「岡村桂三郎 -『白象図』/『黄象』他」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「岡村桂三郎 -『白象図』/『黄象』他」(所蔵作品展
3/14-6/7

西洋画や日本画の印象が強い東近美常設展ですが、現代アートのコレクションも見逃せないものがあります。鎌倉(神奈川県美)の個展の記憶も新しい岡村桂三郎が紹介されていました。



本館2階「第5章」、現代美術コーナーでの登場です。近美でも一際大きな空間を用いての展示でした。さながら「岡村ルーム」とも言えるのではないでしょうか。



「黄象」。対峙するのはこれから格闘を始めようとする象でしょうか。



少し寄って接写してみました。切り刻まれたパネル表面の『鱗』は生々しく、鋭く剥き出た牙を見せながら、じろりとこちらを睨んでいました。

またこの他にも常設展内ギャラリー4、特集展示の「木に潜むもの」でも岡村のパネル画が一点展示されています。



「玄武」。92年の作品です。上の「象」のイメージとはやや異なりますが、そのモチーフはまるで太古に生きる幻獣のようです。荒々しい『傷跡』に存在の重みを感じました。

埼玉県美のニュー・ヴィジョン、そして前述の神奈川県美で一気に惹かれた氏の作品ですが、それらが基本的に暗室であったのに対し、今回はごく普通の明るい照明の下での展示になっています。その差異にも興味深く感じられました。

常設展は6月7日までの開催です。

注)常設展示は一部作品を除き、許可制にて写真撮影が可能です。

*関連エントリ
「岡村桂三郎展」 神奈川県立近代美術館 鎌倉
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「ヴィデオを待ちながら」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「ヴィデオを待ちながら - 映像、60年代から今日へ - 」
3/31-6/7



1960年代より70年にかけて制作された、いわゆる『ヴィデオ・アート』の源流をひも解きます。東京国立近代美術館で開催中の「ヴィデオを待ちながら - 映像、60年代から今日へ - 」へ行ってきました。



実のところ、前もって下調べもせず、漠然と映像メディアの展覧会という気持ちのみで会場へと足を運びましたが、そのイメージは非常に良い意味で裏切られました。秀逸な展覧会です。以下3点、展示で成功していると思われるポイントを抜き出してみました。

1.60年代から70年代という、映像メディア黎明期の作品のみに焦点を絞ったこと。→時代性がダイレクトに伝わってくる。
2.ベニヤ台の上のブラウン管モニターが点々と並ぶという『景色』そのものが、統一感にも長けたインスタレーションとして見るべきところがあったこと。→『古びている』はずの映像アートが、簡素な空間ながらも『今』の場に置き換えて体験しているような気分を味わえた。
3.「鏡と反映」や「フレームの拡張」と言った5つのテーマが、難解になり過ぎずに個々の作品の魅力を引き出していたこと。→去年の回文展(わたしいまめまいしたわ)の反省もあったのかもしれない。設定テーマに無理がなかった。



それではいくつか印象に残った作品を挙げます。

アンディ・ウォーホル「アウター・アンド・インナー・スペース」(1965年)
最初のヴィデオ・アートとも言われるスクリーン投影の記念碑的作品です。ウォーホルお気に入りの女優を左右のスクリーンに並べ、左に過去、右に現在と二つの位相でそのドラマを描きます。その手法はまさに彼の「分裂」の絵画と同じでした。(*)

ヴィト・アコンチ「センターズ」(1971)
20分間ひたすら画面の中心を指差し続けます。バカバカしさ全開ながらも、呪いでもかけられているような気分を楽しめました。

ヴァリー・エクスポート「家族に向き合う」(1971)
何やら談笑しながらこちらを見やる家族が映されています。実はTVドラマを見る彼らをこちらから見ているという仕掛けでした。見ると見られるの関係を古典に問いただします。

野村仁「毎日10分間、本屋のTVに写るN」(1971)
Nは野村、ようは本屋の監視カメラに映り続ける作家本人を捉えた映像です。発表当時、それをモニター室で観客が見ると言うパフォーマンスが行われました。かの時代的な空気を感じます。

ジョアン・ジョナス「ヴァーティカル・ロール」(1972)
カメラとモニターの信号周波数の差異を利用した作品です。映された本人の身体が、拍子木の音をリズムに、映像のブレの動きとともに上下していました。モニター自体が手段でなく、その素材となり得た作品と言えるのではないでしょうか。

ダン・グレアム「向き合った鏡と時差を持つヴィデオ・モニター」(1974)
映像と鏡を用いた大掛かりなインスタレーションです。左右の二面の鏡と二台のモニターが、映り込む観客自体を何層もの次元に分断して提示します。空間と時間の感覚を揺さぶられました。

ペーター・フィシュリ+ダヴィット・ヴァイス「事の次第」(1986-87)
ドミノ倒しの日用品バージョンです。タイヤやバケツなどのどこにでもある物品が、上から落ち、また水を流し、また転がり行くようにして次々と動き、展開します。一見、澱みなく時間が進んでいるようにも思えましたが、実は随所にカットが仕掛けられていました。映像の一種のフェイク的な要素が示されていた作品です。

