晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の道標を探す・大栗峠(3) 6/10

2012-06-10 | 山・峠

2012.6.10(日)曇

 やすみと右股を少し行ったところに石の積んだ跡がある。炭焼窯の土が流れて積石が残ったのかとも思われるが、妙に四角いのが気にかかる。実はこの時あまり気にしなかったので詳しく観察することも写真に撮ることも無かった。どこかの本に石風呂のことが書いてあった。山間地で冬期に山で作業する人たちが暖をとるために、石で囲って焚き火をしたりしたというものである。一種の休憩所と言うべきものだろうか。
 果たしてこのようなものが実査に存在したのか疑問なのだが、あるとしたらその石風呂の跡かもしれない。次回訪れたときには詳しく観察してみたい。
 おおだんからみとに至る広葉樹の林は元々は茅畑だったところだが気分のいい林になっている。一応テープ等で道案内はしてあるのだが、決まった道があるわけでは無い。各自のペースに従って直登したりジグザクに登ったりすれば良い。ただし、敷き詰められた落ち葉の下は蛇に格好の環境である。これまでジムグリだかヤマカガシだか割合小さな蛇をよく見かけたが、今回初めてマムシと遭遇した。なかなか立派なマムシで、こんなのを知らずに踏んでしまったらなんて考えるとぞっとする。いずれにしても足下だけはしっかり保護をして歩いて欲しい。P1010928
P1010929
いい林なんだがこいつはいけない。


 林道を少し歩くと左にシデ山に向かう道に出合う。ここもわかりやすい道標が着けられているので間違うことは無い。但し稜線までの斜面の一部にシダ類が繁茂している。夏期の間だけだろうが、先程のマムシを見ているだけに気味悪い。稜線はまばらな広葉樹と白い岩稜ですこぶる気持ちいい。小さなピークをぽこぽこと越えていくと731mのピークに着く。ここには小さな測量点があるのですぐに解る。その少し先に岩稜のピークがある。この岩のピークをシデ山としている。隣の731mピークと同等の高さがありそうだが、岩の分だけ高いかなとも思う。もともとこのあたり一帯がシデ山と言われていたようで、個別のピークを指していたわけでは無さそうだ。P1010930
P1010933みとの広場から丹丹、若丹国境の山々。
このような道標が随所に完備されている。


 私たちはわかりやすいようにこのピークをシデ山と呼んでいる。繁茂している枝などを切り払い、長老ヶ岳(916m)方面の展望が素晴らしい。
 シデ山で弁当を食べているとポツリときた。予報通りだがチト早いなと思いつつ腰を上げる。P1010937
 
シデ山から長老ヶ岳をのぞむ。曇り空だが良い景色だ。


 ここからのルートは要注意である。大栗峠、鳥垣林道に向かうには上林側の斜面を下る。稜線を辿ると上粟野に下りてしまう。地図を見れば一目瞭然なのだが、騙されやすい地点なので、念のため。
 斜面を下ると、右にすずゆわ(すず岩)が見える。その先に右に鳥垣林道に降りるルートがある。わかりにくいところだが、しっかり道標が着けられたので大丈夫。ここで桜井さんと別れ、わたしと村上さんは大栗峠へ向かう。P1010939

何気なく撮ったすずゆわ、わたしはその名の由来を探しているが未だ解らない。アップにしてみて頂きたい、その下部に写っている妙な形状は何だろう。これは鍾乳石では無いだろうか。


  大栗峠まではシデ山から丁度30分、広葉樹林の優しい尾根だ。そして大栗峠では地蔵さまに再会することとなる。いつみてもいいお顔だ。つづくP1010941

今日のおじぞうさま。


【作業日誌 6/10】
一区元気にしよ会の堤防草刈り

今日のじょん:じょんに着くダニはすっかり見なくなった。やはり暑くなりはじめが圧倒的に多いのかと思うが、散歩コースに草が生い茂りじょんも人間も入りたがらないのが最大の理由だろう。ところがその油断がたたって草刈りをしたわたしに初ダニを発見した。左ふとももにチクリと感じていたのだが、風呂でよく見るとしっかりくっついている。マムシ、ムカデ、マダニの夏の3Mは頂けない。P1010917
 

じょんのび村はダニが着かないよう草刈りを徹底している。 

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幻の道標を探す・大栗峠(2) 6/9 

2012-06-10 | 山・峠

2012.6.9(土)雨

 やすみとは鳥垣渓谷が二股に分かれる部分にできた島のようなところで、地形的に何というのか知らないが特徴的な場所である。鳥垣集落の茅かき作業にとっては往路復路共に重要なポイントであっただろうし、茅かきをした人たちにとっては最も思い出深い地点なのでは無いかと思う。背にくい込む重い茅に喘ぎながらも、やすみとに着けば一服出来るという思いはきっと励みになっただろうし、やすみとでの時間は苦役から解放された至福の時間でもあったと思うのです。冊子「シデの思い出」にもやすみとでの写真は多くあります。モンペ姿のご婦人方、乗馬ズボン風作業ズボンの男衆も実に良い顔をされている。各地の地名などを見ていると、やすみとというのは普通名詞的に使われているようだが、実に含蓄のある地名だと思う。Img_3186 
 
やすみと(2011.6.26)現在はもっと刈り払われ、すっきりしている。


 さてその二股の左股の左岸に古い炭焼き窯の跡がある。上林で見かける窯跡では大きいものと言える。実はそこで炭を焼いていたのは岐阜県の大久保さんという方だそうだ。驚くべきは谷の対岸に小屋があり、子供さんが学校、多分奥上林小学校だろうと思うのだが、に通っていたというのだ。距離的に見ると古屋から通うのと同じように思われるが、おそらく一人でこの山道を通ったのだと思うと何とも感慨深くなる。ある冬のこと、例年に無い大雪が降り、大久保さんが孤立してしまった。案じた村人が救出に向かったという。これが食糧の救援なのか身柄の救援なのか、はたまたどのような事態なのか解らないのだけど、その際救援に向かった村人の一人がご健在だということだ。またご本人も居所が解りそうな状況なので、できれば当時の生活の様子、
岐阜県の方がどのような経緯で上林に来られたのか聴いてみたいと思うのである。Img_3369
 
炭焼窯跡の写真が在ったと思ったら草で解らなくなっている。
(2011.7.24)


 木地師をはじめとして山林に従事する職の民は基本的に定住にはなじまない。農耕のように毎年種を蒔いて収穫するという性格のものではないからだ。樹木を伐採したら次に利用可能となるのは何十年先となる。流浪を繰り返す民を定住農耕民は侮蔑的な感覚で見ていると思われがちだが、実際はそうでは無かったのではという風に考え始めた。彼らは古代から近世まで庶民の文化の伝搬者だったのでは無いだろうか。
 小説「月山」に出てくる、十王峠を越えてくる怪しげな押し売りや密造酒売買人が世間では悪者なのだが、村人にとっては外界から文化や情報を運んでくる大切な人と見られている。山深い寒村であればこそ余計そういう感があるのではないかとこの炭焼窯跡を見ると思うのである。つづく

【作業日誌 6/8】
草刈り(3-3)

今日のじょん:6月5日の記事にコメントを頂き、鳥の名前が判明した。イソヒヨドリの雄だって。以前に鳥の好きな方にポケットサイズの図鑑を戴き、店に置いておいたのだが紛失して探しているところだった。いやはや珍しい鳥が居たものだ。そういえばイカルも最初に出て来たきりで見つからない。やはり常に注意力を持って見てなくてはいけないようだ。P1010860


 
 

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