晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「古代日本の鉄と社会」(2) 6/19

2012-06-19 | 雨読

2012.6.19(火)雨、台風4号

 古書でも高価なものはまず図書館で借りることにしている。本書も借りて、必要事項をノートに写しながら読んでいたらとても追いつかなくなり、複写してもきりが無い状態となった。古書で探すと千円以下で購入出来る店が見つかり、本の傷みを心配したが、新品同様のものがおくられてきた。売上げカードも付いていたので、おそらく未読の本だろう。図書館で借りながら購入に至った本は初めてである。それだけ価値のある本だということだ。
 「古代日本の鉄と社会」(東京工業大学製鉄史研究会)平凡社選書78 1982年初版 定価1,800円 購入価900円P1010681

 たたら以前の製鉄の方法、古代製鉄の原料は砂鉄か鉱石か、素材についてのチタンとマンガンの含有率の関係などが知りたいところなのだが、本書ではそれ以上に沢山の周辺知識も得ることができた。その全てが大変科学的な分析と志向のもとに行われており、満足のいくものである。また科学的な分析だけでなく、文献資料や地名などからのアプローチもあり、「東国唯一の木芯乾漆像」「関東の鉄仏」といった歴史的民俗学的な方面からの提起もなされている。
 科学的な見方がなされているひとつの例として、本書の本論であろう尾崎前山遺跡の発掘調査研究報告がある。尾崎前山遺跡は茨城県結城郡八千代町尾崎前山にある九世紀の製鉄遺跡だ。この遺跡のありとあらゆる要素について、実に徹底的に科学的に分析されているのである。例えばこの遺跡の年代についても出土土器、堆積火山灰などをありとあらゆる年代測定技術を駆使して確定している。一般の報告書で「土器の形状から何世紀頃の遺跡と思われる」なんて表現されるのとは格段の差があるのだ。Img_4761
 
戸の丸山遺跡、たたらを再現(広島県・2007,4,25撮影)
野たたらと高殿たたらの中間的なたたらといえる。



 そして炉材、出土木炭、炉の構造、周辺の遺跡や歴史的な意義など基本的な鉄製品や鉄滓の調査分析の他になされているのである。もちろん関東の他の製鉄遺跡の結果や伝承炉(倉林炉)の復元実験などを経て、高いチタン含有の砂鉄、ある意味で出雲の高殿たたらに見られる低チタンの砂鉄に比し低質と考えられる砂鉄の製鉄法を発見したのである。
 このことはまだ充分に理解出来ていないのだが、古代において全国各地で製鉄がなされたとして、ほとんどの地域で高含有チタンの砂鉄の製鉄が行われたのではないかと考えるのである。逆に良質の砂鉄の得られる出雲や播磨などは高殿たたらによる効率のよい製鉄が産業としてなりたったのだろう。他の地域では小規模で効率の悪い製鉄が行われていたが、近世までに廃れてしまったということだろう。
 これ等のことがすこぶる科学的に解明されているのだが、科学、特に化学や物理学に不得手な者にとっては一度や二度読んだ所で到底理解出来るものではないのだ。理解出来れば納得いくのだけど、理解するのに相当な努力が必要というのが本書の辛い所である。

今日のじょん:本日6月19日は来じょん記念日である。じょんが来てもう4年になるかと感激もひとしおという所だが、おっさんになったなあという気持と、おっさんになっても可愛いなあという気持の今日の記念日である。一本余計にビール飲んでしまった。P1020007 Img_0749
 
 
 台風の合間に庭に出る、広いなあ。(今日)
じょんが来た日(2008,6,19)毛がモコモコ。

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雨読 古代日本の鉄と社会(1) 6/18

2012-06-19 | 雨読

2012.6.18(月)

 鉄に関するあらゆる書物を読んでいると、当初はなるほどそういうことかと納得するのだが徐々に著者の書いていることに疑問を感じたり、納得いかない部分が多々あったりする。
 概ね人文系の著者が書いたものは着想は素晴らしいのだが、科学的な根拠の裏付けのないものが多い。
 例えば「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)ではスズの語源にせまり、水生植物の根に沈殿結晶した褐鉄鉱から初期の製鉄がなされたと説いている。つまり高師小僧(たかしこぞう)から製鉄がなされたのではということである。氏は自らの専門である祭祀、祭事の面からこのことを証明しようと書かれているのでそれでいいのだが、少なくとも高師小僧から鉄ができるのか、他分野の方の実験や分析があっても良かったのではと感じる。そういった科学的な探究が無かったばかりに氏の説が学会に於いてどうだったのだろうと不要な心配をもするのである。先日某サイトで高師小僧を使って製鉄をしているのを見つけた。見事に成功しており、真弓氏の説が、可能性としては存在することを確認した。P1010540
 
書籍として販売されるものには科学的な論拠、データのあるものが少ない。そういったものは学術論文などをみるべきなのだろうか。



 「古代の製鉄」(山本博著)では鉄製品や鉄滓の化学分析等はかなり多くの資料を提供されているが、鳴石(なりわ)という高師小僧と同様の褐鉄鉱を含む石からの製鉄については、科学的な論評は見られなかった。ただし鳴石の分析結果は出されており、「今日の製鉄技術をもってすればこの鉄滓からも、また鳴石からも、さらに多くの鉄を抽出出来ただろう」と述べられている。わたしは古代にそういった製鉄が可能かどうかということが知りたいのである。鳴石を粉砕したとする三碓(みつがらす)についても、鳴石を粉砕しただろうというだけで、科学的な追究はなされていない。しかもそういった粉砕された褐鉄鉱を砂鉄に混ぜて製鉄をしただろうというのである。なぜ鳴石だけではいけないのか、なぜ砂鉄に混ぜるのか疑問が残る所であった。この答が「古代日本の鉄と社会」(本文中以後本書と呼ぶ)にあった。山本氏はこれを引用したのかと思われ、どうもわたしには「古代の製鉄」は科学的な見方をしていないという風に思われた。そうだからか解らないが、「たたら」(黒岩俊郎著)では一項をさいて「三碓についての疑問」という一文を書いておられる。
 古代の製鉄に関して科学的で納得のいく書籍を読んでみたいというのが本書を読み始めた理由である。つづく

今日のじょん:じょんはカニに反応するか。
 「ユキはカエルにワンワン吠えるんやで」とゆきパパが言っていた。じょんはカエルには無関心なようである。それではカニはどうだろう。最近雨上がりなどにやたらカニが這い出てくる。動くカニを見つけても「なんじゃこれ??」という態度だけで余りちょっかいは出さない。小さな虫でもワンワン吠えるのに、一体何が違うんだろう。P1010965

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