2013.4.13(土)快晴 鉄滓(8)は2013.4.4
桜井さん宅の庭で発見した鉄滓らしきものは、溶岩か鉄滓だろうと予想したのだが、予想通り富士山の溶岩だった。
あれほどはっきりした形の溶岩が自然に上林に存在するはずはなく、あるとしたらどこからか持ち込んだものだろうと考えた。ところが同じ形状のものが別の草の中にもあったので、もしやこのあたりに自然にあったものではないかと想像したのだ。それならば鉄滓でしかないと思ったのだが、残念ながら富士山の溶岩だった。登山の記念に持ち帰ったとの証言にがっくりくる。
お騒がせの鉄滓ならぬ富士山の溶岩
「もっと他にもあるで」と言って箱の中から新聞紙にくるんだ大小の石が出てくる。年月日と山名が書いてある。おそらく山頂の石なのだろう、気持ちは理解できるが、チリ紙一枚でも軽量化に努めていたわたしには考えられないことであった。
庭にもどこそこの山から持ち帰ったという大きな石がある。いくら弁当の分軽くなると言っても、往路より帰路の方がザックが重いというのはいかがなものだろう。
溶岩にも磁性があることが解った。青木ヶ原で磁石が効かなくなるというのはそういうことだろう。また、若丹国境イモリガ嶽(丸山)のサンドラ岩は枕状溶岩ということだがこれも磁性がある。
となるとその前に鳥垣で発見した空洞があり磁性のある鉄滓かもという岩石も怪しくなってくる。
鑑定できる人に見てもらわないことには、いくら手元に置いていても解決しない。
これも溶岩の可能性もある。そうだとすると物好きな人がどこかから持ち帰ったことになる。
そうこうしているうちに上林の仏師渋谷さんに会うことができた。平凡社地名体系、光野村に文政4年(1821年)に金の試掘が行われたという記事があり、その場所はわからないものかと光野の山々に詳しい渋谷さんに会いたいと願っていたところである。
渋谷さんに会うと、その位置はすぐに解り、明治の時代になっても村人による試掘がなされていたようである。いずれ現地を訪れて坑口を見つけてみたいと思うが、それ以上に興味あることを聞いた。
それはわたしの収集する鉄滓の一部を見てもらったところ、畑口川上流市志の上で同じような石を拾ったということだ。それが鉄滓であったら、清水鋳物師による鉄滓以外のものであることがわかる。
井関家たたら跡(左方の平地)、市志はこれより上流だから、この地の鉄滓はあり得ない。(2012.8.31)
清水鋳物師、井関氏がなぜ清水で操業したかを考える上で重要なヒントを得ることになるからだ。
鉄滓への夢は広がる。
【晴徨雨読】199日目(2007.4.13)萩~津和野
萩は観光で何回も訪れているところだが、萩焼の釜元や武家屋敷などおもしろくもないところを当たり前のように回ってきた。今回もそういうところを回っていたのだがやっぱり面白くない。
日本で一番小さい火山、笠山は面白い。高さは112m、火口は30cmだが、火山のすべての要素はそろっており、約1万年前の釣鐘状スコリア丘単成火山と言うことで立派な火山なのだ。萩を訪れる人は多々あれどもここを訪れる人はそういないだろう。満足、満足。
一丁前に火口も火口壁もある、歩いても数分で一周する。
【作業日誌 4/13】
ウッドデッキ手すり取り付け
たんぽぽ撲滅作戦
【今日のじょん】じょんを堤防の上に繋いで、コゴミをとるため河原に降りるとなかなかどうしてよく育っている。もう食べられないぐらい育っているものも多い。周囲は鹿の足跡だらけで、よくぞ食べられないで残ったかと感心していたら、実は少し食べられているのだ。いくつかの茎がその痕を残している。不思議なのはすっかり食べられていないことだ。どうも彼らにとってはイマイチおいしくないようだ。試食という段階なのだろうか。そうだとすると今にすべてが襲われてしまう。こんなところまで柵をするようになれば、世の中おしまいだ。
とにかく夜には食卓に上がることとなった。
じょんは堤防の上で待っていたので写真なし