2007年 私が観た美術展 ベスト10

この企画も今年で4回目です。「美術展ベスト10」を挙げてみます。

「2007年 私が観た美術展 ベスト10」

1 「特別展覧会 狩野永徳」
   京都国立博物館 10/16-11/18
2 「BIOMBO/屏風 日本の美」
   サントリー美術館 9/1-10/21
3 「ル・コルビュジエ展 - 建築とアート、その創造の軌跡 - 」
   森美術館 5/26-9/24
4 「動物絵画の100年 - 1751~1850」(その1/その2)  
   府中市美術館  3/17-4/22 
5 「Great Ukiyoe Masters - ミネアポリス美術館コレクション - 」(前期/後期
   渋谷区立松濤美術館 10/2-11/25
6 「鈴木理策 熊野 雪 桜」 
   東京都写真美術館 9/1-10/21
7 「線の迷宮2 - 鉛筆と黒鉛の旋律 - 」
   目黒区美術館 7/7-9/9
8 「美の求道者 安宅英一の眼 安宅コレクション」
   三井記念美術館 10/13-12/16
9 「大回顧展モネ」
   国立新美術館 4/7-7/2 
10 「都路華香展」(前期/後期その2) 
   東京国立近代美術館  1/19-3/4
次点 「川瀬巴水 - 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 - 」 大田区立郷土博物館 10/21-12/2

  

私の中ではベスト3は不動です。一番の永徳はもう別格ですが、頻繁な入れ替えに難のあった展示を興味深い作品の羅列で吹き飛ばしたBIOMBO、それにかつて見た建築展の中で圧倒的に面白かったコルビュジエは、ともかくどれも忘れ難い、まさに一期一会となり得るような展覧会だったと思います。それ以下の順位にはさほど深い意味はありません。実際のところ、相国寺の若冲、出光の乾山、泉屋博古館の花鳥画、西美のパルマ、損保ジャパンのペルジーノ、それに千葉の鳥居清長にMOTのデュマスや中村宏などは、ここに是非一緒に挙げたいような魅力ある内容でした。自分で企画しておきながら言うのも問題ですが、とてもベスト10には入りきりません。

さて今年はこの「ベスト10」以外に、これとは無関係に印象深かった、またはとても感銘した作品を挙げていきたいと思います。こちらは順不同です。如何でしょうか。

尾形乾山「色絵芦雁文透彫反鉢」/乾山の芸術と光琳(出光)
北斎派「海女」/北斎展(江戸博)
フェルメール「牛乳を注ぐ女」/フェルメールとオランダ風俗画展(新美)
「鼠草子絵巻」/鳥獣戯画展(サントリー)
川瀬巴水「森ヶ崎の雪晴之夕」(水彩)/巴水展(大田区)
キスリング「女優アルレッティの裸像」/キスリング展(府中)
長谷川等伯「萩芒図屏風」/禅林文化(相国寺)
「信楽手付鉢 銘大やぶれ」/開館50周年展(逸翁)
狩野永徳「織田信長像、洛中洛外図屏風、唐獅子図」/永徳展(京博)
「油滴天目」/安宅コレクション(三井)
鈴木春信「水売り」/Great Ukiyoe Masters(松濤)
藤田嗣治「バラ」/シャガールとエコール・ド・パリコレクション(ユニマット)
月岡芳年「羅生門渡辺綱鬼腕斬之図」/江戸の怪し(太田記念)
沈南蘋「雪中遊兎図」/花鳥礼讃(泉屋・分館)
スケドーニ「キリストの墓の前のマリアたち」/パルマ(西美)
酒井抱一「蚊」/アルバート美術館所蔵浮世絵展(太田記念)
アイヴァゾフスキー「アイヤ岬の嵐」/ロシア美術館展(都美)
速水御舟「名樹散椿」/山種名品展(山種)
「大般若経厨子」/神仏習合(奈良博)
井特の美人浮世絵/上方絵画の底ぢから(奈良県美)
ペルジーノ「少年の肖像」/ペルジーノ展(損保ジャパン)
伊藤若冲「動植綵絵」(全33幅)/若冲展(相国寺)
山本芳翠「浦島図」/パリへ(藝大)
モネ「かささぎ」/モネ展(新美)
ライモンディ「聖カエキリアの殉教」/ルネサンスの版画(西美)
長沢蘆雪「群雀図、朝顔図、蛙図」/動物絵画の100年(府中)
ピカソ「座せる裸婦」/異邦人たちのパリ(新美)
都路華香「緑波」/都路華香展(東近美)
ポロック「緑、黒、黄褐色のコンポジション」/コレクション・ハイライト(川村)
マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」/オルセー美術館展(都美)
「祭祀場面貯貝器」/悠久の美(東博)

また展覧会ベスト10には入れませんでしたが、今年最も充実した展示を見せた美術館を一つ選ぶとしたら、それはもう間違いなく出光美術館を挙げます。どちらかというと私には未知のジャンルの展示が多く、楽しむよりも学ぶことの方が優先もしましたが、毎度の高レベルな展示には本当に舌を巻きました。

本年の更新はこのエントリで最後です。改めまして今年一年、この拙い「はろるど・わーど」をご覧下さりどうもありがとうございました。それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。

*関連エントリ(ギャラリー編)
2007年 私が観たギャラリー ベスト10

*過去の展覧会ベスト10
2006年2005年2004年その2。2003年も含む。)
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2007年 私が観たギャラリー ベスト10