なお泉太郎が会場の一部を用い、これらのかつての映像作品を遊ぶかのようにして自作のインスタレーションを手がけています。



繰り返しにもなりますが、何かと『退屈・難解・意味不明』と捉えがちのヴィデオ・アートを、分かりやすい構成と効果的な展示方法で紹介することに成功した展覧会と言えるのではないでしょうか。集客は始めから期待されていないのでしょうが、映像アートに苦手な方にも『体験』していただきたいと思いました。

ヴィデオを待ちながら/Waiting for Video: Works From the 1960s To Today


会期は迫っていますが、密かに強力にプッシュします。6月7日までの開催です。

*この作品だけは上映時間が限られています。10:30,12:00,13:30,15:00,16:25,17:45,19:00(17:45以降は金曜のみ。)

(追記:一度アップした本エントリに表示上の不具合がありました。再度訂正して掲載します。失礼しました。)
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睡蓮と新緑を愛でる@川村記念美術館

前回の訪問から一ヶ月と経ちませんが、それでも花々や木立の色など、庭園の様子は大分と変化しています。ちょうど花をつけていた睡蓮の写真を撮ってきました。(写真は全てクリックで拡大します。)

春うらら@川村記念美術館(先月に行った時の写真です。しだれ桜が満開でした。)


園内奥の睡蓮池。日差し眩しく、暑いくらいの天候でした。


蓮池から。


よく見ると大量のおたまじゃくしが泳いでいました。

 
花のアップ。右はヒツジグサだと思います。


なお睡蓮池の横には花菖蒲の畑があります。私が出向いた先週はまだでしたが、公式HPによればそろそろ花が咲き始めたそうです。これからお出かけの方は楽しめるのではないでしょうか。

  
こちらは睡蓮池の側で見つけた花々です。右はクレマチスでしょうか。


番外編。アート広場では立派なカメラを持った方が撮影大会をされていました。私はありきたりのデジカメですが、美術館だけでなく、カメラ片手に色々と散策出来るのも川村の楽しみ方の一つです。

なお昨日の記事でもお伝えしましたが、ロスコ展の会期が僅かながら延長されています。当初の6月7日ではなく、11日までに変更となりました。

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」 川村記念美術館(Vol.1・プレビュー)/(Vol.2・レクチャー)/(Vol.3・シーグラム壁画)

なお館内では、ロスコ展の後の展示スケジュールが案内されていました。

「コレクション展示」:6/12~26
「4つの物語 - コレクションと日本近代美術」:6/27~9/23
「コレクション展示」:9/26~10/9
「静寂と色彩 - 月光のアンフラマンス」:10/10~2010/1/11

コレクションを挟み、計二つの特別展が開催されるようです。詳細を心待ちにしたいと思います。
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「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」(Vol.3・シーグラム壁画展示室) 川村記念美術館

川村記念美術館千葉県佐倉市坂戸631
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」
2/21-6/11(会期延長)



そろそろ会期末を迎えました。三度目のロスコ詣です。川村記念美術館で開催中の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」へ行ってきました。

展示構成、会場写真、またプレビュー時の学芸員、林寿美氏のレクチャーなどは以下のエントリをご参照下さい。

「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」 川村記念美術館(Vol.1・プレビュー)/(Vol.2・レクチャー)

さてこの展覧会の最大の見せ場が「シーグラム壁画展示室」であることは言うまでもありませんが、今回はその率直な印象を、特に展示方法に関する形で書きたいと思います。



・ロスコの想定したイメージに近い展示方法(作品の高さ、間隔など。)がとられているが、当然ながらも完全な「再現」になっているわけではない。
 →そもそもロスコが壁画展示を見ることなく亡くなったことを考えても、その再現は結局、言わば作る側と見る側とがそれぞれに思う一種の幻影に過ぎないのではないでしょうか。

・新旧を問わず、常設の「ロスコ・ルーム」とは空間、照度とも展示形態が大きく異なっている。
 →半ば川村記念美術館が長年に渡って築いてきたロスコのイメージを、不思議にも同美術館自身が見事に打ち破りました。戸惑いを覚えた方も多いかもしれません。

・比較的照度の高い展示室は、暗室にぼんやりと浮かび、まるで得体の知れないものとして映るロスコの『アウラ』を取り払った。
→ロスコの作品を一つの「絵画」として捉えることが可能です。作品との適度な距離も、また「壁画」としてあるべき作品の意味を伝えていました。

・細部まで見ることが可能になったことで、一枚一枚の作品の持つ力を汲み取り易くなっていた。
→毛羽立ったタッチ、太く力強いストローク、そして随所に見られるレイヤー状の色調変化などが手に取るように分かりました。ロスコの絵からこれほど激しい熱気と情熱を感じたのは初めてです。じっと絵画だけを見つめているとその煮えたぎる炎と血潮にのまれてしまいました。

・サブタイトルにある瞑想的なロスコ観はこの展示に似つかない。
→川村のロスコ・ルームのような半ば地底の洞窟から引き出し、作品に新たな光と輝きを与えたことこそ最大の功績です。天井の採光窓によって変化する照度により、絵画自身があたかものびのびと呼吸しているような気がしたのは私だけでしょうか。

・円環状に繋ぎ合わされた絵画は人知を超えたスケールへと達していた。
→ロスコの意図した空間はともあれ、今回は彼の作品を内向きではなく、むしろ外に開かれた、言わば大自然の景色のような大きな存在として見せていました。大きな山や海原を前にした時の感覚に近いかもしれません。普段、時に息のつまることもある濃密なロスコも、ここでは少し離れることで、比較的落ち着いて向き合えました。



