晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(14) 坂尾呂神社-3   4/2

2013-04-02 | 歴史・民俗

2013.4.2(火)曇り、雨

 
考察
 坂尾呂神社の盃状穴は盃状穴であるか否か判断しかねるものが4個という結果になった。P1040149

 


参道入り口、中段の上から12列目の真ん中の石に穿たれた盃状穴らしき穴、4個、見つかったのはこれだけである。

 盃状穴であるかもしれない理由としては、真円状に穿たれていることと内面が滑らかで人工の気配があるということの他に、石段に一列に並んでいること、雨だれの可能性は無いことである。
 自然の穴であれば形状が真円状にはならないし、位置もバラバラに開いている。ただ、雨だれの場合はきれいな真円状になり、内面も滑らかになる。ただしその場合は固定した水滴の源が永年にわたって存在する必要がある。今回の場合石段の上には建物などはなく、雨だれの可能性は考えられない。
 雨だれであれば一列になっていることが考えられるが、雨だれでなければ人為的なものと考えられる。
 

 盃状穴でない理由としては、数が少ないことと穴が浅いことである。盃状穴の調査についてまだ経験が浅いので一概には言えないのだが、盃状穴を穿つ民族的な習慣がその地にあったとしたら、あちこちにある程度の盃状穴が存在してもいいのではないかと思うのである。
 そして穴が浅いことは、一般によく言われる子供のいたずらかなとも思えるのである。草搗き遊びがあったという証言は聞いている。子供の仕業としては盃状穴を穿つのはかなり無理があると思うのだが、穴の浅いものならあり得るかなとも思うのである。
 結論として盃状穴であるか否か判断しかねる、擬盃状穴が4個存在するという結論である。
 というわけで坂尾呂神社の盃状穴に関してはなんとも中途半端な結論で終わったが、実はこのあとこの周辺で鉄滓らしきものを発見するのである。このことについては改めて別項で報告したい。終わり

【作業日誌 4/2】ウッドデッキ柱作りP1040203



昨日拾ってきた薪とドア用の柱

【晴徨雨読】188日目(2007.4.2)平戸口滞在
 平戸は16世紀から17世紀の100年間、日本から唯一世界に開かれた貿易港である。桜が満開の今頃は春休みの学生さんなどで賑わっているのかもしれない。オランダ商館跡や眼鏡橋などエキゾチックな遺跡とおしゃれに仕上げた街の雰囲気が人気なのだろう。だけど何か寂しさが漂っていることに気づくのはわたしだけだろうか。その原因はポルトガルからイスパニア、オランダ、イギリスとめまぐるしく主役が変わった上に長崎にその座を奪われ、一夜にして元の寒村にもどり、残されたのは多くのキリシタンで彼らの苦難の歴史もそこから始まったのではないだろうか。一見華やかな観光地平戸が妙に寂しく見えた一日であった。Img_3809

オランダ橋


【今日のじょん】30日、土曜日、夜11:42、通りでクラクションの音がしたかと思うとすぐにパーンという音がした。すわ、発砲事件かなと思い暗闇の中を見ると車がハザードランプを点けて停まっている。やがて走り去ったがどうやらいつもの鹿の交通事故らしい。どうなったか確認したいが、こちとら風呂上がりである。
 耳をこらしていると走ってきた車が急ブレーキを踏んでいる。どうやら路上に遺体があるようだ。
 翌朝には遺体は片づけられており路上に血痕の跡がある。大きな鹿のようで引きずって片付けた跡があり、毛や血痕が残っている。これで3回目の鹿事件だが、夜中に走る人はご注意を、我が家の前は鹿の横断歩道となっているから。P1040167
P1040169

    

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上林の盃状穴(13) 坂尾呂神社ー2  4/1

2013-04-02 | 歴史・民俗

2013.4.1(月)晴れ

 本殿に向かう広場には右手に立派な手水鉢があるぐらいである。周囲を回りながら観察するが盃状穴らしきものは見当たらない。P1040152



手水鉢、腰掛け、石段、鳥居と見てゆく。

各地の盃状穴を見た場合、手水鉢の周囲に強烈なものがみられるが、上林についてはどうもそのようなものはないような気がする。この土地の人の性格として、盃状穴の風習があったとしても、器物を破損するあるいは景観を損ねるというような極端な行為はなされないのではないだろうか。あるとしても石段など問題のなさそうな個所にこっそりとなされているような気がするのである。そう考えると逆に、人目につかないところ、物陰に穿たれている可能性も出てくる。したがって物置の裏の敷石や、石垣の陰なども注意深く見るのだが、残念ながら見つからない。本殿の周囲、摂社の周囲も細かに観察する。
 ただ一つ、本殿に向かう石段の右側の袖の石にそれらしきものを一個発見、穴は浅いが一応真円になっている、石材も柔らかそうな石である。
ところが内部を触ってみるとどうもざらざらとしていて人工に削った感がしない。どうも自然の穴のようだ。P1040155

 


石段は寛正年間のものと思われるが、盃状穴ではないようだ。

 続いて本殿の周り、摂社のあたり、石と石造物をしらみつぶしに観察するがついに見つからなかった。
土器や鉄滓なども無いものかと探し回るがそれらも見つからなかった。
 
 坂尾呂神社には5基の古墳があるというが、今ひとつはっきりしない。東側の2基はなんとか古墳らしい姿を残しているが、単なる盛り上がりがあるのみで、表面には遺物もないようだ。つづくP1040157



これが円墳のようだが随分荒れている。

【作業日誌 4/1】
薪拾い(岩鼻さん宅)

【今日のじょん】じょん桜が開花した。八分咲きというところか。もう4,5日で満開のようだ。じょん君は昨日のお疲れのようで、朝の練習もイマイチ力が入っていない。P1040200

ワンワン運動会、キクちゃんの動画があるのでアップロードでき次第公開予定。

【晴徨雨読】187日目(2007.4.1)平戸口滞在
 生月島は平戸の西にある小島だ。この日どうやらこの島を目指したようだが、その理由が思い出せない。幸か不幸か天気が悪く平戸島の一部を周回して帰ってきた。とたんに晴れだして、近所の資料館などに出かける。里田原(さとたばる)遺跡では本物の支石墓を見る。縄文時代の終わり頃に朝鮮半島から伝わったものといわれる。あまり気にもとめなかったのだが、今となればもっとしっかり見てくればよかったと思っている。Img_3761


 
 
 
 

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