今年、私が歩いて廻ったギャラリーの展示のベスト10です。作家の方には大変失礼なこととは思いつつも、要は記憶に新しい、非常に感心させられた展示を挙げるということで、一応ランキング形式にしてみました。拙ブログ共々、一素人の思いつきの戯言に過ぎません。あしからずご了承下さい。

「2007年 私が観たギャラリー ベスト10」

1 「山口晃『ラグランジュポイント』」 ミヅマアートギャラリー
2 「あるがせいじ 新作展」 ヴァイスフェルト
3 「青山悟 Crowing in the studio」 ミヅマアートギャラリー
4 「小谷元彦 『SP2 New Born』」 山本現代
5 「政田武史 New Paintings」 WAKO WORKS OF ART
6 「小西紀行『人間の家』」 ARATANIURANO
7 「入江明日香展」 シロタ画廊
8 「25×4=□」 東京画廊
9 「カンノサカン 『trans.』」 ヴァイスフェルト
10 「タムラサトル POINT OF CONTACT - 接点 - 」 TSCA KASHIWA

一番に挙げたミヅマの「ラグランジュポイント」ですが、これは率直なところ今年、山口晃の登場した二つの美術館の展示よりもはるかに印象に残っています。「四天王立像」からパノラマ等、ジャンルの垣根など無意味だと思わせるほど多様な制作には改めて感心させられますが、あのミヅマの空間を意外なインスタレーションで山口一色に染め上げたとこからして本当に驚かされるというものでした。非常階段から降りる際に感じた、独特の「やられた。」感はまず他で味わえません。痛快でした。



あるがせいじ、青山悟、小谷元彦の各氏は、ともかくその精緻極まりない造形の魅力に取り憑かれた展覧会です。あの作り込まれた作品を見るだけでも、これが本当に同じ人間の手によるものかと考え込んでしまうくらいでしたが、その上でそれぞれが全く他にはない、まさに孤高の境地を展開している部分に尊敬の念すら感じてしまいます。適切な表現でないかもしれませんが、「ただ見るだけでは勿体ない。」とさえ思うような展示です。



絵画関連としては、ARATANIURANOの小西展やWAKOの政田の個展などを挙げてみました。ちなみにARATANIURANOとは今年、新富町に新しくオープンした画廊です。毎度の展示が非常に見応えのある内容となっているので、まだの方には是非おすすめしたいと思います。



その他では、見ていて心晴れるような入江の版画、いつもながらの奇怪なモチーフが心を揺さぶるカンノサカン、それに会場と個々の作品が、一つのまた新たな別の作品と化していたタムラサトルの個展なども本当に充実していました。また東京画廊の個展ではあの「畳」がどうしても忘れられません。うっかり見逃してしまうところでした。

最後に今年一年、素晴らしい作品を見せていただいたすべてのアーティストの方々に感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

*関連エントリ(美術展編)
2007年 私が観た美術展 ベスト10
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2007年 私が聴いたコンサート ベスト5

毎年恒例、私の独断と偏見によるコンサートベスト5です。特に印象に深かったコンサートを挙げました。

「2007年 私が聴いたコンサート ベスト5」

1 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日音楽祭2007 5/5
  フォーレ「レクイエム」 ミシェル・コルボ/ローザンヌ声楽アンサンブル
2 ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007 12/5
  ショスタコーヴィチ「交響曲第11番」 井上道義/名フィル
3 フィンランド放送交響楽団 2007年来日公演 2/15
  シベリウス「交響曲第2番」 サカリ・オラモ/フィンランド放送交響楽団
4 NHK交響楽団第1604回定期公演(Aプロ) 11/11
  プッチーニ「ボエーム」 ネルロ・サンティ/N響
5 アルディッティ弦楽四重奏団 コンポージアム2007 5/21
  西村朗「弦楽四重奏曲第4番」 アルディッティ弦楽四重奏団 



年計20回程度のコンサートで「ベスト5」を見るのも無茶な話ですが、まずはベスト3に、LFJからはかの「モツレク」を越える完成度でホールを感動の渦に包み込んだコルボ+レクイエム、そして年末の日比谷タコ祭より、今度は逆に完成度を云々するのがナンセンスであると思うほどの熱演だった名フィル、それに今年聴いた唯一の外国オケ来日公演よりオラモのシベ2を並べてみました。4番目のボエームはオケにイタリアのリズムを与えた熟練のサンティ、そして最後のアルディッティはエキゾチックな西村の音楽を何か取り憑かれたように弾き切ったアーヴィンにそれぞれ拍手を送りたいです。

毎年「来年はもう少しコンサートへ行く回数を増やしたい。」のようなことを書きながら、結局、殆ど行くことが出来ていないわけですが、今年はともかくオペラが少なかったので、そればかりは何とか機会を作って聴いて行きたいと思います。

*関連エントリ
2006年 私が聴いたコンサート ベスト5
2005年 私が聴いたコンサート ベスト5
2004年 私が聴いたコンサート ベスト3(2003年の「ベスト10」を含む。)
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12月の記録と1月の予定 2007-2008

少し早めの「予定と振り返り」です。ちなみに年明けの「美術初め」は、お馴染み、東博の「博物館に初もうで」から行きたいと思います。

1月の予定

展覧会
「目黒の新進作家 - 七人の作家、7つの表現」 目黒区美術館( - 1/13)
「六本木クロッシング2007:未来への脈動」 森美術館( - 1/14)
「SPACE FOR YOUR FUTURE」 東京都現代美術館( - 1/20)
「ニュー・ヴィジョン・サイタマ3」 埼玉県立近代美術館( - 1/27)
「画家 岸田劉生の軌跡」 うらわ美術館( - 1/27)
「水野美術館コレクション 近代日本画 美の系譜」 大丸ミュージアム・東京(1/10 - 28)
「雪松図と近世絵画」 三井記念美術館( - 1/31)
「ピピロッティ・リスト『からから』」 原美術館( - 2/11)
「王朝の恋 - 描かれた伊勢物語 - 」 出光美術館(1/9 - 2/17)
「吉祥のこころ」 泉屋博古館・分館(1/5 - 2/17)
「宮廷のみやび/博物館に初もうで」 東京国立博物館(1/2 - 2/24)

