晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(44) 近江-5  12/11

2012-12-11 | 歴史・民俗

2012.12.11(火) 曇

 都市部や住宅地での探訪が如何に困難か思い知らされた。新しく居住した人がその地の過去のことを知っている人はまず居ない。今まで田舎の田圃や山ばかり廻っていたので、人気が無いという苦労はしたが、とにかく人が居ればなにがしかの情報は得られるのである。例えば本人が他所から嫁いだ人であって知らないことであっても、知っている誰かを紹介してくれたりする。
 そんなわけで今回の近江膳所訪問は目的地に辿り着くこと無く終わったが、その後の調査でいろんなことが判った。P1030407
 




富士見台の別所山はこの付近かと見当を付けていたが、まるで違っていた。新興住宅地では遺跡など探すのが難しい。

 柴田弘武氏は、「別所は蝦夷俘囚の移配地で、その理由は産鉄など金属生産に従事させるため」という説を立てられ、「別所地名事典」で621ヶ所の別所を調査され、その説が実証されたとしている。十数年にわたりこれだけの別所を悉皆調査され、膨大な事典にまとめ上げられたことは驚異的なことと思う。その内容は多岐にわたっているので総てを見ることは不可能だが、一部を見て、また近隣の別所を調べて、その地が金属関連地であることは間違いないように思える。ただ、俘囚の移配地であるという証拠は一向に出てこないのである。
 これだけの偉業を成し遂げられた氏に対して異論を唱えるというものでも無いし、その根拠も立場も無いわけだが、わたしは「別所」というのは金属に関連する、金属を産出する土地という意味なのではないかと考えている。つまり”ベツ”にそういう意味があって、別所は本所に対するものでもないし、別府、別保、その他のベツ地名も金属に関係するものではないかと思っている。ただし、アイヌ語の別、ペッ、pet=川は別ものである。
 別府、別保などの地名に対しては「別符をもって指定された保で、社寺の封米を担当したもの」(地名の語源)、追加開墾地(柳田国男)などが定説となっている。しかしそれらの地をみると、定説の根拠は見えてこないばかりか、金属関連地の事実が出てくるのである。
 今回富士見台の別所山、別所谷を訪ねようとしたのはそれらの地が金属関連地でないかという想いと別保という地名である。
 奇しくも「別所地名事典」で本来の別所以外の別所地名、石山寺別所、上田上牧町の別所橋そして今回の富士見台別所山と示された三ヶ所が金属関連地ではないかという思いがするのである。
 近江の別所は大変興味深いのだが、大津市民病院に来ることは無くなった。次に近江に足を運べるのは何時になるだろう。今回近江-5まで書いたがその続きは何年先になるか判らないので、ひとまづ終わりにしておこう。P1030427




帰り道、古書店で見つけた大津絵。

【晴徨雨読】133日目(2006.12.11)古里~熊野
2012年のこの日は白い雪に埋もれていると言うのに、熊野路を走ったこの日はバイクパンツに半袖ジャージだ。日本で最も雨の多い地帯なのにスカ天で、ラッキーといえばラッキーなのだが、またしてもガス欠走行をしてしまった。とにかく地方には店が無い。地元の人は一体どこで食糧を買っているのだろう。まさか自給自足ではあるまいに。そんな日に限って景色もよく、天気も良い。だからこそお菓子の行動食ではつまらないと油断してしまったのだ。Img_2127





海沿いの道は距離は出るが景色は最高。

沖縄のところでまた書くだろうが、沖縄の共同店というのは各村に必ずあって何でも揃う、最高のシステムだと思う。

【作業日誌 12/11】
土器、岩石、鉄滓標本箱作製
雪かき

【今日のじょん】:じょんの上林雪情報(睦合町念道周辺、8:30現)

P1030471
P1030475



積雪はこんな感じ。 救急車出動も増加気味、え~声してるとこ。P1030477 P1030479




天気はこんな感じ。道はこんな感じ。


  

