2012.6.28(木)曇
昨年から瀬尾谷(しょうだに)のことを書いたり、訪問したりする機会が多くあり、参考になることがあるかもと中尾さんが貸してくれた本である。小野原政雄さんという瀬尾谷に生まれ瀬尾谷で亡くなられた方の日記や新聞への投稿をまとめ、ご子息が一周忌の供養にと出版されたものである。
「老人の獨り言」 平成12年5月発行 非売品
御兄妹が亡き父親のためにこのような本を出版されたことはとても素晴らしいことと思うがあらゆる機会に文章として残しておられた政雄氏にも敬服する。それは政雄氏がごく普通の上林の地に生きた男性であったからと思うからだ。
本書の半分は戦争体験であり、実にリアルに描かれている。その内容は何とも悲惨なものでよくぞ生きて還ってこられたかと思うのである。
実はわたしの父親も福知山二十連隊に属して、中支、フィリピンと連戦しているので同じ連隊に属し、北支、ビルマと転戦された小野原氏と同様の戦争体験をしたのだろうと思う。父は戦争体験についてあまり語ることは無かったのだが、お酒が入った時などに話すことがあったが、真剣に聞こうとしなかったことが悔やまれる。
上林の冬は厳しい、冬の瀬尾谷(2012.2)
小野原さんはよくぞ文章に残されたかと感心する。それは大本営発表の報道写真や戦争を美化するメディアの提供品では絶対に解らない戦争の実態を伝えるものだからである。
敵兵と交えることも無く、飢餓と病に侵され、圧倒的な敵の機動力に逃げ惑うばかりの兵隊に「天皇陛下万歳」があろうはずも無く、「お国のために」もあり得ない。せめて「妻や子供のために」と考えなければやりきれないと思うが、現実には妻のためにも子供ためにもなっていないという戦争が、普通に生きたいと願う国民にとって何とも悔しいものであるかということをひしと伝えてくれるのである。
終戦記念日の近づく夏、テレビや新聞で戦争体験の報道がなされるが、本書にある小野原さんの木訥な文章が心に響くのは何なのだろう。戦争とは一体何だったんだろうと考えさせられる。
本書の後半は、瀬尾谷で農家として生涯を過ごされるのだが、農業で生計を立てることの厳しさ、戦後の農政の欺瞞性について鋭い観察をされている。それが大上段に構えてのことでなく訥々とした文章の端々や短歌の中にさりげなくうたわれているのは、上林人らしさがうかがわれて新聞の社説よりも響くものがある。
五十年農に励みて報われず 子等は都会に田畑荒れ行く
ひらい米喰みて起こせし千枚田 今高々と過疎の谷間に
その他に瀬尾谷の年中行事や神社のことなど民俗についても記述があるのだが、いずれ別項で御紹介したい。
【作業日誌 6/28】
植木刈り上げ
少しずつきれいになる、あと二,三日かかりそう。
今日のじょん:村長の座を狙う。
わたしとじょんは隣り合わせに座っており、わたしは先日大広なる超格安の店で買って貰った夏用の長座布団を、じょんはそれまで使っていた古いい草の長座布団を使っている。ところが隙を見てはあたらしい座布団を狙っている。取られないように折ってあるのだが、ゆうべこっそり見ると足で広げようとしていた、油断も隙もないものだ。今朝見てみるとどうも上に座っていたフシがあるのだが、考えすぎだろうか。