「窪田美樹 DESHADOWED - かげとり」 資生堂ギャラリー

資生堂ギャラリー中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階)
「第2回 shiseido art egg 窪田美樹 DESHADOWED - かげとり」
1/11-2/3



今年も始まっています。昨年に引き続いての「shiseido art egg」です。357名の応募より選ばれた若手アーティスト3名が、約3週間程度ずつ、順に個展を開催していきます。第一弾は窪田美樹でした。

いきなりで恐縮ですが、上に挙げた作品画像は一体何に見えるでしょう。実際、これが会場入口、階段下すぐのスペース、つまりは鑑賞者にとって作品に出会う一番初めの場所に置かれているわけですが、私にはともかくどこか謎めいた、何らかのシュールな木彫のオブジェであるとしか認識出来ませんでした。そしてその後、これらを構成する素材を知った時、他では味わいにくい驚きを知ることになったのです。以下、ネタバレ的要素を含みます。まずは会場へ足を運んでみて下さい。私の拙い感想など後回しで結構です。

実際、これらを構成していたのは、家具、つまりは既存のどこでもあり得る椅子やキャビネットなどでした。窪田はそれを解体し、また新しく組み合わせることで、全く異なった趣きのモノへと再生させています。丁寧に切り取られた椅子の断面は、まるでレントゲンをかけた人体のような生々しさすら漂わせていますが、パステル色の彩色があたかもその趣きを中和するかのように仄かに照っていました。地の木目、そしてそれと溶け合うかのような色彩、または表面に開かれた面自体に組み込まれた角材などと、ともかく複雑怪奇で多面的な表情を見せる作品です。そしてただ一つ、これらが家具であったことを伝えてくれるのは、インスタレーションとして構成された展示空間のみでした。作品の過去を見知った時、不思議と空間全体がリビングと化したかのような印象を与えてくれるのです。



2月3日までの開催です。なお、第2回「art egg」は以下、槙原泰介展(2/8-3/2)、彦坂敏昭展(3/7-3/30)と続きます。

*関連エントリ(昨年のart egg)
平野薫『エアロゾル』
水越香重子『DELIRIUM』
内海聖史『色彩に入る』
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「酔うて候 - 河鍋暁斎と幕末明治の書画会 - 」 成田山書道美術館

成田山書道美術館千葉県成田市成田640 成田山新勝寺境内 成田山公園)
「酔うて候 - 河鍋暁斎と幕末明治の書画会 - 」
1/1-2/11



霊光館の展示に続きます。ちょうど霊光館より大塔脇を抜け、丘を下った成田山公園内にあるのが書道美術館です。失礼ながら、思っていたよりもはるかに立派な施設で驚きました。巨大な中央部の吹き抜けのある1階、及び2階の全フロアを用いて、表題の暁斎展が開催されています。



構成は以下の通りです。

1.「書画会関連の作家と暁斎」:『月次風俗図』(全12幅)など。
2.『新富座妖怪引幕』
3.「書画会の風景」:書画会の光景を描いた暁斎作品17点。
4.「暁斎の席画」:暁斎が書画会で描いた作品18点。
5.「絵上の競演」:書画会で暁斎が周辺の画家とともに描いた作品約20点。

出品数は暁斎50点、そして書画会関連の作家40点、合わせて約90点ほどです。(暁斎はほぼ河鍋暁斎記念美術館、関連の書は同書道美術館の所蔵品によっています。また一部、板橋区美、個人蔵の作品もありました。)

こちらの言葉を借りれば、書画会とは、主に幕末から明治期にかけて、会主の呼びかけに書家や画家などの文人が集まり、彼らの書画を求める人びとのために作品を描いた会のことです。当然ながら暁斎はそのような会に頻繁に出席し、そこで描いた席画、つまりは書画会で描かれる絵画作品を膨大に残しました。この展示では書画会と暁斎との関係に迫ります。ようは、彼が書画会で描いた作品が数多く展示されているわけなのです。



やはり目玉は、かつての東京ステーションギャラリーの「暁斎と国芳展」でも圧倒的だった「新富座妖怪引幕」でしょう。縦4メートル、そして横は何と17メートル超にも及ぶという歌舞伎の新富座の引幕が、ともかくは度肝を抜くスケールで展示されています。これは暁斎が、酒を飲みながら僅か4時間で描ききったというエピソードでも有名ですが、その真偽はさておいても、確かに筆には力の迸るような勢いを感じる作品です。人気役者たちが妖怪に化け、例えば中央のろくろ首のように、客席の方向へ今にも飛び出してくるかのような臨場感はもちろんのこと、即興で描かれたというにしては事物の配置がおさまりよく、画面全体に隙のない構図感が漂っているのにも感心させられました。ちなみに、この作品の向かいには、小さいながらも赤い絨毯が敷いてあります。そこに座って眺めると、ちょうど客席から舞台を見上げるかのように楽しめるという仕掛けです。

速筆でならした暁斎の魅力に迫るのは、書画会で即興的に描かれた席画の数々です。釣り糸を池に垂らす「太公望」では、その仕草にも似合わぬ太公望が何とも厳めしい顔立ちで描かれていますが、タッチに狩野派の伝統を思わせるような鋭角的な墨線が用いられています。また龍と虎とが間近で対峙する「龍虎図屏風」も迫力満点です。やや手狭な屏風の空間にて、息苦しいまでに二者がジロリと睨み合っています。そしてまさに席画ならではの作品として挙げられるのが、何と人体の骸骨を描いたという「骸骨図」です。もちろんモデルを見ながら描いたわけではありませんが、男女一対の骸骨が何やら化けてでも出るかのような出で立ちで軸におさまっています。注目なのはその足の部分です。何やら線がうねるような表現が見られますが、これは畳の上で暁斎が描いたために、その目地が浮き上がって出来た跡とのことでした。書画会の熱気が伝わってきます。

