ、そこから入り込む光が、教会のシンボルを暗示するように仕上げました。
驚いたことに、屋外展示場にて「光の教会」が原寸で再現されています。撮影も可能でした。
「光の教会」 大阪府茨木市 1989年 *原寸大再現展示
足場が組まれていて、順に沿いつつ、狭い開口部より中へと入ると、ご覧のように、白い十字架の光が燦然と輝いていました。内部は階段状になっていて、十字架部分の手前に祭壇がありました。もちろん祭壇まで行くことも出来ました。
「光の教会」 大阪府茨木市 1989年 *原寸大再現展示
壁に触れると、コンクリートに独特の冷ややかな感触が、手に伝わってきました。内部は完全な長方形ではなく、後方の一部が、壁で斜めに切り取られています。右側にも開口部があり、そこからも別の光が入り込んでいました。それ以外の仕掛けは一切ありません。シンプルながらも、実にシンボリックでかつ、美しい空間です。しばし光に見惚れてしまいました。
「光の教会」 大阪府茨木市 1989年 *原寸大再現展示
もちろん十字の切り込みを、外から見ることも出来ます。過去の建築展において、これほどまでに大規模でかつ、精巧な再現が行われたことはあったのでしょうか。展覧会のハイライトと化していました。
さて展示の後半は、都市における商業や公共建築です。ここに安藤は、「余白の空間をつくりだし、人の集まる場を生み出すこと」(解説より)を目指しました。それは地上から回遊する道であり、人々が立ち止まる、広場のような空間でもありました。
「表参道ヒルズ」 東京都渋谷区 2006年
都内でよく知られるのが「表参道ヒルズ」です。同潤会青山アパートの跡地に作られた、集合住宅と商業の複合施設で、内部に、かつてのアパートの中庭を思わせる、三角形の吹き抜け広場を構築しました。またファサードは、参道の並木の高さを超えない範囲で作られ、広場には、参道と同じ勾配のスパイラルロープを巡らせました。私も中へ初めて入った時には、独特の勾配が印象に残ったものでした。
国立新美術館にほど近い「21_21DESIGN SIGHT」も安藤建築です。言うまでもなく、デザインをテーマとする展示施設で、内部にはやはり吹き抜けがあり、地下の展示空間へ光を誘っています。「折り紙」とも称される外観の造型も独特で、鳥が翼を広げているようにも見えました。周囲の環境と一体化するように、ランドスケープを取り込むべくデザインされました。
「直島の一連のプロジェクト」 香川県直島町 1992年〜 *インスタレーション風景
「直島プロジェクト」も、一つのランドスケープを構築した言えるかもしれません。安藤は瀬戸内海に浮かぶ直島に、ベネッセハウスや地中美術館のほか、計7棟の建築を、約30年余りかけて作り上げました。まさしく直島の地形あってのプロジェクトです。これぞ「その場所にしかできない建築」(解説より)への挑戦の証でもあります。
「直島の一連のプロジェクト」 香川県直島町 1992年〜 *インスタレーション風景
この「直島プロジェジェクト」は、映像と模型を用いたインスタレーションとして紹介されていました。(直島プロジェジェクトは撮影可)直島を模した空間の向こうにはスクリーンがあり、かの地の自然や安藤の建築を、臨場感のある映像で見ることが出来ました。
「真駒内滝野霊園 頭大仏」 北海道札幌市 2015年
「周辺環境と一体化して、その場所の個性を際立たせるような建築」(解説より)も安藤作品の一つの特質です。私が驚いた建築がありました。それが札幌にある「真駒内滝野霊園 頭大仏」です。主役は大仏です。とはいえ、大仏自体は安藤の設計では当然ありません。その外側の建造物こそが作品でした。ここで安藤は大仏の頭だけをいわば露出し、下部をラベンダーの丘で覆い隠すという設計を行っています。よって来場者は、アプローチ先に、ラベンダーから突き出た頭を仰ぎ見ることになるそうです。また冬はご覧のように雪に埋もれるようです。なんたる演出なのでしょうか。
「プンタ・デラ・ドガーナ」 イタリア、ヴェニス 2009年
安藤は世界的な建築家です。よって海外の建築も目を離せません。とりわけ印象深いのは、30分の1スケールの大型模型も目立つ、「プンタ・デラ・ドガーナ」でした。ヴェニスのサン・マルコ広場の歴史的建造物を、現代美術館として再生させた建物で、建造当初の15世紀の形に戻しつつ、中央部にコンクリートの壁による空間を取り込み、新旧の「対話」(解説より)する場を作り上げました。こうした建物の再生も安藤の重要な仕事の一つでした。
「FABRICA(ベネトン・アートスクール)」 イタリア、トレヴィーゾ 2000年
模型、映像や再現模型など、体感的にも楽しめる展示ですが、図面がかなり出ていて、いずれ殊更に美しいのが印象に残りました。素人目にも目を見張るものがあります。
「上海保利大劇院」 中華人民共和国、上海 2014年
随所に垣間見える直筆のキャプションも親しみ易いのではないでしょうか。安藤の持ち前のサービス精神を見るかのようでした。
会期の初めに出かけてきましたが、思いがけないほどに混雑していました。特に前半部、安藤の住宅建築の模型を見せるスペースは、通路状で狭く、最前列で見るためには列に並ぶ必要がありました。
「安藤忠雄 仕事をつくるー私の履歴書/日本経済新聞出版社」
ファミリー、カップルをはじめ、若い方が多いのも印象的でした。会期後半には入場待ちの待機列が出来るかもしれません。金曜、及び土曜日の20時までの夜間開館も狙い目となりそうです。
安藤忠雄スペシャルインタビュー https://t.co/bswCqzV7xY
— 安藤忠雄展-挑戦-(公式) (@ANDO_endeavors) 2017年10月5日
300ページ超にも及ぶカタログが1980円とお値打ちでした。会場のテーマに準じ、約90もの建築作品が図版で掲載されています。即購入しました。
12月18日まで開催されています。おすすめします。
「安藤忠雄展ー挑戦」@(ANDO_endeavors) 国立新美術館(@NACT_PR)
会期:9月27日(水)〜12月18日(月)
休館:火曜日。
時間:10:00~18:00
*毎週金・土曜日は20時まで開館。
*9月30日(土)、10月1日(日)は20時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1500(1300)円、大学生1200(1000)円、高校生800(600)円。
* ( )内は20名以上の団体料金。
*11月3日(金・祝)、4日(土)、5日(日)は高校生無料観覧日(要学生証)
住所:港区六本木7-22-2
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅出口6より直結。都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩4分。東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分。
「EDO TOKYO NIPPON アートフェス2017」が開催されます
「EDO TOKYO NIPPON アートフェス2017」
主催者:出光美術館、三井記念美術館、三菱一号館美術館、東京ステーションギャラリー、ブリヂストン美術館(リニューアル休館中。)
開催期間:10月27日(金)~29日(日) *一部関連イベントは10月26日(木)開催。
URL:http://www.museum-cafe.com/etn/
これは東京駅周辺の3地域、日本橋、丸の内、八重洲の魅力を、美術館の提携を通して再発見するイベントで、昨年は主に参加館を巡回するバスが運行されました。
今年の参加館も、出光美術館、三井記念美術館、三菱一号館美術館、東京ステーションギャラリー、のブリヂストン美術館の5館です。ただしブリヂストン美術館は休館中のため、巡回バスのルートには入りません。
開催期間は今月末、10月27日(金)から29日(日)の3日間です。一部の関連イベントは26日(木)にも行われます。
[特別講演会「学芸員が教える秘密の?!」]
日時
・10月27日(金)18:30~ 日本工業倶楽部(定員150名)
千代田区丸の内1-4-6(JR東京駅丸の内北口から徒歩2分)
・10月29日(日)11:00~ 三井記念美術館 レクチャールーム(定員50名)
中央区日本橋室町2-1-1三井本館7階(地下鉄三越前駅A7出口から徒歩1分)
登壇者
・出光美術館 笠嶋忠幸 「出光美術館 誕生ものがたり」
・三井記念美術館 清水実 「鳥の三井さん」
・三菱一号館美術館 野口玲一 「なぜ?!丸の内に美術館?」
・東京ステーションギャラリー 田中晴子 「展覧会も建物も楽しもう!」
・ブリヂストン美術館 貝塚健 「看板娘ジョルジェット」
*最後に5館の学芸員によるクロストークを予定しています。
*講演はいずれも同じ内容、約2時間を予定。
*当日先着順、参加費無料。受付はそれぞれ開始の30分前から。(三井記念美術館は、7階受付にて整理券を10時より配布予定。)
