2013.12.3(火)快晴
水上作品について書いている最中の今日、先生の故郷であるおおい町岡田に寄った。一滴文庫の向こうの谷と聞いていたので、集落に入っていったのだが、モダンな家が建ち並び貧しい生活を送った面影はみじんもない。それもそのはず水上先生が生まれてから八十年以上の歳月が流れているのだから。
水上作品に「故郷」というのがある、その表紙の画こそこの岡田ではないだろうか。原発にも関連するこの作品是非読んでみたいと思うのだが、とにかく話を本題に戻そう。
岡田の谷を望む、「故郷」の表紙にそっくりの風景なんだが。
海から2Kmあまりのこの岡田にもウラニシは吹いただろうし、水上先生の作品の中にもウラニシは表になり裏になり存在する。それにしても山陰に住む者にとって決してありがたくない、むしろ忌み嫌うべきウラニシ、ウラニシ気候が好きだというのは尋常でない。実はそこのところが水上作品を読んでみたいという動機でもあったのだ。
わたしにしたって、憧れるところといえば白浜や瀬戸内のような温かくて明るい所だった。ところが人知れず苦労を重ねたり、人間のきれいな面や汚い面を見たり聞いたり、とにかく人生の経験を重ねてくると、単に美しいもの、明るいものに憧れるということが無くなってくる。むしろ暗い、寒い、厳しいといった一見ネガテブなものに惹かれるという奇妙な現象に落ち込むのである。澤先生も水上先生もウラニシの気候が好きであるというのは本当はよく理解できることなのだ。
それにしても水上作品は暗くて重いので、とりあえずは軽いのを読んでみようと選んだのが本書である。
ところが冒頭の「丹波周山」から打ちのめされる。仕事として満蒙開拓義勇軍を募り、少年を満州に送り出すのである。そして敗戦と共に彼らの多くが不帰の人となるのである。
福知山は長安寺の昔ながらの禅寺を紹介して心安らかに読むことが出来たが、「山寺」では実は綾部の寺のことで、このストーリーは実に哀しい。哀しいからこそ実名を出さずに表現されているのだがそれが余計哀しさを増幅させる。わたしはこのお寺に行ってみようと思う。もちろん現在の住職やその家族が「山寺」に登場する人々とは無関係だろうし、時代も随分変わっている。でも、長い石段に立つ加奈子の姿をわたしは見ることが出来るのだ。つづく
【今日のじょん】おおい町うみんぴあに連れてってもらったワン。いつもどおりあの広い芝生でウロウロしていたら、ほのほのDog12月号にマック隊長とマウイちゃんの写真が載ってるでねいかい。さすがにどこでもいっとるなあ。
これおんなじとこだよね。