除雪が玄関前に山積みになってしまった。ブロアータイプでなくてブレードで押し付けられている。
それはそうと、ふたつ玉低気圧が接近しており、午後からは猛烈に荒れるようです。今は小雨交じりで風が強まってきています。「春一番」ということなので、嬉しくもありますが、2,3年前に北海道で何人も亡くなった荒天と同じくらいの威力らしいので、TVや防災無線では不要不急の外出はしないようにと盛んに注意を呼びかけている。 私は、悩んだ末、本日の東京行き出張をキャンセルしました。
例年北海道は3月下旬の春分の日もお天気は荒れるとのジンクス・傾向があります。
この時期になると思い出されるのは、あれは、確か昭和53年か54年の3月春分の連休のことだ。 知床半島で北大山岳部の遭難事件があり3名が亡くなった・・・。 そのうちひとりは、大学の学科の同級生Hであり、もうひとりは私の出身高校の山岳部の後輩であったEだった。 猛烈な吹雪で雪が吹きだまりテントが押しつぶされ、夜間になんどもテント周りの除雪をしたらしい。たぶんびしょ濡れの上、睡眠が取れず、疲労もしたのだろう・・、避難下山をして遭難した、疲労凍死であった。
その時、私は十勝のオプタテシケ山に入っていた。出発の前日に札幌の飲み屋でEと偶然に同席して、お互いの健闘のエールを交わしたのだった・・・。 十勝はさほど荒れることはなく、前夜のテント場も森林限界下の林の中であり風の影響もなかった。翌日、彼らが決死で下山を試みていた頃に、私たちはカリカリに凍った尾根に小気味いいくらいにアイゼンを効かせて登頂し、下山できたのだが、彼らは知床の猛烈な荒天の中で凍えた身体の命を燃やし・・・、逝ってしまった・・・。
その翌週に、学科の現場視察旅行あり、農業機械のメーカー見学に本州に出かけた。ヤンマーがある松本で学科生皆で、夜飲みに出かけ、寄宿舎への帰路、夜間照明で美しく浮かび上がった松本城のお堀のほとりで、皆で肩をくんで♫都ぞ弥生の雲紫に・・・♫と涙を流しながら寮歌を朗詠した。
あれから、40年以上、私も何度か死に目に遭遇した(岩場での転落、雪崩遭遇、交通事故)が、結婚もし子どもも孫もでき、仕事は何度か転職しつつも、自然体験活動に勤しみながら、なんとか生き延びて来た。 あと何年生きれるか、わからんが、若くして命を落とした彼らの分まで、ちゃんと老後を過ごそう・・・
などと、窓の外の風雪を感じながら想っている・・・。
合掌