催事内容は、各館の学芸員による講演会、およびギャラリートーク、ないし巡回バスの運行です。まず10月27日(金)と29日(日)には、それぞれ日本工業倶楽部、三井記念美術館にて、特別講演会「学芸員が教える秘密の?!」が行われます。
(拡大)
[ギャラリートーク&関連イベント]
出光美術館「江戸の琳派芸術」
・ばっちり!プレ・フェス:「江戸の琳派芸術」展 プレミアムトーク
10月26日(木)17:30~(約45分/終了後19時まで自由観覧)
17時受付開始、参加費1000円(入館料込)
*当日17時~17時半の間に受付された方を対象。
・ギャラリートーク
「江戸の琳派芸術」展 列品解説
10月27日(金)18:00~
参加費無料(要別途入館料)
三井記念美術館「特別展 驚異の超絶技巧!ー明治工芸から現代アートへ」
・ばっちり!プレ・フェス:「驚異の超絶技巧」展 ギャラリートーク
10月26日(木)18:00~(約30分/終了後19時まで自由観覧)
17時半受付開始(日本橋三井タワー1階アトリウム)、参加費無料(要別途入館料)
定員30名(先着順。当日10:00開館以降、7階受付にて参加券配布)
三菱一号館美術館「パリ♥グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」
・朝の鑑賞会:「パリ♥グラフィック」展と建物を巡る学芸員による貸切鑑賞ツアー
10月27日(金)9:15~(約45分/終了後自由観覧)
9時受付開始(美術館中庭入口)、参加費2000円(入館料込)
定員20名(先着順。メールにて事前申込。eventmitsubishi@mec.co.jp)
東京ステーションギャラリー「シャガール 三次元の世界」
・レンガ・タッチ&トーク:煉瓦が特徴的な当館のたてもの解説
10月27日(金)15:30~(約30分)
参加費無料(要別途入館料)、定員15名(当日先着順、1階受付で申込)
・朝の鑑賞会:館長による開館前の「シャガール」展 ギャラリートーク
10月28日(土)9:30~(約30分/終了後自由観覧)
参加費無料(要別途入館料)、定員25名。先着順。
事前申込制、開館時間中に電話(03-3212-2485)で申し込み。
さらに会期中には各館で特別のギャラリートークも開催。三菱一号館美術館と東京ステーションギャラリーでは、開館前に観覧出来る「朝の鑑賞会」が行われます。(いずれも事前申し込み制)
[無料巡回ミュージアムバス]
期間中、無料ミュージアムバスが4つの美術館を巡回します。
時刻表(1→2→3→4の順番で巡回)
1、東京ステーションギャラリー
11:00/12:00/14:00/15:00/17:00/18:00
2、三井記念美術館
11:10/12:10/14:10/15:10/17:10/18:10
3、出光美術館
11:30/12:30/14:30/15:30/17:30/18:30
4、三菱一号館美術館
11:40/12:40/14:40/15:40/17:40/18:40
*18時台は27日(金)のみ運行。
*28日(土)はルートが一部変更になります。
無料バスの運行ルート、ないし時刻表は上記の通りです。ステーションギャラリーから三井記念美術館、出光美術館、そして三菱一号館美術館へと巡回します。なおバスはオープンエアで、車内ではバスガイドによる「EDO TOKYO 今昔ガイド」も行われます。
[相互割引]
・出光美術館、三井記念美術館、三菱一号館美術館、東京ステーションギャラリーでは、200円の相互割引を実施します。展覧会の入場済みのチケットを窓口でご提示ください。
*10月27日(金)~29日(日)の期間中、1枚につき1名様、各展覧会1回限り有効。
*他の割引との併用不可
[アートフェス期間中の展覧会開催情報]
・出光美術館「江戸の琳派芸術」
10:00~17:00(27日(金)は19:00まで)
・三井記念美術館「特別展 驚異の超絶技巧!-明治工芸から現代アートへ-」
10:00~17:00(27日(金)は19:00まで)
・三菱一号館美術館「パリ♥グラフィック-ロートレックとアートになった版画・ポスター展」
10:00~18:00(27日(金)は21:00まで)
・東京ステーションギャラリー「シャガール 三次元の世界」
10:00~18:00(27日(金)は20:00まで)
*10月27日(金)は各美術館で開館時間延長。入館はいずれも閉館時間の30分前まで。
またフェス期間中は、各館で入館料が相互割引になるほか。27日(金)の開館時間が延長されます。
いよいよ来週の10月27日(金)〜29日(日)にかけて、EDO TOKYO NIPPONアートフェスが開催されます。期間中は無料ミュージアムバスの巡回や200円の相互割引、5館の学芸員による特別講演会を実施します。お楽しみに!M.A https://t.co/nQ2jWoomoN pic.twitter.com/CteAMHPcyn
— ブリヂストン美術館 (@bmamuseum) 2017年10月20日
東京駅周辺の5つの美術館では、これまでにも共通券の販売や、「東京駅周辺美術館MAP」の発行などを共同で行ってきました。
今回は前回より内容を拡大してのフェスティバルです。さすがに1日で4つの展覧会を巡るのは大変かもしれませんが、次の週末は、各々に自由なペースで、無料バスに乗りながら、都心に繰り出すのも良いかもしれません。
「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」 千葉市美術館
「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」
9/6~10/23
千葉市美術館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」を見てきました。
浮世絵師、鈴木春信の活躍した明和期に、多色摺の木版技法が発達し、いわゆる錦絵が生み出されました。
その春信を中心に、錦絵の草創プロセスを辿っています。出展数は春信作を中心に全150点と膨大で、全てが世界第1級の浮世絵コレクションとも称される、ボストン美術館の所蔵品でした。さらに参考作品として千葉市美術館の所蔵品も加わります。
宝暦10年頃にデビューした春信が、最初に描いたのは、意外にも役者絵でした。当時は、紅や緑など、2、3色程度を用いた紅摺絵の時代でした。実際に、春信の初期の役者絵も、約30点ほど残っているそうです。
一方で、春信の画風に影響を与えたのは、奥村政信、石川豊信、鳥居清広らによる、男女のモチーフなどの、甘美な主題の浮世絵でした。宝暦期は、子どもや母子の姿を描く作品が、目立って増えたそうです。花籠を引こうとする男の子を描いた、石川豊信の「花籠と子」も、その一例として挙げられるかもしれません。
春信の美人スタイルが最初に完成したのが、「風流やつし 七小町 かよひ」でした。まだ紅摺絵ながらも、色に深みが増し、錦絵の萌芽を見ることも出来ます。浪曲に基づく主題で、吉原の茶屋で客を待つ遊女と禿の姿を描きました。細く屈曲した指、切れ長の目などに、春信らしさを見出せるのではないでしょうか。
錦絵誕生の切っ掛けになったのは、武家や商人の趣味人らが、私的な摺物である絵暦を交換した、「絵暦交換会」でした。絵暦とは、陰暦の大の月(30日)と小の月(29日)の順番が、毎年変わることに着想を得て、大小の月を絵の中に潜めて描いたもので、趣味物であるため、採算などを考えず、よりカラフルで色鮮やかな作品が作られました。
その交換会を先導していたのは、旗本で俳人でもあった大久保巨川でした。巨川は春信にも絵暦の制作を依頼し、結果的に多色摺木版技法が飛躍的に発展します。さらに絵暦の美しさに目をつけた版元らは、その版木を買い求めて、絵暦にある名や暦を削り、一般的な商品として世に送り出しました。それが、錦織のように美しい絵を意味する錦絵でした。
鈴木春信「見立孫康」 明和2(1765)年
絵暦と錦絵の比較も興味深いのではないでしょうか。その例が同じ春信の2点の「見立孫康」です。ともに雪の降り積もる中、窓辺で手紙を読む女性が表現されています。上下で色味こそ異なりますが、ほぼ同一の構図です。一体、どういうわけなのでしょうか。
鈴木春信「見立孫康」 明和2(1765)年
図版では判りにくいかもしれませんが、結論からすれば、印章がある方が絵暦(上段)で、ない方が錦絵(下段)です。さらによく見ると、印章のない方の作品には、手紙に文字が記されています。これが「小の月 むつき、卯の花月」などと続く絵暦で、印章の里川とは、春信に制作を頼んだ人物の号とされています。つまり錦絵では、一般的な商品として販売するため、個人が特定出来る印章の号と、絵暦の部分を削っているわけです。しかもよりインパクトを強めるために、壁の色をかなり濃い色に変えています。
この絵暦、実のところ、よく見ないと、どこに暦が書いてあるのか分かりません。突然の風雨に、慌てて洗濯物を取り込む女性を描いた「夕立」も同様で、暦は、洗濯物の模様の部分と、娘の帯に記されていました。まるで謎解きを前にするかのようでした。
