晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(38) 菟原中-37 11/10

2012-11-11 | 歴史・民俗

2012.11.10(土)曇

 菟原村史にある旧の京街道が如何なる根拠に基づいて書かれたのかと考えるが、どこの古文書だどこの古地図だということで無く、この土地のだれもが知っていることだったのではないだろうか。京街道といったって京に向かう道というだけのことで、現在の国道のようにどこからどこまでどこを通って何Kmというものでは無いだろう。
 元の京街道が、増水時の迂回路として使われていたという文言は土木技術の進んでいない時代に如何に合理的にルートを作ったか、まさに道路の神髄として値打ちがあるのではないだろうか。
 そんな先人の残した知恵の結晶とも言うべき街道を発掘してみたいという気持もあるし、別所が閉塞された地というイメージを払拭するという目的もある。

 菟原村史にあるルートは、柏田ー猪ノ倉ー淵脇ー清水坂ー別所ー馬船口ー宿である。清水坂を除いて総ての地点が確認できているが、その詳細なルートは模糊としている。少しずつ聞き取りなどしながら確認しているところだが、現在予想しているルートを紹介してみよう。
(1)柏田~猪ノ倉
 柏田には有名な道分け地蔵がある、「右さ々山道 左り京」と書かれており、明らかに柳瀬で土師川を渡る新京街道ができた後の道標だろう。P1020716




  もちろん猪ノ倉に行くには右に道をとる。三和タオルの工場の前で府道710号線と右の谷沿いの道との三叉路となるのだが、自転車で走っているとどうしても右に行ってしまう。それは府道が田園地帯の真ん中を一直線に走っている新しい道で、なんとなく古い道の雰囲気が無いからだ。山裾の道を街道跡の遺跡など無いか注意して進むがそれらしいものは無い。この土師川の支流は上部に牛谷と書かれているが、何という谷なのだろう。いくつもこの谷を渡る道があり、防獣柵の無いところを渡る。山裾から田圃に出ると府道が近づいてくる。このあたりが猪ノ倉らしい。かつての屯倉とも伝えられているがどうだろうか。
 山沿いの道は雰囲気はよいが合理性を考えれば府道710号線沿いが短距離で理想的だ。ただし、新しい広い道となっているので昔の様子を探ることは出来ない。このあたりは民家も少なく、古地図でも無い限り結論は出せない。P1020926




山沿いの道と府道、どちらが古道か?

(2)猪ノ倉~淵脇
猪ノ倉から最初の左下に下る道に古い地蔵さまが祀ってある。街道沿いにあったものを集めて祀ってあるとしたらこの道が街道かもしれない。この道は先程の山沿いの道から府道を横断して道なりに進入するもので、道なりに進んで行くと鹿倉大橋に出る。この大橋は新しいもので、橋の手前を右に急坂を下ると岼ヶ鼻川を渡り、土師川にぶつかる。P1020929 P1020928 P1030126
 



左:土師川を渡る小久保橋、古道は土師川を渡れなくて右手の尾根を行く。
中:尾根に取り付くのは岼ヶ鼻川を少し遡って取り付くのか。
右:はたまた尾根の末端から取り付くのか。



 ここから淵脇に到る土師川左岸の尾根を登るのだが、取り付きが解らない。岼ヶ鼻川の右岸に道らしきものが見え、手前の家で聞くと高杉に行く道だといわれた。この谷沿いに遡っても高杉には行けず、桑原(篠山市)方面である。そうするとその途中から尾根に取り付き、淵脇から別所、馬船を通って高杉に行くと言うことかもしれない。
 土師川沿いは崖になっており通行は難しそうで、やはり尾根の上を行くのだろうが、尾根の末端から行くのが最も容易いと思われる。
 尾根末端は木が生え込んでおり、獣道らしき空間が続いている。ここの部分は両方歩いてみないと解らないが、淵脇の細見さんが知っておられるかも知れないので再度聞いてみたい。つづくP1030130




この尾根の中を通り淵脇に着く。

【晴徨雨読】102日目(2006.11.10)水戸~石岡
早朝、偕楽園など見て歩くが庭や建物にはあまり興味が沸かない。150mはあろうかという南崖の洞窟(神崎岩という石の砕石址)など変なものに興味が沸く。Img_1668




道中旧知の新田穂高君がこの辺で田舎暮らし始めたというのを思いだし、電話して訪ねることにした。いやあ、凄い家で驚いた。Img_1679Img_1680   






【作業日誌 11/10】
薪保管箱作製、制作費無料P1030246






【今日のじょん】:深夜にガタンという音がして、じょんがえらく吠えた。起きて様子を見るが何も無い、じょんも静かになったので再度寝てしまった。そして朝、じょん桜を見てびっくり、鹿がやってきたのだ。今までつる草や龍のひげなどは食べられたが、樹木は初めてで、ショックを隠せない。P1030237