コンサート
NHK交響楽団第1610回定期Aプロ/Cプロ」 ブルックナー「交響曲第4番」、シベリウス「交響曲第2番」他 (13、19日)


12月の記録

展覧会
「乾山の芸術と光琳」 出光美術館
「カオスモス2007 - さびしさと向き合って - 」 佐倉市立美術館
星をさがして/逝きし芸術家を偲んで」 千葉市美術館
「児玉希望展」 泉屋博古館・分館(1日)
「東京藝術大学大学院美術研究科博士審査展」 藝大美術館(8日)
「富岡鉄斎展」 大倉集古館(8日)
「田園讃歌 - 近代絵画に見る自然と人間 - 」 埼玉県立近代美術館(8日)
「鳥獣戯画がやってきた!」 サントリー美術館(8日)
「特別展 北斎」 江戸東京博物館(15日)
「秋の彩り」 山種美術館(22日)
「日本彫刻の近代」 東京国立近代美術館(22日)
「工芸の力 - 21世紀の展望」 東京国立近代美術館・工芸館(22日)

ギャラリー
「阪本トクロウ展 『呼吸』」 GALLERY MoMo(1日)
「池田光弘 - 宙を繋ぐ - 」 シュウゴアーツ(1日)
「薄久保香『Wandering season』」 TARO NASU GALLERY(8日)
「杉本博司 漏光」 ギャラリー小柳(8日)
「Artistic Christmas」 新宿高島屋美術画廊(8日)
「小西紀行『人間の家』」 ARATANIURANO(15日)

コンサート
「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007」/井上道義
 交響曲第4番(1日)/交響曲第11、12番(5日)/交響曲第8番、15番(9日)

ともかく今月は、日比谷のショスタコーヴィチプロジェクトを一番に挙げるべきでしょう。個々の演奏については色々と粗もあったかもしれましたが、誰もなし得なかった日比谷でのショスタコチクルスを敢えてこの時期に行った井上の熱意には本当に頭が下がりました。また生の舞台で聞いたことのなかった各曲を、3000円という手頃な価格で、しかもまとめて聴くことが出来たのも非常に有り難く思います。コンサートであれほど胸が高鳴ったのも久しぶりでした。

展示では埼玉県美の記念企画、または現在も開催中の近美工芸館、そして江戸博での驚きの北斎展などが強く印象に残っています。またギャラリーとして絵画の底力を見るような二つの展覧会、薄久保香と小西紀行の個展も非常にインパクトがありました。ちなみに年末恒例のベスト企画ですが、作家の方には大変に申し訳ないとは思いつつ、あくまでも趣味のブログということでお許しを願いながら、今年はギャラリー編もやってみるつもりでいます。現代美術全般から言うと今年、不思議と美術館の企画があまり印象に残らなかったので、その反面充実していたギャラリーの展示を振り返ればと思いました。

それでは次のエントリから早速、音楽、ギャラリー、美術展と、今年印象深かった企画、展示を挙げていきます。
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「ムンク展」 国立西洋美術館

国立西洋美術館台東区上野公園7-7
「ムンク展」
2007/10/6-2008/1/6



ムンクと言えば条件反射的に「叫び」しか知らない私にとって、彼の画業を見る良い機会となりました。西洋美術館で開催中の「ムンク展」です。



一口に画業としても、この展覧会は彼のそれを回顧的に見るわけではありません。ムンク自身の「現代の装飾芸術をはじめたのは私である」(1938)という言葉にもあるように、あまり知られない「装飾画家としてのムンク」に着目した構成がとられています。そしてその核心が「生命のフリーズ」です。これはまた彼自身が「全体としての生命のありさまを示すような一連の装飾的絵画として考えられたものである。」とも述べた、言わば画業の中心の一つであるわけですが、展示ではそのようなムンクの構想した装飾を絵画、もしくは劇場や講堂などのプロジェクトで辿る内容になっていました。これを見ると、確かに「ムンク=叫びの画家」という固定観念は見事に打ち破れます。



このような切り口もあるせいか、この展示で見るムンクは『魂の叫び』というよりも、彼が後に影響を与えた表現主義的な志向を感じ取ることが出来ました。「絶望」(1893)では、辺りから疎外されて肩を降ろすような人物の孤独感よりも、背景の空における、赤や青の渦巻いた色のグラデーションにデザイン的な面白さが感じられ、また「生命のダンス」(1925-29)では、深く沈み込むように広がる海辺の緑や青の広がりと、月明かりをはじめとする女性の輝かしい白との対比が、画風に似合わず明快に表現されているようにも思えます。ムンクというと、毒々しいまでの悩ましさや、貪り合うような愛情表現の発露というような言葉も連想させますが、装飾という視点より浮かび上がるそのモチーフの色や形に注目すると、主題とかけ離れた部分での面白さが見て取れるのも事実のようです。試行錯誤を続けながら、例えば個人住宅の装飾から、より広く大きなもの、つまりは公共建築などを手がけていく過程と、表現の方向においても個の内面より、それこそ「永遠の力」や「いまや労働者の時代」という言葉に代表されるような、連帯的な一種のシンフォニーを目指していくのもどこか結びついているような気がします。オスロ大学講堂の壁画(習作のみ展示。)でのムンクは、言わば天地創造をする神のような視点にも立って制作を続けていたのかもしれません。愛や死を通り越した万物全体の胎動、そして流転がここに示されているようでした。

