2013.4.2(火)曇り、雨
考察
坂尾呂神社の盃状穴は盃状穴であるか否か判断しかねるものが4個という結果になった。
参道入り口、中段の上から12列目の真ん中の石に穿たれた盃状穴らしき穴、4個、見つかったのはこれだけである。
盃状穴であるかもしれない理由としては、真円状に穿たれていることと内面が滑らかで人工の気配があるということの他に、石段に一列に並んでいること、雨だれの可能性は無いことである。
自然の穴であれば形状が真円状にはならないし、位置もバラバラに開いている。ただ、雨だれの場合はきれいな真円状になり、内面も滑らかになる。ただしその場合は固定した水滴の源が永年にわたって存在する必要がある。今回の場合石段の上には建物などはなく、雨だれの可能性は考えられない。
雨だれであれば一列になっていることが考えられるが、雨だれでなければ人為的なものと考えられる。
盃状穴でない理由としては、数が少ないことと穴が浅いことである。盃状穴の調査についてまだ経験が浅いので一概には言えないのだが、盃状穴を穿つ民族的な習慣がその地にあったとしたら、あちこちにある程度の盃状穴が存在してもいいのではないかと思うのである。
そして穴が浅いことは、一般によく言われる子供のいたずらかなとも思えるのである。草搗き遊びがあったという証言は聞いている。子供の仕業としては盃状穴を穿つのはかなり無理があると思うのだが、穴の浅いものならあり得るかなとも思うのである。
結論として盃状穴であるか否か判断しかねる、擬盃状穴が4個存在するという結論である。
というわけで坂尾呂神社の盃状穴に関してはなんとも中途半端な結論で終わったが、実はこのあとこの周辺で鉄滓らしきものを発見するのである。このことについては改めて別項で報告したい。終わり
【作業日誌 4/2】ウッドデッキ柱作り
昨日拾ってきた薪とドア用の柱
【晴徨雨読】188日目(2007.4.2)平戸口滞在
平戸は16世紀から17世紀の100年間、日本から唯一世界に開かれた貿易港である。桜が満開の今頃は春休みの学生さんなどで賑わっているのかもしれない。オランダ商館跡や眼鏡橋などエキゾチックな遺跡とおしゃれに仕上げた街の雰囲気が人気なのだろう。だけど何か寂しさが漂っていることに気づくのはわたしだけだろうか。その原因はポルトガルからイスパニア、オランダ、イギリスとめまぐるしく主役が変わった上に長崎にその座を奪われ、一夜にして元の寒村にもどり、残されたのは多くのキリシタンで彼らの苦難の歴史もそこから始まったのではないだろうか。一見華やかな観光地平戸が妙に寂しく見えた一日であった。
オランダ橋
【今日のじょん】30日、土曜日、夜11:42、通りでクラクションの音がしたかと思うとすぐにパーンという音がした。すわ、発砲事件かなと思い暗闇の中を見ると車がハザードランプを点けて停まっている。やがて走り去ったがどうやらいつもの鹿の交通事故らしい。どうなったか確認したいが、こちとら風呂上がりである。
耳をこらしていると走ってきた車が急ブレーキを踏んでいる。どうやら路上に遺体があるようだ。
翌朝には遺体は片づけられており路上に血痕の跡がある。大きな鹿のようで引きずって片付けた跡があり、毛や血痕が残っている。これで3回目の鹿事件だが、夜中に走る人はご注意を、我が家の前は鹿の横断歩道となっているから。