2012.11.27(火)雨
東海道五拾三次には思い入れがある。自転車日本一周に出る前に、なにか旅のテーマを模索していた。結局そんなものは持たずに彷徨したわけだが、それが正解だった。
新聞に、広重は実際に東海道を旅しているのだろうか?という記事が載った。続いてNHKの番組でも現在の実際の影像と広重の図を比べて様々の矛盾点を出したり、元になっただろう絵図と比較したりして、広重の謎を紹介していた。これは初めて見聞きする者にとってはショッキングな話である。それなら実際の風景と広重の図を自分の目で見比べてみようなどと考えたこともある。
保土谷、小田原(2006.11.24)
どうやら東海道五拾三次には元になった絵があるようで、今回収集したものの説明文も「東海道名所図会」を参考にしているという視点で書かれている。
2年間じっくりと五拾三次を見ていると、広重の江戸の粋というかしゃれっ気が見えてくる。絵の細かいところの矛盾や無理をとやかく言う説ややれ引用だ、盗作だという御仁もあるようだが、そういう次元では無い江戸の芸というものを感じる。
今年の1月4日の讀賣新聞文化欄に(広重東海道の旅)「否定説の再考促す見解」という興味ある記事が載った。内容は略するが、「他人の絵を見て描いたことと、実際に景色を見た、見ないは別の話。云々」とある。
ともあれ、収集した55枚の絵をファイルにして店に置いておきたいと思う。興味ある人は見て頂きたい。
箱根(2006.11.25)大井川(2006.11.30)
さらにもうひとつ、現在注文中なのだが「東海道書遊五十三次」種村秀弘著、朝日新聞社刊という本を新聞で見つけた。抱腹絶倒の道中記満載というキャッチフレーズだからこれも楽しみである。
【晴徨雨読】119日目(2006.11.27)富士吉田~下部温泉
この日になっても天気は回復せず、霧雨の中を出発する。青木ヶ原や風穴はガスの中でかえって幻想的な雰囲気となっている。本栖湖の辺りでようやく青空が出始めて、身延へ下り始めるところでの南アルプスの雲海の風景は絶品であった。雲海といっても霧ではなく、ガスである。
風穴、青木ヶ原
身延は初めて南アルプスに登ったときのスタート地点で懐かしい。奇しくも作日の朝刊に奈良田温泉の小さな記事が載っていた。行ったこともない温泉の名をなぜ憶えているのだろうといぶかしく思っていると、伝付峠に取り付く際のバスの行き先が
そうだったのか、5万図の表題がそうだったのかわからない。とにかく今日では登らないだろう伝付峠を越えて二軒小屋まで行ったのだ。それから2週間ほどの合宿となるのだが、新人のこととてどこをどういったのか憶えていない。とにかくあの峠だけは意識の中では日本一苦しい登りだった。そんな山々がガスが上がって見え始めたときは、なんとも懐かしい思いがしたのである。
雨上がりの南ア
【今日のじょん】:毎日雨でいやんなっちゃうよ。
作日と今日、いっしょやないけ~。