晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(41) 近江-2 12/6

2012-12-07 | 歴史・民俗

2012.12.6(木)曇

 別所池とは、「別所地名事典」の略図では市民温水プールに行くところの高速道路の北側の調整池を指しているようだが、定かでは無い。
 とにかく周囲は新しい家ばかりで、昔の地名など聞いても解らない。新池の近くの大きな屋敷で作業をしている方に訪ねてみる。別所山も別所池も知らないと言うことだった。予想どおり戦前からお住まいの所であっていろんな話を聞く。
 一番知りたかった、別保鉱山なんだが、これも解らないと言うことだ。しかし平尾のマンガン鉱山のことはよくご存じだった。膳所平尾の御用池の奥に堰堤があって、その下の右手の谷にマンガン坑があるということだ。戦時中に掘られたが、あまり出なかったのですぐに廃鉱になったということだ。焼野の鉱山のことなども知っておられたのに、地元の別保鉱山については知らないという事だった。
 畑もしておられるが、山で炭も焼いておられるとのこと、頼もしい方だった。
 後で解ったことだが、別所山とは滋賀病院の裏手にあるところで(富士見台43)別所谷という地名もあるそうだ。さすれば別所池もそちらの方にあるのが順当だが、現存しているとしたら、別所山の北、茶臼山公園下の小さな池かもしれない。
 そんなわけでどうやら見当違いのところをうろうろしていたようだ。しかも市民温水プールの北にある尾根が別所山かなあと山の中までうろついてみた。高速道路の脇の道を大津方面に歩いていると、陸橋がありその尾根に行くことが出来るのだ。雑木と竹の山で、木々の間から先程の調整池付近の住宅が見える。深い落ち葉で地面は見えず、どのような地形かも解らない。P1030406
P1030414  



この調整池が別所池かと思っていたがどうも違うようだ。右は調整池の西の尾根の内部。

 別所池、別所山、別保鉱山は諦めて、平尾町の奥にあるというマンガン坑跡を探検に行く。
 高速道路脇の道から集落の間を抜けて行くと左手に仙台池が見える。集落が途切れるとこのあたりでは最も大きい御用池が現れる。この地域にある多くの池はほとんどが人工の池で農業用水として近世に築かれたようである。御用池も江戸時代に膳所藩の肝いりで作られたので御用池というそうだ。御用池のところから道は地道となり、音羽山へつながるハイキング道となっている。P1030416
 



御用池の脇のハイキング道。音羽山や牛尾観音方面に行けるそうだ。

 御用池の上流側のところへ降りる道があったので湖畔に降りてみる。主に由良川、土師川上流の岩石しか見ていないので、このあたりがどのようなものか興味がある。
かつて比良山系や田上の山々によく登っており、その印象は風化した花崗岩である。つまり中丹の塩基性の岩石とは真反対のものである。御用池に登ってくる間にも、道の脇に掘り出された花崗岩らしき岩石がごろごろしている。
 しかし相模川という御用池をめぐる川には、比良の谷を歩くような顕著な花崗岩の景色は無かった。つづくP1030418 P1030417

 


御用池の上流部分と岩石



【晴徨雨読】128日目(2006.12.6)豊橋~岡崎
東海道五十三次は白須賀の次が二川(ふたがわ)で、吉田、御油(ごゆ)、赤坂、藤川、岡崎と続く。吉田とは豊橋のことで、このあたりは宿がひしめいている感じである。1号線を通ったので各宿を巡ったことだろうと思っていたら、東海道は並行している県道374号線辺りを走っていたようだ。道理で御油の松並木とか宿場町の様子に行き当たらなかった。知っていれば殺風景な国道など走らずに、街道巡りをしたのにと悔しがっている。Img_2085




道標の通り、国道一号=東海道ではないのだ。



【今日のじょん】:じょ~んはこたつで丸くなる
寒がりやのかみさんがのいた途端にやってきてホットカーペットの上で丸くなっている。オマエハカ?P1030431

コメント
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