2013.4.18(木)晴れ
そこの小屋には農作業中の谷口さんという方がおられ、親切に答えてくれた。
まず、飯谷の地名について聞く。これが驚きで、「イイタニ」ではなく「ハンダニ」というそうだ。
太古この谷は入り江であって、海水が引いた後、物部眞鳥という地方の長が開墾をした。開墾をした谷なので墾(はり)谷となり、転訛して飯谷(はんたに)となった。
というものである。
縄文海進時には確かにかなり奥まで海水が浸入していただろう。海進が終わって水が引いた後に開墾されたのも間違いないし、開墾された土地をハリ、ハル、ハンと呼ぶのも一般的で(今治、名張、針田、治田、半田など)、物部眞鳥はともかくこの説は妥当性がある。
ところが谷口氏はこの谷の米のことについてもお話ししてくれた。
この地の米は魚沼産にも負けない美味い米で、稲の成長が良いので茎が長く、その藁で作ったムシロは飯谷ムシロといってかつては著名な産地であったということだ。
「土地が粘土質な訳ですか」と聞くとまさにその通りだという答えであった。となると飯谷の飯(ハン)の語源はハニ(粘土、赤土のこと。)かもしれない。「地名の語源」(鏡味完二)には、ハンダ=粘土地、泥地の田として、判田、飯田、繁田などをあげている。
「飯の字の付く山などはありませんか?」「無いねえ」
「カゴン谷遺跡に行ってみたいのですが、どちらですか?」
「その遺跡は道路工事かなんかで無くなってしまったよ」
「どの辺にあったんですか?」
「あの下の竹藪のところ」
カゴン谷遺跡は竹藪のところにあったそうだが、現在は無い。
「その向こうの形の良い山はなんて言うのですか?」
「あの山にはお城があったので城山と呼んでるよ」
「他の呼び名は無いですか?」
「城山としか呼んでないねえ」
城山、二眉城祉か?
「橋のところの岩盤が真っ赤になってますねえ」
「あれは金気が強くて染まってるわけ、この辺は金気が大変強いんだよ」
橋の下の岩は金気で真っ赤である。
「これから韓国神社(からくに神社)に行ってみたいのですが、なんで韓国神社と言うんですか?」
「物部眞鳥が朝鮮に渡って、刀なんかを持ち込んだとも言われているが、韓国連の姓を賜ったからだそうだ。一時は韓国と関係があるとかで韓国人のお参りなどが増えたときもあったが、物部氏なんだから韓国とは関係ないと思うよ」
こんな感じで聞き取りをして韓国(からくに)神社に向かう。つづく
【晴徨雨読】204日目(2007.4.18)浜田~太田市仁摩町
温泉津では久々にらしい温泉に入る。この町で不思議な人物に出会う、といっても嘉永3年の生まれというから江戸時代の人物である。
それは浅原才市(あさはらさいち)というのだが、町には生家が残っており、顕彰碑があったり、才市の湯なんて温泉らしきものもある。
ところがこの方、いったい何をした人なんだか解らない。解らないから本文記事に書いていないのだけど、下駄職人をしていて、えらく信心深い人とはあるが、それだけで名が残るとは思えない。思えば二宮尊徳だって薪背負って本読んでる姿は知っているが、いったい何をした人か、あんた知ってるかい?
(2007.5.7)
【作業日誌 4/18】
ドッグランど、柵作り
【今日のじょん】一時ウォーりーを探せなんてパズルゲームがあった。さてこの写真から探してほしい。何かな???