2013.12.9(月)曇り
新聞がどれほど書こうと食の専門家が意見を述べようと、食材偽装のような事件はなくならいだろう。生産者も業者も消費者も食に対する見方考え方がそう簡単に変わるわけで無いからだ。特に消費者の態度が重要になると思うのだけど、どうもそこのところの動きは見られない。
だけど本物を見分けようとする意識というのが消費者の中に芽生えていることは確かである。新聞には連日食に関する本が必ず登場する。本屋さんにも食に関する本はどっさりあるだろう。
これは消費者の関心の高さの表れだろうと思うのだが、残念ながら食の本質を説いた本は少ない。簡単にきれいに美味しい料理を作る本、添加物などの害を批判する本、無農薬の野菜などを追求する本、グルメの有名店をめぐる本、スピリチュアルな内容で人を惑わす本など様々である。
「美味しんぼ」という食に関する漫画をご存じだろうか。雁屋哲氏の原作で長編の、グルメ漫画などと言われているが漫画と侮るなかれ、食の安全や食文化について鋭い視点で書かれており、参考になること大の漫画である。その中で、巷にあふれる料理本の中で読む価値のある本はこれだけだ、という本がある。
「土を喰ふ日々」水上勉著である。
この谷のこの土を喰い この風に吹かれて生きたい
「土を喰う」という意味がやっと解ったのだが、ぱらぱらとめくっただけで、「人にとって食ということがいかに大切か、食材はその土地で育ったものを食うことがいかに大切か」というようなことが書いてあるなと感じる。
上林に来て上林の水で炊いた米を食い、自らの畑で採れた野菜を食するとなんと美味いことかと思った。今まで食ってきたものは一体何だったんだろうとさえ思う。米のような物、トマトのような物、なすびのような物を食ってきたのだ。
これだけの畑でいろんなものが採れる
「都会の子が来て上林の米を食ったら、美味い美味いと言うのだが、持って帰って食べるとそうでもないと言う。不思議に思って、行って食べてみたら確かにまずいんや、あれなんやろ」亡くなった土井さんの言だったろうか。炊飯器は変わらないだろうから水が違うのかなあという結論になったのだが、食べ物というのは不思議なものである。信州から土産に買ってきた野沢菜がこちらではちっとも美味くない、ハワイで飲んだバドライトが日本では水くさい、これだって気温や湿度の違いなのだろう。
現地で食う食材が本物なのである。多くの消費者がそういう考えを持つようになったら、日本の食文化もよみがえるのではないだろうか。おわり
【今日のじょん】散歩の帰り、リードを外すと畑の法面に登り始めた。例の草でも探してるのかと思いきや、ニシクリを始めた。「オイオイ、ひっくりかえるで」と言ったが止みそうにない。