晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ドッグランど奮戦記(1) 4/23

2013-04-24 | 日記・エッセイ・コラム

2013.4.23(火)晴れのち曇り

 ドッグランどの納期が迫っている。開店五周年記念日(6月1日)にはそれなりに格好をつけねばならない。思えば当初の完成予定は2009年春である。4年遅れて、5年目に入っている今、遅れている理由もあれば言い訳もあるんだが、ぐっとのみ込んでまい進しようと思う。それにしてもプレッシャーだなあ。かみさんは広告会社の取材まで決めてプレッシャーをかけてくる。
 というわけで、暖かくなれば行きたいところもあるんだが我慢して工事工作にいそしんでいる。
 今日はじょんのシャンプー兼水回りの清掃で半日がつぶれ、午後2時半からの作業となる。
 ウッドデッキ東側扉の周囲を煉瓦張りにするための作業と西側階段付近の芝生張り準備だ。P1040374



煉瓦を張らないと扉が着けられない。

 煉瓦は先日に準備済みなんだが、とにかく整地をしなければならない。煉瓦をモルタルで固めるか、セメントだけで仕上げるか決めていないのだが、とりあえず掘って平らにし、バラスを敷き詰める。これ以降の工程はインターネットで調べてみよう。
 芝生の作業は、暗渠排水路(といっても暗渠にはなっていない)の横の土を削って真砂土を入れる。後は芝を買ってきて引くだけだ。P1040375

 


いつかは全面芝にしたいのだけれど、、、。

 とまあここまでやって1日が終わる。結構気が遠くなるような話だけど、先日からの植木の植え付けといい、少しずつ格好がついてきているのが楽しみでもある。

【晴徨雨読】209日目(2007.4.23)松江~奥出雲町
出雲の最も出雲らしいルートであった。菅谷に行かなかったことを悔やんでいるが、今日のルートも今から思えば鉄地名、鉄遺跡の宝庫のルートである。今このルートの旅を予定したら最低3日は滞在するだろう。当時は鉄に関する興味も知識も無かったので、「何とつまらない地域だこと」と思い通りすぎてしまった。そして亀嵩に松本清張のゆかりの地を見つけ感激していたぐらいだから。
Img_4639Img_4647



島根の国道沿いでもこれだから、枝国道ではいかがなものだろう。
亀嵩はその呼び名だけで砂の器の舞台となったのだろうか。


【今日のじょん】ドッグランどがだんだんできてくるんだけど、じょんにとっては行動範囲が狭くなってくるみたい。
P1040365

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飯盛山(8) 桟敷ヶ岳考 4/22

2013-04-24 | 飯盛山

2013.4.22(月)晴れ
 「磐座(イワクラ)」の岩田女史の論文の中に桟敷ヶ岳(さじきがだけ・896m)が登場する。その西に飯森山(798m)があり、有視界での測量方法や陰陽道による方位の問題などについて論じられている部分なのだが、今のわたしには未だ理解できていない。ここのところは重要なところなので何度でも読んで理解したいと思っているが、ここでは桟敷ヶ岳の山名について、以前に書いたことがあるので改めて他の研究者の意見も踏まえてご紹介したい。P1040376


 澤潔氏は「北山を歩く」の中で、サシ、サスは焼畑のことでキはところを表すものとして、桟敷は焼畑地と解いている。
 また、「地名を歩く」(南島地名研究センター)では南城市の佐敷(さしち)について地滑り地名と解いている。(2013.2.22桟敷ヶ岳参照)
 桟敷ヶ岳周辺に地滑り地形を見つけて、さもありなんと思っているのだが、気になるのは桟敷ヶ岳に残る惟喬親王(これたかしんのう)にまつわる伝説である。
 惟喬親王は弟の惟仁(これひと)との皇位継承争いに敗れた悲劇の親王とされているが、それは彼らの幼少の頃であって周囲の権力争いの結果である。小野氏との関係や木地師の租といわれていることなど謎も多いのだが、北山一帯に口碑伝承が数多く残されており、小野三十二村(左京区田中から芹生辺りまでの広大な地域)と何らかの関わりがあるものと思われる。
 それはともかく、桟敷ヶ岳に残る惟喬親王伝説は、「惟喬親王が北山に隠棲していた際に桟敷ヶ岳山頂付近に桟敷を作って都を眺めてなつかしんだ。」というもので、伝承上の桟敷ヶ岳の山名由来となっている。
 当初この伝説は桟敷ヶ岳の桟敷にかけた単なるこじつけと考えていたが、岩田女史の飯山ネットに関する論文を読んだときに、「桟敷を作って都を眺めた」という部分が実は過去の事実に由来するのではないかと勘ぐっている。
 山頂の南に「都ながめの岩」という岩があり、そこが桟敷のあったところともされている。過去に登った際にはそういうことに何の興味も無かったので、この岩の存在さえ気づかなかったのだが、何らかの測量の目印になっているのかもしれないと想像している。

【晴徨雨読】208日目(2007.4.22)松江滞在
松江市内見学、松江城は何度訪れてもいい。天守は元々の建物ということでおそらく日本で唯一だろう。徹底的にお城見学をして印象に残ったのは石垣の刻印である。Img_4585
 



 松江市内も一部ではあるが彷徨し、落ち着いた街を堪能する。例によって一番うれしい発見は、向日町で行きつけだった「ラウンジ京」とサヌカイトの大石、「大庭の音のする石」である。
Img_4629



サヌカイトの大石、カンカンと金属音がする。

【作業日誌 4/22】
夏野菜用畑の準備、ヤーコン植え付け


【今日のじょん】比呂子ちゃんちのコロ助が挨拶に来た。生後二ヶ月だって、、。イヤ~カワイイ。じょんもこんな頃に見に行ったのだよ。
P1040361P1040363
   
  
 
 
 




じょんがおっさんに見えるのでアリマス。 

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