当世の風俗の中に、古典や故事の場面を潜ませるのも、春信画の特徴と言えるかもしれません。古典から当世、また逆の読み替えも可能な「見立絵」で、当時の言葉では「やつし絵」とも称されました。なお主題の原典についての文字情報はありません。あくまでも鑑賞者は、自らの想像を働かせて、読み解く必要がありました。
鈴木春信「見立玉虫 屋島の合戦」(2枚続のうち左) 明和3〜4(1766〜67)年頃
その一つが「見立玉虫 屋島の合戦」、「見立那須与一 屋島の合戦」でした。2枚続きの作品で、扇子を広げる若い娘と、弓を持つ若い男を描いています。男の手には恋文があり、一見するところ、男女の恋を主題にしていることが分かりました。ここに古典を引用したのが春信です。タイトルが示すように、屋島の合戦を舞台として、弓の名手、那須与一が、扇を射抜いたという平家物語の故事を表していました。つまり屋島の合戦に、男女の恋の駆け引きを重ねているわけです。
鈴木春信「六玉川 とう衣の玉川」 明和5(1768)年頃
ほかにも、伊勢物語の東下りを若い男女の旅に見立てた「八つ橋の男女」や、古来より和歌に詠まれた六玉川を当世の風俗に重ねた「六玉川 とう衣玉川」など、例をあげればきりがありません。春信の絵の受容層は、いわば趣味人、ないし教養人に限定されていたとも考えられているそうです。現代ではなかなか馴染みの薄い見立絵ではありますが、ここは解説を頼りに楽しみました。
鈴木春信「寄菊 夜菊を折り取る男女」 明和6〜7(1769〜70)年頃
中性的な若い男女も春信の得意とした画題でした。「『寄菊』夜菊を折り取る男女」でも、菊花壇へ近寄る若い男女を描いています。あたりは真っ暗闇なのか、娘の持つ手燭のみが頼りで、男はかがんで菊に手を添えています。中性的とするのは、男女の体つきや顔立ちに、あまり差が見られないからです。衣服や髪型で見分けることが出来ます。
鈴木春信「子どもの獅子舞」 明和4〜5(1767〜68)年頃
江戸が誕生して以来、約150年、明和の頃には「江戸っ子」という言葉が生まれ、いわゆる都市生活を享受する人々も現れました。そうした江戸の市井の人々の日常も、春信は積極的に描きました。また実在の看板娘や、吉原の同じく実在した遊女を、名前入りで錦絵に表現しています。当世の興味を刺激した春信の作品は、当初の富裕層のみならず、次第に大衆へと広まっていきました。
「浮世美人寄花 笠森の婦人 卯花」も、実在の人物がモデルです。谷中の笠森稲荷にあった茶屋「鍵屋」の看板娘、お仙を描いています。お仙は明和の3美人にも数えられたほどに有名で、春信も多くの錦絵に表しました。いわゆるプロマイドとしてよく売れたそうです。
絶大な人気を誇った春信ですが、明和7年に急逝します。よほど人気があったのでしょう。磯田湖龍斎や勝川春章、それに北尾重政のほか、のちに春信の偽作を描いたことを告白した鈴木春重、つまり司馬江漢も、春信の没後数年は、春信風の美人画を描きました。
鳥居清経の「春信追善」に登場するのは、まさしく春信スタイルの2人の女性です。また春信風ながらも、独自の構図を取るのが鈴木春重の「庭で夕涼みをする男女」でした。署名に「春信画」とあるため、春重自らがいうように、いわゆる偽物だとされています。確かに春信風の男女が登場しますが、見通しが良く、奥行きのある構図は、春重に独特な表現が現れていると言えるかもしれません。
喜多川歌麿「お藤とおきた」 寛政5〜6(1793〜94)年頃
ラストは歌麿でした。ここで歌麿は、春信時代と、自身の時代の看板娘を、対の構図で描きました。ここに春信画への意識もあったのかもしれません。
単に春信回顧展ではなく、前史から後世への影響までを踏まえています。申し分ありません。想像以上に充実した春信展でした。
また最後に触れておきたいのが、ボストンのコレクションが大変に質が良く、発色が鮮やかであることです。湿り気さえ帯びたような草色、淡く、仄かな光を放つようなピンク色、そして深く、沈み込むように濃い小豆色など、いずれもニュアンスに富んでいて、中には、水彩で色を付けたのかと思ってしまうような作品さえあります。率直なところ、驚きました。
10年ほど前、松濤美術館で開催された「Great Ukiyoe Masters/春信、歌麿、北斎、広重」展のことを思い出しました。アメリカのミネアポリス美術館の浮世絵コレクションを紹介した展覧会で、状態の良い作品が多く、目に染みるような美しい色味に、強く感銘したものでした。
それ以来かもしれません。まさに極上の浮世絵ばかりです。しかも展示替えがなく、一度の観覧で余すことなく、春信の世界を楽しめます。浮世絵の色の持つ魅力に改めて惹かれました。
[ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信 巡回スケジュール]
名古屋ボストン美術館:11月3日(金・祝)~2018年1月21日(日)
あべのハルカス美術館:2018年4月24日(火)~6月24日(日)
福岡市博物館(予定):2018年7月7日(土)~8月26日(日)
250ページを超えるカタログも充実しています。論文をはじめ、図版とともに、1点1点に詳細な解説がついていました。もちろん購入しました。永久保存版になりそうです。
実はこの男女の虚無僧姿というテーマは、春信に先行する石川豊信から継承された図像。そして春信を経て喜多川歌麿が、春信を代表するイメージとして模した作品を残しています。豊信から春信、そして歌麿へ…本展のプロローグからエピローグまでを表す作品として、トップバッターに選ばれたのです。 pic.twitter.com/Lcttu95SXp
— 千葉市美術館 (@ccma_jp) 2017年9月10日
間も無く会期末です。10月23日まで開催されています。遅くなりましたが、是非ともおすすめします。
「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」 千葉市美術館(@ccma_jp)
会期:9月6日(水)~ 10月23日(月)
休館:10月2日(月)。
時間:10:00~18:00。金・土曜日は20時まで開館。
料金:一般1200(960)円、大学生700(560)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*前売券は千葉都市モノレール千葉みなと駅、千葉駅、都賀駅、千城台駅の窓口、及びローソンチケット、セブンチケットで会期末日まで販売。
*10月18日(水)は「市民の日」につき観覧無料。
住所:千葉市中央区中央3-10-8
交通:千葉都市モノレールよしかわ公園駅下車徒歩5分。京成千葉中央駅東口より徒歩約10分。JR千葉駅東口より徒歩約15分。JR千葉駅東口より京成バス(バスのりば7)より大学病院行または南矢作行にて「中央3丁目」下車徒歩2分。
「東郷青児展」 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
「生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ」
9/16~11/12
1976年、損保ジャパン日本興亜の前身会社の一つだった安田火災は、東郷青児から自作とコレクションの寄贈を受け、東郷青児美術館(現在の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)を開館しました。
まさに東郷青児ゆかりの美術館による回顧展です。出展作品は全部で70点。同館のコレクションだけでなく、鹿児島市立美術館、大分県立美術館のほか、久留米市美術館などの他館の作品も加わります。東郷青児の画業を、時間を追って丹念に辿っていました。
東郷青児「コントラバスを弾く」 1915年 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
1897年に鹿児島で生まれた青児は、一家揃って5歳で上京します。早熟だったのでしょうか。ドイツから帰国した作曲家、山田耕筰から前衛芸術の知識を吸収しました。そして18歳で描いた「コントラバスを弾く」が、日本初の「立体派・未来派」風の作品として話題を呼びます。東京フィルハーモニーの練習場を間借りして、制作したこともあったそうです。
東郷青児「パラソルさせる女」 1916年 陽山美術館
翌年には二科展へ「パラソルさせる女」を初出品し、いきなり二科賞を受賞しました。キュビズム、ないし未来派風で、中央に女性の顔が伺える以外は、ほぼ、幾何学的なモチーフで埋め尽くされています。画面右上に、パラソルが描かれているそうですが、なかなか分からないかもしれません。
東郷青児「サルタンバンク」 1926年 東京国立近代美術館
1921年には渡仏し、当初は未来派の画家と過ごしました。しかし政治色が強くて馴染めず、しばらくしてルーブル美術館へ通ったり、ピカソと交流を深めるなどして活動しました。そのピカソにも見せた自信作が、「サルタンバンク」でした。また「ピエロ」の造形も、ピカソの影響を色濃く反映しているかもしれません。
