高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

森のようちえん

2022-01-20 11:58:16 | プログラム 子ども
ここ数日は寒さも雪も一段落です。 1/20は、黒松内の保育園年長さんへの「森のようちえん」プログラムでした。私たちは幼児さんへの自然体験活動を「森のようちえん」と呼んでいます。 森のようちえん活動は全国的ネットワーク組織もあり、自然保育と呼ばれている活動と まあ、イコールだと私は思っています。 ようちえん活動のネットワークづくりでは、「幼稚園」と漢字呼称を使うと、既存認可幼稚園と紛らわしいと、文科省から横槍が入り、「ようちえん」とひらがな名称になりました。 現在では日本の各地に、毎日通うような無認可型の活動から、子育てママさんが主催する小さな地域サイズの活動まで数々存在するようになり、ネットワークでは毎年一回、全国フォーラムまで開催されています。
 
その第一回は、宮城県のくりこま自然学校で全国から20ほどが集まっての開催でしたが、翌年の北海道大会では、旧ねおすがコアとなり登別で北海道大会を開催し、50名を越える同志が参集しました。そして、第3回目の大会は東京で開催され、一気に大きくなり、たしか300人に近い関係者が集まったのでした。
 
それまで、私たちのような自然体験活動の生業団体は児童向け活動は盛んにやっていましたが、幼児向けの活動はさほどやっていませんでした。 当時(10数年前かな・・)、複数の脳科学者が自然体験活動にも関心を持ってくれるようになり、脳の発達段階で幼児期はとても大切で、自然体験活動こそ、その発達におおいに有効であると喧伝してくれたことも追いかけとなりました。
 
今時の子どもたちは、周りに遊びばとなりえる自然豊かな田舎であっても、自分たちで外遊びにでかけてゆくことは、もはやほとんどありません。幼児児童期に自分の地域で野外での遊びをすることは郷土愛を育むことにもなると私は信じて疑いません。 
 
で、私たちも自主活動と別に、黒松内町教育委員会、町立認定保育園と協働して、もう7,8年になるかな、町内の主として年長さん向けの自然活動を年に4~6回程度かな、半日活動をしています。
 
 
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お散歩

2022-01-19 12:00:29 | 自然学校の日常

昨日今日と陽光輝く。このまま雪解け春に向かってほしいもんだが、まだまだ1月中旬、「大寒」である・・・

自然学校の鶏達「コケッツ」は、冬の間中は狭いトリ小屋に閉じ込められているのですが、お天気もいいので入口を開けてあげると。オソルオソル外へ出てきました。旭川の東山動物園のペンギン行進ならぬコケッツ行進。

現在のグループは何代目になるでしょうか・・、キツネやイタチの侵入で何度か絶滅近くに追いやられながら、養鶏場からあまり卵を産まなくなった婆さんトリをもらってきて、卵を取るというよりもペットとして飼っていて、来訪者の人気者となっています。 現在は茶色いボリスブラウン種と、黒い(たぶんヨーロッパ産の品種が改良された)北海地鶏と頂き先から教えられた2種と、たぶんコレは別種だろうという白いオンドリ(少なくともレグホンとは違う・・)が混育されています。黒い連中はもらってきた夏にはお互いにツツキあうためか、羽が取れて赤い地肌が見えて姿みすぼらしかったのですが・・、 冬の間に狭い場所に押し込まれていたのにも関わらず、黒い羽が増えて色鮮やかになっていました。う~ん不思議だ・・・。

駐車中の車の横が車体の日光反射で暖かいのか、そこへ集まってきます。 冬の陽光でしばしの日光浴をお楽しみくださいな。

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お片付け

2022-01-18 15:21:24 | 日記
年越しで、いや数年越しで事務所机周りの書類の片付けをしています。 ピンクのカゴの中は山盛りだったので底が見えてきました。じっくりと考え事をして整理し企画ごとをしなければならないことはあるのですが・・、どうもアタシの脳内は、順番を決めてしまったようで、これをやらんことには落ち着いて考え事ができないのです。 実は事務椅子の左側にはワゴンがあって、その上も書類と本が山積みなのですが・・・。