ロスコの作品はデリケートと言うよりもむしろ饒舌で、見る側にある程度の情報の取捨選択を迫るためか、その時々の心持ちなどによって大きく印象が変わります。実際のところ、今回ほど受け手側の想像力を自由にさせるロスコ展はありませんが、出来れば私もさらに足を運び、多様なイメージを想い馳せながら楽しめればと思いました。

なお会期が若干延長されました。6月11日までの開催です。改めてお見逃しなきようおすすめします。

*上記写真は「(c) Kawamura Memorial Museum of Art 2009」
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「金氏徹平 - 溶け出す都市、空白の森 - 」 横浜美術館

横浜美術館横浜市西区みなとみらい3-4-1
「金氏徹平 - 溶け出す都市、空白の森 - 」
3/20-5/27(会期終了)



すっかり行きそびれていましたが、会期末に慌てて見てきました。横浜美術館で開催されていた「金氏徹平 - 溶け出す都市、空白の森 - 」へ行ってきました。



金氏をMOTアニュアルで知って以来、少し気になっていた私にとって、今回の大個展がその魅力に惹かれる切っ掛けになったのかもしれません。色に形に多彩なプラスティック製品を寄せ集め、自在な姿へと変えた上で、命を吹き込むかのように白などの樹脂をかける様は、誰もが心の奥底に抱いているであろう手で物を作るという欲求を、どこかくすぐるかのようにして呼び覚ましてきます。実際のところ、その制作は、身近な箱庭づくりやプラモデル作りにも似ているのではないでしょうか。もちろんそれらが既製品の範疇をゆうに超えた、自由なイメージで開けてくるところに、また稀な才能を見ることが出来るのかもしれません。



オブジェの他、ペインティングしか知らなかったせいか、大掛かりなスクリーンを用いたアニメーション映像は、彼の制作への欲求の根源を知るようで楽しめました。上記「Tower」に由来する絵画上の固定化されたイメージは、アニメの形をとることで、さらなる動き、ようは物語を紡ぎ始めて次のレベルへと達していきます。建物から歯磨き粉のチューブがニョロリと溢れ出し、また逆流したかと思うと今度は上部からガスが吹き出し、さらには壁から突き出た手がバスケットボールを終始ドリブルし続けました。脈絡のない時間の流れ、またあり得ない現象を、一つの場所の中に不思議と破綻なく、器用にまとめています。その手法には感心させられました。

横浜美術館 「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」 展示風景(公式HPより)


浜美の現代アート展ということで会場構成も秀逸です。おそらくはあの李禹煥展以来となるコンクリート剥き出しの床を借景に、白、茶、そして極彩色と作品のカラーを順に変化させて、見る側の想像力を飽きさせることなく喚起し続けています。またラストの二つの巨大オブジェ、木の魔物「Splash and Flake」と、カラフルなプラスティックの巨大戦艦「Ghost ship in a storm」の対峙する姿は圧巻の一言でした。個人的にはもっと細々とした小品の方が好きですが、スペースを活かした大作も、美術館初個展へとかける金氏本人の強い意気込みを感じました。

新作個展とは言え、相当数の作品の全てが本年の制作とは驚きました。おもちゃアートの創造主、金氏のアイデアはまだまだこれからも爆発的に溢れ出ていきそうです。



かなりタイトなスケジュールで入場しましたが、少し無理してでも見に行って正解でした。展示は本日で終了しています。
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「日本の美術館名品展」(Vol.3・マイベスト)

東京都美術館台東区上野公園8-36
「美連協25周年記念 日本の美術館名品展」
4/25-7/5



学芸員氏レクチャーのVol.1、私的な見所を書いたVol.2に引き続きます。無理があるのは承知ながらも、現在展示中の作品より、各ジャンル毎に惹かれたものを「ベスト5」という形で挙げてみました。

1.西洋絵画・彫刻



オノレ・ドーミエ「ドン・キホーテとチョ・パンサ」(伊丹市立美術館)
展示順路、冒頭に登場するドーミエの珍しい油彩画です。ドン・キホーテ主従を影絵のようなタッチで描いています。白昼夢を見ているような気分にさせられました。



エゴン・シーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」(豊田市美術館)
日本で唯一、シーレの油彩を所蔵する豊田市美からの名品です。まるでペンキを塗り込んだ画肌からして特異ですが、深く腰掛けて手を前に合わせ、下から斜め上方向を伺うような姿勢そのものにモデルの持つ凄みを感じました。その怜悧な視線は見る者を凍らせてしまうかのような迫力があります。



ハイム・スーチン「セレの風景」(名古屋市美術館)
ヴラマンクも真っ青なほどに歪み、また悶え苦しむ風景が示されています。まるで靡く炎か蜃気楼の如く揺らめく木立は視界を大きく遮り、後景には堅牢な山々と反面の埋もれ崩れそうな家が描かれていました。



ポール・デルヴォー「海は近い」(姫路市立美術館)
無条件に好きな画家なので挙げないわけにはいきません。埼玉県美へ巡回したシュルレアリスム展でも見た「海は近い」に再会することが出来ました。エロスを連想させ、艶やかさを押し出しながらも、その冷めきった夜の気配と静寂感がたまらない一枚です。