当時のフランスは、アール・デコの全盛期でした。いわゆるフランス仕込みとでも言えるのでしょう。その潮流を摂取して、帰国後の装丁や舞台装置の仕事に活かしました。
渡仏後、7年経ってから帰国します。帰国後に開かれた、第15回二科展には、渡欧時の作品を、23点出品しました。また、関東大震災から復興した、東京のモダニズム文化にも受け入れられ、シンプルで洒落た装丁や挿絵が、高く評価されました。さらに室内装飾や舞台装置のデザインや、自邸の家具や照明の設計なども行います。かなりマルチに活動していたようです。
東郷青児「超現実派の散歩」 1929年 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
この頃に描いたのが、白い人物が月に向かって宙に浮かぶ、「超現実派の散歩」でした。先の「サルタンバンク」での画風とは一転し、どこかシュルレアリスム的な様相を呈しています。当時は、古賀春江らとともに、「新傾向」として注目を集めたそうです。青児自身も、「超現実主義の試運転をやった」と語っています。
コクトーの「怖るべき子供たち」の装丁が目を引きました。ちなみ青児は装丁のみならず、翻訳までも手がけています。また婦人の姿を描いた「三越」の新年号も美しく、洗練されていました。こうした一連の資料類もかなり出ています。青児の幅広い活動を知ることが出来ました。
東郷青児「山の幸」 1936年 シェラトン都ホテル大阪
青児の画業の一つの転機と言えるのが、藤田嗣治とともに取り組んだ、京都の丸物百貨店の大装飾画でした。6階の食堂を飾るためのもので、同じ店内のスペースで、藤田が「海の幸」を、そして青児が「山の幸」を制作しました。前者が力強く肉感的とすれば、後者はより優美で、かつ詩的とも呼べるのではないでしょうか。この対の作品が並んで展示されています。東京では初公開でもあるそうです。
1933年頃から、積極的に女性の絵を描くようになります。ここに青児は、泰西名画風のモチーフを加え、いわゆる「近代的な女性美」(解説より)を生み出しました。
東郷青児「紫」 1939年 損保ジャパン日本興亜
その際たる作品が、「紫」でした。淡い紫色のイブニングドレスを着た女性が、白い右手を伸ばしながら、ポーズをとって立っています。フランス風のモードも取り入れた画風は、いかにも華麗で、スカートは広がり、ドレープも美しく靡いていました。全ては滑らかで、筆跡はまるで見られません。それも驚きを持って迎えられたそうです。かつてはキュビズムや未来派的な画家として知られた青児は、いつしかモダンな女性を描く画家へと変わりました。ここに新たな大衆性を獲得したとも言えそうです。
終戦後、翌年に二科展が再開されました。青児もリーダーとして積極的に関わり、活動を全国へと広めました。と同時に、復興期の建物の装飾壁画の仕事も手がけました。
東郷青児「平和と団結」 1952年 朝日新聞社
一例が、京都の朝日会館ビルの壁画、「平和と団結」でした。ビル全体を覆うために、かなり規模が大きく、28メートル×23メートル四方にも及びます。青児は向かいの旅館から双眼鏡と無線で指示を出し、二科会の仲間たちが足場を組んでは制作しました。妖精のように舞う女性の姿が、幻想的な世界を誘います。会場では油彩の下絵が展示されていました。
東郷青児「裸婦」 1952年 INAXライブミュージアム
「裸婦」も美しいのではないでしょうか。熱海の浴場のモザイクタイルで、青児は、当時の伊奈製陶、現リクシルにデザインを提供しました。
東郷青児「若い日の思い出」 1968年 損保ジャパン日本興亜
「大衆性」、「モダンでロマンチックで優美、華麗な感覚と詩情」、そして「油絵の技術における職人的な完璧さと装飾性」の3点が、青児の芸術を特徴付ける「東郷様式」と呼ばれているそうです。その典型例として、ラストの「若い日の思い出」があげられるかもしれません。
率直なところ、私は戦前の展開の方が好きでしたが、画風は、初期から晩年にかけて、思いの外に変化します。そして優美な作品とは裏腹に、画家自身は、極めて精力的に活動していました。頭の中に、漠然と作品のイメージこそありましたが、この展覧会に接して、実は東郷青児について何も知らなかったことを思い知らされました。
[生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ 巡回予定]
久留米市美術館:11月23日(木・祝)〜2018年2月4日(日)
あべのハルカス美術館:2018年2月16日(金)〜4月15日(日)
会場のスペースの都合か、リストに掲載されている作品の一部が、展示されていませんでした。巡回先の久留米市美術館と、あべのハルカス美術館には出展されるそうです。
この東郷の写真は東京会場で紹介するほか、写真の中の、「ピエロ」「ベッド」も会場でご覧いただけます。東郷青児、若き日の1枚 背景に多数のタイトル不明作 11月12日まで東京で公開 https://t.co/vqEW7aGPe3 @Sankei_newsさんから
— 生誕120年 東郷青児展 (@togoseiji120) 2017年10月20日
11月12日まで開催されています。
「生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ」(@togoseiji120) 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
会期:9月16日(土)~11月12日(日)
休館:月曜日。
*但し9月18日、10月9日は開館。翌火曜日も開館。
時間:10:00~18:00
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1200(1000)円、65歳以上1000円、大学・高校生800(650)円、中学生以下無料。
*( )は20名以上の団体料金。
住所:新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン日本興亜本社ビル42階
交通:JR線新宿駅西口、東京メトロ丸ノ内線新宿駅・西新宿駅、都営大江戸線新宿西口駅より徒歩5分。
「長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」 永青文庫
「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」
9/30~11/26
永青文庫で開催中の「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」を見てきました。
戦国から江戸の武将、細川幽斎の援助によって再興した南禅寺天授庵には、長谷川等伯の描いた障壁画が今も残されています。
その障壁画が全32面、まとめて永青文庫へとやって来ました。ただし会場のスペースの都合か、一度に出るのは半数です。前後期で各16面ずつ公開されます。
長谷川等伯「禅宗祖師図」(部分) 天授庵 *前期展示
冒頭が障壁画でした。前期は「禅宗祖師図」の16面です。一図とはいえども、場面は「船子夾山図」、「五祖・六祖図」、「趙州頭載草鞋図」、「南泉斬猫図」、「懶さんわい芋図」の5場面あり、中国の唐の禅僧に基づく物語などが描かれています。
いずれの面でも印象に深いのは、等伯が筆の硬軟を駆使し、人物に風景を巧みに描き分けていることです。「船子夾山図」でも、禅僧の着衣の線は素早く、直線的でかつ鋭い一方、顔相は、細かな線を丁寧に重ね、リアルに表現しています。また背後の波の線は柔らかく、穏やかな水面を表していました。
「五祖・六祖図」も同様です。さらに「趙州頭載草鞋図」では、岩の質感を引き出すために、太いストロークを重ねています。枝を左右に振り広げる松にも緊張感がありました。
チラシ表紙を飾るのが「南泉斬猫図」です。一人の禅僧が、屈み込みながら、右手で刃物を持ち、左手で猫をつかんでいます。この後、猫は殺されてしまうのでしょうか。
この禅僧は、唐の時代の南泉普願で、猫に仏性があるかを論争していた僧に対し、「私を納得させなければ猫を斬る。」と宣言したそうです。しかし誰一人、答えることが出来なかったために、南泉は猫を無残にも斬ってしまいました。猫は、明らかに恐怖に怯え、手足をばたつかせています。そして南泉は、目をむき出しにしては、険しい表情を見せていました。当然ながら静止した姿ながらも、さも動き出すような生気さえ感じられます。これぞ等伯の画力の現れなのかもしれません。
さて、永青文庫の展示室は、4階から2階へと3層に続きます。一連の障壁画は、最初の4階でした。階下の3階では、細川幽斎に因む書状や太刀、そして2階では、細川家に由来する能面が展示されています。幽斎は太鼓の名手であったことから、能楽は細川家で盛んに行われました。
「細川幽斎(藤孝)像」 天授庵 *前期展示
元々、足利家に仕えていた幽斎は、のちに織田信長に従いました。さらに本能寺の変では、光秀に助力を求められるも、拒絶し、家督を息子に譲り、秀吉、家康に属しました。戦国の武人でありながら、歌道や能にも通じた文化人でもあったそうです。その墓所は天授庵に存在します。