で、捨てきれない書類が底から見つかると、も一度精査してから必要に応じてファイリングしようと、右へと積んでしまうので、右が山積みになってくる・・・。
 もはや、ファイルしても取っておいても、役にはたたんなとは思うんですがね・・。 断捨離は難しい。
 
実は、机のしたにも箱があって、それには、実家から送られてきた私が小中学生の頃の日記やら絵やらが詰まっているのです。 まあ、アタシが偉人でもあれば、どこかに寄付して,のちのちの研究材料にでもしてもらいたいですが、価値ないな・・。 この箱の蓋を開けると、「読まずに燃やすこと!」との遺言を書いた紙が入っているのです。が・・、夏になったら、ひとりで裏のキャンプ場で焚き火を焚いて、酒を片手に読みながら読んでは、どんど焼きで燃やすかなと、密かな愉しみにもしております・・・。
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陽光

2022-01-18 11:43:34 | 主義・主張

昨日のブログ投稿写真と同じような写真ですが、最大に違うことは「ひさしぶりに、青空を仰いで陽光を浴びれたこと」です。 この時期は、雪が降ろうが振るまいが、曇天が多いので、陽光を浴びると、とても嬉しいものです。

オミクロン・コロナウィルスは急速に感染を広げています。昨日は、山村留学をしていた人や親戚の中にも陽性者が出て(幸いごく軽症のようですが)、自宅待機を始めたという連絡が来ました。 これまで知り合いで陽性になったという人はいなかったので、なんだか身近にもジワジワと迫ってきたなあ感があります。

コロナウィルスは、ついに人類の社会生活そのものに影響を与えるようになりました。エッセンシャルワーカーというのですか、社会の公共性ある仕事に従事する人々(医療、交通、衛生、消防など)にも陽性者が増え自宅待機療養者が増えニューヨークなどでは混乱が起こり始めているとの報道もあります。 日本でもこのような状況になることが危惧されています。

ウィルスは生物と共に太古の時代から共に存在し、生物の身体・生態に影響を与え、進化にも貢献してきた存在らしい。人類は地球そのものを破壊してゆくような存在になってしまい、その活動を押さえるために、地球にとっての白血球のゆな存在になっていると思う。 人類が生き延びるためには「!進化」が必要なのだ。 それは科学技術の進歩ではない、人類の生態そのものを変化させることができるかが、つきつけられている課題なのだ。

森林破壊、海洋汚染、地球温暖化問題・・、これらは、現生人類によるものだ。地球は悲鳴をあげている。 我々の生き方、暮らし方を変えるようにコロナは迫っているのだと思う。

 

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どうなることやら・・・

2022-01-17 14:39:21 | 日記

地球の南の海洋火山が爆発。「津波が来るとニュースでやってるよ! いつまで寝てるんだ!」とカミに起こされたのは昨日の朝だったか・・・。

潮位異常は、津波ではなくて噴火による衝撃が影響したらしい、ドラゴンボールのカメハメ波みたいなもんだろうか・・?なんてのんきな想像をしたが、地球の裏側で起こったことがこちらにも影響を受けるのだな。何年か前に東南アジアでの火山爆発の噴煙影響が世界的な玲夏を引き起こしたが、それに匹敵するくらいの爆発らしい。今年の夏は涼しいのかな。雪の量はここまでは平年並みかな・・。まだまだ1月中旬。ここからこの冬はどうなるのかな・・。

先ほどまで目の前でチコさんが、文科省からの委託をうけたコンサルから「コロナ下での自然体験活動について」のZOOM取材を受けていた。やれ「水活動で使ったシュノーケルの感染対策は? 寝袋は?」とこまごまと聞かれていましたが、上手に受け応えをしていました。 感染対策マニュアルは独自のものは制作はしていないのですが、野外活動のネットワークで制作されたものを参考に対処してきたところです。