知名度の高い画家を新たな切り口で提示する好企画です。来年6日まで開催されています。
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「工芸の力 - 21世紀の展望」 東京国立近代美術館・工芸館

東京国立近代美術館・工芸館千代田区北の丸公園1-1
「開館30周年記念展2 - 工芸の力 21世紀の展望 - 」
2007/12/14-2008/2/17



新しい「工芸」の在り方を模索します。開館30周年記念展の第二弾は、三輪壽雪や前田昭博らより、現代アートでもお馴染みの須田悦弘、北川宏人らまでの集う幅広い展覧会でした。

須田といえばかのひっそりと佇む木彫ですが、今回、それを探す難易度はやや高めです。展示されているのは「葉」や「枝」、それに「雑草」など、全て最新作による計9点の小ぶりな木彫ですが、それらがいつもの如く、あたかも隠されているかのように散らばっています。(厳密に言えば『展示室2』以降です。)もちろん、展示リストを見てしまうと場所が分かってしまうわけですが、まずはそれを見ないで須田の木彫を探し歩くのも面白いのではないでしょうか。ヒントは「外から風に吹かれてやって来た枯葉。」とでもしておきたいと思います。かの小さな木彫がそれぞれの場所に置かれることによって、工芸館全体が須田のインスタレーションと化しているかのような気分も味わうことが出来ました。ひらりと舞い降りたような「葉」の一枚を見るだけでも、それを見つける喜びと、その高いクオリティに改めて感銘させられるというものです。期待を裏切ることはありません。

どこかSF的な感覚さえ呼ぶ、北川宏人の人物像(上段、ちらし画像の彫像です。)もまた非常に充実しています。遠目からでは木彫のようにも見えますが、実際はテラコッタにアクリルの彩色を施したものでした。異様とも言えるほどやせ細った体に、鮮やかでポップな服を纏う人物は、その面長の顔に大きく見開かれた目の印象と相まってか、今風と言うよりも、どこか近未来の人間をタイムスリップさせてこの場に呼んで来たような雰囲気さえ漂わせています。それにノミの跡のようにして覆う無数のテクスチャも味わい深いものです。テラコッタの素材感を確かに残しておく、そのリアル過ぎない表現にまた面白さがありそうです。

 

陶芸家の二名、三輪壽雪、前田昭博の作品にも見入ります。三輪の茶碗に見る白い釉薬は、ちょうどザラメとも牡丹雪とも言えるような趣です。また前田の壺は、その透き通るような白さと、面的でかつ卵のようなフォルムが、まさに洗練された美をたたえていました。今にも花を咲かせようとする蕾み、とも言えるのではないでしょうか。内部に何か力を溜め込んでいるような、言わば逞しい造形を見る作品です。



その他にも、まるでホイップクリームがほら貝のような曲線を描くオブジェ、猪倉高志の「立体の水」シリーズと、しなやかなガラスが花などを象る高見澤英子の作品などが心にとまりました。またキャプションとして、各作家の「言葉」が掲示されているのも好印象です。作り手の今を感じることが出来ます。

来年2月17日までのロングランの展覧会です。これはおすすめです。(12/22)

*関連エントリ
「開館30周年記念展1 - 工芸館30年のあゆみ」 東京国立近代美術館・工芸館
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「乾山の芸術と光琳」 出光美術館

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「乾山の芸術と光琳」
11/3-12/16(会期終了)



一度、乾山焼をじっくりと拝見したいと思っていた矢先、この上ない内容の展示に接することが出来ました。今月16日まで出光美術館で開催されていた「乾山の芸術と光琳」展です。

事実上、尾形乾山の回顧展の形式をとりながら、兄光琳との関係にも触れるという、意欲的でかつ充実した展覧会です。かの有名な鳴滝窯より晩年の江戸入谷時代までと、乾山の制作の過程を時系列に分かり易く追うことが出来ました。それにしても、乾山のことを殆ど知らない私にとっては、例えば光琳、乾山兄弟の父宗謙の末弟三右衛門が、樂家五代の宗入であったという事実からして驚きです。また乾山が一時、放蕩も伝えられる光琳にたまった借金の整理をすすめるなど、生々しい兄弟のエピソードなども紹介されていました。一般的に琳派の巨匠、光琳だけを見ると、なかなか乾山まで結びつかないことが多い(どうしても琳派の系譜から、関心のベクトルが宗達や光悦に向いてしまいます。)のですが、逆の乾山から入ると、兄弟関係を通しての新たな光琳の姿が浮かび上がってくるようにも思えます。もちろん展示では、主に鳴滝窯末期の頃に制作された兄弟合作の器も出ていました。見入ります。



「見知らぬ乾山」として興味深かったのは、彼が参禅した黄檗宗との関連から、それより摂取した中国や西欧の器を参考に様々な制作を続けていたということです。中国の氷裂文を原形に、緑や青などをモザイク状に配した「色絵石垣文角皿」は、まるでステンドグラスをのぞき込むかのような美しさをたたえています。(クレーの絵画を見るようでもありました。)また、デルフト窯をモチーフにとった「色絵阿蘭陀写横筋文向付」なモダンな味わいも大変に魅力的です。この色、形であれば、おそらく現代のダイニングにも十分に違和感なく溶け込んでいくでしょう。贅沢な話ですが、思わず日常で使ってみたくなるような作品でした。