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別所探訪(37) 菟原中-36 11/9

2012-11-11 | 歴史・民俗

2012.11.9(金)雨

 文章だけでは理解できないので、宿周辺概念図を作成する。P1030242

「syuku.jpg」をダウンロード

 A:石垣の残る畑、番屋跡か?
 B:不寝の森
 C:不寝の森下の平坦地、田圃か住居の跡?
 D:住居跡、棕櫚などの庭木、井戸跡あり。
 E:道のついた平坦地、住居跡か?

 道の順に辿ればよかったのだが、Dの住居跡からあたらし屋さんまで辿り、道を引き返してB,Aしゅうず交差点まで行ったので、その順に説明する。

 Dは間違いなく住居跡であり、これが三軒あったと言われる旅籠の跡だと確定できることとなった場合はなんらかの形で保存して頂きたいと思う。Dから下は造成地となっており過去のものを発見するのは難しい。残りの旅籠のあった可能性もあり残念だ。なおDの上にも段状になって平な部分があるのだが、これが街道跡かもしれない。また山中にも平な箇所がいくつかあるが、住居跡という証拠は何も無い。P1030160

 


庭木、棕櫚の元に井戸がある。山側に帯状の段があるが街道跡かもしれない。

Dからヴェルディみわ方面に向かって竹藪の中に道が続いている。作業道としても使われていないようで、倒木ならぬ倒竹に苦労する。右手に細い道らしきものがあり、小さな平坦地がある。Eであるが、居住地跡という証拠は無い。やがてヴェルディみわの造成によって道は崖の上で消滅する。あたらし屋さんの言によるとその後街道はヴェルディみわの取り付け道を横切り、あたらし屋さんの横の小道から宿垣内に入るということだ。P1030159 P1030158 P1030155

 



左:造成地の南側にぽっかりと空いた街道跡
中:竹藪の中は意外とすっきり
右:分譲地の道路で途切れている

P1020968 P1020967

P1030157



左:街道は分譲地道路を横切っていたらしい
中:そしてあたらし屋さん横手から宿の街に入る。
右:E地点、竹藪の道から派生した小道、住居跡かどうかは不明


Dに戻り、しゅうず交差点に向かって歩き始める。杉丸太で橋が作ってあり、少し登ると尾根の周囲を廻る、いわゆるユリ道となる。陶器やガラスが散乱している所があり、古いものかと思いきや最近のものであった。この右上が不寝の森Bでこのことは地元の方に聞いたものである。その左下は石垣で組まれた平坦部に植林されており、住居跡の可能性は高い。C

P1020972 P1030164 P1030166

 


左:谷には丸太橋がかかっている。小さな坂を登る。
中:やがてユリ道となり、右上あたりが不寝の森。B 左下には平坦地がある。C
右:やがて林を飛び出し、民家の裏手に出る。



やがて林がとぎれ明るくなる。道の両脇は草地となっているが、かつては畑であったのだろう。その上は栗などが植わっており、山につづく。
 やがて石垣で囲まれた部分が出てくる。A
 これこそ番屋の跡ではないかと予想しているのだが、もしそうだとしたらかなり広いものとなる。P1030175 P1030172
 



石垣に囲まれた草地がある、番屋跡か?A
道なりに行くと自動的に府道に降りる。


 府道への降り口だが、民家の脇の道と交差点よりもう少し国道9号線寄りの所に斜めに降りる道がある。
 後者の方が道としては素直であり、この道をとりたいがそうすると現在の交差点よりすこし国道よりのところを通過するのかも知れない。

つづく

【晴徨雨読】101日目(2006.11.9)袋田~水戸
 日本三大名瀑袋田の滝は美しさに於いてはわたしの見た中では一番である。美しさの根源は水流の成す模様である。早朝に行ったので、観光客も少なく一人で落ち口まで登ることも出来た。
 山の中でよい滝を見ることはよくあるが、観光地でこんな素晴らしい滝を見るとは思ってもいなかった。また袋田の滝自体を知らなかったというのも不思議なことである。Img_1636_2 Img_1630 Img_1640








【今日のじょん】:じょんじょん秋を発見。
 じょんがどうしても行きたいというのでじょんのび谷方面に入ってみる。秋のキヌガサダケ発見、しかも六本も。夏に一本しか出なかったので大満足。柚子も黄色く色づいてきたぞ。P1030230 P1030232

 

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