 事業を実施するためのボランティアスタッフが他の団体では集められなくなっている、ぶなの森自然学校ではいかがですか?という質問もありました。「さして、当方は困っていない」と回答しました。 その理由は、様々なネットワークを持っているから・・・。そう、そうなのだ!! 困難な状況に対応するには、ネットワークが必要なのだ!我々は、そんなネットワークを有していることが、大きな強みなのだ!!(とチコさんも気づいていて、そう応えていたので、嬉しかったな)

そもそも野外体験活動に経験があるわけでもないだろう受託機関がとりまとめているのだから・・、細かく聞き取りをしたいのだろうが・・、 このネットワークを有しているか否かが、コロナ社会を生き抜く重要な視点なのだ!!

聞き取りたい主眼の感染対策については・・、元々、換気がいい古い廃校舎を使っているのだし、活動のメインは野外なんだからね・・、病院や施設のように細やかな感染対策など必要なかろう(と、書いてしなまうと元も子もなく、チコさんから叱られそうですが・・)というのが本音だな。 プログラム参加直前の健康状態、手洗い、うがいの徹底が、まっ!基本対策ね。 オミクロン株は急速に広がっている・・、感染力は強いが重症化率は低い、コロナ全体の終息のへの可能性も出てきたとの見解も出てきたりしている。しかし、この手のウィルスはまだまだ出てくるだろう。

地球史的にみると、ウィルスは生物の発生時期から動物とともに生きてきた(ウィルス自体が生物なのかという疑問もあるが・・)、むしろ、生物の進化に多大な影響を与え人類と共存し続けてきたと論じる学者もいる。 オミクロン株は、人間の社会システムまで崩壊させようとしている。 これは、人類の新たなる!進化促進をうながしているんじゃあ、なかろうか。

 

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ボッチャ

2022-01-16 18:33:34 | プログラム 高齢者
昨年の東京パラリンピックの正式競技でTVでもその競技模様がながされたボッチャ。建設会社か電気製品会社か?TVCMでも子ども達がやっている様子が放映されていますよね。  

黒松内町教育委員会で、この競技道具のセットを入手していました。 自然学校が立地する地域の老人会でこのことが話題となり、みんなで体験してみようということになり、コロナ禍でいろいろな行事が中止となり、お年寄りたちのデイケアもなくなってしまっているので、こえを借りてきて、自然学校でこじんまりと体験会をしてみようということになりました。
 
ルールはカーリングのようで、赤青のボールを持つふたチームにわかれて競技をします。まずはじめに白いボールを投げます(転がしても、蹴ってもよい)。 そのボールをめがけて交互に赤青のボールを白ボールにできるだけ近づけるように投げます。 今回は双方が12球づつでした。 そして投げ終わった後に、白ボールに一番近いボールが3点、次が2点、その次が1点として、その合計点で争い、1セットを終えます。それを何セットが行ってセットごとの合計点で勝敗を決めます。
ボールは中に砂かなにかが入っているようで、柔らかで意外と重たいです。投げ方によっては少しはバウンドもします。カーリングのように他のボールに当ててもあまり移動させることは難しい。 障害者がボールを投げられないような選手の時は、ボールを転がせる樋(とい)のような道具もあります。 点取りはその距離が微妙なのでコンパスのような道具を使って距離を測ります。  我々が子どものころにはビー玉遊びが流行りましたが、その中にも似たような遊びがあったなあ・・(あれは、地面に丸い円を描いて、その中に大きい親玉をまず投げ合い入れた方が先行となり、交互に普通サイズのビー玉を投げない円からはじき出されたビー玉を取り合う、というものだったかな・・)
 
かなり単純なスポーツなのですが、これがやってみると意外に面白い。何よりも障害も大人も子どもも関係なくチームがつくれることがよい。 例年正月には、子どもキャンプを実施していて、この日程の中で地域のお年寄りとの交流会をしていたのですが、今年は都市圏から来る子ども達なので、コロナ心配もあり地域だけで行いましたが、次の機会には子どもとチームを組んでの活動にしたいものです。
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続 なぜ山に登るのか・・