乾山の類い稀な造形才能を感じる作品として一番に挙げたいのが、この「色絵芦雁文透彫反鉢」です。金色にも輝く芦雁文はかの宗達の意匠を思わせますが、直線上に配された黒の霞と、開口部に切り取られた透かしが何とも見事に組み合わされていました。言い換えれば、雁が下部でそよぐ緑色の草の元より飛び立ち、霞の雲を超え、さらには透かしの向こう側の空間へと消えて行く動きが鮮やかに表現されているとも出来るでしょう。造形と絵の意匠が、他に見られない一種の小宇宙を作り上げています。これは傑作です。

今回は陶片室でも関連の展示がありました。(また鳴滝窯の最新の発掘調査の成果も紹介されていました。)リニューアル後となる出光の、今年最後を飾るのに相応しい展覧会だったと思います。
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「日本彫刻の近代」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「日本彫刻の近代」
11/13-12/24(会期終了)



これまでにありそうでなかった展覧会と言えるかもしれません。日本の近代における、いわゆる西洋的な概念の「彫刻」の制作史を俯瞰します。「日本近代の彫刻」展へ行ってきました。

展示の章立て(全8章)がかなり細かく分かれていましたが、ようは幕末明治より1960年代までの日本の彫刻を大まかに見ていく内容です。中でも日本古来の工芸品より分化していった黎明期と、その後、いわゆる芸術として確立していく主に大正より戦前までの彫刻史が非常に充実していました。ただしその反面、さらに時代を下った、例えば最終章の抽象表現などは、その膨大でかつ多様な彫刻を見るにはやや数が足りない気もします。現代までを取り込むには、ちょうど例えば日本近代絵画史を見る展示に「現代絵画」を含むのと同じことです。少し範囲が広過ぎる感も否めません。



黎明期ではまず高村光雲の彫刻が圧倒的です。言葉は適切でないかもしれませんが、彼は味わい深い民芸品を思わせる、高い技術にも裏打ちされたリアルでかつ精巧な彫刻をいくつも制作しています。その巨大な「老猿」(1893)の迫力には驚かされました。ちなみに光雲は、かの上野の西郷隆盛像や皇居前広場の楠木正成像を作った人物でもあります。こちらは、当時の政府が、西洋にも倣って都市にモニュメントの大彫像を作った過程を追う第二章「国家と彫刻」にて紹介(写真パネルのみ)されていましたが、それを見ても彼がどれほど日本彫刻史に業績を残したのかを伺い知ることが出来そうです。



光雲の長男はもちろん詩人として名高い高村光太郎です。彼の彫刻家としての実績は詳しく知りませんでしたが、そもそも東京美術学校では彫刻科に学んでいます。展示でもロダンの影響を受けたとされる力強い「腕」(1917-19)など、いくつかの作品が紹介されていました。また彼の制作で興味深いのは、ロダンの影響を脱して独特な木彫表現へと向かった点です。同時期の作家でも、例えば石井鶴三などは洋の東西を折衷した様式を模索していましたが、光太郎の到達した木彫は、まさに父光雲の手がけていたような工芸色も濃い素朴な作品でした。果実の瑞々しさも伝わる「柘榴」(1924)は佳作です。



シュールやキュビズムを思わせる様々な彫刻を経由して登場したのは、リアリズムとその反面での抽象です。ここではロダンほど表現主義的でないものの造形美に溢れる本郷新の「わだつみのこえ」(1950)や、舟越保武の彫像、それに原始の祭祀道具を思わせるようなイサムノグチの「死すべき運命」(1959)や、激しい表面の傷跡が生々しさをも感じさせる村岡三郎、または先日、千葉市美でも見た清水九兵衛などが印象に残りました。ただやはり上でも触れたように、この「抽象表現の展開」はもっと多くの作品でその流れを見たいと思いました。このセクションだけの展示をいつかやっていただきたいものです。

チラシからして地味でしたが、なかなか充実した展覧会でした。展示は昨日で終了しています。(12/22)
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「秋の彩り」 山種美術館

山種美術館千代田区三番町2 三番町KSビル1階)
「秋の彩り」
11/17-12/24



遅ればせながらの秋を満喫しました。紅葉、名月など、秋をテーマとする山種美術館の名品展です。



秋の味覚と言えば柿ですが、速水御舟の「柿」(1923)は趣深い作品です。墨も滲む土色をした背景にそっと置かれているのは、仄かな朱色の交じる葉を残した柿の木の一片でした。熟れ過ぎたのか、少し黒ずんでもいる柿は、もう食べ頃を過ぎ、このまま朽ち果てて行くかのような儚さをも感じさせています。また御舟ならではの精緻な描写、例えば非常にリアルな枝の立体感、もしくは色遣いなども充実していました。見入ります。



カラリスト平八郎より秋の色をモダンに配した佳作が登場しています。それがこの「彩秋」(1943)です。リズミカルににゅっと突き出したすすきの穂の先には、まさに秋を彩る色、朱や茶色などをした葉が何枚も垂れ下がっています。また一部、青や緑などを用いて、秋色との鮮やかなコントラストを描いているのも見事でした。しっとりとした背景の白にも良く映えています。

 