書画会には暁斎以外にも様々な文人が参加していましたが、この展示では彼らと暁斎との合作もいくつか見ることが出来ます。ここで私が興味深く感じたのは「電信柱」です。当時、電柱が新奇なものとして画題にもなっていたそうですが、ただ一本の電柱がそれだけ、何の変哲も立つ姿が描かれています。(また電柱のモチーフは、「月次風俗図」の6月部分、「夕立と電信柱」にも登場します。)ちなみにコラボというのは賛の部分です。その他にも、暁斎が蔦だけを描いたという「松に蔦図」などが印象に残りました。特に誰と決めて描くわけでもなく、まさに会の流れの中で、色々な人物と多くの作品を生み出していたようです。また最後には、暁斎が用いた硯なども紹介されていました。もちろんそのデザインも彼自身のものです。

本格的な水墨や彩色画等の並ぶ霊光館と、ここ書道美術館の作品を合わせれば、暁斎の作品を一挙に約80点ほど見ることが出来ます。さすがに春に予定されている京博の展示には及ばないかもしれませんが、その先取りとしても十分に楽しめる内容だと言えるのではないでしょうか。

ちらしは立派でしたが、Web上に展覧会の情報があまり出ていません。以下に概要を載せておきます。

「天才絵師 河鍋暁斎」@成田山霊光館(入場料:300円)
「酔うて候 - 河鍋暁斎と幕末明治の書画会 - 」@成田山書道美術館(入場料:500円)
会期:1/1-2/11
休館日:2/4
開館時間:9:00-16:00(最終入館は15:30)
交通:JR、京成成田駅徒歩25分。(土産物屋の並ぶ参道を進み、本堂を抜け、大塔、または成田山公園へ向かった境内の最奥部です。なお、書画会の展示は図録も作成されていますが、ハガキなどを含めた物販スペースは全て書道美術館内にあります。)

ちなみに書道美術館の「河鍋暁斎と幕末明治の書画会」展は、この後、徳島県立文学書道館(2/16-3/23)へ巡回します。



霊光館、書道美術館とも2月11日までの開催です。(有名な成田山公園の梅まつりは2月10日からです。)

*関連エントリ
「天才絵師 河鍋暁斎」 成田山霊光館
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「天才絵師 河鍋暁斎」 成田山霊光館

成田山霊光館(千葉県成田市土屋238 成田山新勝寺境内 平和大塔後方)
「天才絵師 河鍋暁斎」
1/1-2/11



成田山新勝寺内で開催されている河鍋暁斎の展覧会です。境内二つの施設を用いて、表記の展示と、もう一つ暁斎の書画会に関する企画が同時に開かれています。(書画会の展示については次の記事でご紹介します。)



霊光館とは成田山の広大な境内の最奥部、高さ58メートルの平和大塔のすぐ傍にある小さな歴史博物館です。一階フロアの二つの展示室にて、平常展にあたる「成田山の歴史」と、今回の暁斎展が開催されています。展示数は約30点ほどでしょうか。絵馬をはじめとして、成田山信仰にも関するものなど、なかなか見応えのある作品が揃っていました。ちなみにそのうちの殆どが、暁斎コレクションでは日本随一の埼玉県川口市にある河鍋暁斎記念美術館の所蔵品です。



まず圧巻なのは霊光館所蔵の大作絵馬「大森彦七鬼女と争うの図」(1880)でしょう。縦約2メートル超、縦も2.5メートル近くはあろうかという大画面に、太平記の説話によるという主題が何とも猛々しい様で描かれています。獣のような爪や牙を剥き出しに、彦七へ覆い被さるかのように襲うのが鬼女です。隆々とした筋肉を見せる彦七など相手にならんとばかりに、烈しく喰らいついています。ところでこの作品は、制作年に暁斎本人が成田山へ奉納したものです。実際、暁斎の日記には、成田山の僧侶と交際したという記述も多く残っています。関係は親密だったようです。



暁斎というと、今触れたような非常に荒々しい作品が思い浮かびますが、この展示に接するとそれは彼の画業の一端しか触れていないことが良く分かります。まず挙げたいのは南画風の「霊山群仙図」です。爪楊枝の先よりも細いのではないかと思うほど精緻な筆にて、深々とした山奥に広がる仙人の里が極めて写実的に表現されています。松などの木、そして岩場を流れる水流などが、それこそ単眼鏡でないと確認出来ないほどに細やかに表されていますが、緑青なのか、それらを彩る緑色の葉の点描にも見入るものがありました。また上の画像の「鯉魚遊泳図」(1885)は暁斎の写実力が光る作品です。水墨の陰影の巧みな沼に鯉が数匹、まさにたゆたうかのように泳いでいます。ただ一匹、こちらを見つめて威嚇するかのような顔を見せる鯉にどこか暁斎の遊び心をも感じさせますが、この作品は彼に弟子入りした外国人画家のために描かれたものなのだそうです。北斎かと見間違うかのようなこの絵に、おそらくは師の稀な才能に舌を巻いたことでしょう。

鴉といえば右に出るものがいなかったそうですが、それは確かに「柿に鴉図」を見ても納得出来ます。書のような即興のタッチにて描かれているカラスが、朱色で示された柿を力強く見据えて枝に止まっていました。また暁斎ともいえば、鴉と並んで蛙でも有名です。ヒキガエル軍とアマガエル軍の戦う姿をコミカルに描いた「風流蛙大合戦之図」(1864)は見応え満点でした。武器を手に持つ蛙たちが、一騎打ちをしたり水鉄砲の大砲を放ったりするなど、ともかく無数に入り乱れて戦っていますが、着ている鎧が水草の葉であるというのが何とも微笑ましく感じます。また大将が冷静沈着に指揮をとっている様も何やら滑稽です。細部まで見入ってしまいます。



