2013.4.3(水)曇り 鉄滓(6)は2013.3.20参照
清水鋳物師と無関係な鉄滓を発見したいと思っていた矢先に鳥垣で見つかった鉄滓は新たな勇気と希望を与えるものである。
ところがそれ一個が出てきたからといって手放しで喜ばれるものではない。鉄滓とは名のとおり滓であるからわざわざどこかから持ってくるものではない。そのくせ大量に発生するからその始末に困るものである。いってみれば炭鉱のボタ山のようなものだ。貰って何かに使用するというものでないから、やむなくその場所で山と積まれるものだろう。もちろん滓の管理などしないから、大雨や洪水で流れ出ることもあるだろう。
3月3日発見の鉄滓らしきものと発見場所。
つまり一個見つかったぐらいではその場所が製鉄や精錬の場所とは限らないことである。むしろどこかから流れ着いたと考えるべきだろう。
もう一つ考えられることは、先代、先々代が珍しい石を庭石として拾ってくることだ。この場合庭にある石の一つ一つを後世に言い伝えることはないだろうから、現在の持ち主にとってはいったい何でそのようなものがあるのかわからないことになる。
従ってその鉄滓がその地、あるいはその付近から発生したものだとするにはある程度複数個の発見が絶対条件となる。もちろん大量に発見できれば間違いの無いことである。
そういう意味で鳥垣の鉄滓発見地周辺をくまなく探し回るが、残念ながらそれらしいものは見つけられなかった。地中まで調査するわけにいかないので、一応流れ着いたもの、拾われたものと判断しなければならない。
気を取り直して坂尾呂神社の周辺を盃状穴と併せて調査する。神社において鉄滓の発見される例は多い。
綾部市では赤国神社の例が市史に掲載されている。また最近では豊田市の足助神社の境内で発見したというブログの記事も見つけた。
神社で鉄滓が発見されるということは、そこで鉄の製錬、精錬がなされていたか、あるいは奉納されていたかという可能性があると思われる。
もし製錬、精錬が行われていたとしたら、地理や気候の環境の条件が必要となってくる。多くの燃料を得られること、風や乾燥、水も必要であろう。もちろん年代がさかのぼるほどに原料の得られやすさというのも条件になるだろう。
坂尾呂神社境内では鉄滓は見つからなかった。
もし、鳥垣周辺で製錬、精錬が行われていたと考えるなら、坂尾呂神社で操業するよりはその下で風の強いところを選ぶのではないだろうか。坂尾呂神社は風は強いだろうが、水という意味では少し遠いように思える。つづく
【晴徨雨読】189日目(2007.4.3)平戸口~武雄
松浦、伊万里と古代のロマンをかき立てる地域を走ったが、かといって見るものがあるわけでなく通り過ぎてしまった。伊万里や有田の陶磁器にも興味を持った時期もあったが、このときは特段立ち寄ることもなかった。むしろ武雄近くの岩峰、黒髪山の方が魅力だった。桜はこのあたりが満開で、最もきれいな時期であった。
【今日のじょん】緑のバンダナがよれよれになってきたので、かみさんが百均でネク
タイ買ってきた。なかなかよく似合っているが、本犬は迷惑そうだ。