2012.11.18(日)雨
樹木の名札を付けて頂いて憶えたのがコシアブラである。山菜の王様コシアブラがこれかよって感じですっかり憶えてしまった。独特の白い木肌と枝、そして驚きはその大きさである。太さはさほどではないが高さは有に5mはあろうかというものだ。
名札の着いたコシアブラと稜線にいくらでもあるコシアブラの大木。
そしてそれがこの稜線上に次々と出てくる。季節になれば相当採れるなと考えがちだが、あの高さの芽をどうやって取るかだ。タラの木のように細くて柔らかければシュリンゲ方式でとれるだろうが、この木はどうだろう。
そんな事を考えながら稜線を歩いて行くとやがて大栗峠に着く。この間の稜線は最高のプロムナードコースだ。地蔵さまの前で手を合わす。いつ見てもこの二つの地蔵さまは可愛い顔をしておられる。気になるのは石室の石が崩れていることだ。この石室の修復と倒れた道標の復元は是非ともやりたいことである。それが大栗峠への恩返しかなと思っている。
2012年秋のお地蔵さま
大栗峠からは志古田道を下りる予定だったが初めての方もおられるので弓削道を下ることにする。
弓削道は金久昌業氏が街道の大道と言われるとおり、その道巾といいしっかりした造りが素晴らしい。人が入らなくなって半世紀は経っているだろうが、道に迷うことは無い。しっかりと残っているのだ。ただ、水にえぐられているところ、倒木のため通行が出来ないところがあり、小さな倒木はいたるところにあり、整備の必要性を感じる。建物や仏像だけでなく、街道も立派な歴史遺産だと思うのだが、、、。
山田道の分岐と弓削道お気に入りの場所
さてこの弓削道を巡る歴史というのは色々とあるのだろうが、最も気になるのは瀬尾谷の分岐を過ぎ、弓削の集落に近づいたところにある地滑り跡である。何時の時代に起きたものか解らないがかなり大きな地滑りで、巾100m程度はあろうか、その間人一人が通行できる道となっていて、崩れた後には松が生えている。
つまり弓削道自慢の荷車の通れる道はこの地点で完全に塞がれているのだ。
この地滑りが弓削道が現役で活躍している間に起きたのか、もう使われなくなってから起きたのか知りたい気はするのだけど、かなり困難な気がする。それだけ峠の道なんぞ人々の気持ちから遠ざかっているのだ。
大規模地滑りの跡、人一人の巾となっている。(2012.5.18)
前回弓削道を下ったとき、志古田との間の尾根に道があるのを見つけて下ってみた。すると弓削道と変わらないほどの巾の道が続いているのだ。その道はやがて弓削の方に斜面を下って行き、我々は尾根をそのまま下ったので、その広い道の行き先を辿ってはいない。思えば本道が崩れて荷車の通過が困難になったとき迂回路として使われたのでは無いかと想像する。いつかこのみちも踏破してみたいと思っている。
さて弓削道に戻り、問題は最後の集落に出る所の橋である。従前の橋はもう腐りかけて通行はかなり危険である。もしわたしが弓削に住んでいたら、その辺の杉でも切ってきてポンポンとこしらえるのにと思うのだが、誰も使わない峠道のことなど脳裏に浮かばないのだろう。
前回来たときにもそのまま岸を下っていったらどうなのだろうと考えていたのだが、果たして簡単にネット部分を通過でき、そのまま公民館まで道が続いていた。もっともこれは私道なので、峠道を復活させようと思えば、橋を架けるべきと思う。
橋は渡らずに真っ直ぐ左岸を下りてくる。
仰ぎ見る弓削道(右の尾根、弓削公民館から)
好天を感謝しふりかえる山々を仰ぎ見ていると、行く度に謎が湧いてくる愛おしい峠だなあと感じられるのである。おわり
【晴徨雨読】110日目(2006.11.18)相馬山登山~高崎~本庄
榛名富士から相馬山の岩峰を見て是非登りたくなった。一応クライマーの端くれで、名の通った山よりこんな岩峰が好みなのである。沖縄の黄金山、武雄の御船山、黒髪山など誰も知らないような山だけど、総て岩峰であり、今回の旅で登ってきた山である。
相馬山は将に天空のマチュピチュのような風貌だが、登ってもなかなか面白い山だった。
左:天空のマチュピチュ相馬山、左の肩から登る。
中:国民宿舎上の岩峰も魅力
右:榛名山下りにある黒岩ゲレンデ、土曜日でクライマーの声が聞こえる。
【今日のじょん】:今日はアミちゃんエミちゃん、モモ姉さん、ゆきちゃんと多くのワン客があり、じょんは大興奮なんだが、接客が忙しくて出してもらえない。「出してくれ~」と叫んでいるところ。
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YouTube: 出してくれ~