1月31日
30日の夜10時八戸発のフェリーで翌日早朝に苫小牧着。 黒松内はさほど雪が増えてはいませんでした。 帰り着くと、千葉からふっくらアンパンのような椎茸がごっそりと届いておりました。
ほどなく寿都の漁師さんからホヤいらんかぁのお声がけ。さっそく取りに行ってごっそりと頂きました。 海が荒れて定置網に勝ってにひっかかってしまった、はずすのに手間がかかり、売りに出せないやっかいものだそうです。 新鮮そのものであります。
1月31日
30日の夜10時八戸発のフェリーで翌日早朝に苫小牧着。 黒松内はさほど雪が増えてはいませんでした。 帰り着くと、千葉からふっくらアンパンのような椎茸がごっそりと届いておりました。
ほどなく寿都の漁師さんからホヤいらんかぁのお声がけ。さっそく取りに行ってごっそりと頂きました。 海が荒れて定置網に勝ってにひっかかってしまった、はずすのに手間がかかり、売りに出せないやっかいものだそうです。 新鮮そのものであります。
1月28日 三陸ひとつなぎ自然学校の5周年イベントに参加のため28日の苫小牧発のフェリーに久しぶりに乗船。 もんじぃと翔太郎がいっしょです。
29日、八戸の早朝、探しに探して朝食が食べられる朝市を発見。結局以前にいった場所と同じでした。名称は、「八戸市営漁菜市場」。 名前をインプットしておこう。しかし、途中で道を聞いた地元の人も場所はわからないというのも、・・・・・であった。 地元の人が地元のことをよく知らないのはどこでもいっしょなんだなあ。 反対に地元の人が地元のことを良く知っていて案内もできるのが、小さくとも元気で活性がある地域なのかもしれないとも思いました。
釜石へ南下中の三陸の被災地は、どもでも土盛りや防波堤造りの大きな土木工事の真っ最中でした。これだけ大きな工事をして、果たして人々は戻ってきて住宅を建てるのでしょうか・・・。いささか懐疑的にもなりました。 国土強靭化方針で巨大な構造物を作るより、一件ずつ高台で家や公営住宅を建てた方が全体経費が安くなるんじゃあなかろうか。
海岸線の国道からは防波堤しか見えなくなっている場所がほとんでした。 16時ころに会場の釜石根浜の宝来館に到着。
「さんつな同窓会」と銘打った集まりでしたが、初期の頃のボランティア、支援者は私たちと岩木山の高田さんくらいで少なく、最近のボランティアさんが多いようでした。
1月29日
被災地のミニツアー。 片岸地区の住民が避難した栗林の集会所は、ねおす・北海道ボランティアチームが集中的に支援した場所です。 当時のいろいろな思い出が去来します。
寿都町からホッケをたくさん持ち込んで、みんなで炭火で焼いたこと。漁師町の人たちが1ヶ月近く魚を食べていなかった。 いろいろな炊き込みチームを受け入れたこと。頼まれれば、すぐに集めて届けた支援物資のことなどなど・・・・。
さんつな支援から独立した黍原さんの三陸駒舎へも訪問。馬と暮らすをベースにしたファミリーサイズの自然学校です。 さんつなとも連携して相乗効果が期待されています。