晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

何でも無いようなことが、、 6/24

2012-06-24 | 日記・エッセイ・コラム

2012.6.24(日)曇

 何でも無いようなことが、幸せだったと思う~、てな歌があったがそういうことに幸せを感じられるようになれば人生は一級品である。天下国家を論じ、政党を創っては壊す、そんなことにしか幸せを感じられないようでは人生は語れない。
 昨晩天童から佐藤錦が届いた。会社の同僚だった今ちゃんのお兄さんがやっている農園から送られてきたものだ。我々庶民にはなかなか手の出ない果物だが、そんな縁で毎年賞味させて頂いている。今年のはいつもより完熟で甘みは最高だ。この上品な甘みは幸せを感じさせるものがある。
 東北出身の佐々木さんにも味わってもらおうと思っていた所に、佐々木さんがやってきて手作りの西瓜を戴いた。西瓜は作りたい果物のひとつなんだが、獣害鳥害のこの地では露地では難しい。わたしが子供の頃、アライグマやヌートリアはいなかったが、カラスをはじめ鳥たちはいたはずだ。ハウスやネットや無い時分に一体どうして鳥害を防いでいたのだろう。P1020047  




 いずれにしても野菜や果物で一番美味しいのは、自分で作ったもの。その次に美味しいのは誰かが作ってくれたもの。購入したものは値段との相対的な評価となるので、賞味するゆとりが無い。貧乏人の哀しさである。しかしお金持ちよりも美味しく頂いていることは間違いない。何でも無いようなことに幸せを感じるのだ。
 なんや幸せって食い物のことばっかしかい、ということになりそうだが実はそうばかりでも無い。
「ほたるまつりすっぽかしたけど、今年のほたるはどうなんやろなあ」
「外行って見ること無いもんなあ」
「毎年温泉の帰りにじょんのび谷に飛んでるの見るんやけどなあ」
てんで、外に出て目を凝らしてみる。
「おるで、来てみてごらん」
「あっ、おるおる。あっちにも、ほらこっちにも」
結局4,5匹のほたるだけど、上林川のほたるは公のほたるのような気がして、じょんのび谷だと個人で独占のような気分でなにか幸せを感じる。何でも無いようなことなんだけど。

【作業日誌 6/24】
らっきょう収穫、酢漬け作製P1020039 P1020045




右が二年物、来年収穫用と後日植えつけ用を残し720gほどを漬ける。


今日のじょん:作日から上林川鮎の解禁なんだけど、釣り人の影が見えない。育ちが悪い、水が出たなどといわれているようだが、何となく寂しい。P1020025


例年なら何人かここで釣ってるのだが、、、。

 

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雨読 渡来人 6/23

2012-06-24 | 雨読

2012.6.23(土)曇

 渡来人に対する言葉は在来人とでも言おうか、その在来人が海を渡ってくる人々を迎えたのが渡来人である。多くの場合中国大陸、朝鮮半島からの人々で、一部南方あるいはそれら以遠の地域もあるだろうが、一般的に大陸と半島と考えて良いのだろう。彼らは概して在来人より文化が進んでいた。それは日本列島がアジアの東端にあり、文化の行き着く所だからだ。そして帰化人とは古代に朝鮮半島から日本に流入してきた人々をよんできた。
 昭和40年代に歴史を習ったわたしたちは、帰化人が優秀な文化や技術を日本にもたらしたという風に習った。任那日本府なんてのも教科書に載っていた。そして一般的にはそれらのことに何の疑問も抱かずに一生を終えることになるのだろう。教育というのは怖ろしいものである。終戦が無かったら天皇は未だに神であったかも知れない。
 現在学界やマスコミでは帰化人という使い方は減り、渡来人という言い方になっているようだが、法的な帰化と混同したり、一般的に帰化という言い方はかなり残っているようである。

 「渡来人」井上満郎著 リブロポート1987年3月初版発行 定価2200円 古書
P1020038  
 本書は著者の帰化人、民族差別に関するエッセーの新聞掲載に対する抗議の手紙で始まる。内容は強烈で、抗議の手紙の実際の全文も登場し、45ページに渡ってそのやりとりが出てくるのである。冷静に歴史の中の渡来人を学ぼうと紐解いた私にはショッキングなプロローグであった。

 以前に「日本古代史と朝鮮」(金達寿著)を紹介した。(2011.8.13)
くしくも今回のサブタイトルは「日本古代と朝鮮」である。両書とも「帰化人」という言葉や概念が支配者の都合によって捏造されたものであるという趣旨で書かれている。金氏はこれを「帰化人史観」と呼び、井上氏は「記・紀史観」と呼んでいる。

 「帰化」という言葉は本書では、「日本の徳をしたって、その中にとけこむといったような意味である」と書いている。これはまだ優しい言い回しで、服属という言葉を使っているし、金氏にいたっては「朝鮮を「征服」したことによってもたらされた「帰化人」」という言い方をもされている。
 これ等の誤った史観は政治的に作られ、史実を大きく歪めてきたことであるし、今日まで残る民族差別の解消のためにも「帰化人」という考えをたださなければというのが本書の主旨である。
 そういった意味で、渡来人の多さ、渡来人の活躍を網羅しているのは金氏と同様である。
 本書では、「
階級の発生は農耕に始まり、支配者と被支配者に分かれる。国家とは支配者の立場と利益に基づいて支配者と被支配者の間を調整し合理化するものである。」というふうにある。
 さすれば建国をした支配者は農耕をもたらした民ではないかとわたしは思うのであるが、そこまでは言えないのだろう。ただ「白村江(はくすきのえ)」の戦いについて、日本はなぜ国力を傾注して百済を救済しなければならなかったのか、という点を前述の両氏はまるでコピーされたかのように同様に書いておられるのである。
 わたしはわたしなりの答を持っているのだが、それは本書を読まれた方が自ら考えられたら良いことと思う。

【作業日誌 6/23】
草刈り(3-5、4-1)
防鳥ネット張りP1020026


ちょっと網が足りなかったらしっかりやられた。



 今日のじょん:サリーちゃんとレオン君が遊びに来た。レオン君はこの前より元気みたいだけど、ワン同士を恐がるのだ。じょんが行くと車の中に逃げ込んでしまう。過去に何かあったのだろうか。P1020027 P1020034 P1020036  




サリーちゃんとは遊べるけど、レオン君は車に入っちゃった。

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