フランソワ・ポンポン「シロクマ」(群馬県立館林美術館)
館林のアトリエで一目惚れしたポンポンのシロクマくんが上野に出張中です。白い大理石の質感と、緩やかな曲線によって象られた姿に癒されました。

2.日本、近現代洋画



山本芳翠「裸婦」(岐阜県美術館)
日本の洋画家の中でも一際、絵が巧い山本芳翠の描く裸婦像です。シーツの上に横たわりながら水辺で佇むその姿は、精緻な描写と背景の植物の効果もあってか、まるでミレイの絵画を思わせるような幻想性をたたえていました。



河野通勢「聖ヨハネ」(渋谷区立松濤美術館寄託)
今更ながら松濤美術館での回顧展を見逃したのが悔やまれます。洗礼者ヨハネが、劉生張りの写実で示された荒野の上を、一抹の憂いをたたえながら、それでも無垢な表情をして立っていました。ブロンドの髪、腰巻きの毛皮、そしてうっすらとピンク色がかった肌の表現などは必見でしょう。



三岸好太郎「のんびり貝」(北海道立三岸好太郎美術館)
のほほんとしたタイトルと貝の取り合わせに素直に惹かれました。明るめの色遣いの他、物質感のあるタッチは屈託がありませんが、横に長く伸びる影などに、一抹の不安感と孤独感を見て取ることが出来ます。(但しキャプションにある「死せる貝殻」のイメージまでは感じ取れませんでした。)



海老原喜之助「曲馬」(熊本県立美術館)
「エビハラ・ブルー」とも称される水色を背景に、あたかも今、空へと飛び立とうとするかのような馬と曲馬師が伸びやかな様子にて描かれています。半ば稚拙とも思える表現に、素朴な魅力を見出すことが出来ました。



松本竣介「橋」(東京駅裏)」(神奈川県立近代美術館)
松本も上のデルヴォー同様、無条件に好きな画家の一人です。かつて東京駅前にあったという八重洲橋の様子を、お馴染みの重く、また煤けたタッチで描いています。電柱の他、遠景の工場の煙突など、縦方向に伸びる事物が、誰もいない都会の真ん中を寂しく見下ろしていました。

3.日本画・版画



菱田春草「夕の森」(飯田市美術博物館)
朧げに浮かび上がる夕暮れの森の上を、鴉が群れをなしてぱらぱらと飛び交います。春草らしい儚気な気配がたまらなく魅力的な一枚でした。



小川芋銭「涼気流」(茨城県近代美術館)
やはり茨城から出されたのは『河童の芋銭』こと小川芋銭でした。霞ヶ浦の湖畔にて漁に勤しむ漁民の姿が颯爽としたタッチで表しています。遥か彼方に筑波山を望むこの空の広さこそ茨城の景色です。



北野恒富「宵宮の雨」(大阪市立美術館)
夕立に降られしばし外出をためらう女性たちの姿が示されています。色とりどりの着物を纏い、後姿で並ぶ女性にこそ美しさを感じたのは私だけではないかもしれません。しっとりと竹を濡らす雨音の他、彼女らの会話が聞こえてきそうなほど情緒豊かな作品でした。



近藤浩一路「雨期」(山梨県立美術館)
どんよりとした雲のたれ込める空と、遥か彼方まで続く苗が一体となって、無限の田園風景を作り上げています。遠目からではあたかも写真のような細かな描写も目を見張りますが、思わず深呼吸したくなるような開放感もまた魅力的でした。



駒井哲郎「樹」(東京都現代美術館)
何気ない樹木が清潔感にも溢れた『白』の中で立ち並びます。光眩しき余白が生気に漲る立ち木を祝福するかのように包み込んでいました。

如何でしょうか。

阿修羅、ルーヴルの入場者がともに60万人突破と、最近の上野の山の混雑は尋常ならざるものがありますが、この展覧会はそれらの喧噪とはほぼ無縁です。先日、改めて拝見してきましたが、館内には相当に余裕がありました。総花的云々の批判は容易いことかもしれませんが、今回ばかりは日本各地の美術館の品々を素直な目で楽しむのも良いのではないでしょうか。

そろそろ日本画、版画の入れ替わる後期展示(6/2~)が始まります。早々に見に行きたいです。

7月5日までの開催です。

*関連エントリ
「日本の美術館名品展」(Vol.2・全体の印象)
「日本の美術館名品展」(Vol.1・レクチャー)
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「三井家伝来 茶の湯の名品」 三井記念美術館

三井記念美術館中央区日本橋室町2-1-1 三井本館7階)
「三井家伝来 茶の湯の名品」
4/15-6/28



三井というと「お茶」のイメージがありますが、意外にも館蔵の茶道具を一堂に公開するのは今回が初めてだそうです。(*)開催中の「三井家伝来 茶の湯の名品」へ行ってきました。

お茶の素養もない私でも、本展で紹介された茶道具、特に茶碗などは、本来の鑑賞の有り方からは逸脱するかもしれませんが、素直に工芸、美術品として楽しめます。以下、印象に残った作品を挙げてみました。



