2012.12.27(木)晴れ
科学的に分析され書かれた説に非科学的に反論する虚しさというのを思い知らされた前回の文である。この分野に興味の無い方、あらかたの人はそうだろうけど、にとっては一体何のことか解らない文だろうなと思う。
わたしは製鉄、つまり製錬、鉄鉱石あるいは砂鉄を木炭で還元して鉄を得る作業は古代から存在しただろうと考える。
製鉄の技術が大陸から朝鮮半島を経由して日本に入ってきただろうということは誰しも肯定することだろうと思う。当初は鉄製品だけが入ってきたかもしれないが、やがて原料と技術が入ってきただろう。もちろんそれらが単独で海を越えてくることはあり得ないから、人の移動とともに入ってきたわけだ。渡来人といわれる人たちがその人々なのだろうけど、当初は製鉄の技術を伝えるために渡来したわけでは無いだろうから、原料どころか用具も道具も持たず、頭の中にそのノウハウだけを持って渡来しただろうと思われる。そして日本の地で原料を探し出し、環境のあった地で製鉄を試みたのではないだろうか。それは非常に原始的な方法であろうし、原料も環境も元の国とは違うのだから不完全な方法であったと思う。つまりこれ等の人々が伝えたのは、鉄製品を作り上げる技術であって、決して鋼を作る精錬の技術だけでは無いと考える。
そして長い年月の間工夫を重ねてこの国にあった技術を進歩させ、その結晶がたたら製鉄なのだろう。
その間に国家の方針として、鉄鋌などの原料鉄の輸入に頼り、国内では精錬した上で鉄製品を作るという時代があったとしても、製鉄の営みは細々とでも受け継がれていたのではないだろうか。
佐々木氏は製錬の遺跡は無いといわれるが、氏が精錬の遺跡といわれるものが実は製錬の遺跡なのではないだろうか。
佐々木氏の論は科学的な根拠で成り立っているのに、わたしの言は単なる想像、願望のようなもので、比べようが無い。だから虚しいことだと言っているのだ。
しかしながら科学的に氏の理論に反論する学者が必ず存在すると思う。
「理系の視点から見た考古学の論争点」(新井 宏)という本の「金属考古学上の論争点」という項にどうやらこの反論が書かれていそうである。さっそく手配したので、いずれ雨読の欄で紹介したい。
鉄に関する本沢山読んだが理解できていない。
思えば今までに鉄に関する書物を沢山読んできており、科学的な面から書かれたものもいくつかあったのだが、その中身についてなんとも理解が出来ていなかったことかと思う。もちろん総てが未知の分野のことなのでやむを得ないが、もう一度現在の知識と視点で以て読み直す必要があろうかと思う。
【作業日誌 12/27】
ウッドデッキ、根太捻れ修正、スペーサー塗装
【今日のじょん】:今朝の気温は-2℃、積雪はうっすら程度、新雪なので足跡ウオッチングをする。というのは最近夜中にうろうろする小動物がおり、昼間にテンだかイタチだかが目撃されているのだ。
念道橋手前、タイヤの跡と黒い足跡は散歩のラブ。右の足跡は近所の犬かも知れない。
堤防、メッシュをすりぬけるのはイタチなどの小動物だろう。
向こう岸から橋の上を来て、ワイヤメッシュのために進めずUターンしている。イノシシ、シカは橋の上を歩かないので、何かの動物、隙間を抜けていないのである程度の大きさのものか。
家の下、一見鹿の足跡のように見えるが、これは小動物。規則正しく歩いている。