抱一が4点も出ていたとは知りません。金地に抱一一流の流麗な秋草の舞う山種ご自慢の「秋草鶉図」(19世紀)も魅力溢れる作品ですが、今回特に興味深かったのは、「菊小禽」(1824-29)と「飛雪白鷺」(1823-28)でした。これは現在確認されている4種(掛幅装)の「十二ヶ月花鳥図」と同一シリーズ、つまりは全幅こそ揃っていないものの、おそらくは十二点あったとされる通称「綾瀬賛」5点のうちの2つだそうです。この綾瀬賛は現在、細見、フリーア美術館、バークコレクションに各1点づつ、そしてここ山種に2点の計5点が所蔵されているわけですが、その両者がともに並んで紹介されていました。ちなみに前者の菊は9月、また後者の鷺は11月の部分にあたります。菊は尚蔵館、及び畠山の作(菊が湾曲していない部分は異なっています。)と、また菊はプライス、そして出光本に似ている(但し下部の白鷺が綾瀬賛のみ一羽です。)とも言えそうです。その差異を見比べて見るのも面白いかもしれません。

展覧会は明日までの開催です。また次回は来年一月より、冬を通り越しての「春のめざめ」展が予定されています。(12/22)
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「逝きし芸術家を偲んで」 千葉市美術館

千葉市美術館千葉市中央区中央3-10-8
「逝きし芸術家を偲んで」
11/11-2008/1/6



千葉市美術館のコレクションの中から、近年物故した作家の作品を展示して、その業績を回顧します。(パンフレットより引用。)今回は2003年に次いで二度目の開催とのことですが、主に彫刻家をはじめとする現代作家、計10名が紹介されていました。

出品作家

柳原義達(1910-2004)
松田正平(1913-2004)
清水九兵衛(1922-2006)
松澤宥(1922-2006)
毛利武士郎(1923-2004)
飯田善國(1923-2006)
金山明(1924-2006)
土谷武(1926-2004)
由木礼(1928-2003)
田中敦子(1932-2005)



まずはコルテン鋼という素材を用いて、一種のテントのようなオブジェをつくった土屋武の「呼吸するかたち」(1992)が印象に残ります。布地のように薄い鋼が何枚か合わさり、ちょうど人の高さほどのドームをいくつか象っていました。残念ながら中へ入ることは出来ないようでしたが、コルテン鋼独自の鈍く光る銀色は美しく、その揺らぎのあるフォルムも、作品全体に鋼らしからぬ軽やさかを演出しています。また表皮のゴワゴワとした質感と、墨を垂らして描いたような紋様も興味深いものです。



大小に様々な清水九兵衛のオブジェも数点展示されています。アルミニウムに『命』を吹き込んで不思議な動きをもたらす「Mask 3」(1977)は可愛らしくもある作品ですが、横幅2メートル近くはあろうかという大作、「FIGURE」(1985-88)にも見入るものがありました。一方はアルミの質感をそのままに、もう一方は漆のような赤い着色が施されていますが、この色を見ると川村記念美術館の建物正面にある「朱紅面」のオブジェを連想します。また清水は作陶を一時やめていたとも聞きますが、近作の茶碗も一点出ていました。おおよそ陶とは思えない質感が、現代造形家として活躍した清水の制作の足跡を見るかのようです。

「星をさがして」と共催の展覧会です。(入場料は合わせて200円です。)来年1月6日まで開催されています。
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「星をさがして」 千葉市美術館

千葉市美術館千葉市中央区中央3-10-8
「星をさがして - 宇宙とアートの意外な関係 - 」
11/11-2008/1/6



先日、美術館のすぐ近くに出来た、千葉市科学館(きぼーる)のオープンを記念して開かれている展覧会です。科学館に新設されたプラネタリウムに因んで、同美術館の所蔵する星や宇宙に関連する作品が紹介されています。



何と言っても今回の目玉は、暗室に置かれている宮島達男の巨大インスタレーション、「地の天」(1996)です。直径10メートルにも及ぶ、ちょうど円形プールのような物体の中に散るのは、まさしく星のように瞬くお馴染みのデジタルカウンターでした。もちろんそれは瞬くと言っても、いつものように1から9までの数字が順に表されているわけですが、この暗がりのプールを宇宙とすればダイオードは星、そして数字はその一生を指し示すものなのかもしれません。ちなみにこのダイオードの色は、宮島にはやや珍しい青が用いられていますが、まだ普及する前の試作品とのことで、輝きはかなり弱々しいものになっています。(開発当初の青色LEDは明るい光が出なかったそうです。)それが、生まれてはいつか消え行く星たちの運命を暗示するかのような儚さをも演出します。しばらくは「地」に映る宇宙、つまり「天」をぼんやり眺めていたいような作品でした。



宮島のインスタレーションの次に印象深かったのは、予め5本の線を写しこんでいたフィルムに月を撮影して、それを楽譜として表した野村仁の「ムーン・スコア」(1980-1984)です。これは数年スパンで写し出された月を五線譜の中におさめ、結果、その動きによって音楽が紡がれていくという作品ですが、例えば天候によって月が隠れてしまった日の分には何も書かれていない(つまりは音も出ません。)など、半ば非作為的な、言い換えれば自然の織りなす音だけが表現されてもいます。ちなみにこの作品は、東京国立近代美術館で今開催中の「天空の美術」展にも出ているようですが、ここ千葉市美ではそのスコアを実際に演奏したCDも流されていました。1980年の譜面をヴィオラが、81年の部分をヴァイオリンが追い、結果弦楽五重奏になったという音楽は、どこかミニマル・ミュージックのような雰囲気も漂わせています。静かに、また突如として鳴り響く和音の連なりに、宇宙の呼吸するリズムを感じ取ることが出来るのかもしれません。

この他には、主に1950年、かの瀧口修造を理論的支柱として活動していた「実験工房」の作品数点と、草間の「宇宙」や「星雲」などと名付けられたドローイングなどが展示されていました。

来年1月6日まで開催されています。
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「薄久保香『Wandering season』」 TARO NASU GALLERY