幽斎と等伯の直接的な繋がりは確認されていませんが、幽斎と利休、利休と等伯に交流があり、等伯は幽斎の弟の肖像を描いていることから、何らかの人脈があったと考えられています。等伯は晩年に天授庵の障壁画を制作しました。しかしそこには、松林図屏風のような空間表現はありません。より新しい墨画の構成を志向したと指摘されています。
幽斎に関する文物で目を引いたのは、国宝の「柏木菟螺鈿鞍」でした。足利13代将軍より賜ったと伝えられる鞍で、黒漆塗の表面には、柏と木菟の図などが、かなり細かな螺鈿で表されています。ほか信長からの朱印状や、歌集の「衆妙集」なども、幽斎の活動を今に伝える資料ではないでしょうか。
能面と狂言面は全部で8点出ていました。必ずしも広いスペースではありませんが、天授庵の障壁画のみならず、幽斎に関する資料も提示し、その人となりをも伝えています。細川家ゆかりの永青文庫ならではの展覧会と言えるかもしれません。なおカタログはありませんが、季刊「永青文庫」が内容に準拠しています。300円の小冊子ながらも、図版などが充実していました。
最後に展示替えの情報です。会期は2期制です。天授庵の障壁画は前後期で全て入れ替わります。
前期:9月30日(土)~10月29日(日)
後期:10月31日(火)~11月26日(日)
リピーター割と称し、会期中に観覧済の半券を提示すると、入館料が100円引きになります。後期も追いかけたいところです。
この日は天気が良く、永青文庫から神田川へと連なる肥後細川庭園も、あわせて散策してきました。
池泉回遊式の日本庭園で、目白台側を山に見立てた、立体的な景観が特徴です。緑に囲まれた空間はおおよそ都心とは思えません。園内も思いの外に広く、約19000平方メートルもあります。
池には台地の湧き水も取り入れられているそうです。また園内には休憩室や集会室を有する松聲閣があり、風景を眺めながらお茶をいただくことも出来ます。
元は細川家の下屋敷で、明治時代に本邸となったのち、戦後、東京都によって公園として整備されました。現在は文京区が管理しています。
京都国立博物館「国宝」展が開幕しました。永青文庫からも「時雨螺鈿鞍」「太刀 銘 豊後国行平作」などを出品しています。展示期間をご確認のうえぜひご覧ください。https://t.co/uDO6sXkVahなお永青文庫「長谷川等伯障壁画展」では、もう1件の国宝中世螺鈿鞍「柏木莵螺鈿鞍」を展示中です。 pic.twitter.com/N0ELP9nTXn
— 永青文庫 (@eiseibunko) 2017年10月4日
11月26日まで開催されています。
「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」 永青文庫(@eiseibunko)
会期:9月30日(土)~11月26日(水・祝)
前期:9月30日(土)~10月29日(日)
後期:10月31日(火)~11月26日(日)
休館:月曜日。但し祝日の場合は開館し、翌日休館。
料金:一般1000(900)円、70歳以上800(700)円、大学・高校生400円、中学生以下無料。
*( )内は10名以上の団体料金。
*リピーター割:会期中、観覧済半券を提示すると100円引。
時間:10:00~16:30。
*入館は閉館の30分前まで
住所:文京区目白台1-1-1
交通:都電荒川線早稲田駅より徒歩10分。東京メトロ有楽町線江戸川橋駅出口1aより徒歩15分。東京メトロ東西線早稲田駅出口3aより徒歩15分。JR目白駅より都営バス「白61 新宿駅西口」行きにて「目白台三丁目」下車徒歩5分。
「東山魁夷特集」 東京国立近代美術館
「東山魁夷特集」
9/12~11/5
東京国立近代美術館のMOMATコレクションで開催中の「東山魁夷特集」を見てきました。
1969年、日本画家の東山魁夷は、手元の作品を、東京国立近代美術館にまとめて寄贈しました。この年に、美術館が京橋から竹橋へ移転し、梅原龍三郎などの画家からの寄贈品も加わったことから、コレクションがさらに充実しました。
その東山魁夷の絵画をまとめて公開しています。全部で17点です。会場は、館内のMOMATコレクションの一角、つまり常設展示室の8室と10室でした。
東山魁夷「道」 1950年 東京国立近代美術館
まず目を引くのが「道」でした。青森県の牧場に取材した作品で、草地をただ奥へと進む一本の道のみを、どこか単純化した構図で描いています。よく見ると向こう側の方がやや高くなっていて、そこからさらに右手へ折れていることが分かりました。魁夷は本作において、「これから歩もうとする道」(解説より)を強調すべく、表したそうです。シンプルな構図や色彩感は、作品のイメージを際立たせていました。
東山魁夷「秋翳」 1958年 東京国立近代美術館
その「単純な形の中に複雑なものを」(解説より)表そうとしたのが、「道」の約8年後に制作された「秋翳」でした。うっすらと桃色を帯びた空の下、紅葉に染まった山が描かれています。それ以外は一切なく、やはりシンプルです。ちょうど山が、画面の半分の地点にまで達しているからか、その三角形の形が、殊更に印象に残りました。
しかし複雑とは、何を意味するのでしょうか。答えは、山を覆う木々でした。ここに魁夷は、単に朱色ではなく、橙、紅、ピンクに色分け、多様に色づく紅葉を表現しました。また樹木の幹や枝も、細かに描きました。
東山魁夷「冬華」 1964年 東京国立近代美術館
霧氷に覆われた、一本の大木がそびえ立つのが、「冬華」でした。寒々とした森林を背に、白く凍りついた木があり、頭上にはやや淡く光る天体が浮かんでいます。うす暗がりの光景のため、思わず月かと勘違いしてしまいましたが、実際は霧のために霞んでいる太陽でした。魁夷は、北欧への旅行の印象を基にして、「冬華」を制作したそうです。彼の地の冷気が伝わってくるような作品かもしれません。
東山魁夷「残照」 1947年 東京国立近代美術館
俯瞰した構図で山々を表したのが「残照」です。どれほどの高さから眺めたのでしょうか。手前で茶色に染める山々は、彼方まで延々と連なり、奥では僅かにピンク色を帯びています。一部に煙がなびいているものの、山と空以外に何もありません。まさしく深遠で、思わず絵の前で深呼吸したくなるほどでした。
東山魁夷「白夜光」 1965年 東京国立近代美術館
「白夜光」でも、同じように大地を遠くから見据えています。「冬華」と同様に、北欧旅行に取材した作品で、フィンランド中部のクオビオに広がるモミの平原を描きました。モミの森林の合間には水が流れ、空を反映したのか、銀色に輝いています。整然と奥へと並ぶモミの生み出す遠近感と、水平線による横への志向が同時に見られます。ひたすらに広い。平原は画面から拡張していくかのようでした。
高山辰雄「穹」 1964年 東京国立近代美術館
さらに「雪降る」や「映象」などと充実しています。いずれも本画です。また、1964年の日展会場にて、魁夷の「冬華」と並んで話題となったという杉山寧、高山辰雄の「穹」も、あわせて展示されていました。見応えは十分でした。
音声ガイドに一工夫ありました。というのも、通常のガイドに加え、「残照」や「道」などの9点の作品に、魁夷本人の肉声解説が吹き込まれているからです。いずれも1968年、京橋時代の東京国立近代美術館の講堂で行われた美術講座、「私と風景画」の音源とのことでした。
東山魁夷「雪降る」 1961年 東京国立近代美術館 ほか
魁夷は「人気作家」(解説より)だけに、他館への貸し出しが多く、まとめて展示する機会が決して多くないそうです。魁夷ファン注目の展示と言えるかもしれません。
【美術館】MOMATコレクション展:東山特集。なんといっても最大のサービスは、混雑の少ないコレクション展会場で、代表作の数々をゆっくりとご覧いただけること。特集は現在開催中です。 pic.twitter.com/9duJ5eMK54
— 【公式】東京国立近代美術館 広報 (@MOMAT60th) 2017年10月1日
常設展料金のみで観覧可能です。11月5日まで開催されています。
「東山魁夷特集」 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー「MOMAT コレクション」(@MOMAT60th)
会期:9月12日(火)~11月5日(日)
休館:月曜日。
*但し9月18日、10月9日の月曜は開館。9月19日(火)、10月10日(火)は休館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜・土曜日は20時まで開館。
*企画展「日本の家」の会期中の金曜・土曜日は21時まで開館。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般500(400)円、大学生250(200)円、高校生以下、65歳以上無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*5時から割引:一般300円、大学生150円。