常設展の「成田山の歴史」では、その信仰の隆盛を伝えるような博物館的な展示の一方で、芳年の「弁慶図」や国芳の絵馬「火消千組図」などが紹介されていました。中でも谷文晁の「繋馬」は見応え満点です。首に繋がれた鎖を引きちぎろうともする黒毛馬が、実に力強い様で描かれています。また、地の木目を生かした薄塗りの眼の描写も秀逸です。潤んだ馬の目を巧みに示していました。

別会場、成田山書道美術館での「河鍋暁斎と幕末明治の書画会」の感想に続けたいと思います。

*関連エントリ
「酔うて候 - 河鍋暁斎と幕末明治の書画会 - 」 成田山書道美術館
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「市村しげの Time Drops」 BASE GALLERY

BASE GALLERY中央区日本橋茅場町1-1-6
「市村しげの Time Drops」
1/18-2/29



1963年生まれで、現在はニューヨークで活動を続けているアーティスト、市村しげの(男性)の個展です。キャンバス上に手で端正に打たれたドットが、幾何学的なモチーフを静かに象ります。モノトーンのミニマルな世界です。

DMの画像をアップしておいて言うのも問題ありそうですが、実際の作品の趣きはこれとかなり異なっています。この画像では、小さなドットがグレーの地の上へ寸分違わずに円を描き、それがフラットな感覚で並んでいるようにも見えますが、実際にはドットの厚みの存在感が思いの外に強く、整列するそれはもっと無骨で、何やらキャンバスにデコレーションを施しているかのような工芸的な味わいが感じられました。また、工業用塗料を用いたという銀色の色面は、光を反射するというよりも吸収するかのような重厚感があり、ドットも今触れたようにかなり盛り上がって、それこそボタンのように張り出してもいます。結果、一見、無機質なように見える作品が、そのドットの凹凸による生々しさすら醸し出していました。もちろん各ドットの大きさは一定ではありません。

キャンバスの厚みもまた存在感があります。これをもっと薄い支持体にすると、またさらなるシャープな美感が生み出されてくるのではないかとも感じました。

2月29日までの開催です。
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「現代絵画の展望」 鉄道歴史展示室/Breakステーションギャラリー

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室港区東新橋1-5-3
JR上野駅Breakステーションギャラリー台東区上野7 上野駅正面玄関口ガレリア2階)
「現代絵画の展望 - それぞれの地平線 - 」
2007/12/8-2008/2/11



新橋と上野と二会場を用いて、「現代絵画界を牽引してきた中堅実力作家より若手作家」(ちらしより引用。)の作品が紹介されています。現在、長期休館中の東京ステーションギャラリー(東日本鉄道文化財団)プロデュースの展覧会です。

出品作家は以下の通りです。

堀浩哉、辰野登恵子、小林孝亘、山口啓介、丸山直文、山本麻友香、大岩オスカール、曽谷朝絵(以上、新橋、上野両会場出品。)
池田龍雄、篠原有司男、加納光於、李禹煥(新橋会場のみ出品。)



メイン、第一会場の鉄道歴史展示室(新橋)では、入口すぐにある篠原有司男の二点の大作、「バクハツならまかしとけ」(2007年)と「バミューダ島の乗合バスの天井にトカゲが」(2003年)が圧倒的です。それこそハチャメチャとも言える、この色遣いと構図感は私の好みではありませんが、例えば後者では、その混沌としたタッチの中に渦巻くギラギラとした欲望が、眩しいまでに直裁的に表現されていました。また歪んだ、閉塞感も漂う空間(=車内)には、怪物のような人間たちが押し込められるかのようにして群がっています。南国の熱気の伝わってくる作品です。

篠原とはまるで異なった作風を見せる李は、新作の「Dialogue」(2007年)と近作の「照応」が展示されています。ともにかのスクロールが仄かなグラデーションを描きながら余白へ静かに沈み込む作品ですが、そこより立ち上がる重みは他の絵画に決して引けを取りません。李はこのようなグループ展で見てもあまり印象に残らないことが多いのですが、今回は色鮮やかな絵画の並ぶ中での対照的な存在感を見ることが出来ました。



第二会場、Breakステーションギャラリー(上野)では、小林孝亘の「Pillow」(2007年)がとりわけ魅力的です。純白のシーツに包まれたベットと枕が正面を向く姿が描かれていますが、手を差し伸べればまさにフワリとした感覚が伝わってくるかのような豊かな質感を見せています。また、枕とシーツという具象的なものが示されているにも関わらず、その構図にもよるのか、どこか抽象を思わせるような怜悧な美感を漂わせているのも印象に残りました。思わずぎゅっと握りしめたくなる枕です。



最後に挙げたいのは、鉄道関連の施設での企画にもピッタリな、駅舎や汽車をモチーフとした作品です。木立を汽車が軽やかに進む丸山直文の「汽車1、2」(2000年。上野会場に展示。)では、アクリルを用いているにも関わらず、「現代風たらしこみ」とも言えるような瑞々しい色彩感が見事に表現されています。そしてもう一点、大岩オスカールのズバリ「新橋」(2007年。新橋会場に展示。)が何やら意味深です。ここにあるのはもちろん架空の新橋駅ですが、その周囲は、建設重機によって解体されつつあるかのような、一種の廃墟の風景が広がっています。また、薄暗いグレーを基調として描かれた2両編成の電車や人気のないホームも非常に寂し気です。高層ビルの林立する現在の新橋とはまるで異次元の空間が描かれています。これはその未来なのでしょうか。

