2013.12.11(水)曇り
素材の味を活かすという意味では焼き芋は最高の料理である。
なんてったって土の中で育ってきたものに何を加えるでなく、細工するわけでなく、ただ火に放り込むというだけのものだから。
だけど火というのが何となく気になる。火ったって今日日の厨房ではそうお目にかかるものではない。
わたしが子供時分にには、土間にはおくどさんがあって、夕方になると火が着けられる。これが子供の仕事で、細い柴を適当に折ってその上に直径2,3cmの太い柴を置く。下に敷いた新聞紙に着火し、よく燃え上がったところで太い薪を入れる。
これを毎日やってるものだから、火の扱いには慣れている。これが学生時代の山岳部の夏合宿に役立つとは思わなかった。今ではおそらく禁止されているのだろうが、40年以上前の南アルプスでは幕場(キャンプ場)でのたき火は許されていたのだ。(北アルプスでは禁止されていた)
縦走していて、大体3時頃から薪を拾い始める。当然幕場の近くでは拾い尽くされていて薪どころか焚き付けも無い。従ってなるべく早い時間から拾い始めるのだが、そうでなくても重いリュックを担いで、2,3mにもなる薪を担いだり引きずったりするのは苦痛である。薪といっても生きている木は御法度であって、枯れて倒れた木に限る訳である。一枚だけ木を引きずっている写真が残っているのだがどうしたわけかクスクス笑いがこみ上げてくる。
話が飛んでしまったが、とにかく今日では火というものが生活の場から消えてしまった。都会の台所では火といえばガスコンロぐらいで、電熱器や電磁調理器(IH)に至っては火と呼べるものでは無い。
田舎の生活は、火を扱えないと成り立たない。おくどさんの利用は減っているが、草木を燃やすことは日常茶飯事である。その残り火で芋を焼くのは醍醐味である。
幸い我が家は薪ストーブを使っているので、その澳で焼くことが出来る。ストーブは釜のようなもので補熱の効果が大なので焦げることなくうまく焼き上がる。落ち葉焚きなどで芋を焼くと美味いのだが、半分ぐらいが炭になることがある。
田舎といえども安全のためドラム缶を利用している。右奥にかまど用もある。
’13-12-(1) ヤーコンの焼き芋
桜井さんに種芋をもらったので畑の隅に植えていたら随分立派に育った。食い方が解らないので調べてみると、サラダでも煮物でも天ぷらでも何でもある。ところが焼き芋だけは見当たらない。ひょっとしたら大発見で、とんでもなくおいしいものになるかも知れない。
ホイル、水上先生は銀紙(ぎんがみ)とおっしゃってるのでこちらの方がおしゃれな呼び方だ。この銀紙に包んでストーブでじっくり焼く。時々箸でつついてみるが、結構時間がかかる。35分ほど焼いて、ようやく箸が通ったのでぶつ切りにして粗塩をもった皿に無造作に置いてみる。水上先生の山芋の焼き芋があまりに美味そうに見えたのでまねてみたのだが、結果は失敗、すこぶるまずい。
あのほくほく感が無いのだ。炊いたリンゴのように透き通った感じで、味も芋の味はしない。なんとか一本無理矢理食べたが、二度と食う気はしない。
土喰メニュー第一号が却下で残念だが、ヤーコンはヤーコンできっといい食べ方があるに違いない。
【作業日誌 12/11】
薪とり、山内他軽トラ一杯半
【今日のじょん】今朝は薪取りに行く都合でいつもより早く起きたら、ちょうど陽が上がったところだった。秋分の頃と比べると随分南の方から陽が昇っている。冬至には約30度南に位置することとなる。
10月12日と今日のほぼ同じ時間、高さがかなり違う。じょんはかんけーなく走っている。