2022-01-15 10:32:25 | 主義・主張

昨日のFacebookにブログと同じ文章をアップしたところ、色々とコメントを頂き、さらに思い出すことあったので、続けます。

私が山登りを始めたのは、子どもの頃に両親がたまにハイキングに連れ出してくれたことにあります。覚えている最初の思い出は京都の鞍馬山です。大阪に住んでいた頃ですから小学5年生くらいだったかな。 天狗が出てきそうな恐ろしさを感じた深淵な大木の茂る急な登山道で、かなりキツかった。 その後、中学の担任が近所の低山歩きにも連れて行ってくれて、中2で地元千葉に戻ると、高尾山やらひとりででかけるようにもなりました。人がいない場所に地図を頼りに知らない場所に出かけるのが性にあっていたんでしょうな。 そして、高校では山岳部に入りました。高校山岳部というと夏山合宿に北アルプスをめざすというのが定番でしたが、うちの山岳部は大学のワンダーフォーゲル部が行くような関東北部の県境の藪山歩きを伝統的に続けているちょっと他とは毛色の異なる部でした。そこでますます登山にのめり込み、大学では毎週の山登りのためにアルバイトをして山へ行くというような学生でした。 なぜ、山に登るのかなんて、あまり考えなかったなあ・・、が、無心になれることは感じていたと思う。

雪山は雪崩に慄きながら渓谷をゆき、日高の稜線で吹かれ、実際に利尻では雪崩にもあったし、岩壁から滑落して大怪我をしたこともありました。 連れが長男を身ごもっていた年末年始にも冬山芦別岳に山行し、雨に打たれてビショビショになり、その後の寒冷前線通過で猛烈に気温が下がった細い稜線(たしか、本谷の第3稜だったかな・・)で暴風でテントポールが折れた中でビバークして凍傷になったこともあった。 なんであんなことをしていたんだろうと今振り返ると思うなあ・・。 厳しい山登りは、芦別から帰った直後に長男が産まれたことが契機になって、その春山合宿から岩壁登りはやめて、翌冬山も行かなくなりました・・。 あれから・・、もう40数年もたつのだなあ・・と感慨。生きていてよかったなどとの深い感慨ではないけれど、しなくてもいいことをして、切り抜けて来たもんだとは思うな。

で、昨日の続きで・・「悟り」のことなのですが、思えば悟った時が一度だけありました。(以下、ここからも長いです・・)

大学に入り、山スキー部という学生団体に入部したのですが、その五月にオフクロガくも膜下出血で倒れました。今ほど医療も進んでいませんでしたから、一度の開頭手術の後は意識のないまま人工呼吸をつけることになり、看病が必要となり私は休学することになりました。しかし、8ヶ月後には帰らぬ人となりました。 その焦燥感はとても大きくて復学する気持ちも失せてしまいましたが、周りの説得もありなんとか北海道に戻りました。が、部の同期新人連中は1年間、山にもまれてみなたくましく成長しており、ふたたび1年目からやり直す気がおこりませんでした。で、岩登りにも興味があったので、当時社会人山岳会として、名のある札幌山岳会に入会しました。しかし、私の挫折感はなかなか回復できないままでした。 そんな時、ネパールの山のことを知りました。知り合い友人学生がけっこう東南アジア、インド、ネパールに旅をしておりそれに触発されました。 アルバイトに精を出し資金をためて、翌年のポストモンスーン(秋から初冬)に友人とふたりでネパールトレッキングを敢行しました。 これはこれで、いろいろな気づきや今の人生に影響を受けたことが多々あるのですが・・、悟りというのは・・

ともかくも山が想像以上にでかかった。8000m峰ダウラギリの北壁に対峙する小さな峠(5000m台)で、見た壁の大きさ・・「世の中にはこんなにも大きなものがあるのだ!」と驚愕し、カリガンダキ川の川原横断では正面にそびえるニルギル峰の大岸壁を目指して一日歩いても、はるか遠くに大きいままで、その大きさはちっとも変わらなかった!!