オープンスペースの上野駅Breakはもちろんのこと、第一会場の新橋の展示室も入場は無料です。2月11日までの開催です。
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「中岡真珠美 - 白い眺め - 」 INAXギャラリー2

INAXギャラリー2中央区京橋3-6-18 INAX:GINZA2階)
「中岡真珠美 - 白い眺め - 」
1/8-29



緩やかに運動する「白」が空間全体を包み込みます。INAXギャラリー2で開催中の中岡真珠美の個展を見てきました。

展示室に入った瞬間、絵画が眩しいと感じることもそうありません。間接照明も巧みに、全体的に明るめのライトに照らし出されているのは、白が他のオレンジやピンクなどの色彩と穏やかにせめぎあう、数点のペインティング作品です。キャンバスの白地と、その上に立体的に塗られた光沢感のある白が絶妙な陰影を生み出し、さらにそこへ今触れたようなやや抑えられたパステル色が混じるかのようにして溶け合っています。光を感じる絵画と言えるかもしれません。



これらは実際の風景を写真におさめ、そこから描き起こされた作品でもあるのだそうです。確かに一見しただけでは、その色面の構成による、まるでCGのような抽象的な味わいが強く感じられますが、しばらく眺めていると、例えば雪に埋もれて健気に咲く梅の花や、光を浴びて伸びゆく新緑の木立などの風景が浮き上がってくるようにも思えました。イメージを多様に膨らませていくことが出来るのも、また魅力の一つのようです。

2005年、初台のオペラシティ「projectN」でも中岡の個展がありました。ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今月29日までの開催です。おすすめします。
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「近代日本画 美の系譜」 大丸ミュージアム・東京

大丸ミュージアム・東京千代田区丸の内1-9-1
「近代日本画 美の系譜 - 水野美術館コレクションの名品より - 」
1/10-28



新装移転オープンで話題の大丸東京店へは初めて行きました。2002年、長野市内に開館した水野美術館の日本画コレクションが紹介されています。「近代日本画 美の系譜」展です。



水野美術館とは実業家、水野正幸氏が長年にわたって蒐集した絵画による日本画専門の美術館です。(パンフレットより引用。)橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らをはじめ、戦後の作家杉山寧、加山又造、または美人画の松園や深水などまでが網羅されています。もちろんこの展覧会でもそれらの画家の作品が展示(約60点。)されているわけですが、特に大観の「陶靖節」や観山の「獅子図屏風」、さらには今触れた戦後の画家の大作など、普段あまり見慣れない作風のものが多いのも印象に残りました。一口に日本画とはいえども、当然ながら山種美術館で見るような作品とはまた味わいが異なっています。



今回、私が惹かれたのは、同美術館の中でもとりわけ充実しているという菱田春草です。中でも淡い水色をたたえた波が岩場を荒い、霞のかかった空に鳥が群れるという「月下波」と、八岐大蛇に捧げられた稲田姫を題材とする「稲田姫」の二点は深く心に残りました。前者では波と空が渾然一体となって広がる海景が幻想的な雰囲気を漂わせ、また後者は大蛇に捧げられてしまった姫の諦念すら感じさせる様子が、(結果的に助けられるわけでもありますが。)春草一流の精緻な筆にてよく表されています。青白い顔が何とも不気味でした。



不気味といえば、美人画の巨匠、上村松園の「汐汲之図」も必見の作品です。さすがに「花がたみ」や「焔」のような凄みはありませんが、芝色にも深い着物を身に纏う女性が、どこか虚ろな表情にて後ろを見据えています。松園といえば、全く俗っぽさのない、気高き女性美を表現することに長けてもいますが、ごく稀にこのような鬼気迫るような表情を描くのがまた興味深いところです。ちなみにちらし表紙を飾る「かんざし」は非常に完成度の高い名作です。ふと簪を見やるその仕草が、屈託のない、極めて清楚な様子で描かれています。これぞ松園の美人画でしょう。

大丸ミュージアムは前回とほぼ同じ規模のスペースなのでしょうか。ぐるっと一周するような動線も分かり易く、天井もやや高くなったのか、心持ち以前よりも開放感があるような気もしました。都内としては殆ど唯一無比の存在となってしまったデパート系の美術館として、今度も充実した活動をしていただけることを願いたいです。

極めてお得な年間パスが発売されています。(2000円で一年間有効。フリーパス。)今月28日までの開催です。
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2008年 私の気になる美術展

毎年、この号だけは購入しています。月刊「美術の窓」最新号より「今年の展覧会ベスト150」です。今年は上半期と下半期に分けず、一年間の展覧会がまとめて挙げられています。その中より、私が特に気になる展示をピックアップしてみました。

現代美術

「宮島達男 Art in You」 水戸芸術館 2/16-5/11
「英国美術の現代史 ターナー賞の歩み」 森美術館 4/26-7/13
「大岩オスカール Gardening展」 東京都現代美術館 4/29-7/6 (福島県立美術館8/9-9/28)
「森山大道展」 東京都写真美術館 5/13-6/29


日本美術

「熊谷守一展 天与の色彩 究極のかたち」 埼玉県立近代美術館 2/2-3/23
「茶碗の美 曜変天目と名物茶碗」 静嘉堂文庫美術館 2/9-3/23
「対決 巨匠たちの日本美術」 東京国立博物館 7/8-8/17
「大琳派展 継承と変奏」 東京国立博物館 10/7-11/16


