2013.4.12(金)晴れ
そのイイモリ山研究者は岩田さんという女性の方である。事前に連絡をいただいていたのだが、イイモリ山は大和朝廷が地図を作るための測量点として所有した山であるというのがその主旨のようだ。単に地図を作ると言うことではなく、領土、支配の確定、確認というようなことも言っておられ、結界という風に宗教的なものもあるかもしれないと言っておられる。いずれにしても中国の古代国家を源とする発想と手法でその測量は陰陽道による角度を使用しているというのである。
岩田さん(以下岩田女史と呼ぶ)は本文「丸山とイモリ村」を見つけられ、是非見てみたいと東京から駆けつけてこられた。もっとも仕事をお持ちの関係で、関西に出張があったのでということだった。
4月7日日曜日、雨のそぼ降る中を、小唐内に向かう。雨でイモリガ嶽が見えなかったらと過去の写真を数枚用意していたのだが幸い晴れ間もあったりして山が見えないと言うことはなかった。
小雨の中、イモリガ嶽の写真を撮る岩田さん、小唐内で
行き帰りの車中に飯盛山(様々な呼び方があるのだが飯盛山というのは最も多いようなので以下こう記述する)に関する研究内容をお聞きし、じょんのびに帰ってからも飯盛山を繋いだ地図を開けて説明を受ける。
陰陽道だの風水だのといってもにわかに理解できるわけではないのだが、少なくとも飯盛山が測量の基準点として使われたことは信頼できることのようだ。むしろ基準点となった山を飯盛山と名付けたようだ。
女史はそのことに気づいて以来飯盛山にとりつかれ、ここ10数年300カ所以上の飯盛山を訪れ、地図上に線を引き続けられた。
永年にわたって集中してこられた成果がとても数時間で語り尽くせぬものではないだろう。最初に論文にされたものが出版されているということで、いただけることとなった。
本が届いたら理解できるまで読み尽くそうと思う。疑問がいっぱい出てくると思う、すべてを納得いくまで追求して、イモリガ嶽の真実が解明できたとしたらそれは上林の歴史にとって画期的な発見となるだろう。
【晴徨雨読】198日目(2007.4.12)山口~萩
自転車ではなく車で秋芳洞、秋吉台、青海島、金子みすゞ記念館などを訪ねる。本文の中に20年ほど前に秋芳洞を訪れたとあるが、確かに訪れているのだがどのような経緯で訪れたのか定かでない。景色や内容も覚えていない。自転車で訪れたところは、例えばカンカン石のような路傍の小さな名所でも確実に覚えているのに、バスや車で訪れた旅行は何も記憶に無い。自分の足で路面をみつめながら行く旅がいかに素晴らしい旅なのかよくわかる。
金子みすゞ記念館、金子文英堂
【作業日誌 4/12】
ウッドデッキ手すり取り付け、柱立て
取り付けた手すりは塗装のため再度取り外し
【今日のじょん】田村さんから2013Wan’s Game in みわ(3.31)のDVDが送ってきた。実行委員会からのプレゼントなんだが、ズッコケじょんの姿を見るのは何ともつらい。他のわんちゃんたちは笑ってみられるのに、、、。
じょんがおしっこしまくってる何ともみっともない映像も映っている。最もとっくにおしっこは無くなってかっこばかりなんだが、しつけが悪くてスイマセン。