2012.6.11(月)曇
「大栗峠にはお堂があったんやで」という話はどこで聞いたのだろう。たぶん小林時計店のおばあちゃんに聞いたのだと思う。小林さんは峠に行かれたことがあるかどうか解らないのだけれど、峠の石柱や山田道の石碑のことは知っておられた。大栗峠のお堂のことは丹波志などでも見当たらない。どうもこの言い伝えは眉唾物かと思いきや、峠の東側には5,6m四方の四角い平らな部分があるのだ。どう見ても人工的な平地であり、方向も位置もお堂にぴったりである。
峠東側の平地。
わたしは上粟野(かみあわの)道のとりつきの所にある地蔵堂のような建物があったのではと想像する。あのような地蔵堂は大岩や古屋、洞峠の登り道にもあり、地蔵を祀る以外に旅人の休憩場所であり、避難小屋的な意味もあったのでは無いだろうか。また峠にある場合は、麓の村からの荷物の受け渡し場所、デポ地となっていた可能性もある。
大岩の地蔵堂内部(2009.9)
ただそういった地蔵堂があったとして、峠の二体の地蔵さまが堂内に祀ってあったとは思えない。二体とも施主や道案内の彫られた立派な台座があり、堂内の鴨居の上に乗ったような地蔵とは思えないからである。
今回この平地の調査が目的では無かったので先を急いだが、次回はあの落ち葉の下に礎石など探してみたいと思っている。
さてこれからが今回の山行の目的である、幻の道標探しである。幻の道標とは奥上林村誌に載っている「右弓削、左京道」の道標で、どこにあるか解明されていない道標である。ヒントは志古田の山中ということだけである。いくつか候補地が想定され訪れたが、未だ発見されていない。そして今回は最も期待出来る場所であり、前回の山行の際発見した新たな道を訪ねるものでもある。
弓削道は大栗峠から北西に大栗峠の頭(681m)の北側を捲いて「南無遍照金剛」石碑の山田道分岐に至る。そこから弓削に向かう顕著な尾根を下って行くわけだが、地形図を見ると標高500mあたりで弓削と志古田の間の尾根が分かれる。弓削道は弓削と瀬尾谷(しょうだに)の間の尾根を下るもので、破線で表されている。この尾根の分岐あたりに右手、志古田方面に降りて行く道を前回発見した。
弓削道本道は左に下って行き、右に細いがしっかりした道が下っている。
この道が陸地測量部作製の地図にある道だとしたら、それは志古田道の迂回路的な道だろうと予想するのである。つまり地滑り地帯で崩壊の多い志古田道の迂回路として使われたのでは無いかと思うのだ。つづく
【作業日誌 6/11】
タマネギ収穫
上段が追肥無群、下段が追肥群(週一回の液肥)苗数が違うので比べにくいがあまり差は無さそうだ。
今日のじょん:鮎の解禁が近づくと釣り人が入れるよう河原の草が刈り取られる。新たな散歩ルートができるのだが、切り株は痛いし刈った後の草は気味悪いしどうもお気に入りでは無さそうだ。