2012.11.12(月)曇
(4)別所~馬船口~宿
別所の中をどのように通過したか確定できていない今、別所の尾根のどこから下ってくるのか解らない。
別所には龍源寺の前身ともいえる寺院があっただろうと考えている。それは龍源寺の寺領が別所にあること、別所にあった毘沙門堂が嘉永六年に龍源寺の二十一世住職によってゴウドの森で建て替えられたという棟札の発見によるものである。
菟原村史には真言か天台かという風に書かれていたが、天台宗の福林寺がすぐ隣にあるわけで、おそらく真言密教の寺院だと思っているのだが、いずれにしても禅宗が生まれる前の古い時代のことであろうと思っている。
別所の古代寺院、あるいは毘沙門堂の位置が街道のルートと大きく関わっていると予想されるので、これ等の位置を確定するのが先決かと思うのだが、この地の困難性は住人がいないこと、養鶏場があるためにむやみに立入が出来ないことである。
候補となるルートは二つある。養鶏場の駐車場辺り、つまり尾根が台状になっている辺りを横断して、友渕川側、春日田という辺りに下り山裾を回り込んで馬船口に到るものが一つ。そしてもうひとつは義経谷を遡り、尾根を越えて馬船谷を下るものである。もちろんこれらは単に予想しているだけのもので、確証があるわけでは無い。なんとかして別所の中を歩いてみたいものだ。思えば別所の友渕川辺りもまだ入っていない。歩き、そして聞き取りを進めることによって確定できるだろう。
別所から降りてくるのは、一段緩くなった辺り(左)か馬船谷(右)ではないか。
友渕川の渡渉地点は馬船口であろうと思う。現在とは地形も違うだろうが、左岸馬船側は岸になっており、水も深そうである。街道としてはネックとなる地点だ。馬船(まぶね)というのが渡しの舟の意味かもしれないという説を書いたところである。
別所から宿へ向かう道としてはこの地点で渡渉する道が一番合理的だからだ。
実は最初に菟原中を訪れて、街道を探ったとき細野峠方面から辿ってみた。街道筋に対する予備知識など何も無いときに、単に道の傾斜や合流角度など合理的なものを選んで進んで行くとこのルートを辿ったのである。しかしその道が友渕川に突き当たった瞬間に間違いだと思い、他のルートを探すことにしたのだ。
京街道に旧道があることなど知らない者が、感性のままに辿った道が本来の街道であったとしたら、これって感動ものである。
馬船口徒渉点と思われるところ(左)
徒渉点から宿に向かう一本道、段丘を上がると大きく右にカーブする。(右)
ただ、段丘を登ってから現在の府道との交差点までのルートは違和感がある。ここは田園地帯で、いわゆる圃場整理的なことが過去に行われたのだろう。もし野原の間を街道が走っていたとしたら今の様に直角的な交差は無いのではと考える。
段丘に上がってきたところ、右の道が候補なんだが、往時には野原だったとしたら右に斜めに進んでいるだろう。
宿垣内辺りの街道については既に述べたところなので省略する。
つづく
【晴徨雨読】104日目筑波山に登る。
関東のハイカーに人気の筑波山に登っておこうと一日を登山にあてる。ところが秋のシーズンと日曜日が重なり、とんでもない混雑であった。行場だけに鎖場や胎内くぐりの様なところがいくつもあり、そのたびに行列となるのはなんとも興ざめであった。独立峰的な山なので山頂からの景色は抜群で、好天とともによい一日だった。ただし、関東に入った途端温泉の入湯料が高くて入る気がしない。東北が羨ましい。
弁慶七戻りと山頂俯瞰、霞ヶ浦方面
夕方には赤富士が見えた。富士山は見る山である。白富士、赤富士
【作業日誌 11/12】
ウッドデッキ材料買い付け、塗装
【今日のじょん】:その手は桑名の・・・
散歩から帰ってくると玄関の坂で放してやるのだが、いつも植木の蔭からおかーが「ワッ」と驚かす。そのうちに学習して植木の手前で立ち止まって様子をうかがう様になった。カシコイネー。
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YouTube: その手は桑名の