2012.11.5(月)曇、雨
間歩(まぶ)、とは坑道のことであり、真砂(まさ)とは花崗岩の風化した良質の砂鉄である。「真金(まかね)吹く 吉備の中山」とうたわれた真金は鉄のことである。
マというのが金属、鉱石を表すのではないかと思うのだが、それらしい説は無いようである。語源辞典を見てもマが鉱を表すなんてことは載っていない。
大江山の内宮の奥に北原というところがある。奥北原から鬼嶽稲荷に向かう道の右手の谷を魔谷(またに)といい、タタラ跡らしきものがあり、鉄滓が出たという。この鉄滓を分析するとチタン分が多く品位の低いもので、砂鉄ではなく鉄鉱が原料ということである。(大江山鬼神幻景)
内宮の西に聳える城山(427m)この向こうが口北原でさらに奥が奥北原となる。
魔谷と書くのでやれ鬼だの魔物だという話になるのだが、それは真谷でも間谷でもよくてマ谷なのではないだろうか。
全国各地の製鉄遺跡や鉄滓出土地を見ていると間谷、真谷という地名が目に付く。どうも”マ”に金属に関係する意味があるのではないかと勘ぐっているのだが、鉱谷と書いて”まぶだに”と読む地名があることを知った。またマブを鉱生と書くこともあるらしい。
鉱生といえばおおい町川上の鉱生谷を思いだす。廃村宝尾に到る尾根の東隣の谷が鉱生谷(こびだん)である。稜線を越えて高浜に下ると子生(こび)であり、子生川(こびがわ)となる。これは偶然なのか必然なのか興味あるところだが、鉱生とはなんとも意味深な地名である。”こび”というのは様々な意味があるが、地名の語源と考えられるのは「小さいもの」(全国方言辞典)ぐらいである。この二つの谷を見たとき、何と比べてそうなるかは別として、決して小さいものとは思えない。南北に野尻、犬見の鉱山をひかえ、東に福谷、西に宝尾という金属地名らしき地をもつこの鉱生谷、子生川が鉱物に関係ある地と考えてもおかしくは無いと思うのである。
おおい町川上県道1号線から宝尾の尾根、鉱生谷はさらに右手か。
岡山県の方言で「まいし」というのは花崗岩のことだそうだ。(全国方言辞典)
丹波でも、わたしたちが子供の頃言わなかったかなあと思うのだが、真石が花崗岩で真砂が砂鉄の意味なら理屈はあっている。それではマは何かというと、鉱と考えてもよいのではないだろうか。
さて上林周辺では真野以外にマ地名があるかというと、なかなか見つからない。ただ小字とならないところや山、谷の名前となるとあるかも知れない。そのひとつが奥上林のとある谷である。
その谷は従前から採鉱や製鉄の遺跡があるのではないかと考えていた。もちろんその確率はゼロに近いとは思うが、怪しげな根拠と旺盛な想像力で以てそう思っているわけだ。地元の方と一緒に本谷をつめているとき、その谷の名前を聞いた。「ま谷(たん)」というその名を聞いたときに絶句してしまった。
ま谷出合、右が本谷。
もうひとつ、舞鶴の行永で鍛冶職をしておられた方が岩石を収集されており、拝見させて頂いたが丁寧に分類されており「輝緑凝灰岩」などの名前を憶えている。鉱物は無かったようだが、採取地の多くが真の谷とあった。「真の谷ってどこですか」と聞くと、それはどうやら菅坂のようだ。
与保呂から菅坂をのぞむ、かつての道はこの谷であった。
菅坂峠は上林から舞鶴に越える峠で、字のとおり鉄に関係する地であると考える。舞鶴側は行永、金屋などかつて鋳物師、鍛冶師の街である。
丹後国加佐郡の鋳物師国松家はもともと引土にあり、やがて行永に移転したか、分家したかという風なことを読んだ憶えがある。そして菅坂峠の上林側は清水で何鹿郡の鋳物師井関家が操業していた。
菅坂が鉄に無関係なはずが無いと思っていたところに、真の谷がどうやらその周辺にあるようで、これはいつか確認の上訪れてみたいと思っている。つづく
【晴徨雨読】97日目(2006.11.5)福島~会津若松~那須
面白いものが何にも無い日というのが今日。会津若松の県立博物館に行ったけど面白くも何ともない。決して展示物が貧弱とかそう言うことでは無くて、むしろどこよりも立派なんだけど印象に残っていない。永い旅の間で写真を撮っていないのはこの日だけみたいだ。
【今日のじょん】:フードを替えて吐かなくなっていたんだけど、遂に吐いてしまった。ちょっと調子に乗って鍋もん食わしすぎたかな。反省。
さてじょんのび村は秋深しという感じ、柚子風呂の前にマコモ風呂をし、ストーブにも火が入った。