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別所探訪(43) 近江-4 12/10

2012-12-11 | 歴史・民俗

2012.12.10(月)雪 1℃ 17時積雪24cm

 時間も無くなって御用池から相模川に沿って下る。相模川なんて謂われもありそうだが今のところは解らない。結局別所山も別所谷も別所池も別保鉱山も平尾の奥のマンガン鉱山も目にすること無くこの日は終わってしまった。P1030426




相模川、御用池(池ノ内町)方面をふりかえる。

 帰宅後これ等の位置や内容を調べることとなった。別所山、別所谷は大津市の「大津のかんきょう宝箱」というサイトでその位置が判った。別所山は滋賀病院の裏手で富士見台43と番地まで確定できる。「別所とは本寺の周辺に建てられた修業道場で、滋賀病院の裏手にある別所山、別所谷の地名は、この地に別所があったことを今に伝えています。後白河天皇がこの地に国分寺の別所を建てたと言われています。」
 「別所地名事典」では、「大津市富士見台の、かつて国分尼寺・清徳寺・光源寺などのあった山も別所山(124m)と呼ばれ、そこにある池も別所池と呼ばれている。」とある。氏の調査された文献が何かは解らないが、清徳寺、光源寺という寺院についてもよく解らない。ただ氏が示されている別所池の位置は上記別所山とは随分離れている。
 富士見台にお住まいの桜井さんに別所池の位置につて依頼していたところ、どうやら判明しているようなのでお会いするのを楽しみにしている。
 次に別保鉱山であるが、「滋賀県琵琶湖南東地域マンガン鉱床」(高瀬博、物部長進)昭和30年3月調査という論文を見つけた。この時期に別保鉱山は休止しており、焼野鉱山は稼働している。地元の方に聞いても、焼野鉱山についてはご存じだったが別保鉱山については知らないというのはこの辺の事情かも知れない。この地域のマンガン鉱床の特徴や各鉱山の鉱床や坑道図まで詳しく書かれているが、位置については膳所駅南方2,7Kmとあるだけだ。もちろん営業としてはマンガンを採鉱していたわけだが、他の情報では銅、泥鉄鉱、藍鉄鉱などの鉱石が発見されているという。
 鳴滝鉱山、別保鉱山、焼野鉱山と大津市の南の山は鉱山帯である。すべてマンガン鉱山だが鉄、銅、他の鉱石が採取されているので、古代においてこれ等の採鉱がなされていたかもしれない。
 また「鉄と銅の生産の歴史」佐々木稔編に興味あることが記されていた。
 「国分寺・国分尼寺跡からは、鍛冶工房の遺構や鉄関連遺物が検出されることがあって、工房では寺院の建立・改修時に鋼製の建築資材(釘や鎹のような)を製作したのではないかと考えられている。さらに銅に関係した炉跡が見つかった例もある。」というものだ。
 富士見町の別所山は国分尼寺跡ということだ。ここでそういった遺物が発見されたかどうかは解らないが、可能性はあるのではないだろうか。つづく

【晴徨雨読】132日目(2006.12.10)志摩~古里
 伊勢から那智勝浦までは行ったことの無い地域だったので、もう少しじっくり走るべきだったと思う。志摩で停滞していたので何となくガンガン走ってしまった。下調べもしていないからか、興味あるところも見つからなかった。こういう走りをしていると風景が印象に残らない。何のために旅をしているのか解らなくなってしまう。Img_2117





道中案内板見るのだが、面白そうなところが見つからない。

【作業日誌 12/10】雪かき、庭木レスキュー

【今日のじょん】:初積雪で憂鬱になっているのにじょんだけはすこぶる元気だ。やっぱり雪が好きなんだ。歌の通りに庭駆け回っている。
朝は5,6cmでたいしたことなかったんだが、一日中降り続けて夕方には24cmの積雪となった。P1030460 P1030467




朝はこんくらい、夕はホワイトクリスマス。

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