西洋美術

「モーリス・ド・ヴラマンク展」(仮) 損保ジャパン東郷青児美術館 4/19-6/29
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」 Bunkamura ザ・ミュージアム 6/7-8/17 (北九州市立美術館6/7-8/17)
「コロー 光と追憶の変奏曲」 国立西洋美術館 6/14-8/31 (神戸市立博物館9/13-12/7)
「フェルメール展」(仮) 東京都美術館 8/2-12/14
「ジョット展」(仮) 損保ジャパン東郷青児美術館 9/20-11/9
「ピカソ展」(仮) 国立新美術館/サントリー美術館(同時開催) 10/4-12/14

現代美術でまず一番に挙げたいのは、来月中旬より水戸芸で開催予定の宮島達男の展覧会です。彼の展示は、確か以前に熊本で行われたとも聞きましたが、その時は関東に巡回がなく見逃していました。宮島はMOTの常設で初めて見て以来、いつかは個展に接したいと願っていたアーティストの一人です。水戸と言うことで、ちょうど梅の咲く頃にでも足を伸ばそうかと思っています。

日本美術は最後に廻すとして、今年、上のラインナップを見ても非常に期待がもてるのはやはり西洋美術ではないでしょうか。既に6点の出品、さらには上積みもありそうな史上最強のフェルメール展は言うまでもありませんが、私としては日本では初の本格的回顧展になるというミレイ展にも注目したいところです。テート・ブリテンの引っ越し展ということで、質量ともに充実した展覧会となりそうです。

昨年、若冲、永徳と「京都限定」が話題でもなった日本美術ですが、今年はそれに対しての「東京限定」にて、上記二つの展示が上野の東博で開催されます。ともに会期一ヶ月程度と短いのが難点ではありますが、(また逆の意味で期待もしてしまうわけですが。)対決という言葉をキーワードに、例えば檜図屏風と松林図を同時に見せるという「巨匠たちの日本美術」と、琳派三巨匠の作を中心に、海外からの里帰り作品も出るという「大琳派展」は、桃山、江戸絵画ファンにとってもこの上ない展覧会になることが予想されます。ちなみに琳派展に関して、このクラスの規模の展示を東博で開催するのは1972年以来のことです。(間違っていたら訂正します。)私の今年一番楽しみな展覧会です。

その他では、三年ぶりに曜変天目が公開される静嘉堂の「茶碗の美」、改修工事中のパリ・ピカソ美術館のコレクションがやってくるという、新美、サントリー二館共催のピカソ大回顧展、または私の大好きなヴラマンクとコローの両回顧展、そして毎年、中世ヨーロッパ美術での好企画が続いている損保ジャパンのジョット展などにも期待したいです。

ところで恒例の「2007年展覧会入場者ランキング・ベスト50」も掲載されていました。入場者と展示の質は別に比例するものではありませんが、一つの目安として見るならば、オープンしてモネ、フェルメールと続いた新美の順調な客足と、その反面の低調な東近美、または正倉院展に肉薄した永徳展や、東京では会場に難のあった大阪ギメ展の好調ぶりなどが印象に残ります。ちなみにベスト3は、レオナルド、モネ、コルビュジエでした。

「美術の窓2008/02月号/生活の友社」

展覧会情報、ランキング等の詳細は誌面をご参照下さい。また皆様おすすめの展示があればご教授していただけるとありがたいです。

*関連エントリ
2007年上半期 私の気になる美術展
2006年下半期 私の気になる美術展
2006年上半期 私の気になる美術展
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「ニュー・ヴィジョン・サイタマ 3」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館さいたま市浦和区常盤9-30-1
「ニュー・ヴィジョン・サイタマ 3 - 7つの眼×7つの技法 - 」
2007/12/26-2008/1/27



何と約9年ぶりに開催されたという、埼玉県ゆかりのアーティストによる連続企画展です。同美術館学芸員の推薦によって選出された7名の現代作家が、それぞれ絵画、立体、インスタレーションなどの多様な作品を展開しています。

出品作家は以下の通りです。

古川勝紀(1953-)
河田政樹(1973-)
織咲誠(1965-)
岡村桂三郎(1958-)
宮本純夫(1952-)
冨井大裕(1973-)
志水児王(1966-)



まず日本画の技法によりながらも、絵画を一個のオブジェとしても魅せる岡村桂三郎を挙げたいと思います。暗室に浮かび上がるのは、縦3メートル、横7メートル以上もある木製の屏風「迦楼羅」(2007)三点です。バーナーで焦がして出来たという黒ずんだ表面に、東南アジアに伝わるとされる聖なる鳥が大変な迫力で描かれています。その壁面全てを埋め尽くすかのように翼を広げる様は、まるで観る者を威嚇するかのようでもありますが、大きさ一つをとっても屏風と言うより、さながら古代の洞窟の壁画を見ているかのような味わいがありました。また爛れた表面の木目に白く配されているのは、確かに胡粉なのでしょう。日本画のいわゆる軽さなど見事に吹っ飛ばす、その物質感の重みが凄みにも転化した作品でした。

 

オブジェでは、ポップな味わいがたまらない冨井大裕が一推しです。カッターの刃をただひらすら何メートルも繋げた一つの「線」を作品にしてしまうことからして痛快ですが、アルミ板や鉛筆、それにスーパーボールなどの有り触れた素材を組み合わせてオブジェにする様は、まるで手品を見ているような印象さえ与えられます。上からのぞくと様々な光の帯が空間を駆けているようにも見える「board pencil board」(2007)や、洗濯用のスポンジをただ組み合わせて箱状にした「four color sponges」(2007)は、大掛かりなことをしなくとも、また簡素なものでも少し手を加えればアートになる得るという、言わばアートとは何かという部分にまで突っ込んで問いを発している作品でもあるのではないでしょうか。またその既視感のある素材にも由来するのか、見ていると奇妙な安堵感を覚えるのも特徴の一つです。出来そうで出来ないとでもいうような、その隙間を埋めるかのようにして作品を展開するところにも魅力を感じました。