*無料観覧日:10月1日(日)、11月3日(金・祝)、11月5日(日)。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
「CHIBA DE ART チバデアート!」が開催されます
「CHIBA DE ART チバデアート!」
主催者:千葉近隣美術館(CKB)連携事業実行委員会
参加館:千葉県立美術館・千葉市美術館・DIC川村記念美術館・佐倉市立美術館・成田山書道美術館
URL:http://kawamura-museum.dic.co.jp/news/pdf/cdabusinfo_20171010.pdf(DIC川村記念美術館リリース)
これは千葉県北部の各美術館が、共同で情報を発信して、地域の振興を目指すもので、その一環としてガイドマップを発行するほか、5つの美術館を巡る無料巡回バスを運行します。
[アートガイドマップ「CHIBA DE ART チバデアート!の発行]*10月中旬予定
概要:アートを媒介としながら千葉北総エリアの魅力を紹介するガイドマップ。美術館5館の紹介に加えて、それらの立地する千葉市・佐倉市・成田市の知られざる魅力も紹介します。また、英訳併記でインバウンド誘致を盛り上げます。更に千葉市・佐倉市・成田市の観光協会と連携することで、ガイドマップを活用したPR・誘致活動を展開します。
参加館は、千葉県立美術館、千葉市美術館、DIC川村記念美術館、佐倉市立美術館、成田山書道美術館の5館で、いずれも佐倉街道、ないし成田街道と呼ばれる、国道51号線の周辺エリアに位置します。
[無料巡回バスの運行]
11月3、4、5、11、12、23、25、26日の8日間限定で、5つの美術館を無料で巡回するバスを運行します。
何よりも目玉は無料巡回バスの運行です。運行日は11月3、4、5、11、12、23、25、26日の8日間限定で、千葉県立美術館、千葉市美術館、DIC川村記念美術館を巡回するルートと、成田山書道美術館、佐倉市立美術館、DIC川村記念美術館を巡回する、2つのルートがあります。
ぞれぞれにバスガイドが乗車し、美術館に因む話題や、地元の歴史なども紹介するそうです。さらに乗車全員に缶バッジもプレゼントされます。全てのコースが無料です。かつて千葉市美術館とDIC川村記念美術館の間で、無料バスが発着したことがありましたが、これほど広域の美術館を行き来するのは、当然ながら初めてのことになります。
[スタンプラリーで美術館オリジナルグッズをプレゼント]
「アートガイドマップ」には「スタンプラリー欄」も。各美術館で1スタンプ、全部で5種類のスタンプを、集めれば集めるほどお得なスタンプラリーです。スタンプ3つ、4つ、5つの各回でノベルティーを受けられます。(引き換えは各提供美術館)
<プレゼント内容>
・千葉県立美術館:オリジナルポストカード3枚セット
・千葉市美術館:「オリジナル絆創膏」と「オリジナルボールペン」セット
・DIC川村記念美術館:「レンブラント飴」
・佐倉市立美術館:「オリジナルスケッチブック」
・成田山書道美術館:「紀泰山銘オリジナルクリアファイルセット」
さらにスタンプラリーも実施され、スタンプを集めると、各館のオリジナルグッズがプレゼントされます。
[巡回バス運行中の展覧会開催情報]
・千葉県立美術館「Art Collection 追悼 深沢幸雄の歩み」/「Art Collection 近代洋画の先駆者 浅井忠 5-バルビゾン派とともに」/「ArtCollection 季節の彩り」
10/28〜1/14。月曜休館・祝日及び振替休日の場合はその翌日休館。9:00〜16:30。
・千葉市美術館「没後70年 北野恒富展」/「所蔵作品展 近代美女競べ」
11/3〜2/17。第1月曜休館・祝日の場合はその翌日休館。10:00〜18:00(金・土曜は20時まで開館)
・佐倉市立美術館「自動車の世紀展」
10/28〜12/17。月曜休館・祝日の場合はその翌日休館。10:00〜18:00。
・DIC川村記念美術館「フェリーチェ・ベアトの写真 人物・風景と日本の洋画」
9/9〜12/3。月曜休館・祝日の場合はその翌日休館。9:30〜17:00。
・成田山書道美術館「生誕180年日下部鳴鶴展」
10/28〜12/17。月曜休館・祝日の場合はその翌日休館。9:00〜17:00。
(拡大)
巡回バス運行中の展示情報は上記の通りです。千葉市美術館では、あべのハルカス美術館より巡回してくる「北野恒富」展も始まります。
どこの起点を設定するのかが悩ましいところですが、最も都内寄りで、また駅に近いのは、千葉市美術館、もしくは千葉県立美術館です。そこからバスで佐倉へと向かい、DIC川村記念美術館を経由したのち、成田山書道美術館を目指すのも一つの手かもしれません。
千葉市美術館10:35発〜DIC川村記念美術館11:05着 DIC川村記念美術館13:25発〜成田山書道美術館14:05着 成田山書道美術館15:55発〜佐倉市美術館着(バス終了。美術館は18時まで開館。)
ただし1日で回るとなると、そもそも全ての展覧会が見られない上に、最後は電車を利用する必要があります。よって2ルートあるので、別の日に改めて出かけるのが良さそうです。
【CHIBA DE ART!】千葉・佐倉・成田の5つの美術館を巡るバスが運行します。(11月の8日間限定) https://t.co/sVmClDSZEK pic.twitter.com/xh76JjmRGn
— DIC川村記念美術館 (@kawamura_dic) 2017年10月17日
千葉北総の5つの美術館の新たな取り組みです。2020年の東京オリンピックを見据えた企画でもあるので、さらなる取り組みも行われるのではないでしょうか。今後の展開にも期待したいと思います。
「驚異の超絶技巧!ー明治工芸から現代アートへ」 三井記念美術館
「驚異の超絶技巧!ー明治工芸から現代アートへ」
9/16~12/3
三井記念美術館で開催中の「驚異の超絶技巧!ー明治工芸から現代アートへ」のブロガーナイトに参加してきました。
明治時代、主に輸出用として作られた七宝や金工などの工芸品には、まさに「超絶技巧」と呼ぶべき、職人らの並外れた技が反映されていました。
そうした工芸品に着目したのが、「驚異の超絶技巧!ー明治工芸から現代アートへ」です。三井記念美術館では、2014年にも「超絶技巧!明治工芸の粋」を開催しましたが、今回は内容を一新し、明治時代だけでなく、現代美術における技巧的な作品までを紹介しています。
右:宗義「伊勢海老」 清水三年坂美術館
まずは海老の自在置物に注目です。自在とは、身体の各部の可動する金属の置物で、江戸時代中期頃に生み出されました。その後、明治時代に発展し、機構のみならず、色彩までを再現しては、実物に迫ろうとする作品も作られました。写真の右は、戦前の宗義の制作した「伊勢海老」です。宗義は、明治時代に京都で台頭した、高瀬好山に習った職人の1人で、特に名工の呼び声が高く、様々な自在を世に送り出しました。
大竹亮峯「自在 鹿の子海老」
一方で、中央の海老はどうでしょうか。これこそが、1989年生まれの大竹亮峯による木彫の自在で、本展のために制作された新作でした。触覚から細かな肢までを見事に再現し、一部には、和紙に漆を塗った素材で、透ける様子を表現しています。自在の伝統は、若い作家の創作を借りて、現代に新たな形で蘇りました。
手前:満田晴穂「自在蛇骨格」
このように明治から戦前までと、現代の作品が、時に隣り合わせに展示されているのもポイントです。例えば、同じく自在では、明珍派の「蛇」と、現代作家の満田晴穂の「自在蛇骨格」が並んでいました。ちなみに、満田の骨格のパーツ数は全部で500個もあり、背骨は0.1ミリ単位で調整することが出来るそうです。触ることこそ叶いませんが、さぞかし滑らかに動くに違いありません。
手前:高瀬好山「十二種昆虫」 清水三年坂美術館
昆虫の自在の比較も面白いのではないでしょうか。手前は、明治から昭和にかけて活動した、高瀬好山による「十二種昆虫」で、蜻蛉や蝶、兜虫などの12種の昆虫を、銀や銅との合金などで、ほぼ原寸大に作っています。もちろん脚を動かせたり、翅を開閉することも出来るそうです。
満田晴穂「自在十二種昆虫」
その奥にあるのが、先の蛇同様、現代作家の満田晴穂の「自在十二種昆虫」でした。同じく本物と見間違うかのように精巧ですが、満田は技巧をより進展させ、明治工芸では動かなかった腹や顎、符節など、本来的に昆虫が動く部分を、ほぼ全て動かせるように作り上げています。
安藤緑山「柿」 ほか
そのリアリティーにかけて断然に魅惑的なのが、明治から昭和にかけて活動した、牙彫家の安藤緑山でした。2014年の「超絶技巧展」でも注目を集めた緑山は、その後、調査が進み、新たな作品も発見されました。ただし安藤自体は依然として謎めいた職人で、生没年はおろか、家族や弟子の有無も分かっていません。作品のみが残されています。
安藤緑山「胡瓜」