「伊賀耳付花入 銘業平」(桃山時代)
胴の部分が大胆にひしゃげた造形と、うっすらとかかる薄緑色の釉薬が魅力的な花入れです。伊賀焼とありましたが、近くの信楽とは何か関係があるのでしょうか。遊び心にも満ちたその形に強く惹かれました。



「中興名物 玳皮盞」(南宋時代)
見込みに飛鳥が舞う風雅な天目茶碗です。甲羅というよりも、激しく跳ねる水しぶきのような釉に力強さを感じました。



「黒楽茶碗 銘雨雲」(江戸時代/本阿弥光悦作)
シャープな口縁に光悦らしさを思うお馴染みの名品です。ちょうど雨の日に行ったからでしょうか。胴の部分に走る模様は、まさに驟雨に洗われて揺れる大地のようでもありました。

「高野切」(平安時代)
古今和歌集の最古の写本として知られる作品です。伸びやかに連なる「かな」の舞いは、まさに優美の一言でした。

「赤楽茶碗 銘再来」(江戸時代/道入作)
楽のモダン、道入の手がけた赤楽です。腰の低い造形にどっしりした朱の色味と、色に形に沈み込むような気配にくすぐられました。

「虎画讃」(江戸時代/啐啄斎筆)
仙がい風の即興的な筆にてまるで犬のように可愛らしい虎が駆けています。鳴き声はやはりきゃんきゃんとなるのでしょうか。

一部作品に展示替えがあります。詳細は公式HPをご覧下さい。



織田有楽斎の建てた「如庵」を再現した展示ケース(上写真。HPより転載。館内の撮影は不可。)には、内に朱色の熱気を秘めながら、スポットライトを浴びて白く輝く卯花墻が置かれていました。入口すぐの重厚な展示室(1と2)など、茶道具展示のための空間には他の追従を許さない同美術館ですが、この組み合わせの演出にもまた感心するものがありました。

「すぐわかる茶の湯の名品茶碗/矢部良明/東京美術」

6月28日までの開催です。

*日本橋移転後。過去に茶箱と茶籠を一挙公開した展覧会はあり。
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「芳年 - 『風俗三十二相』と『月百姿』」(前期) 太田記念美術館

太田記念美術館渋谷区神宮前1-10-10
「芳年 - 『風俗三十二相』と『月百姿』」(前期展示)
5/1-26(前期)



幕末より明治にかけて活躍した「最後の浮世絵師」、月岡芳年(1839~92)の傑作シリーズを総覧します。太田記念美術館で開催中の「芳年 - 『風俗三十二相』と『月百姿』」へ行ってきました。

出品作は彼が晩年になって手がけ、また今でも評価の高い二つの連作浮世絵、「風俗三十二相」と「月百姿」です。一度の展示替えを挟んで前後期、それぞれ32点と100点のうちの半分ずつが公開されています。これまで断片的にしか見られなかった後者の一括展示は相当に貴重な機会ではないでしょうか。一枚ずつに記載された丁寧なキャプションを見ながら、その劇画的世界を存分に楽しむことが出来ました。

それでは早速、以下数点、各シリーズより印象深い作品を並べておきます。

1.「風俗三十二相」:様々な身分や職業の女性たちを描いた全32枚の美人画。(*)



「風俗三十二相 けむさう」
蚊遣りの煙を団扇で振り払う、この女性の嫌そうな表情こそ芳年の真骨頂です。もうもうと立ちこめる煙はまるで若冲の描くシュールな水流のようでもありました。

「風俗三十二相 さむさう」
雪をよけて進む芸者の姿が描かれています。北風に捲し上げられて乱れた衣など、随所に吹雪の激しさを物語る表現が見られますが、何故か彼女はとても楽しそうでした。



「風俗三十二相 めがさめさう」
まさに女性の見てはいけない姿が露となっています。まだ寝起きでぼんやりした女性は、はだけた髪をそのままにして、とても忙しなそうに歯を磨いていました。また衣よりはだけた乳房は妖艶でありますが、何気なく背景に描かれた朝顔までが卑猥に見えてくるのは芳年ならではのことかもしれません。

2.「月百姿」:月にちなんだ物語や説話を題材とした全100枚の歴史画。(*)



「月百姿 大物海上月」
神奈川沖浪裏さえ超えるほど荒れ狂った波に乗るのは、平家の亡霊たちに襲われる弁慶の姿です。どす黒い海に黄色く光る月は怪しく、龍のように靡いて砕ける波頭には邪気が漂っていました。「動」と「静」を一瞬間に同時に切り取る、芳年の魅力が最大限につまった一枚と言えそうです。



「月百姿 山城小栗栖月」
天王山の合戦の後に落ちぶれて逃れた光秀を、今殺さんとばかりに待ち構える百姓の姿が描かれています。あからさまに肩を落とし、失意の中にいる光秀の姿と、太い槍をもって大きく立ちはだかる百姓の様子は対比的でした。



「月百姿 烟中月」
い組の纏持ち火消しが背を向けて炎と対峙します。燃え盛る炎から熱気すら伝わってくるような激しさを感じる一枚です。


「月百姿 つきのかつら」
前期中に登場する同シリーズの月では一番巨大です。月に追放されたという中国・漢の呉剛が、罰として月の桂を永久に伐り続けなければならないという説話に取材しています。



「月百姿 神事残月」
何もアクロバットな劇画風情だけが芳年の世界ではありません。時にこのようなお祭りの様子を丹念に描きとっています。山王祭の山車の鮮やかさには目を惹かれました。