目標は、カリガンダキの源流、チベット高原に近いティリッツオ湖という幻の湖だったのですが、そこは予想以上に遠く、重装備をポーターなしで担いで登っていたので、力尽きて結局断念をしたのでしたが・・、 その折も5000mを超えるくらいまで登山をしました。息も絶え絶えになり、1000位登っては降りてキャンプするという高度順化しながら数日を山中で過ごしました。 眼前にはもう平たくなったチベット高原も見渡せました。

風もなく無音の世界、ただただ大きくて広い世界・・。その時に悟ったのです・・・

なんて、俺はちっぽけなことで悩んでいるんだぁ!!

人の生き死にやひとりの人生なんて、この地球にくらべたら、宇宙に比べたら、なんと小さなものなんだ。その小さなものものが幾重にも重なりつながりあって、いのちというものがある。色即是空 空即是色な概念がわかり、オフクロの死をすんなりと受け入れることができたのです。

これは、瞬間的な悟りであったな・・、

今でも私の人生観、生命観は、色即是空 空即是色 であります。

 

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なぜ山にのぼるのか?

2022-01-15 02:04:52 | 主義・主張

「なぜ、山に登るのか」という質問に、高名な登山家マロリーは、「そこに山があるから」と答えたというのは有名な話しです。 大学を卒業して最初の就職先でも休暇に山登りにでかける新人社員に社長が、ワタシに同じことを聞きました。そして、そんなもの止めちまえというような説教が続きました・・。 今は、吹雪の雪稜や岩壁クライムをすることはなくなり、長い距離を歩くこともなくなりましたが、今でも山岳小説やノンフィクション物語を読んだりはしています。 今振り返ると、どうして、あんな危険な登山をしていたんだろうと思うこともあります。

とある山岳小説というか、山岳信仰を題材とした小説を読んでいて、この問いの応えとして、ちょっとしっくりとした文章をみつけたので、写し書きしTおこうと、深夜二時過ぎなので起きてきて、キーボードを打っています。

そのくだりは・・こうです。

「山に登ることは瞑想に(精神統一に)近づくことができる、もっとも容易な道のように思われました。山の頂に向かって汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなります。心が澄み切って参ります。登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山に登ってみれば自然と分かってくることです。なにかしら、自分というものが山の気に解け込んでいって、自分が何であるか、人間がなんであるか、なぜ人間は死なねばならないのか、そういう難しい問題さえ自然と山の気が教えてくれるようにさえ思えて来るのです。そのような境地は登山によって身を苦しめられて得られるのではありません、登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います。」

なんも悟ってはいないけどさ・・・。

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冬の遊び

2022-01-14 16:21:33 | コラム風味

北海道の先住民には明確な四季を表す言葉がないと言うアイヌがいます。(辞典には春夏秋冬に当たる言葉も出ているので地域差があるのかもしれませんが・・)、夏と冬しかなくて、秋は「夏の終わり冬の始まり」春は「冬の終わり夏のはじまり」となります。私たちは実際に12月中旬から5月上旬までほぼ半年は雪で遊べるフィールドで活動をしているので、その言葉の実感が持てます。雪の多い年は、当自然学校(旧小学校)の平屋校舎は屋根からの落雪で建物全体がロールケーキのように雪に包まれてしまいます。

コロナという疫病が流行り、収束が期待されて来ましたが、ただでさえ家に閉じこもりになるのに、もう2回目の冬がやってきています。にもかかわらずに、田舎だからか、私たちの活動は遠方からの参加者はいなくなりましたが、幸いにも表面上はいつもと変わらぬ冬を過ごしています。

冬だからこそ、積極的に野外に出たいものです。曇りがちな雪国であっても、私たちは雪にまみれて野外活動をしています。ましてや、陽光輝く日にはカラダを使って大いに幸せを満喫し楽しんでいます。冷たい、寒いからこそ、仲間とともにする身体活動でカラダを活性し身も心も温め合うことができます。