スーパーリアリズムと称されるのも、あながち誇張ではありません。その最たるのが「胡瓜」でした。蔓や実の表皮のイボ、さらにはしぼんだ花など、まさに実物に迫る造形でキュウリを象っています。
安藤緑山「パイナップル、バナナ」 清水三年坂美術館
柿やパイナップル、筍もリアルで、全て象牙の彫刻です。また安藤は形だけでなく、本物の色も実に器用に再現しています。しぼんだ干し柿や、土色のしいたけからは、象牙の硬さを微塵も感じられません。
前原冬樹「一刻:皿に秋刀魚」
もちろん現代においても、リアリズムに取り組む作家がいます。その1人が木彫家の前原冬樹でした。食べかけの秋刀魚が、白い皿の上にのっています。鱗や半身の質感の再現度は極めて高く、何度見ても木彫には思えませんが、さらに解説を読んで驚きました。というのも、魚と皿は一体、つまり一木から彫り出された作品だからです。にわかには信じられません。
前原冬樹「一刻:有刺鉄線」
同じく前原の「空き缶、ピラカンサ」、「有刺鉄線」も、一木から作られた作品でした。有刺鉄線には、細く、葉をつけた植物の蔓が絡みついています。作家は制作中、作品が折れないよう、指の上で彫り進めるそうです。
鈴木祥太「綿毛蒲公英」
1987年生まれの鈴木祥太も、驚くべき精緻な作品を作り上げていました。「綿毛蒲公英」です。一本のタンポポの綿を再現していますが、綿毛は極細の真鍮線で、白い色は酸化チタンをつけて、茎の部分に一本一本差し込んでいます。肉眼では細部が確認出来ないかもしれません。単眼鏡が必要でした。
山口英紀「右心房左心室」
写真と見間違う方も少なくないかもしれません。現代の画家、山口英紀は、「右心房左心室」において、高層ビルの間を走る高速道路の風景を表しました。タイトルは車の流れを動脈と静脈に見立てたもので、右の作品には車が走っているものの、左には一台も走っていません。
山口英紀「右心房左心室」(拡大)
素材は水墨で、絹地の上に筆で描いています。確かにモノクロ写真のようにも見えますが、実際の作品を前にすると、墨の細かなニュアンスも伝わってきます。その辺も魅力と言えそうです。
臼井良平「Untitled」
写実的ながらも、ややトリッキーでもあるのが、臼井良平の作品でした。一見するところ、水で満たされたペットボトルが2本あり、一部は手で押しつぶしたのか、歪んでいます。中にはたくさんの気泡が浮いていました。プラスチックで出来ているように思えるかもしれません。
実際はガラスでした。ボトルの左右、底面を3分割して型取りし、型を作ります。その受け口に固形のガラスを詰め、焼成しているそうです。さらに質感を際立たせるため、やすりで研磨します。完成まで全部で20工程にも及ぶそうです。作家の造形に対する執念すら感じられるほどでした。
並河靖之「紫陽花図花瓶」 清水三年坂美術館
出展作数は七宝、漆工、牙彫、木彫、自在、陶磁、金工、染織をあわせて約150点です。現代の作品が意外と多くあります。明治から昭和、そして現代へと至る、職人や作家の超絶技巧の系譜を、工芸品から辿ることが出来ました。
右:宮川香山「猫ニ花細工花瓶」 眞葛ミュージアム
左:高橋賢悟「origin as a human」
写真はいずれもブロガーナイト時に美術館の許可を得て撮影しましたが、冒頭の2点、宮川香山の「猫ニ花細工花瓶」と、現代作家の高橋賢悟の「origin as a human」は、会期中、いつでも写真が撮れます。
12月3日まで開催されています。
「驚異の超絶技巧!ー明治工芸から現代アートへ」 三井記念美術館
会期:9月16日(土)~12月3日(日)
休館:月曜日、10月10日(火)。
*但し9月18日(月・祝)、10月10日(火)は開館。
時間:10:00~17:00
*ナイトミュージアム:会期中の金曜日、および9月30日(土)は19時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1300(1100)円、大学・高校生800(700)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*70歳以上は1000円。
*ナイトミュージアム開催日の17時以降の入館料は一般1000円、大学・高校生500円。
*リピーター割引:会期中、一般券、学生券の半券を提示すると、2回目以降は団体料金を適用。
場所:中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階
交通:東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅A7出口より徒歩1分。JR線新日本橋駅1番出口より徒歩5分。
注)写真はブロガーナイト時に主催者の許可を得て撮影したものです。
「黄金町バザール2017」 日ノ出町駅から黄金町駅間の高架下スタジオほか
「黄金町バザール2017ーDouble Façade 他者と出会うための複数の方法」
8/4〜9/13、9/15〜11/5
「黄金町バザール2017」へ行ってきました。
2008年にスタートした黄金町バザールも、10回目の開催を迎えました。
今年はヨコハマトリエンナーレとの連動企画です。「Double Façade 他者と出会うための複数の方法」をテーマに、現代美術の展示をはじめ、ワークショップ、パフォーマンスイベントのほか、シンポジウムなどが開催されています。
「黄金町バザール」起点は、ちょうど開催エリア中央部、日の出町駅と黄金町駅の間の、「黄金町エリアマネジメントセンター事務局」です。ここでヨコハマトリエンナーレのセット券を、バザールのパスポートに引き換えることが出来ます。トリエンナーレ会場と行き来するシャトルバスも、センターの目の前で発着していました。
センターでパスポートを入手し、地図を片手に街へと繰り出します。会場は約15か所です。いずれも小さなスペースですが、エリア一帯に分散しているため、まさに街歩きさながら、線路の高架に沿いつつ、時に細い路地を行き来しては、会場を練り歩く必要があります。
建物の壁面に絵画が見えました。台湾のキャンディー・バードによる、「歯車味のチャーハン」です。何とも謎めいたタトルですが、三島由紀夫の小説「仮面の告白」に着想を得ていて、作中に登場する、台湾の少年工の歴史を表現しています。作家は、台湾でストリート・アーティストとして活動し、街頭や廃墟に作品を描いているそうです。その絵画が黄金町にも加わりました。
フィリピンのジェイビー・デル・ロザリオは、詩や作曲に加え、バンドとしても活動しています。既製品による楽器でしょうか。映像に流れる音楽とともに、実際に叩いては、打ち鳴らし、演奏することも出来ました。
たくさんのモニターが置かれていました。キュンチョメによる「ここでつくる新しい顔」です。しかし顔とはいえども、いずれも様子がおかしいことに気づきました。何故ならば、皆、目隠しをしているからです。作品は、昨年、チュンチョメが実施した個展を記録した映像で、作家は、国内にいる難民を個展会場に滞在させ、来場した観客と一緒に顔を作るというパフォーマンスを行いました。
その会場は暗く、戸惑いを覚える観客も少なくなかったそうです。しかし、回が進むに連れ、難民が観客、つまり日本人をうまくコントロールし、的確に顔を作り上げる、いわばプロフェッショナルと化しました。そこにチュンチョメは、難民と日本人という、本来的にゲストとホストの関係が、逆転していることを見出しました。
Chim↑Pomは以前、無人島ギャラリーに出展した「The other side」を縮小して再構成。メキシコとアメリカの国境に取材した映像作品を展示しています。
地域住民を集め、オークションを行ったのが、現代美術家の松蔭浩之でした。ただし通常とは異なり、美術品の落札にお金を要しません。つまり「お金のかからないオークション」でした。その代わりに会期中、落札者の自宅や商店に、作品を展示します。
オークション時の映像が出ていましたが、松蔭の巧みなトークもあってか、会場も盛り上がっているように見えました。地域を巻き込んだ、面白い取り組みではないでしょうか。
アニメソングを鳴り響かせながら、踊り続けるパフォーマンス劇団、「革命アイドル暴走ちゃん」が、カオスとも言うべき空間を作り出していました。2013年に、スイスやオランダの招聘を受けて活動を始め、以来、ヨーロッパ各地やオーストラリアでも公演を重ねてきました。
ライブは演出家が統制し、観客にコミュニケーションを求める、「客席に侵入する上演スタイル」(解説より)を取っているそうです。「普通の演劇に興味ありません」のメッセージもありました。かなり尖っています。
韓国のイ・セヒョンの写真を見て、思い出したのが、マグリットの絵画でした。ランドマークタワーを背にした横浜港を捉えたのが、「Made in Yokohama」です。藍色の海に青空がよく映えてます。しかし、空に異変がありました。突如、現れた石の存在です。まるで隕石が飛来したかのように宙に浮いています。
ほかにも、広島の原爆ドームの空に石が現れた写真もありました。実際のところ、石を投げ込んで、写真に収めているそうです。にも関わらず、どこか非日常的な世界を捉えているようにも見えました。シュールとも言えるかもしれません。