TARO NASU GALLERY港区六本木6-8-14 コンプレックス北館2階)
「薄久保香『Wandering season』」
11/24-12/22



シュールでありながら、良い意味での既視感よる、どこか懐かしさも覚える絵画です。1981年生まれの若いアーティスト、薄久保香の個展を見てきました。

まず印象深いのは、薄久保の作品に特徴的な少年のモチーフが登場する「Verditer Blue」でした。大きく歪んだドアにぶら下がるかのようにしているのは、後ろ向きになった一人の少年です。それが精緻でありながらも、目を凝らすと実はかなり大胆なタッチにて影絵のように描かれています。またドアも虚構の存在、何か例えばオモチャの国にあるセット、ようはその先には何もない一枚の板のような雰囲気を漂わせていました。ここには確固としてあるようで、実は非常に脆い、絵の中だけに息づくかのような世界が成り立っているようです。そういえば少年にもいわゆる人間臭さががまるでありません。潔癖過ぎるほどの清潔さすら感じられます。

ペーパークラフトを捉えた作品も、一見、リアルな描写が冴えているように思えますが、やはりそこにあるのはぼんやりとした夢心地の幻でした。今にもその淡いパステル調の色彩が溶け合っていきそうです。

22日まで開催されています。(12/8)
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「カオスモス2007 - さびしさと向き合って - 」 佐倉市立美術館

佐倉市立美術館千葉県佐倉市新町210
「カオスモス2007 - さびしさと向きあって - 」
11/16-12/24



佐倉市立美術館による恒例の好企画です。現代作家5名の作品を「寂しさ」や「痛み」というキーワードで括ります。「カオスモス2007」へ行ってきました。

通常この展覧会は、今、実際に制作を続けているアーティストを取り上げますが、今年は例年と異なり、いわゆる物故作家(夭折の作家が多いのも特徴です。)の展示がメインになっています。石田徹也、菊池伶司と聞くだけでも佐倉へ足をのばされる方も多いかもしれません。その他、田畑あきら子、正木隆、そして成瀬麻紀子の名前が挙がっていました。



ともかくトップバッターの石田徹也からして衝撃的です。最近、あちこちで展示される機会も多い彼の作品ですが、今回は上の「飛べなくなった人」(1996)など計11点が出品されていました。人が機械の一部となって動くことを余儀なくされる、言い換えれば社会に強制参加させられている現代の人間を描いた絵画からは、そこへの恐怖感と反発心を強く感じさせると同時に、まさに今の世の在り方への痛烈な批判を見ることが出来ます。囚人服の如くスーツを身に纏い、回転台に吊るされてそれこそ『社長』の定められた領域だけを動くことが許された「社長の傘の下」(1996)や、まるで拷問の責苦を負うかのようにオフィスの椅子のパーツと化した「使われなくなったビル社員のイス」(1996)は、もはや感傷的過ぎるほどの厭世観が恐ろしいまでに滲み出されていると言えるのではないでしょうか。もちろん精緻に絵具が塗り込まれた石田の高い画力にも見入るものがありますが、半ば少年的な反発心をも見るモチーフには、既に忘れてしまった世の中への純粋な意識も呼び覚ましてくれるようです。まさに無心で見たい作品です。



正木隆の絵画に見る喪失感も特異です。一面の真っ暗闇の空間の上に浮き出るかのようにして引かれた白い線や面による事物が、あるべきものがないことへの不気味さを強く感じさせています。人気のない真っ白いベットが下の隅で申し訳ないように佇み、その後方に無限の闇が広がる様は、一種の廃墟と言うよりも全てが消えていくかのような寂しさを漂わせていました。虚しささえ感じます。



「Finger」シリーズの印象深い菊池伶司の版画は、約20点ほどの展示です。判読不能な文字や、奇怪でかつ繊細な線による不可思議なモチーフが、どこか幾何学的にも交わって一種の図像を生み出していますが、そこには確かにFingerより由来する作り手の意識が投影されているようです。彼の指がこの画面に打ち付けられた時、それは心の震えの痕跡が刻印されているとも言えるのではないでしょうか。もちろんその心は、おそらくは菊池自身も知り得ないカオスそのものです。



上記三名に対し、田畑あきら子と成瀬麻紀子の絵画は、パステル調の淡い色彩の効果もあってか、もっと虚ろでまた儚気な世界を生み出していました。こちらも見入ります。

佐倉は遠いという声も聞こえてきそうですが、私としては是非おすすめしたい展覧会です。クリスマスイブの24日まで開催されています。(地元中学生による展覧会ガイドが非常に良く出来ていました。そちらも必見です。)

*関連エントリ
「辿りつけない光景 カオスモス'05」 佐倉市立美術館
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「特別展 北斎」 江戸東京博物館

江戸東京博物館墨田区横網1-4-1
「特別展 北斎 - ヨーロッパを魅了した江戸の絵師 - 」
2007/12/4-2008/1/27(前期:12/4-27 後期:1/2-27)



本当にこれは北斎なのでしょうか。いままでに見たこともないような北斎が、馴染みも深い「富嶽三十六景」や「北斎漫画」などと共に紹介されています。江戸東京博物館で開催中の北斎展へ行ってきました。



ともかく見るべきは前半の第一部「北斎とシーボルト」における、おそらくは北斎、もしくは工房の手による肉筆画の数々(全43点。)です。図版画像を見るだけでも、江戸時代の日本人によるものとはにわかに信じ難いというものですが、これらは当時、長崎の出島にあったオランダ商館長が北斎に依頼して描かせた作品なのだそうです。完成した作は商館長がオランダへと持ち帰り、同じく生活民族資料を日本から持ち帰ったシーボルトの手なども経由して、当地にそのまま長い間置かれていました。(現在ではオランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されています。)そして今回、その肉筆画が、史上初めて同時に日本で公開されることになったというわけなのです。



