晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(40) 菟原中-39 11/12

2012-11-14 | 歴史・民俗

2012.11.12(月)曇

 (4)別所~馬船口~宿
 別所の中をどのように通過したか確定できていない今、別所の尾根のどこから下ってくるのか解らない。
 別所には龍源寺の前身ともいえる寺院があっただろうと考えている。それは龍源寺の寺領が別所にあること、別所にあった毘沙門堂が嘉永六年に龍源寺の二十一世住職によってゴウドの森で建て替えられたという棟札の発見によるものである。
菟原村史には真言か天台かという風に書かれていたが、天台宗の福林寺がすぐ隣にあるわけで、おそらく真言密教の寺院だと思っているのだが、いずれにしても禅宗が生まれる前の古い時代のことであろうと思っている。
 別所の古代寺院、あるいは毘沙門堂の位置が街道のルートと大きく関わっていると予想されるので、これ等の位置を確定するのが先決かと思うのだが、この地の困難性は住人がいないこと、養鶏場があるためにむやみに立入が出来ないことである。
 候補となるルートは二つある。養鶏場の駐車場辺り、つまり尾根が台状になっている辺りを横断して、友渕川側、春日田という辺りに下り山裾を回り込んで馬船口に到るものが一つ。そしてもうひとつは義経谷を遡り、尾根を越えて馬船谷を下るものである。もちろんこれらは単に予想しているだけのもので、確証があるわけでは無い。なんとかして別所の中を歩いてみたいものだ。思えば別所の友渕川辺りもまだ入っていない。歩き、そして聞き取りを進めることによって確定できるだろう。
 P1020960 P1030180




別所から降りてくるのは、一段緩くなった辺り(左)か馬船谷(右)ではないか。

 友渕川の渡渉地点は馬船口であろうと思う。現在とは地形も違うだろうが、左岸馬船側は岸になっており、水も深そうである。街道としてはネックとなる地点だ。馬船(まぶね)というのが渡しの舟の意味かもしれないという説を書いたところである。
 別所から宿へ向かう道としてはこの地点で渡渉する道が一番合理的だからだ。
 実は最初に菟原中を訪れて、街道を探ったとき細野峠方面から辿ってみた。街道筋に対する予備知識など何も無いときに、単に道の傾斜や合流角度など合理的なものを選んで進んで行くとこのルートを辿ったのである。しかしその道が友渕川に突き当たった瞬間に間違いだと思い、他のルートを探すことにしたのだ。
 京街道に旧道があることなど知らない者が、感性のままに辿った道が本来の街道であったとしたら、これって感動ものである。P1030182 P1030183
 



馬船口徒渉点と思われるところ(左)
徒渉点から宿に向かう一本道、段丘を上がると大きく右にカーブする。(右)


 ただ、段丘を登ってから現在の府道との交差点までのルートは違和感がある。ここは田園地帯で、いわゆる圃場整理的なことが過去に行われたのだろう。もし野原の間を街道が走っていたとしたら今の様に直角的な交差は無いのではと考える。P1030153
 



段丘に上がってきたところ、右の道が候補なんだが、往時には野原だったとしたら右に斜めに進んでいるだろう。

宿垣内辺りの街道については既に述べたところなので省略する。
  つづく

【晴徨雨読】104日目筑波山に登る。
関東のハイカーに人気の筑波山に登っておこうと一日を登山にあてる。ところが秋のシーズンと日曜日が重なり、とんでもない混雑であった。行場だけに鎖場や胎内くぐりの様なところがいくつもあり、そのたびに行列となるのはなんとも興ざめであった。独立峰的な山なので山頂からの景色は抜群で、好天とともによい一日だった。ただし、関東に入った途端温泉の入湯料が高くて入る気がしない。東北が羨ましい。Img_1697Img_1704 
 