毒山凡太朗は、台湾と沖縄で戦争を体験した人々に取材し、映像を制作しています。いわゆる皇民化教育の時代で、当時の記憶を残す台湾の老人は、流暢な日本語で軍歌を歌っていました。作家は福島の生まれで、かの3.11を切っ掛けに、サラリーマン生活をやめ、美術家として活動し始めました。対象者へ真正面に向き合う丁寧なインタビューも印象に残りました。
有川滋男の映像インスタレーションが見応えありました。舞台は横浜です。ユニフォーム姿で、ヘルメットをかぶり、ラバーカップを持っている人々が登場します。水道業者なのでしょうか。しかしすぐに違うことがわかりました。
全ては創作で、現実ではありません。有川は「架空の職業を営む架空の職場」(解説より)を作り上げているからです。
映像だけでなく、会場にも職場を再現しているのも、面白いのではないでしょうか。映像と見比べては楽しみました。
ほかには高架下の土の剥き出しのスペースを用いた地主麻衣子や、日常的な空間に日用品を取り込んでインスタレーションを構成した、チョン・ボギョンの展示なども心に留まりました。
さて、最後におすすめしたいのが、マツダホームです。アーティストは、黄金町の長期レジデンスに参加している松田直樹・るみによるユニットで、ガイドには「彼らの日常生活の様子を公開」とありました。一体、どのような内容なのでしょうか。
マツダホームは、大岡川に面した、古びた雑居ビルの3階にありました。かなり老朽化が進んでいて、塗装は剥げ落ち、あちこちは錆び付いています。しかし廃墟ではなく、現役の建物で、実際に人の生活の気配も感じられました。住人もおられるようです。
率直なところ、入るのに躊躇しました。というのも、バザールの看板こそあるものの、マツダホームの扉が固く閉ざされているからです。しかも入場にはインターホンを押す必要もありました。
あえてネタバレは伏せます。是非、現地で体験していただきたいところですが、まさしくテーマの「他者と出会うための複数の方法」を、体を張って実現した展示ではないでしょうか。事前にリサーチしていなかった私にとっては、大いにサプライズでした。
結局、今年のヨコハマトリエンナーレは、3つの本展示と、連動するBankARTと黄金町バザールを、2日間に分けて見て来ました。もちろんペースに個人差はありますが、全ての展示を1日で巡るのは、相当にハードではないかと思います。
横浜美術館を中心とするトリエンナーレも見応えはありますが、古い倉庫跡を利用したBankARTや、かつての風俗街の雰囲気も残る黄金町界隈の展示は、ともに場所自体からして独特な魅力があります。
トリエンナーレにお出かけの際は、日程にゆとりを持って、BankARTや黄金町もあわせて観覧されることをおすすめします。
神奈川)他者と出会う複数の方法 黄金町でアートフェス:朝日新聞デジタル https://t.co/FrQK34ZN2a
— 黄金町エリアマネジメントセンター (@koganechobazaar) 2017年9月8日
会期も残り半月強となりました。11月5日まで開催されています。
*「ヨコハマトリエンナーレ2017」 関連エントリ
前編:横浜美術館/中編:横浜赤レンガ倉庫1号館/後編:横浜市開港記念会館地下/BankART LifeⅤ~観光/黄金町バザール2017
「黄金町バザール2017ーDouble Façade 他者と出会うための複数の方法」(@koganechobazaar) 京急線日ノ出町駅から黄金町駅間の高架下スタジオ、周辺のスタジオ、既存の店舗、屋外、他
会期:8月4日(金)〜 9月13日(水)、9月15日(金)〜11月5日(日)
休館:第2・第4木曜日。
時間:11:00~18:30
*但し10/27〜29、11/2〜4は20時半まで。
料金:700円。パスポート制。会期中有効。
**ヨコハマトリエンナーレ提携セット券あり。一般2400円、大学・専門学生1800円、高校生1400円。中学生以下無料。
住所:横浜市中区日ノ出町2-158(認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター)
交通:京急線日ノ出町駅または黄金町駅より徒歩約3分。JR線・横浜市市営地下鉄桜木町駅より徒歩15分。
「BankART LifeⅤ~観光」 BankArt Studio NYK
「BankART LifeⅤ~観光」
8/4~11/5
BankArt Studio NYKで開催中の「BankART LifeⅤ~観光」を見てきました。
他郷の風光、景色を見物する観光とは、元来、中国の「易経」の一節に登場し、国の光を観る、すなわちその地の優れたものを観ることを意味します。
その観光がテーマです。BankArt Studio NYK内を、現代美術を介して、周遊することが出来ました。
たくさんの光の花が出迎えてくれました。「花と海と光」です。丸山純子の制作した花が一面に広がっていました。白を基調としながらも、一部には色があり、よく見るとレジ袋を素材にしていることが分かりました。実に軽やかです。一体、何本あるのでしょうか。
そこへさざ波が押し寄せてきました。高橋啓祐による映像作品で、海を模した青い映像の下には、白い砂が敷き詰められています。波は終始、変化し、一定ではありません。時折、波しぶきの白い光を放ちながら、絶えることなく、打ち寄せていました。
動きのある作品としては、牛島達治の「大車輪」も忘れられません。高さ2メートルほどの車輪がほぼ直立に置かれていて、ワイヤーの力により、円を描くようにに回転していました。これがなんともぎこちなく、ぐらつきながら、時に傾いては、前へ進み行きます。牛島は1980年代の中ばより、このようにメカニカルな動く作品を制作してるそうです。
岡崎乾二郎は大型のオブジェの展示です。あえて狭いスペースへ詰め込んだのでしょうか。並々ならぬ量感が感じられました。
ちょうど私が出向いた時、関川航平が公開制作中でした。
壁に向き合うのが作家で、素手で色のついた粘土を押し込んでいます。よく見ると文字が連なって、メッセージと化しています。さらに何度か上書きしているようでした。
脚立があるように、天井の近くまで文字、ないし文章が続いています。手元には、まだたくさん粘土の塊が残っていました。如何なる姿で完成するのでしょうか。
ほかにも鈴木理策の池の水面を写した写真や、国内の原子力発電所をカメラに収めた佐藤清隆などの作品も目を引きます。絵画、写真、映像、インスタレーションと盛りだくさんでした。
1階のカフェや屋外も会場です。カフェスペースでは、開発好明がモニターを用いた作品を展示しています。
テラスには大きな象もいました。かねてより動物の彫刻を手がける井原宏蕗の作品です。作家は金属や鋳造などの伝統的な手法を軸にしながら、動物の食べ物や排泄物、それに巣などを素材にして作品を制作しています。
ところで、既に報道で知られるように、BankART Studio NYKは、2018年の4月に閉鎖が決まりました。
どうなる? BankARTが来年4月に閉鎖へ。日本郵船と契約更新できず https://t.co/RwDHILoxZg pic.twitter.com/EFkHSDvyLA
— ウェブ版「美術手帖」 (@bijutsutecho_) 2017年9月19日
私も足繁くBankART Studio NYKに通っていたわけではありませんが、かつての「柳幸典 ワンダリング・ポジション」や、「川俣正 Expand BankART」など、この建物だからこそ成し得た展示も少なくありませんでした。
率直なところ閉鎖は残念ですが、建物老朽化や、契約更新で折り合わなかったとするならば、致し方ないかもしれません。ただ横浜市は、BankART Studio NYKの機能を、ほかの施設に移すことを検討しています。今後の展開にも注目したいと思います。
「BankART LifeⅤ~観光」は、「ヨコハマトリエンナーレ2017」の関連アートプログラムです。トリエンナーレのセット券でも入場出来ます。
11月5日まで開催されています。
*「ヨコハマトリエンナーレ2017」 関連エントリ
前編:横浜美術館/中編:横浜赤レンガ倉庫1号館/後編:横浜市開港記念会館地下/BankART LifeⅤ~観光/黄金町バザール2017
「BankART LifeⅤ~観光」 BankArt Studio NYK
会期:8月4日(金)~11月5日(日)
休館:第2・4木曜日。
時間:10:00~19:00
*10/27~29、11/2~4は21時半まで開館。
料金:単体券1000円(パスポート制で何度でも入場可。)
*ヨコハマトリエンナーレ提携セット券あり。一般2400円、大学・専門学生1800円、高校生1400円。中学生以下無料。
*20名以上の団体は1枚当たり200円引。
住所:横浜市中区海岸通3-9
交通:横浜みなとみらい線馬車道駅6出口(赤レンガ倉庫口)より徒歩5分。
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