2012.6.16(土)雨
すずゆわ=すず岩だろうというのは既に考証したところである。三和町下川合にタテユワという地名がある。これなども立岩(たていわ)と考えて良いのだろう。
ではそのすず岩というのは何なのかというのが今回の考察である。象徴的な大岩だからその形状が名のおこりと考えるのが一般的である。その岩が鈴の形をしているとか、稲わらを立てかけた形に似ているとかということであれば間違いは無いのだろうけど、どうもそれらしい感は無いようだ。この岩は今でこそ木々に隠れて里からは見えないが、かやかきの時代には見えたのかも知れない。その時の形状がどのようなものかみてみたいものだ。
さてすず岩の語源だが、先般偶然に見つけた影像の部分が鍾乳石、石灰岩であるとして、シヅ→シズ→スズの訛化であり、語源は石灰岩、鍾乳石だと考える。
ここで困った問題が起きてきた。すず岩の写った写真がないものかと「シデの思い出」(鳥垣自治会)を繰っているとそれらしい写真は見つからなかったのだが、「シデの一番高い所(すず岩)からは、和知の奥にある何軒かの集落や舞鶴の海が見えました。」とあるのだ。(20P)このすず岩は731mピークの西のシデ山頂としているピークの白いチャートの岩を指すのだろうか。
わたしが言っているすず岩からは舞鶴湾は見えても和知の集落は見えないからである。
シデ山頂、ここからは和知は見える。(2011.7)
先程の文中の「一番高い所(すず岩)」は「一番高い所(すずゆわ)」と書くべきだったのでは無いだろうか。すずゆわは一番高い所を含む地名であって、すず岩はすずゆわ地名の由来となった岩そのものを指すのでは無いだろうか。
石灰岩地帯の「シヅ、シズ」地名についてはいくつかの発見もあったのだが、くどくなるのでここでは略し、まずすず岩の写真に写った妙な形状の岩の正体を定めたい。
ここでもっと衝撃的なことが発見される。
実は本日の記事を書き終えて、過去のすず岩の写真を掲載しょうと眺めていたところ今回の奇妙な部分と手前の樹形の同じ部分が見つかった。アップして見てみると現在より土や葉が覆っているのだが、左下に伸びている部分が大木の幹なのである。もちろん現地に行ってみないと確かなことは言えないが、どうも倒木の根が鍾乳石に見えたようである。一体この間の考察は何だったんだ。質志、父子の件はそれなりに有効な説と思うが、=すず岩の説は完全に撤回することにする。怖ろしく疲労感を感じるが、地名の探究なんてのはこんなものだろう。柳田国男先生の言葉が身に浸みる。終わり
左2011.7.24、右2012.6.8
同じ場所である、左の写真では大木が倒れているようだ。
今日のじょん:清和園さんの一匹がもらわれてきた。黒の雌である。5月17日生まれということだから、今日で丁度一ヶ月、名前はまだ無い。かわいいなんていいながらかみさんが抱いていたら、じょんがやきもち焼いているようだ。サチみたいにな
るんかなあ。