雪は、冷たいだけでなく、いろいろな性質があります。 滑る、溶ける、固まる、白い、塑像造形性等など・・、それらを使うといろいろなアクティビィティを工夫展開することができます。雪合戦は単純明快な活動的なアクティビティですが、ゲームのやり方次第でいろいろな展開ができます。私たちは陣地の宝争奪のチーム戦を好んでしますが、ハンディをつければ幼い子から高学年まで一緒に闘えるのも面白いです。

また新雪は雪は柔らかいのでクッション性があります。なので、けっこう身体を張った乱暴(運動量が多い)な活動ができます。 体と体で取っ組み合うということがなくなっている現代の子ども達には雪の中での大人との急な斜面での格闘遊びは男の子ばかりではなく女の子も夢中になって落とし合いをします。誰かが滑ると巻き込まれて団子になって大勢が落ちて行きます。落とされると這い上がるのに大変ですが、みな組んずほぐれつに真剣勝負です。屋根からの雪の中への飛び込みも冬のメインイベントです。

ひととき仕掛けた遊びをすると、徐々に子ども達は自分で遊べるようになってゆきます。彼らの様子は個性様々です。ひたすらソリ遊びをする子、容器で作った雪の塊を積み上げ続ける子、穴を掘り続ける子と、じょうずに遊び続けます。

零下20度の中でも雪中キャンプもお決まりプログラムです。雪洞や簡易イグルーの中でも夏用寝袋と毛布があれば意外と過ごせるものです。慣れた子になると、竪穴だけでブルーシートをかけて過ごす子もいるくらいです。冬に野外でひと晩過ごした、冬の雪中で遊んだという経験だけでも子にとって大きな達成感があり自己肯定感が育まれると私は信じてやみません。

また、冬の活動だからこその寒暖をつけたプログラムフローが大切だと思います。雪まみれになったあとの焚き火、暖かい飲み物、食べ物の提供、息が凍るほどの雪洞の中で膝を寄せ合い、小さなストーブの火を囲んで、雪を溶かして作り飲むココアはお互いの気持ちも自然と寄り合わせますね。身体だけではなく、その場も温め人と人とが触れ合い仲間としての一体感を演出できます。

 

しかし一方で、冬場の街中では、子どもが外で遊んでいる姿はさっぱりと見かけません。街中では、夏に水場へ行かないようにとの学校指導と同じように、「路肩の除雪の雪山に登ってはいけない」「雪玉を投げてはいけない」という禁止事項が実はたくさんあります。だから子どもに大人が働きかけ、最低限の安全を確保しつつ冬の外活動のにキッカケをつくってあげる必要が夏以上にあります。

(日本環境教育フォーラム機関紙 地球のこども 投稿原稿転載)

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埋もれつつあります。

2022-01-14 16:01:36 | 自然学校の日常
夕暮れ時の四時です。運動した後のような心地良い気だるさがあります。スノーシュー歩きにもプール歩行へもいっていないのだけどなあ・・・。

あっ、除雪疲れかぁ・・。たいしてやったわけではないのですがね・・。 近所のお年寄りお宅の除雪を担当しているのですが、その一軒から町の社会福祉協議会を経由でSOS.があり、でかけてゆきました。 地区内のお年寄り家庭の除雪を社協の仲介で担当しています。(我が地区ではコミュニティが機能しなくなりつつあり、地域内で相互除雪扶助が構築できなくて、社協が仲介してくれている) 複数件あるので、スタッフがお休みの時は、とんでも手が回らない。自分の家の前を除雪するだけでくたびれてしまうんですから・・・。
 
行ってみると、雪の吹だまりで、玄関引戸が開けられなくなり外に出られないとのSOSでした。 
今日はなんだか底冷えをする日です。事務所の薪ストーブは元気にしているのですが、部屋が暖まらないなあ・・。しかし、野外気温はマイナス2℃と温かいほうなんだけどなあ・・・。今年の雪はまだまだ多いのか少なく終わるのか判断がつきません・・・。 しかし、暴風雪は多いような気がします。
校舎の窓も半分位は埋まりました。
春五月を待ちわびているワタシです。
 
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