「月百姿 平清経」
入水自殺を遂げる前の清経の姿が描かれています。舟上で横笛を吹く様子は颯爽としていますが、その表情は沈み込み、まさにこの世との別れをしみじみと噛み締めているかのようでした。

如何でしょうか。好きな作品を挙げるとキリがありません。

芳年ファンなら図録は必携です。月百姿の各場面の解説等は永久保存版となり得るのではないでしょうか。

危うく見逃すところでした。前期展示は26日の火曜日まで開催されています。(明日、25日は休館日。残り半分が出る後期は6/2~26。)

なお月百姿については以下のサイトが参考になります。合わせてご覧下さい。

「月百姿 一覧表」:とらさんの美術散歩より。一点毎の解説あり。
「ONE HUNDRED ASPECTS OF THE MOON」:月百姿全点の拡大画像。

*ともに公式HPより転載。
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「大谷有花 - life - 」 GALLERY MoMo Ryogoku

GALLERY MoMo Ryogoku墨田区亀沢1-7-15
「大谷有花 - life - 」
5/9-30



日常の生活から開ける物語を絵本仕立てに紡ぎます。両国のギャラリーモモで開催中の「大谷有花 - life - 」へ行ってきました。



お馴染みのキミドリなど、まさにファンタスティックな世界で魅了する大谷の絵画ですが、今回の立ち位置は日常に近い幻想、ようは誰もが隣り合わせにある夢の物語です。それをページをめくってすすむ童話のようにして展開します。冒頭から並ぶのは、簡潔なテキストとページの開かれた絵本のペインティングでした。見る側にはそこから続くストーリーを空想し、またレイヤー状に見開かれる多様なイメージをひも解いていく自由が与えられています。ふと肩の力を抜き、絵の前に立った時に、その中へと吸い込まれるような気持ちにさせられました。



自由なイメージではあるものの、作品の一つ一つのドラマには、大谷自身の社会へと向いたメッセージもこめられています。ご本人のブログには各作品の詳細な解説が書かれていました。そちらを参考にするのも手ではないでしょうか。



透明感のある色彩は物語を纏う薄い紗幕のようです。繊細な筆の息遣いを感じます。

5月30日までの開催です。
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「没後80年 岸田劉生 - 肖像画をこえて - 」 損保ジャパン東郷青児美術館

損保ジャパン東郷青児美術館新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)
「没後80年 岸田劉生 - 肖像画をこえて - 」
4/25-7/5



近代絵画史上に輝く岸田劉生の画業を「肖像画」の観点から俯瞰します。損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「没後80年 岸田劉生 - 肖像画をこえて - 」へ行ってきました。

構成は以下の通りです。岸田劉生の描いた自画像、娘の麗子を含む家族の肖像など、人物肖像画のみ全80点が紹介されていました。

1.「自画像」:22~23歳の頃に集中して描かれた自画像。
2.「知人、友人」:1と同時代に描かれた知人、友人の肖像画。多い時には一日に二人を描き、「千人斬り」とまで称された。
3.「家族、親族」:娘麗子とその友達。北方ルネサンス風の作品から『グロテスク』、『デロリ』へ。



入口すぐの展示室からして異様な雰囲気を感じたのは私だけでしょうか。壁面をぐるりと一周、埋め尽くすかのようにして待ち構えるのは、劉生が20代前半の頃に描いた自画像群、全10数点でした。比較的柔らかな後期印象派風のタッチより、「切通し之写生」をも連想させる質感表現に長けたそれらは、目を前に見据え、口元を引き締めながら、こちらの心を見透かすようにして迫ってきます。その力感漲る自画像は、劉生自身が描くことによって己の探求を続けたのと同様、見る者にも内面を省みることを要求しているのかもしれません。この空間からして全身に強い衝撃を受けるような迫力を感じました。



「物質の美」を得るためにデューラーらの北方ルネサンス絵画の写実性を吸収した後、劉生が向かったのは京都と奈良旅行にヒントを得た宋元画と日本画の世界でした。ここで彼は岩佐又兵衛らの肉筆浮世絵に接することで、写実よりも滑稽でグロテスクさを加味した『デロリの美』とされる独自の美術観を確立していきます。そしてその最たる例と言えるのが、彼の業績の中でも一際目立つ麗子を描いた肖像画の数々です。ここではモデルの写しという肖像の機能を半ば投げ捨て、奥に隠された「内なる美」を激しく揺さぶるかのようにして抉り取り出しています。麗子をモデルにした「野童女」はその一つの完成形ではないでしょうか。かの微笑みを浴びると凍り付いてしまいます。まさに神秘、いや妖術とも言える微笑みでした。

油彩におけるアクの強い描写の反面、デッサンや時に水彩は、モデルの人となりが素直に出ているのかもしれません。麗子の表情も心なしか穏やかに見えました。

相性からの観点からすれば劉生は私の趣味には合いませんが、洋画の御舟を思わせる卓越した画力をはじめ、反復した素材を用いながらも常に次へと向かう探究心、そして孤高の境地を開いた麗子像など、彼の稀な画業を知れば知るほど強く感服させられるものがありました。まさに天才とは彼のことを指すのでしょう。