最後にあるレーザー光線を使ったインスタレーション、志水児玉の「クライゼン・フラスコ」(2007)は、言わば異次元の世界への誘いです。これはフラスコの名が示す通り、回転するフラスコにレーザー光線を照射して、その光を展示室全体に行き渡らせている作品ですが、帯がゆらゆらと靡くように漂うかのような光を浴びていると、いつの間にか奥行きを認識する感覚を失い、空間が無限に光を呼び込んで深く広がっているかのような錯覚さえ与えられます。装置自体は決して凝ったものではありませんが、宇宙の生成、重力の変化などのイメージも浮かび上がってきました。神秘的です。



その他では、具象ながらも、一部リヒターを見るような気配も感じる古川のアクリル、そして「消して描く絵画」とも呼びたくなるような、脱色剤を用いた宮本の抽象画に感じるものがありました。また全体としても練られた会場構成、そして大判のチラシ等々、美術館側の熱意も伝わってくる企画です。いくら不定期とはいえ、はじめにも触れたとおり9年ぶりの開催とは、連続展の存在意義自体からして問われそうですが、次回の開催も是非望みたいと思いました。

ところでもしこの展覧会が集客に苦労しているとすれば、それは「ニュー・ヴィジョン・サイタマ」というタイトルにも原因があるのではないでしょうか。第1回展は93年ということで、何やら時代も感じるタイトル名ではありますが、率直に申し上げて、これでは展示内容のイメージが殆ど浮かんできません。

今月27日までの開催です。
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「森村泰昌 - 荒ぶる神々の黄昏/なにものかへのレクイエム・其の弐 - 」 シュウゴアーツ

シュウゴアーツ/MAGIC ROOM?(江東区清澄1-3-2 5、6階)
「森村泰昌 - 荒ぶる神々の黄昏/なにものかへのレクイエム・其の弐 - 」
2007/12/22-2008/2/16



このところ個展が続いている感もある森村泰昌のまた新たな展示です。清澄ギャラリービルの二つのフロアにて、お馴染みのポートレート写真と映像が紹介されています。

メインは5階、第一会場シュウゴアーツでのヒトラーに扮した映像で見せる「荒ぶる神々の部屋」です。これはチャップリン扮するヒトラーを、さらに森村が扮した格好になっているのでしょうか。帽子には「笑」マークも高らかに、またカギ十字がバツ印になっているという軍服に身を纏った森村は、意味不明とでもいうのか、その絶叫調の演説を解体してしまうとでもいえるような一種の言葉遊びにて、かの独裁者の様子を批判的に再現しています。また中盤以降の、つまりは帽子を脱いで様子の一変した以降がこの物語の核心です。ここでは見る側に訴えかけるような、またどこか自己嫌悪とも自己反省ともいえるような面持ちにて、現代における独裁者と何ぞやということについて切々と聴衆に語りかけています。映像作品の奥のスペースに並ぶ、毛沢東、ゲバラの系譜に連なるのは、もしかしたら見る者一人一人であるということなのかもしれません。

第二会場、6階のマジックルームは、レーニンに扮する「レーニンの部屋」です。森村いわく「政治と戦争の中に現れた男性的なもの」を「戦争の世紀」であった20世紀に求め、それを時の権力者に象徴させながら丹念に検証していく様子を見ることが出来ます。当然ながら、女性や絵画に扮する森村とは全く異なった展開です。

2月16日まで開催されています。
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「佐伯洋江展」 タカ・イシイギャラリー

タカ・イシイギャラリー江東区清澄1-3-2 5階)
「佐伯洋江展」
2007/12/22-2008/1/26



「線の迷宮」(目黒区美)の記憶も新しい佐伯洋江の個展です。ケント紙にシャープペンシルによるのびやかなドローイング数点が、一つのインスタレーションを作るかのようにして展示されています。

かの線描はまさに変幻自在です。鋭くまた繊細な線が、たっぷりと余白を残しながら空間を駆け抜け、まるで宝石箱を散りばめたかのような多様なモチーフを展開していきます。砕ける波間に打ち上げられたガラス細工のような色彩の粒から、海辺の洞窟に佇む艶やかな人魚、さらには山々に連なる都市の夜景ともいえるようなイメージが、まさに手品を繰り広げているかのようにして次々と生み出されているわけです。また今、目の前にある像が、次の瞬間には脆くも崩れていくかのような儚さも漂わせています。夢幻的です。

モチーフの違いにもよるのか、今回は、目黒で見た時よりも個々の作品にどこかシュールな印象を受けました。また、前回感じた空間の奥深さはあまりなく、むしろデザイン的で平面に散る線の動きの面白さに見入る部分があります。

この日、清澄の画廊をいくつか廻ったのも、全てはこの佐伯の展示を見たいがためでした。

今月26日までの開催です。もちろんおすすめです。
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「SPACE FOR YOUR FUTURE」 東京都現代美術館

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「Space for your future -アートとデザインの遺伝子を組み替える」
2007/10/27-2008/1/20



この展示を楽しまれた方には大変申し訳ありません。いくら個々の作品に楽しめるものがあるとは言え、私としてはこれほど散漫な印象を受けた展覧会も久しぶりでした。MOTで開催中の「SPACE FOR YOUR FUTURE」展です。

 

