2012.11.19(月)曇
「白山信仰の源流」本郷真紹著、2001年12月初版、宝藏館発行、府立図書館借本
サブタイトルが「泰澄の生涯と古代仏教」とある様に開祖泰澄の伝記「泰澄和尚伝記」の考察と古代の仏教が如何なるものであったかを論じている。
わたしの読書の動機は「鉄と俘囚の古代史」(柴田弘武著)で、蝦夷の俘囚を移配したという別所に東光寺と白山神社が祀られているのが共通項だと述べられていることに関し、その理由がどうも納得ができないので、白山信仰とは如何なるものか知りたいというものである。
泰澄の生涯については、謎が多く伝説的な部分が多いのだが、科学的客観的なアプローチがなされており好感がもたれる。
例えば「飛鉢」や「飛倉」伝説について、津料(港湾の通行税)の徴収を踏まえたものとか、過酷な税に対する農民の反抗であるというふうな見方をされている。
古代仏教についての考察も宮廷仏教の隆盛、天平期の動向という項を設けて詳しく分析されており、人々の信仰というよりは将に政治的な事情で仏教が導入され、各地に広まったということである。端的に言えば天皇家の支配を全国隅々にまで行き渡らせるには、各地にそれぞれの神が存在する神道では無理で、仏陀に統一された仏教でなければならなかったということだ。
また、宗教的にいえばあり得ない情況としての神仏混淆についても的確に論じられている。また、神仏混淆のはじまりは白山信仰でもあるのだ。
つまり天災、疫病や飢饉などの平癒、回復の祈祷は神道では出来なくて仏教の仕事だということらしい。
古代の中国ではこれ等国家的に困難な事象は支配者天子の責任とされ、解決できない場合は殺されてしまうというような事を読んだことがあった。日本の古代にもこのような考え方は残っていたのではないだろうか。それによって卑弥呼は殺されたという説もあるらしい。
そういうこともあって、支配者、為政者は諸問題を解決しなければならない。そこのところを僧による祈祷に頼らざるを得なくなり、僧尼が政界に進出してくるのである。弓削道鏡などはその最たるものであろう。つづく
【晴徨雨読】111日目(2006.11.19)本庄連泊
11月というと好天の雰囲気があるのだが、実は案外雨の日も多いようだ。この日も昨晩からしっかり雨で連泊して休養ということにする。この機会に旅行中の体調のことを書いておこう。旅行中、お医者の世話になるような病気も怪我も無かったので、体調は良かったのだろうと思うが、思い起こすと結構困ったことがあった。
下痢腹痛は一回、過労二回、腰痛数回は突発的なもの。慢性的なものが、五十肩と更年期障害である。これは旅行中におき、旅行後も苦しんだ。五十肩は自転車走行には問題なくてよかったが、とにかく痛くて寝られない、更年期障害は男でも起きるのが解ったが、これも妙な熱感で汗びっしょりで寝られない。それでも寝られたのは疲労のせいだろうか。
本庄は中山道の宿場町
【今日のじょん】:朝の散歩時に念道橋の上にカワウの大群発見。それが昼前に隊列を組んで、我が家の上空を飛んでいった。羽の音や息づかいまで聞こえるようでそりゃあ迫力ったら凄いものがあった。じょんはカンケーねえだって、じょんも居るんだけど一緒に写真に収まらんのよ。