弁慶七戻りと山頂俯瞰、霞ヶ浦方面

夕方には赤富士が見えた。富士山は見る山である。白富士、赤富士Img_1694 Img_1716_2





【作業日誌 11/12】
ウッドデッキ材料買い付け、塗装

【今日のじょん】:その手は桑名の・・・
 散歩から帰ってくると玄関の坂で放してやるのだが、いつも植木の蔭からおかーが「ワッ」と驚かす。そのうちに学習して植木の手前で立ち止まって様子をうかがう様になった。カシコイネー。

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YouTube: その手は桑名の


 

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別所探訪(39) 菟原中-38 11/11

2012-11-14 | 歴史・民俗

2012.11.11(日)雨、風強

(3)淵脇~清水坂~別所
別所周辺概念図 破線が旧京街道予想路

「ubara-1.JPG」をダウンロード

 細見さんの言だと、淵脇から福林寺の尾根を越えて谷(薬師谷)に降りて、義経から別所に行くということだった。
 淵脇(ふちわけ)から馬船口に到る道は街道のあり方ということを考えさせられる。つまり現在と往時の地形の差がそう無いとしたら福林寺と別所の尾根を越える意味は何だろうかと不思議に思うのである。淵脇から福林寺の下を通り、馬場から別所の尾根を回り込めば上り下りのアルバイトは随分少なくて済む様に思う。
 もちろん現在の様に堤防など無くて川沿いは湿地帯となっていて通行困難だったと思われるが、尾根の末端のトラバース道なら通行は可能だろう。
 当初は福林寺と龍源寺の前身の二つの古い寺院があるために、その地を巡る街道が出来たのかという風に考えた。
P1020935
 



尾根を越えるより山裾を回り込む方が楽そうだけど。(淵脇から福林寺下)

 道が先かお寺が先かという問題になるが、やはり道が古いのだろうと思う。道は人間が生活を始めればすぐに出来たものだろうから。そして街道が出来たところに寺院が出来たと考えるのが順当だろう。
 それではなぜ川沿いの安易なルートを取らなかったかというと、山腹のトラバース道は例え作ることが出来ても、保守が出来なかったのではないだろうか。
なるべく川を渡らない様にしてきた道であるが、同じように壊れにくいということも大切なことだったのだろう。壊れやすくて補修が大変な道よりも、少々上り下りの苦労があっても確実なルートが選ばれたのだと思う。
 さてこのルートだが、聞けば簡単なルートなんだが実際にはほとんどが解らない。再度聞き取りをし、実際に歩いてみないといけない。とりあえず予想されるルートを覗いてみた。
 淵脇から福林寺の尾根に登るルートは、淵脇から見上げると林との境となった斜めの道が尾根に向かっている。この道は福林寺歴代住職の墓地となっているところに登り着く。そして右に行くと神社、左に行くと福林寺に行く三叉路になる。そこから先が解らない。獣道らしきものはあるが、街道らしき道は見当たらない。
ひょっとしたら福林寺の山門前を通って薬師谷の道に降りていたのではないだろうか。
P1030131_2 P1030149 P1030152 P1030133 P1030134 P1030136 





左:炭焼き小屋手前に降りてくる道?
中:養鶏場駐車場辺りに向かう坂?
右:義経谷は炭焼き小屋からもう一尾根回り込んだところ。


 養鶏場の駐車場下辺りに小さな谷がある。また駐車場からは切り開きらしきものが確認できる。これが清水坂なら大きく前進するのだが、、、。
つづく

【晴徨雨読】103日目(2006.11.11)石岡~筑波山
11月11日は雨が多い様だ。今年も、昨年もそして2006年も厳しい雨だった。タイトルのとおり雨の日は行動しないことにしているが、そうも行かないときがある。そしてどういうわけか雨の日は峠越えとなる。ずぶ濡れの旅人を温かく迎えてくれる宿がとても嬉しい。
Img_1687




雨の峠越えは超憂鬱(不動峠)

【今日のじょん】:いやー今日もやられた。この春買ったユスラウメと木イチゴが鹿にやられた。くやぴー。いっぱい周りに木があるのになんで買ってきたのばっかし食うんだろうね。なんとかしなくちゃ。
P1030244 


 

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