そもそもアート、デザイン、そして建築の垣根などを越えた部分に何らかの意味を見出そうとする展覧会です。常々、凝り固まった頭で、アート一辺倒の方角からモノを見ている私にはそこからして難しかったのかもしれません。遺伝子を「組み替える」というどころか、だだ作品を適当にシャッフルして「ばらまいた」だけではなかったでしょうか。まるで陽の当たらない場所にて狭苦しく展示された2分の1の「フラワーハウス」や、「見る人の視点や立ち位置によって~中略~光の色や強さ等の見え方が変化」するとあるのに、一方向からしか見られないエリアソンの「四連のサンクッカー・ランプ」などは、展示方法の在り方自体に疑念を感じてしまいます。また動線も、少なくとも私が過去MOTで見た展示の中では最悪です。もちろん回遊性があれば良いというわけではありませんが、それをなくしてまで示されるものがあったとは到底思えませんでした。もちろん石上純也の「四角いふうせん」は、かのアトリウムでなくては出来ない、空間を巧く用いた展示でしたが、それ以外は総じて、それこそMOTという建物の重み自体に押しつぶされてしまうような、言わば行き止まりの多い順路同様に、奇妙な手詰まり感すら漂う展示であったとさえ感じます。これで未来を見る力は私にはありません。



ということで、従来的な展示形態ということでも安心して見られたのは、その他とまるで隔離しているかのようなブースで紹介されていた、蜷川実花の「my room」です。そもそもその内向きなタイトルからしてこの展覧会に背を向けているような印象さえ受けますが、そこに展開されている金魚と造花の写真によるインスタレーションは、まさに彼女でなくては表現し得ない色彩感を見事に伝えるものであったと思います。実際のところ、これまで蜷川の作品にはかなり苦手な印象がありましたが、金魚をここまで華美でかつ快活に、そして可愛らしく撮れてしまうとは脱帽するしかありません。ネオンサインのように瞬く金魚が顔を寄せ合い、また大きな口をぼんやり開けている様子を見ると、鮮やかな色や動きのあるカメラワーク云々を通り越した対象への愛情や友情のようなものも感じてしまいます。見事です。

会期末が近づいているせいもあるのか、チケットブースに行列が出来るほど賑わっていました。この拙い感想などあてになりません。評判は上々のようです。

ちなみに常設展の「MOTコレクション:ポップ道」は充実していました。そちらならおすすめできます。

今月20日までの開催です。
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読響定期 「ショスタコーヴィチ:交響曲第11番」他

読売日本交響楽団 第467回定期演奏会

バルトーク:ピアノ協奏曲第3番
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

指揮 ヒュー・ウルフ
ピアノ アンティ・シーララ
管弦楽 読売日本交響楽団

2007/1/15 19:00~ サントリーホール2階



元々、予定していませんでしたが、チケットにかなり余裕があるとのことで当日券で行ってきました。かつてフランクフルト放送響の常任指揮者としても活躍した俊英、ヒュー・ウルフによる読響の定期公演です。直前になって怪我をされたのか、何と松葉杖をついてのご登場となりましたが、椅子に座っての指揮より生み出される音楽は、颯爽とした、ダイナミズムにも優れた力強いものでした。

前半のバルトークはスロースタートです。アレグロ楽章こそ快活に、また冴えたリズムでぐいぐいと曲を引っ張っていましたが、それ以前、特に第一楽章などは指揮もオーケストラもエンジンのかかっていない、随分と冷めた演奏になっていました。ただその状態が、怜悧でかつ寒々しい響きが魅力的なシーララのピアノをより効果的にサポートすることに繋がっていたかもしれません。彼のピアノは中音域の厚みと、今触れた通り高音での透き通った音色の美しさに特筆すべき点がありますが、それが主に読響の切れ味鋭い音を奏でる弦セクションと良く合っていたのではないかと思います。ただあと一歩、バルトークの複層的な音楽を整理する見通しの広さがあれば、より良い演奏にもなっていたかもしれません。ちなみにシーララのアンコール曲、ショパンの前奏曲(24の前奏曲から第4番)は見事でした。聞き惚れます。

タコ11番はおそらくは名演です。ちなみに「おそらく」というのは、この曲に「血の日曜日事件」ならぬストーリー性と、表現に暗さなどを求めるのであれば物足りなさも残る演奏であったからではないかと思うことに因んでいます。第1楽章こそその後の盛り上がりを予感させる、抑制された音楽が滔々と流れていきましたが、太鼓とトランペットの合図の元に始まる惨劇のフガートでは、何やらR.シュトラウスの管弦楽曲でも聴いているような音のパノラマが眼前に繰り広げられ、また革命歌もどこか健康的に、快活に紡がれていきました。ともかく、迫力あるオーケストレーションが次々と生み出されながらも、それが決して重々しすぎることがないという、非常に稀有な演奏であったとも思います。そしてこの名演を支えたのは、今度は完全にアクセルの入った読響の地力です。何故かモゴモゴいうようなティンパニをのぞけば非常に力強い打楽器群、アダージョのコーダでも朗々と美音を奏でたイングリッシュホルンなどの木管、そして全体をしっかりと支えるコントラバスなどの低弦群から、ウルフの躍動的な指揮によく反応して立ち回るヴァイオリン群など、まず要所は外すことのない、優れた合奏を聴かせてくれました。また鮮烈であったのはラストに鳴り響く鐘です。まさに「警鐘」を鳴らさんと言わんばかりに強く、そして消えるまでに約20秒ほどはあろうかと言うほど実に長く打ち鳴らされていました。またもう一つ付け加えれば、会場では、幸いなことにその響きが完全に消えてから拍手が起りました。サントリーの長い残響によって鐘が静かに消えゆくのを、最後までじっくりと味わうことが出来たというわけです。

少なくともメインのショスタコーヴィチに関して言うなら、一昨年のカンブルランの指揮によるトゥーランガリラの名演に近い出来だったのではないでしょうか。あまり主観的でない、音楽自体の持つ面白さをショスタコーヴィチから巧みに引き出したウルフに改めて拍手を送りたいと思います。
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N響定期 「ブルックナー:交響曲第4番」他 ブロムシュテット

