2012.11.14(水)曇、雨 (続・土器、鉄滓は2012.10.17)
土器と鉄滓の発見については既に述べたところであるが、最近奇妙なものを発見したので報告しておく。
土師器が出る所で見つかった、土器とも岩石とも見分けのつかない赤っぽい欠片である。一個はゲートボール場附近、一個は我が家の北の端あたりで、いずれも土師器が出土している所である。
最初、もう数年前になるかわたしの自所で土師器の破片が数個見つかったときに一緒に見つかったものは、どう見ても土器の様では無いけれど平面といい、曲面といい、どうも人の手の加わった感がする。一部分を欠いてみると上等のレンガの様に細かな粒子が均一に散らばっている。それでもただの岩石かと思い放っておいたものである。
左上が我が家の敷地内で、右上がゲートボール場手前で見つけたもの。
下は上林川堤防で見つけた鉄滓の一部分と思われる石ころ。
それが最近、土師器の破片が見つかっているゲートボール場附近でも見つかった。材質は同じように見えるが、色はやや薄く、粒子は少し大きいのも含まれている。何となく人工的に見える面もあり、先程のものと同一のもののようだ。
上林には似た様な赤い岩石は多くある。(2010.3.19)(2011.9.29)に紹介しているものもよく似ている。しかしこれ等は明らかに岩石で、形状、切断面など今回紹介のものとは違うものの様だ。
左:上部の赤い大きな石は八津合町の山で見つけたもの、いくらでもある。
右:左の二つは老富町の丸山のもの。どちらも軟らかく、ラテライトと言われるものか?
もし今回のものが岩石で無かったら、炉材ではないかと思うのだが、どうだろう。焦げあとは着いていないので念のため。従前に収集した岩石を含め、小滝先生に鑑定をお願いしようかと思っている。
もうひとつが上林川左岸堤防南側、念道橋下流30m地点で発見した黒っぽい小さな穴の開いた軽い石である。採取した当初は単なる石ころかと思ったのだが、よく見ると従来採取した多くの鉄滓の表面部分と同一で、鉄滓の一部と思って間違いない。ネオジウム磁石で極かすかに反応するので、鉄の鋳物滓の一部と思われる。
右が上林川で見つかる一般的な鉄滓、左が今回のもの、同一のものだと解る。他だし左の鉄滓はセメント状の部分ばかりで、溶岩の溶けた様な滑らかな部分が無い。
さてこの鉄滓なのだが、収集することは容易なのだが、それから先の探究というのが進まない。
上林川念道地域で発見されるものが総て清水の鋳物師の作り出したものだろうか。
一つだけ、他のものと違う大きな鉄滓は果たして鋳物滓なのか。
製鉄滓、鍛冶滓とはいかなるものか。
非鉄金属のスラグとはどのようなものか。
現在収集している鋳物滓と思われる鉄滓についてもプラスチック状部分とセメント状部分、気泡、鉄片、炭の部分は構造上どのように出来るのか。
など、解らないことばかりである。簡単に質問できる人も居ないし、鉄滓に関するまとまった書物も無ければ、インターネットで調べても要領を得ない。
根気よく謎を解決して行くことと、上林川以外の地での発見を目指してやるしかない様だ。
【晴徨雨読】106日目(2006.11.14)松戸~古河
出発前に明大の岳友富山君の家にゆき、山下清氏の絵を見せてもらう。この絵の謂われについては本文を見て貰えば良いが、この旅行中に見ておかなければ一生お目にかかることは無かったと思う。
絵の裏に「百合とあじさい 出来上がった日昭和三十年七月十七日 山下 清」とある。
松戸から古河までほとんど自転車道を走る。都会の一般道にうんざりしていたところなのでもってこいなのだが、各地の風物に出合うことが無いのは欠点である。
江戸川サイクリングロード、竹馬で千葉県一周を目指すおじさんに会った。
【作業日誌 11/14】
ウッドデッキ予定地除草、整地
【今日のじょん】:二日間の鹿の襲来の後食害は無いのだが、どうも夜な夜な通り道となっているらしい。毎朝じょんと確認してゆくのだが、何かじりじりと侵食する中国の様な気がして、やがて畑も庭木もやられてしまうんじゃないかと不安になる。ここでなんとかしなくちゃ。