これらの肉筆画群の特徴を大まかに表せば、素材にまぎれもなく日本の風俗や伝統的な主題が用いられているものの、技法においては西洋絵画の構図や色彩表現がとられていると言うことが出来ます。結果、必然的に日本人の目からはやや違和感もある、エキゾチックな肉筆画が誕生しているわけですが、展示では興味深いことに、おそらくはその下地、または逆に派生して描かれたであろう作品も一部ながら紹介されていました。川辺を馬の駆ける「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」とほぼ同じ構図を見る「早駆け」の二点を比較するだけでも、この両者に深い関係があるとするには当然のことです。確かにそれを北斎(工房)の筆だと断定するにはまだ足りない部分もあるようですが、少なくとも三十六景よりモチーフをとった一点が、全く異なる表現法によって、しかもおそらくは同一人物の手によって描かれたと想像するだけでも非常に興味深いことだと思います。

「里帰り」の肉筆画と、その下地、もしくは派生する作品との関係は複雑です。上にも挙げた、その様子が極めて似ている「早駆け」と「隅田川関屋の里」はともかくも、例えば「初夏の浜辺」では、同じく錨の登場する「五十三次 興津」のワンシーンだけからその一部を脚色してドラマ化したような描写をとり、また運河に立ち並ぶ蔵が印象的な「日本橋辺風俗」では、ほぼ同じ構図をとる大英博物館所蔵の素描と比べても運河の広さや遠近法に相当の違いを見ることが出来ます。また「海辺の漁師」も、参考として提示されていた「江島春望」と見比べると波の描写が全くと言って良いほど異なっていました。前者ではそれこそ刷毛の先のようなシャープな波の線が陸地に突き刺さるように描かれているのに対し、後者ではグレートウェーブの如く北斎一流の砕けた手のような波が示されています。

見慣れた北斎に親しみのある私にとっては、率直に言うと今回の作品には魅力よりも新鮮味の方が優先してしまうわけですが、その特異な表現が近代日本画の先取りをも思わせる「海女」には惹かれるものがありました。海女のくびれて、うねるような体つきの不気味な描写はもちろんのこと、緑色をしたアワビの生々しさや、淡い光の差し込んだ海の色のグラデーションなどは、他の江戸絵画に見られないある種の斬新さを感じます。北斎がどれほど西洋画と日本画の違いを体系的に認識していたのかは不明ですが、その両者の持ち味が奇妙に融合している作品だとも思いました。



展示点数としては、既知の北斎を紹介する第二部、「多彩な北斎の芸術世界」の方が上回っています。ここでは「富嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」などの版画群、それに宗理期の作から屏風までの肉筆画や読本までが幅広く紹介されていました。また、このラインナップを見るだけでも一つの展覧会が出来そうなものですが、中でも珍しい北斎の「東海道五十三次」や、視点をかえて見ると金銀の彩色が仄かに輝く「四性之内」、それに約30年ぶりの公開ともいう「松下群雀図屏風」などは特に印象に残ります。さらに、仏伝絵をまさに奇想天外な風にアレンジした「釈迦御一代記図絵」や、いわゆる四谷怪談ものの「霜夜星」などの読本なども、北斎のエンターテイナーとしての才能を十分に堪能出来る作品です。エキセントリックな北斎に酔いしれました。



会期は前後期に分かれていますが、展示の核となる「知られざる北斎」(第一部)の肉筆画は通期で展示されています。入れ替わるのは「知っている北斎」の版画などです。また後期期間中(1/2-27)には、常設展にて「北斎漫画展」(1/2-2/11)の開催も予定されています。そちらと合わせての観賞も良さそうです。

江戸博の割には会場に余裕が感じられました。会期は来年、1月27日までです。お見逃しなきようおすすめします。(12/15)
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「小西紀行『人間の家』」 ARATANIURANO

ARATANIURANO中央区新富2-2-5 新富二丁目ビル3階)
「小西紀行『人間の家』」
12/8-2008/1/26



その独特のタッチと色遣いが、一見、至極真っ当な「肖像画」を解体します。1980年生まれの若いアーティスト、小西紀行の個展です。

ともかくまず印象に残るのは、まるで刷毛で書を象るかのようにして塗られた極太のタッチの重みです。登場する人物の全てを力強い筆にて、さながら太い紐で組み上げられた人形のように表しています。言い換えれば、うねり、そして跳ね、さらには沈み込む油彩の波が、顔の個々の部分、例えば鼻や耳、それにアゴなどをグルリと一周するかのようにして駆け巡っているとも出来るかもしれません。また、その上に小さい点として示される赤色の目や口などとの対比も鮮やかでした。

どの人物も無表情を装っているように思えますが、そのタッチを追っていくと、どこかはにかんでいたり、またニヤリと笑っていたりするなど、全体から受ける毒々しい印象とは正反対な無邪気さを見せています。特にポーズも構えず、ぼんやり佇んでいる少年などの様子を見ると、何やら描かれていることに対する彼の羞恥心すら感じられました。また登場する人物には、上でも触れた赤い目や口、それに白髪など、全てに共通するある種の匿名性が保たれていますが、それらの個をこじ開けていくかのようにして見る作業もまた刺激的なのではないかとも思います。

このような「肖像画」には初めて出会いました。来年1月26日までの開催です。これはおすすめします。(12/15)
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