肖像画のみに焦点を絞った簡潔な構成ながらも、写実から自己を見出した劉生の道程が見事なまでに開かれてきます。そもそもこれほどの数の劉生の肖像画が揃うことなどあるのでしょうか。国内より選びに選ばれた作品をはじめ、劉生の生の声を利用したキャプションなど、まさに手本となり得るような展覧会でした。

「美術の窓2009年5月号/岸田劉生 もう一つの真実」

7月5日までの開催です。今更ながらも強くおすすめします。
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「中西夏之 - 背・円」 SCAI

SCAI THE BATHHOUSE台東区谷中6-1-23
「中西夏之 - 背・円」
4/17-6/6



スカイでの個展は約5年ぶりになります。新旧作で構成された中西夏之の回顧展へ行ってきました。

やはり見るべきは奥のスペースで並べられている、計5枚の大作の絵画ではないでしょうか。銀色に近いくすんだグレーを背景に浮かぶのは、和を思わせる紫のドット、と言うよりもむしろ『滴』の連なりでした。それらが平面上で渦を巻くようにうごめき、時にアクセント風に配された黄色や白などの斑紋とも相まってか、まるで広がるお花畑を覗いているかのような雰囲気を演出しています。滴の形と配置は常に揺らぎ、それらが拡散し、収斂することで、絵画を超えた映像的なイメージすら呼び起こしていました。どことない心象風景をも連想させる面もあるかもしれません。



とは言え、横浜トリエンナーレで見た時ほどの感銘を受けることはありませんでした。実際の色味も上の図版とはかなり異なっています。もう一歩、何らかの新たな視覚イメージが欲しいところでした。

ところでGW中にSCAI(倉庫?)で火災があったと聞きましたが、その後私が出向いた際には何らの痕跡もなくいつもと変わりませんでした。谷中のアートのシンボルとも言える施設なので、今後も末永くその地位を維持していただきたいものです。

6月6日まで開催されています。
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「澤柳英行 FISSION - FUSION」 ラディウム

ラディウム-レントゲンヴェルケ中央区日本橋馬喰町2-5-17
「澤柳英行 FISSION - FUSION」
5/8-30



ステンレス板にあけられたドットが様々な影と形を描きます。ロンドンを拠点にインスタレーションを手がける澤柳英行の新作個展へ行ってきました。

上の図版の限りでは、あたかも精緻なペン画のようにも見て取れるかもしれませんが、実際に展開されているのは金属板に細かな無数の穴をあけ、その陰影、もしくは密度によって多様なイメージを生み出す一種のモビールでした。天井からぶらり吊り下げられ、スポットライトを浴びたそれらは、大小様々なドットの間隔によって像、ようは影絵のようなイメージを壁面に写し出します。壁にそのまま打ちつけられた板はまるで雲のように靡き、人型をしたモビールは不気味にも宙を彷徨っていました。近くに寄りつつ、また遠目で影を見ながら、その浮かんでくるモチーフの差異に注意するのも良いかもしれません。

レントゲンの三つのコンセプトの一つ、怜悧美学(clever beauty)を連想するのにもぴったりの作品でした。

今月末、30日まで開催されています。
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「変成態 - リアルな現代の物質性 vol.1 中原浩大」 ギャラリーαM

ギャラリーαM千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F)
「武蔵野美術大学80周年記念展 変成態 - リアルな現代の物質性 vol.1 中原浩大」
5/9-30



馬喰町界隈のアートの集積地に、また一つ新たな画廊がオープンしました。若いアーティストを武蔵野美術大学がプロデュースして紹介します。ギャラリーαMで開催中の「変成態 - リアルな現代の物質性 vol.1 中原浩大」へ行ってきました。

αMと聞いてピンと来た方も多いかもしれません。そもそも武蔵野美術大学では20年前より吉祥寺、そして京橋にて「αMプロジェクト」と題した企画展を続けてきましたが、今回、それを継続するための独自運営のスペースとしてここ東神田に「ギャラリーαM」をオープンさせました。場所はFOILやART+EAT、そしてタロウナスが入居する昭和34年築の古びた雑居ビル、アガタ竹澤ビルの地下一階です。ここのところ露出の多い同地区のアートシーンも、ムサビの参入でまたにわかに活気づくのではないでしょうか。



謎めいた「変成態」というタイトルの由来云々は仮設HPのテキストを参照いただくとして、今年度はキュレーターに豊田市美の天野一夫氏を迎え、全8回にも及ぶ展覧会が予定されています。その豪華なラインナップには目を見張りました。これは期待が高まるというものです。

Vol.1 「中原浩大」 2009/5/9~5/30
Vol.2 「揺れ動く物性」(冨井大裕×中西信洋) 2009/6/13~7/18
Vol.3 「『のようなもの』の生成」(泉孝昭×上村卓大) 2009/7/25~9/5
Vol.4 「東恩納裕一」  2009/9/12~10/10
Vol.5 「袴田京太朗」  2009/10/24~11/21
Vol.6 「金氏徹平」  2009/11/28~12/26
Vol.7 「鬼頭健吾」  2010/1/16~2/13
Vol.8 「半田真規」  2010/2/20~3/20


「ビリジアンアダプター+コウダイノモルフォII」(中原浩大/豊田市美術館蔵/1989)

