2012.12.5(水)曇
古代の歴史、金属の歴史を追っていると、近江は丹波の比ではないほど濃厚だ。鉄滓や製鉄遺跡の出土、金属地名、伝承、説話も実に濃厚に分布している。「別所地名事典」を見ても丹波8ヶ所、17ページ、近江15ヶ所、53ページと量、内容とも段違いである。読んでいると是非現地に行ってみたくなるのだが、なかなか機会が得られない。今回かみさんの大津市民病院の診察に付き合ったついでに少しの時間を得ることが出来た。
近隣の別所は圓城寺町と石山寺辺町の二ヶ所である。いずれも三井寺、石山寺の歴史的な寺院の近隣である。石山寺辺町の方が少し近いかなと思って、「別所地名事典」を熟読する。実際に鉄滓も多く発見されており、寺辺村別所(現、大平二丁目)では90cmもの銅鐸が発見されているという。地名も金属地名の研究者なら泣いて喜びそうな、芋川、桜峠、多羅川などの他、大平(おおひら)、平津(ひらつ)などのヒラ地名も関連があるのではないかと思っている。
「別所地名事典」の石山寺辺町の記事を読んでいると、石山寺別所荒痛薬師堂、富士見台の別所山、別所池、大津市上田上牧町にある別所橋のことが書かれている。よくぞここまで調べられたかと思うが、それらの別所地名が寺辺町別所とどう関係するのかについては書かれていない。氏は自説の展開とは無関係だとしてこれ等の調査をされなかったのだろうか。別所が俘囚移配の地であり、金属産出に関連する地であると主張されているのだから、その地が大字小字になっていなくても調査して欲しいと読者としては思うわけである。
それならばこの三ヶ所を先に調べてみようと考えた。それはこの三ヶ所には鉱山であったり、製鉄遺跡の近辺であったりと金属関連地域であることははっきりしているのだが、やはり「別(べつ)=金属」ではないだろうかという想いがそうさせるわけだが、なによりも膳所と石山の間にある別保(べっぽ)という地名が気になったからでもある。
膳所の駅から国道1号線を南に歩いて行くと、湖城が丘、秋葉台、富士見台という風に新しい分譲地らしき名のバス停が続く。富士見台交番といったろうか新しそうな交番によって道を聞く。目的は別所山、別所池である。もちろん現行の地番表示にはないので不明であり、支所や古い農家に連絡して聞いてもらったが解らなかった。もっとも「別所地名事典」の略図で大体の見当は付けていたので、お礼を言って交番を出る。つづく
富士見台の名のいわれはこれ、近江富士(三上山)が見えるから。
【晴徨雨読】127日目(2006.12.5)伊良湖~豊橋
腰痛で歩くのは苦痛なんだが、自転車を漕ぐのは一向に問題ないのをご存じだろうか。座っているために腰への負担が少ないのだろう。ただし乗り降りが大変である。それと何時どこでグキっと来ないかと不安で堪らない。そんな日に限って立ち寄りたいところが出てくるのだが、行こうかという気分にならない。とにかく走って豊橋に着き、ビジネスホテルの湯船に薬用バブをしこたま入れて治療する。
豊橋市高師町は高師小僧が発見された所で有名である。高師小僧とは鉄分を含んだ地下水が水生植物の根に団塊状に沈着したもので、ここ高師原で最初に発見されたようだ。現地に行けばどこかで見られると思ったがかなわず、実際に見るのは5年後となった。
高師小僧、真ん中の根の部分が穴になっている。
【今日のじょん】:今朝は6時半に起きて7時には散歩をしている。出合う車も人もいつもと違って新鮮だ。驚いたことに念道の小学生は7時に家を出ているのだ。じょんのびではみんな寝てる時間である。薄暗い上林川を写真に納めたが、出来上がってみると暗さが出ない。