2012.12.18(火)雨
わたしたちの周りには驚くほど多くの種類と量の金属が存在している。金属無くしてわたしたちの生活は成り立たない。にもかかわらずその歴史、いつからどのようにして生産されてきたかについては誰も関心を示さない。坑道跡を発見したり、鉄滓を拾ったりして身近なところで金属の生産や加工が行われていたことが判るが、一般的には自分の周囲で金属の生産、加工が行われていたとは考えられないことのようだ。例えば丹波に数多いマンガン鉱山が昭和の30年代頃まで稼働していたなんてことも、その時代に生きた人でさえ知らないことが多い。
ましてや古代から近世に至るまでの金属の歴史など興味のある人も少ないだろう。しかし、金属は歴史的には国家の成立とその発展、産業の発展など計り知れない影響力を持つものであり、歴史の主役といっても過言で無い存在だと思うのである。
にもかかわらずその歴史は実に曖昧模糊としている。何時どのようにして日本に入ってきたか、あるいは日本にも自然発生的に金属の生産があったのか、最初の生産はどのようにされたのか、原料はどうしたのか、生産に従事した人は如何なる者か、技術の発展はどのようにしたのか、製品の流通はどうなのか等々解らないことばかりである。
そんなことを知りたくて多くの書物を読み、雨読欄でも紹介してきたが、結果はどうも納得のいかないものであった。そこで古典的な書物から、最近の科学者が化学的物理学的分析などに基づいて書いているものに変えてくると少しは納得のいく答が出始めてきた。ただし、素人にとっては難解で、図鑑や参考書が必要であり、一度読んだだけでは到底理解できないものである。
そういう意味では「古代日本の鉄と社会」(東京工業大学製鉄史研究会)は古代の金属を化学的に究明するという点で画期的であった。(雨読 2012.6.18参照)
ところがそれとて1982年の出版であるから、その後の研究の進歩というのは相当なものがあると思う。
従って今日紹介する「鉄と銅の生産の歴史」増補改訂版 佐々木稔編著、雄山閣
2009.11.20発行はこの分野の書籍としては最も新しいものかと思う。
発見された遺跡や遺物の化学的な分析による説が、従来の説を塗り替える場面もいくつかあるのだが、根拠がはっきりしているだけに納得できる。
本書は府立図書館からの借本であり、最長三週間の期間でも総てを読み終えることが出来ていない。
なるほどと納得する事柄もあり、疑問を呈するところもあるのだが、借りている間には熟読することが不可能なので、内容についての論評や疑問は今回出さないこととする。必ず再読すると思うのでその際に書いてみたい。
【晴徨雨読】140日目(2006.12.18)海南~奈良県大淀町
この日もただ走るだけの様相だが、紀ノ川沿いは現在研究中の古代の金属を考えるとき大変重要な地帯であった。また旅をする機会があるならば、必ず訪れたいところである。少なくとも高野町、吉野町のどちらかは訪ねるべきだった。
紀ノ川、川鵜が面白いので見ていただけ。
【今日のじょん】:今年のじょん作品は写真集「じょんじょんおもしろ写真集」を作ろかと思っている。先日も「おもろい格好してるで」というので写真に撮ったが、「別に~」という結果だった。