晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の道標を探す・大栗峠(考察編1) 6/14

2012-06-14 | 山・峠

2012.6.14(木)快晴

 梅雨の中休みというのは上林では一番良い季節かもしれない。結構気温は高いのだが、湿度が少ないのだ。
 さて今回の山行では多くの発見をしたわけだが、最も衝撃的だったのは「すずゆわ」の正体である。この件について詳しく考察してみたい。
 
 「すずゆわ」はかつて「シデの山地名考」(2011.7)ですず岩というシデ山直下の大岩のことだろうと解いた。このことは多分正解だと思うのだが、なぜその大岩がすず岩なのかについては解明出来ていない。色々と思いを巡らせたのだがこれといった案が見つからない状態であった。そういう行き詰まった状態を打開したのが、今回の山行で何気なく撮った一枚の写真である。それはシデ山から大栗峠に向かう尾根の木々の間からすず岩を撮ったものである。帰宅後に見た写真の中に岩壁の下部附近に妙なものが写っているのである。当初木の根っこかなと思ったのだが、形状、色ともにそのようには見えない。ズームアップして見ると実に不思議な形をしたその部分はどうも石灰岩のように見えるのだ。その曲線は鍾乳石といっていいように見える。実は現地を確認するために矢も盾もたまらない気持でいるのだが、ここはぐっと堪えて、これが石灰岩であると仮定してすず岩の考証をしてみたい。P1010939 P10109391
 
すず岩の遠望写真と不思議な部分のアップ写真。



 スズという言葉でこの岩に関連のありそうな語源は、清水、穂(地名の語源他)のようだ。清水の湧き出るところという意味では鳥垣渓谷右股の源頭となっているすず岩周辺を表す言葉としての「スズ」としてかなり有力だ。しかし「みと」から清涼な清水が湧き出ているのに比して、すず岩自体から清水が湧き出ているようには見えない。
 穂というのは稲叢(いなむら)のことでニホ、ニオのことらしい。といっても何のことか解らないだろうが、刈り取った稲を円錐形に積み上げたものの意味である。これは山名の語源となっている例が多くあり、北八ヶ岳の「にゅう」鈴鹿や赤城山の「鈴ヶ岳」などは山容からこの言葉が語源となっているようだ。
 鳥垣のすず岩がこのような形状をしているか否か判断に苦しむが、裾が拡がった感はあり、どこからかの見方によっては円錐形の稲穂を立てかけた形に見えるのかも知れない。とにかく現在では展望のきかない岩ではあるが、かつて茅かきが行われていた頃は完全にその全貌を現していた訳だから、その形状は「にゅう」であり、「すず」であったかも知れない。
 「すず」の語源はこの他に数多くあるのだがこの二つが有力であろうと考えていた。つづく

【作業日誌 6/14】
じょんのび谷整備
ニンニク収穫P1010971

秋に植えつけるのを残しても沢山あるので、欲しい人にあげる。


 
 今日のじょん:身近にあった櫓(やぐら)ネギ
6月7日の記事で紹介した櫓ネギについて、「いやあこんなネギ珍しいね」という声があったが、朝の散歩でよく観察していたらすぐ近所の畑に植わっていた。なんだ身近にあるんだなあと思いつつ、それにしても硬くてまずそうなネギだなあと思うのである。P1010959

 
 
 

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幻の道標を探す・大栗峠(6) 6/13

2012-06-14 | 山・峠

2012.6.13(水)晴れ

 弓削に降りるだろう広い街道を見送って尾根を忠実に下ることにした。広い道は消え、人が歩けるだけの道となる。この道が保たれているのはイノシシの街道となっているからだ。少しでも湿気のあるところはヌタ場状になっており、周囲の木々は肌を擦りつけられて皮はむけ泥で磨かれている。周囲にはおそろしいばかりの剛毛が散らばり、この尾根はイノシシの独壇場となっている。かつては松茸や山菜など山の幸にあふれ、薪や堆肥を取りに入った山なのだろう。志古田の村から大きなくしゃみの音が聞こえる。将に里山なのだ。それなのにこの地に分け入った村人は何人居るだろう、少なくとも今年はわたしたちが初の訪問者なのでは無いだろうか。
 尾根の両側の村々では例のワイヤメッシュのフェンスを張り巡らし、獣害対策はこれで万全と、まるで「原発の安全性は確保された」と言ってはばからない現政府のように居直っているのだろう。この尾根の猪たちの痕跡を見ればそんな考えは一挙に吹き飛んでしまうと思うのだが、、、。
 変わりばえしない獣の道をお借りして、弓削城のコルに出る。P1010948
P1010949P1010950



左:コルから弓削に下る道、良い道だ。
中:弓削城趾、南側の郭。
右:イノシシの落とし穴、この尾根にはいくつか見られた。尾根上にあるので炭焼窯とはすぐに判別出来る。


志古田から弓削 に向かう道は確実にあったようだし、今も歩くことができる。志古田からコルまでの道は植林の中で面白くも無い道だが、弓削に降りる短い広葉樹林の道は往古の峠道を彷彿させる気持ちの良い道だ。ただしその出口は例のフェンスで出られるか解らない。わたしが歩いた昨秋にはまだフェンスが完成していなかったからだ。志古田側は問題ない、弓削が村中を囲んだ事に対し、志古田では耕地のみを囲んだようだから。
 せっかくこのコルまで降りてきたのだから弓削城趾を見てこようと、急坂を登る。
 二つのピークに山城があったようだが、下調べもしていないので山頂の平坦部しか解らない、本当は堀切や曲輪など城らしい構造が残されているようだ。
 天気も怪しいので早々に志古田に降りる。昨秋発見した志古田の古い地蔵さまは実は二体ある。一体がまるきり後ろを向いていたのだ、風化の様子ではかなり古いもののようだ。P1010951_2

左端と右から二番めが地蔵さま、下の台状の石は新しそう。


 この道はお城に行く通路、志古田と弓削を結ぶ道といっただけの道では無く、上林川左岸の街道として存在していたのではないかと想像する。つまり近世には上林川の橋もかなりあったようだが、中世古代となると怪しげなものだろうし、増水すれば右岸と左岸は完全に分断されていただろう。そう考えると村々をつなぐ道路は右岸左岸の両方共、上林川に沿ってあるいは尾根を越えて存在しただろうと考えるのである。そういう意味で上林街道、つまり府道1号線の走っていない側の街道を探ることは興味深いことであるし、意義のあることだろう。それにしても例の獣害フェンスは隠れた街道を発掘するに大きな障害となるだろう。獣だけを分断出来れば良かったのだが、人間の行動や発想まで分断してしまった。
 佐々木さんちのはなちゃんの鳴き声に歓迎され、桜井さんに迎えに来て貰って今日の山行が終わった。P1010952 道標は見つけられなかったけどそれ以外の沢山の発見をした。大栗峠は昨年から五回の訪問をしている。歩くだけの山行から、発見する山行、考える山行と進化している。おわり(考察編はつづく)

今日のじょん:キクしに勝るきくちゃんがやってきた。奥さんは免許取っての練習というのでレンタバイクで現れた。いやはや聞きしに勝る夫婦である。
 喜び勇んで飛び出したじょんはえらい剣幕で吠えられてしょげかえっている。わたしが近づいても歯をむき出して吠えるのだが、それが妙に笑えてしまうのは何なのだろう?P1010966

 きくちゃん。

 

コメント (2)
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