NHK交響楽団 第1610回定期公演Aプログラム

モーツァルト 交響曲第38番
ブルックナー 交響曲第4番「ロマンチック」

指揮 ヘルベルト・ブロムシュテット
ゲストコンサートマスター ペーター・ミリング
管弦楽 NHK交響楽団

2007/1/13 15:00~ NHKホール 2階

昨年、モーツァルトのミサ曲でも充実した演奏を披露したブロムシュテットが、今年も再びN響の指揮台に立ちました。当初予定されていた第34番から変更しての「プラハ」と、ブルックナーでは一番知名度の高い「ロマンチック」の組み合わせです。Aプロ2日目へ行ってきました。

縦のラインを常に意識させながら、小気味良いテンポでキビキビと音楽を進めるブロムシュテット「らしさ」が出たのは、やはり前半の「プラハ」です。冒頭の序奏では影のある、いささか陰鬱で重たい響きが鳴りましたが、一転しての第一主題以降は、流麗になり過ぎない、かと言って響きの硬過ぎることもない楷書体のモーツァルトが澱むことなく展開されていきました。また印象深いのは、ブロムシュテットとのコンビではお馴染みのミリングです。ブロムシュテットのアプローチはもちろん古楽器云々には目もくれない、まさにオーソドックスなものですが、ミリングがどちらかといえば弦セクションをレガートに流れ過ぎるのをストップする、言い換えれば響きを極力スリムにまとめ上げていくようなスタイルをとっていたのかもしれません。それが正攻法でありながらも散漫にならない演奏にすることに成功していました。そしてその白眉はアンダンテ楽章です。もっと小さなホールであればより美音にも酔えたのでしょうが、力押しでもまた情緒一辺倒でもない、良い意味での中庸の美意識をここに聴くことが出来ました。実際のところ、このアプローチでは、リピートがやや退屈に思えてしまうきらいもありますが、一個のスタイルとしては隙のない演奏であった思います。

メインのブル4はいささかチグハグです。そもそもブロムシュテットの指揮からして私の中のイメージとは異なる、随分と動的でかつ無骨な方向を示していたようにも思えましたが、金管がその変化する彼の動きに付いていけない、言わば曲をリードせずにどちらかと言えば後を追うようなかたちで鳴っていくのがかなり気になりました。ただ響き自体はそれなりに安定していたかと思います。つまりは「プラハ」と同様に巧くまとまっていた弦セクション、または木管群と、この金管の間で微妙な齟齬をきたしているように感じたということです。

ところでブロムシュテットの指揮ですが、例えば第二楽章やフィナーレのクライマックスにおいて、その高みに達する前に少しギアをかけるというのか、ブルックナー休止とはまた異なった様で一息入れるなどして、どこか緩急を意識させるような表現をとっていたことなどが印象に残りました。またアンダンテ楽章などはもっと枯れた、訥々とした語り口で攻めて行くのかと思いきや、彫りの深いピチカートと、強調された木管群によって響きに厚みが生まれ、のびやかで叙情的というよりも力強く逞しい音楽になっていたのも新鮮に感じられます。カペレとの演奏ではどうなのでしょうか。

「ブルックナー:交響曲第4番/ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ」

今週末のCプロではシベリウスの2番なども予定されています。そちらも出来れば聴きに行きたいです。
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「小出ナオキ展 In These Days/大竹利絵子展 とりとり」 小山登美夫ギャラリー

小山登美夫ギャラリー江東区清澄1-3-2 6、7階)
「小出ナオキ展 In These Days/大竹利絵子展 とりとり」
1/12-2/2

同画廊、二つのフロアを用いて開催されている各個展です。全く方向性の異なる立体表現が、プラスチックと木を介在して追求されています。



7階会場、小出ナオキは、ともかくメインの二つの立体が迫力満点です。高さ約3メートルはあろうかという巨大な顔型オブジェ一体と、まるで聖火ランナーのような、どこかいかつい表情もした巨人像が、対になるようなかたちにて置かれています。ともに隆々と盛り上がる肉体美を披露しているのか、まるで鍾乳洞の如くせり上がる曲線が体を象っていますが、それが柄にも合わぬパステルカラーの彩色にも包まれ、強化プラスチックの質感とともに軽やかに佇んでいるのです。ちなみにこの作品は、作者小出の取り巻く人びとをデフォルメにて示したものだそうですが、どう見てもこれが実際の人間に基づいているようには思えません。ちなみに顔型の作品には中へ入ることも可能です。内部は、外部に見るおどろおどろしい表現とは一変して、可愛らしい動物たちなども描かれていますが、そこに頻出もする雲のモチーフこそがこの作品の全体を生成する重要な一要素であるようでした。つまり隆々とせり上がる筋肉とは、靡き、また天へと駆ける入道雲だったのです。



大竹の木彫はどこか仏教彫刻を見ているような感覚に襲われます。翼を大きく広げた鳥にのるのは、まるで仏様のような出で立ちをした少女です。樟の木を荒々しく削り取り、しなやかで線も細く作り上げれらたそれらは、彩色もなく木の質感をそのままに伝えてもいます。また、鳥の背中にしがみつくかのような一人の少女には切なさをも感じました。無骨でかつ、殆ど直裁的なまでに試みられた木彫が、古のアニミズム信仰の対象にもなり得そうな気配すら漂わせてもいます。ちなみに大竹は今回初個展です。この半ば、魂だけが表出もしているような簡素極まりない表現が、今後、どのように変化していくのかにも注目したいとも思いました。

展示はともに2月2日まで開催されています。
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