2012.12.2(日)曇
【晴徨雨読】124日目(2006.12.2)新居宿と舞阪宿
浜名湖にもう一泊逗留して、東海道五拾三次新居宿と舞阪宿を彷徨する。
こののち渥美半島を廻るので東海道ともお別れになり、じっくりと見ておこうというものである。詳しくは本文を見て頂ければよいが、きょうは広重の画で二つの宿を見て頂きたい。
舞阪と新井の間一里は舟で渡ることになっていた。これは政策上の事といわれているが、橋を架けるとしても当時の技術でどうだろうかと思わせる。
新居の画は向こう岸に新居の関所が見え、その左手に新居宿の家並が見え、地理のとおりである。船頭の腕が不自然だという意見が多いそうだが、「おっとっと」というのを表した洒落ではないかと思う。舳先の旗の丸に竹の字も保永堂の竹内を表す洒落である。
新居の関所は出女に特に厳しかったそうである。難所今切も今日では、、。
舞阪の画は舞坂(今切真景)となっている。新居も荒井であったように舞阪も舞坂と書かれたようだ。今切というのは1498年の明応大地震による大津波で浜名湖と遠州灘を分けていた陸地が決潰して、淡水湖が汽水湖になった、その切れたところをいう。近き淡海を近江、遠き淡海を遠江(遠津淡海)と呼ばれ地名語源となっている。
さてこの舞坂の画を見て、一体どの方向から見ているのだろうと考える。今切には潮の流れを押さえるため多くの杭が打ち込まれたという。
左が遠州灘と思いがちだがそうすると富士山の位置が合わない。やはり右手の弯が庄内弯で左手に拡がっているのが浜名湖なのだろう。
舞阪宿北雁木(きたがんげ)、諸侯用の船着き場。
漁師が捕っているのは鰻であろうと説明文にあるが、なるほどこの頃から名物であったようだ。「鰻の舞坂」はこの地が発祥なのだろうか。
【作業日誌 12/2】
ウッドデッキ基礎作り
【今日のじょん】:アレルギー反応でチキンが食べられなくなったじょん君、ちょこっとだけもらう竹輪が唯一の楽しみとなってきた。なんでも塩気が多いので沢山はあげられないそうだ。お座りもお手も言わないうちから、お座り、お手、ハイタッチ、フセ等々知ってる芸をみんな出してねだっている。そのうち動画におさめたいが、シャッターチャンスが難しい。