さて初回に登場するのは、主に彫刻を手がけ、巨大な赤い球体を用いたインスタレーションを繰り広げた中原浩大です。長方形のホワイトキューブにジグザクに敷かれたクッションの上を、赤い「眼球」がゴロンと転がっています。編み物と床面のコンクリート、そして余白的な壁面に赤と黒の球体面の織りなす緊張感に魅力を感じました。



ちょうどFOILとART+EATへとあがる階段の奥に入口があります。なお余裕がなかったのでチェック出来ませんでしたが、隣接のビル一階には新たなカフェがオープンしていました。次回はそちらも試してみるつもりです。

 
(画廊へと降りる階段。右はロゴです。)

浅草橋~馬喰町の画廊巡りの際には是非お立ち寄り下さい。今月末まで開催されています。
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「塩田千春展」 ケンジタキギャラリー東京

ケンジタキギャラリー東京新宿区西新宿3-18-2 102号室)
「塩田千春展」
5/14-6/27



初台のケンジタキギャラリーで開催中の「塩田千春」展へ行ってきました。

直近の塩田の展示というと、現在も開催中の「椿会」(資生堂ギャラリー)の記憶が新しいところですが、そちらの妖艶な黒の世界に対し、ケンジタキの空間ではどこか情熱的でもある赤の糸を駆使したインスタレーションが展開されています。中央に打ちつけられた白いドレスへと向かって収斂する赤糸は、植物の蔦のようににょろにょろとのびながら、天井から時に側壁面までに浸食して連なっていました。また糸の作品の他に、今回の展示イメージに由来するドローイングが三点ほど紹介されています。実のところ、椿会ほどのインパクトはありませんでしたが、多くの糸を纏うドレスは、まさに無数の僕を従えて立つ女王のような威厳を放っていました。下からかがんで見ると迫力を感じたのは私だけではないかもしれません。



画廊の外から撮影した展示風景の写真を一枚掲載しておきます。

今月末より秋にかけて、富山の発電所美術館での個展も予定されています。

「塩田千春展 - 流れる水」@下山芸術の森 発電所美術館(5/30-9/6)

6月27日までの開催です。
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「水墨画の輝き - 雪舟・等伯から鉄斎まで - 」 出光美術館

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「水墨画の輝き - 雪舟・等伯から鉄斎まで - 」
4/25-5/31



室町より江戸、近代に至るまでの日本水墨画史を総覧します。出光美術館で開催中の「水墨画の輝き - 雪舟・等伯から鉄斎まで - 」へ行ってきました。

構成は以下の通りです。出光コレクションから周文、雪舟、牧谿、玉澗、等伯、武蔵、宗達、大雅、玉堂、鉄斎らの水墨画、または屏風絵の全41点が紹介されていました。

第一章 水墨山水画の幕開け
第二章 阿弥派の作画と東山御物
第三章 初期狩野派と長谷川等伯
第四章 新しい個性の開花 - 近世から近代へ



上記の通り、まさに水墨画史のオールスターを一堂に楽しめてしまうお得な展覧会ですが、それを単に時代別にだけでなく、画題までに注視しているのも企画に秀でた出光ならではのことかもしれません。中でもとりわけ印象深いのは、桃山期の水墨屏風、全4点の登場する第三章より、長谷川等伯の二点、「竹虎図屏風」と「竹鶴図屏風」でした。ここではどこか飄々とした仕草で屈む雄と雌の二匹の虎が描かれていますが、それを同館の解釈では各々の求愛行動として捉え、伝統的な画題にも巧みな情感表現をこめた等伯の進取性を賞賛しています。またさらに私が付け加えたいのは、横に並ぶ「竹鶴図屏風」における大気の表現です。「松林図」の例を挙げるまでもなく、等伯の風景画にはいささかの湿り気を帯びた大気と、また時に木々を揺らす風の気配が巧みに取り込まれています。この二点を見るだけでも改めて等伯の斬新さに触れることが出来るのではないでしょうか。至極感心しました。



もちろん展示の魅力は等伯だけにとどまりません。冒頭に登場する雪舟の「破墨山水図」(上図版)の筆の見事な様子にも唸らされました。力強い墨の滲みが岩山から湖畔までを一気に示し、また余白の湖面には颯爽とした墨線による小舟が浮かんで情緒を醸し出しています。またもう一点、是非とも挙げておきたいのは牧谿の「平沙落雁図」です。茫洋深淵たる大地の上の虚空を雁の群れが点々と連なって飛んでいます。地面で羽を休める鳥との対比的な空間構成、また最小限の筆遣いより生まれた情景描写など、いつか府中で見た蘆雪の「蛙図屏風」の詩的表現にも通じる見事な作品でした。



古代中国の伝説の皇帝を描いた宗達の「神農図」他、東博大琳派にも出品のあった其一の「雑画巻」など、琳派が登場するのも嬉しいところです。また最後のコーナーは、玉堂や鉄斎、そして大雅などの南画系作家のミニ企画展です。中でも精緻なタッチが山水の景色を彩る玉堂の「籠煙惹滋図」は印象に残りました。まるで銅版画のような質感です。細かい墨線が刻み込まれるように走っていました。

会場の随所に展示されている出光ご自慢の工芸品にも注意して見て下さい。南宋の禾天目や李朝の茶碗などがさり気なく紹介されていました。

今月末、31日までの開催です。(展示替えはありません。)
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